連合軍としての戦いを終えて幽州へと戻ってきた俺たち。
 そんな俺たちを待ちかまえていたのは住民達の歓喜の声と、水関や虎牢関での活躍を聞いて陣営傘下に入りたいと申し出てきた、幽州の他の街の代表達だった。
 それにより、とうとう幽州の大半が俺たちの勢力下となり、連合での戦いの前よりも、軍事力も経済力も随分とアップした。
 力のなさを連合で痛感した俺たちはこの変化を素直に喜び、早速新たに加わった街なども含めた領土全体の法整備や軍の再編成、経済発展のための内政へと乗り出す。

 この連合に参加したことで恋や、月や詠という新しい仲間も出来たし、戦いの戦果により国力も増強出来た。

 こうして徐々に力を付けながら、俺たちはまず幽州の統治に力を入れ、しっかりと地盤を固めていくのであった。
















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第三十章



















 連合が解散し、みんなと共に啄県の街に戻ってきた俺は、再び県令として過ごす──と言っても、更に領土は拡大し、立場も太守というモノに変わってしまっていたが。
 まあ、それはともかく。
 本拠の街に戻った俺は、再びここでの日常を取り戻していた──ワケではなかった。





 啄県に戻ってから一週間。
 俺は遠征前までの生活リズムを取り戻し、朝は相変わらず夜明け前に目を覚ますようにはなっていた。そして、この日もいつも通りの時間に目を覚ます。

「…………むぅ」

 天蓋付きの寝台で目を覚ました俺は上半身だけを起こし、窓の外の様子を見る。東の空がようやく白み始める時間帯だ。
 この世界の文化レベルでは目覚まし時計などは存在しないのだが、俺にとっては必要がないので不自由に思ったことはない。

 ──ただ、その事実が違う意味で俺を縛り付けることになるとは思わなかったが。

 俺は左の脇腹に手を添えた。

「……ちっ。まだ完治とはいかないか」

 痛みはかなりなくなってはいるが、まだ残る違和感。
 先の虎牢関での戦いで攻撃を受け、折れたあばらは正直、大したことはなかった。もっとも、朱里あたりは「骨折は立派に重傷ですっ」なんて言って怒っていたが。俺からしてみれば、さほど珍しい怪我でもなく、しばらく無理をしなければ治ると思っていたのだが、思いの外治りが遅かった。

「やはり『神速』の連続使用はきつかったか……」

 ただ、自分の中で治癒が遅い理由ははっきりしていて。骨折した直後に『神速』を連続で使い、身体に相当な負担を掛けた時、骨折したあばらにも当然その負担はかかっていた。そのせいで思った以上にダメージを蓄積し、治るのに時間がかかるようになってしまったようだ。
 その事実を再認識して、俺は大きく息を吐いた。

「……とはいえ、この時間に起きてもやることがないというのは困るな」

 本来なら夜明け前に起きた俺は朝食を取る時間までは、街から抜け出して森へと行き、そこで朝の鍛錬を行うのだが、今は事情があってそれが出来ないのである。
 骨折しているあばらに負担を掛けないために──というわけではない。
 実際、遠征から帰ってきた翌日、俺は早速朝の鍛錬には出ていたのだから。
 しかし、それから三日後……そこで問題が起きたのだ──。



















「……御主人様」
「ああ、愛紗か。おはよう」

 遠征から帰還してから四日目の朝。
 早朝の鍛錬を終えた俺はこっそりと自室に戻り、汗を拭き取ってから朝食の時間に合わせて、県庁内の大食堂へとやってきていた。そこで俺に最初に話しかけてきたのが愛紗だったのである。
 だが、その愛紗の表情がおかしい。

「おはようございます……いつもならここで朝食の時間ですが、その前にお話があります」

 切れ長の黒い瞳は剣呑としていて、しゃべる口調にもわずかな苛立ちが感じられた。
 怒っている? だがなんで?
 俺は自分が愛紗に怒られる理由はないはず、と首を傾げていた。
 しかし、

「……朝食前、御主人様はどこで何をされていたのでしょう?」
「──っ!?」

 底冷えするような声での指摘を受け、俺は思わず息を飲んだ。
 ……ばれたのか?
 いや、まだ状況確認が済んではいない。愛紗が何を根拠にそんなことを言い出したのかも分からないのだから、ここで狼狽えてはいけないんだ。
 俺は虚勢を張る。

「どこで何をと言われてもな。そもそも、どうしてそんなことを? 今まで朝食前の事なんて気にしたこともなかったじゃないか」

 こういう事を自慢するのはどうかと思うが、俺は真顔で嘘がつける男なのだ。以前はよく妹のなのはをからかったりする時にこの特技を使っていたが、よもやこういった形でこのポーカーフェイスが役に立つとは……人生とはわからないモノだな。
 こういう時は逆に堂々とした態度で臨んだ方が疑いは晴れるのだ。

「実は今朝、先日御主人様付きの侍女となった月が御主人様の部屋へ行きまして」
「月が? どうして?」

 そこへ、愛紗の横からひょこんと顔を出したのはその張本人である月──董卓だった。
 初めて会った時の月は、王侯貴族が着ているような華美な服装だったのだが、今は侍女として過ごしているため、“違う服”を着ていた。
 その月がおずおずと口を開く。

「あの……私は、御主人様の侍女ですから。侍女として、朝は起こしに行かないと、って思ったんです。以前は私も起こしてもらってましたから」

 なるほど。
 ついこの間まで月は“侍女に起こされる立場”の人間だった。その月が今は侍女である。
 とはいえ、俺からすればこの侍女、というのはあくまで形式だけという話のはずだ。周囲の目を誤魔化すための隠れ蓑として与えた立場なので、特に仕事の指導などはしなかったのだが。しかし真面目な月は自分なりに侍女としての役割を果たそうと、この数日は忙しそうにしていた。

 かつて自分がお付きの侍女たちにしてもらっていたことを思い出し、それを俺にしようとしたり。
 ……まあ、仕事熱心なのは良いことなんだが。正直な話、着替えようとするたびに「あの……お手伝いさせて頂きます」なんて、顔を真っ赤にしながら言ってきた時は、本当に困った……勿論、丁重にお断りしたが。

 他にも、この県庁には以前から通いで侍女の仕事に就いてる人たちがいて、その人たちの働いてる様子を観察し、積極的にその仕事を手伝うようにしていた。
 ……ただ他の侍女の皆さんも、貴人特有の柔らかな物腰で、しかも礼儀正しく腰も低く接してくる月に面食らい、何故か一番新人のはずの月に他の人たちが気を遣ってるという姿がかえって微笑ましくもあり、奇妙でもあったが。

