その日の午前中、朱里が自室兼執務室に持ってきた書簡の数を見て、俺は首を傾げた。
「朱里?」
「はい? どうかしましたか?」
「いや……やけに書簡の数が少なくないか?」
いつもは朱里の顔が隠れるくらいに山盛りの書簡を持ってくるのに、今日に限っては朱里の顔がしっかりと見える程度の量しかない。正直、この一ヶ月はほとんど休みがないくらいに忙しかったというのに、だ。
「……もしかして、何か問題が発生でも──」
「いいえ、そういうわけではないんですよ」
その変化に危惧を覚えた俺だったが、それはどうやら杞憂だったらしい。朱里は苦笑を浮かべつつ、それを否定してくれた。
「前回の戦いから一ヶ月ちょっと……やっと事後処理も目処が付きましたし、これから仕事量も落ち着きそうなんです」
「そうか……やっと、なのか」
「はい。この一ヶ月……本当に大変でしたね……」
思わず、この一ヶ月の仕事量を思い出して、俺と朱里は遠い目をしてしまう。
袁紹との戦いで滞っていた政務ももちろんあったが、ここ一ヶ月の目の回るような忙しさの要因は、やはり旧袁紹領を自分たちの領土にしたことにあった。かつての袁紹の統治から、うちの統治法への引継だって一朝一夕で出来るわけもなく。そして今はもううちの傘下に入った各地を治める小軍閥の連中にもうちのやり方を徹底させなくてはならない。
例えば税率についてだが。袁紹が統治していた頃の冀州は、酷い重税を課していたらしく、小軍閥の連中も「袁紹様がやっていることだから」と無責任に模倣していたらしい。そのくせ、南皮の袁紹の本拠には軍資金はほとんど残っていなかった。いかに無計画に民たちの血税を無駄遣いしていたのかが目に浮かぶ。
俺たちは統治方法の引継と同時に、冀州の財政の建て直し。さらには心が為政者から離れている民達の信頼を取り戻すことをなさねばならなかったのだ。
だが、それを一ヶ月である程度の目処を付けたと言うのだから、さすがは朱里──諸葛孔明と言わざるを得ない。
「朱里には、この一ヶ月、本当に苦労をかけたな……」
しみじみと、そして出来る限りの感謝の意味を込めて、帽子越しの頭を撫でる。すると朱里は真っ赤な顔をして、ぶんぶんと首を横に振った。
「そ、そそそそそそんなっ。私だけの力じゃありませんからっ。皆さんと、なにより御主人様が頑張ったからですよ〜っ」
「謙遜する事じゃないだろう? 確かに紫苑や星なども頑張ってくれたとはいえ、やはり朱里の指針抜きではここまで出来なかっただろうし」
「はぅ……」
褒められることが気恥ずかしいのか、うつむいてしまう朱里。
だが、俺の労いの言葉では足りないほどに、朱里は頑張ってくれたのだ。この一ヶ月の彼女の仕事ぶりを一番近くで見てきた俺としては、その頑張りに見合う報酬でも……とは思うのだが、朱里自体はさほど金銭や宝には興味を示さないからな。
「……となると、やはり時間、だろうか?」
「はい? 何がですか?」
「いや……朱里? どうだ、仕事にも目処が付いたことだし、まとまった休みを取ってみるのもいいんじゃないか?」
「……っ!?」
瞬間、先ほどまでは真っ赤になって照れていた朱里の顔がこわばった。
……はて?
朱里の反応が気にはなったが、とりあえず話を続けようとしたんだが、
「この一ヶ月は休暇も少な目だったろう? だから、この際取れるうちに休暇を──」
「……御主人様がそれをおっしゃいますか?」
「……朱里?」
それを呆れ果てたと言わんばかりの視線と言葉で遮った朱里。
「確かにお休みは少なかったですよ……ですけどね、それでも最低限のお休みは取れてるんです。そう“御主人様と違って”」
「む……?」
「伺いますけど……御主人様、最後に休暇を取ったのはいつでしたか?」
「それは……」
そういえばいつだったか?
ここ一週間は休んでないか……ということは先週……か? いや、先週も休んでないような?
自分がいつ休んだのかをなんとか思い出そうとする俺だったが、なかなか出てこない。そんな俺の様子を見て、朱里が重い溜息を漏らした。そして、朱里にしては珍しい険しい視線をこちらに向けると、
「……はっきり言いますけど、御主人様は袁紹さん達と戦った後、まったく休暇を取ってないんです! ひとに休みを勧める余裕があるのなら、まずはご自分から休んでくださいっ!」
ごもっともな怒声を俺に浴びせるのだった。
『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
第五十四章
つまり、本日分の仕事が少なかったのも、朱里曰く「現時点でどうしても俺が裁可を下さなければならない仕事がそれだけあったので持ってきた」ということだったらしい。その、恐らく午前中で終わってしまうであろう仕事が終わった後はもう休んでほしいとのこと。
「おそらく近いうちに曹操さんたち魏軍と戦うことになると思いますので、今のうちに英気を養って欲しいんです。皆さん、御主人様が休まずにずっとお仕事をしているのを気にしてましたから……」
朱里の言葉を聞いて、ようやく自分が全然休みを取ってなかったことに気づく。なんとも意外というか、実は俺は結構働き者だったらしいな。みんなが頑張ってるから、俺も自分の仕事をこなさないと、と四苦八苦しているうちに休みを取ることを怠っていたらしい。
……休みを取ることを怠る、というのも言葉としておかしいような気もするが。
ともかく、朱里の強い休暇要請に従い、これより五日間の連休をもらうことになったのである。
「とはいえ……こうして時間が出来ると、それはそれで困るな」
午前中の仕事も終わり、昼食をとったところで自由の身になったのはいいが、突然降って湧いたように出来てしまった休暇を前にして、俺はこれから何をしていいのかが分からず、自室でもある執務室で途方に暮れていた。
そういえば、以前の休暇の時はなにをしていただろうか?
