――2001年1月5日、午前5時17分

 

 

 

千葉県房総半島の野島崎の先端に、古びた洋風の館が三角錐の屋根を天へと向けて聳えていた。

一見すると洋館はTVドラマや映画などの撮影で使われるような印象が見受けられるが、門のところにあるプレートには『黒木診療所』と刻まれており、ここが病院で、未だ活動していることが分かる。

もっとも、海水浴場からかなり距離が離れており、そのいかにもといった外見も手伝って、お世辞にも商売が繁盛しているようには見えない。

事実、野島崎先端に診療所を構えてもう数十年が経つが、未だ一般(・・)の病人は7人しか運び込まれていない。

……そう、一般の病人は、である。

まるで学校の校庭のように広々とした診療所の庭に、洋館とは到底結びつかないようなモノの姿があった。

日本の陸上自衛隊も採用している攻撃ヘリ……AH−1Sヒュイコブラが3機と、CH−47Jチヌーク輸送ヘリが1機、診療所の庭に着陸しているのである。しかも、ヒュイコブラにいたっては完全フル装備の状態だ。

開発以来30余年が経った現在でも第一線で活躍する強力な攻撃ヘリが3機と、155mm口径の曲射砲を運搬するために開発された輸送ヘリが1機、民間の診療所に停まっている……本来ならば、ありえないような光景であった。しかも、ヒュイコブラにも、チヌークにも、国籍を示すペイントが施されていない。

黒木診療所所長……黒木(くろき)雄介(ゆうすけ)は、冷ややかな眼差しで4機のヘリを見つめていた。

およそ、医者とは思えない容貌の男である。

引き締まった精悍なマスクが、185センチを越えるがっしりとした長身に似合っている。やや目尻の吊り上った切れ長な双眸と、薄い唇には強靭な意志のみなぎりを感じさせる。と同時に、日本人ばなれのした肉の薄い高い鼻が、人を寄せ付けない非常さを漂わせている。

医者というよりは、いくつもの戦場を潜りぬけてきた百戦錬磨の軍人……というイメージの方が、しっくりしている。

やがてどれほどの時をそうしていただろうか?

不意に、ヒュイコブラの風防ガラスの嵌められたドアが開いて、中から50代も半ばと思わしき男が降りてきた。

黒木が威厳を正して挙手する。

降りてきた男も挙手で返す。降りてきた男は軍服を着ていた。もしマスコミがこの様子をフィルムに押さえていたとしたら、泣いて喜びそうなネタである。

戦後シビリアンコントロールを採用した日本において、軍服を着た人間というのはそれだけで危険視される傾向にある。着ている人物がコアな軍事オタクや普通の自衛官ならばまだよいが、この男は攻撃ヘリであるヒュイコブラから降りてきたのだ。しかも、機体は国籍不明の攻撃ヘリだ。

「よくここまで来られたな」

黒木が厳しい表情で男に言った。男が曖昧な表情を浮かべ、頷き返す。

3機もの攻撃ヘリが領空を飛行していて気付かぬほど、日本のマスメディアは甘くない。

背後でよほど強力な報道規制が行われたのは、明らかであった。

「さ、中へ」

黒木が男を促す。

男は軽く一礼すると、促されるままに診療所の中へと進んでいった。

3機のヒュイコブラとチヌークから、これまた軍服を着た数十人の男達が降りた。

 

 

 

第三章「男達の咆哮」

 

 

 

――2001年1月6日、午前9時34分

 

 

 

叶和人は後悔していた。

何故あの時、刺客など放って本屋に向わなかったのか……と。

そうすれば、少なくともこのような手痛い出費はなかっただろう。

和人は今、マンションの隣人であり、後輩であり、妹的存在の片倉舞と一緒に、都内に出来た新しい遊園地へと来ていた。

無論、入園料は和人持ちである。

「心なしか財布が先刻よりも軽いような……」

現実逃避を試みるも、明かに変化した財布の重量を和人の指は見逃さない。

ひとつ溜め息をついて、和人は先に入園した舞を追いかける。

「ねぇねぇお兄ちゃん、最初はどこに行こっか?」

見るからに楽しそうな表情で、片倉舞は振り向いて和人に訊ねた。

動くたびにツインテールが揺れて可愛らしい。外行きようと思われるワンピースと黒いスカートが、髪留めに使っているリボンの色とよく似合っていた。

舞の笑顔を真正面から見て、和人は再び溜め息をついて歩き出した。

先月できたばかりの遊園地『ヘブンズゲート』は、冬休みということもあってかなり混み合っていた。もっとも、正月休みが終わったので、一時期に比べれば大分増しな状態である。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!じゃ、アレ乗ろうよ、アレ!」

