『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚 76』
LXXY・海鳴市攻防〜紅姫饗宴
「……ここまでで限界だな。これ以上は道自体がなくなってる」
「そうですか。ありがとうございました」
車の運転席に戻って来た男性に、後部席で眼鏡をかけて動きやすいジャージ姿に小太刀をニ刀持った女性は、大きく頭を下げて礼を述べた。その隣で一本の日本刀を抱えるように持った赤毛の短身痩躯の少年は、仰々しく溜息をついた。
「しかし、ニュースが流れたのが十二時十分頃で、電車でも一時間半かかる海鳴までたった三十分って、一体どんな手品だよ……」
「長年の経験と運転技術の賜物だ」
あっさりと切り伏せるように言い捨てると、運転席の男性は親指で外を指した。
「それより、さっさと行け」
「ああ、それは良いけど、俺は道知らないよ」
「あ、大丈夫です。私、この近辺の山なら休日の鍛錬で走りまわってるんで、十分くらいで海鳴に入れます」
「……そうですか」
こうして二人の剣士が海鳴に向けて山に入ったのは、ノエルと薫が戦闘を開始する十五分前だった。
「これでよしっと。レン、そっちは?」
「こっちもこれでしまいや。人数分のオニギリと豚汁」
御椀に持って、隠し味に桃子推薦の七味唐辛子を振り掛けてから、何故か上手だったフィアッセ直伝のオニギリを綺麗に三角形に結び終えた蓮飛は、栄養バランスを考えて簡単な野菜炒めを作っていた晶に、額の汗を拭いながら笑顔で振り返った。
「ちょっとしょっぱいかな?」
「ええんとちゃうかな? 多少塩っ辛い方が初夏やけど潮風が冷たい時期やし、一味でもかけて体を温めてもらっても」
「それもそうだな。はは。味付けは真雪さん風になっちまったな」
レンの感想に珍しく納得して、晶は専用の水色に赤の縁取りをしたエプロンを外した。隣でレンも同じ柄で色がメインが緑で縁が黄色のエプロンを外す。昨年のなのはからの誕生日プレゼントなので無碍に出来ず、結局いがみ合いながらも今日まで着用しているお気に入りとなっている。
二人はそれぞれ御盆に乗せたオニギリを持って台所を出ていこうとして、ふと家長の桃子がいないのに気付いた
「あれ? そういえば桃子さんは?」
「さっき松尾さんから連絡来てて、何でも二人で無事な人の確認するて、電話に齧りついとったよ」
「こんな時に電話なんて繋がるのか?」
「それがようわからんのやけど、何でも市内には繋がるらしいで」
「何だそれ? 市外には繋がらないって?」
「聞かれても、ウチもちょうわからへんけど、そういう事らしいわ」
本来は高町家のAVマスターことなのはが居れば、そう言った機械的な疑問には真っ先に答えてくれるのだろうが、今は東京に美由希の出稽古に付き添いをしている。分からない事はすぐに頭の片隅に追いやるタイプである晶と蓮飛は、そのまま大して気にも止めずに、とたとたと庭に食料を運び始めた。
台所から繋がっている居間を抜け、途中でソファに腰を降ろして色々と電話帳を散乱させている桃子の前を笑顔をで通り抜けて、玄関に通じる軒下に脚を踏み入れた瞬間、そこに広がっていた光景に、先を歩いていた蓮飛が御盆を落とした。
「ちょ、何やってんだ! どんガメ!」
すぐ後ろにいた晶が、そんな喧嘩友達に眉を吊り上げて大声を上げた。だが一向に戻ってこない文句に首を傾げて、頭を自分より五センチも身長を抜かされた蓮飛の背中から覗かせて、彼女もまた手にした御盆を派手に落とした。しかし、その驚いたのは晶だけではなかった。二人の視線の先に佇んでいた女性も、また驚きを隠さずに二人を見詰め、そしてすぐに妖艶な笑みを浮かべた。
「あら。まだいたの。てっきり今やっちゃったのかと思ったのに」
そこは苦痛の荒海と化していた。
