午前の政務が終わり、昼食をとる。
 そして、昼食後に俺は愛紗を部屋に呼び出した。

「御主人様、お話があると伺いましたが?」
「ああ。実は街の治安についてなんだが、俺の元に陳情書が来ていてな」
「陳情……ですか?」

 治安維持に関しての責任者は愛紗だ。
 で、今回の陳情に関しては俺一人で決めるよりも愛紗の意見を聞きたくて呼び出したのである。

「……もしかして、我々の警邏の隙をついて、何か街で良からぬ事が?」
「いや、そうじゃない。むしろ反対というか……」
「はい? 反対、ですか?」
「ああ……実はこの陳情というのは兵士たちからなんだ」
「は……?」

 俺の語ろうとすることが読めない愛紗はきょとんとした顔を見せた。

















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第三十一章


















「……つまり、兵士たちの勤務態勢を見直せ、と?」
「まあ、陳情をそのまま受け入れるとなれば、そうなるな」
「…………」

 愛紗の顔から表情が消えた。
 それは、彼女なりの怒りのサインである。
 その怒りがどこに向かっているのかが分かる分、俺はいつ兵舎に殴り込むか分からない愛紗を止めるべく、密かに臨戦態勢を整えていた。

 今回の陳情は、うちの兵士たちからのモノだった。
 内容は……勤務態勢の見直し。具体的に言うと、毎日の街への警邏に出動する人員の削減というのが兵士たちの提案だった。
 戦争が起きていない平時の兵士たちの仕事に、いつ起きるか分からない戦争に備えての訓練と、街の外壁と県庁内の警備、さらに街の中の治安を守るための警邏。
 これらがある。
 しかし、この中で兵士たちは警邏にかける人数を減らすことで休みを少しで良いから増やしてくれ、と訴えていた。もちろん、勤務時間が減ることで給料は下げてもいいから、という条件付きで。

 こういった陳情書の類はまず朱里の方でチェックし、朱里が判断出来るモノであれば、そこで処理する。そのあたりの権限は持たせてあるのだ。
 しかし朱里でも決めかねる陳情書や、俺が目を通すべき問題だと判断した場合のみ、俺の方へと回ってくる。
 ちなみに今回の陳情は、朱里にとっては判断しかねたらしい。
 うちの台所事情をしっかりと理解している朱里からすれば、兵士たちの給料を下げられるというのは魅力的だが、だからといって警邏の人数を減らしていいモノかどうかがわからない。兵士たちの仕事に関しては愛紗や鈴々の領分だからである。
 治安と人件費。
 どちらに重きを置くのかは自分で判断すべきじゃないと思ったのか、朱里はこの陳情書を俺の方に持ってきたのだ。




「国の安全を護るべき兵ともあろう者が……どこの軟弱者ですか? そんなたわけたことを言い出したのはっ」
「……落ち着け愛紗。殺気を振りまくな。頼むから……」

 その陳情内容を話した後、まず俺がすべきことは殺気を纏った愛紗を宥める事だった。
 もし、陳情書を出した兵たちの代表者の名を明かせば、俺が止められないほどの勢いで兵舎に突貫しかねないので、名前は明かしていない。

「愛紗が腹を立てるのもわからなくはないが、まずは落ち着いてくれ」

 とりあえず俺の方が冷静に対処することで愛紗を落ち着かせてから、俺は話を続けた。

「この陳情書を見てから、俺の方で兵士たちの勤務形態を調べたんだが……遠征から帰ってきて、訓練の時間が増えているな?」
「ええ。今回の連合軍での経験で痛感しました。我らの軍も兵の錬度は上がってましたが、高い軍事力を誇る国の兵士たち──まあ、言ってしまえば魏や呉の軍のことですが──彼らの錬度の高さは、我らをはるかに凌ぐモノでした。その事実を見てしまった以上、我らとしても安穏とはしては居られません! これからは群雄割拠の戦国の世となるのですから、小規模な戦力しか有しない我らとしては、せめて錬度を高めていくことが第一だと思ったのです」
「なるほど……な」

 愛紗の主張を聞いて、俺は納得して頷いては居たモノの、心の中では大きな溜息をつく。
 ……愛紗からすれば当然の行いだし、彼女なりの強化策であるのは間違いない。
 全てはこの幽州を守るため、というのもわかるつもりだ。
 しかし、である。

