日本の支配者は誰か?

それは言うまでもなく天皇であろう。そう言ってしまうと、様々な批判を浴びるであろうが、それは厳然たる事実である。

対外的には、内閣総理大臣が最高権力者となっているものの、内閣総理大臣は国家元首ではない。少し考えてみれば分かることではあるが、その内閣総理大臣さえ、天皇から任命される。わが国の元締めは、結局のところ天皇なのである。

では、この日本の、の支配者は誰であろうか?

多くの人は、すぐにある一族を思い浮かべるであろう。

645年の大化改新以来、天皇家の背後には常に“彼ら”がいた。時が流れ、時代が代わっても、その構造は基本的に変わることはない。それは、第2次世界大戦が終わった現代でさえ、同一である。

ある人物は、彼らのことを『日本のエスタブリッシュメント』まで呼ぶ。エスタブリッシュメントとは、支配階級の意である。

一族の名は『藤原』。

日本の陰で暗躍し、歴史にもその名をいくつも遺してきた、恐るべき一族……

藤原鎌足(ふじわらのかまたり)藤原道長(ふじわらのみちなが)藤原不比等(ふじわらのふひと)藤原定家(ふじわらのていか)……

藤原より別れた冷泉(れいぜい)、二条、近衛……

彼らすべての名を網羅すれば、それこそ日本史が語れてしまう。

何故、藤原一族はこれほどまで歴史に名を連ね、権力を保持しながら現代まで生き延びてこられたのか……?

それは、かの一族が先を見越す先見性と、かの一族を守る、“ある一族”の存在にあった。

その一族が、表の歴史に名を遺すことは絶対にない。

歴史の陰で暗躍する藤原一族を、さらにその陰で助け、守ってきた一族……

華やかな声援も、過分の報酬もなく、ただ藤原一族を守るために、盲目的と言えるほどに、己がすべてを犠牲にしてきた彼ら……

どれほどの実績を上げても、その実績に日が当たることはない。あるのは、守秘義務のみである。

人々の風俗に、ほんのわずかに残された伝承を辿り、彼らの実体におぼろげながら解答を導き出した学者達は、口を揃えて彼らを呼ぶ。

大神(おおみわ)一族』と…………

 

 

 

閑章「大神の剣士」

 

 

 

――2001年1月7日、午前6時45分

 

 

 

元伊勢にして日本最古の神社である(この)神社。

その籠神社と並び、日本最古と目される神社が、奈良県三輪(みわ)山麓に鎮座する、大神(おおみわ)神社である。主祭神の名は『倭大物主櫛甕魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)』。

その大神神社よりやや離れた所に、三輪山の鬱蒼とした樹木に囲まれて小さな社がある。

長い歴史の中で風化していったのだろう。社は、かつて朱色であった片鱗を見せながらも、すっかり色落ちし、社の名を示す板にも亀裂が入っている。

――『外・大神神社』。

縦20センチ、横8センチ、厚さ2センチの白木で作られた板には、そう刻まれていた。

社の中で、蝋燭の炎が一筋、かすかに揺らめいていた。

その炎を前にして、剣道着を着た、銀髪の男が、座禅を組んでいた。年は30も後半であろうか。じっと蝋燭の火を眺め、息を殺している。

男の顔だちは、秀麗であった。頬も首筋も、女のように色白で、それだけを取れば弱々しくさえ見える。

だが、その弱々しい印象の中に、剃刀のようにヒヤリとした鋭い何かがあった。加えて、背筋の寒なるような、名状し難い暗さを漂わせている。

蝋燭の火を眺める眼光は、さながら『狼』の如く鋭く、真一文字に閉じられた薄い唇は、男らしい強靭な何かを覗かせていた。

丹田の下で組み合わされた手は大きく、節榑立って巌のようであり、一撃で、積み重ねた数枚の楝瓦を打ち砕くのではないか、と思わせる。

男の左側には、黒鞘の太刀が、置かれていた。ほとんど無反りに近い直刀で、鍔には金の菊の花が散らしてある。

無反りの直刀は銘を備前長船(びぜんおさぶね)紅月(くれないのつき)』と言った。平安時代末期に台頭した、草創期から続く刀工の聖地で鍛造された名刀である。

丹田の下で組み合わされていた男の手が解かれ、左手が、ごくさり気なく『紅月』に伸びた。一陣の風が、三輪山を吹き抜けたのか、男の背後で障子が軋んだ。

一度は『紅月』を掴んだ男の手が、刀から離れて、再び丹田の下で組み合わされる。

それとほぼ同時に、障子が音もなく遠慮がちに開いた。

「失礼します……」

中に入ってきたのは、更紗文様の小紋を着た、22、3と思われる女であった。フロントを軽くシャギータッチに仕上げたロングヘアーが、色白の端正な顔立ちに、よく似合っている。