 前述したが、この世界には目覚まし時計などと言う便利な機器はない。だからこそ、月は侍女としての仕事を全うすべく、朝に俺を起こしに来たのだろう。
 その熱心な仕事への姿勢は、正直俺も頭が下がる思いだ。
 それ自体は何の問題もないのだが……なるほどな。状況は理解出来た。
 朝、俺を起こしに来た月が、もぬけの殻となっていた部屋に驚き、愛紗に報告したというところか。
 さて、そうなると……どういった言い訳をすればいいか。
 もちろん、本当のことを言えば愛紗の雷が落ちるのは目に見えている。ここは無難に、偶然その時は用を足していた、とか、たまたま早く目が覚めて敷地内を散歩していた、あたりの言い訳を──

「……言っておくけどね。用を足していたとか、敷地内を散歩していた、なんて言い訳は通用しないわよ?」
「む……?」

 まるでこちらの考えを見透かしたような、第三の声。
 そちらに視線を向けると、相変わらず俺の前では憮然とした表情しか見せてくれない、眼鏡の少女が立っていた。
 かつては董卓軍の軍師をしていたという賈駆──詠である。
 詠は眼鏡のレンズごしの鋭い視線を俺に向けてきた。
 イヤな予感がする……俺はとりあえず話を誤魔化すように、

「あ、ああ……えっと、おはよう詠。あと、月にも挨拶がまだだったな。月、おはよう」
「あ、はい。おはようございます……」
「挨拶なんてどうでもいいのよ」

 挨拶をして場を和ませようとした。月はその挨拶に微笑みながら応じてくれたモノの、詠はまったく取り合わない。
 そして眼鏡のブリッジに指を当て、下がっていた眼鏡をくいっと上げてから、詠はこちらを追い込むような口調で語り始めた。

「月があんたを起こしに行くようになったのは二日前。関羽や諸葛亮から聞いた話では、朝食の時間より前にあんたが部屋を出ることはないと知った月は、当然それまでの間は眠っているのだろうと思い、朝食の時間の半刻ほど前に起こしに行った。しかし、部屋はもぬけの殻。月はおかしいとは思ったけど、あんたがたまたま早起きして散歩してたり、用を足しに部屋を出ているのではないかと思い至る。どちらにしてもあんたが目を覚ましているのならそれでいい、とさほど深く考えずにその朝は部屋を出た。まあ、実際朝食の時間にはしっかりと顔を見せたのだから、月が問題ないと思うのは当然だわ」

 ……なんでだろう?
 この状況では俺が推理小説の犯人で、詠が主役の名探偵に見えてきたぞ。

「しかしその次の日の朝も、月があんたを起こしに行っても、やはり部屋にあんたの姿はなかった。さすがに二日連続で部屋に居ないのをおかしいと見た月は、まずボクに相談してくれた。事情を聞いたボクはまず、関羽と諸葛亮にここ二日のことを話した上で、調査協力を要請。あんたの朝の行動に引っかかりを覚えたのか、二人は快く協力を申し出てくれた。そして今朝を迎えた」

 そこで詠の眼鏡がキラリと光った……気がした。

「聞けばこの県庁の内外にはしっかりと各所に見張りの兵を置いているのに、あんたが朝出歩いてる事を知ってる兵は一人も居なかった。おかしな話よね? 警備の兵は当然この国の太守であるあんたの周辺にだっているはずなのに、誰もあんたがいなくなってるという事実に気づいてすらいないなんて。そこでボクは関羽たちと共謀して、ある手を打ったの。実はね……今朝はこの県庁内の警備の数をいつもよりも増やして、厳戒態勢を取っていたのよ。あんたには秘密で」
「な……っ」

 そういえば……今朝は心なしか警備兵の気配が多かったような気もしたが……そういうことだったのか!?

「そして、月にはここ二日より更に半刻早く……つまり朝食の一刻前にあんたの部屋に行ってもらったのよ。そして……案の定あんたは部屋にいなかった。そこで月には半刻ほど部屋にいてもらったけど、あんたは戻ってこない。そして……今朝もまた、あんたが部屋を出ていったことを察知した警備兵は一人も居ない。ということは、あんたはあえて気配を消してこっそりと部屋を出ていっていたということよね? しかも随分と早い時間から」
「…………」
「用を足すにしては部屋を空ける時間は長すぎるし、県庁の敷地内を散歩するのであれば、それこそコソコソとする必要はない。ということは……それこそ“コソコソとしなきゃいけないこと”をしてるということじゃないの?」
「…………」

 まずい……言い訳が思いつかない。
 しかも、こっちを追い詰めている詠の目は、獲物を追い詰めた肉食獣のように爛々と輝き、その横では「もしかして危険なことをしているのですか?」と言わんばかりの心配そうな目で俺を見ている月が居る。更にその二人の背後では、

「…………」
「…………」

 朝にコソコソと何かしてるなんて初めて知りましたが、と言いたげな目でこちらを凝視している愛紗と、いつの間にか合流していた朱里。
 鈴々と恋も大食堂にはすでに顔を見せていたのだが、こっちの話に付き合っていると、ご飯を食べる時間が遅くなると思ったのか、素知らぬ顔ですでに朝食に手をつけていた。
 援軍はどこからも来そうにない。

「はぁ……」

 ……しょうがないか。
 俺は観念して、真実を話すことにしたのだった。








 ……日課として早朝、街の外にある森にて剣の鍛錬をしていた。
 それを聞いて、まずは愛紗からの雷が落ちる。

「今や一国の主である方が、警備兵の目を盗んで街の外へ単独で出るなんて……何を考えているのですかっ!」

 続いて、今度は朱里も雷を落とした。

「御主人様の怪我はまだ完治していないのですよ! なのに、鍛錬なんて……もっとご自分の身体を大切にしてくださいっ!」

 二人の言い分はもっともなので、俺は正座をして二人の説教を甘んじて受ける。
 そんな俺の様子を見て、

「ばっかじゃないの」

 と醒めた視線を向ける詠。

「あ、あの……御主人様も反省してるみたいですし……」

 唯一月は愛紗たちに怒りを収めるように働きかけてくれたが、焼け石に水である。
 結局その日の朝は延々と二人に説教された挙げ句、朝食抜きという罰をくらう羽目になった。
 だが、説教を受けきった後に、一応自分の言い分も主張はしておく。

