『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LX・フィアッセの大脱走

 彼の世紀の歌姫の悪い癖を知っている者は少ない。
 何故なら世間的に定着してしまったイメージを壊さぬように、校長付秘書であるイリア=ライソンが徹底的にマスコミ向けの指導を施したせいだ。尤もそれは功を奏し、彼女が亡くなった後でもイメージは壊される事なく、娘の光の歌姫へと受け継がれた。が、しかし! 外面の良さは保たれたものの、それに関る内面は代わっていない訳で、今日も日本へ十二月から始まるCSSコンサートツアーの下見のためにやってきた東京の高級ホテルの一室で、イリアの叫び声が響いた。
「フィアッセ! また逃げましたね!」
 そう、彼女の母親が悪戯好きだったのに対し、フィアッセ=クリステラは未だにかなりの御転婆であった。

「ふふふ〜ん♪ 今日はどうしようかな? 確か夕方には今回の協賛スポンサーと食事会だからそれまでに戻ればいいし……。あん、ゆうひから聞いたアクセサリショップでも見に行こうかな」
 楽しげに渋谷の町を歩きながら、久しぶりの町並みを確認する。
 大きくは変わっていないが、それでも何軒かは店が入れ替わっている。お気に入りの服屋がなくなっていたり、好きなラーメン屋が移動していたりと、頭にインプットされていた地図を修正しながらセンター街から公園通りへと抜ける。途中で購入したクレープを頬張りながら、渋谷公会堂前のスターバックスでキャラメルマキアートを買うと、そのままNHKのある代々木公園へ入った。
 まだ幼い頃に日本へ遊びに来た際に高町士郎が連れて来てくれた思い出の地だ。大体海なりに直行するのだが、帰りに飛行機の時間まで余ってしまったりすると、原宿で降りて渋谷までぶらりとよく散歩したものだった。
 ふと顔を上げると、今でもあの頃の姿が公園内を駆け回っているようで、慣れたとはいえ、フィアッセは少し潤んだ瞳を誤魔化すように空を見上げて大きく深呼吸した。ぱちんと頬を両方から叩いて沈んだ気持ちを元に戻す。 ぴこぴこと触覚を動かして胸のあたりで両手を握って自分に気合を入れると、また日差しが暖かい公園をのんびりと歩いていく。
 その時、平日の昼間だと言うのにどこからかアコースティックギターの音が聞こえてきた。ただ緩やかに道行く人の合間を縫うように流れていくメロディは、よくあるストリートミュージシャンのような押し付ける音楽ではなく、静かに僅かだが潤いを与えていくラブシーンのBGMのように静かで何処か懐かしい。曲は聴いた事がないので、おそらくオリジナルなのだろうと考えると、どこから聞こえてくるのか視線を巡らせる。すると、日曜日にはよくフリルのついた女の子達が集まってくる橋の真中付近で、誰も足を止めない一人の二十そこそこの青年が古いアコースティックギターを無心に弾いていた。
 髪は邪魔になるのだろう後ろで一本にゴムでしばり、七分袖のアメリカNBAの有名チームのロゴ入りTシャツを着て、ジーンズパンツでキャンプとかによく使われる簡易椅子に腰を降ろしている。
 多分端から見たらただのストリートミュージシャンなのだろう。しかし、音楽に携わるフィアッセには、旋律は大切な宝物に聞こえた。
 六本の弦から語られるメロディは何処か懐かしいオールディーズのブルースに似ていたが、その傍らで一度も聴いた事のない新鮮さを持っている。橋の手摺に寄りかかるように腰掛け、しばし音の向くまま体と心を委ねる。
 流れていく音は、何時しか瞼を閉じていたフィアッセとその青年だけの世界にしたように全てが自分に向かって閉じていく。それは心が開放されたように自由な感覚で、久しく感じなかった心地良さだ。
 と、ここで最後のコードが掻き鳴らされ、曲がゆっくりと全てに浸透しながら終了した。 青年は大きく息をつくと、少し狂ったのだろう順番に弦を弾きながら音を合わせていく。一度ペグを調整してはまた音を鳴らす。その仕草を暫く眺めていると、青年はフィアッセの姿に気付いた。ストリートで弾き語りをしていたのに恥ずかしいのか、薄らと頬を赤く染めながら、ぷいとあからさまに視線を逸らしてチューニングに勤しむ。その姿が妙に可愛らしく、フィアッセはくすりと笑みを零した。
「……何だよ?」
 どうやら微笑みが聞こえてしまったらしい。
 青年は年齢に似合わず頬を膨らませたハムスターのように大きな瞳に照れを浮かべた。
「んーん。良い曲だなぁって思ったの。今のオリジナル?」
「え? あ、ああ。音楽は趣味なんだけど、ギター弾いてると頭の中からっぽになるから仕事に行き詰まった時なんてよくここで弾くんだ」
 ギターのボディを撫でながら、質問に答えてくれる青年はどこか高町士郎の優しげな笑顔に見えた。
「何?」
「……何でもない。ね、もう一曲弾いてくれないかな?」
「ああ、いいよ。リクエストは?」
「別のオリジナルある?」
「何曲かは。どんなのがいい?」
 そう言って出された楽譜を見て、フィアッセの背筋が泡だった。
 何これ……? 凄い……。
 一瞬だけでは曲の良さは理解できなかった。だがAからBそしてサビへと続く旋律の流れを読み進めるうちに、あまりの大胆さと繊細さが同居した曲に冷や汗が流れる。と、同時に頭の中に様々な歌詞が、それまで封印されていた涌き水が開放されたように言葉となる。
 一つの楽譜で手を止めたフィアッセの様子に、それがリクエストだと思ったのか青年は楽譜を手にするとゆっくりと呼吸を整えて弾き始めた。
 譜面だけでも信じられないのに、曲として形を作った瞬間、フィアッセの中で浮かんでいた言葉は口から歌として紡がれていた。