「……そりゃ、訓練の時間を増やした上で他の仕事も通常通りって言うなら、こういう陳情だって出てくるのは当然じゃないか……」
「何故ですかっ! 護国の志あらばこそ、今は兵たちを鍛え上げ、列強他国と渡り合っていかねばならないでしょう!」

 愛紗の主張は熱く、決して間違いではなかった。
 朱里が連合軍参加前に予見した通り、今はもう各地の領主が領土拡大を目指し、武力行使の準備を虎視眈々と進めている。そんな情報は毎日のように届いていた。
 そしてそれは、俺たちのいる幽州だって他人事じゃない。特に近隣の強国では曹操や袁紹あたりがこの幽州を狙ってるという噂もちらほらと出始めており、俺たちは危機感を募らせていた。
 しかし、それでも兵士たち全てがその危機感を共有しているかというと、決してそうではない。

「俺は別に、訓練の時間を増やすことが悪いとは思わないし、むしろこれから先のことを見据えて考えれば、良いことだとは思う」
「ならばっ」
「だが、兵士の負担を当たり前のように考えるのは良くない。兵士たちだって遠征前の仕事だって手を抜いていたわけじゃなし、一生懸命仕事をしていたはずだ。なのに、ここに来て訓練時間だけ増えて、他の業務は通常通り、ではさすがに辛いだろう?」
「そ、それは……」

 愛紗は思い込んだら止まらないところがあった。だからこそ、こっちが冷静に対処してブレーキ役にならないといけないのである。
 そして愛紗も冷静になれば、しっかりとモノを考えられるのだ。元々頭のいい女の子なのだから。
 警備や警邏の仕事は三交代制でしっかりとローテーションを組んでやらせているのだが、最近の訓練時間の増加でそのローテーションにも無理が来ているのだ。基本的に兵士としての労働時間が増えているのはさすがにマズイ。
 調査してそれがわかったからこそ、警邏と防衛の責任者である愛紗に提案する。

「とりあえず、だ。俺の提案としてはまず、これから俺も街の警邏に同行させてもらって、実際の治安状況を見せてもらおうと思う。で、警邏の兵士の数を減らせると判断したら、一ヶ月の試用期間を設けてみる。これでどうだ?」
「……御主人様がそう仰るのであれば」

 納得はしてないが、頷かざるを得ない……そんなところか。
 渋々と賛同してくれた愛紗の頭を少しだけ慰めるような意味でぽんと軽く撫でてから、俺は午後からの予定を決めた。

「俺は午前のうちに仕事の大半を終わらせているんで、午後は警邏に同行して街の治安を確認させてもらうことにするが……今日の警邏責任者は?」
「…………」

 警邏の仕事にはその日ごとに責任者を決めている。その責任者は兵士と共に警邏に参加するのが決まりで、その責任者は愛紗、鈴々、そして恋という、うちが誇る一騎当千の武将達が持ち回りで担当していた。
 というわけで、今日の責任者と同行しようと思ったんだが……何故か愛紗は答えてくれない。
 どうかしたのかと思い、もう一度声を掛けた。

「……愛紗?」
「いえ、今日は私が警邏に出ます。今回は警邏と同時に御主人様の護衛も兼ねますから」

 今度はハッキリと答えてくれたモノの、その言い方には妙な違和感がある。

「……今日は愛紗が担当なのか?」
「その……そうではありません。本来ならば今日の午後は非番なのですが、替わります」
「いや、愛紗の予定を変える必要は……」
「私が、担当します! いいですね?」

 愛紗は不退転の意志を瞳に込めて、こっちを見据えてきた。
 ……まったく。過保護というか……俺の護衛という仕事も入るからと言って、そこまで責任感を感じなくても良いのにな。
 俺は愛紗のその迫力の前に、呆れつつも頷くしかなかった。
 こうして今日の警邏は愛紗に同行、と言うことになったのだが、その前に気になることが一つ。

「ちなみに、本当の今日の担当者は誰だったんだ?」
「恋ですが」
「そうか……じゃあ、早めに恋に警邏を替わることを言わないとな」
「そうですね。今の時間帯なら中庭でセキトとじゃれ合ってる頃でしょうし」

