その場にいた誰もが、その異様な出で立ちに目を見張っていた。
 着衣は全て黒で統一され、髪も瞳も漆黒。そして唯一黒以外の色があるはずの顔も、下半分を黒い布をマスクのように使って覆っていた。
 それはまるで、人間の影がそのまま実体化したような……そんな印象をその場にいた人間に与えている。そんな中、

「……てめえ、何者だ! 公孫賛軍の人間か!?」

 潔かった公孫賛の覚悟を邪魔したことに腹を立てた文醜が、剣呑な響きの声で誰何した。
 しかし、

「………………」

 悠然と立っている“影”は黙して語らず。
 文醜の誰何の声を無視するかのような振る舞いを見せる。抱き上げていた公孫賛を玉座に座らせると、どこに隠し持っていたのか二本の短めの剣──小太刀を抜き放ち、まるで鳥が翼を広げるかのような構えを見せるのだった。

















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第三十五章



















 まるで自分を威嚇するような“影”の構えに、文醜の怒りは更に募る。
 一騎討ちは相手を討ち取ることで終わるモノだ。つまり、あの“影”は文醜と公孫賛の一騎討ちを邪魔したのである。それは、一見いい加減そうに見える文醜の中にもしっかりと根付いている武人としての矜持を傷つけるものだった。
 だからこそ、

「──邪魔をするなーっ!」

 文醜は乱入してきた“影”を許すことは出来ない。
 大剣を担ぎ直し、怒濤の勢いで文醜が“影”へと突っ込んでいった。
 その突進の迫力は、“影”の背後にいる公孫賛にすらプレッシャーを与えるほど。だが、

「…………」

 文醜の殺気を向けられた“影”はまったく動じず、公孫賛の前で静かに佇んでいた。
 そして、

「こんのやらぁーっ!」

 文醜のフルスイングでの袈裟斬りが“影”に向かって振り抜かれる。だがその斬撃が直撃すると思われた瞬間、標的である“影”が文醜の視界から消え失せた。

「っ!?」

 文醜は突然相手が消えてしまい、面食らってしまう。しかしフルスイングの大剣を止めることなど出来るはずもなく、振り抜くことしか出来なかった。

 ぶぅおおおおん……っ!

 標的を見失った大剣は、虚しく空を切るのみ。
 そして次の瞬間──

「──っ!」

 ──文醜は首筋に言葉に出来ない悪寒を感じた。それを感じたと同時に、文醜の身体は無意識のうちに動き出していた。無様にも前のめりになり、さっき振り切ったばかりの大剣を慌てて自らの背後に持ってくると、

 きぃぃぃぃんっ!

 間一髪!
 いつの間にか背後に回っていた“影“からの攻撃を刃幅の広い大剣が楯代わりとなって防ぐ。その“影”の剣閃は、確実に文醜の頸があったところをなぞっていた。

「てめ……っ!?」

 文醜は振り返りつつ反撃に移ろうとする。しかしそれより先に、

「…………っ」

 相手の──“影”の第二撃が文醜を襲った。文醜の攻撃は一旦大剣を引いて担ぐようにしてから振り下ろさないといけない。だが“影”の攻撃の速さは、文醜にその予備動作を取ることすら許さなかった。そして“影”の攻撃はそれだけでは終わらない。
 第三撃、第四撃、第五撃、第六撃、第七撃、第八撃……。
 途切れること事のない“影”の斬撃の雨。
 文醜はかろうじて振り返ることは出来たが、それがやっとだった。
 重厚かつ刃幅の広い文醜の大剣は、今は完全に楯として相手の斬撃を防御する事しか出来ない。

「……くそっ! なんなんだよこれはっ!」

 元々攻撃的な性格である文醜にとって守勢に回らざるを得ない現状は何よりも悔しいモノであり、どうして自分がここまで追い詰められているのかがわからず、頭の中は大混乱だった。
















