登場する団体、人名は全て本編とは無関係です。

宗教に関しては中庸ですし、サイト管理者様のご好意で掲載

させて頂いているものであり、作者様の意識とは無関係です。

作者個人の意見であり、第三者の意見ではありません。

読者の歴史観に整合しないと判断された場合は然るべく。

整合すると判断を下された方は継続されますように。

                             作者敬白




 現代があり、過去があり、未来があり、それらが綯交ぜに存在する時間の坩堝、

 始まりも無ければ終わりもない時間の奔流、幾重にも捻曲げられたメビウスの輪、

 あらゆる悪意と善意が綯交ぜになった虚な結界、其れが地球の廬、日本。



帰去来



第一部 環流





「恭也くん」

自分が呼ばれていることに気づかないまま思考の海に沈む恭也。

「恭也君!」

初めて自分が呼ばれていることに気づいた恭也はそっと振り向いた。

声の主は初音であった。

「一体どうしたというんじゃ」

初音さんの声が聞こえないほど考えに集中していたらしい。

「すいません、初音さん。少し考え事をしていたみたいです」

「それなら良いのじゃが。何かしら只ならぬ雰囲気が感じられたでのう」

「心配をお掛けしてすいません、本当に大丈夫ですから」

会話は、那美の登場で中断された。

「お婆ちゃん、お父さんが道場まできて欲しいんですって」

「一樹が何の用じゃろう。道場へ行くとするか。

 恭也君、君も来んか。薫もいるじゃろうし、な」

初音の言葉に顔を染める恭也。そんな恭也を見て頬を引きつらせる那美。

そんな表情を浮かべる那美に初音は

「那美も早く行かんと、葉弓や楓たちも道場におるんじゃぞ」

その言葉を聞いたとたん、那美は足早に道場へと向かった。

初音は、那美の変わり身の早さに苦笑いを浮かべながら

「恭也君、君の意中の女性は一体誰なんじゃ」

そんな問いかけに恭也は密かに汗を流していた。

「誰とはまだ決めていません」

「誰とは決めていない、という事は薫や那美、葉弓に楓達の中におるんじゃね」

恭也の性格をしっかりと把握した上での、冷やかしにも似た初音の言葉であった。


道場では一樹、椛、菜弓、雪乃、薫、和真、北斗、葉弓、楓らと語らっていた。

一日の稽古が終わり、食後のひと時。

「それで父さんは、神咲の伝承を信じているんだね」

「いや、信じているというか、辻褄が合いすぎていると思っただけだ」

そういうと一樹は神咲の伝承を語りだした。

「記紀(『古事記』と『日本書紀』の総称)に登場する種族で、「熊曾」とも書かれる。

 これが神咲のことを指していると思える節があるんだ。

「熊」は球磨(くま:肥後球磨郡地方)、「襲」は囎唹(そお:大隅囎唹郡地方)を指し、

九州南部(熊本県から鹿児島県に至る地域)に勢力を持ち、大和に服属しなかった。

皆も、日本武尊に討たれた熊襲族長・川上(熊襲)タケルの話は知っているだろう。

日本武尊は、倭武尊とも記される。熊襲を智謀を用いて平定したとされているのが。

皆も知っている日本の正史だ。

だが神咲の史書は討伐の為、この地に入った倭武尊は川上タケルの姫に魅了された。

姫の方も倭武尊を見初め、夫婦の契りを結んだとされている」

其処へ和音と恭也が入ってきた。

「義母さん、今、神咲の伝承について話していたんです」

「伝承か、わしも聞かせて貰うとしよう。恭也君は初めてじゃから聞きたいじゃろう

 一樹、話を続けてくれ」

そう言って車座の中に入った

「それじゃ今まで話したところを掻い摘んで恭也君に聞かせよう」

一樹はそういうと、恭也に聞かせて行った。

「此処までは分かったかい、恭也君。じゃ続けるよ。義母さんもよろしいですか。

 記紀では熊襲の族長が倭武に打たれた事に為っているが、夫婦になった倭武尊は、

 熊襲征伐という朝廷の意向を果たさず、球磨の地に留まった。此処からがお父さんの

 解釈だ。殺されたの熊襲の族長じゃない、倭武尊だ」

この言葉は記紀を完全否定している。一樹は正史を真っ向から否定したのだ。

記紀は日本の正統な歴史書として位置付けられている。皇室の歴史でもある。

一樹の言葉は其れを否定している。日本民族の歴史を否定しているのか?

