『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LXXXV・テロ終結

 海鳴テロを行うに従って、クリス達が前線基地に置いたのは海鳴臨海公園であった。人が多く自然に溢れる尤も平和を匂わせる公園の地下に基地を設置する事によって、世界でトップクラスを誇る日本警察機構の他に忍の蔡雅御剣流や隠密御庭番集、他にも香港警防等からの目を逃れるために作った基地に、信じられない出来事が起こった。
「第二、第三ブロック占拠されました!」
「第七ブロックも限界です! 撤退命令を!」
 クリス達の手下に当たる彼等は、命令に従って動いていた三人のマークと通信、さらにそれ以外で破壊活動に従事している他の仲間達への連絡を兼ねて基地に篭っていた。だが行動開始して最初にノルシーのマーカーが切れ、その後は次々と仲間達との連絡が不通に陥った。基地を預かるように命令されたリーダーは青ざめたまま現状の確認を勤めようとした時、今度は入り口を遥か遠くに設置した基地内部に侵入者が確認され、混乱は最高潮に達してしまった。
「通路隔壁突破されました! 間もなくここへ流れこんできます!」
 すでに報告と言うよりは悲鳴に近い内容に、その場にいた全員が顔色を無くした。
「ぜ、全員武装次第、脱出通路へ移動しろ! これ以上は意味がな……」
「おや? それは困りますよ」
 だが、そんなリーダーの言葉を遮るように、部下にいない口調が命令を遮った。
 全員の背筋に冷たいものを走らせながら、慌てて声のした司令室の一番奥に当たる南東側の角へと振り返ると、そこには眼鏡をした四十代前半と思しき眼鏡をかけた男性が深緑色のスーツの上に薄いベージュのコートを羽織って腕組みしながら佇んでいた。
「な! お、お前は!」
 部下はただ何時の間にかそこへ現れた男に驚愕していたが、一人だけ、リーダーには見覚えが合った。その反応に男は驚いたように表情を変化させる。
「おや? 僕の事を知っているんですか? おかしいなぁ? 美沙斗さんと違ってなるべく顔は出さないようにしてるんだけど……」
 まるで今この場に似つかわしくない仕草で、昼間の新橋や東京駅にいそうなサラリーマンのように顎に手を当てて小首を傾げる男に、リーダーは震える足を一歩後退させた。
 メインモニターに映し出される侵入者の突破状態と謎の男に交互に視線を振りながら、一人部下がリーダーに耳打するように近付いてきた。
「あ、あれが誰か知っているんですか?」
「知らないか? 前に龍が壊滅した時、表には出なかったが内部から切り崩しを行った香港警防の工作員……」
「前の……? ってま、まさか!」
「あ、ああ。あれが樺一号だ」
 その二人の様子に今度は眉を困ったように八の字にして、樺一号は後頭部を掻いた。
「ん〜、実は余りその字は好きじゃないんですよ。本名の方が好きなんで。さて、それで今ここに六人いますが、どうしますか? 全員でかかってきますか? それとも降伏を?」
 顔は笑っている。それも日曜日に家族サービスをするような爽やかさだ。しかし、相対していた基地メンバーはその柔和な眼差しの奥から身体を硬直させる光に、完全に意気消沈した。樺一号以外の全員が手にしていた銃火器が同時に床の上に落ちた。
「御協力感謝しますよ」
「陣内さん、無事ですか!」
 そこへ正面から侵入してきた香港警防特殊行動部隊『白樺』が一斉に司令室に流れこんできた。その中に紫色の忍装束に身を包み、唾のない小太刀を二本手にした四乃森操が、樺一号――本名陣内啓吾へと駆け寄った。
「うん。僕は大丈夫だよ。それより、たまたま病院に居た君までこんな事に付き合わせてしまって悪かったね。怪我はしなかったかい?」
「ええ。京都から来てくれた増川と近森もいたので、俺は怪我一つないですよ」
 背中に括り付けていた鞘に小太刀を収めながら五体満足であるのを見せると、そのまま視線を連行されていく司令室メンバーへと向ける。すでに全員の顔にこれから行われる正義の名の元で開廷されるであろう香港警防の裁判を想像して見苦しく鼻水まで垂れ流す男達を見送る。
「それよりもどうしました? あの隠密御庭番集御頭候補である操君が、殆ど仕事が終っているとはいえ最中にわざわざ僕のところにくるなんて? あ、それとも市内で破壊活動をしていた他の雑兵が何かしでかしました?」
 香港警防や忍に限らず、大きな隠密性を持つ組織では完全に任務完了となるまで、何があろうとも命令以外の事を口にする事はない。それを幼い頃から叩きこまれている筈の操が、すぐさま啓吾に寄って来たのには何か意味があるのだろうと、ちらりと隣に立つ操に目をやった。
 すると操は妙に言い難そうに口の中で言葉を反芻させながら、数秒の間の後に口を開いた。
「実は――」