彼女は、楚々とした仕草で男の後ろに正座すると、遠慮がちに声をかけた。

平三郎(へいざぶろう)先生と、黒木様がおこしになられております」

「分かった。すぐに参りますから、と伝えてくれ」

「分かりました。では、母屋の居間でお待ちしております」

女は、男の後ろ姿に向って丁寧に頭を下げると、濡れ縁に出てそっと障子を閉めた。そのひとつひとつの立ち居振舞に、洗練されたものがある。幼い頃から、よほど厳しく躾られてきたのだろう。

男の左手が、再び『紅月』を掴み、立ちあがろうとして片膝を立てた。

直後、上体のバランスが崩れて、男の右肩が下がり、立てた片膝が力なく床を打って、男の口からかすかな呻きが漏れた。それは男の体力が著しく消耗していることをを示していた。

男は深く息を吸い込むと、やや右肩を下げた姿勢のまま、蝋燭の炎を射るような目で眺めた。爛々たる光芒を放つ双眸であったが、瞳は冴えて汚れがなかった。

男の右手5本の指が開き、呼吸が止まった。

次の瞬間、『紅月』が一閃し、蝋燭の炎を横に払う。

炎が、小さな火玉を飛ばして上下に裂け、上に飛んだ炎が落下して下の炎と繋がり、元の炎となったとき、『紅月』は“パチン”と音を立てて鞘に納まっていた。

見事な居合術である。

男はよろりと立ちあがると、蝋燭の火を吹き消して、縁側に出た。

朝日が、男のげっそりと削げ落ちた頬を照らす。

男は社の階段を降りると、素足のまま別の石段を降りた。男の背後に、三輪山の樹海が見える。その樹海に紛れて、ぽつぽつと人家があった。小さな集落、と言ってもいいかもしれない。中でも、一際大きい屋敷の構えは古く、石段はその屋敷へと続いているようである。

時折、よろめいては立ち止まり、悲しげに青空を仰ぐ。

男に来客を告げにきたあの清楚な女が、石段の途中で男が降りてくるのを待っていた。

朝霧に包まれた着物姿の彼女は、どこか妖しくさえある。項垂れたようにして立っているその様子が、逆に成熟した女を思わせる。

男は、女の側まで降りて、足を止めたが、女は自分の足元を見つめているだけで、何も言わなかった。

「行くか」

男は、低い声で女を促し、先に立って石段を2、3段降りたところでよろめいた。

女は反射的に駆け寄ろうとする素振りを見せるも、思いなおしたように自分を押さえた。男に近づきすぎることを、意識的に戒めている……そんなふしがあった。

彼女は男に5、6段遅れて従った。

男が時折足元を危うくするたびに、女は動こうとするが、やはり動かない。

男は、200日にも及ぶ断食を終えたばかりであった。……否、中断と言うべきかもしれない。5ヶ月を越える期間、男が口にしたのは水と、気力を維持するための薬草の汁だけである。並の人間では、おそらく3週間ともたなかったであろう。

