『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XXV・それで気付いたら……。

 刃の延長状にある斎藤の研ぎ澄まされた瞳と、我侭が通らなかった子供独特の怒りを含んだ瞳が部屋の中心でぶつかり合う。
「おまえが余計な事をしてくれたから! この僕が! わざわざ出向かなくちゃいけなくなったじゃないか!」
「町の屑どもを使ってCSSメンバーを襲わせる事か。くだらん。あの程度なら俺がいなくても切り抜けられる」
「何だと!」
「確かに俺がイギリス入りしたのは十日前だ。だが、あんなチンピラ連中でどうにかなるほど、CSSのセキュリティは甘くない」
「くっ!」
「所詮はガキの浅知恵だ」
 藤田さんがあの子を手玉に取ってる……。すごい……。
 後ろで眺めていてフィアッセがそんな場違いな感想を内心呟いている中で、クラインは怒りを限界まで引き上げさせられていた。
 これまで純粋に自分で動くのが嫌だったと言う思いの所為で、様々な科ねと快楽しか求めていない下層組織に金と計画を渡してきた。その結果は今目の前で刀を構えている男一人のおかげで全滅。クラインのポケットマネーから捻出された金額は無駄となった。
 しかし計画は全て自分自身で考えた傑作と思われる代物であり、大体の組織は計画を見て行動を起こした程だ。
「……それを……それを浅知恵だと……」
「気に入らないか。なら……」
 煙草を手にしていれば間違いなく紫煙を吐き出したいるだろう間を取って、斎藤はにやりと口を歪めた。
「馬鹿の計画だな」
 クラインの我慢の糸は限界を超えた。
「斎藤ぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 両手に炎を携え、クラインが低空から斎藤に向かって飛翔する。
「ふん。逆ギレか。見苦しいな」
 斎藤も強靭な足で駆け出した。
 二人の距離は刹那の間に縮まり、クラインが下方から手を突き出した。
「ファイヤブラスター!」
 拳大の炎がクラインの言葉に導かれて斎藤に襲いかかる。だが斎藤はそんな直線的な一撃を肩の一部の布を焼き取られるほどぎりぎりの線で回避すると、力を溜めていた左手を解き放った。
 それは閃光。
 それは雷光。
 そうとしか呼べない煌きが空気を切り裂いた時、光はクラインの二の腕を切り裂いた。
「うわぁぁぁぁ!」
 切り裂かれた傷口から解き放たれた衝撃に小さな体がくるくると回転し、クラインは床に体を叩きつけた。
「な、なんだ……。今のは……」
 傷は思ったより深くなかったのだろう。
 クラインは傷の痛みに涙を溜めながら、あまりの速度で認識できなかった傷の原因を探るべく顔を上げた。
 いや原因はわかっていた。
 斎藤が持つ刀だ。だが視覚野で捉える事が出来なかった一撃がなんなのかを必死に考える。
 そんな疑問を瞳に浮かべるクラインに、斎藤は再度同じ構えを取って答えた。
「今から約二百年前、日本は動乱の中にあった。当時の国をまとめる江戸幕府と幕府を倒して世界に目を向けるべきと考える維新志士。二つの勢力がぶつかりあい、様々な組織が生まれた」
 話ながら斎藤は刀を鍔を持ち直す。
「そして、これは当時の京都を守護した新撰組・近藤勇が発案した平刺突を、俺の先祖が必殺まで昇華させた技」
 クラインが額に脂汗を流しながら立ち上がった。
 それを確認して、斎藤は容赦無く動いた。
「牙突!」
 横から眺めていれば動きの一部始終を把握する事ができるだろう。だが牙突を受けた被害者は、その常人離れしたダッシュにあたかも瞬間移動を起こしたように錯覚する。それはクラインも例外ではなく、突如目の前に大きく立ち塞がる斎藤に、恐怖の色がはっきりと表面に浮き彫りされる。
「く、来るなぁ!」
 頬を幾筋も涙が流れ、人目も憚らず鼻水が漏れ出す。突進してくる斎藤の視線だけで人を殺してしまいそうな狂気を孕んだ目付きに、クラインは両手を力の限り突き出した。
 その時、斎藤の牙突が突然空中で停止した。
「くっ……」
 斎藤の口が多少苛立ちを洩らす。
 停止した牙突は切っ先を小刻みに震わせ、どれだけ力を込めようとも前に進もうとしない。
「な、何で?」
「サイコバリア……」
 驚くアイリーンに、僅かな力の流れを感知したフィアッセがぽつりと説明する。
「え? でも今は知佳やシェリーの時のように目に見えない……」
「多分……これがあの子の本気……なんだと思う」
 フィアッセにも確証は無い。
 だがサイコバリアは各個人の精神状態が左右し、無意識に発動させるタイプが個人の本気状態と見て間違いない。フィアッセは薄い水色をしたもので、知佳は羽と同じ白い色を放つ。セルフィ達三姉妹ははっきりと新緑を彩る。だから目に見えない――無色のサイコバリアではないかと予測したのだ。
 しかし、予測は的中していた。
 力の均衡で震えていた剣先が刃は負けた。
