『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LXXX\・仮面の下/焦燥の女性/謝罪

「何だって?」
 さざなみ寮のダイニングで、昼下がりのお茶を薫と向かい合って楽しんでいた耕介はテーブルの上に広げた黒塗りの鞘の破片を手で遊んでいる彼女に、大きく互い違いにした眉を乗せた困惑の表情を見せた。
「はい。調べた結果、霊障となっていたのは刀本体ではなく鞘でした」
「鞘にって……つまり、十六夜さんや御架月のように刀身じゃなくて、鞘に霊がついた霊剣だった事か?」
「そういう事です」
 耕介が彼女のために煎じて入れた緑茶を、竹串で器用に一口小の大きさに切り分けた栗羊羹と一緒に口に放りこむ。普段がマナーに煩い薫にしては少々外れているが、ここは譲れないこだわりがあるらしく、一度那美が注意しても一向に治る気配はない。
 しかし、すでにそんなこだわりに慣れきった耕介は大して気にする事もなく、うーんと唸りながら顎に大きな手を当てた。
「そういえばフィリスが刀が折れてたのに本体がなかったって言ってたけど、確かに鞘が本体だったとしたら、納得いくな」
「ええ。緋村君が倒した鵜堂刃衛も、鞘が割れた瞬間に倒れと聞いていますし、まず間違いなかと思います」
 しかしそれはすでに終わった事だ。今後のための道標となっても今を生きている耕介達には大きくは関らない結果である。
 午後の一時に少し疑問に思っていた事が解消され、耕介は自分用に淹れた紅茶を少し多めに口に流し込んだ。