全員が致命傷より僅かに箇所を変えられ、長く息が続き苦痛を洩らす部分を斬られ、または貫かれた人々が倒れる中、苦痛と嗚咽と苦悶のオーケストラに酔いしれるように紅姫ノルシー=ヴァロアは紅いドレスを翻した。
「お前が……こんな酷い事を……」
「酷い? ふふ。バカね。私以外の人間は楽器よ。心地良い旋律を奏で、リズムを踏み、私を頼ませるだけの楽器」
「あ、アンタ、螺子が一本抜けとるん違う? 人は人や! いや人だけやあれへん。命で遊んだらアカン!」
「……お嬢ちゃん、玩具をどうしようと持ち主の勝手でしょ?」
足元で全身を膾斬りにさせた女性に、夜には履きたくない高いヒールをわざと傷口を広げるように付きたてた。すぐに甲高くなった悲鳴に満足そうに長髪を少しだけ動かした。
「ほら、気持ち良い」
ねっとりと湿り気を帯びた瞳を、自らの血と生地の色で赤紅となったグローブで顔を撫でながら、小指を口に含んで噛み締めた。
「レン、俺、あったま来た……」
「ああ、奇遇やな。ウチも同じ気持ちや」
別に彼女達も一般人の枠から離れていない。だが武術と空手を習得している二人には逆に怒りを沸き立たせた。
眉を吊り上げ、握り締めた拳を震わせていた。
「昆はあるのか?」
「ああ。すぐに練習できるように雨戸の脇に置いてある」
「ならすぐに取って来い。多分アイツは師匠や美由希ちゃんクラスの化け物だ」
その言葉にレンは一瞬だけ呆気に取られたが、すぐに雨戸の脇に立て掛けてあった百五十はある昆を手にした。
まさか怒っているようでちゃんと相手を見てるなんて、ウチもうかうかしてたら抜かれるな。
格闘者の中には大きく分けて二つの種類が存在する。一つは動の格闘家である。感情を大きく力にし、相手を殲滅するタイプと、そしてもう一つは感情を高ぶらせながらも冷静な判断を持って戦う静の格闘家だ。レンは晶とのコミュニケーションになっているジャレ合いのような喧嘩の中で、漠然と動を選択すると思っていた。だが、雰囲気と気配から相手の力量を探る術など、何時の間に身につけたのか。何処か嬉しくもあり、それでいて寂しくもある心境に、僅かに口元が緩む。
でも、全てはあれを追い出して、みんなを治療してからや!
そう思い直して中に鉄棒を仕込んだ昆を腰の高さに構えた。
「とりあえず、オバさん、さっさと消えてくれ」
「オバ……?」
「そうや。ここに居られると迷惑や。さっさと出ていき」
二人は互いに得意とする場所へと人を気にかけながら移動すると、ノルシーを挟んで晶とレンは注意深くどんな攻撃にも対応できるように、なるべく脱力からなる構えをとる。
ちらりと足元を見ると、切り傷で動けなくなっている人々が多い。おそらく刃物を使うのだろう。しかし、ノルシーはそんな武器は持っていない。ならば何処に隠しているのか? そう分析をしていく晶の反対側で、蓮飛は紅姫のある変化に気付いた。髪の毛で表情は見えないが、あからさまに肩を震わせて顔に沿えていた手を落とした。
「……いしなさい」
「あ?」
「なんや?」
急にそれまでの鳥肌が立つような金切り声を一片させて、トーンの低いものへと変化させたノルシーに、晶と蓮飛は同時に聞き返した。
「オバさん呼ばわりを取り消しなさいィィィィィィ!」
だがそれが堰を外す引き金となった。突然ヒステリックに叫び出したノルシーの狂気とも言える程に開かれた眼と、縦に人間離れした口から発せられる声は、子供であれば瞬時に泣き出しているだろう。それほどに迫力があり、中国拳法の発勁にも似た絶叫に二人は圧倒されるように一歩後退した。その瞬間、一本の白い線が晶と蓮飛の顔横を通り過ぎた。何が通り過ぎたのかを確認する前に、耳に届いた風切り音に咄嗟に晶は身を沈め、蓮飛は昆を音の方向へ縦にしてぶつけた。白い線は晶の頭頂部の髪を数房切り落とされ、蓮飛の昆はがりがりと表面の樫の樹を削り取る。
「アンタ達、殺すぅぅぅぅぅ!」
追い討ちをかけるように白い線は生物のように首を下げてくる。動物的感と反射神経で二人は同時に横に転がって、ノルシーから距離をとった。
