「璃々殿も無事助け出したことだし、後は璃々殿を黄忠殿のところに連れて行くだけだな」
「とはいえ、外は今戦いの真っ最中ですよね? そんな中、璃々ちゃんを連れて行くのは危険すぎるですよ?」
「それなら心配ないのだ。まだ両軍はぶつかっていないから。表では今兵士を戦わせないために、お兄ちゃんが一騎討ちをしてるのだ」

 そこで初めて明かす今回の高町軍の策に、趙雲、陳宮、それに璃々も驚いてしまう。

「……大丈夫なのか? 高町殿の実力は知ってるつもりだが、それでも黄忠殿と言えば大陸屈指の弓の名手のはず……」
「そうですよ……紫苑は弓での遠距離戦闘はもちろん、接近戦でも鋼鉄製の弓で応戦出来る凄腕の武将さんですし」
「お母さん、すごく強いんだよ?」

 三人がそれぞれ恭也の身を案じるが、それでも鈴々の自信はまったくもって揺るがなかった。

「相手がどんなに強くても、お兄ちゃんは負けないし、黄忠も絶対無事なのだ」
「「「…………」」」

 その、あまりの強い信頼感を見せつけられた三人は、言葉を失う。
 そして、

(ふむ……これが常に傍にいることで生まれる信頼感か。不覚にも妬いてしまったではないか)

 趙雲は密かに胸の内で生まれた嫉妬という自らの感情に苦笑し、

(呂布様に匹敵しそうな英傑がここまで言うなんて……どんなひとなんですかね?)

 陳宮はさらに恭也への興味を強く持つようになり、

(鈴々ちゃんのお兄ちゃん……どんな人なんだろ? 格好いいかなぁ?)

 璃々もまたまだ見ぬ“お兄ちゃん”に──陳宮とは違った意味で──興味を抱くのだった。

「でも、あんまり待たせるわけにも行かないし、早く璃々の無事を伝えないと」
「そうだな……そうと決まれば、堂々と城門から出て、声高らかに──それこそ全軍に聞こえるように伝えてやろうではないか。璃々殿の無事をな」

 息巻いて城門へと急ごうとする二人。
 だが、その前に陳宮は璃々の意思を確認すべく、足を止めた。

「ね、璃々ちゃん?」
「ねねちゃん?」
「これから、私たちは戦場に行かなきゃいけないの。璃々ちゃんも一緒に」
「……(こくっ)」
「……怖くない?」

 もし、璃々が怖くて戦場に行けないとなれば、他の方法で伝えることだって陳宮は考えていた。戦場の空気というモノは、幼子にはあまりに厳しすぎるからだ。
 しかし、

「怖くないよ……怖いなんて言ってられないもん。わたしが行って、お母さんを助けるの」

 璃々は自らの意思で戦場へと向かう決意を見せる。
 怖くないはずなどないのだ。実際、璃々の目には涙が溜まっている。戦場が怖いところであることは、幼いながらに理解はしているのだから。
 それでも璃々は逃げたりしない。
 これもまた血筋なのかもしれない……そんなことを思いながら、陳宮はただただ微笑みを返した。
 そして、そんな幼子の決意に、

「そっか……璃々は強いねー」

 鈴々は真っ直ぐな言葉で璃々を褒め称え、

「良い心がけだ。その心がけに敬意を表し、我らの全てを賭けて璃々殿をお守りしよう」

 趙雲は、まるで璃々を一人前と認めたかのような口調で、彼女の守護を申し出た。
 そんな二人に、璃々はにこっと微笑んだ後、まっすぐと城門に向かって歩き出す。
 その璃々の両脇には趙雲と鈴々が並ぶ。要人を護衛するかのように。
 そんな璃々の姿を見て、あらためて陳宮はあの少女が助かったことを心から喜ぶのだった。





