 そんなわけで、俺と愛紗は中庭へと向かった。
 元の担当者である恋に交代を告げるべく。





















 しかし、事はそう簡単に進まなかった。

「……警邏、替わる?」
「そうだ」
「……なんで? 前に警邏に行かなかったら、愛紗怒った」
「それはお前がサボったからだ……今回は事情が違うんだ。私の方から替わってやると言うんだから、午後はゆっくりして良いんだ」
「……なんで替わる?」
「今日の午後は御主人様が街の視察をなさるのだ。なので護衛の意味も兼ねて、今回は私が同行しようと──」
「……御主人様、一緒?」
「視察でな。だから──」
「……じゃあ、恋が行く」
「なぬっ!?」

 愛紗の予想通り、中庭で警邏までの時間をセキトとともに過ごしていた恋。
 その恋を呼び止めて、愛紗が今回の一件を簡単に説明し、交代しようと思ったのだが、

「……愛紗、ずるい」
「なっ! なにがずるいというのだ! 私はただ……っ」
「……独り占め」
「わっ、わけのわからん事を言うな! お前だって普段はあまり警邏に行きたがらないじゃないか! それがなんだ、今回に限って!」
「……御主人様が一緒なら、話は別」
「ず……ずるいのはお前の方ではないかっ! いつもはサボることもある警邏を御主人様が一緒ってだけでやる気を出すとはっ」

 恋は今日に限ってその申し出を断った。
 完全なる徹底抗戦である。

「……それは愛紗も一緒」
「なに?」
「……御主人様が一緒だから、今回は替わるなんて言い出した」
「わ、私はそんな不純な理由で今回の交代を言い出したわけではない! 御主人様が街の治安について自らの目で確認をしたいと言うから、護衛の意味も含めて……っ」
「……護衛? 御主人様の?」
「そうだ。だから──」
「……じゃあ、恋がやっぱり行く」
「何がやっぱりか。御主人様を護衛するのは──」
「……だって、恋の方が愛紗より強いから」

 ぴしぃっ!

 瞬間──空気が凍りついた音を俺は耳にした……気がした。
 愛紗が恋を説得する様子を見ていた俺は、今の恋の一言で場の空気が一変したのを察知する。
 ……平和だったはずの中庭が、どうして突如戦場のような荒んだ空気に!?

「ほぉ……なかなか言ってくれるではないか」

 しかも愛紗の態度は、戦場で敵将に遭遇した時のようで、あからさまな殺気が満ちていた。
 それだけならまだしも、先ほどまでは手ぶらだったはずの愛紗の手には、いつの間にか得物の青龍刀が!?
 今の愛紗に遭遇したら、並の武人だって裸足で逃げ出すほどの迫力だった。
 しかし、

「……本当のこと。恋、強い」

 それも目の前の少女には通用しない。
 何故なら、彼女は呂布だから。
 三国志における最強の代名詞。
 しかし、その代名詞たる呂布──恋もさすがに愛紗相手に素手は危険と察知したのか、その手には自らの得物である方天画戟を握りしめていた。
 ……というか、恋も……どこから取り出したんだ? セキトとじゃれてた時は手ぶらだったろうに。
 だが、そんなことはこの現状では問題ではない……というか、それどころじゃない。

「確かに先の虎牢関では後れを取ったが、いつまでも私があのままだとは思わないことだ……」
「……言うほど変わってない。まだ恋の方が強い」
「試してみるか?」
「……構わない」
「…………」
「……来い」

 二人の殺気が膨れあがる。
 いつしか恋の傍にいたセキトは茂みの奧へと避難し、中庭の木の枝で羽を休めていた小鳥たちは、一斉に飛び去っていった。それはまるでこの地に天変地異がやってくると予知したかのように。
 ああいった動物たちは人間と違って本能がしっかりと働くので、この場の危険を敏感に察知したのだ。というか、こんなのは人間の俺でも察知出来る!