「……いきなりフリーフォールですか?」

「むぅ、ノリが悪いな〜。こういうのは最初が肝心なんだよ」

「分かった、分かったから」

『ヘブンズゲート』のアトラクションは、『天国への扉』などと大袈裟な名前の割には、シンプルな物が多い。しかし、そこは都内に園を構えるだけあってその内容は一味も二味も違う。

簡単に言ってしまえば、アトラクションひとつひとつの規模が桁違いなのである。

例えば今、舞の言ったフリーフォールは地上121メートルまで上昇したところで一気に急降下!……ではなく、コンピューターによって制御されたプログラムにより、ランダムにフェイントを仕掛けてくるのだ。

フェイントとは、急降下すると思わせて、途中で急ブレーキがかかるシステムのことである。

『ヘブンズゲート』のフリーフォールは、このフェイントの数や距離がランダムに決まるから恐ろしい。多い時は最大で9回、地上に激突しようかという寸前でフェイントがかかることもあるため、余計に性質が悪い。

和人は諦めたように舞に着いて行った。

 

 

 

…………んで、

「ぐ、う、あ、うおぉぉぉぉぉ!」

「あはははははははははははっ!」

あまりにも対称的な悲鳴を上げる2人。

和人は全身に襲い掛かるGに耐えるべく必死に歯を食いしばろうとするが、加速度のため上手くいかない。

「ぬぅぅぅぅぅ!」

「すごいすご〜い!」

 

 

 

「ぐ、ぐふぅ……」

この世の地獄からなんとか生還した和人は、ベンチに座るなり倒れ込んだ。

今更ながら、なんであんな約束を交わしてしまったのか悔やまれる。

――1月2日の夜、舞に早坂紀本の新刊を買ってくるように頼まれた和人だったが、結局店には行けずじまいで帰ると、帰宅のタイミングを見計らって待っていた舞と遭遇してしまい……当然ながら、怒られた。

本を買えなかったのは舞の落ち度だったとはいえ、買ってくると安易に約束をしてしまったのも事実である。

和人は激しく責められた。直接的な暴力こそ振るわぬものの、和人にとってはソレに近い地獄のような責め苦であった。しかも、その一連のやりとりは思いっきり近所の耳に伝わっている。

舞のあまりの怒声に何事かと様子を覗う近所の視線。視線。視線……まるで、拷問である。

結局、和人が折れた。

次の日曜日に舞を遊園地に連れて行くということで譲歩してもらったのである。

「う〜ん、次はどれにしようかな……」

フリーパスを買ったときに貰ったパンフを見ながら、舞は次のアトラクションを探している。

「わ、若いっていいなぁ」

「お兄ちゃんだって充分若いと思うけど……」

時分と舞の差は、体力というよりは活力にあるのだろうと、和人は思った。

「あ、お兄ちゃん、次はこれ行こうよ」

どうやら次に乗るアトラクションが決まったようだ。

和人はパンフを受け取って舞がチェックをつけたそこを見てみる。

「……コーヒーカップか」

コーヒーカップ程度ならば今の状態でも充分耐えられるだろう。和人はそう思い、己の体に檄を入れた。

ベンチから体を起こすと、すでに先へと進んでしまった舞の後を駆け足で追う。

遠くから見てもすぐにそれと判るツインテールのおかげで、和人が舞を見失うことはなかった。

やがて目的のコーヒーカップの方まで来て、和人は首を傾げた。

コーヒーカップというアトラクションの性質上、長蛇の列が並ぶことはあまり考えられないのだが、それを差し引いても妙に列が空いているのだ。

無論、そんなことはお構いなしに舞は列に並ぶ。

後を追い、ようやくコーヒーカップのキャッチコピーが描かれた看板を目にして、和人は愕然とした。

「…………シャイニングスピンカップ?」

察するに、『光速回転コーヒーカップ』。

「さすがに光速はいかないと思うよ」

「……出たら困るって!光速ってことは理論上生じるエネルギーは限りなく無限に近いんだよ!?」

「あ、次の番きたよ」

「日本のアミューズメント業界はどうなってるんだ!?」

たかが一介の学生が、そのアミューズメント業界にとって恰好の市場である遊園地の敷地内でそんなことを言っても意味はない。

和人は舞に引き擦られるままに、コーヒーカップに乗せられてしまう。

コーヒーカップのボディは、メルヘンチックに嫌な赤色をしていた。

 

