『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
LXU・剣心の修行
もう何と言うか理不尽極まりない暴力でボロボロの状態のまま中庭に連れ出されて、剣心は仕方なく庭先で準備していた胴衣に着替えた、何故か怒り心頭のほのかが準備していた救急セットを使って母屋の軒下で自分で治療しながら、準備体操している源柳斎を横目でちらりと見上げた。
昨晩の練習試合と同じく紺の上下の胴衣に、白の外套を着ている。
すでに初夏だと言うのに暑くないのか? と思いつつも、マキロンをつけた綿を捨てて全身の調子を触診で確かめてから、救急セットを傍らに控えていた妹に渡した。
「そう言えば何でお前がいるんだ?」
「おじいちゃんの御手伝いです」
一体何をさせるんだ? とも思ったが、ほのかが持ってきていた逆刃刀を受け取ると、胴衣の腰帯に帯刀して立ち上がった。
「剣心、準備はいいか?」
合わせるように源柳斎もげらりと瞳を光らせて、剣心の前に立つ。
「ああ、そうだ。先に聞いておきたい事があったのぅ」
「ん? なんだ?」
「御主、あの御神の少女を連れてきたのは、わざとだろう?」
「ああ。彼女の戦い方を見てて致命的なものがあったし、それにあれは天性のものだろ? 恭也さん達だと気付かないものだし、ここに連れて来たら……」
そこまで言葉を紡いだ時、勢いよく閉じていた道場の扉がバン! と大きな音を立てて開かれた。剣心と源柳斎、そしてほのかの三人が視線を向けると、不機嫌極まりないぶっちょう面をした一志がぶつぶつと何か呟きながら出てきた。一志は少し進んで自分を見ている三人に気付くと、その中に剣心がいるのを確認するやいなや、土埃を巻き上げて剣心に駆け寄るとびしぃ! と音が聞こえるほどに見事に指をつき付けた。
「剣心! 今度、あんなつまんねぇ女連れてくるんじゃねぇ!」
そう言うと、これまた元気よく足音を立てながら道場を飛び出していった。
しばし呆然とその後姿を見送ると、剣心は小さく溜息をついた。
「連れてくると、一志がはっきりとさせるだろって思ったんだけど、どうやら上手くいったみたいだ」
「何とも荒療治を考えたな。一志は子供だから気にせずずかずかと踏みこむぞ」
「それが狙いだよ。遠回しでいいなら……時間があるなら俺がやってる」
一週間前の劉閻の言葉を思い出す。
それは二人にとって喉元に突き付けられた切っ先をわざと外したに過ぎない。時間を少し与えてやる。近々また来てやるから、それまでの間に強くなっておけ。短い言葉の裏側にあった快楽のメッセージを受けとってしまった以上、あの手合いは本当にやってくる。しかも何時やって来るかわからないという戦争地域で夜中に一人歩きする状態である。時間などあってないようなものだった。
だから剣心は美由希を神谷道場へと連れて来た。
「前に一度彼女の戦闘を見た時、全然気付かなかった。後に友人がいたから。でも、この間の闘いで、彼女は守るべき人がいないと実力を発揮しきれない、『心』に欠陥があるんだって気付いた」
それは闘いという日常に身を置く者、もしくは武術を志す者にとって絶対にあってはならない心の持ち様。強くなりたいという気持ちがあっても、それが強者と闘い経験値を上げていく事に直結していないのだ。
「美由希さんは今まで『誰かを守る』闘いしか経験がない。だからどうしても『自分を守る』闘いができていなかった」
「そうだな。彼女は優しすぎるのだろう。どれだけ大切な事であろうとも、誰かのために身を削る。それは献身的で美しいが、剣士としては矛盾している」
「命は……誰のものであれ平等。自分の命を軽く見る者は強くなれない。確か飛天御剣流の奥義の心構えでしたっけ?」
「何でほのかがそれを知ってるんだ?」
「おじいさまが、剣士として覚えておけっと教えてくれました」
他流派の心構えをそんなぽんぽんと教えていいものか? と、首を捻るが、源柳斎が直接教えたのであれば問題ないのだろう。
「で、お主は、それなりに鈍ってはいたが、わしに一撃を加えられる程度には腕を残していたしな」
昨晩の練習試合の時、剣心は開始数秒後には道場の床に沈んでいた。飛天御剣流の闘いは相手の攻撃を予測する。従ってどれだけ先手を未来の打ち込みを読めるかが鍵となるが、伊達に現在の当代を誇る源柳斎に読みなど勝てる筈もないと踏み、全力を持って一番得意とする双龍閃・雷を振りきった結果、何とか祖父の肩に逆刃刀を当てる事に成功したのだ。もちろん、それと同時に源柳斎の龍巣閃に全身を打たれて倒れてしまったのだが。
「剣心、お前、奥義を求めて戻ったな?」
よく拳で語れ。と、いう武闘家の台詞がある。
それは剣術家にも当てはまり、刃を交える事で相手の思惑を読み取れる。
昨日合わせた剣からは必死さが伝わり、強くなりたいという思いが溢れていた。
「まぁ、学校もあるし、中々練習できたいのも当たりだし、おかげで久しぶりに純粋な殺気を受けただけで膝が笑っちゃったのも事実だけど、時間をかけている余裕がなくなっちゃって」