「皆も知っているだろう、熊襲の族長が女装した倭武に討たれた事を。

 そもそも何故球磨の地まで遠征させたのか考えてみたんだが聞いてくれ。

 正史では倭武は兄を殺した事になっている。粗暴で周囲から忌み嫌われた人物だ。

 仮に粗暴と云われている倭武が、聡明で人望も厚く、自分より優れていたらどうだろう。

 私が違和感を感じたのは、長男が父である景行天皇の女のを掠め取ったと云う

 件りだ。おかしいとは思わないか、手柄話だけ書かれて来た中にこの話は異様だ。

 仮に倭武を殺す理由が必要だった、と考えたらどうだろう。

 常に自分の地位を脅かす存在でしかない倭武。景行天皇は倭武の暗殺を考えた。

 そこで倭武の兄の登場だ。記紀の記述は長男の批判が倭武に置き換えられたんだ。

 素行の悪い長男ならば誰もが納得する。信義に厚い倭武が見かねて意見をする。

 手の込んだ筋書きだが、疑う者は少ない筈と踏んだ景行天皇は計画を実行した。

 父の女を掠め取った悪人に仕立て上げて、倭武に父である自分に謝るように説得に

 行かせたが逆切れして倭武に殺された。然し、倭武もその折の傷が元で死んだ。

 そこで争いの火種となる女が必要になってくる。

 自分の女に因果を含めて息子の下へと奔らせる、いや、用を造って赴かせたのかも
 
 知れない、後者の方が正解だろう。倭武を犯人に仕立て上げる為、倭武にも同様の

 手を用いた。女と倭武が同時刻に長男の屋敷に訪れるように仕向けた。

 三人を殺す計画は綿密に立てられたと思う。結果、倭武尊は無事に逃げ果せた。

 生き証人を消す為に追っ手が掛けられたと見るべきだろう。追われ追われてたどり着

 いたのが、球磨の地だ。熊襲一族の庇護の下、倭武は川上タケルの姫と恋仲に為り

 夫婦の契りを結んだ。やがて倭武の居所を見つけた景行天皇は、朝廷に盾突く熊襲

 の一族を征伐するという名目で、熊襲一族もろとも、倭武尊の殺害を目論んだ。錦の

 御旗に包んで殺す、其れが真実だとおもう。子を生し平穏に過ごす内に危機感が薄

 れた倭武の前に、彼の義侠心が見過ごす事の出来ない状況を創り上げ暗殺した。

 これが後世に伝えられている正史のお父さんなりの解釈だ」

一樹はこう結んだ。

「そして、神咲の伝承にはミカヨリヒメという名の女性が記されている」

和音が言った。

「そうじゃ、神咲の伝承にはその名がある。熊襲の姫を指すのか、倭武と熊襲の姫との

 間に生まれた子か、子孫かは定かではない。ただ、神咲の始祖は女子じゃ、異能の

 持ち主じゃったとも記されているだけで詳細は分からん。何も書かれておらんのじゃ。

 ミカヨリヒメとは筑紫の君の始祖とも言われ、卑弥呼ではないかとも言われておる。

 じゃがその事が神咲の始祖は卑弥呼じゃとする根拠ではないがのう」

伝説の国邪馬台国、それは邪馬壱国とも呼ばれていた。

何処にあるのか未だに分からない。征服されたのかもしれない。

日本という国は侵略と征服の繰り返しで成立している。大陸の一部として存在し地殻変動で

孤立、そのときに居た者が日本人の始まりかもしれない。




恭也

初音が登場し、神咲の始祖は女性であったと語った。

それによると呪術をよく遣ったとのみ記されており、詳細な資料は残されてはいなかった。

また、史書の中に、ミカヨリヒメという名の女性が記されていたとも語った。

ミカヨリヒメとは筑紫の君の始祖とも言われ、卑弥呼ではないかとも言われている。

そんな中、神咲の始祖が現われ、よく呪術を遣い、荒ぶる神々を鎮め。悪霊祓いを行った。

彼女に付き従う者たちが衆を組みそれを生業とする集団が形成された。そうして、何時しか

神咲と呼ばれる様になったことが記されていると淡々と語った。

其処にいたる経緯は詳細に記されている、が、肝心の始祖に付いては女性であり呪術

をよく遣う者、としか記されていない、何か意図的に書かなかったかのような感じがする。


閑話

現在の日本の天皇は渡来系の子孫であることが囁かれている。

高麗系、新羅系、大陸系とも言われている。秦氏一族の長は太秦と呼ばれていた。

これが日本名の読み通りなのか、別物なのか今となってはわからない。

時の天皇が、渡来人に対して下賜した姓であり、音読みに対する当て字かも知れない。

細川、羽田といった前総理大臣は平安貴族の藤原一族の流れを汲んでいるらしい。

中臣鎌子は大化の改新の功績により藤原姓を賜った。初代藤原一族の統領は藤原鎌足。

藤原一族には秦氏の影が付きまとう。平安遷都の大立役者であった秦氏は私財を投げ

打ち、居宅を提供し、遷都を成功へ導いた。これから権力の中枢へ躍り出る筈であった。

しかし、秦氏は権力中枢に入るどころか、政界そのものから姿を消してしまった。

一体秦氏はどこに消えたのか、疑問は尽きないが渡来人であったことは確かである。

蘇我氏に発する大陸系の貴族、高麗、新羅系の貴族。

それぞれが信奉する宗教の違いが今日の日本のあり様を端的に顕している。

天皇家は神道を奉じ、国民の多くは仏教徒である。これは一体何をさすのか。

神咲といえば、仏教でも神道でもない独自の宗教的宇宙観を形成している。

どちらかといえば神道に近いが、決して神道ではない。

隠れキリシタンのように、在来の宗教を纏う事により摩擦を避けてきたからだ。

当然のことながら菩提を弔う寺もある。無灯寺と呼ばれ、神咲宗家の広大な敷地の中に

在って、神咲以外の人には知られていないが、宗徒はそこそこいる。華道、茶道を布教

の手段にし、宗徒を増やしてきたのだ。

宗徒の姓は、畠、畠山、細川、細田、畑山など、秦氏に所縁のある姓が多い。

それと神咲宗家直系の嫡男のみ代々真という字を必ず一文字使う。

神咲和真神咲宗家嫡男。

秦、真、どちらも音読みは「しん」である。

女子は直系であっても「真」の文字は使わない、直系の嫡男一人のみに許された文字

なのだ。





夏休み

鹿児島へきて一週間が過ぎた。夏休みも後二週間、去就を決めねばならない。

なぜか今、俺は神咲の退魔師たちに稽古をつけている。

二日前

一樹さんに連れられて宗家の道場に入った。

「稽古止め!」

一樹さんはよく通る声でそう言った。

「みなに高町恭也君を紹介する。夏休みを利用して出稽古に来ている。年は皆より若

 いが彼の剣技を少しでも自分の物に出来れば退魔の場に於て必ず役に立つと思う。

 そして彼が使う流派は御神流だ。しかし、皆には真摯な気持ちで学んで欲しい」

いきなりの事なので皆さんたちは戸惑っていた。

薫さんや那美さんの客人と思っていたのだから当然の反応かもしれない。

こんな少年に何を学べと師範は言っているんだ。しかも御神流を学べとは。

こんな反応が起こることを予想していた和真が恭也に声を掛けた。

「恭也君、一本やろう」

「分かりました、宜しくお願いします」

道場に居る退魔師たちの見守る中で試合が始まろうとしたとき。

「和真さん、俺を悪霊か妖魔と思って一灯流の技で相手してください、お願いします」

和真は恭也の真意を計りかねていた。

『恭也君は何を考えているんだ。一灯流の技でと言っているが・・・・』

その場に居た誰しもの頭に浮かんだ事であった。一灯流は悪霊や妖魔との対戦を

前提に長年磨かれて来た技だ、霊力の無い人間に使えばたちどころに命を落とすこと

になる。それを彼は知らない。

一人の退魔師が声を掛けてきた。

梶茂手長英、宰領師にして神咲三派の長老の最高位に位置する退魔師であり梶茂手

一族の統領だ。概ね退魔師たちは梶茂手姓を名乗る。

派生として河野家があるが、神咲の血が入っている。要するに神咲一族なのだ。

親戚関係で繋がっていることになる。

長英は、薫や那美、葉弓、楓が恭也に好意以上のものを感じていることを知っている。

だから恭也を死なすわけには行かないのだ。まして孫のようにかわいがってきた彼女た

ちの想い人が無謀な要求を和真に突きつけた。長英は和真の力を知っている。

だから試合させるわけには行かないのだ。

「師範、彼は神咲の理を知っているのですか。

 知らずにそのような事を言っているのでしたら命を落とすことになります。

 恭也君、断じて君を軽んじて言っているんじゃないんだ。

 其処のところ誤解しないでくれ、傍目でも君の実力は窺い知れる。

 しかし、我らが一灯流は人ならざる者を打ち倒すために磨かれてきた技なんだ。

 人相手の剣技では通用しない」

恭也を心配する退魔師に和音が後を取った。

「長英、心配は無用じゃ。それとついでじゃから皆に言って置く。

 彼の本来の名は不破と言う。

 流派は永全不動八門一派御神真刀流、御神二刀術とも御神流とも呼ばれておる、

 厳密に言えば御神不破流小太刀二刀術を使う」

御神流、それは彼らにとって対極にあるものであった。

古流各派にとって御神は畏怖する対象であった、しかし神咲にとっては唾棄する存在

であった。人殺しの剣術、人殺しのために研鑽された殺人剣、それが御神流であった。

和音は自分の口から発する言葉が皆を凍らせるに違いないことを確信していた。

和音は口を開いた。

「もとは神咲から出た流派じゃ」


「・・・・・・・・・・・」


和音の言葉にその場に居た全員が凍りついたように微動だにしなくなった。

漸く思考回路が正常に動き出した。

「まさか、あの御神が神咲から派生したとは信じられん」

これが全員の胸のうちに去来した思いであった。

御神流、人をいかに早く、確実に殺すかを極めた流派だ。

和音の口から出た不破流は、さらに剣技を昇華させたもので、暗殺に関しては御神流を

凌駕するぐらい特化している。本当の意味での殺人剣である。

御神は相手と対峙し、雌雄を決する場合が多い、それは護衛を旨とする仕事に就くため

一人で多数を相手にする対多数守護に特化してきた。御神が護衛する対象に攻撃を仕

掛けて成功した者は居ないとさえ言われている。

それに対して、個対多数攻撃に特化した不破は問答無用の殺人剣だ。

不破にはきれいも汚いも無い。ただ殺すだけ、有無を言わさず一気に殺す。

それが不破流だ。護衛が何人、いや、何十人居ようとも必ず暗殺対象を殺してきた。

小太刀二振りを使い、不破に失敗は無いとさえ言われて伝説になって居る。

今、眼前にいる若者が名乗った不破姓は、裏宗家と呼ばれ恐れられた不破流当主のみ

が名乗る正統の者である事を意味している。

衝撃はいまだ覚めやらず、時間は停滞したままである。神咲にも人を殺める技はある。

しかし、正々堂々と闘うことが流儀の掟であり御神や不破を受け入れることは出来ない。

漸く動揺が収まりかけて来たとき、和音は神咲の始祖について話し始めた。

「神咲の信奉する宗教は仏教でも神道でもないことは皆も承知しているじゃろう。

 普通、神道は天照大神を祀り、仏教は釈迦を祀る。では神咲が祀る本尊とは何ぞ。

 表向きは仏教じゃ。しかし、本当は龍神を祀っている。

 恭也君、君達は御神に不破は、何を祀っている」

和音の問い掛けに答えた恭也の言葉にこの場にいる者が再び凍りつく。

これは流派の秘密。

退魔師たちはみな神咲の血筋であるから外にもれることは無かった。

彼らは恭也から帰ってきた答えに唖然とした。

「御神も表向きは仏教ですが、独自の本尊を祀っていました、龍神を祀っていました。
 
 その龍神は顔に刀傷を持っていました。右の額から左の頬にかけて、斜めに走る

 刀傷です。不破はそれに加えて虚空蔵菩薩を祀っていました」





神咲の伝承

「顔に、右の額から左の頬にかけて、斜めに走る刀傷です」

背中に戦慄が走った。彼ら神咲の退魔師たちが祀る本尊が言い当てられたのだ。

神咲の本尊、それは龍神であった。かつて大陸で龍と闘い、その龍の顔に傷をつけ

た一人の男がいた。龍の傷を癒し、復調させたその男に、龍は約束した。

「我の傷を癒し、体調も旧に劣らぬように癒してくれた。

 この礼にお前の子孫に難儀が降りかかる時、我は蘇り、汝が子孫を護らん。

 そのときは必ず我は蘇ること努々忘れるな」

 この言葉を残して龍神は天に昇って行ったと伝承は結んでおるんじゃ」

さらに和音は語り続けた。

「男の一族は重なる戦災に遭いながらも滅亡することは無かった。

 彼の一族は龍神に護られていた。

 あるとき、託宣があった。

 ”平原に嵐が吹く、風は強く全てを吹き飛ばす”

 この託宣を受け、東を目指して旅が始まった。

 後漢末期、大陸を巻き込む戦乱が始まろうとしていた。

 黄巾の乱、赤壁の戦い、戦火の渦が大陸を席巻する前に男と一族は大陸を捨てた。

 大陸を離れ、海を越えて辿り着いた地は、農耕と狩猟を生活の基盤とする所であった。

 湾内には島があり、中央に山があった。

 球磨と呼ばれる地に本拠を構え、川上と名乗りその勢力を誇示する一族が居た。

 遥か東、統一国家を建設せんとする強国があった。

 自分達に従わぬ国を武力で平定し残すは球磨の国だけであった。

 討征軍が組織され、その軍団の指揮は、巨大国家の大王の次男がなった。

 次男は倭武尊と呼ばれておった。

 倭武尊は川上タケルを討ち、一族は東方の強国に従う事になった。

 戦に負けた川上タケルは、服従の証として自分の娘を差し出した。

 神咲の祖先は、その折に川上氏の娘を娶った倭武尊の子孫だと言われている。

 神咲の始祖は女性であった。呪術や鬼道を使い、民衆の難儀を救済していたらしい。

 川上姓であるが、果たして今の読み方なのか。音読みは時代と共に変化してゆく。

 川の発音も、「川の中」とすれば、”かわんなか”と発音する地域もある。

 ”の”が変化して”ん”になることは知られている。

 僕の家-ぼくのうち-”ぼくんち”。

 君の家-きみのうち-”きみんち”。

 ここで推論じゃが、

 上と言う字をそのまま”かみ”と発音するか、川の始まりとして”さき”と発音するかが問題じゃ。

 ”さき”と発音していたら、姓ではなく、場所を指すとしたら。

 川上-川の上-かわのさき-”かわんさき”

 これが詰まって”かんさき”となっても不思議ではない。

 ”かんさき”よりは”かんざき”と発音するほうが楽じゃ。だから”神咲”へと変化していった。

 神咲は熊襲の血と倭武尊の血筋であると思う。卑弥呼の直接の子孫か正直なところ分

 からぬが、わしらの力を考えれば卑弥呼と同じ血筋ならば納得の行く答えじゃと思う」

和音は神咲の始祖に関する推論ではあるがと前置きして言い切った。

「倭武尊にしても、十二代景行天皇の子としか記されておらん。倭武尊を在来の豪族、

 川上氏を渡来系の豪族としたならば伝承が生きてくる。混血があった方が自然と思える。

 倭武尊と熊襲の姫のロマンスは混血が盛んに行われた事を示しているんじゃないかのう」

神咲の始祖は大陸系の渡来人と在来豪族との混血であったかもしれない。

だとすると不破もそうなのか。恭也にはこの事が心のどこかに引っかかる。

「恭也君、神咲の伝承なんじゃが、不破のことが書かれていること自体、神咲と不破が関係

 深いことを証明していると思うんじゃが」

「そうですね、父さんも知らなかったと思うんです。美沙斗さんも知らないみたいだし」

恭也は、秋霜と八景の関連から神咲と不破の関係を少なからず知っていた。

恭也は心に引っかかっていたことを和音に尋ねた。

「菩提を弔うために神咲三派から選ばれて無灯寺の管理に就いた人たちの事なんですが、

 このことは神咲の史書に載っていますか、無灯衆と言われて居たらしいんですが」

「いや、……載ってはいない。……じゃが…宗家の先代としては知っている」

「他の神咲各派に付いてはどうでしょう、菜弓さん」

「わしのところには、そんな記載はないのう」

「椛、御主のところはどうじゃ。」

「わしの所にもそのような記載はない。」

「一灯流は一振りの太刀で戦います。でも、楓さんや葉弓さんの所は小太刀です」

「そうじゃ、楓のところは小太刀二刀、葉弓の所は小太刀一刀」

「葉弓さんの所は弓で除霊が基本ですから動きやすいように小太刀一刀なのでしょう。

 楓さんのところは我々と同じく小太刀二刀です。俺たちは小太刀二振りで一振りとし

 ます。風月流の戦い方を見たことが無いので何とも言えませんが、

 皆さんは神咲壱刀流と無灯流をご存知ですか」

初めて聞い刀法の名前に首を傾げる面々。それは神咲の表舞台から消えて久しい

神咲の殺人剣の名前だ。神咲壱刀流が御神の原点であり、無灯流、この剣技こそ

御神不破流の原点だと感じていた。事の理非善悪を考慮せず敵対するものは全て

誅殺する殺人剣。

この場にいるものは先ほど一樹の話が頭に浮かんだ。

邪馬壱国。”壱”・・・・・神咲壱刀流。そして熊襲、いや、川上一族の事を。

川上はその持てる技で傭兵の様な仕事をしていたのではないか、それゆえ重宝され

るが、忠節とは縁の無い集団であった為、世の中が落ち着いてくると危険な存在でし

かなかった。そのような時代背景を感じ取ったのか川上一族は球磨の地より消えた。

数百年を誇った川上一族が歴史の表舞台から消え去った。

何時の頃からか、神咲と名乗る一族が川上一族に取って代わったかのように現われた。

それから遅れる事300年後、飛鳥の地に蘇我を名乗る一族が生まれる事に為る。

蘇我一族が現われ、天皇家と共に闘い、力づくで周りを平定していった。



帰依

球磨の地に生まれた神咲は仏教に帰依した。

宗教に関して言えることは自分達の信奉する対象こそ唯一絶対のものである、と

言った感情が生まれ、連帯感に繋がることは周知の事実だ。

方便だとしても神咲全体がすんなりと帰依することは無いと考える方が自然である。

この時点で神咲は最初の分裂を経験したのではないか、本来の宗教を固持するもの

が居ても不思議ではない。分裂したと考える方が自然である。しかし、人数的には

どうであったかは疑問だ。それほど人数は居なかったのではないか。

離反する者、残る者、両者の胸の中の感情を整理するには大和朝廷打倒は最適の

標的である。

こじれたままの離反ではなく、止むに止まれぬ感情の発露として互いが互いを労わり

ながらの離反であると認め合うことが結果として完全な離反ではなくなり、帰ることが

出来る状況を作り出した。雌伏すること300年、征服者の血の中に自分達の血を混入し、

やがて自分達だけの血筋を作り出す、権力者の外戚として、権力者として自分達の血

がこの国を支配してゆく。裏からの支配、これが彼らの復讐、龍神に行った行為に対する

彼らなりの償い、そして礼賛。

加護は有るのか、やがて飛鳥の地に蘇我氏が生まれる。

我は蘇る、汝の子孫に難儀が降り掛かるとき我は蘇る。




我は蘇る者なり(蘇我氏誕生)

