『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
Z・パーティ
その日、野々村栄治は上機嫌を通り越して極楽機嫌だった。
それも納得できる。
長い間息子に欲しいなぁと思っていた青年が、長い留学期間を終えてようやく海鳴に戻ってきた。しかも、四年前は中止になった娘との結婚式を挙げて、海鳴に店を構えると言う。こんなに嬉しい事はない。青年の両親は長く海外へ赴任しているため、結婚後は栄治と一緒に暮らしてくれる事になっていた。四年前に同じマンションでも部屋数が二倍の最上階へ引っ越した。結局主もなく四年間埃を被る事になったが。
その後、友人から一人の高校生を預かって欲しいと頼まれて、剣心を空き部屋の一つに住まわせる形となり、娘夫婦と居候と合わせて四人家族となった。
長い間娘には母親がいない事で寂しい思いをさせていると薄々感じていたが、ようやくそれも終わりを告げる。部屋で一人、寂しさから泣かせる事もなくなるのだ。
普段のダイニングではなくリビングに並べられた料理の数を見て、栄治は肩の荷が下りた事を実感した。
「お父さんも座ってて」
キッチンから娘の小鳥が四年間見せた事のない笑顔を見て、しみじみとしていた栄治は頷きながらソファに腰を下ろした。
「ふわぁ……」
隣では、ついさっきまで部屋で睡眠をとっていた剣心が、まだどこかぼうっとしながらも、昨日に続いての豪勢な料理に何事かと見回している。
そこへ小鳥と青年――真一郎が最後の料理を手にやってきた。
「お待たせ〜」
「お待たせしました」
ホームパーティらしくイタリアを中心とした地中海料理がテーブルからはみ出るほど並べられ、二人も腰を落ちつけた。
「さて、正式なパーティは後日行うとして、今日は身内だけのパーティとしよう」
栄治の号令に小鳥と真一郎は自分の前に置かれたグラスを手にした。
ただ一人を除いては。
「あの、俺、何がなんだか全くわかんないですけど……」
徹夜明けで、気付いたら入学式も終わっており、しかも早々に帰宅しようとしたらクラスメイトの相楽夕凪に拉致同然にクラブ見学に連れまわされ、結局マンションに着いたのは夕方四時を回っていた。それからすぐに部屋でベットに倒れこみ、気付いたら目の前の状態になったリビングに連れ出されていた。
これで理解している方がおかしい。
「あ、そっか。剣君には話してなかったね」
「はぁ」
「実は今日は小鳥と真一郎君の結婚記念パーティなんだよ」
「結婚……ってええ!」
「なぁ小鳥、まさか何にも話してないのか?」
「え〜っと、あ、あはは。昨日色々あって……」
確かに落ちついて話をする間もなく初日から警察沙汰で徹夜をしたのだから仕方がない。
「それじゃ自己紹介からか。初めまして。俺は相川真一郎。フランスに留学してて今日帰って来たばかりだ」
「あ、ども。緋村剣心です。風芽丘学園の一年です」
一見ボーイッシュスタイルの女性と見間違えるような、可愛らしい顔立ちの真一郎に笑顔を向けられ、少しだけどきまぎとしながら自己紹介をする。
「でも留学ですか」
「うん。パティシエの勉強で、向こうから呼ばれたんだ」
「それは凄いですね」
「そうでもないよ。小さい頃から小鳥に料理を教わって、興味があったから御菓子作りを初めて……まぁ、小鳥がいなかったらやってなかったんだよ」
言いながら隣に座った小鳥を見つめる。
彼女も恥ずかしげに頬を染めた。
何となく、そんな二人を見て、剣心は妙に暖かい気持ちになっていた。
「とりあえずパーティを始めよう。冷めたら折角の料理が台無しだ」
「あ、そうですね」
「改めて……二人の結婚に」