 

 

…………んで、

「ま、ま、まわりすぎだぁぁぁぁぁ!」

「すごいすごい〜!」

「こ、こ、これはNASAの新しい訓練システムか何かなのかッ!?」

「いや、いくらNASAでもこんなのは作らないでしょ?」

「で、で、でも、マジックテープだって元々NASAが作ったものだしぃぃぃぃぃ!」

必死に歯を食いしばりながら和人はまくしたてる。

恐らく、あの国家機関が作る物は、世間でどう使われるか分からないと言いたいのだろう。

もっとも、そう言って気を紛らわそうとしたところでコーヒーカップ……もとい、シャイニングスピンカップは止まらない。

和人の必死の努力も知らず、舞はただはしゃいでいた。

 

 

 

――2001年1月6日、午後2時53分

 

 

 

「ふぅ、さすがに少し小腹が空いてきたな……舞ちゃん、そろそろご飯食べない?」

心身ともに疲れ果てた和人は、ホットドッグの売店を流し目に必死に言葉を紡いだ。

気が付けば時計台の針はもうすぐ3時を回ろうとしている。

「うん……そだね」

舞はまだまだ遊び足りないようだったが、疲れた様子の和人を見て同意した。

入園してからもう4時間近く経っているが、その間は2人はぶっ続けで遊び続けている。

2人ともまだ若いので体力は充分残っていたが、和人は精神的に大きなダメージを受けていた。

「認めたくないものだな。自分自身の、老いゆえの衰えというものは……」

「お兄ちゃん、何某『赤いMSに乗った仮面の人』っぽいこと言ってるの?」

舞が怪訝な表情で和人に問う。

その言葉に、和人はやや冷や汗を浮かべながら、

「……舞ちゃん、それは色んな方面からクレームがきそうだからやめておこう」

と言った。

しばらく歩いて、和人達は園内のレストランへと足を運んだ。

わりとモダン調な内装のその店は、和食、洋食、中華と有名どころの料理は大抵揃った総合レストランだった。セルフサービス制で、舞が席を確保し、和人が料理を取りに行く。

さすがにバイト先が飲食店なので、2人分の料理の載ったトレイを持っても和人の足取りは軽い。

「おまたせ」

「わッ!やっぱりお兄ちゃんも男の子だね〜」

和人のトレイに載っている料理を見て、舞が目を丸くする。白いプラスチックのトレイには、かるく2・3人前はあろうかという量の料理が載っていた。

身長は176センチとそこそこある和人だが、比較的小柄な体形に似合わずよく食べる。

一般に平均男性の標準的なエネルギー摂取量は2500カロリー前後と言われるが、日によってはそれこそ自衛隊や警察官といった人間と同じように4000〜5000カロリーを摂取することもある。

そのくせ、体形にはほとんど変化がないというのだから、女性陣から見れば羨ましいかぎりであろう。

「うぅ〜卑怯だ」

「ん、何が?」

「なんでもない」

不機嫌そうに言う舞に、和人は首を傾げる。

実際、これだけ食べてまったくと言っていいほど太らないというのは、女性にとって羨望以上に嫉妬心の方が強く発現してしまうようだ。

そんな舞の複雑な心情を表情から読み取ったのか、和人は「ああ…」と呟いて苦笑する。

「大丈夫だよ」

「……何が?」

態度を一転して、不思議そうに訊ねてくる舞。

まだ少し拗ねているように見えるが、彼女の好奇心はすでに和人の「大丈夫」という言葉に注がれていた。

コロコロと表情が変わって面白い子だ、と和人は思った。

「いや、なんでもないよ」

「え〜!ちゃんと教えてよ〜!」

先刻の自分の言動など何処吹く風……ぷっと頬を膨らませながら言う舞に、和人はまたも苦笑を浮かべた。

舞が豊かな表情を浮かべるたびに、ツインテールが小気味よく揺れる。

「さっきのお返し」

「う〜〜〜、過去の事を気にするなんて男らしくない!」

舞にとって、たった今言った言動はもはや遠い過去の出来事らしい。

(潔いというか、なんというか……)