 Only for the number of tears, the thought to overflow is.
(溢れ出す想いは涙の数だけ)

 The spring of the pure heart quiet-boiled many wish, and continues being equal to it.
(清純なる心の泉は幾つもの願いを静かにたたえ続ける)

 Rain which falls forever forever
(何時までも何時までも降る雨は)

 The guidepost to the future aimed at distantly
(遠く目指す未来への道標)

 Oh it can worry -- carrying out -- people . It can sleep calmly now
(おお、悩めし人よ。今は静かに眠れ)

 Oh it can worry -- carrying out -- people . It can sleep peacefully now. 
(おお、悩めし人よ。今は安らかに眠れ)

 弾かれたのはジャズとR&Bの間のようなメロディを刻む曲。そして歌われたのは聖歌のような誓言なる歌。青年は、危うくギターの引く手を止めてしまいそうになりながらも、慌てて作り立ての楽譜を頭に思い描きながら引き続ける。
 何だ? この女? メチャクチャだ。メチャクチャ巧い……。
 それもそうだろう。何せ相手は世界最高の音楽教育機関の最高責任者だ。しかも光の歌姫という呼び名までつけられるほどの女性だ。青年はあくまで音楽を趣味で演奏するのが好きなのであり、しかも聴くのはロックばかりなのでクラッシクやオーケストラ系を主流とするフィアッセを知らないのは無理もない。だが、歌う彼女の凄さを肌で感じながら、青年はふと何時の間にか周囲に沢山の人が足を止めている事に気付いた。ライブ以外ではこのような状態になるのは初めてで、その効果の原因をちらりと見遣った。
 同時にフィアッセも同じ思いに囚われていた。.
 気持ちいい……。
 それが歌い出してすぐの感想だった。コンサートや学校では味わえない高揚に、体だけではなく心まで反応している。一度瓦解した言葉の泉は留まるところを知らず、どれだけ紡いでも湧いてくる。メロディを追う耳が僅かにミスした青年のギター音を捕える。だが、それでもフィアッセは歌に微笑みが混じらせる。コンサートのバックスタッフのような完璧さではなく、ただ昔、ヨーロッパの片隅で楽しむためだけに生み出されたバイオリン曲のように、そこに集まった人々の心が楽しんでくれているのを痛感する。ふとそこでティオレから聞いた話を思い出す。まだ駆け出しだった頃、ニューヨークの片隅にあったジャズ専門のカフェである時ワンナイトセッションが開催された。ワンナイトセッションとは決められた楽譜なしに、その場の雰囲気と乗りだけで曲を演奏していくライブの事だが、楽器の演奏ができないティオレは、飛び入りで歌を歌ったのだ。通常ジャズは歌を必要としない。しかし、彼女の歌はその場にいた全員に認められた。これが世紀の歌姫の最初のステージと言っても過言でもないほどに。
 その時の母の心境を少しでも感じ取ったのか、最後のフレーズが昼の代々木公園の木々に浸透するように消えていく。一拍の間を持って一斉に拍手の雨が橋の上に吹き荒れた。別にただ格好をつけるために開かれていたギターケースに次々とお金が飛び込んでくる。だが青年はそんなものなどどうでも良かった。
