『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
U・神速対神速
「何やってる!」
剣心は心の底から湧きあがる怒りを露にして、男に怒鳴りつけた。それで男も気付いたのか、弾かれたように顔を上げ、すぐさま剣心の方へ振りかえった。
前髪が目に少しかかる程度の長さを持つ漆黒の髪に、綺麗と形容して差し支えない整った顔にほんの少しだけ驚きを浮かべながらも、冷静さを失わない瞳で剣心を見ている。一瞬体が無いように見えたが、それは上下ともに黒一色に統一された服装をしていると勘違いを正した。
「何やってるって聞いてるんだ!」
見つめられ続けて、しばしの時が流れた後に口を開かない男に向けて、剣心は再度声を上げた。
しかし、男から返ってきたのは、感情の起伏が乏しい眼差しと、持ち直した為響いた鍔鳴りの音。
「答える気がないなら、答えさせる」
「……今、この状況で真実を語って、君は信じられるか?」
「いや、無理かもな」
竹刀袋の口をしばっていた紐を解くと、剣心は腰に当てて居合の構えを取った。
「俺も立場上捕まる訳にはいかないんだ」
男も右手の小太刀を脱力したように下げ、左手の小太刀の切っ先を剣心に向けた。互いに前傾の姿勢となり、意識を戦闘態勢へと移行させる。
どれだけ時間が過ぎただろうか?
いや、時間だけ見ればただの数秒にもみたなかった。だが対峙する二人にとって、永遠にも等しい時が流れ、周囲の家々の庭に植えられた木々の木の葉が、二人に反応したのか風もないのにざわめいた。
そしてざわめきが収まった瞬間、二人は同時に動いた。
初撃は男の小太刀だった。同時に前へ出たため五メートルあった距離が一足飛びに互いの間合いへ入りこんだ。切っ先を地面へ向けていた小太刀を切り上げた。
しかし剣心は一撃を袋の鞘部分で防ぐと、そのまま袋を横に薙いだ。だが男は初撃の手応えに気付いたのか、残された小太刀で二撃目を加える事もなく距離をとるべく後方へ飛び下がった。
「その竹刀袋の中は……刀か?」
初撃を受け止められた時、鉄棒に刃を立てたような鈍い感触と金属音が響いた。まだびりびりと痺れの残る手で、小太刀を握り直し、男は目の色を変えた。
「この女性を襲ったのはおまえか?」
「俺は今ここに来たばっかりだ」
「だが、一度現場を離れ、再度発見者を装って俺が来たのを確認して現れれば辻褄はあう」
「俺には出来ない」
「どうやら、話を聞かなければ行けないのは俺じゃなくて君のようだ」
すぅっと男の目が細まった。瞬間、大気を伝って剣心の肌に突き刺さったのは、研ぎ澄まされた殺気。
目に映らない素人であれば針の筵によって数分で機が狂うであろう強烈な気迫に、剣心もさすがに半歩後退した。
「今ならまだ穏便に済ませよう」
気迫負けしないように、剣心は意識して後退した半歩を超えて一歩前に歩み出た。
竹刀袋から黒塗りの鞘を引き抜き、再度腰に刀を当てた。
「そっちこそ、警察に行くなら今のうちだ」
しかし男も一歩も引かず、同様に前に出る。
そして二度目の接触は始まった。
またも動き出したのは男だった。先程と同じ構えから今度は袈裟切りに左の小太刀が振り下ろされる。だが剣心はそれをボクシングで言うスゥエーバックで回避すると、刀の鞘を叩き付けようと右手に力を込める。
くるりと背中を向けた男に抜刀しかけて、不意に頭横に生まれた悪寒に、慌てて剣心は頭を抜刀の勢いに任せて体ごと下げた。途端に頂頭部の髪を数分切り落として、白刃が駆け抜けた。
男は左の小太刀を回避される事を見越して、剣心の一撃が入る前に遠心力をプラスした残った小太刀を叩きつけようとしたのだ。
だが剣心は本能のみで避けた。
その場にしゃがみ込んだ形になった剣心は、膝のバネを生かして飛び上がり様に鞘を突き入れる。男の体は二度の空振りによって完全に流れていた。常人であれば避ける事は不可能な一撃である。
しかし――。
「なっ!」
男は常人ではなかった。
突きが男の鳩尾に入る直前、男は三撃目を剣心の肩に叩きつけた。
それは剣撃ではなく、力の篭った蹴撃。小太刀を中心とする動きしていたため、小太刀を技とする攻撃しかこないものと思い込んでいた剣心は受ける事もできずに、まともに吹き飛んだ。
「ぐあ!」
力の篭った一撃は剣心の小さい体をあっさりと壁に叩きつけた。
ずきずきと撃ちつけた左半身が鈍く痛む。だが痛みに意識を向けている暇はなかった。風を切る鋭い音が耳朶を打った。反射的に首を捻る。直後、耳のすぐ横で何かが刺さる音がし、続けて目の端に引っかかった煌く刃から逃れるため、柔道で言う前受身のように転がり、男から距離を取った。
「飛針か」
一体どこから取り出したのか、壁には十五センチ程の針が鋭く突き刺さっていた。
(こいつ、小太刀の剣術かと思ったら、剣術を主体とした暗殺術……いや殺人術か)
遠距離攻撃で足を止め、一気に接近戦で命を絶つ。まさしく忍者と言っても遜色ない動きに、剣心は内心舌打した。