しかも男は、この200日余の時をほとんど不眠不休で座禅に没頭していた。そのことは、男が強靭な肉体と精神を兼ね備えた、恐るべき豪傑であることを証明している。

白い玉石を敷き詰めた、幅2メートルばかりの道が、石段を降りたところから母屋へと続いている。その途中には、床面積500坪はあろうかと思える、大道場が見える。

「足元にお気を付けください」

母屋の玄関で、女は立ち止まって男の足元を気遣った。

古きよき書院造りの母屋は、その歴史と権勢を物語るかのように豪壮華麗である。

「勝手口に回ろう。足が汚れている」

「いいえ、旦那様はこの家の家長……玄関から入らねば、示しがつきません」

「それでは、家政婦達にいらぬ迷惑をかけてしまう」

「家政婦のことなどお気になさらぬよう」

女は、男の腕を軽く掴むと、そっと促した。香のかおりが、彼女の体から匂い立ち、男の嗅覚に触れる。

玄関に入ると、男の足元がぐらつき、大きくよろめいた弾みに、女の肩に手を触れた。

女は思わず顔を赤くしてうろたえたが、それでも男の長身を両手で支えた。

「すまない、醜態を晒した」

「いいえ、200日も断食をなさっておられたのです。無理はありません」

「すまん」

優しさを孕んだ男の声が、女の耳に届く。

女は、それだけで身の震えるような快感を得た。

男が玄関の上り框に座ると、奥の方から、初老の女があたふたとやってきた。どうやら家政婦のようである。

土間の片隅には湯で満たされた木桶が準備されており、土間へと降りた家政婦は、それを男の足元へと静かにもってきた。

素足で石段を降りてきた男の足が、家政婦によって木桶の中で清められた。彼女は、鍛えぬかれて節榑立った岩石のような足に驚きもせず、丁寧に丹念に、優しい指使いで彼の足にこびりついた汚れを拭った。

適度に温かな湯で清められて濡れた足を、女がタオルで丹念に拭った。

「済まないな」

「いえいえ、これも私の仕事ですから」

男が礼を言うと、初老の家政婦はカラカラと笑った。「仕事……」と言いながらも、その語感には嫌味がない。むしろ、男の身の回りの世話を出来ることに喜びを感じているようですらある。

雪乃(ゆきの)も、ありがとう」

男に誉められたことで、雪乃と呼ばれた女が頬を赤らめる。しかし、すぐにその感情を押し殺したかのように無表情になると、「仕事ですから」と、事務的に告げた。

家政婦が、それを見て悲しげな視線を送った。

男が、『紅月』を杖代わりにして、上体をゆらりと揺らしながら、上り框へと立った。

2人は玄関の間から奥座敷へと伸びている長い廊下をすり足で静かに歩いた。柱も床も梁も、くすんだ色をしており、長い時の経過を感じさせる。歴史の重さを感じさせる色だった。

右に枯山水の庭を見て、廊下を突き当りまで進んだ左手に、20畳の居間があり、閉じられた障子から、2人の男の話し声が聞こえた。

雪乃が前に出て、そっと障子に手をかける。

「旦那様をお連れいたしました」

そっと障子が開かれ、床の間を背にして、2人の男が正座をしていた。

1人は藤原平三郎。その苗字からも覗えるように、藤原一族の血を引く人物で、日本の国務大臣を務める男である。国務大臣……という肩書きは、彼がそのまま防衛庁長官であり、約28万人からなる自衛隊の最高責任者であることを指している。それは過去の藤原一族の立場からすれば決して高い地位ではないが、事実上、藤原一族が日本の国防の全権を担うことを意味していた。

もう1人の男は……我々もよく知る男であった。

千葉県房総半島の先端……野島崎に、診療所を構える男……

国籍不明の軍用ヘリを4機もその敷地内に置き、旧日本軍制式の南部十四年式拳銃を持つ男……

黒木雄介である。

男は、一礼して居間に入ると、自身も正座をし、2人と対面する形で座った。雪乃がそれに続き、少し後ろで正座を組む。

男は、2人の顔を見比べて、もう一度、深々と頭を下げた。

大神(おおみわ)狼月(ろづき)、参りました」

――大神一族。

民間の伝承や、風俗の中に度々出現し、藤原に連なる者を陰ながら守護してきた伝説の一族。その歴史は古く、遡れば大宝律令制定の701年にまでいたるという。

華やかな賛辞も、過分の報酬もなく、たった一筋の血脈を守るために、己のすべてを犠牲にしてきた、『戦士』の血筋。

その誇り高き戦士達の血統を継ぐ男が、日本の防衛を司る国務長官と、旧大日本帝国の制式拳銃を持つ謎の男の前にいる!

「雪乃をはずしましょうか?」

狼月は、自分が仕える藤原国務大臣に向って言った。藤原はゆっくりと首を横に振る。

「では、このままで」

狼月は、雪乃をチラリと流し目で見た。雪乃がゆっくりと頷くのを確認して、彼は頭を上げる。

大神雪乃は古くからこの屋敷にいる、狼月の付き人だった。大神……と、姓を名乗っているが、彼女は大神の血を引く者ではない。8歳のとき、今は亡き狼月の父、士狼(しろう)が、孤児院から引き取った娘である。両親は、彼女が3歳の時に他界していた。

以来、彼女は大神家に住み、家人が止めるのも聞かずよく働いた。幼心に、ここを追い出されは生きてはいけないとでも、思ったのだろう。狼月か雪乃に目をかけたのは、まさにそんな頃であった。