「なんや? 一体何されたんや?」
「わかんねぇ。急に白いもんが出てきたと思ったら、斬られて……」
と、そこまで感想を述べて、晶は人の間を縫うようにある一本の白い線を見つけた。それはノルシーのスカートの中に続き、最終的に繋がっているのはグローブと同色で見つけ難いが剣の柄のような物体を持つ手だ。だが疑問を口にするより先に、白い線がまるで大蛇の如く動いた。シュルシュルと芝を抉りながら動き始めたそれは、あっという間に空中にその姿を現した。
「こ、これは!」
「鞭、やて?」
「私の白刃の太刀で切り刻んであげるぅぅぅぅぅ!」
江戸時代後期。
京都に一人の天才刀匠が居た。彼は息子に恨まれようとも孫とそれから続く時代のために蔑まれながらも、効率良く人を殺せる剣を作り続けた。そんな彼が明治維新後期に作った殺人奇剣の一つがノルシー=ヴァロアの愛刀・白刃の太刀である。直線的な動きしかできない刀を極限まで薄くして、切っ先を少しだけ重くする事によって、手首の捻りだけで鞭のようにしなり、うねり、そして蛇の如く敵の身体に傷跡を残す脅威の剣閃は、間合いの広い超重武器の弱点でもある懐に飛び込まれれば御終いという欠点もカバーしている。
それはまさしく剣の結界だった。
三百六十度全方位から襲い来る剣は、昆を持つ蓮飛はともかく素手の格闘を得意とする晶にとって不利を通り越す勢いだ。ぎりぎりのタイミングで避けると、鎌首が落ち、余裕を持つと大蛇の胴で絞められる様に健康的な皮膚を裂いていく。次第に圧されて十メートル近くも距離を離されていく。
このままじゃ晶がもたへん。ウチがどうにかしたらな……
風の拳というコンセプトに作られた蓮飛の家に代々伝わる鳳家拳法を体得している彼女は、空手の剛の拳の体捌きに比べて比較的傷が少ない。と、言っても、あくまで五十歩百歩程度の差でしかない。すでに晶も蓮飛も体の表面はぼろぼろの状態だった。
それに武器を持ってるウチのが、あのオバさんを遠くから迎撃できる!
また耳元で昆が削れた音とノルシーの絶え間ない耳障りな高音の笑い声を耳にしながら、結論を出した蓮飛は大きく全身のバネを生かして白刃の太刀を大きく弾いた。幾ら鞭の特性を持つ太刀とはいえ、極端に真横からの力を加えられればバランスを崩す。予測通り、それまでの流連なる動きが乱れ攻撃のタイミングが遅れる。
今や!
もちろんそれは蓮飛が立てた計画の一つだ。打ち返した昆の勢いを利用してくるりとその場で一回転すると、そのまま走り出しかけて、突然横から飛び出した影に邪魔をされた。あまりに唐突なために急激な減速が蓮飛に踏鞴を踏ませる。
「後は頼む!」
「あ、晶! このバカ!」
それは晶だった。
蓮飛を遮って飛び出した彼女は、方向を変えた白刃から頭を守るために十字に腕を組み合わせて一直線にノルシーに向かっていく。そんな親友の背中を慌てて追いかける。小さな背中を見詰めて思わず舌打をした。蓮飛が考えていると同じく、晶もまたどうしたらいいのか状況打破を考えていたのだと。そして昆で太刀を弾いたのを見て、蓮飛を守るために自分を囮に使ったと。
「傷だらけなんやから、アンタが力を溜めて打てばいいやないか! 無茶しくさって!」
だが逆の視点から見れば、傷だらけの晶がトドメを担当するのではなく、怪我の少ない蓮飛が行うというのも間違ってはいない選択肢だ。互いの身を案じて、更に動き出すのは回転を加えた分蓮飛が遅かったと言うだけの事だ。
「な、この中を駆けて……」
背中越しに叫ばれた罵声に心の中で謝罪して、目の端に映った切っ先に左腕を貫通させるとぴたりとノルシーに密着するように利き手である右拳を、地面に穴を穿つ踏みこみと共に驚愕するノルシーの腹部に密着させた。きっと引き締められた晶の純粋な瞳が拳を添えた一点に集中される。
明心館空手巻島流奥義・吼破.改!
