先の連合軍での戦いから、しばらくの時が過ぎた。
 多くの街が俺たちの傘下に入ったことで勢力図が大きく様変わりした幽州。
 その軍事、経済状況を迅速にまとめ上げ、改善してくれたのは、

「私は戦場で剣を振るうことは出来ませんけど、その分こっちで頑張りますからっ」

 俺たちの頼れる軍師である朱里だった。
 朱里が休む間を惜しんで働いてくれた結果、新たな戦力の再編成が早く済んだことにより、領土の防衛力は増強。各地の税率の統一や法整備による治安の向上、積極的な商業斡旋による街の活性化などの政策を次々と打ち出すなど、内政の方にも力を入れてくれた。
 結果として治安の向上による人口増加。商業の積極的な誘致にも成功し、この二つが税収の増加にも繋がり、うちの懐事情も改善された。
 これでようやく外敵とも戦える準備が出来たか……と思っていたが、それは甘かったと痛感する。

 すでに他の大国は動き始めていた。
 漢王朝の権力が地に落ちたことが明確になったことで、諸侯はそれぞれ武力による領土拡大に乗り出していたのである。
 特に、曹操軍や孫権軍が着実に領土を広げているという情報が多くこちらに届いていた。
 そして──新たに届いた情報に、俺は絶句することになる。

















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第三十二章




















「……もう一度、言ってくれ。朱里」
「はい……袁紹軍が、公孫賛将軍が治める遼西への侵略を始めたそうです。その圧倒的な兵力差の前に、公孫賛軍は為す術もないままに次々と支城を落とされ、もう……その、陥落は時間の問題かと」
「…………」

 それは寝耳に水とも言うべき情報だった。
 朱里からの緊急の呼び出しで県庁内の謁見の間に呼び出された俺、愛紗、鈴々の三人は朱里からの報告に言葉を失う。
 公孫賛は何度も俺を……俺たちを助けてくれた恩人であり、友でもある。
 その公孫賛の危機と聞いて、俺も愛紗も鈴々も、すぐにでも助けに行きたいという衝動に駆られていた。
 しかし、

「……朱里。念のために聞かせて欲しい。うちから援軍は送れないか?」

 幽州の太守としての俺には分かっている。

「残念ながら……。援軍を送ると言うことだけなら可能ですが、それで戦局を変えるのは無理です。うちの軍が援軍を送っても兵数は不利なままですし、戦況はもう覆せないほどに逼迫していますから。それに……」
「袁紹軍の次の標的は間違いなく俺たちだ。現状で負けると分かっている場所へ軍を送って戦力をいたずらに減らすわけにはいかない、か」
「……その、通りです」

 援軍を送ることは出来ないということ。
 その現状を一番理解している朱里がもっとも悔しそうだった。
 そして、公孫賛を助けたいという気持ちは残る二人も一緒で、

「……よろしいのですか、御主人様?」
「公孫賛は良いヤツだったのだ。助けてやりたいのだ……」

 愛紗も鈴々も、公孫賛を助けにいけないことに憤りを覚えている。
 だが、それは感情論だ。
 朱里が頑張って努力してこの幽州西部の軍事力と経済力を高めてくれたのに、その努力を無駄にするわけにはいかないし、民のことを第一に考えないといけない立場なのである……俺たちは。
 そのためには、

「気持ちは分かるが、明日は我が身だ。今は我慢するしかない」

 俺は非情の決断をするしかなかった。

「愛紗、鈴々は国境を守る警備兵たちに今以上に強く警戒するように、と伝えておいてくれ。朱里は引き続き情報収集を。特に袁紹軍の動きは逐一分かるようにしてもらえると助かる」

 俺は三人にそれぞれ指示を送ることで、その場での緊急会議は終わらせる。
 それぞれにやるせない思いを胸に抱いたまま……。





















「はぁ……」

 恭也たちに公孫賛軍の危機を伝えた後。
 朱里は中断していた政務の続き……を行う事が出来ず、中庭で一人溜息をついていた。
 ガックリと肩を落とし、うつむく姿は誰が見ても落ち込んでるようにしか見えない。
 事実、朱里は落ち込んでいたのだが。
 では、どうして落ち込んでいるのか?