最大の功労者である蘇我氏は大陸系の渡来人であった。

やがて、高麗系や新羅系の豪族も力を得て、社会が安定すると、一枚岩であった筈の者

たちの中に亀裂が走り、権力闘争へと進んでいく。

中大江皇子は叔父を孝徳天皇に立て、皇太子となり政情が安定すると退位させ、自らが

天智天皇となる。蘇我の隠れ一族とも知らず、中臣鎌子に藤原姓を下賜した。

彼を重用し、政治を行った行った。

その間、中臣氏は一族の姫たちを天皇の后として、輿入れさせ確実にその血を自分達の

血へと変えていった。天智地天皇の皇后は蘇我倉山田石川麻呂の娘であった。

後にその娘は天武天皇の皇后妻となる。天武天皇没後 皇位を継ぎ持統天皇となる。

持統天皇、蘇我倉山田石川麻呂の孫。


大陸出身の蘇我氏と、高麗系、新羅系の豪族が覇を競い、水面下で三つ巴の争いを演じ

ていたと言っても過言ではない。最大勢力を誇った蘇我一族も高麗系、新羅系の仏教に

帰依する豪族たちとの軋轢があり、大化の改新を以って滅亡した。蘇我氏も龍神を祀って

いたと言う。

天武は血筋では無い。天武亡き後、持統天皇となり此処に血による復讐は完成した。

天武没後、これ以降は天智の血筋から天皇が輩出され今日に至る。




御神

蘇我氏滅亡の後、時を経ず球磨の地に無灯衆と呼ばれる一団が神咲の中に生まれた。

彼らは、神咲三派の菩提を弔う菩提寺の管理を行い、壱刀流をよく使う集団であった。

かつて神咲が世に認められる様になった時、壱刀流は一灯流となり、一灯流の教義に

反するとして禁忌の剣となった。

神咲が三派に分かれ菩提を弔う無灯寺を管理するため各流派から選ばれた集団が

壱刀流を伝承するのみとなり、その集団もひとつに纏まり一族を形成した。

彼らは自らを無灯衆と呼び、ある意味、本来あるべき神咲の原型に立ち戻った。

彼らは虚空蔵菩薩を神咲本来の守護神である龍神と並べて祀っていた。

御神が本格的に世に出たのは神咲が三派に分かれてのち数百年後のことであるが、

これまで御神は何度と無く現われては消えていった。そのような経緯を経て御神は

世に出た。御神が世に定着し、初代から数えて五代目の時、御神から突如として、

不破が世に出た。

不破が現われると同時に無灯寺の管理をしていた無灯衆が忽然と姿を消した。

神咲壱刀流、それは無灯寺を管理する者たちが受け継いだ殺人剣であった。

悪霊、妖魔、人、敵対するものは区別無く殺す。

正邪理非を問わずただ殺す。そのためにだけ存在する刀法。

集団の操る剣技は、瓜二つではないが御神流の威力と余りにも重なりすぎていた。

「壱刀流を伝承した彼らは、幾世代に渡って研鑽し、自らの流派を打ち立てたんです。

 彼らは自分たちの遣う剣を無灯流と名づけ独自の刀法を編み出しました。」

 恭也は立ち上がり、道場の真ん中に立ち、小太刀を構える。

「よく見ていてください」

そう言うと恭也の姿が忽然と消えた。

再び現われたとき長英の首筋には小太刀が添えられていた。

その間、恭也が動いた姿を見た者は一人としていなかった、消えたのだ。

再び恭也が消え、元の道場の中央に立っていた。

何事が起こったのか、一樹、長英、退魔師たち。

蒼白になり驚愕の色を浮かべている。

三人の先代達、薫、那美、葉弓、楓らは神速を一度ならず見ている。

お互いの顔を見合わせ、言葉もなく恭也を見つめている。

しかし、長英達には今起こったことが理解できないのだ。

そんな時間が暫らく続いた。

「・・・ょ・・・恭也君、今のは一体・・・」

一樹が搾り出すような声をだして問いかける。

「今のが御神です、神咲壱刀流です」

「今のが・・・・」

再び沈黙がこの場を支配する。

和音の言葉で漸く呪縛が解けた。

「今、恭也君が遣った技が神咲壱刀流じゃ、わしも伝承に際して口伝もされなかった。

 わしの母親、わしの先代じゃが、母が残した遺書の中にこの事が記されていた。

 遺書の日付は、母が死ぬ一年前じゃった。この刀法は神咲の正史には記されておらん。

 これは宗家にのみ受け継がれた口伝じゃそうな。今この場に居る皆が知ることになったが

 祖先の方々や母親も許してくれるじゃろう」

「先代、長英真に愚かなる事を申しました。恭也君許してくれ」

低頭する長英に、

「気にしないでください。長英さんが俺を気遣ってくれた気持ちに些かの嘘はなかった。

 本当に心配して下さった気持ちは、俺には十分すぎるくらい伝わっていますから。

 俺こそ長英さんに心配掛けさせてしまいました。謝るのは俺の方です」

そう言って恭也は長英に頭を下げた。

和音が口を開く。

「ところで恭也君、君は御神流じゃといったが、不破もではないのかのう」

恭也は昨晩、和音が頼みごとといって俺に頼んだ真意が理解できた。

和音は続きを促す。

答える恭也。

「はい、不破、もですが、不破は神咲無灯流の流れを汲んでます。

 俺の遣う御神不破流は、無灯衆が編み出した無灯流が原点です」

恭也はそう言うと小太刀を構えた。

本来、恭也は技前を自慢する男ではない。自分の遣う剣は人殺しの為の剣、

昔父さんが言っていた。

「なあ恭也。御神も不破も、どこをどうすれば簡単に人は殺せるか、

 それだけを追求し、出来た剣だ。後にも先にも誇りなんか無い、持っちゃいけないんだ。

 俺達が剣を振るのは自分達の為、大切な家族や大切な人を守る為に人殺しをする。

 俺はな、そのために人殺しをするんだったら迷いはしない」





和音 (前夜)