四つのグラスが高く持ち上げられ、乾杯の一言が綺麗に唱和された。
「そう言えば相川さんってロリ……」
「違う!」
全否定されても、小鳥を選んだ真一郎の言葉は真実味がなかった。
海鳴の夜は遅い。
東京や大阪と言った大都市に比べれば、遥かに早いが、それでも地方都市の中では遅いだろう。
深夜三時を過ぎても中心部は華やかなネオンが煌き、道行く人は後を立たない。そんな駅前を相変らず黒いシャツの黒いメンパンに、黒いロングコートを着た恭也と白のピンクのタートルネックサマーセーターの上に白のジャケット。そして茶色のキュロットスカートという出で立ちの美由希は歩いていた。
もちろん理由は一つ。
昨晩起きた通り魔の捕縛だ。
夕方の修練の後、恭也はこれ以上隠しても仕方がないと、リスティから聞いた全てを美由希に話した。
まずリスティの情報についてだが、内容は至ってシンプルで御神流に恨みを持つ輩が海鳴に入ったと言うものだった。情報の出先は不明。朝一で出勤したリスティの元へ手紙の形で届けられていた。差出認不明。消印が押されていない事から、自ら手紙を届けに来たらしい。だが入り口を見張る監視カメラにはそれらしき人影は映っていなかった。
とにかくリスティの元へ入ってくる情報は、レベルの差はあれど信憑性が高いため、恭也は話を聞いた昨日昼より町を巡回していた。時刻は夕方から夜になり、そろそろ帰ろうかと思っていた矢先に……。
「緋村さんに会ったと」
「ああ。俺もあまりに突然聞こえた悲鳴に、小太刀を抜いたのがいけないんだが」
「どこに誰がいるのかわからないんだもん。仕方ないよ」
闇討ちの定石はどれだけ自分の気配を消せるか? にある。そのために様々なものを使って相手の意識を逸らし、そして倒す。
リスティの情報通りであれば、恨みを持った者が近くに潜んでいた可能性もあった。恭也の選択は間違っていなかったと言えよう。
「でも少し軽率だったんじゃない? 恭ちゃんなら相手を認識してからでも抜くのは遅くなかったんじゃない?」
酔って美由希に抱き着こうとする酔っ払いを蹴倒している恭也に、憮然としないものを感じて美由希は質問した。
「確かにな。だが、一瞬だけだが殺気の残り香のようなものを感じたんだ。本当に微かに」
「殺気の残り香……」
「一つだけはっきりしたのは、間違いなく御神流に恨みを持つ者が存在するという事だ」
二人はそのまま駅前から、茅場町へと入った。
深夜も三時を過ぎた時刻に、住宅地を歩くものは誰もいない。
時折遠吠えが聞こえてくる以外に、音すら聞こえなかった。接触不良を起こしている白色電灯が点滅している。
「恭ちゃん、もう今日は現れないかな」
「そうだな……」
夜の修練を中止して見まわりを始めてすでに五時間は経過している。それにまだ春先とは言え、もう二時間もすると東の空が白み始める。
「風校を経由して帰るか」
「うん」
明日は恭也も美由希も大学の講義がある。
家に着くのが四時頃と仮定しても、二人が通う海鳴大学まではかなり時間がかかる。準備の時間と多少の疲れを癒す時間を除けば、限界の時間だった。
「また明日、だね」
「ああ。もしかしたら矢後市の方面まで足を伸ばさないといけないかもしれない」
「そうなると手分けしないと厳しいね」
矢後市は海鳴市の隣に位置する市だ。面積は海鳴と同等のため、手分けする以外に方法はないのだが、一つ問題がある。
「ただ、人手が足りないな……」
「リスティさんのところから回してもらえないの?」
「今のところ一つ通り魔事件が起きただけだ。裏の取れていない情報に人を動かすのはまず無理だろう」
「地道に二人で頑張るしかないのかぁ」
