『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LW・なのはの一歩

 翠屋が改装になって早四日。ダイニングでぼうっとしている桃子を遠目に眺めて、なのはは小さく溜息をついた。詳しい事は知らないが、どうやらなのはの家族は五月下旬の商店街炎上と最近被害者の出なくなった吸血鬼事件の当事者になってしまったらしい。らしい。と、言うのは商店街炎上の際に路地にいて逃げ遅れた懇意にしている八百屋の女将が教えてくれたからだ。遠くだったので詳しい話は聞こえなかったが、どうやら吸血鬼事件の犯人と思しき太った男の人と晶達が対峙していたのを見かけたからだ。
 それと同時にぼろぼろになった姉の姿に、家で留守番をしていた彼女は大いに驚き、すぐさまフィリスを呼んだ程だ。
 こんな時に限ってお兄ちゃんもいないし……どうしたらいいんだろ?
 晶は珍しく実家に戻り、蓮飛も今日は病院にお泊まりだ。姉はあれ以来塞ぎ込み、母も元気がない。そんな家族がばらばらになったような感覚の中で、自分が子供なんだという事実は胸を苦しめるだけだった。
 好きなお菓子番組を見ていてもまるで頭に入らず、何度も嘆息と溜息が交互に口をつく。その時、リビングの子機が鳴った。
「はいは〜い」
 別に返事はしなくてもいいのだが、お約束で返事をしながら通話ボタンを押す。
「はい、高町です」
『御忙しいところ失礼します。私、緋村と言いますが、美由希さんご在宅でしょうか?』 緋村? どこかで聞いた事があるような……?
 と、頭の引出しを探し出して、僅か数秒で四月の御花見を思い出した。
「あ、小鳥御姉ちゃんの……」
『ああ、なのはちゃん? 悪いけど、お姉ちゃんいる?』
 赤毛でなのはより十センチくらいしか身長の違わない、優しげな顔を思い出し、なのははぽんと手を打った。
「いるんですけど、ちょっと……」
『そっかぁ。しょうがないって言えばしょうがないんだけど……うん。また電話するよ』
 電話の向こう側で何か納得している剣心の言葉は、しっかりなのはの耳に届いた。
「あ、あの!」
『ん?』
「御話あるんですけど……これから時間ありますか?」