「恭也君、君に頼みがあるんじゃ」

鹿児島に着いたその日の晩、恭也は和音に呼ばれた。

此処は和音の部屋、その中でいま和音は恭也に、

「恭也君、君に頼みたいことがあるんじゃ。無理を承知でお願いしている。

 あす皆の前で君の技前を披露して欲しい、それと理由は今は話せない」

和音の顔をじーと見つめる恭也。

対して和音の顔に浮かぶものは悲壮感、いや違う、この表情は・・・・・・

恭也には和音の顔に浮かぶ色に見覚えがあった。

『恭也、よいではないか、見せてやれ、この者の色、人には珍しく清々しい』

『そうじゃ、秋霜の言う通りじゃ、見せてやる時期かも知らぬ、この者、主が血筋じゃ』

俺の血筋、テロで俺達以外全員が爆殺された筈じゃなかったのか。

「分かりました、何も聞きません」

そんなやり取りが行われていたことを誰も知らない。

今、和音との約束が果たされている。

道場の右の壁に向かって走り出した。後数歩で壁に衝突する。

しかし、現実は壁を走り抜けたのだ、壁が無いかのように走り抜けた。

そして瞬時に10間ほど離れた反対側の左の壁から走り出してきた。

歩き出した恭也の体が徐々に道場の床に消えていく、階段を降りるように。

逆に天井へ消えていく。階段を昇るように歩きながら消えていく。

空間を捻じ曲げる。繋げる。思念の中で確立する世界。

歩き出し2・3歩いくと、背中だけ残して右側から前向きの恭也が現われる。

「皆さん、こちらに来てください」

皆は恭也の周りに集まる。空間を境にして恭也の体が縦に分かれていた。

背中の向こうは何も無い、顔の後ろは何も無い。

恭也の周りに立っている人間と左右の壁が見えているだけで恭也の体は無かった。

これには全員が息をのんだ。しかし、先ほどの件もあり、ただ納得する。

元の場所に恭也が戻ると椛が声を掛けてきた。

「今のが無灯流なんじゃね」

声が震えている。幾多の修羅場を潜り抜けてきた椛が震えている。

この震えが皆の気持ちを表していた。

和音も始めて見る無灯流であった。






椛回想

『神咲にこの様な技前があったとは、もしも正確に伝承されていたら幾多の退魔師たち

 が生き永らえた事であろう』

歴史にもしもは無いが、椛はもしも、と思う気持ちを抑えられなかった。

『死地に赴く退魔師達にこの技があれば』

和音、菜弓、長老達にしても同様であった。

退魔という死地に赴く事を退魔師たちに命じる彼らに取って、この技があれば因果率を

変える事が出来たかも知れない。

「和音様、先代様方、神咲退魔師の宰領師として伏してお願いがあります。

 自分も神咲の退魔師なれば斯様な事お願いできるか否かは重々承知致して居ります。

 居りはしますが、此処は枉げてお願い致します。無灯流を学ばせて頂けないでしょうか」

先代たち三人も長老達と同じ想いだった。

「学ぶのは良い、学ぶのは良いが無灯流を遣える者は恭也君一人なんじゃぞ」

和音たちは、無灯流の恐ろしさを身に染みて感じていた。

長英たち長老が学びたいと言う気持ちは痛いほど分かった。

椛は思った。御神の技も驚嘆に値する、それを凌駕する不破流とは、否、無灯流とは。

肌が粟立ち、毛という毛が全て逆立っている、恐怖と言ってもいい、恐怖している自分が居る。

和音、菜弓、一樹、長英、この場の皆が恭也への恐怖に包まれる。否、無灯流に。

追い討ちを掛けるように、恭也の表情は生命に対する感情が欠落した氷のような、それでいて

燃え盛る炎のような相反する混沌とした表情を浮かべている。

普段の恭也からは考えられない。

怖い、怖い、無性に怖い・・・・・・。

でも恭也は恭也だ、恐怖する心が消えていく。

恭也にしても教えることは吝かではない、しかし、一から教えるには途方も無い時間が掛かる。

一朝一夕に成る話ではない。

「恭也君、一刀流師範として頼む、教示しては貰えないだろうか、この通りだ」

一樹が恭也に低頭してまで頼み込んでいる。長老達も一樹に倣って低頭している。

先代達までも、だ。

薫たちも事の重要さに気付いている。

退魔師たちに命令を下す和音や、椛、菜弓達の苦悶を身近で見てきたのだから。

自分達も、長老達が退魔師を選ぶ場に立ち会う事になり、長老達の苦悶も知っている。

「恭也君、うちらからもお願いじゃ、教えてはくれんかね」

「恭也さん、お願いします」

「恭也君、お願い」

「恭也、たのむ」

「分かりました、俺もある意味皆さんの同門です。俺に出来ることは全て遣ります」

この様な理由で神咲の道場に立っている。





教練

旭日が昇る前から宗家の道場は活気に溢れていた。

だが、慌ただしさは感じない。気が漲っているが動きは感じない。

恭也は無灯流。御神不破流を稽古する前に足捌き、体捌きから入ることにした。

御神・不破共に軽重を感じさせないために行われてきた独自の体操のような

ものから始めることにした。左右利きを作る地味な稽古である。

もっともこれが出来ないと長生き出来ないのだ。死んだ父さんも毎日やっていた。

あの出鱈目な父さんでさえ毎日欠かしたことは無かった。

「なあ、恭也。奥儀の技を使いたかったら基本の手を抜いたら出来ないんだ。

 お前には退屈かも知らんが、これをきちんとやっておかないと必ず殺される。」

俺がまだ小さかった頃、父さんがよく言っていた。

俺は一生懸命に基本をやると父さんが嬉しそうな顔をした。

その笑顔を見たかった俺は、一心不乱に稽古したものだ。

でも父さんは殺されてしまった。もうあの笑顔を見ることはできない。

なんだか寂しい気がするが、仕方が無いと諦める俺が居た。

夕方になり稽古が終わり、道場には俺一人しか居ない。

俺は座禅を組んでいる。

「恭也さん、恭也さん。」

俺を呼ぶ声で正気に戻った。

「葉弓さん、どうかしましたか」

其処には神咲神鳴流当代の神咲葉弓さんが居た。

「いえ、声を掛けても返事が無いから居ないのかなと思ったんですけど」

「すいません考え事していたもので気がつきませんでした。」

「こちらこそお邪魔をしたみたいで申し訳ありません。お茶をお持ちしました。」

お盆の上にお茶と煎餅が載っていた。

「すいません気を遣わせてしまった様ですね。ありがとうございます」

本当によく気がつくやさしい人だ、美人だし、頭もいいし、こんな人を妻に迎えることが

出来れば母さんも楽が出来るかも知れない。

恭也は高校三年だが実際は、中学のとき一年留年している、本当の年は19歳である。

対して葉弓25歳。

俺は晩飯をまだ食っていなかった事を思い出した。

その晩遅い晩飯を取った俺は庭に出ていた。

この世に未練を残して、人に霊障を与える。これは確かに悪だろう。

未練を残さなければ悪霊にはならない。

ならば未練を断ち切ることが霊と化したものへの思いやりになる。

薫はそれでも悩んで居た。

一度死んで霊と化したものを再び殺す、薫は悩んでいた、自分は人殺しだと。

そんな薫を救ったのは恭也の一言であった。

「あるがままを受け入れればそれでいいんじゃないでしょうか。

 命はひとつ、二つは無い。

 薫さんの迷う心が霊を引き止めて居るかもしれない。

 輪廻の輪に戻してあげる事が供養なんじゃないでしょうか。」

恭也の一言はある意味不用意な発言であったかもしれないが、薫の心を軽くしたことは

間違いのない事実だ。

「輪廻の輪に戻り、再び転生する道筋を示してあげる。退魔師の仕事は道を見失った霊達に

 その道を探す手伝いをしているんだと俺は思います。殺すのではなくお互いに協力して新た

 な道を進む手段として薫さんの仕事は避けて通れない関門だと俺はおもってます。」

その恭也が今、悩みの海に沈んでいる。迷路の中を彷徨しているのだ。

その恭也が完全に基底還元論に陥っている。

基本の稽古は手を抜けない、短期で切り上げることなど絶対出来ない。

時間が欲しい、もっと時間が欲しい。

そんな気持ちが恭也から余裕を奪っている。

「恭也君じゃないか。どうしたんだい、こんな時間に。」

「長英さん、こんばんわ。ちょっと頭を冷やしていたんです。」

「ほう、頭を冷やす・・・・ね。よければ聞かせてもらえんかな。」

「実は今教練しているのは御神の基本なんですが。

 効率よく教練したいのですが、基本は絶対に手を抜けません。

 然し、早く完成させないといけないし。」

「…恭也君。早く完成させたいのは恭也君だろう。

 彼らはじっくり基本を身につけるつもりだよ。

 彼らは少しも焦っていない、君がそんなことでどうするんだ。

 彼らに納得がいくまで付き合ってやればいいんじゃないかな。

 君が一時でも早く身に付けさせたいと思う気持ちは嬉しく思う。

 それだけ退魔師が死ななくてすむからね。

 今までのやり方がいいとは思ってはいない、それは彼らが一番よく知っている。

 だからこそ、忠実に稽古しているんだ。

 それが生き残る最善の方法なんだと彼らは信じている。

 彼らの気持ちに答えてやってくれ」

 和音たちは恭也の様子がおかしい事に気が付いていた。

 長英にしても気が付いていた。それとなく恭也の去就に気を付けていた。

 退魔師たちのことを真剣に考え、気が逸る恭也を諌めるのも自分の役目だと思っていた。

「長英さん、分かりました。じっくりと退魔師の皆さんに付き合います。

 どうやら焦っていたのは俺自身だったようです。ありがとうございました。

 もう休みます、おやすみなさい」

「お休み、恭也君」

恭也を見送る長英の目は慈愛に満ちていた。

教練を引き受けてから凡そ三月が過ぎた。その間大きな除霊の仕事は無かった。

京都から、青森から、神咲の主だった退魔師たちが宗家の道場に集い、恭也から教練を

受けている。退魔もあり全員と言うわけには行かないが、交代で宗家に来ている。

彼らの進歩は目覚しいものがある、この技を学べば生き残る機会が増える。

そんな折、基本を学んだ退魔師の中からはじめて退魔に赴くものが現われた。


生還

「恭也さん、今までの自分が生きていたのが不思議に思うくらいです。

 今回の退魔で嫌と言うぐらい思い知りました、感謝してます、無灯流の基本しか学んでは

 居ませんが、これほどまで自分を助けてくれるとは思いもしませんでした」

恭也の目の前に、左足を骨折したのであろう、ギプスを巻いた退魔師が立っていた。

腕もギプスに固められ、包帯に包まれた頭からは血が滲み出ている。

それでも嬉々として恭也に話しかけて来る。

その退魔師や恭也を囲む人垣を掻き分けて宰領師梶茂手長英が顔を覗かす。

長英に気付いて全員が垣根を解散する。先代達や長老達もその後に続いて現われた。

基本、それは難度が高いと言うわけではない、逆に単純で退屈なものであった。

もの心が付く前から基本を学んできた恭也には何でもない事だが、神咲の第一線に身を置く

退魔師たちに受け入れてもらえるか悩んだことがある。でも彼らは淡々と、粛々と基本を学ん

でくれた。彼らが発する気は、例えるならば鬼気迫るものがあった。

「恭也君、君には感謝しているよ、生きて還ることがこれ程皆の心を和ませることを改めて感じ

 させられた、本当にありがとう」

長英は恭也の手を握りしめて言った。

「いえ、長英さんが声を掛けてくれたから俺も迷いが吹っ切れて教練にも自信が付いたんです。

 俺自身の稽古にもなりました、お礼は俺のほうが言わせて貰います。それに無灯流が本来の

