──極限までに研ぎ澄まされた集中力によって、俺は“時”を引き延ばす!
目に入るモノ全てがモノクロームに染まり、自分の周囲の空気に質量すら感じる不可思議な意識領域へと俺は足を踏み入れる。
──御神流奥義之歩法……『神速』
自らの五感全てで普段感じている“感覚時間”を引き延ばす極限領域。
生命の危機に直面した際に見せる奇跡──火事場の馬鹿力。それは、人間の心理的限界というリミッターが外れ、本来使う事が出来ないはずの肉体のポテンシャルを全て引き出すという、極限にまで追い込まれた人間の無意識の奥の手。
だが、この『神速』はその奥の手を極限にまで高めた集中力によって“意識的に”引き出すという、御神流に伝わる奥義。
俺は幾分速さを緩く見えるようになった呂布の突きを、身体をひねる事でかわし、そのまま立ち上がってダッシュする。俺の動きに“気づけない”呂布の横をすり抜け、あっさりと彼女の背後を取った。
そこで、一度目の『神速』の領域が終わり、モノクロームの世界に色彩が戻り始める。だが、
「まだだ!」
「っ!?」
ここで俺は立て続けに『神速』の領域に飛び込んだ。
瞬間、
「ぐ……っ!」
蹴りを受けた脇腹と、右膝にズキリと痛みが走る。
人間の限界を超える動きに、折れたあばらと古傷の右膝が軋みを上げたのだ。
しかし今はそれを無視して、モノクロームの世界で次の動きに移る。俺は納刀していた小太刀の柄に手を掛けつつ、呂布に迫る。
呂布は仕掛けた突きが空振りし、“目にも映らぬ速さ”で動いているこちらの姿を見失っているはずなのだが、それでも彼女の動物的なカンが俺の位置を感じ取ったのか、すぐさま振り返る。
だが、彼女に出来たのはここまで。
二度目の神速の動きに彼女は絶対についてこれない。
俺はモノクロームの世界の中で二刀の小太刀を抜刀し、彼女の懐で最後の奥義を放った!
御神流奥義……『薙旋』っ!
──二刀の小太刀による抜刀からの四連撃が全て、呂布に直撃した。
『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
第二十五章
瞬間。
虎牢関から音が消えた。
誰の目から見ても、恭也の不利は明らかだったはず。
しかし、今の二人の姿はその状況からは真逆。
小太刀を握った両の腕はだらりと力無く下がり、痛みに顔をしかめているモノのなんとかその場に立っている恭也と。
あの関羽と張飛ですら打倒出来なかった最強の豪傑が……地面に仰向けに倒れているという事実。
しかしこの静寂の理由はそれだけではない。絶体絶命だった恭也がいかにして呂布の攻撃をかわし、反撃したのか──その動きをこの場にいるほとんどの人間が“視認する事ができなかった”ということ。
だが、全ての人間が見えなかったわけではない。
極端な例だが、例えば外を歩いていた時、遠くの空に飛行機が飛んでいくのを見た事があるだろうか? 飛行機の速度は旅客機ですら余裕で新幹線の最高速を超える速さで空を飛んでいる。しかしそれを地上から見た時、随分とゆっくりと飛んでいるように見える。勿論ゆっくりに見えるというのは錯覚なのだが。つまり、遠く離れた位置から速く動くモノを見た時は、近くにいる人間よりも比較的見えやすくなると言う事である。
とはいえ、それでも大半の人間は恭也の動きを見失っていた。
だが、離れた場所から見ていた、常人をはるかに超える動体視力を持った人間に限っては、かろうじて彼の動きを追えたのだ。
それが──
「……ウソやろ? あんなん……ヒトの動きとちゃうで……」
かろうじて恭也の動きを目で追えた張遼は呆然とした表情で呟き。
「あの動きを目の前でされて、それでも反応した呂布も凄いけど……でも……」
恭也の戦い方を嫌っていたフシがあった許緒ですら、呆気にとられ。
「あれが……高町の、真の実力だとでも言うのか?」
夏侯淵は恭也の尋常ではない動きに戦慄を覚え。
「どうすれば……どうすれば、あんな戦い方が出来るんだ……?」
夏侯惇は恭也の戦いぶりに、憧れに近いモノを抱き始めていた。
そして曹操もまた彼の動きをかろうじて目で追うことが出来ていて、
「……どこまで私の予測を上回るのかしら……あなたは……」
彼女は嬉しそうな笑みを浮かべていたのだった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ……」
俺は荒くなった呼吸を整える余裕もないまま、脇腹と膝の痛みに顔をしかめていた。
今使った『神速』は人間の可動限界を超える速さをもたらす代償として、肉体への過剰な負担を課すというシロモノ。つまり、数本は骨折している左のあばらと右膝の古傷は今、その尋常じゃない負担を受けて、耐えきれないとばかりに悲鳴を上げているようなモノなのだ。
常に激痛を発する脇腹と膝。そして立て続けに使った『神速』による極度の疲労が、俺の身体の限界を訴える。正直、先ほどの呂布の蹴りが想定外だったために無理をして『神速』を連続使用したのは誤算だった。確かにこの戦いの中で『神速』を切り札として使うプランではあったが、それだって一度きりの予定だったのだから。
……これも、自分の油断のツケか。
俺は激痛の中で、自嘲的な苦笑を浮かべた。
その時──
「う……うぅ……っ」
まるで手負いの獣のような、力のない唸り声が聞こえてくる。
それは紛れもなく、
「……ようやくお目覚めか。呂布」
「…………っ!」
ほんのわずかな時間ではあるが、確実に意識を失っていたであろう呂布のモノだった。
薙旋の全ての直撃を受けて吹っ飛ばされてもなお、自らの得物──方天画戟を手放さないという戦闘意欲は頭が下がる。
呂布はその戟を杖代わりにおぼつかない脚で立ち上がった。
そして、再び殺気を孕んだ眼差しで俺を睨みつける。そんな彼女の瞳には純然たる怒りが見て取れた。
何故彼女がそこまで怒りを感じているのか?
