私立セント・テレジア学院。

 知らぬものはいない、と言われる日本でもトップレベルの超お嬢様学校である。

 カソリック系の全寮制で、通うのは財界や政治家、旧家のお嬢様方であり、国内でも最高クラスの厳重な警備がしかれている。

 また男など教員でも僅かであり、ましてや不審な男が入ることなど不可能である。

 

 

 そのはずであった。

 

 

「妙子さん、行きましょう」

「はい、勇吾さん」

 

 外界との差を示すように立つ、私立セント・テレジア学院の前に聳える高い門。

 その前に二人の女子……もとい女装した修史と恭也が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

其は楯なり、其は刃なり

第2話

【女装潜入】

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここに女がいっぱい……」

 

 校門から見える校内の様子を見て、そう呟くのは修史。

 その言葉はげっそりとしていて、いかにこの任務が嫌かが伺える。

 しかし当の本人の意思に反し、その女装は見事の一言であった。

 赤いウィッグをかぶり、防弾仕様のパッド入りブラジャーを装着し、テレジア学院の制服に身を包んでいる。

 足はもとから細いのかとても男子とは思えぬものであり、ISCOにのっとって描かれたそばかすが見事に田舎臭さを演出している。

 課長に「リアリティが大事だ」と言われ、現在身につけているのはサポーターの上に女物の下着であった。

 当然スカートを穿く以上、下着が見られる可能性も考慮して女物を身につけることは当然のことであるが、その重要性を熱く語る課長を修史は疑いの目で見るしかなかった。

 結局避けることはできず、こうして穿いてきたのだが、

 

(股がスースーする。それにこの胸の慣れない重さが辛い。)

 

 はやくも挫けそうな修史。

 見つかったら絶対変態扱いだよな、と修史はビクビクしながら隣に立つ恭也を見上げた。

 

 

 

「ここか……」

 

 言葉は少なく、その顔は少なくとも嬉しそうには見えなかった。

 むしろ憮然とした表情であり、彼を良く知る者ならばそれが困惑と諦めが混じった顔であることがわかっただろう。

 あの女装騒動の後、最終調整といわれ恭也はリスティに仕上げを施された。

 そうは言っても化粧はほとんどせず、今は黒いウィッグをかぶり、胸の部分はささやかながら膨らんでいた。

 傍目には胸パッドとはわからないほど精巧なそれを身に付け、その上からサラシを巻いているためだ。

 こちらもサポーターの上に女物の下着を穿いており、元の恭也を知っている者たちからすればまさしく「ありえない」姿がそこにあった。

 

 恭也は単に女性として潜入するのは不都合があるとして、リスティと相談の上、修史とは違った設定を作った。

 それは今まで恭也が男子として育てられたというもの。

 当主であり男子として育てようとしていた祖父が急逝してしまい、その結果今からでも淑女として過ごして欲しい、という両親の願いのために学院へきた。

 恭也の設定は大まかに言えばこのようなものである。

 そのため恭也の今回使う偽名は男のような名で、佐伯勇吾である。

 

(これだけ不安な仕事も初めてか……)

 

 全く表には出さないが、気が気でない恭也。

 落ち着いているようで、それほど女性が得意でない恭也にとって、この任務は下手な重役の護衛よりも辛いものになりそうだった。

 その事に思いをはせため息をつくと、隣に立つ修史に視線を合わした。

 

 目を合わせた二人は同じようにため息をついた。

 

 

 

「そろそろ時間になるな」

 

 時計を見て恭也、もとい佐伯勇吾が言う。

 針が指す時間は8時50分。

 着任の時間は9時であったから、そう時間はない。

 しかし、

 

ガチャッ

「開きませんね」

 

 その外界を断つかのように聳える門は開かない。

 もともと全寮制であるため内外の出入りは少なく、また場所が場所なだけにそう易々と出入りができない。

 そのため普通の学院なら開くはずの門は、ぴくりとも動かない。

 逆に動くようならそれこそが問題だろう。

 

 わかりやすいように門には錠前がある。

 時間に遅れるわけには行かないと、修史は鞄からピッキングの道具を取り出した。

 が、すぐに恭也がそれを抑える。

 

「開いてないのには意味がある。怪しまれるぞ」

 

