『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』



XI・海鳴中央病院

 東側に作られた窓から、朝日の心地良い日差しが閉じられていた剣心の瞼を優しくノックした。
「ん……」
 おかげで三日ぶりに落ちていた暖かな闇の中から意識を浮上させた。
 二日続けての徹夜、しかも戦闘の疲れを取るにはいささか短いが、それでもようやくとる事の出来た纏まった睡眠に、大きな欠伸をしながら体を起こす。
「起きたか?」
 と、隣から聞きなれない声がして、剣心は視線を動かした。
 そこにはパジャマを着て、剣心と同じようにベットで上半身を起こして新聞に目を通していた。
「ああ、海鳴に来てようやくまともに寝たよ。今何時?」
「まだ十時前だ。だが朝食は片付けられてしまったからな」
「まぁ、それは仕方ないか……」
 別段お腹が空いてる訳ではないが、それでも失った血液の分は栄養を補給しなければならない。しかし、無い物を強請ったところで状況が変わる筈もなく、仕方ないので再度寝直す事にした。
「それじゃ寝直すよ。昼飯が来たら起こしてもらえるかな?」
「ああ」
 一言返事をもらうと、剣心は改めて毛布をかけ直した。
(まぁ、これだけ落ちつけるなら珠には入院もいいかなぁ)
 そんな不遜な思いを内心で呟きつつ、剣心は海鳴中央病院・一般病棟のベットの上で二度寝に突入した。

