『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XC 炎の誓い/命の煌き/笑顔の約束

 もういいや……。
 目が覚めて最初に心に浮かんだのは、信じられないくらいの気だるさと諦めを傍観している自分自身の凍てついた感情だった。
 普段の私を知っている人達から見たら、あまりの格差で驚いちゃうかもしれないけど、これはずっと前から抱えていたものだ。
 前に噴出しそうになったのは、確か真一郎が雪さんに取られてしまった時。
 ずっと傍にいた私じゃなくて、真一郎が別の女性を好きになったと気づいた時、本当にどうしようもなく心が荒れて、心に殻を作って閉じこもってしまいかけた。あの時は小鳥やお母さんが居てくれたから壊さないで済んだけど、今度は本当にどうなってもいい。
 だから私は気配のしなくなった家の台所で、ガスの栓を開けたままホースを抜いて、階段を這って自室に戻ったのだ。
 多分お母さんや小鳥、真一郎も怒っちゃうけど、もう私は疲れちゃったから……。
 誰にも理解できない私の感情を持ったまま、生徒から取り上げたライターに火をつけた。

「くそ! ガズボンベに火がついたのか!」
 爆発の原因を発見し、温度の高い炎から顔を守るためにかざした腕の下から瞳を覗かせた剣心は、視線を燃え盛る鷹城家に向けた。
 余程ガスが充満していたのだろう。
 一階部分は殆どが火に包まれて、残されている二階が崩れ落ちるのも時間の問題に見える。
 小鳥から今日は病院に行かないと聞いているので、唯子は間違いなく家に居るだろう。
「それでなくてもあんな体だし、な」
「ダメ。中に入れそうな場所がないわ」
 先に進入経路を探っていた夕凪が、熱を防ぐように身を屈めて剣心へと駆け寄った。
「なら消防車を待つしか……って、何?」
 内情を把握するために、方法を思案していた彼の肩を小さい白百合のような手が申し訳なさげに叩いた。
 振り返った剣心の後ろには、相変わらず感情のない巴が燃えている家の入り口を指差した。
 つられるまま視線を向けた二人は、思わず唖然とした。
「ちょ、ちょっと……!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 さすがの美姫ですら口笛を吹き鳴らす程の事を、洋治は行動していた。
 即ち、鷹城家へ無防備のまま突入した。
「だぁぁ! もう少し考えて行動してくれって!」
 慌てて後を追おうとしても、そこは火の海であり、飛び込むだけでどうなるのか検討も付かない。
 夏の熱気以上の熱さと、集まってきた野次馬達を見渡して、剣心は爆発によって砕け、投げ出された一本の刀サイズの鉄の棒を見つけた。
「相楽! 道を作るからそこをどいてろ!」
「道を作る? どうや……」
 敵は範囲を広げている無機物であり、薫や耕介のような霊力も千佳やリスティ達のようなHGSも持っていないのに、どうやって道を作るのか――?
 振り返りざまに投げかけようとした言葉は、一瞬でのどの奥へと飲み込む事になる。
「飛天御剣流……」
 手にした鉄の棒を地面に向けて斬る様に叩きつけると、衝突の瞬間に手首の捻りをくわえながら、一瞬だけ沈めた膝をバネと化して上ではなく前へと大股に一歩だけ走り抜けた。「土龍閃!」
 身体の移動と手首の捻り、そして瞬間的な衝突によって砕かれた硬い土が弾となって燃え盛る鷹城家にぶつかった。
 一つ一つは小さくとも数の多い土の玉は、人一人が通れるだけの穴を真ん中に作り上げた。
「へぇ」
 それまで洋治に怒っていた美姫が、土龍閃に感嘆を洩らした
「じゃ、水の準備よろしく!」
 技の破壊力によって九十度折れ曲がった鉄の棒を投げ捨てると、剣心はネクタイを緩めながら鷹城家へと突入した。

 炎は確実に身体を焼いていた。
 自室で横になった女性特有の肢体は、焼き過ぎたステーキのように次第に赤く爛れ、痛みすら麻痺させていく。長く蜂蜜色をしていた滑らかな髪も半分以上が炭化していた。
 それでも唯子は生まれてからずっと見つめていた天井を、同じように見ていた。いや、ただ視線が半分崩れている天井に視線が投げられているだけだ。
 耳元で合成樹皮で作られた絨毯が弾けた。
 だが唯子はまるで意に返さない。
 ベットと机を喰らい尽くした炎は、とうとう主にまで紅い触手を伸ばし始める。
 幼い頃真一郎と小鳥が共同でくれた誕生日プレゼントの縫ぐるみが、煙を上げる暇もなく溶け消えていく。
 幼馴染三人が写った卒業写真。
 家族旅行のお土産で購入したキーホルダー。
 護身道部の大会で優勝したトロフィ。
 全てが彼女にとって大切な思い出の品々だ。しかし彼女の視線はぴくりともしない。すでに横たわっているのは魂の抜け落ちた蛋白質の塊でしかない。
 手が炎に包まれた。衣服に飛び火した火は彼女の半分を埋め尽くす
(これでもう……)
 すっと瞼が閉じられる。
 と、裏に浮かんだのは母親の優しげな微笑、友人との思い出。そして……

