『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
XXT・初めて見るフィンだったんだよ。
誰と言わずとも爆煙によって撒き散らされた埃に咳き込んだ。半分以上の生徒達は未だに床に伏せて身動きすら起こさない。一人一人の血量はは少なくとも漏れ出した血液は細い川を作ってセルフィの靴に染みを作った。
その様子を満足そうに見まわして、金髪の少年は大切な玩具で遊んでいる子供のように笑った。
「ん〜、ちょっと少ないけど十分だよね。刃衛が失敗した分と考えればOKだ」
背にしている緑の羽から光の燐粉を取らして、腕を組む少年に、知佳が一歩前に出た。
「貴方……誰?」
「でもクリステラも二人いるし、別に怒られないかな」
「誰って聞いてるのよ!」
一人でぶつぶつと呟いている少年に、知佳が怒りを露にした瞳できつく睨みつけた。
だが少年はそれでようやく知佳が自分に向けて怒っている事に気付いたかのように視線を向けると、まるで純真無垢な瞳を笑顔で柔和なカーブを作った。
「ああ、TE−01エンジェルブレスか。邪魔だからどいててくれる?」
近寄ってきた蚊を払うように手を振る少年に、知佳は表面よりも遥かに落ちついた心で観察を開始した。
真中で分けられた短い金髪の下から覗くクリスタルブルーの瞳に、肌にぴったりとフィットするタイツ風のズボンと掌まで隠れる見るだけでサイズが合っていないのがわかる、首と肩、そして手首に青いラインを入れた白いシャツとジャケットの中間のような上着を着ている。
だが最も目を引くのは背中に展開しているリアーフィンだった。
リアーフィンとはHGS患者特有のもので、能力を使用する時に各自の意思で展開する事が出来る羽の名称だ。昔の人はフィンを展開した人を見て天使や悪魔を想像したとも言われている。
HGS患者であればフィンは珍しくない。知佳もセルフィも持っているのだから。だが少年のフィンは違った。
フィンは基本的に鳥類の羽と告示した形状をしている。それは能力と各自の精神力を反映し様々な種類を持つのだが、昆虫型のフィンは現在まで三種類しか報告されていない。リスティ、フィリス、セルフィの蜻蛉型リアーフィン・トライウイングス。甲虫型リアーフィン・アイアンサレット。バッタ型リアーフィン・ジャンクロイプス。
だが少年が展開しているフィンは蝶の形をしている。
それはつまり報告されていない四つ目のフィンが発見された事になる。
「君、アタシ達に用みたいだけど、何の用?」
フィアッセを抱きしめるように体を起こしたアイリーンが猫科のように吊り上げた目で少年を睨み上げた。
「さあ? 僕は知らないんだよ」
「知らないって……じゃあ何でいきなりこんな事を!」
「知らないって。頼まれただけだからね。クリステラの一戦級を全部集めろって」
人を小馬鹿にするように肩を竦める少年から零れた、何気なく飛び出た言葉に知佳が反応する。
「頼まれた?」
「……少し喋り過ぎたようだね」
それは禁句だったのだろう。
少年の顔から笑顔が消え、目がすうっと細くなる。そしてそれまでどこか遊んでいる雰囲気を吐き出したのが、途端に重苦しい重圧感を備えたものへと変化した。重圧感は威圧感となり、室内に広がった。
「う……あ……」
知佳でさえ言葉失う威圧感に、通常人であるアイリーンとフィアッセ、そして他の生徒達も高山に登ったような息苦しさに喉を抑えた。
「さて、静かになったし二人を連れてくか。そうしたら一人じゃなくなる」
「え?」
「同期だったっけ? 一緒の方がいいだろ?」
そう言って少年は手を振った。すると天井付近に澱んでいた縛煙が一箇所だけ切り取られたように円形に場所を空けた。
その空いた場所を見て、フィアッセは悲鳴を上げた。
「ゆ、ゆうひー!」
そこには力無く手足を垂らし、固く瞼を閉じたロンドンで公開録画をしている筈の椎名ゆうひが浮かんでいた。
「く! こいつらどこから……」
背後からナイフを振りかぶった男の肩に銃弾を撃ち込んで、エリスは舌打ちした。
左右から同時に襲いかかってくる男二人を前に転がって避けると、そのまま前方で処理しきれない男達に囲まれた部下の援護で数発発砲する。おかげで危機を脱した部下は、体制を立て直すためにエリスに駆け寄った。
「す、すいません!」
「それはいい! 残りはどうした!」
「各自応戦中です! ですが、この数ですので……」
そんなのはわかってる!