 中で会った人にどう言い訳するつもりだ、と恭也は続けた。

 今回の依頼は対象には秘密裏に護衛をすること。

 そのため極力怪しい行動、目立つ行動は避けなければいけない。

 当然修史もその事は承知であったが、状況が状況なだけに焦っていたらしい。

 

「すみません」

「いや、気にするな。直ぐに迎えが来る」

「はい……んっ?」

 

 修史は鞄にピッキングの道具を戻すと、近づいてくる気配に気付く。

 ただ特に怪しいことはなく、ごく自然に校門に近づいてきている。

 直ぐに姿を現したのは、修道着に身を包んだ……

 

「迷える子羊よ、どうしました?」

「シ、シスター?」

 

 敬虔そうなシスターだった。

 修史は今まで縁のなかったシスターという存在に戸惑う。

 

「私は本日よりこちらに通うことになっている佐伯勇吾と申します。こちらが」

「あ、あたしは山田妙子と言います。は、初めまして」

「あぁ、貴女達が。お話は理事長より伺っています。少しお待ち下さい」

 

 修史は一晩で覚えたあやふやな女の子の喋り方を思い出しながら話す。

 それに対し恭也は、ただ丁寧な口調である。

 

 そして門が自動で開き、修史達が通ると直ぐに閉まる。

 見た目に反し近代的な設備がされており、閉まる門を見ながら修史は、先ほど止められなかったら危なかったと胸をなで下ろす。

 それを見たシスターは、余程緊張していたのかと小さく笑った。

 その顔を見た修史は、恥ずかしくなり顔を赤くした。

 

「ようこそセント・テレジア学院へ。

 私はシスター・リディアと言います。

 歓迎いたします、妙子さん、勇吾さん。どうぞこちらへ」

 

 シスターを先頭に並んで着いていく修史と恭也。

 修史は想像以上に近代的な設備、張り巡らされた監視カメラなどを見ながら認識の誤りを感じていた。

 今回のような潜入での護衛では、ただ対象に張り付いていればいいのではなく、そのできる限りの範囲で周りの状況も把握していかなければならない。

 この塀が覆っている敷地の中ぐらいは早いうちに把握し、警備の穴や戦闘時に有利不利になる場所の確認などをしなければならないだろう。

 今回は二人での潜入と言うことでいくらか楽だと修史は考えていた。

 しかしあまり目立つような行動は得策ではない、と今後の方針を考える。

 恭也も監視カメラの位置を確認しつつ、さりげなくシスターの動きも観察していた。

 人の動きを観察するのは半ば癖のようなものだが、

 

(この人、何かやっているな)

 

 僅かな腕の振りなどから、女性としては腕の筋肉がついていることを見抜く。

 しかし筋肉はスポーツをしているだけでもつくものであるし、さして問題となるほどではなかった。

 さらに言えばここ私立セント・テレジア学院はその要人の多さ故、それに見合うだけの護衛が紛れていることを、恭也は前もって見た資料で確認してある。

 そこにはクラスの1割を越える人間が実は護衛の人間だとも書いてあり、このシスターがその一人である可能性も十分にあった。

 護衛であるにしろないにしろ、下手に動くべきではないと判断し、恭也はごく普通に振る舞った。

 

 

 

 

 そのまま特に何も起こることなく、二人は理事長室へ通される。

 シスター・リディアは室内へは入らず、去っていった。

 

「子羊たちの学舎、セント・テレジア学院へ。

 ようこそいらっしゃいました」

 

 老齢の理事長が、椅子から立ち上がり歓迎の言葉を述べる。

 その顔はしわがいくつか入り、どことなく疲れた様子はあったが、入ってきた二人を見ると優しい笑みを浮かべる。 

 

「本日より春日崎雪乃及び椿原蓮両名の護衛に着任する、

 アイギス特殊要人護衛科のきさ……山田妙子です!」

「同任務に就きます佐伯勇吾と申します」

「ふふ、元気がよろしいですね」

 

 緊張していた修史も、優しげな理事長の雰囲気でいくらか落ち着く。

 恭也も理事長の人柄を察し、いくらかしていた緊張がとれる。

 

「わたしたちは貴方がたが来られることを、心よりお待ちしていました。

 改めて歓迎いたします。

 そしてにしても……」

「……?」

 

 少しの間を空けて、

 

「上手に化けましたね、如月君? 高町君?」

 

