『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
LXW・心の在り処
大体一時間ほど立ってからだろうか? ようやくランニングから戻った一志はふと髪や道場の様子がおかしい事に気付いた。普段であればそろそろ道場に遊びに来る小学生の悪ガキドモが庭先を所狭しと駆け回っている頃なのだが、そんな賑やかな形跡はまるで存在せず、それどころか母屋からも道場からも誰の気配すら感じ取れないのは不思議を通り越して不気味すら思える。
片眉を上げて首を捻るが、別にだからといって状況が変化するわけでもないので、そのまま誰も居ない庭先を通り過ぎようとして、ふと目の端に変な部分が映った。足を止め、片膝を付くと徐に地面をなぞる。
指の第二関節まで埋まる、まるで弾痕のように見える窪み。
「こんなもん、ここにあったか?」
「いや、さっき剣心が作ったできたてホヤホヤ」
誰もいないと踏んでいた家の中から声が聞こえ、一志は文字通り体中で跳ね上がりかけた。少し慌て気味に声の方向へ顔を向けると、アコースティックギター片手に軒に腰を降ろした浩が、眠そうな表情のまま一志をぼんやりと眺めていた。髪はぼさぼさでマンガでしか表現できないレベルまで爆発し、目の下にはくっきりと隈が浮かび上がっている。
「……徹夜か?」
「ああ。昨日、滅茶苦茶な女に会って、妙にインスピレーションが駆り立てられた」
「ほ〜。珍しいな。編集泣かせの氷瀬浩さんが」
浩の筆が遅いのは出版業界では有名な話である。何せデビュー作を半年も延期させた兵なのだ。しかし、それを補って余りある売上を上げたため、最近では出版社は浩には二ヶ月先だと伝えても、裏では半年以上先のスケジュールを組んでいるらしい。
「それだけ早いと、次に出るイラスト集は近々出版か?」
「あ〜……そっちじゃない」
「は? そっちじゃないって何言ってんだ?」
構えながら一本一本チューニングしていくギターを楽しげに見詰めている浩に、思わず一志は疑問を口にする。しかし、そんなものは愚問である。何せ彼の部屋には画材と最近ではデジタル処理を施すためのパソコンと、詰まった時のギター……。
「まさか……一晩中?」
「こんなにギターが楽しいなんて思えるのは初めてだな。あの女に感謝だ」
別段一志に答えたのではなく、独り言のように呟いて嬉しそうに弦を奏で始める。
……また上手くなってやがる。
幼い頃から母親が音楽好きで、有名な歌手のコンサートに連れまわされていたせいか、耳には自信がある。今まで彼が好んだインディ−ズバンドは、必ずヒットして長く呼吸をしていく。そんな彼が本気で神様なんて不公平だよなと思わずにはいられないのが、浩である。
六本の弦から生まれるメロディは、言うなれば日本のポッポスに近い。一定の音階を緩やかに移動しては和音が響く輝きが鮮烈なものへと昇華させていく。こんなものを身近で聞けるのは本当は感動できるのだろうが、一志はふんと鼻を鳴らすと床板をバン! と叩いた。
「そんな事より、剣心がどうしたって?」
「ん? ああ、さっき剣心が奥義の伝授ってのを受けたらしい」
「奥義って……飛天御剣流の?」
「それでじいさんがぶっ倒れて、救急車呼んで行っちまった」
「はぁ? 源柳斎のじじいが? 嘘だろ?」
「本当らしい。まぁ二時間くらい意識が飛んでる間に出てったらしい」
「……寝てたのに何で知ってんだ?」
あまりに当然の疑問であるが、別段慌てる様子もなく、浩は親指で道場の入り口を指差した。そこには余りに道場には似つかわしくないツインテールが、ぴこぴこと揺れているのが見えた。
さっき闘った御神流の女剣士の妹だったな。
名前を思い出そうとするが、出てこないのであっさりと諦めて、続いて何でそんな場所にいるのかと思案して、ある事に思い至る。