「……御主人様、あの場ではしっかりと決断してくれたけど……やっぱりお辛そうだったよね」

 それはもちろん、朱里の主──高町恭也の事が原因だった。
 先ほどの謁見の間でのやりとり。
 公孫賛の危機を知らせた時。
 恭也の下した決断は太守として立派なモノであった。もし恭也が公孫賛を助けに行くなんて言おうモノなら、朱里はそれを全力で止めただろう。
 しかし朱里には分かっていた。
 それが恭也の本心ではないことを。
 恭也は太守であるという立場上、あんな決断を下すことしか出来なかったという事実を。

「……私がもっと強い国を作れていたら……」

 朱里の口からそんな弱音が漏れた。
 もっと軍事力も情報力も高くしておけば、もっと早く袁紹軍の動きも察知していたし、援軍だって手遅れになる前に送れただろう。そうすれば恭也にあんな顔をさせずに済んだのだ、と。
 しかし、それはいくらなんでも──

「……それはいくらなんでも高望みしすぎじゃない?」
「そうですよ……ね?」

 自分の心を見透かすような声に、朱里は思わず相づちを打ちかけて、遅れて気づく。
 この場には一人しか居なかったはずなのに、明らかに自分以外の声がしたことに。

「はわっ!?」

 慌てて振り向くとそこには、

「朱里ちゃん、大丈夫?」
「……この世の終わりのような顔して。何かあったワケ?」

 メイド服姿の少女二人。
 月と詠が立っていた。
 どうやらさっき朱里に声を掛けたのは詠だったようだ。二人は掃除の合間の休憩を取りに中庭にやってきて、そこで落ち込んでる朱里を発見したのである。

「えっと……」

 二人が自分を心配してくれてるというのは、朱里にとっては嬉しいことだった。
 朱里は高町軍の中でも、この二人とは比較的仲がよい方である。
 月とは背格好も性格も似てるせいか、気が合い。
 詠とは互いのその明晰な頭脳に惹かれ合う形で、話が弾む。
 啄県に来た当初は、誰とも馴れ合わない姿勢を見せていた詠が、最初に真名を呼び合うようになったのは朱里だった。
 そういう経緯もあって、この三人が一緒にいることは多くなっている。
 それでも朱里は、一瞬二人に今の自分の悩みを語って良いかどうか迷った。
 その悩みは、国の軍事に関係することだし、この二人には“軍事・内政への不介入”という制限が付いているからである。
 しかし、

(……大丈夫、だよね? すでに決定したことだし……)

 朱里はすぐに考えを改めた。
 今はとにかく、仲の良い二人に自分の悩みを打ち明けることで少しでも楽になりたかったから。
 朱里は、高町軍と公孫賛の関係を説明し、続いて今朝になって入ってきた公孫賛軍の危機についてを語り、先ほどの恭也の苦渋の決断を話した。
 それを聞いて、

「……御主人様、きっとつらいよね?」
「なるほど……ね」

 月は恭也の心中を慮って表情を曇らせ、詠は状況を冷静に判断するように真剣な表情を見せる。
 二人の個性が出る反応だった。

「で、さっきの朱里の言葉が出たワケね。もっと国を強く出来ていたら、と」
「……うん」
「でも、それはさっきも言ったけど、高望みのし過ぎだわ」

 そして詠はあらためて朱里の悔恨を否定する。

「ボクは詳しい実情は知らないから、見た限りのことでしか判断出来ないけど。それでも朱里は現状で最優の策をとって、この国を安定させている。現状ではこれ以上は望めないはずよ」

 それは冷たい否定ではなく、朱里の国政手腕を認めた上でのモノだった。

「そして、それは朱里が一番分かってるはずだわ」
「……うん。そうだと思う。今の私ではこれが精一杯だし、この現状が失敗だとは思ってない……けど」

 しかし、詠にそこまで評価してもらっても、朱里は「じゃあしょうがないですよね」と納得出来る性格ではない。それが短いつき合いながら、詠にはわかっていた。
 だからあえて詠は、朱里の思考を“軍師として”のソレに移行させる。

「でも……袁紹が動いたとなると、遼西を制圧した後は……ここ、よね?」

 そんな詠の誘導に、朱里はしっかりと引っかかった。

「うん、間違いないと思う。袁紹さんはその余勢を駆って一気に幽州西部へ攻め込んでくる……これは間違いない。だから、こっちとしては対応策を考えておかないと」

 朱里の表情は、恭也のために悩む少女のモノから頭脳明晰な軍師のモノへと変わっていく。その様子を見て詠は「極端に落ち込んでるよりこっちの方が全然マシでしょ」と密かに胸をなで下ろしていた。
 しかし、そんな詠の気遣いを台無しにするような声が。