かつての自分の経験から打開策を見出そうと思ったが……
「……以前から、休みの度にこうして困ってた気がする……」
思い出せたのは、常に休みをもてあましていた自分の姿だった。
休みをもらえるのは悪いことではないんだが、こうしてあらためて時間をもらっても、何もしたいことがないのが現状だ。それこそ“向こう”にいる時なら、日がな一日盆栽をいじっていたり、縁側で茶をすすったり、それこそ寝だめでもしていれば良かったんだが……あいにく“こちら”には盆栽はなく、縁側もない。趣味特技として『寝ること・どこでも寝られること』と公言している俺だが、さすがに他のみんなが仕事をこなしている城内で一人惰眠をむさぼれるほど図太くもない。
いっそ散歩をするというのも選択肢の一つなのだが、“こちら”ではおいそれとそれも出来ないのだ。海鳴では単なる一市民の俺だが、ここでは曲がりなりにも太守……しかも、街の人間は俺のことを名君だと勘違いしているフシもあって、商店の連なる道を歩けば、
「あらっ! 太守様じゃないの! あんたのおかげで繁盛させてもらってますよぉ。これ、おひとつどうぞ!」
といった言葉をかけてくれて、売り物をタダでくれる店の主人が次々と現れる。気が付けば、俺の両手が果物だの野菜だのでいっぱいになってしまうのだ。
……街の発展は、明らかに朱里たちのおかげなんだから、ああいう扱いを受けるのは正直心苦しいんだがなぁ……。
実際警邏を請け負う時にも商店のある地区だけは避けるようにしているのが現状だ。
じゃあ、今回も商店街を避けての散歩……と行きたいところだが、残るは住宅地となる。住宅地も……なあ。
商店と違って、住宅地ではタダでモノをもらうと言うことはないんだが……何故か人に囲まれる事が多い。しかも、大半が……困ったことに子供だったりするので、厄介だ。
「たいしゅさまーっ。いっしょにあそぼうよ〜」
……自分の無愛想な顔を思えば、子供など寄ってきそうにもないはずなんだが、ここの街の子供達は特に怖がることもなく、俺を見かければ駆け寄ってくる。さすがに子供では無碍には出来ないということで、相手をするしかない。そうすると“向こう”でなのはや久遠の相手をしていたという経験のせいか、子供達に気に入られてしまったのがまずかった。いつしか街の子供達に『遊び相手をしてくれる大人』という認識を持たれてしまったらしい。
そんなわけで、今では散歩すらも躊躇してしまうのだ。
「さて……後はどうするか、だが……」
どんどんなくなる選択肢。
考えれば考えるほどやることがなくなっていく中、
「ふむ……」
ようやく一つ、思いついた事。
それはこの忙しかった一ヶ月の間、朱里や愛紗に止められていたこと。もちろん彼女たちは俺の体のことを考えてるからこそ、禁止にしていたのはもちろん分かっていた。
しかし、
「さすがにもう大丈夫だろうし……」
正直なことを言えば、あの二人は過保護な面がある。まあ……もちろんそれは俺が危なっかしいからなのかもしれないが。
とはいえ、せっかくの休暇で、しかもこっちはデスクワーク続きで体もなまってる。もっとも、ちょっと空いた時間に部屋でも出来るような筋トレは欠かさなかったけれども、だ。
「よし! 決まった」
本来ならば、あの二人のどちらかに許可をもらってからの方が万全なんだろうが、愛紗に相談すればついてこられそうだし、朱里にいたっては休みの日にすることではない、と反対されそうなので、却下。まあ、あの二人には休暇が終わった後に事後報告することで許しを請うことにしよう……きっと怒られるだろうが。
とにかく、今日のやることが決まったところで、俺は早速その準備にとりかかることにした。
袁紹軍との戦いで再び痛めた右膝のこともあって、しばらく休んでいたことがあった。それは、剣の鍛錬。早朝の鍛錬が禁じられた後も、深夜の鍛錬は幸いにも見つかっておらず続けていたのだが、それもこの一ヶ月ほどは控えていた。しかし、今はもう膝の激痛も治まり動くことにも支障がない……はずだ。
……まあ、専門的なことはそれこそフィリス先生にでも聞かなければわからないが、あいにくと彼女は“こちら”にはいないし、こちらの医療技術はまだ、俺たちの世界には及ばない。
そんなわけで独断で鍛錬の再開を決めた俺は、一ヶ月のブランクを埋めるためにも、深夜まで待つこともせず、日の高いうちからたっぷりと動いてしまおうと思ったわけだ。
それこそ“向こう”にいた時も、休日に美由希の相手を八時間から十時間もの時間、やっていたのだから、これも俺の休みの過ごし方と言ってもいいだろう──もっとも、そんなことをした後はフィリス先生の雷が落ちるのだが。
鍛錬をしようと決めた俺は、自分の装備品を持って城を抜け出し、誰にも見つからないように街も抜け出した。そして向かうのは街からさほど離れていない場所にある森。
その森の一画には自然に開けた場所があった。近くに小川が流れる川辺。そこが俺が普段の鍛錬で使用している場所だった。
「ここに来るのも、久しぶり……だな」
久々に森に足を踏み入れた俺を迎えてくれたのは、清々しい陽光と時折聞こえる鳥の声。それは、深夜の鍛錬にはないので、俺にはかえって新鮮に感じた。深夜では月光と川のせせらぎくらいだからな。それにこういった自然の中での鍛錬は、どうしても高町の家での生活の前──父さんと二人で全国を旅していた頃を思い出す。あの頃は、道場での鍛錬などという方が珍しく、大抵鍛錬はこういった自然の中で行うことの方が多かったからだ。
……と、思い出に浸るのはもったいない。なにしろ久しぶりの鍛錬だ。自分の体がどれほどなまっているかも確認しなければならないし、なにより、
「そもそもデスクワークは俺には向かないからな。体を動かすことでストレス解消しないと……」
鍛錬自体が俺にとってのストレス発散なのだ。
我ながら、それもどうかと思うんだが。
自分の無趣味ぶりに苦笑しつつ、俺は持ってきた装備品をあらためて確認する。
服屋に特注で作らせたジャケットの裏地には小刀。袖に隠れた腕には鋼糸と飛針。そして腰には二刀の小太刀。
これらの装備を身につけるのも、先の戦争以来となる。
人目を気にせずの鍛錬なのだから、やはりフル装備でやらねば意味がない。
「さて……とりあえず、限界まで動いてみる……かっ!」
とりあえずは仮想の敵をイメージしてのトレーニング。
ちなみに、その相手は……戦場で何度も目にしている、もっとも頼れる少女──愛紗!
