『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚 75』




LXXX・海鳴市攻防〜透過の力

 見た目はさとみが時々指導している小学生のバスケットボールチームのメンバーと変わらない程度の少年だった。しかし、似つかわしくない節ばった木の杖をつき、しわがれた声を発しているのは、どこか鞘がずれている感覚に襲われる。
 だが真雪や夕凪がぽかんとしてしまった中で、退魔経験のある耕介と猫又である美緒だけは警戒を解かなかった。
「おまえ、何者だ?」
「おお、自己紹介がまだじゃったな。わしは透過のクリス=チャンドラ。新生龍の部隊統括をになっている、ただの老体じゃ」
「老体?」
「龍って、おとーさんが追いかけてたテロ組織なのだ」
 同時に疑問と確信を口にした耕介達に、ようやく動き出した真雪が、指を差しながら二人に問い掛けた。
「ちょっと待て。じゃ、コイツは……」
 そんな真雪を本当に年のいった老人のような微笑で見返すと、隣に立つ夕凪に視線を移した。
「そっちの嬢ちゃんは、確か相楽夕凪だったかの? 兆冶と石鶴が世話になったわい」
 この名前に聞き覚えがあるのは二人。耕介と夕凪だった。耳朶を通り抜けて言葉が脳裏に到達した瞬間、背筋を悪寒と共に北海道での出来事がありありと浮かんでくる。寡黙なローブの召還魔術師と己のために全てをかけている錬金術師と、そして消えていった薄幸の雪女と悲しみの大妖の姿を。
「……あいつ等の仲間か?」
「仲間……というかな、バカの手下よ。カイゼル殿の命令すら実行できなかった。だからわし等は、御神に関る全てを壊す事に決めたのよ。手始めは海鳴じゃ」
 それがカイゼルの発案した命令だった。
 クリスは龍が壊滅してから彼と出会ったため、どのような経緯を持ってそこまで邪念を渦巻いているのかは分からない。だが、カイゼルが拾ってくれなければ、間違いなく新撰組に命を奪われていた筈なのだ。あの新撰組一番隊隊長・沖田敦也の鋭敏な一撃の前に。そこを助けてくれたのはカイゼルであり、その配下であった夏織達だ。
 カイゼルはクリスの力をおおいに驚嘆し、歓迎してくれた。それまで闇の中でも最深部に近い箇所で腕を振るっていた彼にとって、初めての賞賛だった。あくまで同士という位置付けだが、彼についていこうと思ったのはこの時だった。
「そんな事させないのだ! おとーさんいないんだから、あたしが守る!」
「ほっほっほ。猫又か。ほう。その若さで尻尾が三又か。中々に修練しておるわ」
 そんな子供染みた反応も楽しいのか、クリスは老練したように眉根を緩めると、やおら大きく溜息をついた。
「しかし残念じゃな」
「なんだと?」
 あからさまに残念そうに肩まで竦めた彼に、ようやく戻ってきた真雪が不信げに頬を流れる汗を拭った。
「これから御主達は死んでいくのだから」
 はっきりと子供らしくない言葉を口にして、突然火事と爆発で明るくなった夜の空気を破って巨大な影がクリスと耕介達の間に着地した。その重量は降りただけでアスファルトを完全に破壊する程だ。影は頭部と思える箇所の中で目に当たる部分を赤褐色に輝かせ、耕介達に向いていた頭部をぐるんと百八十度クリスへと回転させた。何が起きたのか把握するまでもなく少年は不適な笑みを浮かべたまま影に駆け寄ると、今度は何か固く固定されたジョイントが外れたような音と共に頭部が半ばから二つに割れ、その中に飛びこんだ。
「さて、それじゃ始めようかの。このクリス=チャンドラ自慢の外法操糸術と造詣技巧術の集大成、戦闘型夷腕坊顎式の威力を見せしめるために!」
 首が体に埋もれてしまったような全長二メートル程の横幅を持つ衣服を着ていない人間のような形をしたそれは、割れた頭部を牙が生え並ぶ蒲口として、咽喉内へと創造主を飲み込むと、吹き込まれた命を宣言するかの如く人間と同じ肌色に塗られた皮膚の上に深緑色でアフリカ大陸に現存する原住民族が施すペイントのような紋様を描いて、夷腕坊はまだ唐突の状況変化に対応できていなかった耕介と夕凪に向けて、見た目からは考えられない速度で動き出した。
 寸胴のような胴体部とチンパンジーのように歪に長く太い腕と蛙のような折り畳まれた脚を器用に使い、一歩目でついた腕を支点に二歩目に飛び跳ねた夷腕坊はたった二歩で耕介と夕凪の右脇へと回り込む。通常であれば御架月が気付いて霊気障壁を張り巡らせるなりの反射を示すのだが、未だ眠りについて起きない御架月と同調できないため、神咲一灯流として鍛えてきた耕介は、一瞬の判断を鈍らせた。夕凪も同様で人型という見た目に動くのが一瞬遅れる。
「こーすけ!」
「夕凪!」
 しかし先程と逆に冷静さを取り戻していたのは真雪と美緒であった。
 美緒は体ごと耕介にぶつかり、真雪は力任せに夕凪を自分に引き寄せた。と、同時にそれまで耕介と夕凪が立っていた場所に蝿叩きのように豪腕が降って来る。
