『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XXXU・奇縁合同

 世界は狭い。
 いや自分の生まれ故郷ですらまだ足を踏み入れた場所が多々存在すると主張する人もいるだろうが、体感できる広さと真実と偶然と言う名で作られたアカシックレコードの前では一瞬の時に広がる世界など一匙の広さすら持ち得ない。
 おりしも大阪親日生命のバスケットチーム・スモールフォワードとして活躍している岡本みなみの身に此れから起こる出来事も、そんな狭さを感じさせた。
「御疲れ様でしたー」
 大阪天王寺にある練習体育館を元気良く飛び出して、相変らず伸びなかった身長と伸ばさなかったボーイッシュショートに白地に緑のラインが入ったジャージ姿ですっかり日の沈んだ町を軽い足取りで駆けて行く。
 つい先日ここ数年遠ざかっていた前半リーグの優勝が見えてきて、みなみだけではなくチーム全体が活気付いており、気付くと練習時間を大幅に越えてしまっている毎日だ。
 百五十一センチしかない自分を使ってくれるチームに、そして自分自身のために努力する日々は楽しく、そんな思いを今まで続けていられる要因でもあるさざなみ寮での三年間は本当に宝物だ。
 関西は関東に先駆けて梅雨入りし、普段は月明かりだけ十分明るい町並みが雨雲で視界が利かない。
「はうー。ちょう暗くて恐いかもー」
 繁華街であればネオンで明るいのだが、体育館のあるのは天王寺でも住宅地の敷地だ。みなみが体育館を出た夜十時ともなれば窓から漏れる蛍光灯の光も少なくなる。生来からのオカルト嫌いにみなみの目の端に涙が溜まっていく。
「そう言えば、最近は吸血事件ってのも新聞い載ってるし……。う〜。思い出さなければよかった」
 勝手な妄想が妙な現実感を帯びてしまい、みなみの涙が限界寸前になる。
「ぱぱ〜っと寮に帰って寝てまお。うん。それが一番や。一番……ふにゃぁ!」
 まぁ猫の鳴き声だけで悲鳴を上げている時点で、すでにみなみは冷静な判断ができていないとも言うが、それでも足の速度だけは変えずに歩いていく。
「う、歌でも歌いながら……」
 半泣き状態で必死に考えを巡らせて、とりあえず頭に浮かんだ歌詞を声に出していく。
「ね〜こねこね〜こねころけんろ〜る。ね〜こねこね〜こねころけんろ〜る……」
 よりによってねこねこロックンロールを選曲するあたり、混乱は一向に収まってないらしい。
 夜なので大声で歌っている訳ではないが、それなりの大きさで歌いながらたった十数分の道のりを進んでいく。
 だがここで普段の冷静さを少しでも持ち合わせていれば、周囲の変化に気付いただろう。天王寺と言う大阪環状線の主要都市の一つに数えられる町で、誰ともすれ違わない事を。
「あの……」
「ひうゎあ!」
 歌も半ばまで過ぎた時、突然背後から声をかけられ、みなみは全力で十メートルは離れた電信柱の陰に走りこんだ。
「いやや〜。いやや〜。恐いんいやや〜」
 滝の様に涙を流し、頭を抱えてがたがた震える様を見せられると、声をかけた方がトンでもない罪悪感に見まわれてしまったが、一度咳払いをして金槌が突き刺さっている頭を整えると、再度、今度は恐がらせないようにみなみの前にしゃがみ込んだ。
「いや、驚かせてゴメン。ちょっと聞きたい事があっただけなんだ」
「ふえ?」
 どうやら完全に幼児退行化をしていたみなみは、二十代後半にも関らずまるで少女のような可愛らしい擬音を発しながら、恐る恐るしゃがみ込んだ声の主を見上げた。手に二メートルは超えるであろう長い棒を持ち、みなみより四十センチ高い身長に丈の短いジャケットとビジネススーツを着ている。男性なのに真中から分かれ前髪が目の下までかかる長さを持っているが、まるで気にかからないどころかむしろ端整なマスクに似合っている。
 とりあえずみなみが想像していたような痴漢や通り魔、それにオカルト系の人物ではない事を確認すると、ようやく落ちついたのか、先ほどの醜態を思い出して顔を真っ赤にした。