その答えは単純だ。
「……“弱い俺”に手加減をされた事が悔しいのか?」
「……っ」
「絶好の好機なのに、あえて刃を返して攻撃した事を許せないのか」
「……許さない」
先ほどの薙旋で、俺は呂布をあえて“斬らなかった”のだ。
もちろんそこにはいくつかの理由があるが、俺は最初から彼女を殺そうとは思ってはいない。
そのうちの一つが──呂布の怒りを買い、俺に意識を集中させる事。
なんでそんな事をさせる必要があるのかと言えば、
「悪いが……これから、更に君の怒りを買うことをさせてもらう」
「……?」
俺がこうして呂布とやり合った本当の理由は──
「今だっ!」
視界の端でようやく準備が出来たことを知った俺は、かけ声を上げた。それ同時に、呂布の後方から黒い塊が投じられた。その黒い塊は彼女の頭上で突然広がり、彼女目がけて降ってくる。
「っ!?」
愛紗達との戦いと連戦で臨んだ俺との戦いによって蓄積された疲労とダメージ。そしてなにより怒りで俺に意識を集中させすぎたことで、その突然の出来事に呂布は全く反応出来なかった。結果呂布は為す術もなくその黒い塊──罠用の大きな網に絡み取られ、身動きが取れなくなる。その網を投じて、そのまま呂布の動きを封じたのは勿論、
「御主人様っ! ご無事ですかっ!」
愛紗たちである。
これこそが、呂布を押さえ込むための朱里の策だった。
罠用として軍の荷物の中にあった網を使い、呂布の動きを封じて捕らえる──だが、そのためには網がすぐに破られないように補強する必要があったし、その補強が終わった後に、今度は呂布の死角まで網を運び、恭也が相手の意識を引き付けているうちに不意をを付いて、確実に敵の頭上に向かって放り込み、更に力ずくで網を引っ張って呂布を押さえ込まなければならない。
網の補強はともかく、その後の役目は実は愛紗と鈴々にしか出来なかったのだ。他の兵士たちであれば呂布の殺気にあてられて、狙い通りに網を投じたり、絡まった呂布の怪力による抵抗を抑えきれなかったりして失敗する可能性が高かったのである。
しかしあの二人なら呂布の殺気にだって立ち向かえるし、二人で力を合わせれば、呂布の怪力だって押さえ込める。その目論見は的中した。
愛紗と鈴々はその持ち前のパワーで、網に絡め取られた呂布を押さえ込み、彼女の身動きを完全に封じた。
これで策は完成だ。
しかし、
「……卑怯者!」
どんなに暴れても網は絡まり破れもせず、身動きの取れなくなった事を自覚した呂布は、俺や自分を抑える愛紗たちを睨め付けて悔しそうに罵る。
「っ!?」
その言葉は、武人としての己を誇りに思っている愛紗の心に突き刺さった。
無理もない……呂布からしてみれば、この仕打ちはあまりに酷いと言えるだろう。
だが、その言葉はこの策を了承した俺が浴びるべきだ。
「……その汚名は俺が全て引き受ける」
「……御主人様……」
「……む?」
「愛紗たちにこうするように仕向けたのも俺だし、俺は最初からこのような形で決着をつけようとして戦っていたんだ。だから、卑怯者は俺一人だ」
「…………」
俺の言葉を素直に聞き入れてくれたのか、呂布の怨嗟の視線が俺に集中した。
「そして、もう一つだけ。君は負けてはいない」
「……え?」
俺はゆっくりと、網に絡まり愛紗と鈴々によって身柄を抑えられた呂布に歩み寄って慰めにもならない言葉を掛ける。
だが、それは事実だ。今回はこうして一騎討ちをする前に、呂布は愛紗と鈴々という二人の猛将と延々と戦ってスタミナを消費していたし、その戦いを見ていたことで俺は彼女の動きを早く見切ることが出来たのだから。状況からして正々堂々出はなかったのだ。
「君は間違いなく強かったし、俺はまだまだ単独では君には勝てない。それは事実だから」
「…………?」
「今は、とりあえず眠っていてくれ。悪いようにはしないから」