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第四十七章






















「我が名は趙子龍! 卑劣にも楽成城主黄忠殿のご息女を拉致していた袁紹の魔の手より、息女璃々殿を取り返して参った! もはや戦う必要はない! 両軍、退きませい!」



 突如戦場に響き渡る口上。
 その凛とした、それでいて恐ろしく遠くまで響く声は、黄忠軍、高町軍の両軍の全ての兵士に届くほどだった。

「え……?」

 そしてそれは当然、一騎討ちをしていた恭也と黄忠の二人の耳にも届き、

「……間に合ったか」

 常に足を止めずに戦っていた二人の動きがぴたりと止まる。
 黄忠は先ほどの口上の真偽が気になる様子で、瞳に戸惑いの色を滲ませながら。
 恭也は先ほどの口上で策が成功したことを知り、安堵して。
 とはいえ、二人の一騎討ちの決着はまだ付いていないという状況では、双方戦闘態勢を解くわけには行かない。そんな状況の中、先に構えていた武器を下ろしたのは、

「た……高町……殿?」

 当然ながら恭也だった。
 恭也は構えていた両の小太刀を下ろして、それぞれを鞘に納める。突然戦意を抑えた敵将の様子に、黄忠は更に戸惑ってしまう。先ほどまでの凛々しい──それこそ、怖いと思うほどに美しかった──黄忠の姿はすでになく、今は突然舞い込んだ情報と目の前の状況に狼狽えているため、随分と隙だらけな様子は恭也に、

(年上の女性をこう思うのは失礼なのだろうが……可愛く見えてしまうな)

 そう思わせてしまうくらいに微笑ましかった。

「……娘さんが無事だった今、俺たちに戦う理由はありません」
「それは確かにそうですが……」
「ならば、もう武器を収めてもいいでしょう? これ以上は無意味だし、なにより……あなたにはやるべきことがある」
「え……?」
「……娘さんを迎えてあげてください。きっと、怖い目にも遭ってるでしょうから。母として、娘の無事を喜んでいいと思いますよ」
「……高町殿……あなたは……」

 戸惑い狼狽えていた黄忠の瞳にようやく理解の光が灯る。
 恭也の言葉から落ち着きを取り戻していた彼女は、ここに来てようやく何が起こったのかを推察することが出来ていた。
 恭也があえて総力戦ではなく、大将同士の一騎討ちに持ち込んだこと。今にして思えば、その一騎討ちの最中でも恭也の戦い方──特に攻撃に関してはどこか消極的だったこと。そして戦場に響き渡った口上と、それを聞いた後の恭也の様子。
 そこから導き出される答えは──
 
(彼の目的は私たちの打倒ではなかった。いえ、むしろ彼らは……)

 そこでようやく、黄忠は構えていた弓矢を下ろし、恭也に向けて微笑んだ。それは思わず恭也が見惚れるくらいに魅力的なもので、恭也は目を逸らしてしまう。

「先ほどの口上の主……趙子龍というのはあなたの部下、ですか?」
「部下、ではないですね。まだ仲間でもない……が、大切な友人です。偶然、楽成城下にいたらしくて、今回協力してもらいました」

 彼女が武器を下ろしたところで、恭也も気づいたようだ。黄忠が高町軍側の意図を推察したことに。

「そうでしたか……あなた方に助けられたようですね。なんとお礼を言っていいか」
「助けたつもりはありません。俺たちは袁紹との直接対決を前にして兵力を減らすわけには行かなかった……ただ、それだけです」

 それは明らかな照れ隠しだった。そして、そんな恭也の余裕のない態度を見透かすことなど、今の黄忠には容易いことで、彼女は思わず微苦笑を漏らしていた。

「ふふっ……一騎討ちの時は随分と凛々しかったのに。こうして見るとなかなか可愛いところもあるのね。天の御遣いさまも」
「ぐ……っ」

 年上の女性の悪意のない皮肉に、恭也は言葉を詰まらせてしまう。

(むぅ……やはり年上の女性は俺にとっては鬼門だな。何を言っても勝てる気がしない……と?)