「……お前、何者だよ? あの歌……アマチュアじゃないだろ?」
「ふふっ。秘密の方がカッコイイから教えないでおこうかな?」
 そんな悪戯な微笑みを浮かべるフィアッセに、青年はやれやれと苦笑を洩らした。
 その時!
「フィアッセ! 見つけました!」
 アンコールを出し始めた人垣の合間を縫って、イリアが文字通り怒髪天をつく勢いで、全身で息をしながら怪しげにオーラを放ちながら眼鏡をずれ落としながら輪の中に入ってきた。
「あ、イリア〜。やっほ〜」
 が、当の原因は気楽なもので、可愛らしく手まで振っている始末。
「やっほ〜。じゃありません! また勝手に抜け出して!」
 いや、イリアさん、フィアッセの口真似をできるだけで結構余裕ありますね。
 喧々囂々とフィアッセに完全に向いた怒りの矛先を一切変えずにいるイリアの言葉に、観客の一人が反応した。
「あ、思い出した。クリステラ・ソング・スクールの光の歌姫、フィアッセ=クリステラだ!」
 正解は僅かなどよめきを呼び、そしてどよめきは一気に喝采へと変化した。何故こんな町の一角で世界的歌手がストリートで歌っているのか? というのはすでに関係ない。あるのは目の前で無料で歌を歌い、そして今もアンコールに答えてくれそうだと言う事だけだ。
 せめて暴動のように詰掛けないのはイリア的には助かるのだが、ただこのままでは足を止めた人々が納得しないだろう。どうするべきかと頭を巡らせていると、肩をととんと軽く叩かれ、弾かれるように降り返った。
「大丈夫。私に任せて」
 いや、任せても何も貴方のせいです!
 と、怒りに任せて叫びたいところをぐと堪えていると、フィアッセは青年と二言三言会話を交わした。青年は最初は驚いていたが、力強く頷いた。それを満足そうにこちらも頷くと、簡単に発声をするとあっという間にマスコミ対策が完璧になったフィアッセ=クリステラが存在していた。
「皆さん。こんな平日の忙しい中、足を止めてくださいまして本当にありがとうございます。今回は今年十二月より行います『クリステラ・シング・ソング』という今までにない楽しいコンサートを計画しております。チケットの発売は八月からと少々先になりますが、御友人、御家族お誘いの上お越し下さいませ。たった二曲になりますが、次は三年前に作りました作詞・作曲フィアッセ=クリステラでお送りします『SEE YOU〜小さな永遠』アコースティックバージョンをお聞き下さい」
 
 lalalalalalalala……lala、lalalalala……lalalalalalala……。

 未だに人気の衰えないコンサートのエンディングにいつも歌われる曲も、アコースティクギター一本だけでだと、信じられないほどに穏やかに聞こえる。観客は暖かな春の日差しのような歌声に酔いしれている。しかし、一人だけ驚きを隠せない人物がいた。イリアだ。
 いくらこの曲はリズム的にも簡単だからって、こんな即興で曲をアレンジするなんて……。
 フィアッセが正式に作詞作曲したこの代表作は、まだ書きなれていないため一つ一つ楽器を分解していくと、全てが小学生レベルでも書けるくらいに簡単になる。だがそれを集合させた場合は、いとも簡単にレベルを変化させてしまう。なのでアレンジするのも演奏するのも弾き手のレベルが問われる。しかし演奏のレベルとしては稚拙なのだが、中に含まれる思いやアレンジのセンスは十分に驚きに値していた。