「その……先のことも大事だけど」
「月?」
「え……月ちゃん?」
「私は……御主人様の事が心配……かな」

 だが、詠はそんな空気の読めない発言をした月を怒ることが出来なかった。
 何故なら月の表情は、先ほどの朱里のような憂いを帯びたモノではなく、もっと強い危機感を持ったモノだったから。

「心配って……確かにあいつにとってはキツイ決断だったかもしれないけど、でも高町はちゃんと太守としての判断を下したんだから、もう心配することは──」
「……そうかな?」
「えっと……どういうこと? 月ちゃん」

 朱里の悩みとは別種の何かを読みとり、恐れている様子の月。
 それがどうしても気になって、朱里は月に話を促した。

「……さっきの御主人様の決断は、きっと自分を押し殺していたと思うの。本音は公孫賛さんを助けたいと思ってはいるけど、自分のワガママで国を危険にさらすことは出来ないって……そう考えていたのはわかるよね?」

 月の言葉に、朱里も詠も頷く。
 それを見てから月は言葉を続けた。

「でもね……御主人様はそこで終わらせられるかな?」
「……え?」
「……月……?」
「御主人様は凄く優しい方で、私や詠ちゃんの命を救ってくれて、こんなにも穏やかな日々を与えてくれた。出会って間もなかった私たちを。そんな御主人様が、幾度と無く自分を助けてくれた友人を放っておけるのかな、って」
「…………」
「…………」

 月の言葉には根拠がない。
 それは恭也が切り捨てた個人的な感情論であり、彼はすでに太守としての判断は下したのだから。
 しかし朱里と詠は、今の月の“根拠がないはずの言葉”に何故か突き動かされ、それぞれの頭をフル回転させた。
 恭也の性格と思考、そしてその行動パターンを照らし合わせて、その末に導かれる恭也の行動予測。
 そして二人はその予測を自分の中で確立させた瞬間、同時に目を合わせた。

「はわわっ!」
「これは……まずいわね」

 奇しくも……というのは失礼かもしれないが。二人は一致した見解を見出していた。
 そんな二人の様子を見て、月は静かに頷く。
 恭也がこの後、何をしでかす気なのか──朱里と詠は理論の末に導き出した予測だったが、月は直感でそれを察していたようだった。

「はわわ、はわわ……ど、どどどどうしよう? ま、間違いなく御主人様はやっちゃうと思うし」
「でしょうね。まったく……人騒がせな」

 朱里は慌てふためき、詠は半ば呆れた様子で愚痴をこぼす。
 予測出来た恭也の行動は、間違いなく太守としては型破りすぎて、とてもじゃないけど認められるモノではなかった。

「……とりあえず、愛紗あたりに話をして、無理矢理にでも高町を拘束でもした方がいいんじゃないの? 朱里やボクたちじゃあいつは抑えられないでしょ?」
「そ、そうだよね? それじゃ早速──」
「ちょっ……ちょっと待って朱里ちゃん、詠ちゃん!」

 詠も朱里も、今のうちに恭也の行動を制限するようにと手を打とうとしていたのだが、そんな二人に月が待ったを掛ける。
 月にだってわかっていた。
 恭也がおそらくこの後取るであろうと予測した行動は、誰もが無茶だと止めるだろう。そして太守である恭也には絶対にさせてはいけないことだ。
 しかし……それでも、月は言う。

「……御主人様のこと……止めないで欲しいの」

 恭也の“太守としての立場を度外視した優しさ”に命を救われた人間として。





















「ふぅ……」

 夕食後。
 自室に戻った俺は執務用の椅子に座り、大きく一つ溜息をつく。
 朱里から公孫賛の話を聞いてから、俺は冷静でいられたか……それが気になっていた。

「いや、違うな……」

 冷静でなどいられるはずがない。
 いかに“冷静なふり”をしていられたか、だ。
 そして、少なくとも……愛紗たちには気取られなかったはず。
 これから俺が何をしでかそうとしているかは。

