『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚 68』




LX[・四つの闇が舞い降りる

 爆発は海鳴から外へと続く線路、外環道路の全てを破壊した。すでに爆発と呼ぶよりも火柱と言っても過言ではない破壊力は、隣にある矢後市までも揺るがし、慌てて家の外に飛び出した全ての人々を呆然と釘付けにさせた。だが周辺の人々ですらその状態なのに、現場に住んでいる海鳴市民が、同じ反応を示せる訳はなかった。大半の人々の見た目は変わらないが、範囲僅か十数キロの小さな町で起きた異変に、次の瞬間津波のように悲鳴が巻き起こった。土石流の如く動き出した感情は、冷静などと言う言葉を成層圏の果てまで消し飛ばせ、ただ我先にと寝巻きのまま駆け出していく。
 だがどこへ逃げようと言うのか?
 海鳴は海に面した街ではあるが水産業を主な産業としていないため、数隻のヨットが停泊している港がこじんまりとあるだけの海路に、空路はなく電車と五本の国道陸路が唯一の出入り口だ。平地であれば歩いてでも逃げられるのだが、如何せん海の反対は山に囲まれている。
 そんな状況にあると理解できていれば、逃げる先を選べたのかもしれない。だが人間は一度破綻した思考を取り戻すのには多大な労力を必要とする。そして後で思い出してしまった時に後悔するような行動を、確実に取ってしまう。
 普段は温厚で平和な市民は、ただ目の前にある人間と言う障害物を力の限り吹き飛ばして、ただ何処へとも目的を決めずに走っていく。例え子供が転んでしまい、その上をパニックを引き起こした大人達が走り抜けて圧死してしまおうとも、火柱から飛び散った火の粉が逃げ遅れた老人を断末魔ごと容易く飲みこんで、炭化させたとしても誰も気付かない。
 しかし、全てが全て同じではない。
 本当に一握りの人々は冷静な判断を行い、周辺の緊急避難所へと逃げ延びる事に成功した。
 その中で教師と言う職業と持ち前の正義感から、周辺の人々を先導する事に成功した女性がいた。
 子供のころから変わらないポニーテールを振りながら、動きやすい白に腕と足のラインに緑色の線が入ったジャージ姿に必死に泣いている子供の手を引いて職場である風芽丘学園に辿りついた彼女は、迫り来る脅威から開放された事でようやく一息ついている人々を見まわして、大きく溜息をついた。
「唯子、大丈夫?」
 そんな鷹城唯子に、幼馴染連中では未だに誰一人として頭の上がらない母親の美佐子は心配そうに背中を擦りながら、娘の顔を覗きこんだ。
「あ、うん。ちょっと疲れただけ。ほら、今日は部活あったし、でもななかちゃん来てくれたから大丈夫」
 少し言い訳にもならない訳を述べて、そのまま完全な空元気で両手を振り上げてざわつき始めた避難した人達を落ち着かせに走り出した。
 再度口を開きかけた美佐子は、所在無さげに手をふらつかせると、ぐっと何かを堪えるように両手を胸の前に合わせて瞼を固く閉じた。
 背後から迫る一人の男の姿に気づく事もなく……。
 
 トス。

「え?」
 たぶんに漏れず、中年の独特の丸みを帯びた体の腹部に、唐突に生まれた違和感に、美佐子は娘を見ていた顔をゆっくりと下に降ろす。そしてただ丸かっただけのお腹から一本の薄く切れ味の良さそうな鉄の棒がそれまで純粋に体内を流れていた筈の血を先端から滴らせているのを見て、数拍の間の後、絶叫した。
「お、おかあさん?」
 簡単な学校の設備説明をし始めようとしていた唯子は、そんな大切な家族の悲鳴にすぐさま振り返った。
 空には三日月が顔を見せ、全ての人々に柔らかい光を差し伸べている下、唯子は体中から血の気が抜け落ちていく感覚に襲われながら、目の前に広がった絶対に有り得ない光景から視線を逸らす事ができなくなかった。
「ん〜ふふふふふふふ。ひの、ふの………くくくく。中々数が揃ったな。これなら抜刀斎か御神がここへ来るまでは退屈しなさそうだ」
 オペラ座の怪人に使われていてもおかしくない仮面の下から覗く眼に、嬉しそうな色を滲ませながら、黒笠・鵜堂刃衛の殺戮ショウは幕を開けた。