 その優しい笑みをそのままに言う。

 修史は一瞬動揺したが、直ぐに依頼主であることを思いだし、伝わっているのも当然だと考える。

 一方の恭也は表情こそ動かないが、内心では「上手に化けた」という言葉をどう受ければ良いのかと悩んでいる。

 正直な話、女装のことを誉められても全く嬉しくはなかった。

 

「性別を偽っての生活は苦労も多いでしょうが、できる限りの協力はさせていただくつもりです。

 貴方がたには常に万全の状態でいてもらわなければ困りますから」

「はい」

「…………」

「それでまず修史君、いえ山田さんでしたね、山田さんには2年の椿原蓮さんと同じクラスに、

 佐伯さんには3年の春日崎雪乃さんと同じクラスに入っていただこうと思いますが、

 特に問題はないでしょうか?」

「はい、大丈夫です」

「問題ありません」

 

 このことについては特に決まっていたわけではないが、どちらも異存はなかった。

 ただ言えるのは、どう見ても恭也の方が修史より年上に見えると言うことである。

 

「ええ、ではお願いします。

 それと学生会にも入っていだこうと思います」

「学生会?」

「ええ、私たちは『撫子会』と呼んでいますが。

 春日崎さんはその会長を、椿原さんが副会長を務めています。

 その方が都合が良いでしょう?」

 

 事前の見た資料を思い出し、確かにそう書かれていたことを修史は思い出す。

 確かに学生会に入っていれば対象と一緒にいても不自然はないと、入ることの有用性を確認する。

 

「お気遣い、ありがとうございます」

「いえ。では案内を呼びましょう」

 

 理事長は机の上にある電話で内線をかけると、少しの会話の後に受話器を置く。

 

「そういえば、佐伯さん。ティオレさんから貴方の話を聞いたことがありますよ」

「ティオレさん?」

「……っ」

「とっても可愛い我が子の様な存在と仰っていました」

「……他には何か伺ってますか?」

「いえ、大事な娘のフィアンセとしか」

「……信じては」

「安心してください。彼女なりの冗談なのはわかっていますから」

 

 ずっと優しい笑みのまま、理事長がそう言う。

 恭也として理事長がティオレのいうことを鵜呑みにしていないことを知り、ほっとする。

 ティオレの冗談とも言えない冗談に振り回されてきた恭也にとって、ティオレの言葉は心臓に悪かった。

 

「えと、横からすみませんが、ティオレさんというのは?」

 

 話題についていけない修史が訊ねる。

 修史と恭也は前日初めてあったばかりで、その後も今日からの準備などが忙しく、あまり互いのことについて話してはいない。

 またアイギスという組織は、人種や国籍、人の過去に拘らず、むしろ過去のことは互いに干渉しないのがルールとなっている。

 そのため修史は恭也の知人関係を全く知らない。

 

「わたくしの友人で、佐伯さんと共通の知人です。

 さて、そろそろいらっしゃるわね」

 

 理事長の言葉を合図にしたかのように、丁度扉をノックする音が理事長室に響く。

 

「星野ですが」

「どうぞ、お入り下さい」

「失礼します」

 

 そうして現れたのは妙齢の女性だった。

 妙齢の女性ということで、また見てわかるほどに緊張する修史。

 恭也はわずかな違和感を感じつつ、目の前の女性に目を向けた。

 

「山田さん、佐伯さん、こちらは星野麗美先生です。

 今日から山田さんの担任となる方です」

 

 呼び方が偽名であることから、麗美が事情を知らないことを察する二人。

 

「山田妙子です、お願いします!」

「佐伯勇吾と申します。お願いいたします」

「あらあら、こちらこそお願いします。

 それにしても……」

 

 麗美は恭也を見て、そして次に修史を見てから、

 

「随分と格好良い子と、可愛らしい子ですね」

 

 にっこりとして言う。

 その言葉に、恭也は男であるとばれていないことを安堵しつつ「それでいいのだろうか」と自分に問い、修史は可愛らしいと言われたことにショックを受けている。

 男とばれないどころか、可愛いとまで言われ、ただでさえなかった男としての自信がうち砕かれたのだろう。

 本来はばれてはいけないのだが、

 

(少しぐらいは怪しんでくれても良いだろう)

 

 と修史は心の中で叫んだ。

 