和人は微笑を絶やさずに箸を動かした。

「……ところで舞ちゃん。まだ食べ終わってないみたいだけど、食欲ないの?」

言われて、舞は自分の皿と和人の皿を交互に見る。

一瞬キョトンとして、舞は店内の壁にかけられた時計を見た。

「早ッ!」

料理に箸をつけてから、まだ10分と経っていない。にも関わらず、和人の皿の上にあったはずの料理……それも2・3人前はある分量は跡形もなく消えていた。

舞と会話しながらだったことも考えると、脅威のスピードである。

「お、お兄ちゃん、ちょっと早すぎ」

「そう?べつに普通だと思うけど」

小首を傾げる和人。“素”で言っていることは明白であった。

「絶対に違う!そんなに早く食べたら体に悪いよ?」

「いやぁ、食べれるときに食べとかないと……いざって時に、あの時食べておけばよかった〜ってことにはなりたくないし」

「……“いざ”ってどんな時さ?」

「う〜ん……タハ乱暴に襲われた時とか」

「誰、ソレ?」

結局、和人に遅れること20分をかけて、舞は昼食をすべて腹に収めた。

「うぅ…食べた食べた〜」

「腹八分目ってとこかな?」

「あれでッ!?」

たしかに、時折テレビの特番などで見かける大食い選手権なるものに参加している人達と比べれば、和人も大したことはないのだろう。

しかし、身近にそういった人物がいない舞は、和人の食べっぷりにただ驚嘆するばかりであった。

「……さて、次はどうする?」

「う〜ん……じゃ、アレ乗ろ、アレ!」

舞が遠くの方で走るジェットコースターを指差す。

距離は大分離れていたが、コースに取り付けられた看板に大きく書かれた『ギャラクティカサイクロン』の文字がとても目立っている。その下に、『限りなく音速に近いジェットコースター』というフレーズが掲げられている。

和人は、愕然とした。

「食後一発目がジェットコースターですか!?」

しかしその叫びは、すでに瞳を輝かせながら前方へと進む舞の耳には聞こえていなかった。

 

 

 

――2001年1月6日、午後7時48分

 

 

 

結局、それなりに遅くまで遊んでいた2人は7時になってようやく帰路へと就いた。

会社帰りのサラリーマンで混雑するだろうからと、2本遅れた乗車すると、電車は予想通り比較的空いており、和人達はすんなりと座席に腰を降ろすことが出来た。さすがに隣県とはいえ、東京から四十万市までずっと立ち続けているのは辛い。

「元はとれた?」

「うん!ホント楽しかった!……でも、ごめんね、お兄ちゃん。今更だけど本と遊園地とじゃ釣り合いがとれてないよ」

本当に今更だなと内心で苦笑しつつ、和人は首を横に振る。

「いいって。俺だって結構楽しめたしさ。ここのところバイトばっかで舞ちゃんには夜とか世話になってるし」

端から聞くと誤解を招くような会話だが、和人の言う『夜の世話』というのは、舞が和人のために夕飯を作ってやっているという意味である。

さすがに夜までバイトを続けて、部屋に帰って、いきなり食事を作る気にはなれない。かといって一人暮しである以上、作ってくれる人などいはしない。

舞はそんな和人を見て、『じゃあ、あたしが作ってあげる』と言った。

これには、さすがの和人も開いた口が塞がらなかったという。

いかに付き合いが深いといっても、所詮は他人である。しかも精神面ではさておき、肉体的にはもはや生殖可能な男と女だ。夜、女性が男の部屋に行くなど……和人は、相手を傷つけぬよう口上を並べてやんわりと断ろうとしたが、舞に『奥義』を使われて屈服した。

以来、叶家の食卓は舞と和人の2人が受け持つようになっている。

「舞ちゃんには感謝してるからさ。その恩返しってことで」

「…あれは舞が好きでやってることなんだから、お兄ちゃんはそんなこと気にしなくてもいいのに」

「いや、そういうわけにもいかないでしょ」

そんな封に他愛のない会話をしているうちに、次第に舞の語調から勢いがなくなっていく。

振り向くと、舞は瞼も半開きに、うつらうつらとしていた。

さすがに十時間近く遊んで、疲れたらしい。

「眠たいなら寝てもいいよ。駅に着いたら起こしてあげるから」

「うにゅ……お願い」

「……肩、使ってもいいから」

「ありがと……」

そう答えて、舞は瞼を完全に閉じて和人の肩にもたれかかった。

そして数分後、舞は完全に眠りに就く。寝息を立て、まるで子供のようにやすらかな寝顔を浮かべている。それを見て、和人がふっと微笑む。

ふと、窓の外の景色を見てみる。横浜湾の夜景が美しい。ネオンサインが、まるで花のようにキラキラと光っている。

和人は舞の温もりを感じながら、しばらくそうしていた。

 