 同じ頃、海鳴中央病院内でも混乱はピークに達していた。
 次々と運ばれてくる負傷者は軽く百を超えているのだが、これは重体や重傷患者だけの数である。比較的軽傷の者は個人開業の病院に回して、警察や民間のヘリで重体よりも軽く軽傷よりも軽い患者は周辺の自治体に対応を依頼しているが、すでに海鳴中央病院の病室や廊下までも収容人数が限界に達しようとしていた。
「仮眠室も開けさせろ! まだまだ来るぞ!」
 引っ切り無しに動き回っている若い医師や看護士達に指示と激を飛ばしながら、フィリスの養父である矢沢医師は内心で大きく舌打した。
 どんどん運ばれてくる患者は雪達磨式に数を増やしている。間違いなく後一時間もしないうちに海鳴中央病院は限界に達するだろう。
 重傷患者を東京まで搬送するか?
 周囲に治療できる病院がない以上、それ以外の手立てはない。未だ交通網が一つでも開通したという話は聞えてこないのでそれも難しい。何より医師の数が足りない。海鳴中央病院に詰めている医師は全部で百人ちょっと。看護士も百五十人程度だ。それだけで手術を要する患者まで手を回さなければならないのだから、圧倒的に足りていない。
 元々HGS研究治療を主にしている矢沢には手術など出切る筈もなく、ただ只管骨折を中心に治療していた。
 その時!
 
 ビービービー!