 ものはないことがわかりました。遣いやすいように簡素化されています」

「それはどういった事なんじゃ、恭也君」

和音が質問する。椛、菜弓、長英も驚いている。

 そのことに気付いたのは・・・・・

 秋霜と八景がはじめて教えてくれたのだ

 その技の片鱗を、不完全極まりないのだが、俺が無意識のうちに使っていた。

 見えるのだ、相手の打ちたいところがわかる、単なる勘ではない、本当にわかる。

 それが、自分がそうなるように仕向けているとは思わなかったが秋霜や八景が教えてくれた。

 俺が仕向けているんだと。

 負けることはない、この世に完璧はない、無い筈なのだが、負けないのも事実だ。

「和音さん、少し時間をください、簡単に説明できないんです」

その晩、和音の部屋に椛さん、菜弓さん、長英さん、そして俺が集まっていた。

「昼間の件ですが、俺が無意識に使っていた技があるんです。説明しにくいので

 口で言うより皆さんには実際に見ていただきます。

 その方法ですが・・・・・・・・・・・」

翌日、道場では俺と、神咲宗家、京都神咲、青森神咲、三派の中から一番剣技に秀でた

退魔師が選ばれて俺と対戦する事になった。

「眞行さん、行きます」

青森から梶茂手桐園さん、京都から梶茂手眞行さん、宗家からは梶茂手良犀さん。

この三人が選ばれた。菜弓さんの死んだご主人は、長英さんの姉の長男で桐園さんは三男だ。

眞行さんは弟の孫、良犀さんは直系の孫だ。長英さんの大叔母は京都神咲に嫁いでいる。

曾祖母は神咲宗家に嫁しづいており、和音からすれば又従兄になる。椛にして同様であった。

退魔師たちは神咲の血筋だ、血族なのだ。

「こちらこそお願いします」

最初に動いたのは眞行さんだ。いきなり突きを見舞われた、それも目に。

それを流し、眞行さんの後ろへ回る。体制を崩した眞行さんが瞬時に前方へ数歩進み、体制を

立て直す。間合いを詰めてくる。刀身に身を蔵す巧妙な構え、それで居て、千変万化の攻撃

を繰り出す。俺は眞行さんの間合いを計る。眞行さんは俺を一撃で倒す意気込みであろう。

闘気が漲っている。気合が満ち潮のように高まってくる、

『来る、俺の思ったところへ来る』

右逆袈裟の鋭い一閃、襦袢一枚の間隙ですり抜ける。

右下から刃を返した切り上げが俺の右半身を襲う。

すべて襦袢一枚で流す俺に眞行さんは焦ることもなく斬撃を繰り返す。

息が上がっている眞行さん。それに対して俺はいつものまま。

眞行さんの動きが少し落ちてきた、俺はそれを待っていた。

瞬時の隙を突き、一気に勝負に出る。

勝負は俺の完勝で終わる。桐園さんも、良犀さんも、同じ結果であった。

疲れを導き出し、動きが鈍ったところで勝敗を決した。

三人の先代と長英さんたちは目を丸くして勝負を見つめていた。

摩訶不思議なことを見たように。

昨夜、恭也が言った通りのことが目の前で再現されていた。昨夜の恭也言葉が蘇る。

「そのことに気付いたのは秋霜と八景なんです、俺が対峙する者に負けるように仕向けている

 らしいんです。負ける道を設え、その道を歩かせて居るらしいんです。明日の試合ですが今から

 皆さんに言うとおりの結果になると思います」

『秋霜、八景とは一体・・・・・』


試合が終わり、先代たち三人と長英は和音の部屋に居た。

「あの様な事が出来るものでしょうか。恭也君が言うのだから間違いないとは思いますが」

長英さんから発せられた言葉。

「いや、まちがいないじゃろう、椛、菜弓、おぬしらはどう思う」

「わしもそう思う、恭也君の言うとおりの結果に為ったのじゃからな」

「まちがいなかろうのう、わしも和音や椛に同意見じゃ」

「すさまじいの一言じゃ、正直恐ろしい」

「鬼神じゃ、恭也君は」

「見たか、襦袢一枚で刃を避ける、それが仕組まれたことなんじゃからな、本当に恐ろしい

 少年じゃ、神咲の同門とは言えあれは別物じゃ」

「先代達には恭也君を如何思われます、長英は神咲に彼の血を入れたいと痛感して居ります。

 お三方とも、薫様、那美様、葉弓様、楓様方のお気持ちはすでにお気づきとは思いますが、

 長英は危惧することが御座います、それは恭也君が誰を選ぶのかと言う事です。誰を選んで

 も悪い結果しか残らないでしょう。神咲にしこりが残ると思われます」

長英の言葉に思い当たるのか、先代達の顔は暗い。一人の男を取り合い、争うことはないとは

誰もいえないのだ。先代達にしても女の感情の激しさは知っている。孫達も女であり、腕に覚え

がある者ばかり、嫉妬の炎と言うものがどれだけ激しい反応を起こすかぐらいは知っていた。

座を辞した長英がさり、やりきれない思いを抱きながら和音たちは沈黙を続けた。

そんな話合いが有って数日後、退魔に赴いていた退魔師が生きて還ってきた。

満身創痍ではあったがその意気天を衝くの例えどおり、意気盛んであった。

かつて窓から、覗いていた少女が恭也にお菓子を持ってきた、おそらくは自分のお八つに出た

ものであろうか、それを食べずに恭也に持ってきてくれた。

「これあげる」

そう言って差し出された小さな手に握られたチョコレートは、少女の手の温もりで少し解けかかって

いた。それを恭也は宝物でももらったかのように、押し頂いた。

「ありがとう、本当にありがとう」

少女は恥ずかしそうに微笑み、逃げるように恭也の前から走り去った。

松葉杖をついた傷だらけの退魔師がその光景を嬉しそうに眺めていた。

『きっと生還した退魔師の身内だろうか、俺は笑顔を護れたみたいだ』

基本を覚えて、それを欠かさず毎日続けている。恭也の目から見ても安定して来ている。

基本が安定したら次の段階へ進める。この分だと思っていたより早くいけそうだ。

退魔行で負った傷が浅手で有った為、回復が早く元気になった退魔師はこれまでとは、否、これまで

以上に基本に打ち込んでいる。

それに触発された全員が鬼気迫る勢いで稽古している。

妖魔と対戦し、生還した退魔師が持ち帰った首は中級であった、滅多と現われるものではない。

その証拠に史書にも此処百年は現われていない。

また、祟りとまでは行かないが、かなり力の強い悪霊を一人で祓った者も一人や二人ではない。

悔やんでも仕方がないが悔やまれてならない和音たち先代と長英を頂点とする長老たちであった。

出席日数の関係で恭也は留年する、退学よりましだと恭也は納得したがそれは別の話。




海鳴

終業式には出られなかったがおれは海鳴りへ帰ってきた。

自分の部屋で久しぶりに眠った。母さん達には電話でいつも近況報告をしていたから

質問攻めに合うことはなかったが、赤星から電話があり、会うことに成った。

「高町、帰っていたのなら電話ぐらいして来いよ。まあお前のことだから大丈夫だったとは思うが

 かわりないか」

「ああ、変わりないぞ。相変わらずだ。

 お前こそどうだ、と言っても推薦が決まっているから気が楽だろう」

「いや、そうでもないぞ。お前はどうなんだ、といっても高町は留年決定だからな。

 剣道部の練習でも見てやってくれ、俺もたまには顔を出すつもりだ」

「月村はM・I・Tへ招聘されたことは聞いたが、何かしでかしたのか」

俺は意識的に話題を変える。

「彼女の研究成果を学会に発表したんだ。論文がロボット工学の教授に認められて客員教授で

 迎えられたらしい。彼女には知らせたのか」

「いや、知らせていない」

「まったくお前らしいな、俺から知らせておいてやる。来月にはアメリカへ行くらしい」

「そうか、すまんが頼む」

「それじゃ翠屋で待ってる。藤代にも伝えておくからそれじゃあな」

一時間後に赤星と会った。驚いたことに薫さんたちが一緒にいた。

「久しぶりじゃね恭也君、ってなんか変な感じゃね」

薫の開口一番。

三日前まで鹿児島にいたんだ、葉弓さんも。楓さんと那美さんは学校の関係でいなかったが。

「話は聞いてたで、薫からな、大変やったそうやな。留年やろ恭也君は。

 そやけどみんな喜んでたで、眞行さんなんかもう恭也君のことべた褒めや。

 お父ちゃんも一度京都へ着て欲しいちゅうとったで。

 いっぺん家にもきてや。みんな楽しみにしてるで」

「楓ちゃんとこだけじゃないのよ、私のところも来て欲しいて。桐園さんもう大変。お母さんも。

 お婆ちゃんが話したみたい。いま桐園さんが一番大変みたい。長老たちに質問攻めよ。
 
 恭也君の事や何かでそれはもう見てお気の毒」

「それはウチとこも一緒や、眞行さんは時の人みたいや。

 そやかて、みんな生きて帰って来たちゅうて大騒ぎ「楓」・・・・・や」

薫さんの一言で喋り過ぎたことに気付いたのか黙ってしまった。

確かに人に聞かれても悪い話ではないが、わざわざ聞かせてもいい話とは思えない。

赤星は一応俺のことは知っている、しかし、彼を巻き込むことは避けたい。

藤代さんが怪訝な表情をしている。

「藤代さんはどうするんですか、推薦も決まっていると思うんですが」

話を変える。

「私は海鳴大学を受けようと思ってるの、家から近いし。でも恭也君はどうするの」

「まだ決めていませんが転校するかも知れません、鹿児島のほうに」

「そうか、鹿児島か。じゃあ鹿児島大学でも受けようかな、海鳴と偏差値が変わらないからね」

それをきいた薫、那美、葉弓、楓は顔を引きつらせる。

「親御さんが心配されますよ、やっぱり近いほうが安心されるんじゃないですか」

「そやで、そのほうがええんと違うか」

火花が散っている。横目で見ながら赤星は

「藤代さんの学力なら鹿児島大学は狙い目かも知れないな」

何気なく火に油を注ぐ赤星君。

見事に燃え上がってます。其処へ爆弾が飛び込んできた。

「ヤホー、恭也。内縁の妻の忍ちゃんがきましたよ♪」

「お久しぶりです、高町様」

「いらっしゃい忍ちゃん、今日もお願いね」

「忍ちゃんに任せてください」

桃子母さんが厨房から出てきた、目が輝いている、危険だ、避難したほうがいいかも知れない。

彼女達のことを考えている。薫、那美、葉弓、楓、それに忍、藤代さん。

誰が一番好きなのか考えてみたが答えが出ない、いや、彼女達全員が好きなんだ、女として。

自己嫌悪になる。いい加減な男かもしれない。いや、いい加減な男だ。

結局、海鳴高校へ行くことになった。その代わり、神咲三派から海鳴りへ退魔師の人達が出かけ

てくることになった。隣町に無灯衆の別院があるとは知らなかった。其処から高校へ通うことになる。

道場も建てている。来年の3月には完成予定だ。そうなると本格的に始めることが出来る。

当分は本道を使わせてもらうことに成る。車で送迎すると言われてためらっていると桐園さんが

「それくらい何でもないです。少しでも多くの時間が欲しいんです」

「でも桐園さん、電車のほうが速いですよ」

気落ちしている桐園さんを置いて本堂から出たところで、

「恭也さん」

僧衣を纏った人が声を掛けてくれる。

「良犀さん、良犀さんも来られていたんですか」

「ええ、祖父も来たがっていたんですが、高齢の為諦めさせました。それと新しく建てられる

 道場なんですが、機能は訓練施設と前線司令部のような感じになります。新しい選定基準を

 いま作成中です。基本を完全に修めた者の中から教練師として何名か選ばれて此処に常駐

 することになります。失われていた刀法が現われたのですからみんなやる気満々です。

 別院の別当が差配します、別当は権中僧正の梶茂手長俊僧正です