 

 

やがて30分ほどが経って、それまで微笑を絶やさなかった和人の表情が突如として引き締まった。

双眸がギラギラと鋭い輝きを放ち、さっきまで笑みを浮かべていた唇が一文字に結ばれる。

和人は感じたのだ。

何者かの視線を……

何者かの、粘っこく絡みついてくるような視線を。

さり気なく辺りを覗ってみる。

不思議なことに、車両には和人と舞以外誰も乗っておらず、人影はない。しかし、かえってそれが不気味であった。

和人は、肩にもたれかかっていた舞をゆっくりとシートの上に寝かせと、なに気ない風を装って、立ち上がる。

ロングコートの下に隠されたナイフシースから、ゆっくりとシャドウVを引き抜く。

拳銃を使うわけにはいかなかった。

乗客がいないのは和人達のいる車両だけで、他の車両はすべて何人、何十人もの客が乗っている。そんな状況下で、サイレンサー無しで拳銃を撃とうものならば……和人には、その後の展開が容易に想像できた。

しかしなにより、和人は跳弾で他の乗客が巻き込まれるのを恐れた。それだけは、絶対にあってはならない。

五感を鋭く研ぎ澄まし、周囲の気配を探る。

間もなくして、視線が煙のように消え去った。和人は一瞬だけ不信に思ったが、すぐに気を取りなおすと拳を固く握り、ファイティングポーズをとる。

何かの気配が急速に自分へと迫ってくる。それは人の気配のようであって、人の気配ではない。

捉えどころのない、それでいて一撃必殺の殺気を孕んだ、猛烈な気配だった。

それは足音もなく、空気も乱さず滑るように向ってくる。

どこにも、誰もいない。しかし、殺気はたちまち彼の眼前へと迫っていた。

「何者……?」

和人が呟いた次の瞬間、彼の下顎に凄まじい衝撃が襲いかかった。

「っ!!」

衝撃と同時に歯を食いしばっていたおかげで、倒れることはなかったが、下顎は目立たない程度に腫れていた。

唇の端から糸のような血を垂らして、体中の筋肉を引き締める。少なくとも、これで急所にでも当たらないかぎり致命傷にはならない。

「これは……?」

呟いた瞬間、今度はボディを閃光のように連打され、さしもの和人も壁に背中を打ち着ける。

ガタンッと、大きな音がしたが、同時に電車が揺れたため、まだ誰も気付いてはいない。舞もまだ、すやすやと寝息を立てている。和人は、舌に鉄の味を感じながらほっと安堵した。