「だがな……昼間は政務が忙しくて、体を動かす時間がないんだ。となれば、やはりこういった時間帯でないと鍛錬が出来ないじゃないか」

 というわけで、あらためて早朝鍛錬の許可を求めた。
 その求めに対する返答は……原則として単独で街の外へと出るのは禁止。もし早朝の鍛錬を外でしたいというのなら、誰か護衛をつけろ、とのこと。
 そして、怪我が治るまでは鍛錬は控えろ、とのお達しも受けてしまった。
 ……まあ、こればっかりはしょうがない、と条件を飲む。
 正直、俺の鍛錬の時間は本当に朝早いから、誰かに付き合わせるのは申し訳ないんだがな……。





















 ──こんな事があったが為に、現在まだあばらが完治していない俺は早起きしても、鍛錬に出ることも出来ず、大人しく部屋の中にいるしかないのであった。
 とりあえず普段着に着替えたモノのやることが無く、早速手持ち無沙汰になってしまった俺は、

「……そういえば、昨日渡されて、今日チェックする予定の書簡があったか」

 しょうがないとばかりに机の上に残っていた仕事を片づけることにした。
 やることがないということもあり、思った以上に集中して仕事は片づく。
 そして、それすらもあらかた片づいてしまったところで、

 こんこん

 控えめなノックの音がした。
 そして一拍おいてゆっくりと扉が開くと、そこには小柄な少女の姿。

「あ……おはようございます。御主人様」
「ああ、おはよう月」

 深々と頭を下げて挨拶をしてくれる月に、俺も朝の挨拶を返した。
 挨拶を終えて頭を上げる月の瞳には安堵の色が見て取れる。
 ……心配性というか……まあ、俺が悪いんだからしょうがないんだけどな。
 実はあの早朝鍛錬発覚後。
 月が俺の部屋へ、俺を起こしに来るのは義務化されてしまったのである。俺としては目覚まし無しで起きることが出来るので、そういった気遣いは不要だと言ったのだが、その義務化の意図は起こすことではないと愛紗たちは言う。


「御主人様が、怪我の完治を待たずに“こそこそ”と鍛錬に出たり、護衛もつけずにこそこそと単独で外に出たりしないための配慮です」


 ……そこまで“こそこそ”を強調しなくてもいいと思うのだが。
 まあ、早い話が見回りのような意味合いの方が強いと言うことだ。
 なんというか……あの連合参加の遠征から、俺はどうにも周囲の仲間たちの信頼を失い続けてる気がする。
 そんなこともあって、毎朝月が部屋に来ることになっていた。
 月が安堵の表情を見せるのは、俺が無茶をして鍛錬に出たりしていないからだろう。月は俺の怪我が治ってないことを常に気にしていて、なにかと気を遣ってくれるのだ。

「今朝もお早いんですね。すぐにお茶をお淹れしますね」
「ああ、すまないな」
「いえ……」

 声を掛けると、月は柔らかな笑みをこちらに見せてくれてから、てきぱきとお茶の準備を始める。
 月が朝、この部屋へと来てくれるようになってからは、こうして朝食の時間まで、二人で茶を飲みながらまったりとするのが、新たな日課となりつつあった。
 差し出されたお茶を一口。

「……美味い」
「ありがとうございます」

 お世辞でもなんでもない素直な言葉に、月は嬉しそうに礼を言う。
 こんなに美味いお茶を淹れてもらってるんだから、礼を言うのは俺の方なんだがな。
 茶葉は以前と全く一緒で、実際に月が淹れてるところを見せてもらったが、特別なことは何もしていないはず……なのだが、誰が淹れたモノよりも月のお茶は美味しかった。

「月たちがこの街に来て一週間か……何か不自由なことがあったりしないか? 慣れない仕事で疲れたりとか」
「いえ。お仕事も楽しいですし、皆さん本当に良くしてくださいますから」

 その言葉に嘘はないらしく、月の表情は本当に楽しそうである。月はその性格上、不満があっても表に出そうとしなさそうなのでちょっと不安だったが、どうやら杞憂だったみたいだ。
 しかし杞憂は一つだけではない。

「では……詠は? 周囲の人間とはうまくやれてるか?」

 実は人当たりがいい月より、詠の方が俺は心配だった。
 詠はまだ俺たちの保護を受けることを全面的に賛同しているわけでもなさそうで、俺たちとは意識的に壁を作ろうとしているのである。なので俺は勿論、愛紗たちとも馴れ合わないようにはしていた。もっとも何事か必要な案件を抱えている時は、愛紗たちとも言葉を交わすが……先日の俺の早朝鍛錬発覚の一件などは、その良い例だ。
 そのような友好的とは言い難い態度を見せる詠だから、他の侍女たちと何らかの摩擦を引き起こしたりしていないかが気になったのである。
 しかし、

「全く問題ありませんよ。詠ちゃん、ああ見えて他の皆さんから頼りにされてるんです」
「頼りに?」
「はい」

 月が、自らの親友を誇るように一つのエピソードを語ってくれた。
 それは、数日前のこと。
 他の侍女の人たちと一緒に二人が、県庁内の清掃作業に入ろうとしていた時。その侍女達の中でリーダーシップを張っていたおばさんが、各人に清掃場所を割り振りと作業順序の説明をしていると、突然詠が口を挟んだのである。
 そのおばさんのやり方では効率が悪いと。
 新入りの、しかも小娘が自分のやり方を否定したのだから当然おばさんも面白くない。じゃあ、どうすれば効率が良くなるのか説明しろと語気を強めて詠に言うおばさん。だが、詠からすれば、その言葉を待っていたようで、ここぞとばかりにしっかりとした理論を元に、自分ならこうする、という作業手順をおばさんと他の侍女たちに説明。
 その理路整然とした説明は、その場にいた全員がしっかりと理解出来たのだった。
 そして最後に、実際に一度この方法で試してみればいい、と言って。
 それでおばさんが指示していたやり方よりも遅くなるなら、自分は出過ぎた真似をしたと謝ろうとまで言いのけだのだ。
 で、実際に詠の方法を実践して──

「詠の言う通りだった、と」
「はい。詠ちゃんのおかげでお仕事もはかどるようになったと皆さん喜んでくれたんです。今では、詠ちゃんが侍女の皆さんにことある毎に指示するようになってまして」
「……むぅ……さすがは元軍師。そんなところでも才能を発揮しているのか」