そう怒鳴りたいところを必死に堪えて、数少ない予備弾層を空の弾層を交換した。
最初は突然CSSから煙が上がった事だった。無線で連絡を受けて向かおうとした拍子に、まるで空気中に湧いてきたように百人近い武器を手にした男達が襲いかかってきたのだ。エリスが斎藤の進言で連れて来た人数は二十人程度。予備弾層を考えても圧倒的に不利なのだ。
「それでも! 早くフィアッセのところに!」
心がざわめくのを抑えて、エリスはまたトリガーを引いた。そのたびに増えていく死体と怪我人に顔を顰めながら、必死にCSS校舎へと近付くように移動していく。飛び道具を襲撃者達が持っていないのが不幸中の幸いだが、それでも襲いかかってくる肉の壁は次第に彼女達を追い詰める。たかだが数丁の銃では限界があるのだ。
「エ、エリスさん……このままじゃ……」
「わかってる。わかってるけど……」
急ぐ気持ちに足止めを食らう体が情けなくて、エリスは唇を強く噛んだ。
間合いを詰めた襲撃者達が一斉に速度を速めた。様々な角度から飛び出す凶器にエリスと部下は覚悟した。
耳元で肉を貫通する不快な音が響いた。
だが一向に感じない痛みに、無意識に閉じていた瞼を開けると……。
「ふん。十人は倒したか。十分だな」
襲撃者を三人もまとめて串刺しにしている斎藤が、返り血を拭いもせずに立っていた。
「ハ、ハジメ……」
「これ以上は役立たずだ。そこで大人しくしていろ」
口と手を同時に動かし、標的を変更した襲撃者を切り刻んでいく。その表情は無感情で一切の慈悲など持ち合わせていない、ただ振りかかる火の粉を払う如く刀が煌き、刀に貫かれ、刀に斬られ、そして地面の緑を朱く染めていく。
その姿はまるで……。
「まるで……悪魔……」
そう、ただ地獄へ人間を叩き落すためだけに存在する死神にエリスには映った。
「すごい……」
たた一人でエリスと部下が二人がかりで倒した数を追い越し、あっという間に駆逐していく。特に二人の目を引いたのが左手で柄尻を握り、右手を銃で言う照準のように剣先にあてがい、一気に貫く突きだ。例え一人だろうと突き出し、そこから刃の方へ切り裂いて行く突きは、銃など問題ではない破壊力をまざまざと見せつけた。
そして立った三分も立たないうちに、エリス達を襲っていた連中は全員ただの蛋白質へと変貌していた。
「あ……三分……しか……」
「し、信じられない」
「武器も動きも素人だ。まぁこんなもんだろう」
大振りに空振り。そして整っていない足元によろめく人間と、闘い慣れている人間では雲泥の差があるのは理解できる。だが、ここまでの圧倒的な実力差を持っていようが出来るとは思えない。しかし斎藤は多少息を乱しているが傷一つなくやり遂げてしまった。
体からではなく心から恐ろしさに震えて来る。
実際はそれに加えて何故か一直線に斎藤に向けて走ってくるだけなので、一回刀を振るうだけで一度に四人は倒していたからだ。
「さて俺はこのままCSSへ向かう。おまえ達は警察に連絡し、こいつ等の処理をしておけ」
額に落ちてきた髪を手で整え、斎藤はくるりと背を向けた。
「ちょ、ちょっと待って!」
その背中をエリスが引き止めた。
「何だ?」
「あたしも行くわ」
「邪魔だ」
一言で斬り捨てる斎藤に、エリスは震えを抑えきれないでいた。
しかし脳裏に浮かんでくるのはあの出来事。
父親がアルバート=クリステラ議員のパーティの夜。その日のエリスのお目当ては美味しい甘い御菓子とそして幼馴染との再会。幼馴染の父親は優しく、そしてボディガードに雇われていた男性はいつも退屈そうな彼女と幼馴染を楽しませてくれた。だが、そんな大切で楽しい日々は、たった一発の爆弾で終焉を迎えた。彼女の父親は負傷したものの別に大きな怪我は無く、亡くなったのはたった一人のボディガードだけだった。そして爆弾を運ばされたのは彼女本人だった。
最初に気付いたボディガード。逃げ惑う人々。足が竦んでしまった彼女は一番爆弾の側にいた。そんな彼女にボディガードだけが気付いた。まるで瞬間移動したかのように彼女の目の前に来たボディガードは、彼女を抱えようとして愕然とした。振り返った先に彼女を助けるために幼馴染が走っていたのだ。その距離は余りに中途半端で、そして絶望的だった。
ボディガードは意を決したように幼馴染を抱き上げると、子供二人を抱えるように身を丸めた。
彼女の記憶はここで一旦途切れる。
次に気付いた時、目の前には凄然とする室内と泣き止まない幼馴染。そして体中を破片で貫かれながらも笑顔で横たわっているボディガードの姿だった。
その時から決めたのだ。
どんな事があっても彼女を守ると。死んでしまったボディガードが笑顔で死んでいった理由と幼馴染であるフィアッセを守ると。
「だから……あたしは……行かなくちゃいけない!」
「何が『だから』なんだ?」
「それこそ貴方には関係無い。だけど、フィアッセはあたしが守る!」
何時の間にか震えは消えていた。
代わりに絶対に守り通すという挫けない決意だけ。
しばし斎藤とエリスの視線がぶつかり合った。
だが、そのうち斎藤が小さく嘆息すると、苛立たしげに頭を掻いた。
「勝手にしろ」
「あ、ああ!」
「但し、一切助けないからな」
懐から取り出した和紙で刀の血を拭うと、斎藤は一人で歩いていく。その後ろをエリスは固い表情のまま着いて行った。
おお、斎藤の出撃か。
美姫 「次回はいよいよ斎藤とあの少年の対決なのかしら」
それはどうだろうね。
シェリーや知佳たちもいるし。
美姫 「事態が物凄く緊迫していく中で、再び次回!」
ぬぐおおぉぉ。少し暴れつつ、次回を待ちましょう。
美姫 「では、またまた〜」