「ちょっ! 待つんだ二人とも! なんでいきなり一騎討ちにもつれ込むんだ!?」

 俺は慌てて二人の間に割って入り、馬鹿げた真似をさせないように、必死に止めるのだった。


 ──この二人が一騎討ちなんてした日には……確実に血が流れるだろうに。




















 俺はとりあえず二人を必死に宥め、どうにかそれぞれの得物をしまわせることに成功した。
 どこにしまったのかは謎だが。
 そしてあらためて俺は恋に今回の一件について説明する……まあ、結局は愛紗が説明したことを復唱しただけに過ぎないのだが。
 しかしそれでもやはり、

「……恋が一緒に行く。恋が担当だから」

 恋はこの一点張り。
 頑として譲ろうとはしなかった。
 これには愛紗が再び殺気を発するが、俺は即座に彼女を宥めてから、この奇妙な状況を解決すべく打開策を考える。
 こっちとしても警邏の同行の後、まだ仕事が残っているのだから、ここでのんびりはしては居られないのだ。
 そして状況を冷静に判断したところで、ふと気づく。

「……そもそも恋が担当者で、その恋が俺の同行を許しているのなら、愛紗が肩代わりする必要はないんじゃないか?」

 その事実に。
 愛紗がわざわざ担当を変わろうとしたのは、俺の護衛も……という理由。だが、恋だって愛紗に負けないくらいに強い(このあたりの表現は愛紗への配慮)のだから、護衛としては適任なのだ。
 ならばわざわざ担当を交代する意味もなくなる。
 そんなわけで、俺は愛紗にはしっかりと休むようにと言い含めて、恋と警邏に出掛けることにした。

「……………………ふんっ」

 俺としては愛紗に気を遣ったつもりなのだが、何故か彼女はむくれていた。
















「…………」
「…………」

 そして俺たちは街の大通りへと出てきた。
 俺自身、こうして街を見るために出るなんて事は、本当に久しぶりだった。
 洛陽への遠征前は、まだ仕事にも余裕があり、ちょっとした仕事の合間に街を散歩したりも出来たが、今はその余裕はない。
 遠征から帰ってきてからは、街を歩く機会は全くなかったのだ。
 俺はあらためて街の様子を眺める。
 大通りには様々な商店が並び、それぞれの店の主達が活気に満ちた声を出していた。そんな店に顔を出す街の住人たちの表情も明るく、笑顔が溢れている。

 ──初めてこの街を訪れた時は、絶望的な空気が蔓延していたいのにな……。

 俺は、ここであらためて実感してしまった。
 俺が……この世界にやってきて、随分と時が過ぎていたという事実を。
 俺がこの世界にやってきた時、この街は半ばゴーストタウンのようだった。しかし、それが今はこんなに活気のある街になってしまうくらいの時間を俺はこの世界で過ごしているのである。
 しかし……俺が元の世界に戻る手がかりは一向に掴めないままだ。
 こんな現状で、俺はふと恐怖に駆られる。

 それは……もしかしたら、俺はこの世界から出られないのでは──ということではない。

 このまま、俺はこの世界で生きていけば良いんじゃないか──そう思い始めている自分に、俺は恐怖していた。

 そんな無責任なことを考える自分が怖い。
 元の世界には大切な家族がいるし、守りたい友人達だっているのに。
 確かにこの世界でも、大切な人たちはいる。だが、この世界は俺がそもそも存在すべき世界ではないのだ。俺はやはり生まれ育った世界に戻るべきだと思う……きっとそれが自然なはずだ。
 自分に言い聞かせるように、心の中で自分の意見をまとめる。
 だが、そう考える一方で、俺は妙な想像をしていた。
 もし……俺がこの世界から元の世界へ戻る術を見つけ、いざここを去る時。
 愛紗たちの悲願が達成されていなかったら?
 それでも俺は、この世界を去ることが出来るのだろうか?
 彼女たちを見捨ててまで戻って良いのだろうか?
 それは──

 ぷにっ

「え……?」

 不意に、自分の頬をつつかれてる感触で俺は思惟におぼれかけていた意識を現実に引き戻された。
 そして隣を見ると、少し不満そうな恋が俺の頬を人差し指でつついている。

「恋……?」
「……御主人様、ずっと黙ってた」
「え、あ、ああ……そう、だったか?」
「……退屈」
「す、すまん……というか、退屈とかそういうことじゃないだろう? 俺たちは街の治安維持のための見回りをしてるんだから」
「……でも、御主人様も全然周りを見てない。ぼーっとしてた」
「む……」