「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!」
乱れる呼吸。
流れ落ちる汗。
どんどん重くなる手足。
やはり、この一ヶ月で随分とスタミナが落ちていることを実感させられる。
しかし、それ以上に痛感させられることがあった。
それは──自分と愛紗の実力差。
俺が今やっているのは、イメージで対戦相手を想像し、あたかもその人物と実際に戦うかのようにして一人剣を振るうという……言ってみれば、ボクシングのトレーニングの一つであるシャドウボクシングのような鍛錬方法である。これは、その対戦相手のイメージを的確かつ具体的に想像すればするほど効果は覿面だ。だからこそ、俺はその対戦相手に愛紗を選んだのである。
この世界に来てから、一番多く戦う姿を見てきたのは愛紗だ。そして、何より彼女は……俺よりも強い。鍛錬としてはやはり自分よりも強い相手と戦うのが一番だ。
とはいえ、
「……やはり、強い……な」
ただでさえ自分以上の強さを持つ相手に、ブランクのある状態で刃を交えれば、劣勢になるのは当たり前だ。そのあたりはある程度覚悟していた。しかし、その実力差が思った以上に開いていたのは、個人的にはショックでもあった。
かつて虎牢関では、あの恋とだってそれなりに戦えていた……というのが、知らないうちに自らを過信していたのかもしれない。だが、勘違いしてはいけなかった。あの時は、恋と俺が戦う前に愛紗と鈴々が二人がかりで恋とやりあっていたこともあって、恋は万全ではなかったのである。しかも俺の戦い方自体も、勝利することに消極的で時間を稼ぎながら相手のスタミナを削る戦いをしていたからこそ、なんとか恋とやりあえていたのだ。もし、互いに万全な状態で勝利を目指すべく剣を振るっていたら、俺は恋には歯が立たなかっただろう。
そして、このイメージトレーニングでは、勝利すべく剣を振るうスタイルで愛紗の影に挑んでいたのだ。その結果が……これだった。
万全な状態ですら善戦がやっと……だと思っていた俺は、愛紗の青龍刀の前に、膝を折る形を取ってしまう。美由希とは八時間休みなしでも剣を振るえた自分が、わずか二時間でここまで疲れ果てるとは思わなかったのだ。
ここ一ヶ月のブランク。
そして、愛紗の実力の高さ。
そして自分の見通しの甘さ。
それらの要素が、今の俺を完膚なく叩きのめしていた。
「……さすがにこれ以上は膝にも負担をかけすぎるな。ここで……一旦やめておくか」
せっかく膝が回復したのに、ここで痛めてしまっては元も子もないので、意識の集中を解いた。それまでの集中力で作り出していた愛紗の影は消え、俺は立っているのも辛いとばかりにその場に倒れ込んだ。
仰向けになって土の上に大の字のように寝ころんだ俺は、乱れた呼吸を徐々に戻しながら、目の前に広がる蒼穹の空を眺める。久々に限界まで体を動かしたこともあって、晴れ渡る空が目に眩しい。
想像とはいえ、叩きのめされたこと自体は決して良いことではないが、それでも自然の中で思いきり動けたことには爽快感すら感じていた。
そんな時──どこからともなく、小川のせせらぎでも、鳥の声でも、風により木々のざわめきでもない音が、俺の耳に届く。
それは……拍手?