『唯子、何してんだ!』
『唯子〜、お弁当持ってきたよ〜』

「しん……いちろ……こ……とり……」
 硬く閉ざされた瞼のラインに沿って零れた涙は、床に落ちるより先に蒸発した。
「鷹城さん!」
 その時、彼女の耳に聞き覚えのない男性の声が響いた。
 力強くそれでいて暖かい声が。
 そして彼女の意識は、唐突に闇へと落ちていった。

           ※ ※

「唯子!」
 次の瞬間、目の前に野々村小鳥と腕をつなげる事に成功した相川真一郎の心配した表情があった。
「こ……とり?」
「うん! そうだよ! 唯子……良かった……本当に……」
 両手で顔を覆い、指の隙間から透明な雫を落とす彼女の頬に手を当てようと腕を僅かに動かした時、中学時代に腕を折ったのを数十倍にしたような激痛が走り、体中を針の筵の上に寝かせているような持続する痛みが残った。
「あ、うぅ……」
 反射的に身体がくの字に折れ曲がる。その動きにさえ、痛みは付随した。
「唯子、無理するなよ。お前全身大火傷なんだから」
 唯子の代わりに小鳥の頭を抱いた真一郎が、それでも幾分安心した色を浮かべた。
「火傷……そう、だ。唯子……」
「もう少し火の中にいたら助からなかったらしい」
 自分も脇に添えられていた丸椅子に腰を下ろして、大きく息をついた。
「ま、それでも無事で何よりだよ」
 昔から安堵できる優しげな、栗色をした瞳を向けられて唯子はぼうっとする意識で彼の幼く見える顔を眺めた。
 小学校から隣に居て、いつも見つめて、途中で自分の気持ちがであると気づき、そして小鳥のために諦めた今も心の傷とまで言わなくても揺り動かしてしまう男性。
 だが意識が真一郎に集中した瞬間、炎の中で脳裏に浮かんでいた絶望が一気に噴出す。その後は、唯子の理性の堤防は振り切れていた。
「……すけたの?」
「え?」
「何で助けたの! もう……唯子は……唯子には何もないのに!」
「お、おい、唯子?」
 手術後とは思えない大声を発し、唯子は体を起こした。
「唯子? ど、どうした……」
「いいから! 出てって! 二人とも出て行って!」
 小鳥の困惑した言葉さえ、今の彼女には届かない。
「どうしました! 鷹城さん?」
 大声に反応して、看護婦が二人飛び込んでくる。そして一番最初に映ったのは涙を流す唯子の姿であった。
「何をしたんですか!」
「え? い、いや、何もしてな……」
「ICUに入らなくていいけど、彼女は重傷には違いないんです! 二人とも出てってください!」
 涙を拭いもせずに取り乱す唯子を庇うように二人を追い出そうとする看護婦達に僅かな抵抗をしながら、真一郎も声を張り上げた。
「唯子! お前を助けたのは……鵜堂刃衛だった人だ!」
「え?」
 彼の言葉に反応して、唯子は顔を上げるがすでに看護婦によって幼馴染は室外に追い出された後だった。
 残された彼女は、ただ痛みすら忘れて二本の腕で体を支えたまま人影の無くなった入り口を呆然と見据えた。そしてそのまま唇が真一郎が残した名前を唇に乗せる。
「うどう……じ……んえ?」
 自分の体を最悪へと叩き落し、そして母親の命を奪いさった男の狂喜に満ちた瞳の輝きが脳裏を掠める。たったそれだけなのに、体が恐怖で小刻みに震えてくる。
 耳元まで裂けた邪悪な笑みと月明かりを反射した凶刃が体の筋肉細胞を一本一本斬り剥がしていくのを実感しながら、瞼の裏に刻み込まれた刃衛の顔が一瞬でフェードインしてくる。
 しかし……と、ここで冷静な一部分がひっかかった。
 あの鵜堂刃衛が唯子を助けた?
 一度文字として心に浮かべただけで、疑問は波紋のように広がっていく。
 と、人気の無くなった個室にノック音が響いた。
「はい」
「あ、鷹城センセ、起きてたんですね」
 軽いアルミサッシのレールが僅かに歪む音の後に、部屋の中に覗かせたのは教え子の緋村剣心だった。
 顔の左頬に気になる大きい絆創膏が貼ってあったり、腰まであった長い赤毛が胸より少し下辺りまで短くなっていたりといくつか疑問を持つ箇所はあるものの、彼は満面の笑みで入室してきた。
「緋村君……」
「あ、ダメっすよ? かなり火傷してたんですから。俺も一人だったら助けられなかったし」
「一人だったら? え? 私を助けたのは鵜堂刃衛じゃ……」
 思いがけない名前の登場に、一瞬だけ目を丸くした剣心だったが、すぐに大きく頷いた。
「ええ。まぁそうなんですが……ちょっとその事でお話も、ね」
「話?」
 さっきまで小鳥が座っていた丸椅子に座り、剣心はポツポツと語り始めた
「まずは鷹城センセ、一週間も寝てたんだけど……」
 