「あら、何かお気に障る様なこと言ったかしら」

 

 ショックを受けている様子の修史を見て、麗美が心配そうな顔をする。

 

「お気になさらないで下さい。妙子さんもこのような場所へ来られるのは初めてのようなので……」

「緊張されてるんですねー。大丈夫ですよ、ここの子達はみんな優しいですから」

「……はい」

 

 修史はかろうじて返事を返す。

 また復帰には時間がかかりそうだ。

 

「では理事長、案内に参りますので、失礼します」

「ええ、お願いします、星野先生。

 それと撫子会への案内もお願いしますよ」

「わかりました」

「失礼します」

「……失礼、します……」

 

バタンッ

 

 三人が理事長室から退出し、重い扉が閉まる。

 一人部屋に残った理事長は目を瞑り、

 

「お願いしますよ、如月君、高町君」

 

 そう祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 理事長室を出て三人は校内を回る。

 まだ授業時間であるため、人は見あたらず声もしない。

 

「この辺りは一年生の教室ですね」

 

 麗美は立ち止まるとそう説明し、次に窓の外に目をやった。

 

「あっ、丁度あの左側に見えるのが礼拝堂で、右側に見える大きい建物が寮です。

 二人とも今日からあそこに住むことになります」

「礼拝堂ですか、シスター・リディアは普段はあちらに?」

「ええ、シスターですので普段はあそこにいるみたいですね。

 ですけどこの学院は神学もあるのでそちらの授業もされます」

「そうですか」

「はい、それとあの手前にあるガラス張りの建物は薔薇園なんです」

 

 麗美が指さしたところを見ると、確かに植物が植えられているガラス張りの建物が見える。

 

「……とても素敵ですね」

「はい、とっても素敵なんです♪

 いつでも見られるので、機会があれば是非見てくださいね」

「はい」

 

 やっと立ち直った修史が、前日に読まされた『THE・女の心得100選』という本で見た、女は花を見て喜ぶ、という項を思い出し反応する。

 どうやら麗美も疑問に思わず、修史が思っている以上に自然に振る舞えているらしい。

 それが修史にとって嬉しいかどうかは疑問だが。

 

 

 

「でもでも、始業式から一ヶ月遅れの転入なんて、大変ですねー」

 

 また三人が歩き始めてから、麗美がそう言う。

 修史は前日に覚えた建物の配置図と実際の映像を照らし合わせ、配置図にはなかった彫刻や今気付いた死角などに意識をやっていたため応答が遅れる。

 

「えっ、ええ……」

「そうですね、私の場合はなにぶん急でしたので、正直慣れるまでは心配ですね」

 

 代わりに、ではないが恭也が答え、

 

「私もそうです」

 

 修史も便乗する。

 この言葉にどちらも嘘はない。

 ここへ来るのが決まったのはつい昨日のことなのだから。

 

「何か困ったら遠慮せずに相談してくださいねー」

「お気遣い、感謝します」

「それにしても、不思議なんですよねー」

「……何がですか?」

「この学院って何故か転入生とか転校生が多いんです。

 だから貴女方の転入も珍しい訳じゃないんです」

「そうなんですか」

「そうなんです。

 学院七不思議の一つでもあるんです」

「へぇー」

 

 修史は初めて聞くような話らしく興味を持っていた。

 こういった学院は閉鎖的だと思ったのに、と不思議に思いつつ、自分たちの転入がそう目立つものではないと知り安堵もしていた。

 一方の恭也はその転入生や転校生が、護衛ないしその関係者だろうということは気付いていたが。

 そして恐らくは、自分たちが同業者から不審と好奇の念を持たれるであろう事も。

 麗美がおり、また修史も知っていると思い、恭也何も言わない。

 

 

キーンコーンカーンコーン

 

 鐘が鳴り、途端に周りの教室がガヤガヤしだす。

 どこの学校でも鐘のメロディーは同じなのだな、とどうでも良いことに修史は感心する。

 

「あら、丁度授業が終わったみたい」

 

 そして授業を終えた学生達が教室から出てくる。

 当然それらは全て──女子である。

 それを見た途端、修史は見てわかる程に緊張し、恭也もあまり見た目には出ないが緊張する。

 修史は既に握る手に汗をかき、額にも一筋流れる汗があった。

 

「うっ……」

「ごきげんよう、先生」

「麗美先生、ごきげんよう」

「ごきげんよう、皆さん」

(本当に「ごきげんよう」なんて言うのか!?)