「いや……よもや、これほどまでのモノを見せてもらえるとは思いませんでした。真面目に仕事をしておくモノですな」
そして拍手の主は遅れて声をかけてきた。
どうやら、近くの茂みから一連の鍛錬を見ていた人間がいたらしい。やれやれ……鍛錬に集中しすぎて、潜む気配を見逃していたとはな。我ながら修行が足りないか。
とはいえ、どうやら潜んでいた相手も気配を消していたらしい。
まあ、潜んでいたのが彼女ならば、仕方ないのかもしれないが。
「……どこが真面目だ? そもそも、いつから警邏の仕事に覗きなんていう項目が付いたんだ、星?」
俺は寝ころんだまま、こちらへと歩み寄ってくる白の少女──趙子龍へと視線を向けた。彼女は悪びれることもなく、不敵な笑みをこちらに見せる。
「覗き、とは心外ですな。郊外の警邏の際、並々ならぬ闘気を感じ取り、様子を探りに来たのですから。むしろ仕事熱心と──」
「で、いつ頃から見ていたんだ?」
「……ふむ」
星はとぼけた表情で空を見上げ、その太陽の位置から時間の経過を読みとっていた。
「一時間ほど……ですかな」
「……仕事熱心にも程があるな」
「お褒めに与り、恐悦至極」
「褒めてない。褒めてないからな?」
「これはまた失敬」
星が側まで来たところで俺は上体を起こし、地面にあぐらで座る体勢になり、そこで視線を合わせて……俺たちは吹き出してしまう。
そしてひとしきり笑ったところで、星がこっちにあるモノを突き出してきた。
それは、竹の水筒。
「激しい運動の後の水分補給は早い方が良いでしょう?」
「悪いな」
ここ最近、街の中の治安が良くなったということもあり、警邏の範囲は広がっていた。最近は城壁に守られた町中だけでなく、城壁の外である郊外にも警備の目を向けるようになったのである。で、郊外の警備の範囲が広いということもあって、その職務に当たる際、携帯食や水筒を持っていく人間が多いのである。そして、本日の郊外の警邏担当は星だった。
この水筒もそうなのだろう。俺はそれを素直に受け取り、渇いた喉を潤す。恐らくどこかで汲んだ清流の水なのだろう。冷たく、とても美味しかった。
「ご馳走様」
「いえいえ。見事なまでの剣技を見せていただいた礼としてはいささか不足でしょうが」
「……そういえば。警邏の際に様子を探りに来て、そこにいたのが俺だったというなら、もっと早く声をかけてくれればいいだろう? 何も一時間もつまらんモノを見ていることはないだろうに……」
水をもらったことは純粋に嬉しかったが、やはりそれでも一時間も見られていた、ということには呆れてしまうし、同時にどこか気恥ずかしくも思う。
そんな俺の内心を見透かしたように、星は意地の悪い笑みをこちらに見せた。
「いやいや、声をかけるなどもったいないでしょう? たった一人の鍛錬であそこまで濃密なモノがあるとは……この趙子龍、感服したくらいです」
言葉の途中で笑みを引っ込めて、真面目な表情になったのが気にはなったが、それでも彼女の言葉の内容には肩をすくめるしかない。
「感服……とはまた意地が悪いな。星のことだ、俺が誰を想像した鍛錬で、どういった結果になったのかは理解しているんだろう?」
「主が想定した相手は……愛紗ですな? そして、結果は惨敗……違いますか?」
やっぱり。
一人で剣を振るう俺の動きを見ただけで、星ならそこまで分かってると思った。だからこそ、意地が悪いと言ったのだが、
「主はあえて愛紗に合わせるような戦い方をしてましたからな。それでは主に勝ち目などないでしょう? あんな戦い方をすれば私とて厳しいはず」
「…………」
「そんな条件の中でもなお、あれだけの粘りを見せられたのですから、それは武人としては一見の価値はあると思ったのですが?」
星の言葉自体は軽いが、だからといってこちらをからかっている様子はない。つまり、それは彼女が少なからず本音で語っていると言うことだ。だからこそ、こっちとしては困るんだが。
「やれやれ……星はもうちょっと正当な評価を下してくれると期待していたんだがなぁ」
「おや? それはどういう意味ですかな?」
「いや……ここの仲間達はどうにも俺を過大評価してくれる人間が多すぎるんだ。だから、星ならもっと妥当な評価を出してくれるモノだと思ったんだが……星だって俺より強いんだから、俺の鍛錬を見ていたって仕方ないだろうに」
そう、ここには俺よりも強い人間は多い。愛紗や鈴々はもちろん、目の前にいる星や翠だっておそらくは強い。紫苑だって前回の戦いでは一騎討ちという慣れないスタイルでの戦いを強いられたからこそ、俺でも対抗できたが、彼女の本職は弓兵だ。本来の遠距離戦をやられたら、それこそ俺は手も足も出ない。さらには、恋という最強の武将までいる。
なのだが、そんな俺よりも強い彼女らはどうにも俺に対しては過大評価が過ぎるのだ。
「御主人様は我々にはない“強さ”を持っておられる」
愛紗などはこう公言してはばからないくらいである。
俺としては自分よりも強い人間にそんな評価をもらうと言うことに心苦しいモノを感じるのだが。