「……アイツを……公孫賛を放ってはおけない」

 俺の目の前──執務用の机の上には二振りの小太刀。
 かつては父さんの……そして今は俺の愛刀となっている『八景』。
 この世界では、戦いの度に抜き放ち、数え切れないほどの敵を斬り払ってきた。
 しかし……本来、俺が『八景』を抜く理由はそうじゃない。
 大切なひとたちを守るため──それだけだった。
 そして今……この世界で知り合い、幾度となく俺を助けてくれた女性が窮地に立たされている。
 軍を動かしても情勢は変えることは出来ないと言われた。
 ならば、俺が一人で足掻いても無駄だと……分かってはいる。
 それでも……

「せめて、公孫賛一人だけでも……」

 俺は机の上の『八景』を握りしめた。
 決意はすでに固めている。
 以前、早朝の鍛錬はみんなにばれてしまい、怪我が治った後も単独での鍛錬は出来ず、鍛錬の回数は減ってしまった。しかし、幸いなことに深夜の鍛錬はまだばれてはおらず、今も続けているので深夜の県庁を抜け出すのは容易である。

 深夜に馬を持ち出し街を出て、急ぎ遼西へと向かう。
 そして、袁紹軍に追い詰められている公孫賛を救い出す。

 計画なんてそれこそこの程度しか考えていないのだ。
 そんな浅はかな自分に苦笑してしまう。しかし俺は軍師ではないのだ。奇抜で効果的な策など思い浮かぶはずもなく、出来ることといえば自らの身を張ることくらい。
 だが、それでいいんだ。
 俺は御神の剣士。
 御神は、何かを守ろうという意志が胸にあれば無敵になれるのだから。

「……みんなが寝静まるまで、あとどれほどだろうか?」

 少しでも早く遼西へと向かわなければならないが、だからといってここで誰かに見つかれば最後。きっとみんなは猛反対して、俺を止めるはずだ。最悪の場合は力ずくで止められてしまうだろう。
 それだけは……避けなければならない。いくらなんでも愛紗や鈴々を相手にしたら、逃げ切れるモノではないからだ。
 だから俺は、逸る気を抑えつけながら、ただひたすらに時が流れるのを待つ。
 手遅れにならないことだけを願いながら──。

 こんこん

「ん?」

 不意に。
 自室の扉を叩く音がした。
 ……こんな時間に誰だ?
 目を閉じ黙想するかのようにして時が過ぎるのを待っていた俺は、目を開けて扉の向こうの気配を探りつつ、声を掛ける。

「入っても構わないぞ」

 外から殺気を感じたわけでもなかったので、誰が来たのか確認せずに入室を許可した。
 そして入ってきたのは少女二人。

「月に……詠? どうしたんだ、こんな時間に?」

 この世界では若干違和感のあるメイド服姿の女の子──月と詠が部屋に入ってきた。
 月はどこか悲壮なまでの覚悟を表情に浮かべ。
 詠は終始不機嫌そうにこっちを睨んで。
 詠が不機嫌そうなのはいつものことだが……それでも、様子がちょっと違う。だがそれ以上に違うのは月だ。
 月は最近特に笑顔が増えていたはずなんだが……今夜に限ってはその笑顔は全くない。
 二人は淀みない足取りで執務用の机を挟んで俺と対面した。

「御主人様……」
「どうしたんだ? 何か用件があるのなら明日でも──」
「行くんですよね? 遼西に」
「──っ」

 それはまったくもっての直球勝負だった。
 駆け引きも何もない。
 ただただ真っ直ぐな、月の問いかけ。
 それがあまりにも真っ直ぐすぎて、俺は表情を動かすことさえ出来なかった。
 だが、それゆえにごまかしが利く。
 表情が動かなかった、ということは動揺が表に出なかったと言うことでもあるからだ。

「どこからそんな話が出てきたんだ? 俺たちは援軍なんて──」
「月はそんなこと言ってないわ」

 苦笑しながら月の言葉を否定しようとする俺の言葉を遮るように、詠の鋭い声。

「月は、あんた一人で遼西に乗り込むつもりなんでしょ、と言ってるのよ」
「……それこそあり得ない話だろう? それこそ意味がない」
「そうね……確かに意味はないわ。でも、あんたはそれでも行く気なんじゃないの? 遼西の大将を救うために」
「…………」