しかし、そんな隙も与えさせんと、音もなく空気を裂いて殺気が向ってくる。

和人はシャドウVをシースにしまうと、両腕をクロスさせて防御の姿勢をとった。

左右から強烈な打撃が和人を襲う。クロスさせた両腕が崩れる。

信じられないような、見えざる敵の物凄いパワーであった。

反撃しようとして中腰になったが、敵の姿はどこにも見当たらない。

「チィッ」

和人がぺっと口の中に溜まった血を吐き出す。

和人が、扉の窓から外を睨みつけた。不思議なことに、その瞳は、灰色の輝きを放っている。比喩ではない。本当に灰色に光っているのだ。

刹那、唸りなき唸りを発して、和人の顔面に軋むような一撃が食い込む。

和人は衝撃を感じた瞬間、咄嗟に両手を顔面へと伸ばした。奇妙な手触りを感じて、両掌もまた眼と同様に、灰色に輝き出す。

途端、一瞬にして衝撃力が消えた。痛みはあるが、ダメージはない。

掌の灰色の光が、いっそう輝きを増す。

「そこか……ッ!」

右手斜め前方から、身震いするような殺気が向ってくるのを感じた。

ほぼ反射的に掌をその方向へと向ける。

「りゃあああッ」

裂帛の気合とともに、和人の灰色に輝く掌底と、唸りを発するその殺気とがぶつかり合った。

刹那、灰色の光が弾け跳び、和人の体を吹き飛ばすほどの力を秘めた殺気と同等……あるいは、それ以上の力が殺気を相殺し、掻き消えた。

殺気が、動揺したように霧散する。

和人が次の攻撃に備えて身を沈める。

また、あの粘ついた視線を感じた。

不意に、気配が掻き消えた。

あたかも最初からその場には何も存在していなかったかのように、殺気が完全に途絶える。

しばらく警戒して、何も攻撃がこないのを知ると、構えを解く。急速に、瞳と、もう片方の手から、灰色の輝きが失せていく。

力の脈動すら感じさせずに、『灰色の力』は消滅した。

和人は、コートのポケットからハンカチを出して血を拭くと、座席シートへと腰を降ろした。

その表情は、遊園地で見せていた普段の微笑を浮かべていた。

あれだけの戦闘……否、襲撃に遭ったというのに、和人の表情はひどく穏やかだった。

 

 

 

――2001年1月5日、午後5時52分

 

 

 

消毒薬のツンとする臭いが、男達の鼻腔をくすぐる。

診察室に置かれた業務用デスクと対になった回転椅子に腰を降ろして、黒木はデスクの引き出しから何枚かの書類の束を取り出した。厚さ2センチはある。

軍服姿の男が、それを無言で受け取った。

ぺらりとページをめくって、黒木を一瞥し、再び視線を書類へと戻す。

「『前回の襲撃作戦』で得たデータから、『地』の方でも独自に調査してみた。やはり、『天』の方と同じ結論が出た」

「そうか……では、やはり」

「うむ。すでに『メサイア・プロジェクト』はレベル3にまで達している」

黒木が暗い面持ちで告げる。

男は、無表情に書類を凝視していた。

黒木が男に問う。

「……それで、首尾の方は?」

「ああ、すでに『鷹』を配置に就かせた。間もなく、目標“Ω”と接触するだろう。“β”ともな……そっちはどうだ?」

「『地』の方では『狼』の部隊を用意した」

「……『狼』を?」

黒木の言葉に、軍服の男の目がギラリと鋭い光を放つ。

「うむ。たしかにやりすぎかもしれんが『メサイア・プロジェクト』は徹底的に叩き潰さねばならぬ。それに介入し、利潤を貪ろうとするすべての者達も、また」

「米国もロシアも、本気でかかってくるというのか……」

「ありえぬ話ではあるまい。それを考慮した上での、決断だ。『狼』直属下の1800名と、『組織』の戦力約8900名」

「……すると、『鷹』の配下310名を合わせて11000名ほどか」

「かなりの大部隊となったが、仕方あるまい」

男が頷く。

黒木は冷笑を浮かべながら、

「いざとなれば、『空母』を動かすことも躊躇わぬ」

しれっと、恐るべき言葉を口から吐き出して、黒木は窓の外へと視線を注ぐ。

3機のヒュイコブラが、鉄のボディをぎらつかせ、今か、今かと出番を待ちわびているようである。

男が、書類を黒木へと返却する。

黒木はそれを受け取って、デスクの引き出しへとしまう。

一瞬だけ、引き出しの奥で何か光るものがあった。男の目は、それを見逃さなかった。

「……南部十四年式拳銃か」

南部十四年式拳銃は、旧大日本帝国陸軍制式の軍用拳銃である。

開発は1925年に行われ、終戦の1945年まで中央工業(現在のミネビア)を含む多数の工場で製造されていた。今から、もう50年以上も昔の拳銃で、すでに制式弾薬である8mm南部弾も製造は打ち切られている。

「……言ってくれれば、私の方で最新の物を用意するが?」

「いや、いい」

黒木はきっぱりと断ると、引き出しを開け、南部十四年式拳銃を手に取り、愛おしげに撫でた。

「……これで俺はあの戦いを乗りきってきたんだ。今更捨てようにも、愛着があってな」

黒木の言葉に、軍服の後ろにいた何人かの男達が小首を傾げた。

戦後、南部十四年式拳銃は警察の装備としてしばらく使用された時期もあった。

しかし、黒木はどう見ても30代後半の男性である。時期的に、辻褄が合わない。

「お前達は余計なことは知らなくていい」

軍服の男が、彼らの顔色からすべてを察したように告げた。

その声には、獣すらも声で殺せるのでは?と、錯覚させるほどの鋭さが秘められていた。

窓の外で、男の声に呼応するかのように野島崎の海が唸りを上げていた。

     