だからと言ってお手軽な気分で奥義を求めたのではないのは、眼差しの奥にある光が伝えている。そこには絶対に負けられないという決意が篭められていた。
しばらくそんな孫の瞳をじっと見詰めた源柳斎は、無言で瞼を閉じると厳かに言い放った。
「……いいだろう。飛天御剣流の奥義、伝授してやる」
「よろしく……お願いします」
飛天御剣流は昔戦国の世よりも更に前に作られた剣術と言われている。当初は一振りで三人を倒せる技――飛天三剣流と呼ばれていたが、何時しか人を守るための剣、御剣となっていた。無辜の民を救うために振るわれる刃となった飛天御剣流は表舞台に上がる事は一度も無く、ある意味御神流と同じく影に甘んじてきた。
だけど、明治維新の時に振るわれた剣技は、維新三傑を含めて、数々の要人を守り通した最強の技……。
まだほのかも見た事の無い奥義の伝授に、胸が大きく高鳴っていく。しかし、祖父は何を手伝えというのかがわからなかった。学校へ行く直前、唐突に今日は休めと言われて指示の通りに救急セットを準備したものの、剣心を治療しただけで他には必要が無いと思う。
そう頭の中で何が起こるのか思案している間に、源柳斎と剣心は互いに正眼で逆刃刀と木刀を構える。
「奥義の伝授前に斬撃の種類を覚えているか?」
「斬撃の種類? 唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、左薙、右薙、左斬上げ、右斬上げ、逆風、刺突だろ?」
「そうだ。どんな流派、どんな技であれ必ず九つのどれかに当てはまる。ならば全てを一回で放たれれば?」
「は?」
源柳斎の言葉に、剣心だけではなくほのかも目を点にした。
「いや、それは無理だろ? いくらなんでも……なぁ?」
「え、ええ。おじいちゃん、確かに理論的には九つの斬撃を同時に打ち込めれば、相手は回避も捌くのも無理ですが……」
理論では確かにそうだろう。一瞬で九連撃ではなく、同時に九撃を加えるなど無理な話だ。だが源柳斎は微塵も動揺せず、剣に集中していく。
「剣心、動くなよ?」
「え? じいちゃん?」
何を考えているのかわからず、一度ほのかと顔を見合わせて視線を戻した瞬間、源柳斎の姿が消えた。
「!」
「え!」
まるで霞が朝日に消えていくように姿が消えたかと思うと、次の瞬間、同時に剣心の九箇所が弾けた。
髪が一房と、左右の肩口、左右の腰、左右の膝上、上着の腰付近の裾、そして鳩尾の服が小さく千切れ飛ぶ。
「飛天御剣流の速さを最大限前活かし、残像を残すほどの高速で相手に九箇所同時攻撃を打つ。これが飛天御剣流・九頭龍閃」
「全然見えなかった……」
こう見えてほのかも長い間祖父と兄の練習風景を何度も眺めている。しかし、今回のように姿自体が知覚できないなど初めてだ。
と、そこで無意識に拳を握り、裸足のまま土が剥き出しになっている庭に片足を降ろしている自分に気付き、佇まいを整えて再度腰を落ちつける。心臓の鼓動が信じられないほど高鳴り、未知の技への渇望に頬が紅葉してくる。
技を受けた剣心本人も、思わず尻餅をついてしまいそうになるような衝撃を受けていた。木刀なのに、九つの光が視界を埋め尽くしたかと思うと、次の瞬間には先程源柳斎に答えた九箇所に木刀の斬撃が入っていた。
これが奥義……。
ごくりと喉が鳴る。頬に流れ落ちてくる汗が奪っていく体温の高さに驚きながら、ぎこちなく背後を振り返ると、そこには血糊もついていないのに木刀を振っている祖父が映った。
「じいちゃん……」
「さて、剣心、やってみろ」
「は?」
またもや剣心とほのかのぽかんとした声が重なった。
「や、ちょっと待って。まだコツとか指導とか……」
「今までそんな事合ったかな?」
「……無いです」
過去を思い出し、一層げんなりとしてしまう。
よくよく思い出したら、今まで一度も指導など受けた覚えが無い。全て先に祖父から技を受け、そして見様見真似で技を使っていき、ようやく認められると言う超がついてもおかしくないスパルタだった。
泣く泣く逆刃刀を構え、漣のたっていた心を落ちつける。
僅かだけど剣閃は見えた。信じられないけど、あの一瞬で同時と言ってもいいくらいの速度とタイムラグで九箇所に剣が振るわれる……いや、吸いこまれるって感じだった。だから初手は……。
普段と同じく右斜め下剣先を向ける構えから、速度を初速から最高速を出せるように右足を半歩前に出し、なるべく空気抵抗を抑えるように肩を足に合わせる。
意識を源柳斎に集中する。心が紙縒りを作るように細くしていくと、空間が自分と源柳斎を中心に閉じていくのがはっきりと肌を通じて理解できる。それに引っ張られるように体が自然に力が充実していく。
「飛天御剣流――九頭龍閃――」
そして剣心の体が、先ほどの源柳斎と同じく掻き消える。
『壱』唐竹、『弐』袈裟斬り、『参』右薙、『肆』右斬上げ、『伍』逆風、『陸』左斬上げ、『漆』左薙、『捌』逆袈裟、『玖』刺突。
剣閃が煌き、九つの斬撃が剣心の腕から撃ち出される。
できた――!