 何故だ?
 さっきの月の問いかけもそうだし、詠の言葉からも感じる。
 二人は完全に俺の考えを読み切っている……そして、その読みに確信に近いモノを持っていた。

「どうしてわかったのか……そう思ってますか?」
「月……?」

 そして、表情に出さなかったはずなのに、月は俺の心の中の疑問を見透かすように言う。

「わかりますよ……だって、私と詠ちゃんも一緒だから」
「え……?」
「御主人様は、太守としての立場を超えてでも、その優しさを貫くお方です。そして私たちはそんな優しさのおかげで、今こうして生きているんですから」
「…………」

 ……そういうことか。
 答えは単純で、俺はその答えに納得してしまった。
 かつて月──董卓と、詠──賈駆の二人を保護した際、俺たちには選択肢が存在した。
 二人を保護するか、それとも連合軍の本営に突き出して処刑させて手柄を得るか。
 本来なら後者を選ぶのが当然と、誰もが考える。
 この二人を保護して得することなんてないからだ。
 幽州西部を治める太守としての自分の名を大陸に響かせるためには、二人を処刑した方がいいに決まっている。
 だが、俺は二人を保護した。
 保護する理由を色々と言葉にしたが、結局は俺自身のワガママを通したのである。
 この二人には死んで欲しくなかった。
 心優しく、それでいて自分に厳しい……だからこそ、命を投げ打って全てを償おうとした不幸な少女を。
 そんな少女を何よりも──それこそ自分の命よりも大切に想い、最後まで命を懸けて守ろうとした少女を。
 それだけの理由で。
 そして今、俺がやろうとしているのは……やっぱり太守としてはあり得ない選択。
 だからこそ、月は分かったのだと言う。
 前例であるからこそ。
 俺は意識して無表情にしていた顔を苦笑に変えた。

「……まいった。そう言われてしまっては、もう誤魔化しようがない」

 思わず降参とばかりに両手を上げる。そんな俺の態度に、月も小さく微笑んでくれた。

「で、どうするんだ? もしかして愛紗たちにはすでに知らせてあって、県庁の周囲を固めていたりするのか?」

 決して責める口調ではなく、それこそ明日の天気はどうなるかを聞くように尋ねる。そうするのは当然だし、そうなれば遼西へ行くのは難しくなるだろう。
 ……まあ、それでも諦める気はないんだが。
 しかし、

「いいえ。勘違いなさらないでください御主人様。私は……私たちは御主人様を止めに来たワケじゃないんです」
「え……?」

 返ってきた答えは正直意外と言えるものだった。
 驚き、きょとんとしている俺に、詠が少し面倒そうに語る。

「本来なら、愛紗たちに教えてあんたをふん縛ってでも止めるんでしょうけどね。今回だけはボクらは協力者になると決めたのよ」
「協力者……って」
「言っておくけどね! 月がどうしても、って言うから仕方なくよ! そうじゃなければ、誰があんたの協力なんて……っ」

 何故か怒ってそっぽを向く詠。
 そんな姿が、俺には照れ隠しのように見えた。だが、それを指摘すればさらに彼女を怒らせるのは目に見えていたので、

「そうか……でも、ありがとう。詠」
「……ふんっ」

 俺は感謝の言葉だけを伝える。
 そしてあらためて月に視線を向けた。

「月も……ありがとな。正直、助かる」

 短いながらも感謝の気持ちを込めての言葉。
 それに月は静かに首を横に振った。

「その御言葉はまだ早いです。公孫賛将軍を助け出した時じゃないと……」
「……そうだな。その通りだ」

 俺たちは顔を見合わせて笑い合う。
 それはちょうど気を張りつめすぎていた俺をリラックスさせるには充分だった。
 しかし和んでる余裕は俺たちにはなく、

「笑ってるヒマはないわ」

 詠が場の空気を引き締める。

「あんたのことだから、みんなが寝静まってからこっそりと県庁を抜け出そうとしていたんでしょうけど。でも……少しでも早く出たいんでしょう? 時間は惜しいもの」
「ああ」
「だったら、すぐに準備して。こっちはすでにあんたを送り出す準備は整えてあるんだから」
「……なに?」

 二人はすでに、俺が遼西に向かうための下準備を済ませているのだと言う。
 騎馬隊が使う馬たちを繋いでいる厩舎への最短・安全なルートをしっかりと把握し、馬を連れて街を抜け出せる裏道すらも調べていた。
 その手際の良さにも驚いたが、驚く点はまだある。