「……文ちゃん……」

 顔良は相棒の文醜が防戦一方になっている中、彼女がパニックになっていることを悟る。そして、文醜の現状がいかに逼迫しているかと言うことも。
 先ほどの公孫賛との一騎討ちは、顔良も余裕を持って見ていられた。
 公孫賛はすでに疲労で小回りが利かず、文醜の大振りの攻撃をかわす脚も残っていない。文醜の攻撃を受けるという形しか取れなかったのだ。ゆえに二人の勝負では一方的に文醜が攻勢を掛けていたのである。
 しかし今は違う。
 文醜と“影”の戦いは、逆に一方的に“影”が攻勢を掛けていた。
 閃く小太刀。今や完全に楯と化した大剣に身を隠すしかない文醜。

「分が悪すぎるよ、こんなの。“あれ”は、文ちゃんにとって……ううん、私たちにとっての天敵なんだもの」

 ──天敵。
 その顔良の認識は恐らく正しい。
 文醜の大剣、そして顔良の大槌。この二人の武器はいずれも一撃必殺を目的とする超重量武器だ。こういった武器をもっとも活用出来る場というのは、実は戦場なのである。
 戦場では、数が多い方が有利だと言わんばかりに、敵は一人の相手に多数で攻撃を仕掛けてくる事が多かった。だが、多対一の状況になり一人に多数が殺到すれば、その空間は当然“多”にとっては狭くなり、相手の攻撃をかわしたりなどは出来なくなる。顔良たちの超重量武器はそんな盲点を突くのが主目的なのだ。殺到する多数の敵兵を圧倒的な破壊力によって一網打尽。しかも、超重量武器によってもたらされる破壊力は見ていた敵にも恐怖を植えつけ、その恐怖は敵の動きを鈍らせ、士気を低下させることができるのだ。そして再び武器を振るい、動きの鈍った敵兵を蹂躙する。
 これこそが超重量武器の利点なのだ。
 しかしこれが一対一で、しかも“速さに特化した”相手となると、話は百八十度変わってくる。
 超重量武器というモノは抜群の破壊力を誇り、まさに“一撃必殺”の言葉を具現化したような武具なのだ。だからこそ、その武具を扱う武人たちは常に考える……いかにして、その一撃を確実に敵に直撃させるかを。
 一撃必殺の武器は、基本的に二撃目を想定していないのだ。それはある意味当たり前と言える。何故なら……これは“一撃で必ず殺す”武器なのだから、その一撃を振るった時点で相手が生存していることなどあり得ない……それこそが武具のコンセプトなのだ。
 ゆえに、顔良も文醜も常日頃から、己の攻撃を確実に敵に命中させることを目的とした鍛練を積んでいる。しかしそれでもどうにもならない相手が存在した。
 それこそが、

「……あの相手は速過ぎる。さっき、文ちゃんの背後を取った身のこなしなんて……」

 スピードで勝負するタイプの敵である。
 スピードで相手を攪乱するタイプは、大抵手にしている武器は間合いの広い重量武器と違って、軽量で近接戦闘を主とする間合いの狭い武具を操っていることがほとんどだ。そして今回二人の前に突如現れた“影”もそのタイプと合致する。
 超重量武器を操る顔良たちにとって、色々な意味で“スピード”は天敵だった。
 当然のことではあるが、重い武器を持つ人間はどうしてもその動きは、普通の武器を持つ者よりも遅くなってしまう。それは破壊力──パワーに特化した将の宿命とも言えた。
 身のこなしも、攻撃に移る予備動作も、そして攻撃そのものも。
 その全てが鈍重となるからこそ、引き替えにとてつもない破壊力を得る。

 ──もっとも、超重量武器を扱いながらも高い敏捷度を誇るという人間離れした将も少なからず存在するが、この二人はそこまで“人間をやめて”はいなかった──。

 そして今、文醜は窮地に追い込まれていた。
 身のこなし、攻撃に移るための予備動作、そしてその斬撃……全てに無駄がなく目にも止まらぬ速さで連続攻撃を繰り出す“影”によって。
 もう、文醜が自分の力で“影”に勝利するのは難しかった。となれば、相棒の顔良が取るべき行動は一つ。二人の戦いに割って入り、二対一となってでも“影”を倒しに行くべきだ。
 それを卑怯と見る人間もいるかもしれない。だが、先に文醜と公孫賛の一騎討ちに割って入ったのはあの“影”なのだ。ここで顔良に乱入されても“影”に文句を言われる筋合いはない。
 しかし──それでも顔良は二人の戦いに割って入ることに躊躇していた。
 何故なら、