 照れ隠しも見透かされ、肩を落とす恭也だったが、不意にあるモノが視界の端に入る。それは……今回の策の成功を知らせる“天使”の姿。

「……俺をからかうのはこれくらいにしてもらえると助かります」
「あら? それは残念。あなたとお話しするのは楽しそうなのに」
「そんなことは後回しでいいでしょう? それより……何よりも優先すべき事があるんじゃないですか? 今はただ、“母親”に戻って……」
「あ……っ!?」

 その恭也の言葉で予感を感じて黄忠は振り返った。
 そこには、楽成城の城門前に陣取っていた黄忠軍の兵士たち。その軍勢が左右に分かれ、一つの道を作る。そして、その道を駆けてくるのは、

「おかーーーさーーーーんっ!」
「璃々っ!」

 実に可愛らしい一人の少女。そしてその後ろを悠然と歩いてくるのは、少女を救出した三人の女傑たち。

(鈴々に、趙雲も……と、もう一人いるみたいだが、あの二人と一緒ということは、きっと彼女も協力者なんだろう)

 恭也はまだ遠くにいる三人に向けて、握り拳に親指を立てた右手を高々と掲げた。「よくやってくれた」という恭也の無言の意思表示。それに、鈴々は満面の笑みで。そして趙雲はシニカルな笑みで応え、陳宮はただただ恭也の顔を興味深げに眺めていた。
 そんな声も届かない遠目のやりとりのど真ん中。
 ちょうど恭也と趙雲達の場所の中間点あたりで、母娘は涙の再会を果たす。
 母親に向かって、一直線に駆け寄る娘──璃々。
 駆けてくる娘へと、持っていた弓矢を放り捨てて駆け出す母──黄忠。
 璃々は母親の胸に飛びつき、黄忠は愛しい娘を力一杯抱きしめる。
 戦場のど真ん中での母と子の姿は、その場にいる全ての人間の目に、どこか神々しく見えていた。

「……良かったですね。本当に」

 黄忠親子の姿に見入っていた恭也に声をかけたのは、今回の一騎討ちの立会人をしていた愛紗。

「ああ。本当に……良かった」

 恭也はいつの間にか自分の横に並んできた愛紗に視線は向けず、ただただ親子の抱擁を眺めていた。
 確かに母と娘の再会の抱擁は美しく、それでいて心温まる光景。
 しかし、恭也は他の人間とは違う感慨を受けていた。
 いつしか恭也は、黄忠たちの姿の向こうに──もう随分と長い時間、会わずにいる家族の存在を思い出していたのである。
 黄忠親子の姿から、義母の桃子と妹のなのはのことを。
 そこから、いつまでも手のかかる……だけど、今では誇れる弟弟子の義妹を。
 いつも騒々しいくらいに賑やかで料理上手な二人の妹分を。
 最近はめっきり忙しいのに、それでも時間を見つけては会いに来てくれる姉的存在を。
 そして、今では家族同然で付き合う、大切な友人達を。





「御主人……さま……?」

 黄忠親子を通して、遥か遠くを見ているような……そんな恭也の様子に気づいたのは彼の隣にいる愛紗だった。
 母と子の心温まる再会の光景……なのに、恭也の漆黒の瞳は、それを真っ直ぐに見ていない──愛紗はそう感じたのである。視線は確かに黄忠たちに向いているはずなのに、恭也の見ているモノはそこにはない。そんな違和感を感じた時、愛紗は訳も分からないままに、ある感情を覚えたのだ。
 それは……恐怖。
 このまま放っておいたら、恭也がどこか自分の手が届かないどこかへ行ってしまうような気がして、

「ごしゅ…………っ!?」

 恭也の意識を自分に向けようと大声で呼びかけようとしたその時だった。
 
「っ!!」

 恭也の、遠くを見据えるような表情が一変し、強張ったのは。
 何が起きたのか? そう聞こうとする前に、

「なっ!?」

 一拍遅れて愛紗も気づいてしまった。
 禍々しい殺気を乗せた矢が五つ……楽成城の城壁の上から放たれたことに。
 そして、その矢の狙いは──

「なんということを──っ!」

 ──再会を喜び抱き合っていた黄忠親子だった。
















 時はわずかに遡る。
 戦場に趙雲の口上が響き渡った時、当然ながらその声は城壁の上にいた郭図達にも届いていた。

「な……なんだと!? 人質が奪われたのか!?」
「あの口上が嘘ではなければ、おそらくは……」
「冗談ではない。人質が奪われれば全てが台無しに……ええい! ともかく袁紹様に連絡を」
「その必要はありません」
「は……?」