 意識化のコントロールだけでトラックの衝突に耐え切るサイコバリアに弾かれた刀とカウンター気味に襲いかかった衝撃に、斎藤の長身が枯れ木のように吹き飛んだ。途中で突き出た破片が太股に刺さり、床でバウンドし、壁に背中をぶつけて停止した。
「ふ、あ、あは、あははははは! な、何だよ。やっぱり僕の方が強いじゃないか。ビ、ビビらせて……。フフフフフ! やっぱり僕のが強いんだ!」
 無意識に張り巡らせたサイコバリアによって簡単に飛んでいった斎藤を見て、クラインはそれまで持っていた恐怖心を払拭した。
 そうだ。いきなり斬られたから驚いただけなんだ。まともやればこんなもんだ。大体ただ刀を持っててもアイツは普通の人間なんだ! HGSの僕に勝てる筈が無いんだ!
 拭われた恐怖心は一瞬で人間の上に立つと言う有力種としてのプライドに置き換わり、クラインは狂ったように笑い声を上げた。
「どれだけ強くてもおまえなんかが僕に勝てるわけ無いんだ! 斎藤! 無駄な努力なんだよ!」
 少し頭をぶつけたのか、抑えながら頭を振る斎藤はゆっくりと立ち上がった。と、バランスを崩したように背中が壁にもたれた。どうやら足に破片が刺さっている事に気付いていなかったようだ。不思議そうに自分の足を擦ると、躊躇無く破片を引き抜いた。
「う……」
 動脈か太い静脈を破いてしまったのか、普通では考えられない速度で出血している。その光景になれないアイリーンが顔を背けた。
「その出血じゃもう牙突だかガタゴトだかは使えないだろう! 大人しくそこで死んでな!」
 クラインの顔にはすでに初めて現れた時の余裕が戻ってきていた。
 しかもフィンが完全展開しているので、サイコバリアは現在も継続している。
「ふん……」
 しかし、斎藤はまるで何事もないかのようにまた牙突の構えを取った。
「それは効かないとわからないのか?」 
 今度は斎藤は無言のまま、ただクラインだけを鋭く見詰めている。
「無駄なんだよ! 諦め……!」
 クラインが諦めを見せない斎藤に苛立って、再度大声を出した時、斎藤の牙突が改めてサコバリアに接触した。
 今度は激しい金属同士が摩擦を起こしたような甲高い音を立て、刀ごと斎藤の体が頭からピアノに激突した。
「ふ、藤田さん!」
 CSSで使用しているピアノは全て重量五百キロを超えるグランドピアノだ。ふざけあってぶつかる程度であれば軽い打ち身で済むが、トラックすら弾き飛ばすサイコバリアから飛ばされればどうなってしまうか想像し、フィアッセが悲鳴と一緒に斎藤の名を呼んだ。
「こ、これで死んだだろ? 手を出さなかったら死ななかっ……なぁ!」
 しかしクラインは驚愕した。
 額から流れる鮮血に前髪が張りつき、口からも血筋が零れている。だが斎藤は血液が目に入るのも気にせず、また牙突の構えをとったのだ。
 その姿は見るもの全てを威圧する以外に感覚を与えない壮絶なものだった。
 フィアッセとアイリーンは絶句し、クラインもそんな斎藤に圧倒された。
「な、何で立つんだ! も、もう死んでもおかしくないだろ!」
 その姿はまるでゾンビのようだ。倒しても倒しても起き上がる斎藤に、クラインは本当の意味で恐怖を感じた。
「ふん。敵前逃亡、もしくは諦めると言った行為は新撰組には存在しない。それはつまり士道不覚悟」
 それまで刃と瞳の位置が水平だったが、しっかりと握り締めた柄尻を頭の上まで持ち上げ、刀の切っ先に向けて斜線を描いていく構えに変化した。
「つ、次来たら、本気で……」
「好きにしろ」
 肉体的ダメージは圧倒的にクラインが上だ。しかし、斎藤はあっという間に精神的に優位に立ってしまった。前髪から血が滴り、一切呼吸も乱さずにただ剣を打ち抜く事だけに集中している。
 完全に斎藤はクラインの予測を超えていた。
 普通であればここまでダメージを与えれば、指先を動かす事さえ難しい程の出血しているのは素人目に見てもはっきりと理解できる。だが今目の前に立っている男は、眼光の衰えさえ一切感じさせず、ただクラインを見据えているのだ。
 斎藤の体がゆらりと動いた。
 それがクラインの恐怖限界の堰を切った。
「来るなぁぁぁぁぁぁぁ!」
 問答無用で撒き散らされる力に、アイリーンとフィアッセは目の奥がチリチリと弾けている感覚を受けた。
「これは……」
 すぐにフィアッセは精神感応を発動させる。途端に二人から感覚が消えた。
「フィアッセ?」
「多分、今のが知佳とセルフィに使った予知夢って技だと思う」
「でも今のは心を読む時の感覚じゃないの?」
「HGSはそれぞれ得意分野を持ってるわ。知佳は瞬間移動より物質瞬間移動の方が得意だし、リスティ達は瞬間移動。私はどちらかといえば念動力。それと同じようにあの子が得意としているのが精神感応だとしたら……」
「フィアッセ達が知らないような能力があると?」
「あくまで可能性だけど……」
 自信無さげに俯く。
 力の限界値の関係でカバーできなかった斎藤に、フィアッセは心配そうに視線を送った。