いともあっさりと技ができた自分に驚きながら、源柳斎に視線を向ける。だが、そこに白い影が疾る。
「飛天御剣流、九頭龍閃」
源柳斎の木刀が空を切り裂く。剣心と同じく『壱』唐竹、『弐』袈裟斬り、『参』右薙、『肆』右斬上げ、『伍』逆風、『陸』左斬上げ、『漆』左薙、『捌』逆袈裟、『玖』刺突を撃ち出す。九つの斬撃は剣心の九つの斬撃とそれぞれ噛合っていく。そしてその全てに剣心は押し負けた。手から離れてはいないが逆刃刀が修正不能の高さまで吹き飛ぶ。完全に崩された態勢に背筋に浮かぶ冷たい汗が剣心の頭が急激に冷却されていく。さっきの見本よりも強い斬撃が九箇所に打ち込まれた。
「ぐぅ!」
九頭龍閃はただ九箇所に同時に斬りつける乱打技ではなく、それにダッシュを加える突進技である。剣心と源柳斎の突進技で負けた剣心は、力のベクトルに従って真上に飛んで、そのまま受身も取れずに地面に叩き付けられた。
「お兄ちゃん!」
「あ……負けた……?」
少しよろめきながら体を起こし、自分が九頭龍閃の打ち合いに負けたのだと悟り、悔しげに歯軋りした。
「俺じゃ……九頭龍閃は使いこなせないのか……」
「いや、剣心の九頭龍閃は完璧だった。だが突進術は技の持ち主の体格、乱打技は力がものを言う。わしはお前より二周りは体が大きい。そして力もだ」
「つまり、体の小さい俺には奥義は使いきれないと?」
「で、この九頭龍閃を破れる技が、それこそが本当の奥義」
「へ?」
再三間の抜けた声で返答し、俯いていた顔を慌てて源柳斎に向けると、そこには悪戯が成功した子供のように満面の笑みを浮かべた祖父がいた。
「え? で、でも、今のが奥義じゃ……?」
「誰も奥義など言っておらんだろう?」
うわぁ。ハメられたよ……。
さっきまでの神聖な張り詰めた空気もなんのその。剣心の口から大きく溜息が漏れる。
「九頭龍閃は奥義伝授のための試験的な技。これを使えれば必然と奥義の形が見えてくる」
それなりに手加減はしてくれたのだろう。すぐに痛みが取れた体を立ち上がらせ、土埃を払い落とす。
「九頭龍閃は九つの斬撃を同時に打ち込む技。なら破るには……?」
源柳斎の言葉にしばし頭を巡らせて、自分の体を打ちつけた九頭龍閃を思い出す。続いて自分が使った時。鞘から剣を抜き、駆け出して打ちこんで……。
と、そこまで考えて、九頭龍閃が構えから派生する技であると気付いた。すると奥義の形は必然的に一つに絞られる。
考えが正しいか見定めるために一度納刀する剣心に、源柳斎はにやりと口端を歪めた。
「そうだ。それが奥義・天翔龍閃だ」
おやつにしましょうね。と、言って道場を出ていった雫を見送っても、なのはは道場から出ていこうとは思わなかった。何故なら余程衝撃的だったのか今だ姉は道場の真中で呆然としてしまっているからだ。何と声をかければいいのかもわからず、それでも近くにいようと思ってはいるのだが、如何せん剣士ではない彼女に打開作など見つからず、途方に暮れてしまっている状態だ。
少し頭を冷やそう。
美由希の事をずっと考え続けてしまったために、僅かに頭が熱くなっている気がして、なのははそろそろと足音を消して、道場正面入り口に移動した。
その時!
「じいちゃん!」
「おじいちゃん!」
金きり声を上げて、剣心とほのかが地面に横たわる源柳斎へと涙を浮かべながら駆け寄っていた。
「ほのか! さっきの救急セット!」
「は、はい! ああ……。もしかしてこのための手伝い……?」
「くそ! 呼吸が弱い……。このままじゃ……」
必死に真っ赤にした顔を上げた剣心の瞳に、驚いて声を失っているなのはが映った。
「なのはちゃん! すぐに救急車!」
「え? あ、その?」
「早く!」
「はい!」
急かされて、母屋に駆けて行く中で、一体何が起きたんだろう? と、なのはは突然急変した状況に必死にしがみ付いていた。
おおー、最後の状況から察するに…。
美姫 「剣心は無事に奥義を習得できたみたいね」
後は、美由希か…。
美姫 「さてさて、美由希は一体どうなってしまうのかしら」
次回もまた、目が離せません!
美姫 「それじゃあ、いつものように首を長くして次回を待ちましょう」
そうしましょう〜。