 郭図の声を遮るようにして現れたのは彼の直属の兵士ではなく、金色の鎧の兵──常に袁紹の傍を固める近衛兵の一人だった。郭図の直属の兵しかいないはずだったこの場に、いつの間にか現れた近衛兵の姿に、たじろぐ郭図。そんな郭図の様子を気にとめることもなく、近衛兵は感情を交えず淡々と用件だけを伝える。

「袁紹様はこのことを見越して、すでに本軍を率いてこの楽成城を退去しています」
「なっ!? そ、そんな話は聞いていないぞ!」
「ですから今伝えています」
「ふざけるなっ! 軍師である私に何の許可もなく軍を動かすなど……非常識にも程があるではないか!」

 激昂する郭図。
 そして、それとは対照的にまったくもって冷静さを崩さない近衛兵。
 この二人の対比は滑稽とも言えた。

「そのことですが……現在すでにあなたは軍師ではありません」
「な……っ」
「三時間ほど前に、袁紹様はあなたの軍師の任を解きましたので。ちなみに袁紹様がこの城の退去を決めたのが二時間半前ですので、決して非常識なことには……」
「だ、黙れーーーーっ! 軍師を解任だと!? そんなの認められるか!」
「それを決めるのは袁紹様だけです」
「ぐ……ぐぐぐぐぐぬぅぅぅぅっ!」

 次から次へと出てくる驚きの事実に、郭図は驚き、怒り、そして憎悪した。
 それでもなお、近衛兵は淡々と語る。

「ちなみに、解任理由ですが……聞きますか?」
「当たり前だ! どんなふざけた理由を並べたのか、聞いてやろうではないか!」

 もはや袁紹に対する畏敬の念が無いことを隠そうともせず、郭図は話の続きを促した。

「では……袁紹様のお言葉をそのまま伝えます。
 曰く……策が醜い、だそうです」
「な……っ?」
「城主の娘を人質に取るなど、名門袁家にあるまじき行為だと。そんな醜い策が成功するとも思えないのであなたを解任し、軍はこの楽成城より退去させると。ただ、どんなに醜かろうとも時間を稼げたという事実だけは認めると。だからこそ、郭図殿にはこの楽成城を与える、とのことです」
「………………」

 郭図は今度こそ、完全に言葉を失った。
 解任理由も郭図からすれば無茶苦茶だし、ここに来てこの城を与えるなんて言われても嬉しいはずがない。こんなのは、単なる切り捨てである。
 つまり、郭図は見捨てるはずの袁紹に、先に見捨てられてしまったのだった。
 そんな事実を突然突きつけられた郭図は、

「あは……あはは……あははははははははははははははははははははははははははははははっ!」

 狂うように笑うことしか出来なかった。
 何かが崩壊した郭図を近衛兵は感情のない目で一瞥し、この場を去る。
 そして、残された数人の郭図の部下達は所在なげにその場に立ちつくし、郭図の甲高い笑い声をただただ聞いているだけだった。
 そして、どれほど続いていたかはさだかではないが、長く続いていた郭図の笑い声が不意に途切れた。
 そして、いつしかうつむいていた彼の口から次に出たのは、

「ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなーっ!」

 かつては、毒にも薬にもならないとも言われた郭図のモノとは思えないほどの毒々しい怨嗟の声だった。
 その声と共に、うつむいていた郭図が顔を上げた時、

「ひ……っ」

 彼の部下の一人は郭図の顔を見て短い悲鳴を上げる。
 目は異常なまでに血走り、頬はこけ、口の両端からは泡がはみ出て、黒髪は半分以上が白髪となっている。恐ろしいまでの変貌だった。

「名門にあるまじき、だと? 名門にあるまじき無能は袁紹自身ではないか! それを棚に上げて良くもまあ言えたモノだ! あの高慢ちきめが! 貴様のワガママぶりの方がよっぽど醜いことに気づかず、この私を罵るな! 許さん……許さんぞ袁紹っ!」