そんな身内贔屓が過ぎる分、まだ一緒にいる時間が短い星にはまっとうな評価をして欲しかっただけに、残念でならなかった。
肩を落とす俺を見て、今度は星が呆れたように肩をすくめる。
「まったく……主は周囲の言葉を過大評価として信じていないのでしょうが、私から見れば主が自らを過小評価しているだけに見えますが?」
「そんなことは──」
「ないと言えますか? こう言ってはなんですが、私が見る限りでは……そうですな。軍師殿はまあ武人ではないということもあって、幾分か過大評価はしているかもしれません。ですが、愛紗たちに限ってはどうでしょうか?」
「む……?」
「そもそも愛紗は生真面目過ぎて融通が利かないのが欠点──もとい長所でしょう? その愛紗が身内贔屓で過大評価をするとお思いか?」
「それは……」
「まして、愛紗の武人としての実力を一番評価しているのは主でしょう? ならば、愛紗の実力と性格からして、それを過大評価の一言で終わらせるのはいかがなモノかと思いますが?」
「…………」
……正直、ぐうの音も出ない。
確かに愛紗の生真面目で律儀な性格を思えば、身内贔屓など以ての外だ。
だが、そうなると……彼女の言葉は真実、ということになってしまう。
しかし、アレは明らかに評価としては間違っているとしか思えない。事実、先ほどのイメージトレーニングでも俺は彼女に完敗していたのだから。
……この謎は思った以上に根深く、俺にはその答えが見出せなかった。
(やれやれ……一見鋭いように見えて、実は思った以上に鈍いとは……愉快なお方だ)
気づいた矛盾点に懊悩する主人の姿を見て、星は苦笑を禁じ得ない。
黄巾の乱にて恭也と知り合い、彼の度量に惹かれ、そしてようやく彼の元で働くようになってからの一ヶ月。その一ヶ月は星にとって、様々な発見の連続だった。高町恭也という人物を知れば知るほど、星は彼に惹かれていく自分の心を自覚出来るくらいである。
初めて出会った時は、まだたった三人の仲間と民兵しかおらず、領土と言っても街一つだけの、取るに足らない県令でしかなかったのだが、今ではもう大陸に高町恭也の名を知らない者が居ないほどの存在にまでになっている。実際、星も恭也の活躍を耳にしたからこそ、早めに旅を切り上げて戻ってきたのだ。
(自分を磨き直す前に、彼の槍となっての働き場所がなくなってしまっては意味がないからな)
はっきり言ってしまえば、恭也の急成長は彼女の予測を大きく上回っていたのである。
恭也の名を大陸中に知らしめた、あの董卓征伐。
特に水関や虎牢関での、高町軍の奮戦ぶりはあっという間に大陸中に広がった。
水関では、敵将華雄を高町軍随一の腹心、関羽(愛紗)が討ち取ったこと。
虎牢関では、最強の武人呂布(恋)を高町軍の大将である恭也が撃ち破ったこと。
そしてどちらの戦いでも一騎当千の強さを発揮した張飛(鈴々)のこと。
さらには、寡兵を持って大軍にあたり、それでもなお敗北しなかったという諸葛亮(朱里)の鬼謀。
他にも曹操軍や孫権軍の強さだったり、涼州連合随一の勇者馬超の奮戦ぶりも話題には上がるが、やはり注目はニューカマーである高町軍に集まっていた。
(正直、高町軍の活躍を噂で耳にした時は悔しかったモノだ……どうして自分はその場にいられなかったのか、と)
星は予測していた。
高町軍は董卓征伐で風評を得た以上、その勢いのままに力を付けていくだろう。そして、高町恭也という男の度量と、彼の周りを固める有能な家臣達の力量があれば、いずれ近い将来彼らは魏や呉に次ぐ戦力となっていくはずだと。
その予測は当たったと言ってもよかったが、恭也たち高町軍の成長力は計算外とも言えた。よもや自分が合流する前にこれほどの活躍するとは、さすがの星も予測出来ず、恭也の役に立てない自分の現状に後悔もしていたのである。そして星としては、もうこれ以上悔しい思いをしたくはなかった。
だからこそ、旅を早めに切り上げ、こうして恭也の元へと馳せ参じたのである。
そして、自分が下したその決断は間違っていなかったことを実感した。
対袁紹に関しては最後の最後に合流出来たことで見事な槍働きも出来たし、その結果として大陸北東部の制圧と統制に尽力することも出来た。今では高町軍が彼女の予測通りに、魏や呉に次ぐ勢力になっている。その成長力に限ってみれば魏や呉を凌ぐと言っても過言ではなかった。
(やはり……私の見る目は間違っていなかった、ということだろうな)
星は思い出す。
あの日──恭也に諫められ、自らの未熟を痛感した日。
別れ際のちょっとした口約束があった。
武人としても将としても一流となってからあらためて恭也の臣下になると誓った星。
ならば、自分も一流となった星に認められるような君主になると言った恭也。
その約束を恭也は守っていた。
領土も増え、勢力も強く、そして家臣団もより強固に。
今では大陸屈指の名君主である。
しかし──
(では、自分は……彼の目にどう映っているのだろうか?)