 昨晩……と言っても太陽の頭がようやく水平線から見え始めた頃、剣心と恭也は海鳴中央病院に運び込まれた。
 霊障は那美と十六夜の力で回復させる事ができたのだが、流れ出してしまった血液と物理的についた傷は塞ぎようがなく、真一郎と薫が運転する車でそのまま病院へ直行となった。
 口をきくのも億劫になっていた剣心は素直にベットに横になったのだが、中途半端に体力が有り余っている恭也は、最後まで入院はしないと抵抗し、高町家お抱えと言っても過言ではない担当医・フィリス=矢沢の手によって強制入院となった。
 しかし口では強がりを言っていた恭也も、フィリスの治療が終わった後、深い眠りに落ちていた。
 待合室で待っていた五人は、明日改めて見舞いに来る事にして帰宅し、剣心はようやく眠りから覚めたところだった。
 バランスはいいのだが味付けが薄く口当たりが悪い昼食を食べ終えて、剣心はやっと一息ついた気分になった。
 隣を見ると同室の恭也は何時の間に持ち込んだのか、『盆栽の友』という雑誌を真剣に読み耽っている。
 特に趣味もなく、文字の類が苦手な剣心がこれからの時間をどう潰していくか思案していると、ドアが開いて銀色のストレートヘアが綺麗な女医が入室してきた。
 これでも二十代半ばなのだが、外見は十代前半に見ようによっては見える童顔に、少しでも大人っぽく見せる必死の抵抗だろうが、白衣の下にシックな赤系のカッターシャツにミニスカートを履いているが、これがまた微妙にミスマッチを起こしている。
 実は看護婦内で今日のフィリスファッションチェックという、本人にだけトップシークレットの引かれたイベントが毎日行われ、めでたく本日のファッションは今までの最高得点をマークしたのは、剣心も恭也も知らないが。
 とにかくそんなフィリスが病室に来て、剣心と恭也は同時に彼女を見た。
「こんにちわ。恭也君と緋村君」
「こんにちわ、先生」
 フィリスに合わせる剣心に、恭也は軽く頭を下げて挨拶を交わすと、フィリスは二人のベットの間に腰を下ろして、白衣のポケットから聴診器と体温計を取り出した。
「先に恭也君の検診をするから、その間に体温を測っておいてね」
「了解です」
 フィリスの手から体温計を受け取ると、素直に脇の下に入れる。
 緋村君くらい恭也君も素直だと嬉しいんだけど。と、聞こえる呟きを意識的に無視して、恭也もパジャマを脱いだ。
 バランスの良い筋肉の着き方をしている恭也の傷の付近を、少し冷たさを感じる皮手袋のしたまま触れる。腫れ上がった筋肉はすでに薄皮一枚で付着しており、多少の熱は持っているが、特に変わった様子は見受けられなかった。
「うん。この調子だと明日には退院できますね」
「そうですか」
 さすがの恭也も経過を聞かされるまでは安心はできなかったのだろう。フィリスの結果報告にほっと息をついた。
「でも鍛錬は最低一週間禁止です」
「え?」
 そうは問屋が卸さなかった。
「傷の具合から、暫く引っ張られる感覚も残りますし、皮膚と筋繊維が繋がるまでは最低三週間は必要なんです。三日置きに診察に来てください。その結果によっては鍛錬の禁止が伸びるので、飛針を投げるのも禁止です」
「……はい」
 瞳を閉じて指を振りながら力説するフィリスには絶対に勝てない事を悟っているので、大きく溜息をつきながら、渋々恭也は頷いた。
 その様子に満足げに笑みを零すと、くるりと体を回転させて剣心へと顔を向けた。
「一応、昨日も自己紹介はしたけど、改めて。私はフィリス=矢沢。しばらく貴方の担当医になります」
「御手数かけます」
 いえいえ。と、可愛らしいソプラノボイスで笑顔を見せる彼女に、ドキッと胸を高鳴らせるが、純粋無垢な瞳に、大きく頭を振った。
「どうしました?」
 突然目の前で頭を振り出す剣心に驚いたフィリスに、何でもないと促して貫通した肩と計り終えた体温計を差し出した。
「熱は……ああ、やっぱり骨に皹が入っていたので発熱してますね。微熱ですけど」
 体温計に表示された体温を見てカルテに書き込むと、続いて傷の具合を見る。
「ん……やっぱりこっちも腫れてますね。骨に異常がない分恭也さんの方がマシですね」
 いつもなら美由希と比較され徹底的に鍛錬を禁止された上、整体という地獄の拷問が待っているのだが、今日は剣心という上手が居たのでフィリスに隠れて恭也はガッツポーズを取ってみた。
 横で検診の筈なのに楽しそうなフィリスの声に、少し寂しい風が吹いたが。
「でも、緋村さんも筋肉の付き方がいいから、骨が痛んでも筋肉でカバーできますね」
「はぁ……。で、どれくらいで退院できます?」
 さすがに入学二日目にして長期欠席は、勘弁したい剣心が恐る恐る問い掛けた。
「そうですね。順調なら日曜日にでも退院して大丈夫でしょう」
 徹夜の所為で曜日感覚がなくなりかけていたので、壁にかかっていたカレンダーに視線を移すと、今日は木曜日だった。とりあえず明日休むだけで退院できるのはありがたい事である。
「後は経過を二日置きに見せに来てもらえれば、一月から二月でギブスも外せます」
「あ、そんなもんですか」
「はい。でもそれも筋肉がしっかりとしているからです」
 包帯を巻き直しているフィリスに、女性の免疫が極端に薄い剣心の頬は無意識に赤く染まっている。
 しかも大人を意識した服装のため、微妙に開いた胸元から見える白いフリルに更に顔を蒸気させる。すぐにそういった局部に視線が惹かれるのは健全な青少年のとも言えなくはない。
「そういえば、事のあらましは大体薫さん達から聞きましたけど、緋村さんも剣術を?」
 そんな邪な事を思われているとは気付かず、フィリスは包帯を金具で止め終えると上目遣いに剣心を見た。
「え! あ、そ、その! 実家が道場を開いてまして、そこで……」
「剣術ですか?」
「はい。神谷活心流って言います」
「神谷活心流? 飛天御剣流じゃないのか?」
 聞くつもりはなくても聞こえてしまう距離で、盆栽の友の続きに目を通していた恭也が流派名に反応して顔を上げた。
「確か……前は飛天御剣流と言ってなかったか?」
「開いてるのは神谷活心流なんだけど、ちょっと俺の実家はちょっと変わってて、道場を継ぐのは女なんだよ」
「普通は男性ですよね?」
「ええ。何でも明治始めの師範代を勤めていた時が合って、それから段々とそうなったみたい」
「それじゃ飛天御剣流と言うのは?」
「そっちは男にしか教えられない剣術だって」
 これは父親から聞いた話である。
 妹と従姉妹が母親から活心流を習っている間、剣心は祖父に連れられて幼少の頃から二本全国を連れて回され、その中で殆ど実戦同様に飛天御剣流を教え込まれた。それでも中学に入ってからは長期休み以外は連れ回される事はなくなった。
 そんな全てを諦めきった様子で語る剣心に、恭也はたらりと頬に一筋の汗を流し、フィリスも苦笑を浮かべた。
「何?」
 大体この話をすると同情が帰って来るのだが、今まで見た事のない反応に剣心は眉根を寄せた。
「いや、まさか俺以外に悲運な道を歩いている奴がいるとは思わなくてな」
「はぁ?」
「実は恭也君も御父さんが亡くなるまで、剣の修行として日本全国を旅していたそうなんです」
「嘘?」
「残念ながら事実だ」
 常に父親の我侭に付き合わされ、万年金欠病に苦しんでいた過去を思い出し、恭也の横顔に哀愁が浮かんだ。
 そんな恭也にまた苦笑を洩らうフィリスだった。
 と、その時扉がノックされた。
「どうぞ〜」
 フィリスが二人の代わりに返事をした。
 からからと滑車の回る音と共に扉が開かれ、その向こうから顔を覗かせた人物に剣心は大きく体を滑らせた。
「な! な! な! な! な!」
 ぷるぷると震える指を付きつけて、言葉にならない声で入ってきた人物を見た。
 あまりに突然な剣心の変化に、恭也もフィリスも呆気に取られている。
 入室してきた人物は小さく一度頭を下げると、徐に剣心を睨みつけ、激しく床を踏みしめながら近づき、背中にどす黒いオーラを発しながら驚く剣心を見下した。
「何でおまえが来るんだ! 相楽!」
「それはこっちの台詞だ! 何でおまえの見舞い担当にならなきゃいかんのだ!」
 制服姿に手には翠屋のシュークリームとしまやの水羊羹を片手に、相楽夕凪は剣心の胸倉をつかみ上げた。



投稿ありがと〜。
美姫 「剣心たちは入院みたいね」
だね〜。
美姫 「浩は入院した事がないから、病院がどんなに退屈か分からないでしょうけど」
失礼な奴だな。
美姫 「じゃあ、あるの?」
健康なのは良い事だと思うぞ。うん。
美姫 「はいはい。それよりも、お見舞いにきたのが夕凪ってことは」
ああ、また一騒動起こりそうだな。
美姫 「次回も楽しみ〜」
では、次回を待ってますね〜。
美姫 「まったねー」



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