『長い間悩んだ 寂しさと 人の心
 短い詩を君に送るよ 胸に書いた言葉を

 君が語りかけた 優しさに
 気付かないでいたころ
 もう一度戻れるなら
 抱き締めて 笑ってあげたい

 だから…
 広げた手を青い空に振りながら
 そっと涙をぬぐっている そして…
 巡り会えた君との日々
 いつまでもずっと 忘れないからと
 笑顔で見送る……』

 フィアッセの歌も通常より広がりを増している感じを受け、顎に手を当てて熱心に聞き入る。
 そして最後のフレーズを歌い終わった瞬間、また一斉に拍手喝采が広がった。一人一人の顔を見て丁寧にお辞儀していくフィアッセと後ろで満足したのか、微笑を浮かべている青年は、一度だけ視線を交わした。
 楽しかった……。
 ああ。気持ち良く弾けたよ。
 互いの視線に含んだ言葉を笑顔で受け取って、フィアッセは再三のアンコールが鳴り止まない人々に向き直った。
「申し訳ございません。本日は先程申し上げました『クリステラ・シング・ソング』の打ち合わせがあるため、これ以上の歌う事ができませんが、また機会がありましたら束の間の一時を御一緒できればと思います。それでは車も来ましたので、これにて失礼致します」
 一層の拍手が鳴った。イリアを先頭に歩き去っていくフィアッセと観客を見送りながら、青年はすっかり忘れてしまった彼女の名前に、嘆息した。
「あ、いたいた。兄さん!」
 そこへ、今度は懐かしい声が聞こえ、青年はぐるりと顔を巡らせる。すぐに声の主は見つかり、青年は少々驚きながら立ち上がった。
「剣心? おまえ、どうしてこんなところに?」
「ハハ。ちょっとじいさんと母さんに用事でね」
 照れ隠しとも言える表情で頭を掻く弟に眉を顰めたが、後ろに続いている二人の少女に気付き、青年は簡単に頭を下げた。
「後ろの人は? お前の恋人と愛人か?」
「いきなり何を言うんだ! 違うよ。彼女は母さんに用事。道場へ出稽古に来たんだ」
「ああ、それで竹刀袋か」
 青のスリム系ジーンズに黒地に白い文字が書かれたTシャツの上から白いジャケットを羽織った女性の肩にかけられた、幼い頃より見慣れた袋に納得して、隣の少女を見る。こちらは淡い黄色をベースにした折り目のないスカートに、清潔そうな黄緑色の薄いトレーナーを着ているが、竹刀袋は持っていない。
 その視線に気付いたのか、剣心は説明を付け加えた。
「彼女は付き添い。あ、美由希さんになのはちゃん、紹介するよ。こっちが……」
「愚弟の兄の氷瀬浩。よろしく」
 兄である浩の言葉に、剣心はあからさまに眉を歪めた。




これにて日常編終了〜。
夕凪「そんなタイトルあったの?」
んにゃ。本当は別のタイトルだった。
夕凪「別の? どんなの??」
恵まれないキャラクターを忘れられないようにしよう編。
夕凪「…………」
待て待て! いきなり二重の極みはやめて! ちゃんと理由あるんだよ〜!
夕凪「言ってみなさい」
あい。序章からロンドン編までは比較的間が短かったけど、妖魔編は長かったでしょ? 何気に丸一ヶ月かかってる訳だし。
夕凪「言われればそうね」
で、元々台詞もなかった人達にちゃんとスポットと今後の流れを与えたいなぁと思って、各自に動きを持たせた訳。で、その第1回メンバーがセルフィ、愛、なのはなのよ。
夕凪「第1回って事は2回もあるの?」
次も長くなりそうだからね。一応各自が完結するまでは、編の間に入れていこうと。メインも考えてるしね。
夕凪「またそんな迷惑かけるような事を……」
でも、そうしないとまとまんにゃい〜〜!
夕凪「泣くな! ま、しばし御付き合いください」
それと二人が出揃ってからと思ってましたので御礼が遅れましたが、美姫様、浩様、こんな駄文への出演の快諾本当にありがとうございます〜。まだまだ出番は二人ともあるので御待ち下さいませ〜
二人「それでは〜」



美姫 「誰よ、アレ!」
いや、だから俺。
美姫 「嘘だ、詐欺だ。J○Lに訴えてやる」
おいおい、JapanAirLinesに訴えてどうする。
それを言うなら、○AROだろう。
美姫 「どっちでも良いわよ。何、美味しい役なんかやってるのよ」
それを俺に言われても。
美姫 「アンタは痴漢でもした所を、私にぶっ飛ばされる役で充分よ」
それはお前、酷すぎるぞ。
それに、お前も結構美味しい役だったじゃないか。
美姫 「それはそれよ」
こらこら。
美姫 「うぅ〜。何か納得いかないけれど、仕方がないわね」
へいへい。さて、今回で第一弾の日常編はお終いみたいだね。
美姫 「そうね。次回は美由希ちゃん修行の巻になるのかしら?」
うーん、どうだろう。今から次回が待ち遠しいですな。
美姫 「うんうん。夜上さん、次回も楽しみに待ってますので、頑張って下さい」
それでは〜。



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