立ち上がり、予測に腹を立てながら道場の入り口にわざと音を何処にいても聞こえる大きさに踏んで足音を響かせると、中にいたなのはは、こちらは小さな体を大きく振りながら、目をぱちくりとさせて一志へと顔を向けた。
「あ、一志さん」
こちらは名前を覚えていたらしく、少しだけ疲れた表情をしたなのはは、パァと花を咲かせたように微笑んだ。
思わず心臓をどきりとさせつつ、一志は道場の真中で一人の女性が呆然としている姿を見つけて、髪の毛を逆立てた。
「おまえ……何やってんだ!」
ずかずかと一呼吸で彼女の元へ歩み寄ると、強引に胸元を掴んで立ち上がらせる。しかし彼女――高町美由希は瞳に靄をかけたままで彼を不思議そうに映した。
「さっき俺に言われただけでこんなに腑抜けになるのかぁ! バッカじゃねぇの! 今まで何年やってんのか知らねぇが、会って数分程度の男に少しなんか言われただけで、こんなになる程度か!」
「お〜お〜……。自分でトドメ刺した癖に言う言う」
「あ、浩さん、目、覚めました?」
のそのそと一志とは正反対の速度で道場に顔を覗かせた浩に気付いたなのはは、比較的冷静に、自分一人ではどうしようもない姉の元気の修正を手伝ってくれる人数が来てくれた事に感謝しつつ、小さく会釈した。
「まだダメみたいだな」
「はい……。お姉ちゃんのあんな姿初めてなんで、どうにかしたいんですけど……」
俯いたなのはの肩に、苦労が色濃く浮かんでいるのを見て、ぽんぽんと柔らかな頭に手を乗せた。
「ふにゃぁ!」
その置き方が何処か剣心と重なり、なのはは声を上げた。
「ま、一志に任せておけば大丈夫だと思うんだが、如何せん、アイツは直情しかできない」
「……それって短気って事ですか?」
「いや、どっちかと言うと言葉より先に手が出る。脊髄反射、いや細胞反射と言ったところだ」
「うう……昔の晶ちゃんみたいです」
何気に毒を吐いてしまった事に口元を隠しつつ、それでも冷静に怒鳴り散らしている一志に視線を戻す。そんな彼女に浩は首を傾げた。
「なのはちゃんはもう少し慌てるのかと思ったが……思ったより投げっぱなしだな」
何を言っているのか意味を測り兼ねていたが、ややあってようやく何を言いたいのか理解した。どうやらもう少し涙を流したり、姉の近辺を励ましながら回ったりといった想像をされていたと気付き苦笑した。
「少し前だったらそうだったんですけど、決めましたから」
「決めた?」
今度は浩が理解できずに聞き返す。
「私は何もできないから、できないだけ笑ってようって」
それが剣心と話をして決めた事だ。
何もできないなら、せめてみんなを元気つけるために笑っていたい。笑っていれば少なくとも見てくれた時に、大事な人は安心してくれる。
「……それはそれで結構な決意だと思うけど、あの状況で笑ってるのもどうかと思うが」
暴走し始めた一志は、完全に自分の世界にトリップして語り出している。もちろん美由希は右から左に聞き流しているのだが、端から見ると男が女に暴力を振るっている様子にしか見えない。
「大体、お前が剣の道に進んだ決意ってこんなガキに何か言われてすぐに放棄できる程度なのか! それとも御神流ってのがショボイのか! へん。だったら代々続かせてきた先祖っていうのも屑ばっかりなんだろうな!」
片手を上げてさぞおかしげに鼻を鳴らした音に混じった嘲笑に、美由希の眼がぴくりと反応した。
「…………」
「何?」
聞こえるか聞こえないかの小さな囁きが耳に届いた気がして、反射的に聞き返す。
「……せ」
「は?」
「……消せ」
「はっきりと言いやがれ」
次第に大きくはなるが、今だはっきりと聞き取れない声に、苛立ちを露にするが、突然光を取り戻した眼差しに怯んでしまう。
「その言葉、取り消せぇ!」
怒りを通り越し、憎悪にまで膨れ上がった激情がその場にいた全員を釘漬けにする。