──自分はその約束を果たせているのだろうか。
その疑問が、念願の高町軍入りを果たした今も、しこりとして残っていた。
「主よ」
不意に、星にしては珍しい固い声で呼ばれて、俺はなかなか答えが出ない疑問から抜け出し顔を上げた。そこにあった顔は、やはり星らしくない悲壮とも言えるような真剣な表情。
その表情には見覚えがあった。星が俺たちと合流した時に、一度だけ見せた、あの表情の翳り。それが今の彼女と被って見えた。
「主に一つ、聞きたいことがあるのですが……」
「……もちろん、構わないが。その前に」
彼女らしからぬあの表情──その一因でもわかるのなら、俺はどうあっても聞いて、解決したいと思う。星にあんな表情は似合わないからな。
他だ、そうする前に俺は今の自分の姿を見て、仕切り直しをお願いする。何しろこっちは汗だけで土埃にまみれた状態で地面に座り込んでるという有様だ。少なくとも、あんな真剣な表情の星の話を聞く体勢ではない。
「顔を洗わせて欲しいんだが。あと、話は……あっちで聞こう」
とりあえず汗を簡単に流すことと場所の移動を提案。といっても俺が指定場所はすぐそこ──側にある小川の川辺だった。
星は俺の提案に頷き、とりあえず移動。
俺は顔を洗い、汗と汚れを落とした上で、あらためて星と向き合った。
「じゃあ、聞かせてもらおうか?」
川辺にある岩に腰掛けて、俺は星の話を聞く。星もまた、すぐ側の違う岩に腰を下ろしてから、少し躊躇いがちに話し始めた。
「先の、楽成城下での戦いを憶えておいでですか?」
「もちろんだ。そこで星が加入してくれたからな」
「あの時……私は一つ、大きな失態を演じているのです」
「失態……?」
それは俺にとって初耳だった。
あらためてあの時のことを思いだしてみるモノの、そこで星がミスを犯していたと言う認識は全くない。当時城下にいた星は、鈴々と協力して璃々を救出し、俺たちと黄忠軍をも救ってくれていたはず。彼女に落ち度なんてどこにも──
「主は憶えているでしょう? 我らが璃々を救出し、戦場に姿を現した時のことを。そして……紫苑と璃々が狙われた時のことを」
「それは……」
忘れるはずもない。
あの時の……再会を喜ぶ親子を狙った卑劣な手は、今思い出しても怒りの感情が沸き上がってしまうくらいだ。
「あの時、ああなってしまう可能性があることをわかっていたのに、私は璃々を戦場へと連れだした……それでも自分なら、璃々を守れるはず……と、自惚れて」
「星……」
「璃々を戦場に連れ出す時、私はあの子と約束を交わした……璃々のことは私が守ってみせると。しかし、戦場であの子の危機を救ったのは……主、あなたでした。私ではあの子の危機を救うことは出来なかった」
それが、星の言う失態だった。
星はその時のことを今でも忘れることが出来ない屈辱として自分の中に刻まれているらしく、うつむき唇を噛みしめている。
だけど、俺はそれを彼女のミスとは今でも思えなかった。
「そんなことはないだろう? 俺だってあの時5本の矢全てを落とせた可能性は低い。星と鈴々がそれぞれ一本ずつ矢を打ち落としたことが大きかった──」
「もし、我らが矢を落とせず5本全てが黄忠親子を襲ったとしても、あなたは自らの身を投げ出す覚悟で守ったのではありませんか? 少なくとも、それほどの覚悟はあったのでしょう?」
「…………」
「事実、主はあの時無茶をして膝を痛めている。それに比べれば、私はあまりに覚悟が足りなく、そして自分を過信していた……」
結果として、紫苑と璃々は今も無事なのだから……という結果論では星は納得出来ない。俺がどう思おうが、彼女にとっては悔やんでも悔やみきれないミスなんだ。
俺はその認識を持った上で、星に話の続きを促す。
「なるほど……な。で、星はそれを俺に聞いて欲しかったのか?」
「いや、そうではないのですよ。それを踏まえた上で主にお聞きしたい」
「うん?」
「私は……あなたが求めるほどの人間となっているだろうか?」
その、星らしくもない弱気な問いかけを聞いた瞬間。
俺は、かつての黄巾の乱で星と共闘した後、再会を約束した時のやりとりを思い出した。そして、それが彼女の表情を曇らせる原因になっていたらしい。
なるほど……彼女はあの時よりも成長した姿で俺と再会し、あらためて仲間になろうとしていた。しかし、その再会の時に彼女からすれば醜態を俺に晒した……そう思っていたようだ。
だから、あの楽成城下の戦いの後、彼女は冗談を交えながら、それでいてさも当然のように仲間入りを果たしたが、その中で彼女は言い知れぬ不安を持ち続けていた、というわけか。
……よく朱里や愛紗なんかは慧眼の持ち主、なんて言われるが、仲間の不安も分からない俺にそんなものがあるとは思えないんだがな。そういう意味で言えば、俺だってまだ星を受け入れられるような君主にはなっていないんだろう。
だが、今それを彼女に言ってもそれが慰めにもならないことは俺にだって分かる。
今、俺が言うべき事。それは──
「そういえば、まだ約束を果たしてなかったな」
「え……?」
彼女の問いに対する答えとは思えない俺の切り返しに、星は目を丸くする。どちらかと言えば、そのつかみ所の無さから周囲を驚かせることが多い星がきょとんとする顔は見たことがなかったので、微笑ましくも思うが、今はそれを抑えておく。今は真剣な場なのだから。
「星、君がどんな自己評価を下しているかは知らないが……」
「……主?」
「もし、星がここを出ていくなんて事になった時は、俺は全力でそれを邪魔するぞ」
「え……っ?」
「これからの俺にとって、君が必要なんだ」
「あ……ある、じ……?」
「だから……俺の元にいてくれ」
なんとも……こうして言葉に出すと照れるな。星もどこか恥ずかしいのか、頬を赤く染めて呆然としているし。だが、これも約束のうちだ。