 彼の怒り……いや、憎悪は凄まじいまでの速さで倍加していく。もはや止めどなく溢れるどす黒い感情は、郭図自身でも抑えが効かなくなっていった。
 今回の解任と切り捨ての事実が、郭図の策が成功している時に聞いていたのならこれほどまでの憎悪は溢れなかったのかも知れない。だが、袁紹の根拠のない予測──醜い策など成功しない──は見事に当たってしまったのだ。その事実が、より郭図を狂わせているのかも知れない。
 そして、ついにその憎悪の矛先が袁紹以外にも向けられていく──。

「郭図様! 心中察するにはあまりにあまりですが、ここはこらえて! まずはここを脱出しましょう! もはや人質が奪われた以上、あの場にいた連中は生きてはいないでしょう。となれば、戦力はここにいる五人だけ。ここに残っていては、高町黄忠の両軍から総攻撃を受ける可能性も……っ」

 郭図の部下の一人が、もはや狂い始めてる郭図に向かって進言する。例え崩壊が始まっていたとしても、彼らにとっては郭図は主なのだ。その忠誠心が届いたのか、まともな反応を見せた。しかし、

「ああ、そうだな。ここで犬死になどしてやるモノか」
「ならば……っ」

 彼はまともになどなるはずもなかった。

「だが、撤退する前にゴミを掃除せねばなるまい?」
「は……? ゴミ、ですか?」
「ああ、あそこにあるゴミだよ……」

 そう言って郭図が指差した先には……戦場の真ん中で抱き合う黄忠親子の姿があった。

「郭図……さま?」
「確かに撤退すべきだが、その前にゴミは消さねばな。奴らのせいで……私たちはこのような目にあったのだ。あの親子は目障りなんだよぉっ!」

 それはもはや、まともな思考ではなかった。
 全ては自業自得だというのに、今の彼の頭の中では袁紹に切り捨てられたのも黄忠親子のせいになってしまっているのだから。

「命令だ。一斉にあの親子目がけて矢を撃て。何としても殺すんだよぉぉぉっ!」

 その地獄から響いてくるような郭図の怨嗟の叫びに、部下達は逆らうことは出来なかった。それに逆らってしまっては、自分たちまで郭図のようになってしまう……そんな怯えすらあったのである。
 だからこそ、彼らは……撃ってしまったのだった。






















 城壁の上から矢が放たれた瞬間。
 即座に反応した人間が三人いた。
 一人は、黄忠の名を呼ぶと同時に駆け出していた恭也。
 残る二人は……



「怖くないよ……怖いなんて言ってられないもん。わたしが行って、お母さんを助けるの」
「そっか……璃々は強いねー」
「良い心がけだ。その心がけに敬意を表し、我らの全てを賭けて璃々殿をお守りしよう」



 幼くも気高い少女を護ろうと誓った二人の英傑!

「させるかーっ!」
「守って……みせる……っ」

 比較的恭也よりも黄忠親子に近い位置にいた鈴々と趙雲が、類い希な瞬発力を駆使して黄忠親子と飛来する矢の間に体を入れようとするが、

(鈴々たちのいる場所からじゃ……っ)
(……間に合わない……ならば!)

 それは間に合いそうになかった。
 ならばせめて、と二人はそれぞれの得物──鈴々の蛇矛、趙雲の槍──を飛来する矢に目がけて投擲した。そして、この二人の武人の才能が不可能を可能にする。
 二人が投げはなった槍と矛は、黄忠親子を狙う矢を直撃したのだ。
 それは決して簡単なことではない。二人の武具は、投擲には向かない超重量武器なのだ。それをあえて、目にも止まらぬ速さで飛来する矢を打ち落とすことは、もはや神業に近い。
 だが、その神業をやってのけた二人の表情は悔しさに歪んでいた。

「く、くそ……っ」
「一本だけじゃ……っ」

 黄忠親子を狙った矢は五本。そのうち、二人が打ち落としたのは、無情にもわずか一本ずつでしかなかった。
 残る三本の矢は今も健在で、黄忠親子目がけて飛来している。
 その現実を目の前にして、趙雲達に出来ることは何もなかったのだ。

「くそ……守ると誓ったのに……」
「璃々っ! 逃げるのだーっ!」

 あまりにも無力な己に絶望する二人は、力無くその場に膝を付き、黄忠親子の最後から目を背けようとした──その時だった。
 二人の類い希な武人としての動体視力が“ありえないモノ”を目にする。

