『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚 66』




LXY・決行

 ほのかが自宅に戻ったのは、夜の七時を過ぎていた。
 本当は目が覚めるまで源柳斎の側に居たかったのだが、雫は反論を言わさぬ迫力を微笑みの影に潜めて、彼女を家へと帰した。力なく電車を乗り継ぎ、ようやく道場に戻った彼女が一番最初に目にしたのは、あまりに普段と変わらない兄の姿だった。
 軒下でのんびりと昨晩の続きに耽っていた氷瀬浩は、曲の間呆然としている妹に気付き軽く片手を上げた。
「浩お兄ちゃん? 何やってるの?」
「曲を作っている」
 何故そんな簡単な事も見てわからないのか? と言わんばかりに鼻を鳴らして、眉を顰める。
「そうじゃなくて、私、なのはさんにおじいちゃんの入院先教えておきましたよね?」
「ああ。聞いた」
「だったらなんで来ないんですか!」
 大事な肉親が危篤状態に陥っているというのに、この兄は家でのんびりと曲を作っていた? 信じられない! 何を考えているの!
 心の中で叫んで、思いつく限りに罵詈雑言を立て並べるほのかの殺意も篭められた視線を一身に受けても、浩は特に何ごともなくさらりと髪を少しだけかきあげて、疲れたな。と、一言口にしてギターを置いた。
「今なのはちゃんが夕飯を作っている。おまえも顔を洗ってこい」
 そう言うと、浩はゆっくりと母屋の中に消えていった。そんな兄の背に軽蔑しかない瞳で見送ると、それでも夕飯と言う言葉に無意識に反応したお腹が、小さくくぅと自己主張した。
「あ……う……」
 こんな状況でさえ機会があれば空腹を訴える。人間とはかくも丈夫な生物なのかと実感すると同時に、年頃の女の子らしく顔を赤くした。
 そう言えば、なのはちゃんが夕飯作っているって言ってたな。
 一志は料理は男がやるものじゃないと一切合切家事はできず、浩は興味が湧けば行うがそれ以外はまるでやる気を起こさない。美由希はどうか知らないが話の限りだとなのは一人が頑張っている事になる。
 ほのかはそう考えて直接台所に繋がる裏口に回る。
 すぐに香ばしい匂いが鼻を擽り出した。胡麻油の香りが強めなのでどうやら揚げ物を作っているのだろう。胡麻油を使っての料理だと中華だろうか。思案しながら木製の戸を押し開く。するとあっさりと何を作っているのかがわかった。
「あ、ほのかさん。お帰りなさい」
 小柄な体に似合わない大きな天麩羅鍋の前で、これまた似合わない長い菜箸片手にこんがりと上がった唐揚げを取り出しているなのはは、帰ってきた時よりも幾分か生気を取り戻したほのかに妙に気になる笑顔を向けた。
 女の子から見ても羨ましいと嫉妬心を抱いてしまう笑顔に、僅かに胸を締め付けられながら、反射的に帰宅の返事をした。
「今できるんで、そろそろ手を洗ってくださいね」
 なのはの言葉に小さく相槌打ちながら、ちらりと対面型キッチンのテーブルに目をやると、すでに必要なものは全て揃っており、ほのかの手は入らない状態であった。仕方なく部屋に戻り胸に蛙のイラストが描かれたTシャツにランニングに使うジャージのズボンを着込むと、すぐに洗面台へと向かう。そして鏡の前に立って、思わず小さく悲鳴を上げた。
 疲れと土埃に塗れて浅黒くなった肌に、潤いを無くしたパサパサの髪が十代ではなく初老といった容貌に見えなくも無い。こんな顔で病院を練り歩き、電車に乗ってきたのかと思うと、恥ずかしいを通り越して絶望的な気持ちになる。兄を年中連れ回した、あまり好きではない祖父とは言え、ちゃんと想っている部分があったのに驚くと同時に暖かさを感じる。
 洗面台の受け皿になみなみと水を溜めると、Tシャツが派手に塗れて床に水が飛び散るのも構わずに、汚れと澱んだ気持ちを洗い流すように何度も顔を洗った。薄茶色になった水が排水されていくのを見詰めながら、自分用に洗い晒してあったタオルで拭い去ると、大股に洗面所を後にする。明治時代から変わらぬ床板を鳴らしながら食堂へと戻った。
 すでに浩と美由希は席についている。兄は一度だけちらりと視線を向けると、目礼だけしてまた思案に戻る。
「あ、ほのかちゃん、お帰りなさい。話聞いたけど……源柳斎さん、大丈夫なの?」
 浩と違ってこちらは立ち上がって迎えてくれた美由希に少々元気の無い笑顔で、ええ。と返答してから、普段座っている右側の列の一番端に腰を降ろした。
「おまたせー」
 そこへ手に唐揚げを持ったなのはと、首に何故か青痣をつけた不本意しか浮かんでいない表情で味噌汁を持った一志が、どんと乱暴に全員の前に並べていく。
「一志さん? 何でいるの?」
「……どっかのバカにやられた」
 わざとらしく首を擦って残ったサラダを取りに行く一志に、ほのかは首を傾げる。尤も、後で話を聞いた美由希は青い顔をしてどんよりと頭上に黒雲を浮かべている。
「は〜い。これで全部〜。御飯食べよ」
 そこへタイミング良く炊き立ての御飯とサラダを持ってきたなのは達が戻り、ほのかの思考は中断される事になった。