「……早く助けに行かないといけないのに……でも、それでも」

 顔良はあの“影”が突如この場に現れた時から、気になっていたから。

「……あのひとの眼差し……どこかで見た気がする……」

 黒い布によって覆われた“影”の顔。その中で唯一晒している部分──鋭くも涼しげな瞳に、顔良は強い既視感を覚えていたからだった。





















 公孫賛の副官の男は、背後から感じていた顔良からの重圧が消えていたことに気づく。
 振り向けば、顔良は大槌こそ構えてはいるが、彼女の意識は完全に文醜と“影”の闘いへと向いていて、副官に注意は向けられていなかった。

(今こそ、ヤツから離れる絶好の機会! 御主人様の下へ!)

 負傷と疲労ですでに身体は言うことを聞かない。それでも副官の男は自らの武器を杖代わりにして、動かない脚を引きずるようにして前へと進む。

(……あの御仁が現れたことで、消えかけていた“希望の光”はまだ灯っている。なら、この死に損ないにもまだやるべき事は残されているはず!)

 男はちらりと横目で闘いを見た。
 漆黒の“影”が文醜を圧倒している。その“影”の目が一瞬……本当に一瞬だけ、男と目を合わせたような気がした。

(貴公に全てを託します……御主人様も、そしてこの遼西の未来も)

 男はすでに、あの“影”が誰なのかを理解しているようだった。





















「……なんでこんな馬鹿げた真似をしてるんだ……?」

 玉座に座らされた公孫賛は、自らの目の前で二刀の小太刀を振るう“影”の背中を見据えながら、半ば呆然とした表情で、呟くようにして問いかける。だが、激しい剣戟により当然彼女の声は“影”には届かなかった。
 文醜に吹っ飛ばされ、剣を失い、ダメージは深刻で、体は動かず。
 勝負は決し、公孫賛は死を覚悟した。
 しかし公孫賛は今もなお生きている。

「……どうして私はまだ生きている? どうして……お前がここで剣を振るっている?」

 死を覚悟し、心も思考も凍らせた公孫賛はいまだに頭の回転が鈍く、状況把握にも時間がかかっていた。それでも、彼女は一つの事実を理解している。
 それは──自分を守るようにして剣を振るう“影”の正体。
 その身のこなしが。
 二刀の小太刀が。
 そして……玉座に公孫賛を下ろした時に覗かせた、切れ長の瞳の中に映った優しい光が。

「……太守ともあろう人間が……どうしてこんなトコに出てくるんだよ……高町ぃ……」

 そのいくつもの感情がない交ぜになった呟きは、やはり剣戟によってかき消されるのであった。






















 ──思った以上に堅固だな。

 途切れることなく両の手の小太刀を振るい続けながら、俺は表情に出さない代わりに心の中で舌打ちをする。
 戦況としては現在、俺が一方的に攻め立てているようだが、楽観出来るモノではなかった。
 当初、俺はこの敵将らしき少女を早めに撃破して残るもう一人の将──顔良さんと勝負するつもりだったが、まさかここまで粘られるとはな。
 敵将の少女は、こちらのスピードにはまったくついてこられず、大剣を楯代わりにして防御に徹していた。しかし、ただこっちの速さに翻弄されているだけではない。
 こっちとしても、ただ無策に敵の大剣に小太刀を打ち込んでいたわけではないのだ。フットワークを使って敵将の両サイドや背後に回り斬撃を浴びせるのだが、彼女は敏感な反応を見せて大剣の腹をこちらに向けてくるのである。俺の動きを読んだり、あまつさえこっちの動きを見切ってるわけではないはずだ。
 それはきっと、彼女の意識下での行動ではない。考えるよりも先に身体が反応してしまっているのだ。そしてそれは、正直言ってこっちからすれば厄介極まりない。相手が見切っていたり動きを読んでいるのならば、フェイントを使って崩したりあえて裏をかくなどの対応策を考えられるが、無意識の反応となると、それこそ手のつけようがないからだ。