「なっ!?」
「あ……っ」

 二人は驚愕のあまり声を上げた。
 彼女たちの目に映ったのは──白き閃光──。




















「黄忠っ!」

 遠くにいる恭也の切羽詰まった声で、黄忠は娘を慈しむ母の顔から武将の顔に戻り、弓使いとしての目と耳が自分と娘目がけて飛来してくる数本の矢の存在に気づく。

「く……っ!」

 それがわかれば、彼女は考えるまでもなかった。そして黄忠はすぐさま娘を抱えたまま、その場を飛び退こうとした──が、

「あ、足が……っ!?」

 そこで黄忠は愕然とする。
 足の踏ん張りが聞かず、その場から飛び退くことが出来なかったからだ。

(まさか……ここに来てさっきまでの一騎討ちの疲れが……っ!?)

 それは無理もない話だった。
 今回の一騎討ちに有した時間は一時間あまり。
 一時間も、黄忠は高町恭也という速さに特化した剣士を相手に命懸けの戦いを続けてきたのだ。そもそも、弓の使い手である黄忠の戦場での役割は後方支援がメインである。前線に出ることはほとんど無く、ましてや一騎討ちなどは指折り数える程度しか経験していなかった。
 そして何より、この世界でも特にずば抜けたスピードをもつ恭也が相手だったこともあり、自ずと戦い方は間合いを詰められては再び広く間合いを取るという動きを繰り返していたため、何度もダッシュ&ストップを繰り返していて、その疲れがここに来て足腰への疲労という形で出てきたのである。
 しかも、人質に取られていた璃々が自分の元へ戻ってきたことで、黄忠の緊張の糸が途切れてしまったことも要因の一つでもあった。
 更に悪いことは重なる。
 助け出された愛娘を抱き留めるため、無粋な武器を手放した彼女には応戦に必須な弓矢すらもないのだ。
 つまり……状況は絶望的。
 飛来する矢から逃れることも、防ぐ術もなかった。
 そんな中、黄忠が咄嗟に取った行動は……

「璃々だけは……っ」

 強く娘を胸に抱き、自分たちへと向かってくる矢に背中を向けること。
 それは、母としての本能に近かった。
 娘だけは助けてみせる……その思いだけが彼女を支配する。
 自らを楯にして、娘を生かす──それが黄忠の出した答えだった。
 そして──


















 ──その黄忠の姿を見て、すでに二人の元へと駆け出していた俺はある迷いを捨てた。

「させて……たまるかっ!」

 偉大なる母の愛……確かに立派だと思う。
 だが、もし仮に娘を守ることが出来たとしても、黄忠が倒れてしまえば……娘は一生辛い思い──母の死──を背負って生きていくことになってしまう。
 
 ……父さんの死を自分のせいだと責め続けたフィアッセのように……。

 それだけは……それだけは、させてなるモノか!
 俺は、飛来する矢の射線上に自分の体を割り込ませるべく、疲労で重い足を叱咤してダッシュする。しかしそれでも……この距離とタイミングでは、矢の方が圧倒的に速すぎる。
 ならばっ!
 俺は躊躇することなく、アレを使う。

 御神流奥義之歩法………………神速っ!

 どっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっくん!

 極限まで高めた集中力を爆ぜ、俺の世界はモノクロームへと変化する。
 全てが重く……時すらも重くなる極限の世界……それが神速。
 自らの体の動きも重くなる、そんな世界で俺は必死にもがきながら黄忠たちの元へと急ぐ。だが、それでもまだ間に合いそうにない。



 一瞬、俺の脳裏には、戦いの前のやりとりが──

「すまんな。朱里も、愛紗も……心配かけて。だが、今回は約束する。虎牢関の時のような失敗はしないと」

 ──よぎったが、それでも躊躇はしなかった。朱里、愛紗……すまないが、無理をさせてもらう!



 ならば……更に速く動けばいいだけだっ!

 どっっっっっっっっっっっっっっっくんっっ!