狼月は、雪乃とは15歳も年が離れていたが雪乃を自分の付き人とし、自分の世話だけをやらせるようにした。それは日々の仕事でやつれていく彼女を見かねた、狼月の優しさだったのかもしれない。

以来、15年の付き合いとなる狼月と雪乃だったが、そんな2人だからこそ、狼月は彼女のことを全面的に信頼し、それを知っている藤原も、雪乃の口の固さを信頼していた。

「まずはこれを見てくれたまえ」

黒木が、脇に置いていたアタッシュケースから厚さ2センチはあろうかという書類を狼月に手渡した。1月5日に、診療所で、あの“謎の男”に対して見せたものと、寸分違わぬ書類であった。

狼月は受け取った書類の拍子をめくると、無言でその書類を読み通した。視線が、書類に注がれる。書類に書かれている一時一句を頭に叩き込まんとする集中力であった。

――と、ページをめくるその指が、ある一点で止まった。

「これは……」

狼月は依然として無表情ではあったが、その表情にはわずかな陰りが見えた。

書類のページには、人間の遺伝子のモデルと思わしき図が載っていた。しかし、どこかおかしい。否、明かにおかしい。

人間の体細胞染色体は46本である。このうち23本は父親から、残り半分は母親から受け継いでいるのは、言うまでもない。この染色体のうち、最も長いもので約10ミクロンあり、その名かに約7センチの遺伝子が、7000分の1に折り畳まれて入っている。

だが、その常識がこの遺伝子モデルにはまったく通用しなかった。

その遺伝子の染色体は88本あり、最も長い染色体は約23ミクロンもあった。ただし、遺伝子そのものの大きさは変わらない。

狼月の視線は、その異常な数字に注がれていた。それだけで、何かピンとくるものがあったのであろう。その表情は獲物を追いかける狼の如く変貌し、烈火の怒りを瞳に漲らせる。

「『メサイア・プロジェクト』、レベル3……」

「そうだ。……まったく、人間とは愚かな生き物だね、何が、救世主だ」

「すでに“天の方”では叶和人に対して『鷹』がアクションを起こしている。地の方では、それを全面的にバックアップせねばならない」

「そのための……私ですか」

そう言う狼月には、さしと驚いたような様子は見られなかった。むしろ、くるべきものがきたかと、覚悟を決めたようですらある。

「……1週間ほどお待ちください。それまでには、必ず体調を万全にしておきましょう」

200日に及ぶ断食をこなしてきた末に、狼月が言ったのはそれだけだった。

果たして、彼は200日ものブランクをたった1週間で取り戻せるのだろうか……?

狼月の削げ落ちた頬を見て、雪乃が悲しげな表情を浮かべた。

 

 

 

曰く、その刃が放つ輝きは『月』の真円なり、その刃を使う者は『狼』なり。

実戦を通じて各人が剣技を学び取るしかなかった時代が終幕を迎えた室町時代。『関東七流』、『京八流』などの剣術が出現したことにより、他者に技を伝えることを務めるパイオニアが続々と現れたのである。

そしてその流れに便乗するかのように、大神一族でも剣術の開発が始まった。

すなわち、一刻閃明人二門一派(いっこくせんめいじんにもんいっぱ)大神真刀流(おおがみしんとうりゅう)太刀一刀術(たちいっとうじゅつ)表衆(ひょうしゅう)

そして、一刻閃命狼二門一派(いっこくせんめいろうにもんいっぱ)大神血刀流(おおがみけっとうりゅう)血刃一刀術(ちばいっとうじゅつ)裏衆(りしゅう)である。

前者は大神の表の流派として、主に藤原一族の守護に務めた。

そして後者は、大神の裏の流派として、藤原に歯向かうあらゆる存在を切り捨てることに務めた。それは時として、同じ藤原すらも手にかけてきた。

――大神狼月。

かの者の名は日本全国に約700名余散らばる大神の禁忌であり、畏敬の対象であった。

わずか27歳の若さで裏の大神血刀流を修め、33歳のときには真刀流すらも修めた、天才……

大神という一族内でも、剣聖と呼ばれる彼が、今、一匹の『狼』となって動き出そうとしている。

藤原はその時のことを予想して、ブルリと震えた。

   




いつもとは違って今回は和人の出番がないね。
美姫 「今回は結構裏側のお話がちらほら」
そして、次回へと向けての伏線らしきものも…。
美姫 「さて、次回はどんなお話が展開されるのかしら」
非情に気になる予感を抱きつつ…。
美姫 「またまた次回〜」



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