 ──とはいえ、このままではジリ貧だ。こうなればもう一度『神速』を……。

 そんな焦りすら、俺の中では生まれ始めている。
 すでに『神速』は一度──敵将の少女の大剣から公孫賛を救う時に──使っているので、更に一度使うのはまずいのだ。一日三度が限界の『神速』を脱出も出来ていない状況で二回も消費するわけにはいかない。
 つまり決定打がないのだ。

 ──こうなれば、仕方がない。奥の手の一つを──。

 いつまでも打ち合ってる余裕はこちらにはない。俺は『神速』以外の切り札を一つ出そうと心の中で決めた瞬間だった。


「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 裂帛の声。
 それと同時に、俺と敵将の二人の頭上に大きな鋼鉄の塊──大槌が迫った。

「なっ!?」
「──っ!」

 防御で必死だった敵将の少女は、突然の出来事に目を見開き、慌てて飛び退く。
 俺もまた飛び退くが……正直、この展開は予測出来ていただけに、悔しいという気持ちが強かった。

 俺たち二人が飛び退く前にいた場所に、振り下ろされるは全てを砕き潰す、豪腕から繰り出される巨大な鉄槌。

 ずっずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!

 その一撃は、誰もいない部屋の床に叩きつけられた。その衝撃たるや玉座の間がある階の全てが地震のような縦揺れを感じたほどである。

 ……この世界の女性は見た目からは想像出来ないパワーの持ち主が多すぎるぞ!?

 飛び退いた先で、その鉄槌の威力をまざまざと見せつけられた俺は、その驚きを表情に出さないようにするので必死だった。
 驚いたのは、不意打ちに対してではない。
 その不意打ちをした女性──顔良さんの一撃の、尋常じゃない破壊力に、であった。

「〜っ! 斗詩っ、危ないじゃんか! あたいまで殺す気か!」
「あのねぇ文ちゃん……不意打ちするのに声を掛けたら台無しでしょ?」
「じゃあ、せめてあたいにだけは知らせろよ!」
「知らせる方法がないんだもん……しょうがないじゃない」

 玉座の間の重厚な床にクレーターを作った鉄槌を軽々と担ぎ直した顔良さんは、敵将の少女──顔良さんが“文ちゃん”と呼んでいたので恐らく彼女が文醜なのだろう──からのクレームに、ちょっと不満そうに頬を膨らませている。その仕草は、たった今巨大な鉄槌を振るったばかりとは思えない可愛らしさがあった。

「……でも、正直助かったよ斗詩。さっきからずっとあいつの間合いだったからさ」
「うん……私にしても文ちゃんにしても。接近戦じゃ勝てっこなさそうだったからね」

 文醜は文句を言い尽くしたらしく、あらためて俺へと視線を戻し。
 顔良さんもまた、仲間の不満が収まったことに安堵しつつ、意識をこちらに集中させてきていた。

 ──やはりこうなったか。

 これが一番危惧していた展開だった。
 公孫賛を助けた後、文醜、顔良さんと各個撃破してから、この場から脱出するつもりだったのだが……文醜一人に思いの外時間を費やしてしまったようである。
 ……まあ、顔良さんが割って入るのに、時間がかかったのは多少は気になるが。
 それはともかく。
 文醜一人を相手にするのであればなんとかなったのだが、相手が二人となれば話は別だ。二人とも武器を見る限りはパワータイプ。恐らくスピードではこちらの優位は動かないだろう。だが、相手が二人となるとその優位はコンビネーションで相殺されてしまう。
 それはもはや未来予知に近い予測だった。
 苦戦は免れそうにない……だが、それでも退けない。

「…………」

 その想いを具現するように、俺はあらためて小太刀を構えた。
 俺の背後に、守るべき友がいるから。
 俺を信じて送り出してくれたひとたちがいるから。
 こんな俺に付き従ってくれる少女がいるから。
 この状況では退けないし、ましてここで命を落とすつもりもなかった。
 生きて……ここを抜け出してやる。公孫賛と共に!