 と、新しく救急車が到着したのを報せるブザーが音を発した。
「くそ! また新しい患者か! おい! 取りあえず待合室へ通せ! 間違っても手術室への通路は塞ぐなよ!」
「はい!」
 まだ疲れを微塵も感じさせずに飛び出していく今年配属になった看護士を見送って、自らも診察のために出ていこうとした時、ふと入り口に数人の人影があるのに気付いた。疲れて休んでいる看護士かと思い、大きく怒鳴りを含んだ指示を出そうとした時、先に人影が口を開いた。
「折角の休暇だったんですけど……なんて言ってられる状態じゃないと思いまして、微力ながら助太刀に来ましたよ。矢沢先生」
「あ、貴方達は!」
「手伝ってもいいですか?」
「も、もちろん! お願いします!」
 それは思いがけない助っ人だった。三日前からHGS施設の見学と休暇を利用して海鳴を訪れていた矢沢も面識のある医師が来てくれたのだから。
「よし! それじゃ行くぞ!」
「おう!」
 全員の気合の混じった声が号令となって廊下に木霊した。
 龍宮市に最高の医療技術を持つといわれる総合病院がある。東京の有名な医大や病院ですら匙を投げた病状ですら、ここならば助かるとさえ言われるそこは、北欧神話の神々の住まう土地から名を取り、こう呼ばれていた。
 ――ヴァルハラと。
「大木は内科へ。細野は金田と一緒に外科へ。俺と国見はこのまま新しく到着した患者にかかる」
 ヴァルハラに新しく設置されるHGS病棟の初代主任に着任する予定になっている南修司は国見健太を連れ、駆け足で待合室へと向かった。
 通路は完全とは言えないまでも約六割が封鎖されている状態であった。
それを確認すると、あまりの惨状に国見は眉を顰めた。
「酷いっすね……」
「これだけの被害だ。まだ少ないと見ていい。そんな全体像よりも今は苦しんでいる人々の治療が優先だ」
「んなのわかってますって」
 途中で指示通り分かれていった三人を見送って、南と国見は待合室に入った。元々余裕のある土地に建築された病院だけあり、かなりの人数が横になっているにも関らず、まだ余裕がある。その中でまだ治療のされていない集団を見つけると二人はすぐに治療に取り掛かった。
 しかし――。
「うわ! な、なんだ? 何を使えばこんなに?」
 まず最初に目に付いたのは二人の患者が意識不明のまま横になっていた。一人は見るからに頭部の損傷が激しいセミロングの女性と、もう一人は同じ髪の長さの少女だが、左腕が鏡のように切断されている。止血だけは済ませたのか付き添いの二メートルはあろうかという大柄の男性が憔悴した様子で二人を見詰めていた。
「失礼。私は医師の南と言います。これから診察を行い、その後手術となるでしょう」
 一息で相手に言葉を挟ませる間を与えず、南は男の瞳を正面から見詰めて言い切った。今回のような大きな事件が起きた場合、患者の付き添いは混乱からまともな思考ができていない事が多い。なので一気に結論まで口にする事で相手に今の状態を一気に悟らせる手法を南は取る。
 男も突然現れた南達に一瞬ぽかんとした表情を浮かべるが、すぐに深深と頭を下げた。
「宜しく……お願いします……」
「はい。あ、先に御名前を伺っても宜しいですか?」
「あ……。すいません。俺は槙原耕介。それでこっちが仁村真雪でこっちが陣内美緒です」
「ありがとうございます。では槙原さん。申し訳ありませんが診察しますので少し離れてもらっても宜しいですか? 何分女性ですので」
「あ、は、はい」
 南に言われるまま離れる耕介に頭を下げ、すぐに国見と一緒に診察にかかる。
「……こっちは左手以外に外傷なし。すぐに止血してるし、切れた腕も冷凍保存してる。これなら繋げられる」
「なら細田に頼め」
「了解っす。あ、看護婦さ〜ん!」
 南の指示にすぐさまナンパをするように近くにいた看護士に駆けて行く国見を横目で見送って、南は自分の担当になった真雪の後頭部に手を当てた。骨は砕けてはいるが触診の感触だと全ての部品が運良く繋がっている。こちらも他に外傷が見当たらないので頭蓋の複合手術で事足りるだろうが、問題は骨が砕けるだけの衝撃を受けて脳内出血を起こしていないかである。弱くとも強くとも衝撃が与えられれば蜘蛛膜下出血を併発している可能性がある。
 これは俺がやらなくちゃいけないか。
 今回の見学で連れて来たメンバーには荷が思いと考え、手術の準備をしようと立ち上がった時、大きく音を立て病院の正面玄関が開け放たれた。
「す、すいません! 母と友人を……」
「ハァハァハァ……。こ、この状態だと……ちょうキツイわ……」
 一人は眼鏡をして背に体中を包帯に巻かれた女性を背負った少女と、更に隣にはこちらも肩に包帯をした少女を背負った女の子が立っていた。
「どうしました?」
「母が刀で左胸と右脇腹と右太股を貫かれて……。は、早く治療して……」
 左胸と言う単語に、南の背中に鳥肌が立った。しかしだからと言って見捨てる事などヴァルハラに勤める彼にの頭に選択肢は存在していなかった。
「そこの看護士! 数人連れてここの三人を手術室に! 残りの三人は矢沢先生に見てもらってくれ!」
「は、はい!」
 別の患者を診ていた看護士は、南の指示に慌てて人数を揃えてストレッチャーを取りに行くべく走っていった。
 その時、待合室に第二の異変が出現した。
 手術着に着替えるために準備室に向かおうとしたその刹那、突然目の前に黄金色の直径二メートル程の球体が出現した。それは思わず目を閉じてしまう位に光を放ち、小型の太陽が降臨したようにも感じられた。
「な、なんだ!」
 その場にいて声もでない人々を代表するように、南が一人だけ光球に向かって叫んだ。瞬間、現れた時と同じく唐突に光球は光を消した。
 視界を守るために手で顔を覆っていた人々は、掌の向こう側で消えた強烈な光に戸惑いを浮かべつつも手をどけると、そこには新たに五人の人間がうずくまるように支払いカウンター前に降り立っていた。
 最初は何なのかはっきりさせようと駆け寄りかけた南の瞳に、見覚えのある白衣と銀髪が映った。
「貴方は……?」
「フィリス先生! それに唯子先生に相川さん!」
 彼よりも先に彼女に気付いたのは、桃子を運んできた美由希であった。二度程矢沢のアシスタントでヴァルハラを訪れた際に挨拶を交わした程度のため自信がなかった南であったが、美由希に続いて耕介も名を呼びながら玉のような汗を額に浮かべて床に倒れ込んだフィリスを抱かかえたため、一瞬で疑問を確信に変えた。同時に他の四人に全ての神経が注がれる。
 相川と呼ばれた男性は、先ほどの陣内美緒と同じく腕がとてつもなく切れ味の良い刃物で切断された後があり、隣に居る一人だけ無傷の女性が彼のものと思われる腕を胸に抱えている。残り二人は互いに右と左胸に刺し傷が存在していた。ただ一つ不思議なのは、彼等の傷という傷が金色に輝いているのだ。
「い、今は……私の念動力で……傷の進行を……抑えてます……。い、今の……うちに……手術を……」
「念動? そうか。彼女はHGSの……」
 前に一度だけ酒の多少入った時、矢沢からちらりと聞いた事がある。
 彼の引取った幼女がHGSであると。
「そこの看護士!」
「は、はい!」
 藤林看護士は光に驚いて顔を覗かせたタイミングを南に呼ばれ、思わず身体をビクっと反応させたが、続けざまに飛んできた命令に、体を反転させた。
「ヴァルハラメンバーを全員手術室に集合させろ! 六人同時に手術を行う!」
「は、はい!」

 その頃、海鳴中央病院に一本の連絡が届いた。
 それは香港警防からの連絡で、テロリストを一掃したと言うものだった。
 こうして、海鳴市を襲った未曾有のテロ事件は一様の決着を見る事となったのだ。



テロ事件が決着。
美姫 「だけど、それが残した爪あとはとても大きい…」
とりあえず、ほっとしておこう。
美姫 「まだ、黒幕は残っているけれどね」
果たして、次回はどうなるのか。
美姫 「それでは、また次回で」



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