 その話を聞いて、やはり杞憂であったことに安堵すると同時に、詠の能力の高さに感心するのだった。もっとも、最初に効率の悪さを指摘したのは、月に負担がかからないための配慮だったんだろうけどな。

「そうか……それは良かった。二人ともうまくやれてるなら問題ないな」
「はい。詠ちゃんはお掃除中にうっかり備品を破壊したりしてますけど、それ以外は」
「そ、そうか……」

 にこやかにさらっと気になることを言われた気がしたが、まあ月が嬉しそうにしているので、あえてツッコミを入れるのは避けよう。
 こんな会話の中でも月と詠の仲の良さを感じつつ、俺たちは朝のひとときを過ごすのであった。























 そして、いつもの朝食の時間となったところで、俺と月は大食堂へ。
 愛紗たちと共に朝食を取る。
 以前よりも人数が増えての食事は、なかなか賑やかだ。
 大抵は鈴々と恋がおかずを取り合い、騒がしい二人を愛紗が叱るので余計に騒がしくなる。一方、このメンツの中でも特に仲良くなっていた月と朱里は仲良く食事をしていて、そこに詠も加わる。戦場のような鈴々たちの食事とは違い、こちらは和気藹々とした食事風景だった。














 そんな賑やかな朝食を終えた後。
 俺は再び部屋へと戻り、朱里から本日目を通さないといけない書簡を渡され、早速仕事にかかる。
 遠征から帰ってきて、平和的な形で幽州が統一されてから、俺の政務の仕事量は大袈裟でなく本当に倍増した。
 統治する街と領土が増えた事で、確かに税収は増えたし、兵力も増強出来た──のだが、その分の責任と仕事が増えたのもまた事実なのである。

「とはいえ……やはりデスクワークは苦手だな」

 自室で一人、黙々と仕事をこなしていると、ふとそんな愚痴をこぼしている自分が居た。
 机の上にうず高く積まれた書簡の山を見ると、さすがにうんざりもする。
 ちなみに以前、午前中だけは朱里と一緒に仕事をこなしていた俺だったが、今は一人で仕事をしていた。前はまだ読み書きに若干の不安を抱えていたので、所々で朱里に教えてもらっていたのだが、最近はさすがに慣れたと言うことと、朱里が抱える仕事量も俺以上に増えてるため、それぞれ一人で政務を進めている。

「そう……朱里はもっと大変なんだよな……」

 朱里は逆にこういったデスクワークは得意分野で、俺の数倍の仕事量をキッチリとこなすのだ。あの小さな身体と幼い顔立ちからは想像出来ないほどの活躍ぶりである。
 普段は結構「はわわ、はわわ」と慌てるさまを見ることが多い彼女だが、政務での手際の良さを目の当たりにすると、彼女が“あの”諸葛亮であることを再認識出来る気がした。
 まあ……確かに得意不得意はあるだろうが。
 それでも、自分よりもはるかに多い仕事量を朱里がこなしている以上、俺だっていつまでも愚痴ってはいられない。

「さて……やるか」

 俺は新しい書簡に手を伸ばした。





 そしてしばらく仕事に集中していると、

 どんどん

 不意にノックの音が聞こえた……少々乱暴だが。

「はい?」

 扉の向こうに声を掛けると、

 がちゃっ

 これまた少々乱暴な開け方をして、一人の少女が部屋に入ってきた。

「…………」

 相変わらずの憮然とした表情。眼鏡の奧の瞳はまるでこちらを睨みつけるかのよう……というか、睨みつけているな、あれは。
 徹頭徹尾こちらを拒絶するような態度で部屋にやってきたのは、元董卓軍軍師、賈駆──詠だった。

「詠……どうしたんだ? 一人でここに来るなんて珍しいじゃないか」
「……ボクだって好きでここに来たワケじゃないわよ」

 こっちから話しかけても、詠からはつっけんどんな声が返ってくるだけ。
 相変わらず嫌われてるな、俺は。
 ……まあ、無理もない話なんだろうが。

「で、もう一度聞くけど。どうしてここに?」
「……あんたの目は節穴なワケ? ボクの持ってるモノを見ればわかるでしょうが」

 詠の持ってるモノ?
 そういえば、今の彼女は手ぶらではなかった。
 持っているのはお盆と、その上には……茶道具一式。

「……もしかしてここで休憩を取るのか?」
「んなワケあるかっ! なんでボクがあんたの顔を見ながら休憩しなきゃいけないのよっ! 仕事に決まってるでしょうが!」
「仕事……?」
「いつもは月がやってるんでしょ? 仕事中のあんたにお茶を淹れるの」
「あ、ああ……じゃあ、今日は詠が?」
「……月でなくて悪かったわね」
「いや、別にそんなことは思ってないが……」
「どうだか」

 取り付く島もないとはこのことか。
 詠は不機嫌極まりないといった顔を露骨に見せながら、ずかずかと部屋の中へと押し入り、少々乱暴な手つきでお茶の準備を始めた。それはもう、少しでも早くこの仕事を終わらせて、この場から去りたいという気持ちの表れ。お茶がまずかろうが関係はない。最低限の仕事を果たしてここから離れたいのだ。

「ほら」

 愛想の欠片もない声と態度で、出来上がったお茶を出す詠。
 そして、これでもう用はないでしょとばかりに足早にこの部屋を去ろうとする彼女を

「ちょっと待ってくれ、詠」
「……何よ?」

 俺は呼び止めた。
 振り返る彼女の表情には強い嫌悪感がある。
 俺としては、彼女に嫌われる理由もわかるし、彼女がこの部屋に──いや、俺と一緒にいたくないと思ってるのもわかっていた。
 だが、だからといってこのままの関係でいようとは思わない。それに──

「君は今回、月の代わりとしてここに来たんだろう?」

 啄県に帰ってきてからは、政務の合間にいつもお茶を淹れてくれるのは月の仕事だった。
 しかし、今回に限り詠がその役目を果たすことになったのは、きっと月に他の仕事が入ったか、あるいは──

「俺はいつもお茶を淹れてもらったところで休憩を取るんだ」
「……取ればいいじゃない。ボクには関係──」
「で、休憩中はお茶を淹れてくれた月がいつも話し相手になってくれていてな」
「──まさか、それもボクが相手しろって言うんじゃないでしょうね?」
「そのまさかなんだが?」

 ──これは憶測に過ぎないが、今回の“これ”は月が仕組んだ気がする。俺と詠の二人で話をする機会を設けるために。詠の、俺に対する態度を何とか変えさせるために。
 だとすれば、それを無駄にしてはいけないはずだ。