 ここの別当の兄が妖魔に殺されています。本人も右足切断で退魔師を続けられなくなりました。

 ですから別当も気合が入っています。

無灯宗別院無妙寺

「はじめまして、高町恭也です。今回はお世話になります、宜しくお願いします」

「君が恭也君か、私は当別院の別当梶茂手長俊、長英の次男です。父や甥がお世話に

 成っております。こちらこそ宜しくお願いします。君の事は師範や父から聞いています。

 私で役に立つことがあれば何でも言ってください」

良犀さんの顔が笑っていた、

「ありがとう御座います」

それから暫らく桐園さん、良犀さんを交えて話したが、長俊さんは自分も参画したいものだと

言っておられた。気さくなおじさんと言った感じの人だ。話していて気付いたことがある。

小太刀が二振り、床の間の刀掛けに掛けれていた。

「この小太刀は」

「それはある方から頂いたものです、それが何か」

「拝見させて頂いてもよろしいでしょうか」

見事な緋拵えの小太刀であった。

「どうぞ」

「拝見します」

懐紙を取り出し、口に咥える。

鞘を払う。其処には見事な刀身が現われた。刀紋は燃え盛る炎を感じさせる。

一瞬だがその炎の中で女性が微笑んでいた。まるで誘うように微笑んでいた。

目を閉じてもう一度見たが其処には相州伝の刀紋があった。

もう一振りは黒拵えで鯉口を切ったとき小太刀が震えるような感じがした。

鞘を払うと、これ又見事なほどの刀紋を浮かばせている。

これは南北朝期の相州伝に皆焼(ひたつら)という作風がある。あれは地金に工夫があり、

それ故に生まれた刃紋であるがこの小太刀もそうなのか。

鍔の部分に長い間の使用による手擦れ、朽ちこみが地金に景色を与えている。

すばらしいものを見せてもらい、久々の眼福を味わう。

御神の刀は通常ならざる構造をしている。

柔らかい心鉄と硬い皮鉄(現在の常識と云われている構造)の構造ではなく

現在の常識とは全く逆の構造、硬い心鉄と柔らかい皮鉄で鍛造されたもので、

戦闘の際、刃毀れを起こすくらいで、折損などの致命的損傷を負う事は少なかった、

そして長期使用に耐えるからだ。

「久方ぶりの眼福でした、ありがとう御座います」

雰囲気がおかしい、良犀さんはいない、長俊さんもだ。一体どうなっているんだ。

桐園さんだけが呆けたように俺を見つめている。

足音が聞こえてきた。

「恭也君、大丈夫か」

薫さんが十六夜をもって部屋に走りこんできた。

那美さんは雪月を持って血相を変えている。

葉弓さんも顔面蒼白だ。

良犀さんも小太刀を持っている。

薫さんが血走った目をして問いかける。

一体何のことかさっぱりわからない。

「まさかとは思いましたが、この部屋に通したのは正解だった様です。

 小太刀に目が向くか試して見たのです。

 小太刀は結界の中に在り見える筈がない。それを見つけた」

「恭也君、何か変わったことはなかったかい、その小太刀を見てどうじゃった」

「そうですね、おかしいといえば、この小太刀なんですが」

俺は緋拵えの小太刀をしめした、

「この小太刀なんですが、炎の中に女性が微笑んで立っていました。

 まるで俺を誘っているように微笑んでました。

 見覚えが在る様な無い様なそんな女性でした。

 こちらは鯉口を切ったとき全身が震えるような感じがしました」

「他には何も無かったかい」

「ええ、それだけですが」

「どうじゃ十六夜、何か感じるか」

「いえ、薫。何も感じません」

「一体どう言った事なのか説明してもらえたらありがたいんですけど」

「今は言えん、じゃが少し待って貰えたらうちも助かる。とりあえず今のところは大丈夫」



海鳴高校

俺は高校3年、赤星は卒業した。藤代さんも海鳴大学へ入学できた。

大学の帰り道らしく時間があれば別院へ遊びに来た。

葉弓さんは此処に住み込んでいる、薫さんも、那美さんも、楓さんも。楓さんは海鳴高校に

転入してきた。俺と那美さんと楓さんは同じ3年になった。剣道部の連中は顔なじみだし、

県大会、地区大会、全国大会のときに練習を見た連中だ、俺を先輩と呼ぶ。

恥ずかしいので止めさせたが、高町さんと呼んでいる。おかしいが仕方が無い。

良犀さんは神咲姉妹のお目付け役みたいだし、眞行さんは楓さん、桐園さんは葉弓さんの

それぞれお目付け役みたいだ。長俊さんの奥さんが彼女らの家事に関する指導をしている。

彼女らの大叔母さんになる。

本堂では退魔師の人には基本を教練している。すでに完成している。復習の意味もあるが

全員の動きに目を向ける。落伍者はいない、全員完全に修めていることがわかる。

「皆さん、近況を話してください」

彼らは退魔に赴き生還している。この前翠屋で楓さんが口走ったように、宗家の退魔師は

一人も死んでいない。京都神咲も青森神咲も誰一人死者を出していない。重症をおった者は

全体の七割はいるが復帰できないものは四割もいた。然し、誰一人死んでは居ないのだ。

長い神咲の歴史の中でも快挙である。

目の前にいる退魔師たちが基本を完全に修めているのは間違いの無い事だ。

道場の完成が待たれる。

本堂での教練は新たな局面を迎えている。

基本は武器を持たずに行うが、これから武器を使う事になる。ただ持つだけだが。

「桐園さん、明日から次の段階への準備に取り掛かります」

「恭也さん、これは皆の意見なんですが、これから恭也さんのことを師範と呼びます」

「俺なんか師範と呼ばれる値打ちは無いです、それは俺が一番よくしっています。

 今まで通りでもいいんじゃないでしょうか」

「これは強制されての事じゃないんです、自然にそう決まったんです」

良犀さんが力強く俺に話しかける。長俊さんも、

「そうだよ恭也君、父が言っていたんだが、和音様が父に言われたそうだ。若い退魔師が

 恭也君のことで怒り出したんだそうだ。理由を聞くと君の事を師範と呼ぶべきだ、とね。

 その退魔師にしても君より年上だ、二周りは違うんじゃないかな。彼は結婚が遅かったん

 だ。子供は女の子が一人、奥さんのお腹に今二人目がいるんだが、その一人娘が言って

 いたそうだ、一生懸命教えている君が可哀想だとね、これは内緒だよ」

「そうなんです恭也さん、自分もそれは聞いています」

勢いづく良犀さん。

俺は目頭が熱くなった、あの時俺にチョコレートを呉れた女の子だろう。

大好きな父親が生きて帰って来られたのも俺のおかげだと思っているのかも知れない。

「それで呼び名ですが、無灯師範です」

翌朝道場へ顔を出した

「おはよう御座います無灯師範」

本堂は退魔師で溢れていた。日曜は何時もこれだ。

休みを利用して泊りがけで集まってくる。

今晩には夜行でまた夫々の持ち場に帰る。

「おはよう御座います、皆さん。今日は皆さんにお伝えする事があります。

 基本はすでに履修されました、今日から得物を遣った稽古を始めます」

「おお!」

本堂に勝鬨の声が上がる。待ちに待った時が来たのだ。

「それでは計画を発表します」

恭也の前には小太刀型の木刀が入った箱があった。

「皆さん、小太刀を二振り持ってください、俺のやる通りに動いてください」

御神の基礎を皆の前で行う。本堂にいる皆が俺の動きを真似ている。

凡そ二時間教練した。

「皆さん今は七時です。では五人一組で行いますので先頭から順に並んでください」

八組のチームが出来る。

「では始めてください」

落伍するチームは無い、一応全チームが及第だ。

「良犀さん、如何でしたか違和感は在りましたか」

「いえ、在りません、二刀を使うのは初めてですが、力の配分が自然に取れます」

「眞行さんはどうですか」

「私は普段から二刀使う稽古をしていますが、力の配分が微妙に違う事が感じます」

「桐園さんは」

「私は小太刀使いですが、使うのは一振りです。二刀は始めてですが左のバランスが

 知らずの内に取れて、二刀を振るっているんですが一刀のような感じがします」

「皆さんが学んだ基本には利き手の平衡破壊というものが在ります。利き手に対する力の

 配分を体が覚えていて自然に行っているからなんです。力の入れ具合、握り具合とかそ

 う言った感覚を体が覚えていて自然に行っているんです、その記憶を壊し新たな記憶を

 埋め込む為の手段が皆さんに学んでもらった基本なんです。基本は左右利きを創る事

 なんです。御神にしろ不破にしろ二刀を操る流派です、力加減の不均衡が左右何れか

 に有ると平衡が狂い二刀を均衡に操れなく成ります、ですから既存の平衡感覚を崩し新

 たな平衡感覚を創り出す為に作り出されたのが基本です」

退魔師の一人が、

「そう言えば最近おかしな事に気付いたんです。食事のときの事なんですが、箸や茶碗を

 持つ時に迷う事があるんです」

本堂が爆笑に包まれるがそれも束の間だった。「そう云えば俺も」といった意見が出てきた。

「師範はどうですか」

「俺は慣れてますからそう云った事は苦になりません、記憶させる事です、体に記憶させれ

 ば解決する筈だと思いますよ」

葉弓さんが食事の支度が出来た事を伝えに来てくれた。

「皆さん、お昼の用意が出来ました」

「いつもすいません葉弓さん」

「いいんですよ、恭也さんには皆さん感謝しておられます、私なんかが出来る事はこれ位

 しか出来ませんから気にしないで下さい、恭也さんに私が作った物を食べてもらえること

 がうれしんです、だから気を遣わないで下さいね」

葉弓さんだけではない、薫さんや那美さんそして楓さん、時々は藤代さんまでが食事の世話

をしてくれる、彼女らは異口同音に俺に食べてもらえるのが嬉しいと言ってくれる。

感謝する事でしか今は報いる事が出来ない。然し、何時に日か・・・・・・・きっと・・・・・。

午後の教練まであと50分ほど時間がある。俺はある計画を立てた。

遠方から無妙寺迄来ている人たちは早めに稽古を切り上げなければならない。

午後の稽古の始まる前に、

「今日は皆さんにお願いが有ります、此処には遠方から来て頂いている方が居られます。

 此処には当代や先代または長老会の意向で此処無妙寺へ研修に来ておられる方々が

 大半を占めます、然し、自主的に来られている方も居られます、疲れたまま帰還される事

 に対し、些かの安らぎを持って帰還して頂きたいと思います。俺に1時間だけ時間をもら

 えませんか」

恭也は土曜日の晩夜行に乗って此処無妙寺を訪れ、日曜の夜行で帰還する退魔師が

疲れたまま還るのではなく体を癒す時間を作りたかった。 恭也の話は続く。

「その方達のために今日は少し稽古の時間を割いて茶会を催したいと思います」

こうして本堂に茶会の席が俄に設えられた。お茶は和音に師事して覚えた。

恭也がお茶を点ててゆく、それを薫、那美、葉弓、楓が運ぶ。

妙なる味が退魔師たちの体と心を癒していく。




長俊

長俊は味も然る事乍、恭也の心配りが嬉しかった、先代や親父が肩入れする気持ちが

再確認できた。彼を見つけ出したのは那美だ。無理をして壊した恭也の膝を癒し、神咲との

接点を作り出した。久遠の時は命を張って那美の、薫の心を救った。葉弓は除霊中の事故で

落命仕かけたが恭也に救われた。楓は薫への対抗意識で落命する所を恭也に助けられた。

彼が教えた御神の基本は神咲の退魔師たちを確実に生き永らえさせている。

やはり彼は伝承通りの者かも知れない。

”汝の子孫に難儀が降り掛かるとき我は蘇る”