「……っ!?」
「──っ!」

 前方に並び立つ二人が息を飲むのが分かった。
 構えたことで湧き出た殺気に反応したのだろう。そして顔良さんも文醜も、己の武器を構えた。
 そして──




「お、お助けをーっ! 文醜様、顔良様ーっ!」




 ──今まさに激突しようとした時、そんな声が玉座の間に届いたのである。




















 玉座の間に、息も絶え絶えと言った様子で飛び込んできたのは、顔良の部下である部隊長であった。

「何があったの? その場で報告して」

 顔良は、ただならぬ殺気を放っている“影”から視線を外すという自殺行為をするわけにはいかないので、駆け込んできた兵士に視線を合わせないままに報告を促す。

「敵襲です! 現在城門付近で交戦中! だが、敵は尋常ではない強さで──っ」
「敵襲!? 公孫賛軍……は、もうほぼ壊滅状態のはずなのに。じゃあ、まさか……どこかから援軍が?」

 顔良の頭の中で最初に浮かんだのは高町軍からの援軍という可能性。
 この遼西から近く、公孫賛と親交がある太守として思い浮かぶのはあの青年だった。
 しかし、部隊長は否定する。

「ち、違うんですっ! 敵の援軍が来たワケではないのです!」
「え……?」
「何言ってんだ? あんた、さっき“敵襲だ”って言ったばっかじゃんか?」

 文醜もまた、視線を“影”から離さずに、二人のやりとりに割って入った。

「確かに私は敵襲とは言いましたが、敵の援軍からの攻撃を受けたとは言ってません! 私の言う敵というのは──たった一人だけ。大きな戟を振り回している少女一人なのです!」
「…………」
「…………」

 部隊長の男の言葉が玉座の間に響き、文醜と顔良の二人は視線こそ“影”に向いたままだったが、不意にその殺気が部隊長の男にも向かってしまう。

「……空気を読んでくれないかな? そんな冗談を聞ける状況じゃないんだけど……」
「てめえ……あたいらをバカにしてんのか?」

 二人の声に剣呑な響きが混じった。
 どうやら二人は部隊長の言葉をひやかしと受け取ったようである。
 しかし、

「冗談でもひやかしでもないのです! 自分の言ってることが支離滅裂だということも! ですが……これが事実なのです! すでに我が軍の兵士が百人以上、謎の少女の手によって殺されていて、今もなおその少女は暴れ続けてるのです!」

 部隊長は必死に訴えた。
 自分が一切嘘偽りを言ってないことを。
 そのため、男はその少女の事を説明した。
 少女はいきなり城内を制圧しようとしていた袁紹軍のど真ん中に突っ込んできて、突如大暴れ。その圧倒的な武力で無差別に兵士たちを殺していったのだ、と。
 あまりに強すぎる闖入者に慌てふためいたが、部隊長は冷静にその少女を取り囲み、弓での一斉射を試みたが、少女は四方八方から降り注ぐ矢の雨をすべて手にした戟で一掃。そして矢を放った後の兵士たちに突貫し、また大暴れしたのだという。
 その報告に、文醜や顔良はおろか、その場にいた他の兵士たちも思わず顔を強張らせた。
 そんな化け物が、どうして現れたのが分からない──というか、逆に説明すればするほど男の報告が嘘のように思えてくる。
 だが、その後部隊長の男が語った少女の容姿を聞いて、顔良たちは信じざるを得なくなった。
 ──服装や身体の線から年頃の少女らしいと予測出来るが“顔の下半分を黒い布で覆っていて”人相までは確認出来ないとのこと。

「「──っ!?」」

 それは……目の前の“影”と同じ覆面姿ということ。
 その共通項が、男の報告に現実感を滲ませてきた。
 つまり予測出来るのは……この“影”と正体不明の少女が仲間同士なのではないかと言うこと。
 自分たちの前に立ちはだかる“影”もまた、ただならぬ実力を秘めているのだから、その仲間が一騎当千だとしても不思議には感じなくなっていたのだった。

「お願いします! 我々兵士だけでは太刀打ち出来ません! お二人のお力を!」

 部隊長の必死の懇願。
 だが、お力をと言われても、二人は困ってしまう。
 なにしろ目の前には、袁家二枚看板と言われる文醜一人でも手に余るほどの“化け物”がもう一人いるのだから。
 しかし──