 同時刻。
 同じく海鳴市の比較的海寄りに在って敷地の広い高町家では、付近の住民の簡易避難所と化していた。
 なんだかこの間も似たような事あったなぁ。と考えつつ、本日は高町家に御泊りしている城嶋晶は、青の胸元がセーラーカラーになっている半袖パーカーシャツに小麦色のハーフパンツという出で立ちで、非難してきた人達に冷えた麦茶を配っていた。周囲も基本的に海に近いお陰で火柱からは逃れられたが、それでも何かあっては困ると高町家一同で周辺約六世帯の住人を庭先に集めた。
 あの一週間前の事件以来、何処かぼんやりとしてしまっていても、やはり桃子は桃子だと言う当たり前だが忘れてしまっていた事に災害が起きているのに、思わず口元が緩んでしまう。
「コラー! オサル〜! サボってへんと、はよ、こっちも手伝え〜!」
「うっせぇ! 亀! こっちも忙しいんだよ!」
 台所の窓からつい本日数時間前に帰宅したばかりの鳳蓮飛が、何時の間に着替えたのか普段着である袖口が緑の練習用にも使っている中国風胴衣姿で、夜食用に製作中である味噌汁に使用していたオタマをブンブンと離れていても聞こえてくるくらいに振りまわしている。
 打てば響く絶妙のタイミングで反論を叫ぶと、最後になった近所の小学生に麦茶を手渡した。
「お姉ちゃん」
「ん?」
 と、その小学生が一口だけ麦茶を飲んでから、戻りかけた晶を見上げて呼び止めた。
「なんだ? お腹空いたならもうちょっとだけ待っててな」
「そうじゃないんだけど、何が起きたのかなって思って」
 多分夢の世界で楽しく遊んでいたところを親に起こされてここまできたのだろう。少しだけ遠くに見える落ちついた爆発現場の方向に顔を向けた小学生は、すぐに晶を見直した。
「そうだな。お姉ちゃんもまだよくわかってないんだけど、大丈夫。すぐに家に帰れるって」
「……うん」
 心配をかけまいと満面の笑みを浮かべた晶につられる形で、小学生も微笑んだ。
「オサル〜! いい加減にしぃや〜!」
「あ〜! もううっさいなぁ! 今行くよ!」
 またもや近所迷惑この上ない大声で名前を呼ばれ、仕方なしに小走りに台所に戻っていく。
 そんな彼女を見送って、小学生はこくこくとまだコップに八割程残った麦茶を小さく飲んでいく。と、その時、非難してきた人が駆けこめる様に開いたままになっていた重厚感のある木製の門に、何か動くものが映った気がして小学生は体全体をそちらへ向けた。すると、そこには見覚えはまるでないのだが、赤いパーティドレスで身を包んだ一人の女性が佇んでいた。
 あの人も逃げて来たのかな?
 そう考えて、隣で不安げな井戸端会議を開いている母親に麦茶を預けると、まだ幼い歩き方で女性の元へと歩いていく。
 近付くと女性は不思議そうに首を傾げながら、少年を見下ろしている。
 膝まである長い黒髪が、妙に肌寒さを感じさせているが小学生はそれでも頑張って声をかけてみた。
「お姉ちゃんも逃げて来たの?」
「私?」
「うん。ここなら大丈夫だってみんな言ってるよ」
「そう。それはよかったわ」
 にこりと微笑んだ女性に、ほっと息をついた小学生は次の瞬間胸元の細胞が左右に押し広げられていく感覚に、目を見開いた。背中から貫通したそれは、一目見ただけではただの一本の糸のように見えた。だが、よく目を凝らすと、極限まで薄く伸ばされた刃だとわかる。刃は金属では本来有り得ない曲線を描きながら、蛇のように地面に波打ちながら女性の左手に納まっていた。
「人が多いほど、私は美しくあれるのだから」
 紅姫・ノルシー=ヴァロアは、白刃を手の捻りだけで抜き取り、若若しい子供の飛び散った鮮血を美味しそうに舐めながら、妖艶な瞳を獲物に向けて歪めた。