 

 課長に、「みんな、ごきげんよう、なんて言うんだぞ。いい環境じゃないか」と言われ、冗談半分で聞いていた修史は、実際にその光景を目の当たりにして驚く。

 恭也も話には聞いていたが、実際に見ると戸惑う部分もあった。

 何より同じ女学校であるCSSと比べたときの、そのお嬢様ぶりに驚いているのだが。

 恭也達が歩みを進めると、すれ違う度に優雅にお辞儀をする学生。

 修史はぎこちなく、恭也は自然にお辞儀をし返していた。

 上流階級の社交場での護衛もこなす恭也にとっては、この程度はごく自然なものである。

 

 

(やっぱおかしいんだよな)

 

 少女達から向けられる奇異の視線を感じ、修史はそう思った。

 やはり自分は女にはなりきれていないと、そう思った。

 そうして男子としての自尊心を取り戻していく。

 ……実際には女子としては大柄な、あるいは女子にしては格好良すぎる恭也に向かっての視線だったが。

 やはりお嬢様の目には、普通の学校なら一人ぐらい居そうな大きめの女子が、ひどく珍しく映るらしかった。

 恭也としてはそんな視線をあまり気にせず、むしろ別の視線を感じそちらに意識を向けていた。

 それは、

 

(なっ、これは!?)

 

 修史も遅まきながら気付く、監視者の視線。

 修史の首を冷たい何かが通り過ぎ、幾つもの修羅場をぬけてきた感覚が監視者の存在を知らせる。

 目を隠す前髪の間から、鋭い視線で周りの様子を覗く。

 先ほどまでの少女達の奇異の視線でもなく、麗美の柔らかな視線でもなく、刺すような、まとわりつくような視線。

 その主を捜そうと、警戒しつつ周りを見る。

 と、

 

「どうした? 妙子さん」

 

 恭也が敢えて話しかける。

 途端その監視者と思われる視線が消える。

 修史が恭也を見ると、そこには修史を心配する、ごく自然な姿しかない。

 修史のように回りを警戒している様子は修史が見る限り感じられず、まるで先ほどの視線に気付いていないかのようにさえ感じた。

 恭也としては下手に動くわけに行かないことと、修史のようにあからさまな反応をせずにとも視線の主に気付けただけだが。

 

「勇吾さん……何でもありません」

 

 修史は自分でも気付かないうちに仕事モードが入ってしまっていた。

 麗美を見ると心配そうな顔をしており、改めて自分の行動のミスを感じた。

 潜入はあくまで周りにとけ込むことが第一、当然修史もそれはわかっている。

 いくら警戒すると言っても、潜入直後にその潜入がばれてしまっては意味がない。

 

「なんだか、とっても怖い顔してましたけど」

「すみません、まだ慣れなくて」

 

 田舎出の心細い一人娘を修史は演じなくてはいけない。

 それが仕事だと、修史は誰にもわからないように自分を叱咤し、気合いを入れた。

 

「慣れないですか……」

「は、はい」

「大丈夫ですよ。さっきも言いましたけど、ここの子達はみんないい子ばかりですから」

「はい」

「では、案内続けますね」

 

 監視者のことが気がかりだったが、その場で探すわけにもいかず、歩みを進めた。

 

 

 

「ここが家庭科室です」

 

 しばらく歩くと、家庭科室とプレートのある部屋の前まで案内される。

 授業はやっていないのか、特に中から音はしない。

 

「なんと隣が調理室になってるんですよー」

(それは当然だろっ!)

 

 ここの包丁が凶器として使われるかもしれないと、後で数を確認しておこうと、割とシリアスだった修史は瞬時に心の中でつっこむ。

 そのせいでせっかくのシリアスモードが戻ってしまった。

 

(どうにも麗美先生の空気は苦手だな)

 

 と恭也と修史は同じ感想を抱いた。

 そして恭也は修史同様に昨日見た校内の配置図を思い出す。

 その中でこの家庭科室は確か……

 

「丁度この上が学生会室なんです。

 この学院では学生会、撫子会は学生達の憧れの的なんですよー」

 