「は、はややややや。す、すいません! ちょ、ちょう変な事考えてて……あ、いや、変な事言うてもそんな変な事やのうて……」
 今度は恥ずかしさにパニックを起こしたみなみに、男は苦笑するしかなかった。
「とりあえず立てる?」
「へ? あ、はい……。大丈夫です」
 すっと差し出された掌を握って、みなみはようやく冷たいアスファルトの上から腰を上げた。
「本当に悪いな。ただこの近辺で変な奴を見かけなかったかって聞きたかっただけなんだけど」
「変な奴?」
「そ。もう威張る事が人生の喜びみたいなデブでマフィアのボスみたいな格好して……」
 こんな日本の住宅地にマフィアのボスとは確かに変だ。と、感想を浮かべているみなみの前で、男性は目に浮かんだ色を豹変させた。
「こんな手下を使って……るんだ!」
 重い金属音が響いた。
 男性は棒の長所を生かし、背後から襲いかかってきた人間の一撃を防いだのだ。
「ウォォォォォォ!」
 そのまま男性は棒を力の限り振りきって人間を吹き飛ばした。
 だが突然の襲撃はこれで終わらない。周囲の壁を乗り越えて、男女問わず様々な年齢の人間が異様に伸びた爪を振り被って二人に襲いかかる。
「へ?」
 そんな唐突な展開についていけなかったみなみは、ただ呆然と自分の頭上に躍っている人間を間の抜けた表情で見上げていた。まるでナイフの長さを持った爪がみなみに突き付けられた。みなみの大きな瞳に爪が段々と大きく映し出されていく。
 しかし――。
「あ……あ……」
 爪先はみなみの黒目に触れていた。
だが刺さってはいない。
頭上から重力に引かれて落ちてきた人間は宙で固まったように停止していた。
「あっぶねぇ……」
 そこに男性の呟きが耳横から聞こえ、みなみは顔を少しだけ後ろに動かして爪から逃れるとぎくしゃくとした首関節をゆっくりと動かした。
 そこには今までみなみが関ってきた世界を全て覆す風景が広がっていた。
 アスファルトに散らばる人間の一部。
 沸騰した御湯のようにごぼごぼと音を立てながら体液が染みを描いていく。しかし未だ生命活動を停止していない身体が必死に生を渇望して足掻いている。
 そして男性は、何時の間に手にしたのか一本の小太刀をみなみに迫った人間の首に突き立て、コンクリート作りの壁に縫い付けていた。
 二人から少し離れた場所に着地した人間達は、一瞬で数人を細切れにされた事に警戒を抱き様子を見るべく遠巻きから動こうともしない。
「あ、あ、あ……ひ、人を……殺し……?」
「人、ねぇ。まぁそうとも言えなくないけど、ちょっと違う」
 みなみの呟きを少しだけ肯定し、男性は鍔のない小太刀を逆手に構え直した。
「こいつらは……」
 男性が棒を持った左手を隠すように腕の後ろに回し、残された小太刀を水平に構える。それを合図にするように三人の人間が地面を蹴った。
「は、早い!」
 初速からトップスピードのみなみを凌駕する速度で突進をしかけた三人は、微動だにしない男性に上中下の三点同時攻撃を仕掛けた。
 爪はナイフの長さを超えて刺身包丁程度まで長さを伸ばし、男性の肉体に突き刺さった。
「キャア!」
 思わずみなみが悲鳴を上げた。
 だが男性の体は、爪が刺さると同時にまるでフィルムを切られた映写機のように消えた。
「え?」
 だがみなみと一緒に唖然とした表情を浮かべる三人の内、上段に攻撃を仕掛けた男の口内に黒くなった血液を溢れさせながら曇りのない刃が刺さる。
「御庭番流小太刀二刀、飛刀術改……陰陽撥止・孤」
 本来であれば二刀の小太刀を投げ、一刀目の影に二刀目を隠す飛刀術である。しかし、あえて一刀だけに限定し、横へ避けたと同時に男性に小太刀を突き投げた。
 男性はそのまま小太刀を力任せに引きぬくと、倒れる男の顔面に蹴りを叩きつけた。吹き飛んだ男に巻き込まれ、数メートル先に転がった。
「ま、また人を……」
 すでに理性はみなみの中に微かに残されているだけだった。
 わかっているのは目の前で声をかけてきた男性が、数えるだけで七人は殺害したと言う事だ。