「……斗詩。ここはあたいに任せて、城門に行ってくれ」
「文ちゃん!?」

 その文醜が、顔良にそんなことを言い出したから、顔良は驚きを隠せなかった。
 あの“影”の実力を痛感してるはずなのに。
 “影”から視線を外さなくても、隣の顔良が驚いているのを気配で察した文醜は不敵な笑みを浮かべて見せた。

「確かにさっきは不覚を取ったけどさ。相手の実力は把握してるし、こっちとしては間合いさえ取っていればある程度勝負出来るから。斗詩は下に行ってその化け物を見てこい」
「で、でも……」
「んじゃ、これは大将命令ってことで」
「う……」

 文醜を置いていく事に抵抗があった顔良に対して、彼女は切り札を出す。
 それは、今回の遠征における立場というモノ。
 今回の遠征軍で大将に任命されたのは文醜であり、顔良はその副官となっていた。元々二人の袁家での立場は同格だったが、この遠征軍での役職においては差が出ているのである。そして袁家に限った話ではないが、軍に属する以上は肩書き、役職による上下関係は絶対だ。
 生真面目な顔良は、大将命令と言われれば従わざるを得ない。

「…………もうっ! 文ちゃん、無理するのはダメだからね? あっちの様子次第ですぐに戻ってくるから……」
「わーったから。斗詩こそ気をつけろよー」
「……うん」

 悲壮感なんてまったくない文醜の声に背中を押されるようにして、顔良は玉座の間を後にする。
 最後に一度だけ、あの“影”の姿を目に焼き付けてから。















 結局顔良は、あの“影”の覆面から覗かせていた瞳に見覚えがあったモノの、その正体には思い至ることはなかった。

(ただ……どうしても引っかかる。あの人は誰だったんだろう?)

 部隊長に案内されて城門付近へと急ぐ顔良は、走りながら自分の心の中である感情が芽生えてることに気づく。
 それは……あの“影”と戦わずに済んだと言う事実から生まれた“安堵”の感情だった。























 ──恋のヤツ……俺は逃走経路の確保だけを頼んでいたはずなのに……しょうがないヤツだ。

 俺は思わず苦笑してしまいそうな頬を何とか引き締める。
 俺が戻ってくるのが遅いと感じた恋が、独自の判断で陽動をしてくれたようだ。
 おかげで、顔良さんはこの場からいなくなってくれた。
 だが……いくら恋が暴れているからとはいえ、顔良さんをこの場から退かせたという判断は、敵とはいえいかがなモノか。
 そんなことを思ったからこそ、

「……正気か?」
「──っ!?」

 俺は思わず意識的に閉じていた口を開き、目の前の少女──文醜に問いかけた。
 それまでは、俺と面識のある顔良さんがいたから黙っていたが、彼女がいなくなったのなら話は別だ。
 ただ、それまで無言を貫いていた俺が突然しゃべったことが相当意外だったらしく、文醜の方は驚いている。

「……へえ、しゃべれたんだ」
「…………」
「おっと、そっちがしゃべれることに驚いてたけど……そうじゃないか。で、どーゆー意味よ、正気か、って?」
「……言葉通りの意味だ。せっかく、が──彼女が割って入って二対一になって、そちらが有利になったのに、それを自ら捨てるとは……」

 ……思わず顔良さんの名前を呼びそうになってしまった。

「間合いさえ取れれば、勝機があるとでも?」
「ま、確かにあんたは強いよ」

 文醜は、実にあっさりとこちらの強さを認める。
 ……先ほどまでは、一騎討ちに割って入った俺に怒りを感じていたように見えたのだが。
 どうやら顔良さんのおかげで冷静さを取り戻したようだ。
 だとすれば、何故……?

「あたいよりも強いかもって思う。だけどさ」
「……?」
「自分より強いと思える相手だからこそ、その実力差を覆して勝ったら、面白いじゃんか!」

 文醜が再び大剣を肩に担ぎ、その顔に笑みを浮かべながらこっちを見据えた。
 その顔は、悪戯好きのガキ大将のようだ。

「戦いなんてのは賭けさ! だったら、こういった分の悪い賭けってのも、いいモノだろ?」
「……なるほどな」

 彼女のその言葉で全てを理解出来た気がする。
 そして俺が彼女の考えを理解出来なかったことも説明が付いた。
 つまり……文醜という少女は、俺とは“戦う理由そのものが違う”のである。
 彼女は戦いそのものを楽しむ──いや、違うな。戦いという“ギャンブル”で得られるスリルを楽しみたいからこそ戦っているのだ。