「念のため、愛紗さんと鈴々ちゃんには朱里ちゃんがついて気を引いてますから」
「……朱里も知ってたのか……」
「当たり前よ。月は直感であんたの今夜の行動に気づいたけど、ボクと朱里は軍師としての能力を使って先読みしてるんだからっ」
「……恐るべきは、諸葛孔明に賈文和か。さすがは名軍師」
「おだてたって何も出ないわよ……」
「ここまでお膳立てしてもらえば充分だ」
「……ふんっ」

 結局、この二人──朱里も入れれば三人だが──のおかげで、予定よりも早く出発することが出来そうだ。
 俺は心から二人に感謝し、出発の準備を始めた。
 俺の服装は相変わらずの黒ずくめ。これはもう普段着のままで、ズボンもシャツも黒で統一している。戦いの時は敵を引き付けるという目的から聖フランチェスカの制服を着ていくのだが、今回は目立つわけにはいかないので、こっちで。
 そして今回は服屋で以前に作らせていた黒のジャケットを羽織る。ジャケットの内側に多くポケットを作ってもらった特注品で、小刀や飛針などを仕込めるようにしていた。そして最後に『八景』を手にすれば、準備は完了だ。
 準備が出来たところで、俺は再び二人と向かい合う。
 詠はやはりどこか怒ってるような顔で。
 月は、送り出すことを決めたはずなのに、やはり心配そうな表情で。

「……言っておくけどね。あんたはここの太守で、すべき事はまだまだあるんだからね。しくじったりしたら……それで月を悲しませたりしたら、ボクがあんたを殺しにいくからねっ!」

 詠の言葉はきついが、しかし心配してくれてるのがよくわかる。

「御主人様……これ自体が無理だとは分かってますけど……それでも、無理はしないでくださいね。絶対に生きて帰ってきてくださいね」

 そして月は、心から俺の無事を願うように俺を送り出す。
 まったくもって面白い。
 二人の言葉は正反対のようにも聞こえるが、その実どちらも俺に生きて帰ってこいと言ってくれているのだから。
 俺は頬を緩ませ、二人の頭を撫でた。

「ありがとう。約束する……俺はきっと戻ってくる。公孫賛を助け、ここへと……二人の前に戻ってくるから」

 そして、その撫でていた手を離すと同時に二人の横を通り過ぎ、そのまま部屋を出る。
 部屋に、頭を撫でられて照れくさいのか頬を赤くしている二人を残して──。








 このワガママは、俺だけノモのだと思っていた。
 だからこそ、俺は一人で遼西に向かい、自分だけの責任で公孫賛を助けようと。
 だが、俺の思考は単純なのか、あっさりと読まれていた。
 しかし、彼女らは俺を止めずに協力してくれたのである。
 ……本当は止めるべきだと分かっていたはずなのに。
 ……やめて欲しいと思っていたはずなのに。
 それでも協力してくれたのだ。
 ならば尚更……今回は絶対に失敗出来ない。
 その思いは、より強くなったが、決して重圧にはならなかった。
 ただ純粋に……思いは力へと変わっていくのが実感出来る。
 二人の思いを力に変えて、俺は二人が調べてくれたルートを進み、厩舎へと向かった。
 そして──





















「……遅い」

「……え?」

 ──厩舎の前で俺を待ちかまえていた“四人目の協力者”の姿に、驚かされた。






あとがき

 ……がらっと空気が変わったような(汗
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 董卓編の後、日常編を二話挟んでからの新展開となりました今回。原作にはないエピソードを持ってきたので不安だらけです(汗
 今回は……やはり月でしょうか。軍師としての詠を活躍させたいという願望と同時に、僕の中には月にも活躍の場を与えたいという望みもありまして。このシリーズ(捻りも何もないけど“公孫賛編”とでもしましょうか)では、その望みの一端が出るのではないかと思っています。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



公孫賛のピンチにこっそりと駆けつけようとする恭也。
美姫 「月や詠の協力も得て、いざ向かわん!」
で、待っていたもう一人は誰かな。うーん、もしかして彼女だろか。
美姫 「今回、出番のなかった子かしらね」
もしくは、フンヌー! の自称美女とかだったり。
美姫 「一体、誰が協力者なのかしら」
次回がとっても待ち遠しいです。
美姫 「次回も待っていますね」
楽しみにしてます。



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