 だが男性は小さく溜息をつくと、小太刀の刃で頭部を貫いた男を指した。
 流されるまま視線を向けて、みなみは声にならない悲鳴を上げた。
「何で……?」
「最近新聞は読んでるか?」
 跳ねられたのに起き上がってくる死体。
 つい先日報じられた、今日本全土を襲っている吸血鬼事件の一つだ。
「まさか……」
「そりゃそうだよなぁ。まさか本物だとは思わないだそろうし」
 傷の痛みを堪える事もなく、口内から止めど無く血液を垂れ流しながら男は理性を失った眼球をみなみに向けた。
「早く海鳴に行かなくちゃいけないのに、何でこんなところで吸血鬼なんかに……」
「え?」
 聞き慣れた第二の故郷が思わぬところで聞こえ、みなみは男性の横顔を凝視した。
 しかし、男性に質問するより早く、新たな影が闇の向こうから街灯の下に姿を現した。
「ほほう。俺が苦労して作った手下を細切れか。さすがは時期御庭番衆御頭候補・四乃森操」
 先ほどみなみに聞いていた容貌をそのままにした恰幅の良い人物は、男性――操を見下すように口の端を持ち上げた。
「ようやく登場か。そういえば名前も聞いてないな」
「おっと失礼。俺はセルゲイ=デュッセルドルフ。一言で言えば吸血鬼だ」
「俺に何の用だ?」
「いや、ただの食事をしていたんだがね、最後に有名な餌が近所にあるって聞いていたからな。味見を兼ねてそっちのお嬢さんを頂こうとしただけなんだよ」
 ぞくり……。と、セルゲイの視線ががみなみの体を舐め上げた瞬間、全身に氷水がかぶせられ、瞬時に全身を鎖で束縛されたような圧迫感に襲われ、顔面を蒼白にしてぺたんと座り込んだ。
「こいつらは今日の食事の成果か?」
「今日は全員失敗だったよ。ハハハ」
 大して残念そうに思えない乾いた笑い声を発するセルゲイに、操の目尻がきつく締まった。
「とりあえずおまえを倒せば事件は終わる訳だ」
 小太刀の刃が闇を反射する。
「ま、そうなるが。ちょっと今やられる訳にはいかないんだ」
「逃がすと思う?」
「いや逃げられるんだよ」
 操が走った。
 一直線にセルゲイを目指し、小太刀を持ち直した。しかし、セルゲイの手下がそんな彼の行く手を塞いだ。
「邪魔だ!」
 闇を吸収した小太刀が一閃するたびに、手下の体がパーツ毎に切り離されていく。
 だが存在した全ての部下を切り倒した時、そこにはセルゲイの姿はなかった。
「くそっ!」
 悪態をつきながら小太刀を棒に納めていく様を見て、みなみは小太刀が彼の手にしていた棒に収まっていたとわかった。
 セルゲイが消えた事で体の束縛が解かれたみなみは、縮こまっていた肺に極度に空気が入りこみ、軽い過呼吸を起こして咽た。
「あ、悪い。大丈夫か?」
 怒りに一瞬みなみを忘れてしまった操は、慌てて彼女に駆け寄った。
「ええ。大丈夫です。……一応ありがとうになるのかなぁ?」
「アイツの話だとそんな感じだけどね」
 話しかけてきた最初と同じ、苦笑を浮かべた操は大きくため息をついた。
「ここで逃がしたのは痛いな。後で一角姉と神咲に教えておかないと……」
 またもや懐かしい名前に、今度はタイミングを逃す事無くみなみは操の服の端を摘んだ。
「ん?」
「一角って御剣一角さん? それに神咲って薫先輩?」
「……知ってるのか?」
「はい。高校時代の先輩ですー」
 関西国際空港経由で海鳴行きを考えた途中で、人を通さぬ結界を見つけて吸血鬼の殉滅を行っていた操は、そんなみなみに奇縁を感じずにはいられなかった。



おおー。まさに世間は広いようで狭いですな〜。
美姫 「みなみちゃんも登場〜」
どんどん出てくる登場人物。
美姫 「そして、一つに繋がるのかそれとも別の事件なのか、様々な事件が巻き起こる」
全く持って目が離せない展開を眺めつつ…。
美姫 「大人しく次回を待つ事にしまーす」
ではでは。
美姫 「アデュ〜」



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