 それを言われると、こちらとしても強くは出られない。
 恋の指摘通り、俺は警邏に集中していたとは言い難かったからだ。
 ……まったく、我ながら何をしてるんだか。
 自分に呆れつつ、今でも指で頬をつついてる恋の手を掴まえる。

「もうつつかなくていいから。これからはちゃんと警邏をするから」
「……残念」

 何がどう残念なのかはわからないが、とりあえず俺はつつかれていた指を外して、警邏に集中することにした。
 街の変化から時を感じている場合じゃない。今の俺は街の治安状況の把握をしなければいけないのだから。
 俺は自分に気合いを入れ直し、街に異常がないか目を光らせる。
 そして現在の街がどれほど安全なのか、そうでないのかを見定めるために歩を進めていた。
 しかし、程なくして。

「……恋?」
「…………(じーっ)」
「はぁ……」
「…………(じーっ)」
「警邏中だぞ。軒先に並ぶ肉まんを凝視しない」

 今度は恋が警邏に集中してくれないという状況に陥り、俺は溜息をついていた。
 街の大通りは、基本的に様々な商店が建ち並び、当然ながら食べ物の店がいくつも点在している。そして恋はそれらの店の前を通るたびに、店の軒先に並ぶ食べ物を物欲しそうな目で凝視するのだ。一緒に歩いている俺の方が恥ずかしい……。
 俺は店の主に「商売の邪魔をして申し訳ない」と謝った。
 店主は「お気になさらず」と苦笑しながら言ってくれたが、実際問題困ってはいるようである。俺は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、そそくさと店の前から恋を引きはがそうとした。しかし、恋はそれより先にこっちに振り返り、

「…………」

 無言で俺を見つめてくる。
 その瞳はちょっとだけ潤んでいて、庇護欲をそそられてしまう。
 完璧な哀願だった。
 しかもその内容は、ずばり“肉まん買って”という実に子供じみたお願いである。
 俺は大きく溜息を吐いてから、

「今はともかく警邏だ。肉まんは仕事の後」
「……うー」

 その瞳は通用しないぞ、と言わんばかりに恋の襟首を掴んで軒先から引っぺがした。
 この程度の耐性がなければ、妹や妹分が多い高町家では生きてはいけない──もっとも、なのはには甘いとよく他の家族に言われていたが。
 そして再び警邏へと戻ったのだが、

「……うー」

 恋はいまだに不満そうに唸っている。そのあまりに子供じみた態度に、俺はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

「あのな、恋? あの肉まんが美味そうだったのは認めるが、それでも俺たちは警邏の最中だ。警邏の最中に買い食いしちゃいけないって愛紗に言われたことはないか?」
「……ある」
「なら、ちゃんと守らないとな」

 なんでだろうか? 恋の歳を聞いたことはないが、見た目で判断する限り俺とそんなに離れてはいないはずだ。なのに、なのはよりも年下の子を相手にしているような錯覚を覚えてしまう。

「……でも、食べたい」
「もしかして、昼ご飯を食べてなかったのか?」

 俺たちは、朝食と夕食はみんなで一緒に取るようにしているが、昼食だけはみんなそれぞれ仕事を抱えているため、別個に取るようにしていた。
 なので、恋が食事を取っていたかどうかは知らなかったのだが。

「……(フルフルっ)」
「じゃあ、今食べなくても良いじゃないか。まだ昼食とってからそんなに経ってないだろう?」
「……でも、食べたい」
「…………」

 ……そういえば、恋は随分と見た目にそぐわないパワーを持っているが……もしかして、その分燃費が悪いのだろうか? 朝食も夕食も、みんなの中でも群を抜いて食事量が多いし。
 それはともかく、それでもこのワガママは許してはいけなかった。

「いいか、恋? 素直なのは良いことだが、時には我慢しないといけないということをちゃんと憶えないとダメだ。今は警邏の時間で、こういった仕事をこなすことで、恋は毎日ご飯を食べられるし、セキト達のご飯代ももらえるんだから」
「……………………(コクッ)」
「肉まんは美味しそうだし、食べたいと思うかもしれない。でも、今はそれより先にしないといけないことがある。だから、今は我慢する。いいな?」
「…………………………(コクッ)」