「……これが今の俺の精一杯の“口説き文句”だ」
「へ……?」
「約束したはずだぞ? 次に会った時は遠慮なく口説かせてもらう、と。あの楽成城下では有耶無耶になってたからな。あらためてこうして口説き文句を用意したんだが?」
「あ……」
そこでようやく星も思い出してくれたらしい。
「ああ……そうだな。次に会える時を楽しみにしているよ。今日のところは我慢するが、今度は遠慮無く口説かせてもらうからな。覚悟しておいてくれよ?」
「これはまた……強烈すぎる殺し文句ですな。高町殿も人が悪い」
黄巾討伐の後の別れ際にあったやりとりを。
ああ言っておきながら、再会した時には口説くことなく星が仲間になってしまったのだ。
まあ正直なことを言えば、このまま有耶無耶にしてもいいかとも思ったんだが、先ほどの星の話を聞いてしまった以上はそうもいかなかった。
「今の口説き文句が……そのまま、星の問いに対する答えになると思うんだが? どうだろうか」
「…………」
楽成城下での再会。
星はそこで持っていた自信に翳りが出たのだろう。だが、それでもなお趙子龍という人物の輝きが損なわれることはないし、今ここで彼女が自分を未熟に思うということは、まだこれ以上に成長する伸びしろがある証拠でもあるのだ。それは間違いなく“どの大将も欲しがるほどの武将”であることに間違いはない。
それを如実に語る上で、俺は必死に星を口説いたのだ。
そして──
「……なにもこんな時に限って、そんな単純で……それでいてどんな言葉よりも熱烈な文句で口説かれてしまったら、これまで悩んでいた自分が馬鹿げて仕方ないではないですか」
星は俺の口説き文句に込められた意味をしっかりと理解してくれたのだろう。今はもう、スッキリとした笑顔を俺に見せてくれた。
そう……これが一番、星らしいって思える顔だ。
彼女のそんな笑顔を見てしまったら、こっちまでつられて頬が緩んでしまう。
「実際馬鹿げた話じゃないか。腕っ節も頭も俺よりも全然優れているのに、一度の失敗で落ち込むとは……そんなことを言ったら、俺は失態続きだぞ? 最近は愛紗や朱里相手に失った信頼を回復させるのでやっとなくらいだ」
「それは主が悪いのでしょう? 主にはご自愛の精神がなさ過ぎなのですよ。周りが止めても聞かずに無理をしてれば、愛紗たちも城内全部に聞こえるような声で怒鳴りたくもなるというもの」
「むぅ……」
それを言われるとつらい……とばかりに眉間にしわを寄せると、星の笑みに意地の悪さが見え隠れし始める。あの表情は……イヤな予感が。
「この鍛錬もどうかと思いますが? せっかく休みをもらっておいて、やることがこれでは身体はまったく休まらないでしょうに」
「……なんだ、星は俺が今休暇中だと知ってるのか?」
「それはもちろん。朱里がここ数日、主がいつ以来休んでいないかを調べていたのは城内の人間は全員知ってますからな」
「そうだったのか……まあ、朱里には何かと面倒をかけているな」
「ですが、その軍師殿が今の主の行動──休暇中にもかかわらず体を休めず鍛錬をしていると知れば、どう思いますかな?」
「……星。何が望みだ?」
やはりこうなったか。
考えてみれば、この鍛錬が見つかったこと自体、今の俺にはよろしくないことだった。特に、このことが朱里に知られるのはまずい。朱里の説教は長いというのもあるのだが、途中で感情が抑えきれなくなって涙目になられてしまうと、こっちの罪悪感が……。
それに、休暇中にこのことを報告されると、明日からはこの鍛錬すらも出来なくなる。そうなったら、この休暇中の選択肢が更に限られることとなる。
星め……さっきのしおらしさが嘘みたいに復活したと思ったら、いきなりそこをついてくるとは……怖いヤツだな。
「おや? 人聞きの悪い。それではまるで私が主を脅しているみたいではないですか」
「……じゃあ、望みは何もないんだな?」
「いやいや。この趙子龍、そこまで悟りが開けるほど達観してはおりませんので」
「……で?」
こんなやりとりも星らしい……と言っていいのかどうか。
まあ、星だからこそこんなやりとりも冗談で済むからいいんだが。さすがにここで無茶な要求はしてこないだろうし。
「そうですな……では、今夜一献、おつきあいいただけるかな?」
そして事実、彼女の出した要求はやはりささやかなモノだった。
「……そんなことでいいのか?」
「そんなこと、とは随分なお言葉。私がこちらに来てから、主とは一度も酒を酌み交わしたこともないと言うのに。実は密かに楽しみにしていたのですが、主はご多忙ゆえなかなか声をかけられなかったのですよ」
「そうだったのか……まあ、それくらいなら」
正直なことを言えば、俺は酒の味に関してはいまだに楽しめないんだが、これくらいは妥協すべきだろう。それに酔った星というのも、見物かもしれない。そう思えば楽しみにもなるというモノだろうし。
俺の返事に満足してくれたのか、再び星の笑みは邪気のないモノへと戻った。
「取引は成立ですな。では、ここでの鍛錬のことは我々の秘密、ということで」
「ああ。それで頼む」
取引と言うには、あまりに小さな約束をとりつけて、星は仕事に戻り、俺は鍛錬を再開する。
俺は再び対戦相手を想像し、小太刀を振るう。先ほどの疲れはまだ残っているはずなのに、動き自体は先ほどよりも軽かった。それは多分、星のあの笑顔を見ることが出来たからだろう。
そう思うと、ここでの鍛錬を星にみつけられたことも、決して悪いことではないな、と思う自分がいた。
……もっとも、その考えもすぐに改めることとなるのだが。
──数時間後の城内にて。
「む、星か? 今日は確か郊外の警邏だったな」
「ああ。滞りなく終わらせたぞ。周囲は平和そのものだ」
「それは何より……だが、どうした星? 今日はヤケに機嫌がいいな?」
城内で偶然、愛紗と顔を合わせた星。