 何処か夏の香りを含んだ潮風は、公園内を散歩する人達の心を軽やかにしていた。まるで四日前の出来事など嘘のような風景。いやこれが海鳴の本来の姿なのだろう。誰もが笑顔を絶やさず、誰もが平和で、誰もが幸せな町。珠に事件は起きれど、それが完全に壊されるなど絶対に有り得ない。有り得ない筈だったのに……。今彼女が置かれている状況など、まるで世界から切り離された孤独の中にいるようだ。家にいる時はまだ無理が利くのだが、こうして一人になり、目の前に僅か数週間前の自分の姿が重なる人々がいると、泣き出しそうになる。
「大丈夫?」
「ヒャァ!」
 その時、突然頬に冷たいものが触れ、なのはは驚きのあまりに椅子に座ったままの姿勢で飛び上がった。
「お〜。そんなに飛ぶんだ」
「ひ、緋村さん、驚かさないで〜」
「はは。ごめんごめん」
 手に二本の紅茶を持った剣心は、一本をなのはに渡して、隣に腰を降ろした。そのままぼんやりと海を眺めて冷たい紅茶を啜っている姿をしばし見つめてから、なのはも同じように紅茶を口にした。缶紅茶の割に味の良い上品な味わいとブレンドされた檸檬風味が口から鼻腔へと抜けていく。
「で、どうしたの?」
 しばしの間、眼前に広がる海に視線を這わせていた剣心が、徐になのはに聞いた。
 まだ二ヶ月程度だが、彼女がどういう性格をしているのかは大体把握できたと思う。だが今はどこか影を落としているようで、御花見や翠屋で会った時のような活発さがまるで感じ取れない。大凡の予想は浮かぶが、確実ではない。
「うん……。実はお姉ちゃんの事なんです」
 ああ、当たりか。
「お姉ちゃんって美由希さん?」
 答えで大体の話の方向性を理解したのか、確認のために話題の対象となる人物の名を口にすると、彼女はこくりと頷いた。
「四日前から部屋に閉じこもりっきりで……お兄ちゃんも四日前からでかけて帰って来てないですし、晶ちゃんとレンちゃんもお出かけしてて……」
「桃子さんは?」
「お母さんもぼ〜っとしてます」
 それは間違いなく美由希達の事で考え事をしているのだろう。劉閻との戦いの後、非難してきた人々を救急隊に任せるまでは平気そうだった様子が、身内だけになると、途端に表情がカラ元気になった。剣心もあそこまで圧倒的な力の差を見せつけられて、その後二日間は剣を握れなかったが、今は何とか立ち直っている。
 いや立ち直ったフリをしてるってだけだけど。
 そう自問自答しても、なのはには美由希の様子が一番の不安要素なのであり、つられて剣心まで暗い顔をする訳にはいかない。半分まで減った紅茶を一気に飲み干すと、少し離れたゴミ箱へ投げた。空き缶は見事な放物線を描き、ぽすん。と、真中に入った。
「お、スリーポイントってところかな?」
 そうやっておどけて見せて、ようやくなのはは彼女らしい笑みを浮かべた。
「……俺はどうしてそうなったのか、全部じゃないけど知ってる。でも、これは本人の問題であって、周りが何を言っても一人で乗り越えられないとダメなんだ」
 唐突に語り出された言葉に、一瞬なのははぽかんとするが、すぐに意味を飲み込み、小さく頷いた。
「だから、俺は美由希さんを連れて、一度実家に戻ろうと思うんだ」
「え?」
「ウチの実家、君のところと同じで道場持ってるから、そこでちょっと気分転換をさせようとね。ま、一種の出稽古かな?」
「あ、ああ、なるほど」
 実家に連れていくって言うから、お姉ちゃんとそういう仲なのかと思っちゃったよ〜。 自分の逞しい想像力に、顔を赤くして照れ隠しに両手を太股で挟んだり組んでみたりする。それに気付かずに、剣心は立ち上がってぐぅっと背のびした。
「ま、別に急ぐ事でもないんだけど、気分転換にもなればいいなって。だから東京観光も込みって感じで」
 なんだかお姉ちゃんが羨ましいな。どれだけ私が頑張っても他の人がこれだけ心から心配して頑張ってくれる。何か……私だけ……。
 俺も学校をサボる事になるんだよな〜と、あっけらかんと言い放ってから振り返り、剣心は驚いて目を見開いた。
 そこには、大粒の涙を流して、無心に海を見つめるなのはの姿があった。
「あ、あのどうかした?」
「え、あ、あれ? な、何で?」
 自分でも気付いていなかったのかなのはは、声をかけられて初めて自分が泣いていると気付いた。手の甲で必死に拭うが、何故か涙は止まらず、ただ目が赤く腫れていく。何がなにやらわからずに、オロオロとしてしまった剣心の耳に、これまた彼を驚かせる野次馬の言葉が飛び込む。
 あら? 見て。男の子が女の子泣かしてるわ。
 うっわぁ〜。何だ。最低だ〜。
 ん? あの女の子って翠屋の?
 あ、知ってる。元気な可愛い子〜。その子を泣かしてるの?
 警察警察!
「だぁ! 俺が泣かしたんじゃないぃぃぃぃぃ! な、なのはちゃん、な、泣き止んで〜」 俺のためにも! とは口が裂けても言えないが、必死に慰めにかかる彼に、なのはは小さく首を横に振った。
「違うんです。ちが……違う……。わ、私は……なんの力にもなれないんだって……そう思って……」
 どんな時も彼女は無力だった。
 父親が死んだ時はまだ母親のお腹の中で静かに生まれる時を待ち、兄が膝を二度と完全に治らない程に壊した時はまだ何が悪いのか理解できず、三年前はただ入院する兄妹をただ見舞っただけだ。当時はただ心配する事が優先だった。しかし、今は多少でも成長した。ただ心配するのではなく、力になりたいと願っている。
 だが……。
 涙は止まらない。
 剣心は諦めたように大きく溜息をつくと、ベンチを揺らして隣に座ると、ぐいっとなのはを抱き寄せた。
「こういうのは兄貴の専売特許なんだ。だから下手でも文句言わないでよ」
 おお! とどよめきが走る野次馬をぎろりと視線を鳴らして追い払うと、後は恥ずかしそうに空を見上げていた。
 しかし、なのははその様子がどこか兄のようであり、亡き父のようにも見えて泣き止むまでそのまま剣心に抱き付いていた。



今回はなのはちゃんですね。
美姫 「うんうん。彼女も守られてばかりいるだけではなく、しっかりと成長をしてるのよね」
そんななのはと剣心のちょっとしたひとコマって所だね。
美姫 「そうね。所で、今回剣心の口から実家の話が出たけれど」
うん。それはつまり、神谷道場が出てくるって事だよな。
美姫 「多分ね。益々、面白くなっていくわね」
うんうん。毎回、毎回、次回が楽しみだよ。
美姫 「それじゃあ、恒例となりつつある挨拶で…」
次回も待ってます。



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