砕けたアスファルトを影にして、後の先を取ったのは最年長の真雪であった。彼女自身も日門草薙流の有段者でもある。本来は一対一の人間同士と限定された条件での達人は、高校時代に培った不良時代の喧嘩の女王としての本能のみで、木刀をアスファルトに半分めり込んだ夷腕坊の腕に叩きつけた。
人と同じ弾力を持つ人形の感触を柄を持つ掌から神経延髄を伝って脳に到達するやいなや噴出したおぞましさに、すぐに離れたい衝動に狩られる。しかし理性で衝動を抑えると同じタイミングで、木刀はゴムで弾かれたように下から突き上げる反動が真雪の手から吹き飛ばす。
「ああ、言い忘れていた。この夷腕坊には幾つかの特殊素材を利用していてね。今のがその一つ。反転繊維」
 兆冶が開発した反転宝珠という全ての衝撃や攻撃を吸収し、そのままエネルギーの方向性を反転させる錬金術の道具が存在する。その開発途中で生み出された物理攻撃をそのまま反射させる物質を利用し、夷腕坊の全身を覆う筋肉に使用したのだ。
「そしてこれが二つ目。人体球状関節」
 人間の関節はそれぞれ靭帯と接着されている骨の角度によって曲がる方向を固定されている。クリスは明治時代に完成していたこの関節を、現代人形の主流とも言える球体関節にに切り換え、さらに磨耗を防ぐために強度をダイヤモンドまで高める事によって、三百六十度どの方向へも回転できる特殊関節を作り上げた。
 それを証明するように、夷腕坊の地面に埋った腕が肘から百八十度回転すると、真上を向いた平だけで一メートルはあるのではないかと思える巨大な掌で真雪の頭を鷲掴みにした。
「だからこそ、こう言った芸当ができる」
 蒲口の牙の隙間から少年らしく宝物を自慢するように笑顔を覗かせると、わざとらしく糸がいくつもついた指輪のようなものを付けた手を出して、人を呼ぶジェスチャーと同じく人差し指を自分に向けて折り曲げた。糸は夷腕坊の内部を真雪を掴んでいる腕の肘の屈折部分に繋がれていた。そして折れている腕は糸に反応して伸びようとする。
 つまり――。
「はっがぁ……」
 掴まれた真雪は、問答無用で頭蓋を地面に叩き付けられていた。軽い破砕音が周囲に響き、木霊が森に消えていく中で、裂けた頭部皮膚から鮮血が剥き出しになった土に染みこんだ。
「真雪!」
 一番長く付き合いのある美緒が、動かなくなった年上の親友の姿に激怒した。しなやかな猫独特の柔らかさを持つ筋肉が伸び上がり、僅かに隙間を開けた夷腕坊の口へと爪を突き立てる。
 しかし、クリスはその俊敏な動きすら目を細めて見透かした。
 速度はおよそ時速六十キロか。さすがは猫又。人間離れしている。だが、如何せんまだ子供よの。瞬神はまだ使えぬか。
 たったコンマ数秒の間に、彼は美緒の身体能力――ひいては移動速度に関して瞬時に解読した。これがクリスが透過と呼ばれる所以である。どんな敵であれ分析して頭の中で作戦を立てる事ができる。だがカイゼルに出会う前には、まだ古い書物で外印という機械芸術家が書いた文献を理解した段階で、夷腕坊を作ってはいなかった。しかし、今はカイゼルの支援で夷腕坊は完成した。
「さて、夷腕坊が何故顎式って言うのか教授しようかの」
 初めてクリスの少年の瞳が、年老いた策士を思わせる嫌らしい輝きを秘める。
「このぉ!」
「特殊素材その三。異界空断歯」
 美緒の細い腕が夷腕坊の口へと突入する。その時、鋭い牙を持った口がゆらりと蜃気楼が消える直前の如く揺らめいた。そして鋭く伸びた爪がクリスの柔肌に刺さる瞬間、夷腕坊の口が閉じた。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 上下から小刻みに、そして鋸のように貫通した牙が美緒の白い腕を陵辱していく。夷腕坊の体に脚を踏ん張り、必死に腕を引きぬこうともがくが、だんだんと食い込んで肉が千切れていくために、次第に動きは緩慢になっていく。
「美緒!」
「美緒さん!」
 そこに耕介と夕凪が割って入る。
 切るのが駄目なら刺突だ。
 御架月の直刃が一直線に肩部分へ伸びていく。だが本来は金剛石さえ切り裂く御架月の刺突は反転繊維によって完全に防がれる。
「ならこれで!」
 耕介の攻撃の合間に夷腕坊の背後に回った夕凪が、二重の極みを人形の後頭部に打ちこんだ。
 二重の極みなら衝撃を緩和して威力を与えられる!
 紛れもなく人間のそれと変わりのない皮膚の質感と弾力に、気持ち悪さを感じながらも、体重を乗せる。
「笑止なり」
 だが、耕介の刺突も夕凪の二重の極みも、反転繊維は反動をつけて弾き返した。
 御架月が手から弾け飛び、地面に倒れた耕介の近くに刺さり、夕凪は土砂崩れを防ぐために作られたコンクリートの防壁に背中から叩き付けられる。
「がぁ!」
「ぐぅ……」
 同時に苦痛を洩らした二人に気付き、美緒が自らの痛みを忘れて視線を移動させる。しかし、それが彼女にとって最大の悲劇であった。