 限界を超えた集中力の爆発──神速の重ね掛け。
 神速の世界の中で更に神速を使う。
 それは紛れもなく御神の自滅の法。
 膝が不完全な俺が使えば、間違いなく相当なダメージを受けるだろう。だが、そんなことは俺を迷わせる材料にはならない。
 ここでこの親子を守れなくて、何が御神か!
 俺は御神の……御神不破流の高町恭也だ!
 御神の剣士として、絶対にあの親子は守ってみせる!























 瞬間。
 その戦場にいた誰もが目を見張った。
 飛来する矢を見て、黄忠親子の無事を願うことしか出来なかった愛紗も。
 高町軍の本陣に残っていた朱里、翠、流夏の三人も。
 そして、万策尽きたはずの鈴々と趙雲、そして陳宮も。


 それは、人の姿をした疾風──人間では不可能かと思われる速さで黄忠親子の元へと突っ込む恭也の姿を見て。


 人間が、ここまで速く動けるのか……と。















 












 そして、

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!」

 三本の矢が黄忠親子に命中するまさに寸前。
 白き風と化した恭也が、黄忠親子を守るようにその身を飛来する矢の前に晒した。そして、

 きんっっきんんっっきんんんっっっっっ!

 裂帛の声と同時に振るった恭也の二刀の小太刀が残る三本の矢を全て弾き返したのだった。





















 覚悟は出来ていた──はずだった。
 飛来する矢をかわすことも出来ず、しかも周囲に味方はもちろんいないし、そもそも矢をどうにか出来る位置には人間はいない。誰かの助けを請う事も出来なかった。
 だから、黄忠は娘を……璃々を守ることさえ出来れば、自分の命を失ってもいいと。
 しかし、矢は黄忠親子に届くことはなく、


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!」

 きんっっきんんっっきんんんっっっっっ!


 青年の裂帛の声と何かを弾くような金属質の音が黄忠の耳に入る。
 その事実は、黄忠を驚愕させるには充分すぎた。

(そんなっ!? どうやって矢を……射線上に割って入れる人間なんていないはずなのに……)

 しかし、誰かが自分たちを矢から守ってくれたのは、今現在彼女が健在であることからして明白。そしてあの声は……彼女の耳に今もハッキリと残っていた。

(聞き間違えるはずがない……あの声は間違いなく彼の──高町殿の声だった──っ!)

 しかし、彼はとてもじゃないが自分たちを助けられるような位置にはいなかったはず。だからこそ黄忠は、胸に娘を抱きしめたまま慌てて顔を上げ、振り向いた。
 そこにいる人物を確認するために。
 そして、

「…………」

 黄忠はその姿を目撃する。
 そこにあったのは、神々しくも壮絶な一人の青年。




 大地を力強く踏みしめる二本の足からは、何が来ようと決して退かぬという気概が──

 両の手に握りし見慣れぬ片刃の短い剣からは、自らを越えんとするモノ全てを斬り捨てる覚悟が──

 そして……陽光を受けてなお輝く、その雄々しくも大きな背中からは……背後のモノを絶対に護ってみせるという鋼の意志が──



 ──自分に背中を向け、仁王立ちする青年……高町恭也にはあった。








 後に黄忠は語る。
 この時、自分の中に沸き上がった感情が何なのかはわからない。だけど……あの瞬間こそが高町恭也という青年を知るという“運命”だったのだと。






あとがき

 ……思った以上に苦戦してしまった(汗
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 楽成城での戦いもクライマックスとなった今回ですが……思った以上に書きにくくて。原作にないエピソードを入れると馬脚を現しちゃいますね……僕って(苦笑
 それはともかく。これで恭也たちの残る敵は諸悪の根源(笑)の袁紹ただ一人。とはいえ、袁紹を打倒するまではもう少し時間がかかると思いますので、気長に待っていただけると嬉しい限りです。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



神速の重ね掛けまで出しちゃったな。
美姫 「あの場面では仕方ないわね」
だな。お蔭で黄忠親子も無事だったし。
美姫 「後は袁紹のみね」
こっちはどうなるのか。いやー、早くも続きが待ち遠しいです。
美姫 「本当ね。次回も楽しみにしてますね」
待っています。



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