 頷くまでに間はあったが、納得はしてくれたらしい。
 恋は身体こそは成長しているが、その中身はまだまだ子供っぽかった。それもまた彼女のこれまで歩んできた半生ゆえのことかもしれないが。
 だが、子供だというのなら、今からしっかりと正しいことを教えてやる必要があると俺は思っていた。恋は決してバカではないのだから。ちゃんと教えてやれば、きっといつか良識ある大人の考えが出来るはずだ。

「わかってくれたか。偉いぞ恋」

 俺はちゃんと聞き分けてくれた恋の頭を優しく撫でてやる。すると、

「……んー♪」

 恋は気持ちよさそうに首をすくめた。
 その様子は子供と言うよりも、子猫か子犬みたいである。
 そんな恋の仕草が微笑ましくて、ついつい撫でる手を下ろすのがもったいなく思えて、撫で続けてしまうのだった。
 しかし、

「あらん? そこで親子みたいな雰囲気を醸し出してるのは、もしかしなくても御主人様じゃない?」

 そんな平和な空気は、ねっとりと表現するのが一番適したような、それでいて渋みのある不可思議な声で霧散してしまう。そんな声の主は、俺の知る限り一人しか居ない──というか、こんなのが二人もいてもらっては困る。非常に困る。

「…………よお、貂蝉」
「うーふーふー♪ お久しぶりね、御主人様。最近は会えなくて寂しかったわ」
「そ、そうか……?」

 振り返った先には、筋骨隆々の大男──だが心はどうやら乙女らしい自称『しがない踊り子』が立っていた。
 彼女(?)の名は貂蝉。
 洛陽に居を構えていたのだが、何故か俺たちの後をついてきて、この啄県に住み着いてしまった怪人である。
 ……まあ、現時点で何かしら実害があったわけでなく、貂蝉自身も悪人ではないようなので問題はないのだが。俺が彼女(?)を苦手に思ってる事以外は。
 苦手な理由はわからない。

「たまには街に顔を出してよね、御主人様♪ でないと私、寂しいのん」

 ……分からないと言ったらわからないんだ。というか……一生分かりたくない。

「ま、まあ……そうは言っても、俺にも政務があるんでな。というか、貂蝉?」
「なになにー? 私のことで知りたいことがあるのかしら?」
「……いや、その……なんで君が俺のことを御主人様呼ばわりするんだ? 君は俺の部下でもなんでもないだろう?」

 そうなのだ。
 洛陽からこっちに戻ってきてから、実は貂蝉とは初めて顔を合わせたのだが、いつの間にか彼女が俺を呼ぶ呼称が愛紗や恋と同じ“御主人様”に変わっていたのである。
 それは強烈な違和感というか……出来れば街のど真ん中で貂蝉に“御主人様”呼ばわりは勘弁して欲しいというか。
 それはともかく。
 そんなわけで、俺は貂蝉に疑問をぶつけてみたのだが、

「そんなの決まってるじゃない♪」
「?」
「私は御主人様に一目惚れして、今では御主人様の虜なのよん。だから、あなたは私の御主人様なの」
「………………」

 返ってきた答えはあまりに異次元的で、俺には理解出来なかった──というか聞かなかったことにしたかった。
 きっと今の俺は困惑しきった顔をしていたのだろう。

「……御主人様?」
「あ、ああ……どうした恋?」

 恋が心配そうな目で俺を見ていた。

「……御主人様、困ってる?」
「そう、見えるか?」
「……うん。だから」

 恋が俺のことを心配してくれてるのは嬉しい。嬉しいのだが……
 恋はその瞳に物騒な光を灯らせて、その視線を貂蝉へと移し、

「……潰す?」

 途轍もなく物騒なことを言い始めた。
 しかも、またしてもその手には方天画戟が!?
 俺は慌てて恋を止める。

「ま、待ってくれ恋! そーゆーのじゃない! 貂蝉は敵じゃないから。だから潰さなくて良いんだ」
「……御主人様がそう言うなら」

 俺の言葉に納得してくれたのか、再び方天画戟が恋の手元から消えた。
 ……どういった仕組みなんだろうか?
 不可思議な現象に首を傾げる俺をよそに、今度は貂蝉の方から直接恋へと声を掛ける。