 爆発の現場には警察、救急、消防が必死の救助活動と消火活動の対応に追われていた。一応地方都市のため、周囲に被害が少ない街の入り口付近の爆発であったのが不幸中の幸いであったが、それでも少数の犠牲者は出ている。
「おい! 他の場所はどうなってる?」
「こことあまり変わってないようです」
 爆発自体は収まったのだが、それでも炎焼は続いている。必死にポンプ車で放水しているが、全然歯が立たない。言うなれば大きな焚き火を水鉄砲で消そうとしているようだ。一応連絡網を充実させるために警察も出て来てはいるが、それ以外の役に立っていない。歯痒い思いをしながら、警察の統率をしている刑事課課長はドン! と激しくパトカーのボンネットを叩いた。
「ぐわぁ!」
「ギャァ!」
「ああああああぁぁぁぁぁ……」
 その時、火事となっている方向から、新しい悲鳴が聞こえてきた。
「今度はなんだ!」
「課長! あ、あれを……」
 苛立ちながら近くの部下を問い詰めた課長は、すぐに部下が指差した先に視線を振って、思わず顎の骨を外す勢いで口を開いた。だが状況を理解するより先に、無線から悲鳴が飛びこんでくる。
『こちら、市道十五号線……。謎の集団の襲撃を受けて……うわぁぁぁぁぁ!』
『八号線です! こちらも同じく……く、くるなぁ!』
『た、助け……』
『機動隊! 前へ出ろ! くそ! 指示を、指示をお願いします!』
 次々と凄惨なる報告が、課長達のいる市道二十号線の現場に響く。だがそれに答える者は誰もいない。全てがたった一人の、突然出現した存在に意識を奪われていた。
「キィヒッヒッヒッヒィ! 確かにコリャこっちのが楽しいわなぁ!」
 両手の甲に付けられた透明な鍵爪を、数人の警察官と消防官の血で染め上げて、白魔・ルシード=クルプスは、両手を広げて胸を月に向けて大きく逸らしながら、高笑いを響かせた。