「はっ、冗談でしょ? ボクが月に頼まれた仕事は、仕事中のあんたにお茶を淹れること。あんたの休憩の相手なんて知ったことじゃないわ」
「では、月は何て言った? 少なくとも“お茶を淹れたらすぐに帰って良いよ”とは言わなかったんじゃないか?」
「む……」
「月のことだ。きっと“今回は、自分の仕事を詠に代わりにやってほしい”くらいの頼み方をしたんじゃないのか?」
「…………」

 その時のやりとりを俺があっさりと言い当てたのが悔しかったのか、うつむいて悔しがる詠。だが、そんな姿を俺に見せることすらも許せないとばかりに、詠はキッと顔を上げた。

「言っておくけど……ボクにはあんたと話す事なんて一つもない」
「……俺にはある。というか……さすがにずっと嫌われ続けるのも精神衛生上キツイんでな」
「……ふんっ」
「こっちを好きになれ、なんて無茶は言わないが。せめて、普通に顔を合わせられるくらいにはなれるように、話がしたいんだ」
「…………」

 詠が俺の目を見据える。
 その無遠慮な視線は、今の俺の発言にも何か裏があるのではないかと探るようで、鋭い。俺はやましいことはないことを証明するためにも、その視線を真っ向から受け止めた。
 そして視線を合わせること数十秒。

「ふんっ、わかったわよ」

 先に視線を外したのは詠の方だった。
 扉に向かっていた詠は身を翻して部屋の奥へと戻り、応接用の椅子にどっかと腰を下ろす。
 一応は話を聞いてくれる気にはなってもらえたようだ。
 俺は安堵の表情で、詠と向かい合うのだった。












 ──詠が俺を嫌うのは、ごく当然のことだった。
 詠と月は幼馴染みで大親友という間柄。
 だからこそ、月が一地方の太守となった時も、自らの才覚を月のために使うべく、彼女の軍師になったのだろう。
 詠が望むモノは月の幸せであり、月を守ることこそ彼女にとっては最優先事項だったのだ。
 そして月もまた詠の幸せを望んでいるのが、二人を見ているだけでも良く分かる。
 だが……ある時、月の幸せを奪うような出来事が起きた。
 月のご両親を人質とした白装束の一団。
 その連中の言うがままに従うしかなかった月は、本人が望まぬままに洛陽を支配下に収め、大陸中の諸侯たちに狙われる羽目になった。しかも、白装束たちが月にそんなことをさせた真の目的は──俺を洛陽へと誘き寄せ、殺すためだけ。
 そう──つまり、今回の悲劇の原因は“俺”なのだ。
 月がご両親を人質に取られ、暴君の汚名を甘んじて受けなくてはならなかったのも。
 多くの兵士たちの命が失った……その責任を月が背負わないと、と考えるようになったのも。
 そして今、こうして侍女として生活しなければならなくなったのも。
 全て、俺という存在があったからなのだ。
 だからこそ、詠は俺が許せない──。











「……今更だけど。あんたと何を話したとしても、ボクは変わらないわ。月が保護を受けると決めたから、ボクも“しょうがなく”ここにいるんだから。馴れ合いはしない」

 彼女の決意に嘘はない。
 事実この啄県に来てからの詠は、月と一緒に侍女としての仕事をこなしてはいるモノの、月以外の人間とは必要最低限のコミュニケーションしか取らないようにしていた。
 それも意識的に、だ。
 月と詠が俺たちと一緒に啄県へと来てから一週間。月は積極的に周囲の人間達とコミュニケーションをとっていた。その結果として愛紗たちは月の人柄を理解し、今では互いを真名で呼び合うほどになっている。
 逆に詠は馴れ合わないという意思表示なのか、決して月以外の人間を真名で呼んだりはしないのだ。

「本来なら、あんたに真名で呼ばれる事だって腹立たしいんだから!」

 ……特に俺には真名を呼ばれることすらも屈辱的、ということらしい。
 周囲の人間と明確な線引きをして、馴れ合いを避ける詠。
 その徹底ぶりには頭が下がるが、本当にそれでいいと思っているのだろうか?

「いや、その件に関してはしょうがないと思う。だが……いいのかそれで? 俺以外の人間を相手にも線引きをしなくてもいいと思うんだが。月は逆にこの場に馴染もうと頑張っているのに」
「う……そ、それは……」

 俺の問いに、詠は言葉を詰まらせた。
 その反応を見て、彼女なりのジレンマがあることを俺は察する。
 詠は聡明な少女だ。だからこそ月が努力を重ねて周囲と交わろうとしていることは理解しているし、自分の行いが彼女の行為にとって何の利点も生まない事だという事は当然分かっているはずである。
 それでも馴れ合いを避け続けるのは……俺への意地、ということなのか。
 本来なら憎むべき相手である俺の保護を受けないといけない、という現状に対する彼女なりの抵抗、ということなのか。
 だが、そうなると……俺はどうすればいいのだろうか?
 俺は一つ溜息を漏らしつつ、詠の淹れてくれたお茶を口に含む。
 ……やはりというべきか。月と違って乱雑に淹れられたお茶は、ちょっと味が落ちていた。






















 ──出来る限り表情には出さないようにはしているようだけど。
 それでも、目の前の青年──高町恭也が困っているということはボクは理解出来ていた。
 これでも人を見る目には自信がある。

 それ相応の“見抜く眼力”というモノがなければ、どんな時でも主のために最優の意見を提示する軍師は務まらないんだから。

 本来、高町の部屋で仕事中のあいつに茶を淹れる……これは月の仕事だった。
 それも、あの内気な月が“これだけは誰にも譲れない”と主張するほどの。
 だけど、それが今日に限って、

「詠ちゃん、このお仕事……今日だけで良いから変わってくれないかな?」

 なんて言ってきた時は、正直自分の耳を疑った。この仕事は月が他のどの仕事よりも優先してきたモノだから。
 月の頼み事が断れないボクは、疑問を感じつつもこの仕事を引き受け、高町の部屋へとやってきた。やってきたボクの顔を見て驚いていた高町の様子からして、これは決して高町の指示ではないと判断出来る。ということは、これは月の独断なのだと気づく。
 ……こうなると、月の考えがあっさりと透けて見えてきた。
 月はやっぱりというか……ボクと高町の仲を改善したいんだと。
 月は、洛陽で保護を受けると決めた時から高町に惹かれていってる──それは、すぐにわかった。だからこそ、ボクが高町を拒絶してるのがいやなんだと思う。
 そして高町もまた……ボクに嫌われて当然とばかりに気まずい表情を見せる──もっとも、普通に見ればこいつの表情は変化に乏しいのでわかりづらいけど。