 そして全てを語り終えた時、唯子はただ一言、洋治を呼ぶように一言呟いた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 空が綺麗だった。
 初夏を越えてもうすぐ七月だというのに、雨雲のない空は驚くほどに澄んでいていつまで見上げていたい気分にさせられる。
 特に体全体で感じることのできる日差しは、火傷だらけの唯子には少しだけ厳しいけど、室内だったら間違いなく会うことのできない人と会うのだから、多少の無理はしなくちゃいけない。
 あの炎の中で唯子は間違いなく聞いた男の人の声。
 真一郎とも違う、緋村君よりも安心感を与えてくれるあの声は、昨日聞いた話だと一人しかいない。
 でも……。
 見上げた空はとても青くて、澄んで綺麗だ。
 そんな下で、私はあの人とどんな話をできるのだろう?
 どんな顔で会おうと言うのだろう?
 炎の中で薄らと聞こえた声はただ私が作った幻想でしかないかもしれないのに。
 憂鬱になりそうな考えを、まだ震える程度しか振れない首を振って、すぐに否定した。 アハハ、いつもの唯子らしくないや。
 そもそも、お母さんが居なくなって、昔の、真一郎が小鳥と一緒になった時の感情を思い出しちゃう時点で、私らしくない。
 ……鵜堂刃衛だった人に会うのは本当は怖いし、私の中で気持ちがどうなっちゃうのか予想もできないから、本当は会わない方がいいのかもしれないけど、でも、唯子はあの助けに来てくれた時の声を信じたい。
 こんなに早く気持ちが変わっちゃうなんて思ってもいなかったけど、何故か緋村君から話を聞いてから、怖さが薄らいだから。
 後はいつもの唯子のように、当たって決めちゃえばいいって思ったから。    
「あの……」
 あの声が聞こえた。
 見ると私から少し距離をとる様に、一人の男性が中庭の木の下に立っていた。


「あれ?」
 フィリスは父親に呼ばれて医務局に行く途中で、ふと中庭に人影あるのに気付いた。一人は包帯が目立つが、友人である鷹城唯子で、もう一人は彼女自身が戦った鵜堂刃衛だった小野寺洋治だった。
 一瞬、背筋に唯子が何かするのではないか? という悪寒が走ったが、その直後に悪寒は杞憂に過ぎないという証拠が、唯子の顔に浮かんでいた。
「ふぅ。何かあったのかわからないですけど、もう大丈夫みたいですね。あんな、相川さんや小鳥さんと同じ笑顔を見せる事ができるなら」







いやぁ。ようやく唯子編が終わった。
夕凪「時間かかった割には、大した内容じゃないわね。しかも鷹城先生、気持ちの切り替えが早いし」
ん? それは単純に、本編でも本人がいってるけど、感情が甦って、気付いたらってヤツだからね。落ち着いたらどうってことないし
夕凪「小野寺さんに対する反応は??」
……あの唯子だよ? いくらなんでも真実聞いてからも、引きずると思う?
夕凪「思わない」
でしょ? でも唯子が想像以上に動かなくて、そっちのが大変だったよ。
夕凪「ま、いいわ。日常編はまだまだ続くわけだしね」
うん。そろそろ君のライバルも登場だね
夕凪「え? 聞いてないわよ!」
言ってないもの
夕凪「ラ、ライバルって……まさか北斗さんの……」
ああ、そっちじゃないから安心していいよ。そんな小学校クラスの恋愛レベルにチャチャいれ……
夕凪「二重の極み!」
はぐぅ!

バタ

夕凪「はぁはぁはぁはぁ……。あ、バカには続きと、現在お遊び予告で書いた『極上とらいあんぐる』執筆させますので、美姫さん、楽しみにしてやってください。それではまた〜」

(ひ、浩さん、何とか書いてますのでよろしうに〜)




ありがと〜。
極上も、こっちの続きも非常に楽しみにしてます〜。
美姫 「今回で唯子編はとりあえずお終い〜」
うぅぅ、何とか助かって良かったよ。
あのまま、炎で焼かれるかと思ったぞ。
美姫 「うんうん。良かったわね〜」
さて、遂に90という話数まで来ましたね。
美姫 「大台の100まで、後少し」
次回も楽しみにしつつ、大台を越えることを期待してます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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