 風芽丘学園で刃衛が唯子の母親を襲撃し、ノルシーが高町家で凶刃を振るおうとしている時、ここ国守山にあるさざなみ寮では逃げる事もできずに居た。それと言うのも、国守山は槙原家の持ち山であり、道は私道だけでしかもさざなみ寮の少し先にUターン用のスペースがあるだけで、他に抜け道は存在しない。
「……まぁ、これだと復旧までどれだけ時間かかるかわかんねぇよな」
 まだ時々上がっている火柱を後頭部を掻きながら、火もつけるのも忘れた煙草を咥えながら、洗い晒しのワイシャツ一枚という珍しく寝巻き姿の仁村真雪は、それ以上言葉を発する事もできずに、目の前に広がる風景を見ていた。それは他の寮メンバーも同じらしく、全員が寝巻きのままで続いている爆発を見詰めている。だが那美と久遠は起きていない。と、言うより、ここ一週間はまともに起きても来ない。ザカラを失った妖気をまとめるために丸二日寝食すら取らずに調伏させた。結果、限界まで全ての力を使い切った二人は一週間立っても最低限の食事以外は睡眠を貪る如くとっている。
 そこへ街の様子を探りに行っていた耕介とさとみが、息をせき切らせて戻ってきた。
「ダメだ〜。あれだけ揺れた所為かわかんないけど、崖崩れ起こして道が通れなくなってる」
「俺一人だと何とか行けそうだけど、やっぱり復旧を待ってた方がいいみたいだ」
 視点が高くなって火事が広がっているのを横目で映しながら、ぱたぱたと汗を拭うためにタオルを持ってきてくれた奈緒に礼を述べて、二人は受け取った。
「こんな時に限って坊主も人間削岩機もいないんだからな」
「人間削岩機?」
「ああ、舞ちゃんの前にあの部屋に居た女の子よ」
「……岡本さんの事か」
 ちょうど入れ替わりで大阪に戻っていった小さなバスケットプレイヤーを思い出して一度は納得したものの、今度はなんでそんなあだ名がついてしまったのかと首を捻る。その様子に気付いた愛は、苦笑して十年前の出来事を思い出した。養子となったリスティが暴走して寮の半分を壊してしまった話は、当時のメンバー内の笑い話で、新人で入ってきた舞や奈緒、夕凪には、みなみの沽券に関るので今は内緒にしておく。
「でも……困ったわ。こんな状態じゃ急患が一杯入ってきてしまいます……」
 どうやら愛はこの爆発で怪我をした動物達が心配で仕方ないらしい。だが土砂崩れで道路は塞がれているので、残りは八束神社に抜ける事のできる山道なのだが、こんな状態では危険で通るのは困難だろう。
「あのチケットをくれた看護士さんがいるです。多分勝手に開けて治療してるです」
 一人自分の役目を全員のケアと考えて、今度は御盆にオレンジジュースを運んできた奈緒が、配りながら自分の考えにうんうん頷いている。
 ああ、小島くんならやりそう……。
 と、本人が聞いたらまた怒り出しそうな感想を思うが、すぐに絶対に有り得ないと首を振った。
「あ、でも彼は矢後に住んでるから来れないわ」
「むむ。そうでしたか。なら連絡くらい入れておいてもいいんでは?」
「そうね。ちょっと電話してくるわ」
 確かに今日は来れなくても翌日かその次あたりに落ちついたら即効で飛んでくるのは目に見えているので、簡単な指示を出しておく必要はある。愛は奈緒に微笑んで礼をするとすぐにぱたぱたと寮に駆けて行く。
 そんな普段と変わらない様子の愛に、全員が落ちつきを取り戻しかけた時、不意に美緒の触りごこちの良い尻尾がパンと膨れた。
「な、何か来るよ!」
 両手の爪を僅かに伸ばし、耳を頭蓋に沿わすように伏せた美緒は、猫科独特の威嚇音を発して塞がれた筈の道路に向かって四肢を踏ん張った。
 これまでの彼女の動物的感と妖怪特有の察知能力は、世界でも類をみない範囲を誇り、一度十六夜に指摘されたくらいだ。
 そんな美緒が何かが来ると言うのであれば、それはクルのだ。
「舞、奈緒! 木刀と御架月持ってきな!」
 すぐに動いたのは真雪だった。長い付き合いで信頼できる彼女の言葉に、瞬時に指示を発する。
「いや真雪さんも寮に……」
「何言ってんだ? 素人が見てもヘバってる奴だけに任せておけるか。それより夕凪も下がってろ」
「いえ、あたしも戦えますから」
ぐっと下唇を噛み締めて、何かを耐えるように美緒の隣に並ぶ。
「真雪さ〜ん! 持ってきました〜」
「御架月さん寝てるみたいです。叩き起こしたいです」
 寮から持ってきた木刀と、耕介と同じく霊体を出現させる霊力すら使い果たしている御架月を手渡すと、さとみは残る四人に視線を巡らせて小さく頷いて舞と奈緒を連れて寮へと戻っていく。
 そんなさざなみ寮の状態が整うのを待っていたかのようなタイミングで、彼は姿を見せた。
「な?」
「子供?」
 同時に真雪と耕介が意外そうな感想を口にする。
「ほっほっほっほ。何故か霊的中心点に位置するさざなみ寮。そこを守護する神咲。今後の我々の邪魔になるからの。ここで死んでもらおうか」
 透過のクリス=チャンドラは、戦闘態勢を整えた四人を楽しげに眺めて、外見の少年には似合わないしわがれた声を、楽しげに見定めた。



ぬぐわぁぁ。
何か、大ピンチ?
美姫 「物凄くやばい事になってるわね」
このまま海鳴は奴らの好きにされてしまうのだろうか。
美姫 「物凄く気になるわね」
毎度毎度の事ながら、物凄く続きを楽しみにしていますよ。
美姫 「早く来い来い、69話〜」
こらこら。
美姫 「浩の首が何処まで伸びるのかを試しつつ、次回を待て!」
って、俺の首かい!?



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