 ──月があんな重い責任を背負うようになったのは、高町恭也のせいだ──。

 ボクが彼を嫌う原因を、高町はこうだと考えているんじゃないかと思う。
 確かに最初はそう考えていた。
 この男の存在があったからこそ、関係なかったはずの月や自分が巻き込まれて、結局は月の心に傷を残す結果となったのだと。
 だけど、今は……これまで高町の仕事ぶりや生活から人となりを見てきた今のボクは、考えを改めている。
 もし、あの白装束の一団が揃って口にしていた通り、高町恭也という人間が“世界の悪”とも言うべき人間であれば、ボクは考えを改めることもなかった。
 だけど、そうじゃない。
 この宅県に来てからの数日、高町の生活ぶりを見ていても、彼にそういった“悪しき歪み”はなかった。日々を真面目に生き、この幽州の民のため、そして仲間たちのためにと汗を流す。そこには邪な考えなんかは微塵もなかった。

 もう一度同じようなことを言うけど、そのあたりの人間性を見抜く眼力は持ち合わせているのだ。これでもボクは元々は軍師なのだから。

 それに、コイツが従えている県庁内の人間関係を見ても、歪みの無さは実感出来る。歪みを持った領主の部下たちの人間関係というのは、その領主の性格が反映されるかのように歪んでいることが多いのだ。しかし、ここにはそれがない。部下の人間達もみんなそれぞれの役割を果たそうと頑張っているのだから。
 少なくとも、この男が“世界の悪”という白装束の一団の言葉は信憑性がないことは理解出来た。それはつまり、高町もまた奴らに謂われのない理由で狙われる被害者ではないかということ。
 ならば、高町を恨むのは筋違いと言うことになるのだ。
 恨むべきは白装束の一団であり、高町を恨んではない。
 でも……ボクは高町のことが嫌いなのだ。
 何故かと言えば──





















「詠……君が俺のことを嫌う理由は察しているつもりだ。だが、だからといって俺以外の人間とも壁を作る必要はないと思うぞ? 別に俺たちは馴れ合うことで君らをがんじがらめにする気はないし、ある程度先の洛陽での事件が人々の記憶から風化されていって、二人が単独で動いても危険がないと判断すれば、俺たちの元を離れても構わないと思ってる……正直なことを言えば、去って欲しくはないんだがな」
「…………」

 詠は、自分の分のお茶を勝手に注ぎ、勝手に飲んで、眉間にしわを寄せながら、俺の話を聞いていた。

「これは推測でしかないけど、俺以外の人間で嫌いな奴なんていないんだろう?」
「……まあね」

 これには素直に応じてくれる。そしてその答えに安堵した。愛紗たちはみんな気持ちがいいくらいに真っ直ぐな人間だから、嫌われる事はないと思っていたが。
 それでも、言葉でしっかりと確認出来ると安心してしまう。

「だったら、すぐに真名で呼び合えとまでは言わないが、もうちょっと歩み寄ってはもらえないか? 特に朱里あたりとはけっこう気が合うと思うんだが?」
「……ふん」

 元々軍師であり、頭の回転が速い詠にとって、朱里のようなコは合うんじゃないかと思う。朱里自身の性格は月に近いモノもあるから、尚更だ。
 詠をこの部屋に呼び止めた時は、せめて現状──俺を完全に嫌ってる状態──から、少しでも俺への態度を改善して欲しいと口にしたが、あらためて考えるとそれは難しいと思ったのだ。詠が俺を嫌う理由は根深そうだから。それならせめて、俺以外の人間と詠の関係をよりよくしようと思ったのだ。
 そして、今の態度からしても、俺の提案は前向きに考えてくれそうである。そんな感触を得たと思ったのだが、

「……まあ、それくらいはいいんだけど。ちょっと引っかかるのよね」
「引っかかる?」
「あんた、さっき“ボクがあんたを嫌ってる理由は察してる”って言ってたわよね?」
「あ、ああ……」

 それ以外で何か気に入らないことがあったのか、詠はこちらを半眼で睨みつけてきた。

「その察してる理由って、月を不幸にした張本人があんただから、とかじゃないでしょうね?」
「え……?」

 そして、今の詠の言葉に、俺は目を丸くした。
 いや、まさにその通りなんだが……しかし、今の口振りからすれば、それは……?

「……やっぱりね。よくもまあ、それで“察してる”なんて言えたものね」
「……ち、違うのか?」

 呆れて肩をすくめる詠を見て、俺は本気で狼狽えてしまう。
 詠は詠で、そんな俺を観察するような視線を向けて、不敵な笑みを作っていた。

「やれやれねー。あんたからしてみれば、ボクがあんたを嫌う理由は他にはないと? 随分と自信家なんじゃない?」
「あ、いや……そんなことは。むしろ俺は欠点だらけの人間だと思ってる……って、今はそうじゃない! ホントに違う理由なのか……?」
「くどいわ。言っておくけどね、ボクはあんたには感謝すらしてんのよ、月のことに関しては。洛陽で死ぬ覚悟すら抱いていた月に生きる目的を与えてくれたことにも。そして今の生活をあのコに与えてくれたことにも」
「は……?」

 ……感謝? 詠が? 俺に?
 信じられない言葉の羅列に呆然としている俺。そしてそんな俺の間抜け面を見た詠は、それが余程面白かったのか、くすっと小さな笑みをこぼした。
 それは、奇しくも俺が初めて見た──相手を挑発するような不敵な笑みなどではない──自然な笑顔だった。それを見た瞬間、俺は初めて気づく。
 ……詠もこうして笑うと美人なんだな。
 思わず凝視してしまった俺の視線に気づいてか、詠はすぐにその笑顔を引っ込めてしまう。
 そしていつも俺に見せている仏頂面へと戻してしまった。

「ともかく、あんたを嫌う理由はそれじゃない。それだけは憶えておく事ね」

 そして、話はこれで充分でしょ、とばかりに詠は立ち上がった。再びお盆の上に茶道具を載せて、この部屋から退出しようとする詠を俺は引き留める。

「ちょっ、待ってくれ詠! 俺が勘違いしていたのは分かった。だが……それじゃ、本当の理由を教えてくれないか? 俺自身、その理由が修正出来るのなら修正してみせるから」