「ここは……?」
 たった今までクラインと対峙していた筈なのに、気付くと斎藤は地平線まで遮る物のない砂漠の真中に立っていた。
 どれだけ首を捻ろうとも一向に目の端に映り込む影はない。
 斎藤は無言のまま歩き出した。
 最初は頭上に輝いていた太陽もだんだんと傾き、何時しか砂漠は夜にの帳が降りた。しかし斎藤は歩みを止めない。
 何度と無く太陽が昇り、月と入れ替わり、そしてまた太陽が昇る。
 そんな日にちを過ごすうちに、斎藤はようやく足を止めた。
「ふん。くだらないな」
 それだけ呟くと斎藤は――。

「な、何で……」
 クラインが驚愕した。
 今まで様々な人間をこの彼だけの特殊能力である『クラインのイメージした世界を相手に現実として認識させる』という精神感応の応用技で再起不能にしてきた。その中には彼のクラスメイトや両親、果ては赤ん坊まで存在する。必ず相手を追い込み、任務を達成していきた彼の文字通り必殺技なのだ。
 だが――。
「所詮はガキか。あの程度で俺がどうにかなると?」
 斎藤は一切の苦痛も漏らさず表情も変えず、ただゆっくりと瞼を閉じて開くと言う動作だけで、クラインが支配する世界から抜け出したのだ。
「どうして! 人間は広い場所で一人になると圧迫感は無くても孤独に耐えきれずに一週間が限界だ! それなのにどうして生きて戻ってこられる!」
 一度構えを解き、胸の内ポケットから煙草を取り出すと、口に咥えた。
「阿呆。砂漠には温度差が存在する。それがたった十度二十度しか変化しないのであれば幻覚以外に考えられない。最初に精神感応の兆候もあった。種はすぐに割り出せる」
「あ……」
 砂漠は上は最大五十度。下は摂氏六十度近くまで気温は下がる。どんな強固な物質でも時間が立てば砂へと崩れさせてしまう温度差だ。斎藤は精神感応とこの実体験から基くデータであっさりと看破してしまった。
 本来であれば相手の心を読むと同時に幻覚を構築。そして相手が一番触れて欲しくない映像としてリアル感を含んで再生させる。この作業が行えなかったのはクラインが斎藤という自分が未だ体験した事の無い存在に恐怖を擦りこまれていた所為なのだが、彼はそれに気付けないほどに心を動転させていた。
 斎藤の手に持たれた煙草が指先で弾かれる。
 軽い煙草は空中をクルクルと回転しながら床へ落ちていく。
 無意識に煙草を追ったクラインの視線の先に、先の柄尻を高くする構えをとった斎藤が映った。
「行くぞ」
 出血の激しい太股から血飛沫が上がる。
 だが一度床を蹴った体は解き放たれた野獣の如く白刃の牙をクラインに向けて突きつけた。
 ギィィィィン! と、力と力が激しくぶつかり合う。
「は、ハハ! そうだ! どれだけおまえが凄くたって、サイコバリアがあれば!」
 すでにクラインの背中はべっとりと噴出した脂汗で服が張りついていた。大声を上げるのは本人も気付かない虚勢だ。
しかしサイコバリアで斎藤の動きが止まっているのも事実である。
と、ここで刀とサイコバリアの接触点で変化が起きた。それまではただ震えていた切っ先から火花が上がり始める。すると、それを気にサイコバリア全体が共鳴したように白く輝き出した。
「こ、これは……」
 火花は何時しか小さな電気となり、バリアの表面を荒れ狂う。
 そして――。

 ピシィ。

 クラインが聞きたくない音が刃の接触点から聞こえた。音は電気と共に広がり、三百六十度包み込んでいるバリアに細かい皹が走った。
「ま、まさか……」
「嘘……」
 同じHGSであるフィアッセとクラインが呟く。HGSの力を行使してサイコバリアが破られるのは理解できる。だが、刀を持つ一般人がサイコバリアを破壊するなど前例がない。
 だが前例など最初からある訳ではなく、偉大な前人がいるからこそ存在するのだ。
「サイコバリア。HGSの念動力で作り上げる硬質な壁。だがそんなもの精神が持ち応えなければ意味は無い」
 切っ先がバリアを抜けた。
「おまえの……負けだ」
 牙突はサイコバリアを突き破り、クラインの腹部を貫通した。



うわー、斎藤強いね〜。
美姫 「この一撃は確実に決まったわよね?」
さて、それはどうだろう。
まあ、詳しくは次話で分かるじゃないか。
美姫 「それもそうね。それじゃあ、次の話に早速行きましょう」
そだね〜。



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