脚から腰、そして肩から手首に至る全ての関節が順を追って回転していく。回転は通過するたびに大きな力を相乗し、一気に拳に集約していく。
密着状態から放たれた一撃がノルシーの体に撃ち込まれるか否かのタイミングで、今度は晶の影から飛び出した蓮飛が半泣きの顔のまま昆の石突部分に掌を当てた。
鳳家拳法昆術奥義・水心推!
昆は、まるでニードルガンのように蓮飛の小さな体から発射されると、純粋でありながら昆術の基本であり奥義である体全体を使う刺突術が、突風の如くノルシーに突き刺さる。
しかし――次にぎょろりとしていたノルシーの眼が、闇よりも深い紅を湛えて、晶と蓮飛を視線で射抜いた。
「残念で・し・た」
何を意味しているのか? と、それを問いただしたい思いに蓮飛がかられた瞬間、隣に並んだ晶が、小さく呻いているのに気が付いた。
「晶?」
だが違う人物から回答が示された。
「だから、御褒美に私のとっておきを見せてあげるわ」
ノルシーの妖艶なる微笑が、耳まで裂けた。瞬間! 突然足元から噴出した四本の白い線が二人を包み込み、そのまま地面ごと吹き飛ばした。
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
「我流・死蛇笙」
空中に投げ出された蓮飛達に、地面の中を掘り進んでいた四本の白刃の太刀が凶悪な牙で両肩を貫通させると、そのまま高町家の屋根に縫いつけた。苦痛で、声すら上げる事ができない二人に、ノルシーの高笑いが聞える。
「ほほほほほほほほほほ! 御似合いよ! 私を侮辱するから、そんな標本にしかならないのよ!」
「五本……やて……?」
苦痛に耐えながら硬直している首の筋肉を回して、蓮飛は自分と晶を縫いつけている白刃と、そしてまだ晶の腕にある一本の白刃を見て擦れた声で見た。
「ちが……う……。レン……」
「晶……しゃべるな……」
「アイツは……まだ持ってる……」
「なんやて?」
驚きを上げるだけで、肩の傷が反応して痛み出す。しかし、晶の言葉を肯定するように弱々しく吼破.改を撃った右手でノルシーの腹部を指した。そこはさっき晶の必殺技を直撃させた個所だったが、破壊力で破れたドレスの合間より覗いていたのは二人を貫く白刃と同じ輝き。
「あら、触られちゃったからバレちゃったわね。いいわ。なら教えてあげる。私は一本に四本の刃がついている白刃連牙の太刀を二本使うの」
本来白刃の太刀とは、一本のみで作られている。しかしノルシーはそれだけでは飽き足らず、同じく極限まで薄くした刃を四本に増やして、更にそれを二つにして使っていた。一本はドレスの下に巻いて相手の油断を誘うのが、普段の手だ。
「晶! レン!」
そこへ新たな乱入者の声に、ノルシーは視線を降ろし、晶と蓮飛は聞きなれた声に必死で声を張り上げた。
「桃子さん、来たらダメだ!」
「逃げてください! はやく!」
「まだいたのね。いいわ。貴方も私の標本コレクションに加えてあげるわ」
ノルシーの体から新たに外れた二本の白刃が、生物のように地面に垂れる。しかし屋根に縫いつけられた二人に声の限り呼び掛けている桃子は、その様子など目にも入らない。
取り乱す母親を蛙の解剖して娘に見せ付けるのもいいわ。いい声楽で鳴いてくれるんですもの。
桃子の使い道を想像して嬉しがり、手首を捻った。音も立てずに倒れている人々の体を吹き飛ばしながら、鋼鉄の蛇は桃子に接近して――。
キィン!
二本の白刃は、同じく二本の小太刀によって見事に捌かれた。
「ようやく本命の御登場ってところかしらね?」
「レンや晶、それにかーさんまで巻き込むなんて許せない……」
どうにか間に合う事に成功した高町美由希は、逆手に持った刀を順手に持ち替えて、月の元で眼鏡を外した。
遂に美由希の登場!
美姫 「果たして、どうなるのか」
そして、他の所で闘っている者たちも。
美姫 「緊迫した展開が続く、テロ騒動…」
無事に収束するのだろうか。
美姫 「次回を気にしつつ、待ってます!」
お待ちしてます〜〜。