 彼女との関係改善は半ば無理と考えていただけに、今の話を聞いて希望がでてきた。もし、改善可能ならばやはり彼女とだって仲良くありたいと思うのだから、せめて嫌われている理由はハッキリ聞いておきたかったのである。
 しかし、詠は俺の言葉に振り返ると、小さく舌を出して拒絶した。

「おあいにく様ね。ボクがあんたを嫌う理由は修正なんて出来ない……ううん、させないわよ」
「ど、どうしてだ?」
「んなことしたら、月が悲しむからよ」
「……は?」

 意味が分からない。
 どうして俺の悪いところを直すと月が悲しむのか?
 そんなタチの悪い謎掛けに頭を悩ませている俺を放って、詠は部屋を出ようとした。が、部屋から出て、扉を閉める前に、詠は一つだけ教えてくれた。

「あ、そうそう。ボクがあんたを嫌う理由はいくつかあってね。一つは改善出来るかも知れないわよ」
「そ、そうなのか?」
「ええ……この、風変わりでヒラヒラした服をなんとかしたら、少しは譲歩するわよっ」

 顔を羞恥で赤くしながら言いのける詠。
 その、彼女曰く風変わりでヒラヒラした服は、実は月も一緒に着ていて、二人並んでいるとお揃いで微笑ましいと思うのだが、どうにも詠はその服装が恥ずかしいらしい。
 ──その、俺たちの世界で言う、メイド服、という服装は。








 実は月と詠をつれて啄県に戻り、二人を侍女としてかくまうことになった時、ちょっとした問題が起きた。それは、彼女たちの服装である。
 月が身につけていた服は、王侯貴族が着用するような華美なモノで、詠もまた軍師としての正装とも言うべきキッチリした服装に身を包んでいた。そして二人は白装束の一団から逃げる際に、着替えなどは当然持ち出せなかったのである。
 しかしそんな服装で侍女をやっていれば、かえって目立ってしまうし、二人の正体がばれてしまうかもしれない。この県庁には、色々な人間が出入りするのだから。
 かといって、うちの県庁内では他にも侍女はいるが、彼女らに仕事用の制服などはない。うちで働いてる侍女達はいずれも街に住む女性で、彼女たちは普通の衣服で県庁に通い、その服装のままで侍女としての仕事をこなしていたのだ。とはいえ、月と詠にも同じようにそのままの姿でやらせるワケにはいかない。ということで俺たちが思いついたのは二人のためだけの仕事用制服を作ろうと言うこと。
 で、実際にその服を着るのは月と詠なので、二人にどんなのが良いのか希望を聞いたのだが、

「……えっと、ちょっと可愛いのがいいかもしれません」
「ボクはどうだっていいわよ。そんなの」

 参考になるようなならないような微妙なコメントがかえってくるばかり。
 しかもこの一件に関しては、愛紗たちも別件で忙しかったりしたので、最終的な制服のデザインは俺に一任されてしまったのだ。
 ……正直なことを言えば、女性の服飾に関しては、絶対に才能はないと断言出来るのだが。
 それでも任されてしまった以上はなんとかしなければいけない。
 仕事の合間にずっと悩み考えている俺。
 侍女の制服……侍女、というとお手伝いさんみたいなモノだよな? とは言っても、特に金持ちでもない自分の家に当然お手伝いさんなどはいなかったし、参考になるようなモノは──と、そこで俺はある人物のことを思い出した。
 それは、俺の同級生で大きな屋敷に住んでる月村……の家で働く長身の女性の姿。
 俺の知り合いの中で、侍女らしい仕事をしているのは、まさに彼女──ノエルではないだろうか。
 彼女のことを思い出したら、あとはもう簡単だった。
 俺は街の──俺の普段着などを作ってくれている──服屋にノエルが仕事用に着ていた制服のイメージを伝え、二人のオリジナルの制服を作ってもらったのだ。
 ……まあ、俺が伝えたイメージよりかは随分とヒラヒラとしていたが。
 それでも、出来上がった制服を二人が実際に着た時は、

「わぁ……可愛い」
「…………っ」

 似合っているので、問題はないと思っていたのだが……。









「……もしかして気に入らなかったのか? だったら出来た時に言ってくれれば……」
「横で月が喜んでるのを見たら、言い出せなかったのよっ!」
「なるほど……で、何が気に入らないんだ?」
「見ればわかるでしょ! こんなヒラヒラ……月みたいな可愛いコなら似合うけど、ボクじゃ似合わないもの!」

 なんともネガティブな主張だな。
 俺はそんなに似合ってないモノかと、あらためて詠のメイド服姿を観察する。
 黒のワンピースに純白のエプロンドレス。そして頭につけたヘッドドレスも……

「……普通に似合ってると思うぞ?」

 ぼんっっ!

 俺としては素直な感想を告げただけなのだが、何故か詠は一瞬にして顔を真っ赤に上気させると、その真っ赤な顔のままでこっちを睨みつけ、

「っっっっ! ば、ばっっっっっっっっっっかじゃないのっ! あんたの目は腐ってるわ!」

 大声で悪態をついて、乱暴に扉を閉めて去っていってしまった。
 ……俺としては素直な意見を口にして、それが結果として褒め言葉になっていたと思っていたんだがな……。

「……結局、俺はまだまだ詠に嫌われたままと言うことか……」

 詠との関係改善はまったくもって進展せず、この時間も無駄に終わってしまった。
 ……せっかくこの機会を作ってくれた月に申し訳ないと心の中で謝罪しつつ、俺は再び政務に戻るのだった。






















「まったく……思った以上にバカね。あいつは……っ」

 あんな真面目な顔で、面と向かって似合ってる、なんて……今思い出しただけでも顔が熱く……じゃなくてっ! 腹が立つ……そう、腹が立つのよ!
 お盆とお茶道具を片づけたボクは、今の時間帯はあまり人が居ない中庭にやってきて、自分の熱した頭を冷ましていた。
 あーゆー……女相手に無防備な優しさを向けてくるあたりも嫌いな理由の一つだ。
 あの、高町恭也って男は、どうも自分の容姿を正しく認識していないフシがある。それがまた苛つくのだけれど。
 そもそも、ボクにこの服が似合うって……。
 アイツが用意したこの侍女用の制服──と言っても着用してるのは月とボクだけなんだけど──は、どう考えても月のことを考えて作られたモノだ。実際、月はもの凄く似合ってる。けど、ボクは月ほど可愛くもないし……こんなの、絶対に似合わないと思ってた。
 だけど……

『……普通に似合ってると思うぞ』

 ボクはさっきのあいつの言葉を思い出し、あらためて自分の服装を見直してみる。
 ……本当に似合ってるのかな?
 そしてこの場でスカートを翻すように──

「……詠ちゃん?」
「へ……ええっ!? 月っ!?」

 ──くるりと一回転したところで声を掛けられ慌てて振り向くと、そこには同じ服装に身を包んだ大親友の姿が。
 そこでボクは、今になって自分がやっていた行動を客観的な視線から思い出し、恥ずかしくなってしまう。何気なくやっていた自分の行動が、思い切りガラでもないことだったから。
 ……これじゃまるで、アイツに褒められて浮かれてるみたいじゃないのっ!