(多分、まだ何か隠してる武器はあるだろう。だけど……)
剣心は痛む体を堪えて、再度居合の構えを取った。
「居合は剣の結界とも言うべき範囲に敵が踏み込んでこその技。遠距離から攻撃できる俺には効かないと思わないのか?」
居合の効果など男に言われずとも剣心は理解していた。
「わかってるさ。でも、俺の居合は普通と違う……んだよ!」
できるだけ前に重心を移動し、意識を抜刀の一点に集中させる。
男もそんな剣心の気に気付き、男も小太刀を構えた。
二度目の永遠が周辺の空気を冷たく神聖なものへと変化させる。
そして――
「行くぞ!」
限界まで引き絞られた弓の弦が解き放たれた。
第一歩を踏み込んだのまでは男にも見えた。だが、二歩目を確認するより先に、剣心の姿が掻き消えた。いや、あまりの速度に消えたように男は錯覚した。視覚が剣心を認識した時、すでに彼は男の懐に入りこんでいた。
「飛天御剣流――」
キィン。と、鍔が鞘から離れた事を示す金属音と、月明かりが反射した黄金色が男の瞳の中に三日月を作り出す。男は小太刀を二本とも光の方へ刃を立てて揃えた。瞬間、激しい衝撃が小太刀を通して男に走った。居合の強さに堪えようと踏ん張っていた足が十数センチ動かされる。鋭い刃同士のぶつかり合いに、三本の剣が火花を発する。
「ぐ、うぅ!」
「おぉぉぉぉ!」
押しきろうとする剣心と、受け止める男の気合が同時に言葉として発せられる。そして勝ったのは……男だった。
揃った小太刀を少しずつ斜めにし、剣心の剣撃を上に受け流した。
今度は先程の男と違い、剣心の体が大きく流れた。開かれた胸元に、男は小太刀の柄を叩きつけるべく手を反応させた。だが、動いたのは手ではなく心の奥底の警鐘が頭の中にあるスイッチを切り替えていた。
瞬間、男の視界から色彩が消えた。
それまで群青色や薄くても様々な色彩が溢れていたモノが、モノクロへと変化する。そして剣心の動きがスローモーションになっていた。しかし何故、今この状態になったのか検討も付かず、水中を移動するような動き難さを感じながら、ほんの少し首を動かした時、男は理解した。
(剣撃から続く鞘の二錬撃だと?)
一撃目が宙に浮かんでいる中、剣心は逆手に持った黒塗りの鞘を同じ軌道で男を狙っていた。
だが体が開いてしまった分、鞘の軌道は浅くなっている。
男は鞘に逆らわずに後ろに体を流すと、そのまま背後に転がった。瞬間、視界に色彩が戻る。
ぶぅん。と、鈍い風を切る音がして、剣心は驚愕した。
一撃目を受け流した時、男は完全に剣心にトドメをさそうと手が反応したのを確認した。しかし、すでに動いている鞘と動き出そうとする剣では速度が違う。しかも相手は居合の後に再度鞘の打撃が続くとは見抜けなかった筈なのだ。だが結果は剣心の一撃は男に避けられた。
「まさか初めて見る双龍閃がかわされるとは思わなかったな」
呆れ気味の溜息が零れる。
「双龍閃というのか。まさか鞘による二撃目がくるとは思いもしなかった」
どうやら男も剣心の剣技に感嘆していた。
「それより、そっちが瞬間移動したのは?」
「神速という流派の奥義だ」
「奥義を使ってもらえるのは光栄の至りだ」
そう言って鞘を腰に挿し直すと、刃を横にして剣心は刀を構え直した。
男も同じく構えを取ろうとして、剣心の剣にある違和感を覚えた。
「その刀は……?」
普通の刀のように海老反ってはいる。だが、外側に反っているのは本来内側にあるべき峰であり、人を切るべき白刃は内側に付けられていた。
峰と刃が逆につけられている刀。
「ん? ああ、これは実家に代々伝わる逆刃刀だ。十五になったら受け継ぐって言う、今時時代錯誤な風習で俺が持ってるんだ」
月明かりに反射する刃には一点の曇りもない。一度でも人を含めて生き物を斬ればかならず脂による曇りがこびりつく。しかし、剣心の逆刃刀にはまるで形跡すら見受けられなかった。
「本当に君がこの女性を斬ったんじゃないのか?」
「そうだって言ってなかったっけ?」
「そうか……」
そう呟くと、男はすっと小太刀を降ろした。
「なんだ? 警察へ行くつもりになったのか?」
「いや、君は信用に足ると思っただけだ。それと、今なら多少落ちついているので話を聞いてくれると思うが、俺はこれでも民間の警察協力者だ」
「へ?」
「俺は許可をもらっているが、君の場合銃刀法違反も考慮しなくちゃいけない」
あ、そういえば許可証荷物の中だ……。
思わずげっそりとする剣心の耳に、誰かが通報したのか、パトカーと救急車のサイレンを聞きながら、初日から襲いかかる不運に力なく頭を垂れるのだった。
名前が出てこなかったけど、彼だろう。
美姫 「でしょうね。あの武器にあの技」
とりあえず、次回、剣心は銃刀法違反で捕まってしまうのか。
美姫 「物語の序盤で警察にご厄介になる主人公……」
面白そうだな、それ。
美姫 「次回を楽しみに待ってますね〜」
では、また次回で〜。