「……君の考えは理解した。だが──」

 戦う理由など、それこそ人それぞれ。
 それを不純だのと文句をつけるつもりはなかった。
 彼女が一人、ここに残った理由は理解したし、話はもう無い。
 ならば、

「──申し訳ないが、君の言う“楽しみ”は得られない」
「むっ……?」
「何故なら」

 俺がすべき事は一つだけ。
 この、目の前の少女を倒すこと……それだけだ。

 俺は構えを変える。
 半身になり、わずかに腰を落とした。
 そして右の小太刀を引いて、文醜を見据える。

「君の勝ち目など万に一つもない。確率がゼロの賭け事なんて……それこそ賭けは成り立たないだろうからな」
「──っ!?」

 それは、あからさまな刺突の構え。
 だが、こっちの手がばれても、なんの問題もなかった。

「間合いを取れば対抗出来るなんていう甘い幻想を、文字通り突き破ってやろう」

 これから放つ技は、御神流の奥義の中でも最長の間合いと最速を誇るモノ。

 ──御神流・裏・奥義之参『射抜』──

 温存しようとしていた『神速』も使って、一気にケリをつけてやる。






















(なんだよ……これ……?)

 文醜はこれまで、どんな時でも戦いを楽しんできた。
 敗色濃厚な時だってあった。
 余裕で勝利を得ることもあった。
 それでも、彼女は“戦いという名の賭け”を楽しみ、その結果として今もなお生き残っている。
 それは、彼女が賭けに勝ってきたからだ。
 そしてこの場でも、彼女はまた賭けに興じるつもりだった。
 だからこそ顔良を城門の方に行かせたのに。

(戦いは賭け……だからこそ楽しい。相手が強くても、勝てる可能性が残ってれば、賭ける価値があるから。なのに……なんで今は楽しめないんだ?)

 今の文醜は途方もない絶望感に包まれ、顔色は真っ青になっていた。
 それは何故か?
 答えは簡単──彼女の本能が気づいているからだ。

(相手は長距離射程からの突きを放ってくる。それは間違いない。だったら対処は簡単なはずなのに……どうして? どうして“どの対処方法も上手くいかない”予感しかしないんだ?)

 目の前の“影”が動き出した次の瞬間、自分が生き延びている可能性がないということに。
 先ほど彼女に向かって“影”は言った。
 賭けは成立しないと。
 賭けというのは、勝負をした時に“勝ち”と“負け”という二つの可能性があるからこそ初めて成り立つのだ。
 しかし、この状況は違う。
 そう──ここにいる人間の中では、たった二人だけが気づいたこと。
 これはもう……“勝負”ではないのだ。

(……こ、怖い……っ)

 文醜は戦場で……敵を目の前にして、初めて“恐怖”を味わっていた。














 恭也は温存していた『神速』を使い、文醜を倒そうと構え。

 文醜は絶望的な状況に恐怖する。

 そして、この二人の戦いに決着がつくと思われたその時。




「待ってくれ」




 意外なところから声がかかるのだった。






あとがき

 ……なんか、恭也の方が悪役っぽい(マテ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 ついに二枚看板の前に立ちはだかる影……果たして公孫賛の運命や如何に!? みたいな展開ですが、長引いたりはしないんで。そのあたりはご安心を(?
 この公孫賛編に関しては次の話あたりで一区切りつけようと思ってます。
 その後は再び原作の流れに戻ると思いますので。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



華蝶仮面・黒参上! とかいう感じの格好で登場してたら今後の歴史は大きく変わった……かもしれない。
美姫 「いやいや。何はともあれ、恭也も間に合ったみたいね」
ぎりぎりのタイミングだったけれどな。
一時は二対一になるかと思ったけれど、恋も中々素晴らしいフォローを。
美姫 「後は決着をつけるのみだったんだけれどね」
それを止める声ね。ああ、どんな結末を迎える事になるんだろう。
美姫 「次回がとっても楽しみね」
うんうん。次回も楽しみに待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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