今日は恭也に代わって政務にはげんでいた愛紗は、特に楽しむこともない郊外警邏をこなしてきたはずの星の表情が珍しく緩んでいたことを見抜く。もっとも、星も自らが浮かれていることを隠そうともしていなかったのだが。
「ああ、今日は良き日だった……というのはまだ早いか」
「なんだ? 何かいいことでもあったのか?」
その問いかけを星は待っていた。
「いや、実は郊外の警邏の途中で主と偶然会ってな」
「なに……? 御主人様と、だと?」
主──恭也の名に過敏な反応を見せる愛紗を見て、星は心の中でほくそ笑む。
「御主人様が郊外に出ていたというのか? まさか……一人で?」
「ああ。突然の休暇ですることがなく、散歩をしていたようだがな」
一応、恭也との約束は破ってはいない。恭也に口止めされているのは、鍛錬のことだけなのだから。それを誤魔化すために用意した嘘が散歩、ということなのだが、それでも愛紗がいい顔をするはずもなかった。
「……またあのお方は……お一人で外には出ないようにと再三言ってきたのに……」
「まあ、それほど気にすることもあるまい」
「何を言うか! あの方は以前から太守としての自覚が──」
「それを私に言ってもしょうがないだろう? 主への不満なら本人に言ってくれ。話の腰を折るな」
「むぅ……」
このまま恭也に対する不満を並べられて話が違う展開になることを恐れた星は、ちゃっかり面倒を恭也に押しつけつつ、すぐさま修正する。
「まあ、そこで少々主と言葉を交わしたのだが……」
「だが? だが、なんなのだ?」
「……主は冷静に見えて、実は熱い方なのだな。実感させられたよ」
「………………どういう、ことだ?」
星はわざわざ、頬をわずかに赤く染めて、ウットリとした顔で語る。もちろん“意識的に”だが。
そんな彼女の表情を見た愛紗は……こめかみあたりの血管を浮き上がらせた。
「……星よ。主との間に何があったというのだ!?」
「声を荒げるな。ただ……あの方に口説かれただけだ」
事も無げに言ってのけた星の言葉に、愛紗はまるで落雷を受けたかのような衝撃を受ける。
「……な…………に…………?」
「主に口説かれた、と言ったんだ。私が必要だと。そしてこれからも俺の元にいてくれ、とな」
「………………」
まんざらでもない表情で語る星。驚きのあまり声も出ず、口をパクパクさせるだけの愛紗。
これもまた、星は嘘を付いてはいない。確かに恭也は彼女をそう“口説いた”のは確かなのだから。
……まあ、もちろん男女の意味ではないのは星が一番分かっているのだが、愛紗がどう解釈するかは……言うまでもないだろう。
「さて、今夜が楽しみだ……」
「……なにっ!? それは……どういうことだ!?」
「いやなに、今夜は主と約束をしていてな。もちろん二人だけで……な」
「なっ、ななななななななな……っ!?」
「まあ、二人で何をするか……なんて野暮なことは聞かないでくれよ、愛紗?」
「う、う゛、むぐぅぅぅぅぅっっっっ!」
もちろん、何をするかと問われれば、酒を酌み交わすという答えしか出ないのだが、あえてそこをぼかすあたり、星は相当に意地が悪いと言えた。
ただでさえ嫉妬深い愛紗のヤキモチが、もうシャレにならないくらいに高まったのを見て、星はその場を後にする。
「そういうわけだから、くれぐれも邪魔だけはしないでくれよ。では」
「おっ、おい! 星っ! 御主人様は本当に……っ!?」
「私は“嘘”はつかんぞ。趙子龍の名にかけてな」
恭也に自分を認めてもらえたことの嬉しさ。
それで浮かれていた星は、誰かにこの喜びを自慢したかった。しかし、よりにもよって見つかったのは愛紗だったのだ。
おそらく高町軍にあって、一番恭也の信頼を得ているのは愛紗である。そんな人物相手では、星の自慢も虚しいだけだ。そう思うと、自分よりも恭也からの信頼を得ているであろう愛紗に対する理不尽な怒りすら感じ、“自慢のやり方”を愛紗が悔しがるような形に変えたのである。
(信頼とは失いやすく得難いモノ。誰よりも長く主に仕えている愛紗に敵わないのはしょうがない。だが……“他のこと”では容易く譲る気はない。今回は、その宣戦布告代わりよ)
他のこと……それがなんなのかは言うまでもないだろう。
ただ、そのはた迷惑な宣戦布告で騙された形の愛紗も哀れだが、それ以上に哀れなのは……その愛紗の嫉妬を受けなければならない恭也なのかもしれない。
その日の夕食時。愛紗の最高潮に達した嫉妬の炎はすでに殺気じみており、そんな愛紗の視線を受けた恭也は愛紗が怒る理由も分からず首を傾げるばかり。ただ、超一流の武人の殺気を受けては、さすがの恭也も生きた心地がしなかったという……
あとがき
……内容の割に文章量が多くなってしまった(鬱
未熟SS書きの仁野純弥です。
ようやく迎えた日常編……と言いつつ、袁紹戦の事を微妙に引きずっている星がメインの話なので、いまいち日常っぽくない感じがしないでもないです。星の様子に関しては前にちょっと“らしからぬところ”を匂わせるところを出していたので、早めに解決させてみました。これでこれからは星らしくなっていくと思います……いろんな意味で(ぇ
今後はこの日常編……というより、恭也にとっての『つかの間の五日間の休暇』での出来事をお話として用意していくつもりですので、肩の力を抜いてまったりと楽しんでもらえたら、と思います。
では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
では〜。
最初は星〜。
美姫 「五日の休日でこれからどんな事が起こるのかしらね」
いや、とっても楽しみです。
美姫 「次回も待ち遠しいわね」
うんうん。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね」
ではでは。