体力は日々の修練で自信があるとはいえ、一つの市を隅から隅まで探索するのは溜息が漏れる。
「仕方ないさ。本当に相手が御神流に恨みを持つなら、俺達がどうにかしなくちゃならないんだ」
「わかってるよ」
テロで死んでしまった御神と携わる全ての人々が、己の魂をかけて守ってきた御神流。その威信を地に落とす事だけは阻止しなければならない。
だからこそ、美由希は決意を込めた瞳で頷いた。
ちょうどその時、二人は風校の前にさしかかった。
「恭ちゃん……」
珍しく最初に気付いたのは美由希だった。
「どうした?」
立ち止まった美由希に振り返り首を傾げた恭也も、肩をぴくりと反応させて風校の校庭を見た。
「感じない?」
「いや……十分だ」
そう呟くと、鉄の檻の門を一足飛びで飛び越えた。
校舎から零れるのは非常口の緑電灯に職員室と見回りように付けられた蛍光灯が、有機物でありながら無機質な質感を照らし出している。踏み固められた土は白っぽい茶色に色づけられ、一切の凹凸を排除した平面を恭也と美由希の前に曝け出していた。
そしてどこにも隠れる場所のない校庭の中心に、それは無造作に立っていた。
時代錯誤と言って申し分ない侍のような服装に、腰にさした一本の日本刀と脇差。だが、そんな服装から完全に浮いているのは、フランスのサスペンススリラーオペラ座の怪人のような銀色に光るマスクだった。
「貴様、何者だ?」
一本だけ小太刀を抜き、油断なく恭也は男へ近付いていく。
美由希も門を飛び越えると、彼の邪魔にならないように左へ移動した。
「ン〜フフフフフ。ようやく、ようやく会えた」
高町兄妹にゆるりと視線を送りながら、その男は不快感を与える以外に意味合いを感じさせない野太い笑い声に、恭也は無表情に、美由希はあからさまに顔を歪めた。
「何者だ? と、聞いている」
「ン〜フフフフ、せっかちだなぁ。高町恭也ぁ」
「……そうか。貴様がリスティさんの話の……」
「しかし、明治からこんなにも世界が変わるとはぁ、予想を遥かに上回っているわ」
まるでつかみ所がない……。
恭也はそう感じた。
意識は確実に二人を捕らえているのに、まるで遊んでいる子供のような不安定さを思わせた。
(試してみるか)
一度浅く息を吸い込み、一気に肺に溜まった空気を吐き出した。
瞬間、恭也の足元から震えた大気が円形に広がっていき、舞い上がった髪の隙間から覗く瞳が殺気の篭った眼光を叩きつけた。
「キャァ!」
突然恭也から巻き起こった殺気と剣気に、男を意識の中心に置いていた美由希は思わず小さな悲鳴を上げた。
剣気と殺気を混ぜた気は、焼き進む矢の如く速度で大気を切り裂き、男へと刹那の瞬間で到達した。
しかし気は男の髪を小さく揺らめかせただけで、まるで意味をなさなかった。
「中々心地よい剣気だぁ。久々に楽しめそうだぁ」
剣心にぶつけた時より遥かに研ぎ澄ました気を平然と受け流され、恭也はもう一本の小太刀を抜き放った。
「美由希、離れてろ」
「恭ちゃん?」
「こいつは……強い」
神速とは違うスイッチがかちりと頭のどこかで切り替わるのを感じながら、恭也は二刀の小太刀を逆手に構えた。
「ン〜フフフフフ。さぁ、楽しいパーティの開幕だ」
男はのんびりと言った形容詞が似合う速度で紫に輝く刀身を抜いた。
おおー。遂に黒幕が現われましたね〜。
美姫 「果たして、彼は何者なのか」
そして、他に仲間はいるのか。
明治というからには…。
美姫 「ええ。とりあえず、続きが待ち遠しいわね」
うん。前半はほのぼのだったけれど、後半は急展開。
まさに目が離せませんな〜。
美姫 「次回をワクワクしながら待ちましょう」
おう!では、また次回で。
美姫 「待ってま〜す」