「詠ちゃん? どうかしたの? お顔が真っ赤だよ?」
「え……あ……」

 しかし、月は当然の事ながらボクとあいつのやりとりなんて知らないから、あたふたしてるボクを見ても、なんで慌ててるのかが分からずに首を傾げるばかりだ。
 ボクは、こほん、と自分を落ち着けるために咳払いをしてから居住まいを正す。

「な、なんでもないのよ、月。そ、それより月もここに来たって事は休憩?」
「うん……他のひとたちと一緒にお掃除してきたの。詠ちゃんの方は?」
「……一応はやったわよ。月の仕事の代理」

 ボクの返答に、それまでにこやかだった月の表情が引き締まった。
 ……普段のぽやんとした月も可愛いけど、真剣な表情の月もいいわね……。
 そんなことを頭の片隅で考えていたボクに、

「じゃあ……御主人様と仲直りできた?」

 月はそんな質問をぶつけてきた。
 ああ、やっぱりね。

「……予想通りというか。月はそのために今回だけボクにあの仕事をやらせたのね?」
「う、うん……だって、御主人様と詠ちゃんには仲良くなって欲しかったから……」

 まあ、これに関してはボクも──そしてきっと高町も──すぐに気づいたことだ。

「で、詠ちゃんは御主人様と仲直りしたの?」
「……あのね、月? 仲直りって言葉は、元々仲がいい二人が険悪になったのを修復することを言うのよ。ボクは元々あいつが嫌いなんだから、仲直りなんて出来るはずないじゃないの」
「そんな……」

 ボクのにべもない言葉を聞いて、悲しそうにうつむいてしまう月。
 ああ……もう、そんな顔をしないで欲しい。月を悲しませることはしたくないんだから。

「月ぇ……そんな悲しい顔をしないでよぉ。そもそも月が気にしなくても良いことじゃないの。あいつとボクのことなんて」
「そんなことないよ? 私は、詠ちゃんが大好きだから。自慢のお友達だから、御主人様にもっと詠ちゃんの事を知って欲しいし、詠ちゃんも御主人様と仲良くして欲しいって思うの」
「月……」

 月にそう言われるのは本当に嬉しい。
 嬉しいんだけど……実はちょっと複雑。
 月は言葉にこそ出さないけど、実際はこう言いたいんだと思う。
 大好きなボクと、同じく大好きな高町が仲良くしてくれたら嬉しいのだ、と。
 だけど、それはあくまで月の価値観の話。
 月はボクも高町も好きだから仲良くして欲しい。でも、それはボクが彼を好ましく思ってないと成立しないのだ。
 だけど、

「残念だけど、それは無理ね。さっきも言ったけど……ボク、あいつのこと嫌いだもの」
「詠ちゃん……どうしてそんな嘘を付くの?」
「は……?」

 月は全く迷いのない言い方で、ボクの言葉を否定する。そのあまりの断定っぷりにボクは呆気にとられてしまった。ボクはこれっぽっちも嘘なんて……

「私はね、詠ちゃんみたいに頭は良くないけど……でも、詠ちゃんのことは誰よりもわかってるつもりだよ? だから、私には分かるの……詠ちゃんは御主人様を嫌ってなんかいない。ううん、むしろ嫌いじゃないのに嫌おうとしているんだって」
「そ、そんなこと……」
「ないの? 本当に?」
「う……」

 月がじっとボクの目を見つめる。
 その真っ直ぐな瞳を前にすると、ボクの本心以外を語ることが全て重罪に思えてしまうくらいに、真っ直ぐな瞳。
 そんな瞳を向けられてしまったら、

「……そ、そんなことないっ」
「詠ちゃん……」

 目を逸らすしかないじゃないの。
 ……こんなの、それこそ誰が見たって嘘を付いてるってわかるのに。
 それでもボクは、今の月の言葉を認めるわけにはいかないんだ。






 ……ボクはアイツを嫌っている。
 嫌いな理由だってある。
 だけどそれは……決して直して欲しいとは思わない。
 ボクがアイツを嫌う理由。

 ──それは、ボクよりもずっと月を自然の笑顔にすることが上手いから。
 ──それは、月以外の女の子にも優しくしてしまうから。
 ──そして、そんなアイツに月が惚れているから。

 だからボクはアイツを嫌う。
 月の中で、一番だったのはボクなのに、その座を奪ったから。
 月を幸せにするのはボクの使命だったのに、それすらも奪ったから。
 そして……それでも、月の幸せを願うボクは、二人が結ばれて欲しいと思うから。
 だから……ボクは高町恭也を嫌わないといけない。









 そうじゃないと──いつか、応援出来なくなってしまいそうだから。






あとがき

 いちばん苦労したのはメイド服を着せること(ぇ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 董卓編が終わり、次のお話までの繋ぎとなる日常のお話を……ということで、今回は啄県に戻ってきて間もない頃のエピソードを書かせてもらいました。
 まあ、読んだ人には分かってもらえてると思いますが、今回のメインは詠です。ええ、僕の趣味ですとも(爆
 可愛らしい月ももちろん大好きなんですけど、詠も大好きなんですよね〜。というわけで、気づけば詠がメインのお話となってしまいました。
 さて、こういった戦乱の合間の日常的なエピソードはこれからもたびたび加えていくと思いますので、のんびりとした話も楽しんでもらえたら嬉しい限りです。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



メイド服を何とかするなんてまかりならん!
美姫 「って、初っ端からとち狂うな!」
ぶべらっ!
美姫 「今回は恭也と詠との対話ね」
結構、大事な所ですよ。
このまま不仲では流石に居心地も悪いしな。
月の作戦はとりあえずは成功……なのかな。
美姫 「まあ、何も話さないままよりは良いんじゃないかしら」
だよな。後はゆっくりと時間を掛けてかな。
こういった日常的なお話も大好きです!
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています。



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