あの伝承は真実を語っていたんだ、きっとそうだ。彼が今為さんとしている事は私自身の

心も癒してくれている。

兄と一緒に退魔に赴き、兄を殺され、自分も退魔師として再起不能の傷を負った。

自分がもう少し力があれば兄を殺されずに済んだかも知れない。この事が長年長俊の心を

蝕んでいた。狂ったように稽古に励む良犀、父も私も、心に癒す事の出来ない傷を負った。

それは良犀とて同じ事だ。今の良犀を見ていると心から笑っている事がわかる。

その顔を見ているだけで救われたような気がする、親父もきっと喜んでいる事だろう。

私に出来る事なら何でもしよう、それが兄への供養になる。

胸中に確信する長俊。


心を癒されたのは長俊だけでは無かった、此処鹿児島でも癒された者たちが居た。

和音、長英、長老達、全て癒されて居た。宗家だでは無い、京都神咲、青森神咲の先代

長老、退魔師に死地に赴く事を命じる彼らもまた恭也に救われ癒されている。

茶会も終わりに近づき一人の退魔師が恭也の前に進み出て、

「お心配り終生忘れるものでは有りません、申し遅れました、自分は梶茂手兼岳と申します。

 青森より此方へ参っております。無厳寺と申す末寺の住職をしております。些かでもお役に

 立ちたく稽古に参加させて頂いて居ります者。本日師範のお点前を頂戴し、幽玄なる味わい

 に接し心身共に癒された心地が致します、真に有難く感謝致します。これより青森へ立戻り

 日々の勤めに励みます、この地で得た事を伝播させる力が付くまで稽古に参ります」

「俺こそ申し訳なく思っています、未だ学生ですので十分な事は出来ませんが、俺に出来る

 精一杯の事をやります、是非参加して下さい、お願いします」

こうして茶会は終わり、帰還していった。



「恭也君、いいかね」

「はい、まだ起きてます」

「少し話がしたくてね、お邪魔するよ。それとこれは家内が作った夜食だ、食べてくれるかい」
 
長俊さんは時々こうして夜食を持ってきてくれる。長俊さんと話しているとなんだかほっとする。

「今日は有難う、兼岳は妻の末弟なんだ。青森神咲の中堅所の退魔師でよくやっているよ。

 ねえ恭也君、私達退魔師は全て家族なんだ、だから誰も死なせたくない、いくら退魔師と

 言っても死にたくは無い、人として当たり前の事だ、でも退魔を行っている。何故だと思う。

 神咲の理から外れるかも知れないが復讐なんだ。少なくとも私はそうだ、いやそうだったと
 
 言っておこうかね。私が変わったのは良犀を見てからなんだ、今の良犀は心から笑える様に

 なっている。そのことが私を救ってくれた。親父にしても同じだと思う。兄が死んだ時、あれは

 気が狂ったように退魔に志願しまで赴いた。それが君と出会った事で何かが変わった様だ。

 君は伝説の・・・・・いや、止めておこう、これは当代の役目だ。

 話は変わるが、君にお願いがある、ここは訓練センターであり前線基地でもあり私が差配とし

 此処に居る。君にお願いとは各地の神咲へ出張稽古してもらえないかという事なんだ。

 神咲は別院が八つある、全ての末寺から稽古に来る事は実際難しい。退魔に追われる時も

 ある。いまでなくてもいいから考えておいてくれないか」

「わかりました、俺もそれを考えていたんです」

稽古をつける機会は多ければそれに越した事は無い、今の状態では裾野まで広がるには

時間がかかりすぎる。八つある別院で教練を実施すれば少しはましかも知れない。

そのためにも指導できる教練師の育成に掛からねばならない。

桐園さん、良犀さん、眞行さん、3人は代稽古出来るくらいには上達している。

此処で急いで稽古の手を抜くと後の被害は計り知れない。


「おはよう御座います」

無妙寺の厨の方から声が聞こえる。

「はーい」

「彩ちゃんおはよう、どうしたのこんなに早く、恭也君ならまだよ」

「ええ、わかっています。これをおばさんに持ってきたんです。ゼミの仲間と青森の方を旅行

 してきたんです、その折のお土産です。名前はわからないんですが途中で立ち寄った村

 の店で売っていたものなんですがお味噌です」

そう言って差し出した箱には15キロと表示されていた。

「彩ちゃんは今日は自転車」

「いえ、歩いてです。荷物があるので自転車はちょっと」

「そう、ありがったく頂戴するはね」

そう言って彩の顔を見る。

『これを抱えてきたというの、この子は』

半ば感心、半ば飽きれ、混沌とした気持ちで彩の顔をみる妻女であった。

「じゃ早速使わせてもらうわね、ちょうど朝餉の支度をするところだったの」

「私も手伝わせて貰ってもいいですか」

「かまわないの、私としては助かるけれど、いいの」

「はい、やらせてください」

「今日は薫ちゃんたちが実家へ帰っているから助かるわ」

「葉弓さんや楓ちゃんもですか」

「ええ、明日は神咲の式日なのよ、当代が抜けるわけには行かないでしょう。

 一週間は還れないと思うわ」

彩は昨日のうちに海鳴へ帰って来た事を感謝していた。ライバル達がいない。

「じゃ、今日は一日お手伝いします。お邪魔でなければ彼女達が帰ってくるまで

 お手伝いします」

「本当に構わないの、私としては助かるけど、本当にいいの」

「はい、本当に構わないんです、気にしないで下さい」

そうこうしているうちに朝餉の準備は整った。

「彩ちゃん、悪いんだけど恭也君を起こしてきてくれない」

彩の顔が朱に染まる、其れを知ってか知らずか追撃する。

「其れと、其処の洗濯物もついでに持って行ってもらえたら助かるんだけど、いいかしら」

妻女は楽しんでいた。前にもまして彩の顔が赤くなり首筋までもが赤い。

男に惚れた女は艶やかになる、今の彩は匂うが如き初々しさを醸し出している。

妻女にしてもその気持ちはよく分かる。

長俊達には子供がいない、お互い相手に縁がなく晩婚であったかと言えばそうではない。

長俊とは許婚同士で、彼の事しか目に入らなかった。

退魔で傷を負い、子をなす力を無くした長俊は、破談を申し入れた。

彼女は其れを断わった、彼女の両親にしても孫の顔は見たい、然し、毅然とした娘の態度に

両新は折れた、結婚を認めた、が長俊が頑として破談を申し込んだ以上貴家とは無縁とばかり

の態度に出た。漸く妻女の心情にほだされた長俊が折れた。

其れゆえか妻女は、薫たちや彩をことのほか可愛がった。

ある意味、一番最初に考えたのが彼女であったかもしれない。

恭也君が彼女達全員を娶ればいい。かなり常軌を逸してはいるが之も又解成なり。

「恭也君、起きてる」

彩は恭也の部屋に入る事を躊躇している。

「恭也君、起きてるかな」

まだ彩は恭也の部屋に入る事を躊躇している。

「恭也君、起きてる」

部屋の中で気配がした。

「恭也君、おはよう」

声を掛けて彩が恭也君の部屋に入っていく。

だれかが来た気配がする。この声は・・・・・・・・

「恭也君、お早よう、おばさんが朝ごはんが出来たから読んできて欲しいて。其れと之は洗濯物。

 おばさんに持って行ってほしいって頼まれちゃった、ここに置いておくね」

全ておばさんに頼まれたから、自分がそうしたかったとは一言も言わない。

「有難う、すぐ行くから、おばさんにはそう言ってくれ」

「うん、それじゃ」

藤代さんか、いい人だな、明るくて、って朝から何を考えてるんだ、俺は。

すばやく着替えると食堂になっている本堂へ向かった。

其処にはすでに長俊さんが居た、藤代さんもいる。退魔師たちの中でおばさんの手助けをして

甲斐甲斐しく動き回っていた。なにせ20人分の食事を作らなければならないのだから。何時もは

薫さんたちが手伝っているのだが、明日は神咲の式日という事で皆が実家に帰っている。

此処に居る退魔師の皆さんは長俊さんの預かりとなっているので免除されている。それでも夫々

家族が居られるので昼ごろ帰還されるとの事だ。俺は長俊さんと計画を練れなければいけない。

昼過ぎ皆さんが帰られた、今此処に居るのは長俊さんご夫妻、藤代さんだけだ。

「皆さん帰られるんですか」

藤代さんが驚いたような声で奥さんに問いかけていた。

「だって、食事の用意が大変だって」

「ごめんね彩ちゃん、おばさん忘れていたみたい、本当にごめんね。

 でも恭也君は残るらしいから手伝ってくれると助かるんだけど、ね」

彩は気付いた、おばさんの好意に。顔が輝いた。

「分かりました、お手伝いさせてください、お願いします」

「お願いするのはおばさんの方よ、宜しくお願いね」

「はい、有難う御座います」

藤代彩19歳




鹿児島

「恭也君はあれが見えたのか、小太刀が自分で結界を張るなどという事は本来あり得ん。

 あれは生きておる、魔物か悪霊かは定かではない、敵意や害意が感じられんのじゃ。

 じゃからと言って良き物とは限らん、正邪の別が定まらん摩訶不思議なる物じゃ」

「薫、他に何か言ってなかったか」

「これだけじゃよ、ばあちゃん。今も言ったように、刀紋は、火焔。燃え盛る炎の中に女性が

 いて恭也君に微笑んでおったらしい。片方は鯉口を切った時、その小太刀が振るえる様な

 感じがしたと言うとった」

「長俊僧正殿が伝承の者かも知れないと言っておられました」

横から十六夜が口を挟んだ。

「伝承の者・・・・か・・・・・」

そのまま和音は口を閉ざした。

その夜、和音の部屋では、

「はい、その通りに御座います」

「間違いないか」

「はい、間違い御座いません」

「・・・・・・・・・・・・・」

「なあ、長英僧正、一度無妙寺へ行かねば為らんかな」

「然るべく」

「見ていたのは桐園僧正、良犀僧正、眞行大僧都、別当、其れと孫達じゃな」

「はい」

「別当は元気にして居るかのう、会うのが楽しみじゃ」

「椛か、和音じゃ。うんそうじゃ・・・・分かった、待っておる。菜弓に連絡を頼む。

 そう言う事じゃ、ではあちらで」

長英が和音の部屋を辞した後、

『神咲の女が惚れる男は・・・・・・・・・・・、わしも言えんか、ふふ、ふふ、ふふふふ・・・・・』




山手町無妙寺

長俊、桐園、良犀、眞行が話し込んでいる。

「皆聞いてくれ、これは私からの意見だ。だから気にしないで聞いて欲しい。

 どうだろう、少数の精鋭を育てる事に重点を置いた教練を行えば時間を作れると思うんだ。

 今の教練と平行しては無理だろうか。此処に居る退魔師たちは基本を完全に終えている。

 彼らが交代で基本がまだの退魔師達の指導に当たる。そうすれば恭也君の時間が空く、

 その時間を使うんだ。指導に当たるのは五人、そうすれば35人が次の段階に入って行ける。

 確かに均一な教練にはならないがどうだろう」

長俊達が恭也に自分達の案を披露するために恭也の部屋へとやってきた。

「師範、少し良いでしょうか」

「良いですよ、どうぞ入って下さい」

「実は教練についてなんですが」

恭也は彼らが話し終えるのを確かめてから。

「去年、俺は迷いに迷っていました。少しでも早く基本を終えて退魔に赴く退魔師の皆さんが

 全員生還で来るためにはどの様な教練法が良いのかと迷っていました。

 宰領師が答えをくれました。

 焦っているのは俺だけだと。

 確かに魅力的な教練法ですが、致命的なミスがあります。

 指導に当たる退魔師の皆さんの心を考えて見てください、一日遅れるんです。

 もし、遅れを取り戻そうとして無理をすると体を壊します、其れは俺が辿った道だから分かる

 事なんですが、40人全員が同じ事をすればどう言った状況が生み出されるでしょう」

「申し訳ないです、師範」

「気が付いてくださればそれでいいんです。皆仲間です。落伍する者がいない様に互助の心

 を持って励みましょう」

『ふふふふ、思った通りの男だ、あの心、あの精気、触れてみたいものじゃ』

『真に、小気味良い心根の持ち主と見受けたぞ、されど、あの男、心に闇を持っておる』

『どの様な闇でも、あの男の精気が粉砕してしまう事じゃろうて』

『おぬしが人間を褒めるとは思いもせなんだ、惚れたな』

『我だけか、お主とて同様であろうが』

人外のもの達が語り合う中で、和音たちが無妙寺へと向かうべく準備をしていた。

「神咲三派の先代と当代が此方へ向かったと連絡がありました。今夕には到着されると思います」

長俊が退魔師たちに伝えていた。退魔師たちは式も滞りなく終わり、三日前には戻っていた。

道場の引渡しが四日後に行われる、其れに間に合う様にとの事だろう。