 ぷつん。

 何か糸が切れたような音が身近で聞こえ、そして美緒の体が夷腕坊から唐突に外れ、真雪の隣に転がった。
 何?
 あまりに突然の状態に、美緒はキョトンと魂の抜けたような表情で、星空を見上げていた。何が起きたのかまるでわからず、とりあえず動物の持つ本能のまま立ち上がろうとして、左にバランスを崩して倒れる。
 あれ? なんで? ちゃんと左手で……。
 年頃よりも幼く見える顔を呆然として、理性で首を動かすが本能が拒んだ。しかし、最終的に勝利した理性は、己の左腕を見て……そして絶叫した。
「この歯にはな、三次元の平行世界との境界線をミクロよりも更に薄い単位で歯牙の表面にコーティングする事によって、ダイヤやセラミック等足元にも及ばない切れ味を有する事に成功させた。従って、これに噛まれたら……」
 自慢げに夷腕坊の口を開けて、上半身を曝すと頬杖を付きながら結果に満足していた。
「噛まれたら、あまりの切れ味に、本人も気付かないのさ」
 美緒の左腕はまるで硝子の表面のように磨かれて、ただ血を吐き出す蛇口となっていた。
 普通、血とは無縁の生活を送っている現代人は、多量の血を目の当たりにすると一瞬で意識のスイッチを落とす事がある。大きな瞳からとめどなく涙を流し、必死に出血を止めようと腕を抑える。しかし、抱えてしまった事によって腕の中に充満した鉄の匂いは、美緒の意識を刈り取った。そのままお気に入りの寝巻きを血に染めて、真雪との隣に倒れた。
「さて、これまでだな。神咲の。まぁ兆冶達と戦って本調子の御主で夷腕坊のテストが出来なかったのは残念だが、死んでもらおう」
 まだ手にしている糸のリングを動かして、夷腕坊は一歩耕介に重い巨体を動かした。
「美緒……くっ」
「こう……すけさん……」
 必死に耕介と夕凪は体を起こすが、一週間前から蓄積されたダメージは二人の体から自由を奪っている。逃げる事もままならない状況に、それでも美緒と真雪、そして夕凪を守るために耕介は御架月を手にした。
 だがその時、突然八束神社へと抜けられる獣道から金色のレーザーのような光が飛び出し、夷腕坊の側面を直撃した。
「ぬぅぅぅぅ!」
 喉から声を捻り出して、糸のリングで必死にバランスを保つ。
 次第に光は緩やかになり、夷腕坊の反転繊維に焦げ痕を残す。
「誰じゃ!」
「ウチの大事な家族に、ここまでな事を……。覚悟は出来ているんだろうな?」
 自信作に傷をつけられた怒りに、激昂するクリスを遮るように凛としたアルトの女性の声が森から聞えた。紺色の髪を黄色のリボンでポニーテールに纏め、半袖の神主服のようなデザインの式服に身を包んだ彼女は、手には金色のオーラを纏わせた日本刀を持って閉じていた瞼を怒りと共に開いた。
「あ……」
「那美さんの……」
 その姿に耕介と夕凪は、最高の援軍に口元を綻ばせる。
「そうか御主は……」
「神咲一灯流当代・神咲薫がこれから相手をする!」
 両足を開き、右を前にした構えで神咲薫は、愛刀十六夜を握り締めた。



薫の登場〜。
でも、美緒の腕が……。
美姫 「続々と負傷が出る中、それぞれの場所で戦いが始まる」
シリアスな展開を見せるとら剣。
次回も益々目が離せませんな〜。
美姫 「順調にコスプレ大会をこなしつつ…」
こらこら。それは言わないでくれよ。
美姫 「冗談よ、冗談。兎も角、次回がとっても待ち遠しいわ」
うんうん。次回も楽しみに待ってます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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