     


章末武器解説

 

――AK47――

 

 

タイプ

アサルト・ライフル

口径

7.62mm×39

全長

874mm

銃身

418mm

重量

3840g

装弾数

30発

ライフリング

4条右回り

初速

710m/秒

連射速度

600発/分

有効射程距離

300m

製造

露国、IZHMASH

 

 

 


舞「今回は舞が説明するよ。みんな〜メモの準備はいいかな?」

タハ乱暴「いや、メモってあんた……」

舞「あ、作者さん!……そういえばお兄ちゃんが探してたよ。『タハ乱暴どこだ〜!?』って」

タハ乱暴「HAHAHAHAHA!そう毎度毎度捕まってられるか。今回は和人なしで解説だ」

舞「むぅ、残念……これはAK47アサルト・ライフルって言う銃で、旧ソ連のミハエル・ティモフェビッチ・カラシニコフさんが1941年に設計した、世界でいちばん広く使われてるアサルト・ライフルなんだ。世界中で5000万挺以上生産されているんだよ。凄いでしょ?

AK47の長所はとにかく構造が単純で頑丈なこと。あんまり訓練も受けてない兵隊さんが手荒い取り扱いをしても確実に作動するように出来てるんだよ。メカニズムは舞でも分かるぐらいすごく単純で、ボルトは回転式ロータリー・ボルト・ロッキングシステムっていうのを使ってて、作動は発射ガスを使うガス圧利用法式なんだって。そのおかげで泥の中でも、たとえ錆びてても問題なく使えるんだ。

ただ欠点もあるんだよね。それは構造が単純過ぎるせいで300メートル以上の射撃になるとすっごく精度に欠けちゃうことと、セーフティレバーの切り替えの時の音が大きいこと。7.62mmていう大口径のせいでフルオート射撃(この銃は単発のセミオートと、連発のフルオート射撃の両方が可能なんだ)の時に安定性が悪いってことなんだよね。

でもでも、AK47は今も戦場で現役さんなんだよ?それに、旧社会主義の色んな国でコピー品も造られてるし、たっくさんのバリエーションもあるの。……作者さんが知るかぎりじゃ、今、世界中に60種類近くのAK系列のライフルがあるんだって。つまり、それだけ前線の兵隊さんにはお馴染みの銃ってことだよね。

ちなみにAK47っていう名前は1947年にソビエト制式のアサルト・ライフルになったことから付けられた名前なんだ。あと、これは余談なんだけどこのAK47は日本円にして1挺5000円で作られてるらしいよ。恐いね。みんな、恐そうなロシア人とか作者さんを見かけたらまず警察に通報しようね」

タハ乱暴「HAHAHAHAHA!警察のニュー南部程度で俺を止められると思うなよ……って、ハッ!殺気!?」

和人「…………見つけたぞ」

タハ乱暴「ま、待て!俺はまだ何もしてない!!」

和人「“まだ”ということは、する気はあったんだろう?」

タハ乱暴「そ、それは……」

和人「……『誰』に、『何』をする気だったのかな?」

タハ乱暴「ま、まぁ待て、話せばわか……ぎゃぁぁぁぁぁ!!」

舞「あ〜あ、作者さん串刺しにされてるよ。これも日頃の行いが悪いからだね、きっと。じゃ、みんなまた次回!」

タハ乱暴「薄情者〜!俺はそんな娘を創った覚えはな…ごふぅッ!!!」

和人「死ねッ!死ねッ!!5回死んでこいッ!!!」



平穏な日常に忍び寄る影……。
美姫 「その影が徐々に姿を現し、和人を飲み込まんと…」
益々ハードな展開になりそうな予感を残しつつ…。
美姫 「再び次回までお預け〜」
気になるのよ〜。
美姫 「でも、今回も前半はほのぼのとした感じね」
うむ。赤いMSとか…。
美姫 「でも、後半はシリアス」
今回の姿なき者には、さしもの和人も最初は少し押され気味だったしね。
美姫 「次回以降も、こんな奴らが出てくるのかしら」
その辺を想像しつつ、また次回〜。
美姫 「じゃあね♪」





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