「――と、言う訳でして、昨日ようやく出所した次第です」
 青年の周囲には仁王立ちした美姫、冷淡に見下ろす夕凪、相変らず無表情な巴、そして複雑な表情の剣心が取り囲んでいる。
 雰囲気は何処となく警察の取調室に近いものがあり、青年は心底居心地の悪さを痛感していた。
「で、なんでまた鷹城先生の家の近くに?」
 大まかな事情を語り終え、まだおどおどした眼差しで四人を見上げている青年に、尤もな質問をする夕凪に、比較的冷静であると思ったのか青年は僅かに相好を崩した。
「勘違いしないで。鷹城先生をあんな風にしちゃったのはあたしだって怒ってるのよ」
 そんな青年の様子に、夕凪が多少ドスを含んだ声で嗜める。
「は、すいません……。実は俺、刃衛に憑かれていた間の記憶が全部あるんです」
「記憶が?」
「はい。そこの緋村さんと戦った事も、刃衛の感情も……それに鷹城唯子さんのお母さんを俺が……殺した事も」
 本来は完全にのっとられていた場合、霊が離れると記憶から全てが消去されてしまう。しかし剣心に倒され、海鳴中央病院に運ばれた青年には全ての記憶が残ったままになっていた。
 最初は東京のとある小さな御堂を掃除に行った時。
 父親が管理している小さな丘の中腹付近に立っているそこへと赴いたところ、地面の中に一本の刀を見つけて手にした。一瞬で体の自由を奪われ、気づいた時には鵜堂刃衛と名乗る存在が青年の体を自由に使っていた。刃衛は特に目的があった訳ではないのだが、それでも青年の両親に重傷となる傷をつけ、そのまま夜中に辻斬りを繰り返すだけの存在になっていった。
 どれだけ月日が流れたのか。
 刃衛はとある組織に拾われた。
 それが龍である。
 命じられるまま数ヶ月が過ぎ、何人もの人を斬って来た。そして最中に刃衛は緋村剣心と出会った。
「それから、何と言うか彼の感情は緋村さんを倒す事のみに向けられて、ついこの間、俺は開放された。けど俺の中に刃衛の記憶はずっと残ってて、彼の見た風景や人物も全て覚えてる。人を斬った感触や逃げまどう人の顔も……」
 語られる事実は酷く場に沈黙をもたらした。
(こいつも……被害者なんだ)
 剣心達の前にいる青年は、確かに鵜堂刃衛と名乗った人物だ。
 しかし反対に長い間体を操られていた彼もまた被害者と言える。
「……事情はわかったわ」
 どれくらい時間が立ったのかわからないが、沈黙を破るように美姫が口を開いた。
「アンタ、名前は?」
「小野寺洋治、っす」
 表情の消えた無機質な視線で体を射抜かれ、刃衛こと洋治は背筋に薄ら寒い感覚を走らせた。
 それはまさしく蛇に睨まれた蛙と言い切って良いほどの実力差を感じさせる鋭いを超えた恐ろしさを兼ね備えている。
 今すぐにその場を立ち去らなければ、次の瞬間には自分の体が肉隗になっているのでは? と錯覚すら覚える。
 じわりと額に浮かぶ油汗を拭えもせず、そして視線を外す事もできずに彼は見下している美姫を見詰めた。
「事情はわかった。でも……」
 すぅ。と、瞼が狭まる。
 氷は氷でも千年以上溶ける事もなく人々を凍てつかせてきた極点の万年氷のように冷酷な冷たさを持って、美姫は洋治に言葉を口にした。
「でも、そんなストーキングより私にぶつかったのが許せない!」
「美姫さん! 論点そこじゃない!」
「え〜? 別に他人の事だし気にしたって仕方ないじゃない?」
「……それをあえて止めるのが一般だと思うんだけど……」
 予測していた夕凪とげっそりと疲れきった剣心のサラウンドな反応に、ぶつぶつと文句を口にしている美姫を放置して、剣心は洋治と同じ視線となるようにしゃがみ込んだ。
「……許せるか許せないかで言えば、まぁ許せない範囲なんだろうけど、それでも話聞いて怒れないのは許してるんだろうな」
「緋村さん……」
「まぁ鷹城先生も簡単には許してくれないだろうけど、……頑張って」
「ああ……ありがとう」
 それで二人の間にあるものはすべて消えていた。
 手を差し伸べて、それをしっかりと掴み立ち上がる。ただそれだけの行動で何故か妙な親近感が二人を包む。
「うんうん。友情だわ」
「引っかき回しただけの人が何を言う」
「あら? 夕凪、結構大きい口叩く様になったわね?」
「え? い、いや、そんな訳無いじゃない〜」
 思わず本音が零れ、地雷を踏んでしまった夕凪に瞳を完全に悪魔状態に光らせた美姫の毒牙にかかりかけた瞬間、それははっきりと訪れた。
 強烈な爆発音。
 激しい地揺れ。
 びりびりと痺れている電柱から切れた電線が、身長の高い夕凪の頭上すれすれに垂れる。「な、何だ!」
 立っていられなくなり全員がしゃがみ込んだ中で、洋治だけが視線を細めて這うように駆け出した。
「ちょ、どこ行くの! まだ私への謝罪が済んでいないわよ!」
「だからそんな場合じゃないでしょ!」
「いいから行くぞ!」
 こんな時でさえマイペースで、あわや中指を立てかけた美姫を嗜め、四人は爆発音と洋治の消えていった方向へと向かい、角を曲がった直後に全員が足を止めた。
「なぁ!」
 激しく容赦なく燃え盛る炎。
 いまだに続く小規模な爆発。
 それらが起きているのは彼らの目指していた鷹城家であったのだった。



……お前って奴は、はぁ〜。
美姫 「ち、違うわよ。ここに出ている私は、私であって私じゃないの」
じ〜。
美姫 「い、いや〜ね〜、私があんな事を言うはずがないじゃない」
いや、充分、お前だぞ。あの言動は。
美姫 「何処がよ!」
じゃあ、俺がもし、お前にぶつかったら?」
美姫 「即、たたっ斬る!」
ほら、みろ!
美姫 「ぴゅ〜、ぴゅ〜♪」
誤魔化すな!
美姫 「えい♪」
がっ! ……ピクピク。
美姫 「雉も鳴かずば討たれまいに。それじゃあ、次回も楽しみにしてますね〜」



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