 そう、ちょうど学生会室の真下だった。

 流石に窓から侵入されることはないだろうと思いつつ、それでも警戒ぐらいはしておこうと、恭也は頭の片隅に書き留めた。

 

 

 

「これで校舎内はだいたい回りましたね」

 

 あちこちと周り、同じような廊下を何度見て、とうとう二年生の教室の前まで来る。

 どうやらここが修史の入る教室らしい。

 

「私の後ろにある教室が、山田さんのクラスです。

 ちょうどいいですから、入ってしまいましょう」

「は、はい」

 

 まだ心の準備ができておらず、焦る修史。

 先ほど何人かの一年生の奇異の視線を向けられただけで過剰に反応していた修史。

 正直教室中の視線を集めるのは勘弁願いたかった。

 

「すみませんが、私は一体どうすれば……」

 

 間に入ったのは恭也。

 そもそも学年の違う恭也は、ここにいても仕方がない。

 一応三年生の教室は案内されているが、一人で行くわけにもいかなった。

 

「あっ、すみません。すっかり忘れてました。

 このままこのクラスで紹介するわけには……いきませんね」

「……そうですね」

 

 つっこむべきなのか、つっこまないべきか、迷った挙げ句無難に返す。

 

「そうですねー……」

 

 うーん、と唸りながら考える。

 何も考えてなかったのか、と恭也は頭を抱えたくなる。

 

「えーっと、教員室で教頭先生に話してみてください。

 教員室はわかりますね?」

「ええ、わかりました。失礼します」

 

 これ以上ここにいても仕方がないと、恭也は踵をかえし教員室へと向かう。

 その後ろでは、

 

「気を取り直して、行きましょう」

「は、はい」

 

 二人が教室へと入っていった。

 

 

 

 

 

 一人きりで教員室へ向かった恭也は、特に迷うことなく目的地にたどり着く。

 

コンコン

 

「失礼します」

 

 一応のノックと、挨拶とともに教員室へ入る。

 授業が始まっているせいか、教員室の中は人がまばらである。

 なお中にいる教員全員が女性である。

 その中の一人が恭也に気付くと、

 

「何かあったのかしら?」

 

 授業中でありながら教員室にやって来た恭也を訝しく思い、訊ねてきた。

 恭也は助かったとばかりに、しかしあくまで淑女としての振る舞いを忘れない。

 

「本日よりこちらに通うことになりました佐伯と申しますが……」

「えぇ、佐伯さんね。お話は伺ってるわ。

 確か星野先生が案内されていたと思ったのですが、どうされました?」

「はい、先ほどまで案内していただいていたのですが。

 自分のクラスに入ることになりまして、たえ……山田さんは星野先生が授業される教室でしたので良かったのですが……」

「貴女のクラスではなかったのね」

「はい、授業途中から私一人で教室に入るわけにも参りませんので。

 それで星野先生が、こちらに来て教頭先生に事情を話すように、と」

「わかりました。少し待っていてください」

 

 事情を話し終えると、話を聞いていた教員が恭也の入ってきた扉とは反対側の方にある、一番遠いデスクへ向かう。

 そこで恐らく教頭先生と思われる女性に話すと、その女性はこちらを見てから、恭也の話を聞いてくれた教員とまた話し始める。

 少しして話し終わったのか、教員はまた恭也の方へ戻ってくる。

 

「お待たせしました」

「……」

「とりあえず私が案内します。ついて来てください」

 

 教員が歩き始め、教員室から出ていく。

 恭也も着いていくため歩き出し、教員室から出る際の礼と挨拶を忘れずに、その場を後にした。

 

 

 

「私が授業をされている先生に説明します」

「お手数おかけします」

「いえいえ、それがお仕事ですから。それにこちらの落ち度ですし、ね」

「それでも、です」

 

 お嬢様学校の教員にしては、言葉こそ丁寧であるがそれほど畏まった感じでもなく、恭也にとって話しやすい人であった。

 

「そういえば私の名前を教えてなかったですね。

 私は紫藤景、体育を教えています」

「ご丁寧にありがとうございます。

 私は佐伯勇吾と申します」

「勇吾? 女の子にしては変わった名前ですね」

「……あまり公言するようなことではないですが。

 私は家の都合というもので、先日まで男として育てられてきたので。

 また事情がありまして、女としての人生を歩むことになったのですが」

「……そうですか、少々不躾な質問でしたね。すみません」

「いえ、誰でも不思議に思うことですし。気になさらないでください」

「……えぇ、そうさせていただきます」

「はい」

 