「俺が迎えに行きます。車の手配をお願いします」

「師範だけと言う訳には行かんでしょう、桐園、良犀、眞行たちも同行させます」

「山手駅に4時35分に到着予定との事です」

山手駅はローカル駅で各停しか止まらない。人影もまばら。閑散としている。

列車がホームに入ってきた、時間通りだ。列車が止まり乗客が降りてくる。

神咲一統が降りてきた。

「ただいま、恭也君」

「ただいま戻りました、恭也さん」

「ただいま、恭也さん」

「帰って来たで、恭也君」

恭也たちが声を掛ける前に、恭也だけに「ただいま」の挨拶。

和音が其れをたしなめる。

「恭也君だけが出迎えではないじゃろう、きちんと挨拶しなさい」

長俊さんたちは苦笑している。

「許してやれ、和音。一時でも離れるのが辛かったんじゃから、仕方あるまい」

椛さんが苦笑している。菜弓さんも同じく。

「叔父さんたち、ただいま戻りました」

「お譲達、よく出来ました」

「お父さん!」

「おじいちゃん」

「長俊、良犀、久方ぶりじゃ、息災であったか」

「お父さんも息災で何よりです」

梶茂手長英、神咲退魔師の頂点、宰領師

「積もる話も在るでしょうから、まずは無妙寺へ行きましょう」

恭也君の一言でうちらは車中の人となった。

無妙寺は温泉が湧き出ている、28度でぎりぎり温泉と呼べる。

効能は、よく分からないが疲れは確実に取れる。

宿坊について旅装を解く。先代達は旅の埃を落とすのはお風呂が一番と入浴するらしい。

薫さん達は道場を見に行くらしい。

長英さんは息子の長俊さん、孫の良犀さんたちと語り合っている。

俺も里心が付きそうだ。

「・・・・・・・」

今視線を感じた、見られている、秋霜が語り掛けてきた。

「恭也、今の視線、害意はない、害意はないが・・・・」

「視線はこの建物の中からじゃ、しかも二つ」

八景も語りかけてきた。

「敵か味方か分からない以上用心するに越した事はない。奥さんや彼女達、先代達そして

 長英さんを頼む、俺は視線の出所を探す」

「心得た、恭也。お主も用心しろ」

「ああ、簡単にはやられんさ」

秋霜と八景に任せておけば安心だ、別院の中を進んで行く。

又視線を感じた、これは俺を誘っているのか。それなら手っ取りばやく居所が割れる。

俺は誘われるように視線にしたがって進んでいった。

この部屋は確か小太刀を見せてもらった部屋だ。襖を開ける。

中には誰も居ない、然しこの部屋から先ほどの視線を感じたのだ。

部屋の中を見渡すが其れらしきものは居ない。

『なんだ』

今一瞬だが部屋の空気が揺らいだ様な感じがした。

居る、何者かが居る。俺を見つめている。

害意は感じない。

『うん、今視線が重なった』

視線が消えた。

もう一度確認すように部屋を見渡して恭也は居間へと踵を返した。

後には今の出来事が無かったかの様に剣架に小太刀が二振り掛けられていた。

居間には薫たちが道場から戻っていた。

「どうでした、新しい道場は」

「だだっ広いだけの体育館やな」

「そうですね、でも明るいでしょう」

「一階と二階は道場です。三階は寮として遣います」

「うちらさっきから恭也君言うてるけど、無灯流の師範なんやで、そやよってもう恭也君て

 呼んだらあかんのや、なあ恭也君」

「言ってるしりから楓ちゃんは恭也君て呼んでるじゃない」

「もう、葉弓さん」

楓は頬を膨らませて葉弓を見つめる。

そんな楓を見て声を上げて笑う。

楓もつられて笑っている。

『俺はこの笑顔を護る事が出来ればそれでいい』

  




道場開き

「今日これからこの場所が神咲の前哨基地となる。

 附帯する施設は教練場じゃ。

 各地から無灯流を学ぶ為各地から退魔師たちがこの地へと参集する事になる。

 皆を指導するは真言無灯宗大僧正にして無灯寺管長、無灯流師範無灯恭殿じゃ。

 皆の者心して学べ」

前夜

前日、恭也は和音と話し合っていた。

「恭也君、君の呼び名なんじゃが無灯恭也と名乗って欲しい。

 そして真言無灯宗大僧正として無灯寺の管長と成り名実共に川上一族の長として皆を

 幸せにしてやって欲しい」

「俺は姓に拘る気持ちは一切無いんです、然し、其れを納得しない人が一人でも居たら

 不幸を招くだけだと思うんです。もっと慎重に取り組むべき問題だと思うんですが」

『これは約束事なのよ』

頭の中で女性の声が聞こえる。

『そう、前世からの約束事なのね』

別の女性の声が響く。

『君は蘇我入鹿の転生なの』

『その前は倭武尊と呼ばれてたわ』

『誰だ、誰なんだお前達は、一体何者なんだ、答えろ』

あたりの空気が揺れる、あの時と同じだ。

『近々相見える事と相成ろう、仔細は其れまで、汝息災であれかしを祈る』

『汝等に難儀が降りかかる時、我は蘇る、我は必ず蘇る、この儀努々忘れる事勿れ』

言葉使いが変わった。そして消えた。

『俺が倭武、蘇我入鹿、どういう事だ。それにあの声、誰なんだ、近いうちに会える

 らしいが、今は流されて見よう、どの道、和音さん達とは無関係ではいられないから。

 悩むのはその時でいい、今はあるがままを受け入れたらいいんだ、そうだろう父さん』

和音さんにも聞こえていたみたいだ。顔の色が蒼白だ。

「恭也君、今の言葉は神咲のいや川上の伝承じゃ。我は蘇る、そうか、蘇我一族か」

和音さんが一人で納得している。

「恭也君、この件は、わしの言う事を聞いてくれんか、神咲和音一生のお願いじゃ」

「・・・・・・分かりました、お引き受けします」

案外簡単に引き受けたものだ、でも和音さんにあそこまでされたら否とは言えないし、

不破の伝承とも重なる所も在ったし、この決定の理非を問う必要なはい。

「高町恭也、本日より無灯恭也を名乗ります」

その頃、長俊公室では

『ふふ、可笑しき男じゃ、再相見えようぞ』

『我もまた然り』

そんな事があって今日に至っている。

道場開きの後、薫さんが俺の部屋に来た。

「恭也君、少しいいかな」

襖の外から声がかかる。

「どうぞ」

「もう遅いけど、あれで良かったのかい」

「ええ、別に構いません」

「桃子さんも承知の上なんじゃね」

「おれが養子に行ったと思えばそれで済むことですから、

 それに、そんな些細な事に拘る人じゃないですからだいいじょうぶです」

養子という言葉が出た途端。薫の頬が主に染まる。

「恭也さん、よろしいですか」

今度は那美さんだ。

「どうぞ」

「失礼します」

「あら、薫ちゃん、どうしたの」

「那美こそ、こんな時間に・・・」

「私は、朝の件でお話が」

「うちもそうじゃ」

「恭也君ええか、楓や」

「どうぞ、皆さんおそろいです」

「皆さんて、あ、薫、那美、どないしたんや、二人そろて」

「お二人は朝の件でお見えになられたのですが」

「奇遇やな、うちもそうなんよ、ははは」

「恭也さん、よろしいですか、お茶をお持ちしました」

「いつもすいません、お手数を掛けます」

「あら、皆さんおそろいでどうかなされたんですか」

「葉弓さんは朝の件で話があったんじゃないんですか」

「ええ、そうなんですが、皆さんもですか」

『俺の事を本気で心配しそてくれている、一人を選らぶ事なんか出来ない』

初稽古の日。

「おはよう御座います師範」

早速、師範と呼ばれた。

「おはよう御座います」

返事を返す俺。無いか面映い気はするが、これはこれで慣れる事だ。

師範の俺が、さん付けではおかしいから眞行と呼んでください、といわれた。

これも抵抗があるが仕方が無い。

新入の門下生たちが道場の中央に集めれている、彼に教訓を話せと言われてる。

「おはよう御座います、皆さんにはこれから無灯流を学んで頂くわけですが、この刀法の教義を

 説明します。其れは生き残る事です、この一言に集約されます。退魔の現場がから必ず生還

 出来る一助と成らん、これが目標です。どの様な立場に立とうとも生きることを諦めない精神、

 これを鍛えあげる事が目的です。

 生き残ること、諦めない事、この二つです。

 鹿児島で教練を受けた方々と皆さんの違いは、この二つに差があることです。

 生き残る事を諦めない、どの様な不利な体制になろうとも必ず生きて家族の元に還る気持ち

 が皆さんを強くします。大切な人を守る事は、悲しませない事だと言う事です」

「今師範が仰ったことは肝に銘じて置く様に、いいな!」

「おお!」

今、道場で無灯流を学ぶ彼らも一刀流を修め、一灯流も修めている。

退魔行にも赴いた事もあろう、要は神咲の退魔師なのだ。





時を同じく、無妙寺別当公室。

和音、椛、菜弓の先代三人がいる。

「お主達には話しておく必要がある、一昨日の晩の事じゃが、例の件を依頼していた折の事じゃ。

 女の声で恭也君に話しかけて来たものがおる、なぜかわしにも聞こえた、多分聞かせたんじゃと
 
 思う。女はこう言った、わしらの計画が前世からの約束事じゃとな」

一瞬時間が止まる。

「恭也君は倭武尊の転生じゃと、またわしらの伝承を詠唱し、蘇我入鹿の転生じゃとも。

 我は蘇る、逆さにして読めば蘇我じゃ、わしらに難儀が降りかかったことが二度ある。

 二度とも相手は朝廷じゃ、その都度何らかの力がその矛先を躱している。

 その中心的役割を果たしたのが、倭武尊であり蘇我入鹿である。

 思うに、在来の民なぞ存在しない、渡来系の民の侵略と征服しかなかったんじゃ。

 国造りの神話なんぞはその最たるものじゃ、

 侵略と征服の繰り返しがこの国の歴史じゃ、其れもこれも大陸の影響をもろに受けている。

 廬、そもそもこの島は地球の廬なんじゃ、地球という結界が在る、宇宙と言い換えても良いが、

 宇宙の意思でこの結界が創られた、本来、結界とは繋がらず独立するものじゃが時間の歪で

 不完全な結界が出来たのじゃろう、人で言えば虫垂、みな盲腸と呼んでいるるがのう、この島

 もそのような存在なんじゃと思えば良い。結界の性格も、本来の性格と、廬固有の性格を併せ

 持った異界とでも思えばよい。差し詰め、廬の中の時間は複雑に絡み合っている事だろうよ。

 現代、過去、未来が共存する時間の坩堝、全ての事象が永遠に繰り返される、始まりも終わり

 もない時間の奔流、幾重にも捻じ曲げられたメビウスの輪、其れが正体じゃ。あらゆる悪意と

 善意が綯交ぜになった虚な結界、其れが日本という島の本性なんじゃ、恭也君が言ってた、

 龍神と虚空蔵菩薩を祀っているとな。はじめから答えは出ていたんじゃ、答えは其処に在った、

 虚ろな時間を無限に納める蔵、虚空蔵。その蔵の番人虚空蔵菩薩。番人が使役する人間界

 の一族、神咲の本来在るべき姿、其れを再現したのが無灯衆じゃ。

 三派に別れた神咲の菩提を弔う為の無灯衆・・・・・・・・菩提寺・・・・・・・」

和音は立ち上がるなり叫んだ。

 「鹿児島へ戻る!」


時間という大河の流れは、行き着くことなく、戻ることなく、永遠に流れ続ける環流。

第一部 終了




駄文を投稿させて頂いております。

蘇我入鹿という人物に惹かれております。

大阪市内にあります四天王寺の祭事ですが、聖霊会の聖徳太子と思しき人物が

聖霊会の大会式は50年に一度の太子の命日2月22日に行われる太子法要の

行事ですが、クライマックスの舞楽において太子は「脇役」でしかないのです。

狂い舞う「蘇莫者」対し「太子」と名乗る人物がいて鼓舞するように笛を吹いているのです。

笛を吹いているのが「聖徳太子」だとするとこの「蘇莫者」は誰を表しているのでしょうか?

一説に「蘇我入鹿」ではないかと言われています、一般的にはこれが通説と為って居ますが

聖徳太子と蘇我入鹿は同一人物ではないか?。これが自論です。

このような埒も無い事を材料に書いて居ります。

戯言を書き連ねた駄作表舞台に立たせて下さる管理者様には心より感謝いたして居ります。



一体、何が起ころうとしているのか。
美姫 「あの刀二本だけでなく、恭也にも何かがまだありそうな感じね」
うんうん。その辺りも楽しみだな。
美姫 「恭也と神咲を中心とした物語」
果たして、次回はどんなお話が待っているのか!?
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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