「御神は……いつも誰かを守るために……誰かを傷つける誰かから守るために……ただそれだけのために今までもこれからもただ人を守るために!」
胸元を掴み上げていた一志の手を力任せに引き外すと、逆に美由希の細い腕が一志の喉を掴みあげた。
「私の事はいくらバカにされてもいい。でも父さん達を侮辱するのだけは許さない……」
完全に彼の頚動脈と頚静脈をロックした白い指が、日焼けした肌にゆっくりと食い込んでいく。
「ぐ……」
「取り消せ……」
「拙いな」
と、呆気に取られていたなのはの隣で、一人平然と呪縛から開放された浩は面倒くさげにギターを置くと、感情が一志にしか向いていない美由希の背後へと音を立てずに移動した。それからペタンとしゃがみ込むと、深く息を吸い込み――。
「膝カックン」
美由希の膝裏を両手で押した。
あまりに馬鹿らしいかもしれないが、古今の格闘技には相手の隙を生み出すと言う事で、技の派生過程に取り入れている武術すらあるくらいなのだ。
そして今回もあっさりと後ろに態勢を崩した被害者は、一志の喉を潰そうとしていた手から力が抜ける。それを見逃さずに、一志は手を振ってのどの圧迫物を取り除いた。
「お姉ちゃん!」
「あ……なのは……? あれ? 私は……?」
周囲を見まわして、何故か後ろに腕組をした浩と、喉を抑えて苦しげに咽ているか一志がいるという状況に首を捻った。
「げほ……できるじゃねぇか」
「え?」
そこに一志が実直そうな眉を弱冠緩めた瞳で、美由希を見詰めた。
「大事な思いがあって剣を持ったんだろ? だったら今のままで強くなるのを考えろよ。強くなるのは剣士としては当然だけど、持ってないなら自分のままで強くなればいいじゃねぇか」
それも一つの真実だ。一志が口にしたのは剣士として強さを求める者の真実であるが、だからと言ってそれが全ての人に当てはまるとは限らない。
剣が好きな者。
強くなりたい者。
闘いが好きな者。
誰かを守りたい者。
様々な理由があり、そしてそれぞれに譲れないものがあるのだから。
「俺は強くなりたいから、強敵と戦えるのは嬉しい。だから、おまえみたいな奴とは馬が合わない。でも、人を守るのがおまえの真実なら……貫けよ!」
「……うん」
まだ状況は理解できないが、何となく一志が言いたい事はわかった。
少し言われてすぐに剣を捨てかけるような弱い心のままじゃだめだ。と、言う事を。
美由希の頷きに、満足そうに微笑んだ一志は、そのまま酸欠の限界だった意識は一気にブラックアウトしたのだった。
うーん。美由希ちゃんも後少しかな?
美姫 「ぶ〜〜」
何を剥れてる?
美姫 「浩だけ、また出番が……」
あ、あははは。それは仕方がないじゃないか。
剣心の兄の役になってるんだから。
美姫 「ぐぬぬぬ。美味しい所を持っていくなんて…」
まあまあ。役得と言うことで。
美姫 「でも、筆が遅いっていうのは正しいわね」
グサグサ。
美姫 「半年で済むなんて、マシな方よね♪」
おおぉぉ。胸に、胸に〜。
美姫 「馬鹿でおまぬけだし…」
おぉぉ、な、泣いてなんかないやい。これは、ただの水だい。
美姫 「最近は物忘れまで酷くなってるし。極度の方向音痴だし……」
グスグス。
…………って、そこまで書いてねー!
美姫 「何言ってるのよ。私はただ、浩に付いて話しただけでしょう。別に書いている内容を言ってるわけじゃないわ」
な〜んだ、そうだったのか。
……って、ちっとも良くない!お前、酷すぎるぞ。
美姫 「でも、真実」
ぐぬぅぅ。く、悔しいが反論できない……。
美姫 「さて、浩をからかうのはこの辺にして…」
シクシク。
美姫 「後少しで美由希も成長しそうな予感を感じさせつつ、次回ね」
うん。とても楽しみな展開だな。ワクワク。
美姫 「それじゃあ、夜上さん、次回も頑張って下さい!」
ではでは。