 男として育ってきたという設定自体は少しばかり無理があるが、この設定が通ればこれほど自然なこともない。

 何故なら恭也は確かに男性として育ってきたのだから。

 これでいくらかの無理は誤魔化せることとなる。

 当然それでも誤魔化さなければいけないことは、ごまんとあるのだが。

 

 そう話をしていると三年生の教室の前までやってくる。

 

「ここで待っててくださいね」

「はい」

 

 紫藤が教室の扉をノックして、

 

「失礼します」

 

 教室へと入っていく。

 

「笹塚先生、少しよろしいですか」

「ええ、何でしょう」

「こちらへ願います」

 

 そうして恭也の前に、紫藤と一人の男性教師が立つ。

 校内で初めて見る男性に、前もっていることは知っていたが、それでも驚いた。

 当然それが表に出ることはないが。

 

「彼女は?」

「今日からこのクラスに転入することになっている佐伯さんです。

 こちらの手違いで案内が遅れてしまったのですが」

「そういうことでしたか。ということは僕が彼女の紹介を?」

「はい、お願いできますか?」

「ええ、任されました。構いませんね? 佐伯さん」

「はい、私は特には」

「それでは参りましょうか」

「では私はこれで失礼します。頑張ってくださいね、佐伯さん」

「はい、紫藤先生、ありがとうございました」

 

 恭也が礼をすると、紫藤先生は教員室の方へ戻っていく。

 振り返ると、笹塚と呼ばれた男性教師が恭也を待っていた。

 

「入りますよ」

「はい」

 

ガラッ

 

「授業を中断してしまってすみません、皆さん。

 それで唐突ですが、皆さんの新しいクラスメイトをご紹介します。」

 

 笹塚に着いて、一緒に教室に入った恭也を見る。

 

「佐伯さんです。自己紹介をお願いします」

 

 恭也は立っていた位置から一歩前に出て、一礼してから話し始める。

 

「皆さん、初めまして。佐伯勇吾と申します」

 

 クラスの全員を見ながら話す。

 その姿は堂々としていて、とても転入生とは思えないほど。

 といってもここにいる学生達は皆社交場で挨拶をするような財界の娘達。

 それぐらいはごく普通ではあるのだが。

 

「趣味は園芸と運動です」

 

 流石にテレジア学院の三年生ともなると、お嬢様としてできあがっているのか、ヒソヒソと話す声などしない。

 全員が恭也に注目し、その一挙一動を見ている。

 

「今まで淑女としての教育は受けてこなかったので、皆さんにご迷惑をおかけすることが多いと思います」

 

 その中で、恭也は一際存在感を顕わにしている女学生をちらと見る。

 その学生は興味深げに恭也を見ていた。

 

「このような時期での転入ですが、仲良くしていただけると幸いです」

 

 前日に見た護衛対象の簡単なプロフィール。

 そこに載せられていた顔写真と、その顔は一致した。

 

「これからよろしくお願い致します」

 

 これが刃と護られる姫との最初の邂逅。

 

 

 


 

あとがき

 

 とりあえず、すみません。夢想士です。

 書き始めたら無駄にテキスト量が増えてしまい、このような中途半端な場面で切ってしまいました。

 結局ヒロインとほとんど会ってないまま、2話を終わりにしてしまいます。

 

 あとオリジナルキャラが出てきましたが、彼女の扱いについては特に考えてないです。どうなるかは私もわからないということで。

 ただ次話も更にオリジナルキャラが出てきます。恭也の隣の席の人です。

 それとクラスでの自己紹介の場面、修史の分をどうしようか迷いましたが省略いたしました。

 書いても原作通りになってしまいますし。それでも見たいという方がいらっしゃれば追加で書きますが。

 

 いい加減原作から離れたストーリー展開をしたいと思いつつ、あまりできないなと悩んでいます。

 それではまた次話でお会いしましょう。次こそは全ヒロインを……。





遂に転校してしまった二人。
美姫 「こうなったら、もうなるようにしかならないわね」
うんうん。
美姫 「どんなハプニングや事件が待っているのかしら」
いやー、楽しみだな〜。
美姫 「次回もお待ちしてますね」
待っています。



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