壁にかけられた時計だけがはっきりと自分を自己主張している音を心の中で煩わしいと悪態つきながら、自室でほのかはベットに横になっていた。なのはの雫には劣るものの自分と比べて遥かに上を行く味の絶品唐揚げに舌鼓を打ち終えると、急激に襲いかかってきた疲労に耐えかね、八時前に自室へと戻ってきてしまった。
 灯りのついていない部屋を、意識した瞬間に急激に重量を増した足を引きずってベットに辿りつくと、そのままの態勢で柔らかい敷布団に倒れ込んだのはいいが、一人で窓から差し込む街灯の白色光だけが唯一の光源となっている仄かな闇の中にいると、忘れてしまいたい感情や思いが噴出してくる。
肉親が死んでしまうかもしれない痛み。
悲壮感すら漂わせない兄。
そして結局役に立たずにやすらげる布団に顔を埋めている自分。
頭の中でぐるぐると回っては消え、消えては浮かんでくる。閉じた瞼をすでに数えられないほど開けて、時計に目を向ける。
もう四時間も立ってる……。
時計は長針も短針も頂点を向いている。
のそりとまるで疲れが抜けていない体を起こすと、気分を少しでも落ちつけるために水を飲みに部屋を出た。
ほのかの部屋は丁度台所から対角線にあるため、母屋を半周しないと着かない。部屋を出ると二つある客間と浩の部屋に明かりが灯っていない。
もう寝てて当たり前だよね。
と、別に後ろぐらい訳でもないのに、ほっとしている自分に気付きつつも、台所へ歩き出す。
「あれ?」
 台所に向かう角を曲がったところで、ほのかの目にリビングの蛍光灯がついているのが飛び込んできた。雫か剣心でも戻ったのかと思い、足早にリビングのドアに近付く。勢いのまま戸を開けようとして、中から家出は誰も見ない深夜のNHKドキュメントの聞きなれないアナウンサーの声に、ぴたりと手を止めた。
 浩はイラストを描くせいか、アニメーションや映画と言った画像系を中心に見るし、剣心は音楽とスポーツ。何気に雫はほのかと一緒にお笑い好きだし、源柳斎は趣味である陶芸を作るのが忙しくてラジオばかりだ。ニュースなど朝と夕方に垂れ流されているだけだ。
時折泊まって行く一志は、似合わない恋愛ドラマを見て涙しているところをほのかに発見された経緯がある。
 他にドキュメント番組など見る人は……。と、考えて、あっと昨日から増えたメンバーを思い出した。
 少しずつ戸を開いて、覗くように顔を近づけると、そこにはソファに座ってクッションに顔を半分埋めたままテレビをぼんやりと眺めている最年少の少女の姿があった。
「なのはちゃん?」
「はい? あ、ほのかさん……。あれ?」
 どうやら時間の感覚を無くすほど考え事でもしていたのか、なのはは声をかけると同時戸を開けて入ってきたほのかに驚いて、テレビと時計と誰もいない壁に視線を流す。ありありと心の動揺を表現してくれる彼女に苦笑しながら、ほのかは隣に腰を降ろした。
「どうしたの? もう十二時過ぎてるよ?」
「え、えへへ。ちょっと眠れなくて……」
 言いたくないのか言い難いのかまではわからないが、困った様子で強引に顔の筋肉を引き攣らせて作った笑顔を浮かべる。
「私も疲れてるのに眠れなく……」
「あれ? ほのかさんは八時頃に……」
「実は今日は色々ありすぎて眠れなくて」
 こちらもなのはに負けず劣らず、ぎこちない笑顔を少女から視線を外した。
 テレビではつまらない内容の、どこぞの社長の不幸自慢が流れている。ただ二人の間にある沈黙は、互いに声を発するタイミングを逸脱していた。耳障りなアナウンスだけをBGMにして、ほのかもなのはも動こうともしない。
「……ほのかさん」
 どれだけ時間が過ぎただろうか?
 番組が終りを告げると同時に、なのははぽつりと弱々しく呟いた。
「何?」
「笑うって……笑ってるって……思ったより辛いですね」
「え?」
 それ以上、彼女は何も言わなかった。
 一体どういう意味なんだろ?
 疑問に思うのだが、口は開けなかった。当然だろう。隣で理由がわからずに泣いている人間にかける言葉を、まだほのかは持ち合わせていなかった。
 それはただ単純に彼女自身にも色々と思うところがあり、全く余裕がないせいでもあるのだが、そんな心理状態に気付く事もできない。またもや生まれた沈黙に耐えかね、すっかり頭から忘れ去られていた当初の目的を達成しようと、ほのかは席を立った瞬間、テレビを眺めていたなのはが声にならない悲鳴を上げて、息を飲んだ。
「どうかしたの?」
 そう言って隣に視線を向けると、震える指と顔を小さく振りながら一心に画面を見詰めているなのはが映った。何事かと指と視線の先を辿り、ほのかも大きく息を飲んだ。そこにはニュースの速報テロップで、無機質な白い文字がポーンポーンという音に合わせて表示されていた。

『――県海鳴市で大規模な爆発。爆弾テロの可能性あり』

 と。





な、ななな!
美姫 「何、最後のニュースは!?」
ぬぬぬ。無茶苦茶気になるよ〜〜。
美姫 「一体、海鳴のどこで…」
次回を、次回を〜〜〜。
美姫 「続きを待ち遠しく待っています」
次回、次回を〜〜〜〜〜〜!!
プリ〜〜〜〜ズ!!
美姫 「それでは」



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