「もう、おいたはダメよん恋ちゃん。なんでも力で解決するのはダメだし、私は恋ちゃんの敵じゃないんだから」
「……そうなの?」

 何故か恋はその問いを俺に向けてきた。
 まあ……確かに恋と貂蝉が敵対する理由はないはずだ。
 俺はとりあえず頷いてみせる。するとそこに貂蝉が言葉で補足した。

「だって、恋ちゃんは御主人様を守りたいんでしょ?」
「……(コクッ)」
「それは私も一緒よん。御主人様を守りたいと思うもの。ほら、私たちは仲間じゃない?」
「…………」

 ……俺は恋に守られるだけでなく、貂蝉にも守られるのか?
 まあ、確かに貂蝉は訳の分からない強さを有しているし、正直敵には回したくはないな……いろんな意味で。

「御主人様が困った顔をしたのはね、単なる照れなの。御主人様ってば、そのあたりは不器用だから」
「…………」

 そのあたりについては、ハッキリと反対したかった。
 しかし、ここでムキになって反論すれば、再び恋が方天画戟を持ち出しかねない。
 ここでこの二人が戦うことになんてなれば、それこそ止める術がない俺に残された選択は、ここは我慢することだけだった。




















 結局、その後恋は貂蝉の言葉に納得し、彼女(?)を敵と見ることはなくなった。
 そのことに安堵した俺は、再び恋と警邏の仕事へと戻る。
 ちなみに貂蝉は俺たちと同行したかったらしいのだが、

「残念だけどお仕事があるのよねぇ。今日は恋ちゃんに譲るわ♪」

 そう言い残し──何を譲るのかはよくわからんが──悠然とした足取りで去っていった。
 貂蝉の仕事というのも興味は尽きないが……まあ、それはいい。
 俺と恋は再び警邏の仕事に戻り、街の治安状況を確認した。
 途中、また食べ物屋の前で恋が足を止めることもあったが、すぐに警邏を続ける。恋は俺の言いつけを守り、ちゃんと我慢してくれたのだ。
 そんな恋の姿が嬉しくて。
 俺は警邏を終えた後、恋を連れて飲茶の店へと行き、我慢した褒美とばかりに肉まんを満足するまで食べさせたのだった。



 ──そのあまりの食べっぷりに、俺の財布は随分と軽くなってしまったのだが、それでも俺は次々と肉まんを頬張っていく、幸せそうな恋を見られたことと、

「……御主人様は、優しいから好き……」

 その一言が聞けただけで充分だった。














 その後、俺は恋と一緒に県庁へと帰った。
 そして政務へと戻った俺は、件の陳情書への答えを出す。
 街の治安状況は現在良好と見て、警邏の人数を減らすことで兵たちの負担を減らすことを試験的に行うことにした。ただし、兵たちの陳情書にあった“給料を下げる”というのはなく、据え置きのまま。
 その決定に朱里も愛紗も渋い顔をしたが、それでも兵士たちは喜んでくれた。
 ……まあ、俺からすれば、増えた仕事量を元に戻したくらいなんだから、給料を下げるのは筋違いだろうというのが正直なところだったので、兵士たちから感謝の手紙をもらった時は少々気まずかったのだが。




 こうして戦乱の合間の、平穏な一日は過ぎていく──。






あとがき

 ……もう一個挟んでみたり(ぉ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 物語を進めず、もう一つ日常(?)エピソードを挟ませていただきました。今回のメインは恋です。まあ、前回が月&詠の二人をピックアップしたので、今回はもう一人の新入りさんの恋ということで。
ええ、恋ですよ。もう一人の新入りなんていませんから(マテ
 さて、これでとりあえず新たに陣営に加わったメンバーの、恭也たちとの暮らしを見てもらったので、次回からは心おきなく物語を動かすことが出来そうです。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



わーい、恋だ、恋。
決してもう一人の新顔がメインじゃないよ。
美姫 「でも、インパクトはやっぱり凄いわよね。ちょっとの出番なのに」
うん、出てくるだけで美味しいキャラだ。
美姫 「今回も日常のお話だったけれど、ほのぼのって感じで良いわよね」
本当に。次回もとっても楽しみになる。
美姫 「次回はどんな展開が待っているのかしら」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」
ではでは。



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