俺は幼い子供に言い聞かせるように声のトーンを落として話しかけつつ、網の中の彼女の首筋に軽く手刀を入れ、呂布の意識を刈り取った。
それまで頑強な抵抗を続けていた呂布が気絶した事を確認して、愛紗たちもその拘束を解く。そしてあらためて他の兵士たちに愛紗が命令し、呂布の手足を縛り上げて自由を奪った上で俺たちの本陣へと運ばせた。兵士たちもさすがに呂布が気絶していれば多少は怖くなくなるのか、ぎこちなくはあったモノの、命令に従う。もっとも、呂布が目を覚ますのが怖いらしく、運び方は随分と慎重だったが。
こうして……ようやく、虎牢関の制圧は完了した。
すでに取りでも制圧は魏軍と俺たちの軍で終わらせていたし、虎牢関の外も殲滅は完了。そして最後の最後まで抵抗していた呂布も、こうして捕縛された。
……やっと、一息つけるな。
そう思った瞬間、
「な……ん……?」
気が抜けたのと同時に膝下の力が一気に抜けて、俺はその場に倒れ──
「御主人様っ!?」
──なかった。
がくっと崩れ落ちそうになったところを素早く駆けつけてくれた愛紗が支えてくれたのである。
「だ、大丈夫ですか御主人様っ!?」
いつもは凛々しい愛紗らしくもない、今にも泣いてしまいそうな顔を見て俺は微苦笑を浮かべた。
「大袈裟な……ちょっと疲れただけだから」
「そんな……強がりを言わないでください……っ」
「ホントだぞ? その証拠に……」
俺はあまりに心配そうな顔をする愛紗に、自分の健在さをアピールしようと再び脚に力を込めて自力で立とうとしたが、
「──っ!」
踏ん張った瞬間に右膝と左の脇腹から激痛が走り、身を強張らせてしまう。それが、俺の肩を支えてくれていた愛紗にもすぐに感じ取られてしまい、
「やっぱり! もう戦いは終わったのですから、隠さなくてもいいんですっ! 鈴々も手を貸してくれ! 今はとにかく御主人様を本陣までお連れするぞ!」
「あいあいさーなのだ!」
本気で叱られた末、今度は両脇を愛紗と鈴々に支えられる形で本陣まで連れて行かれるという情けない姿を晒してしまうのだった。
しかも途中で合流した朱里には、
「……よかったですぅ〜……御主人様が、生きてて…………ぐしゅっ」
もの凄く泣かれてしまい、気まずい思いもしながら。
風評を得るための虎牢関突入だったが……俺がこんな情けない姿を晒しては、逆効果になってしまったのではないだろうか?
俺は愛紗と鈴々に支えられ朱里に付き添われながら、疲労で朦朧とした意識の中そんな事を考えていたのだった。
その後、完全に制圧された虎牢関に連合軍が次々と入場し、その日は城塞内部で休息を取った。
そして翌日、連合軍は再び帝都洛陽へと軍を進める。
虎牢関を突破した連合軍の前に、新たな敵軍は現れる事もなく、もう途中に敵の砦もないということで、比較的スムーズに進軍は続いた。
とはいえ、虎牢関を落としてから間もない中での進軍は兵も疲れるだろうという配慮からか、虎牢関出発から二日たったところで、一旦足を止め、それぞれ陣を張って大休止を取る事となった。
「……あの、もう大丈夫だから。な、朱里?」
「………………」
「常に傍にいる必要は無いんだぞ? 朱里にだって軍師としての仕事が……」
おどおどと遠慮がちに進言する俺に対し、朱里はいつもは決して見せないキツイ視線をこちらに向けてくる。
「今、大丈夫、と仰いましたか。御主人様?」
「いや、その……」
「私の耳がおかしくなってないのなら、今、大丈夫と言いましたよね?」
「……はい」
「肋骨が三本折れている状態の人間は普通、大丈夫とは言えないと思うんですけど?」
「あ、いや……」
「それに、膝の古傷なんて……初めて聞きました。それだってまだ痛いはずですよね?」
「………………」
「……良く分かりました。ことご自分の身体に関しては、御主人様が信用出来ないと言う事が。よって、御主人様のお言葉とはいえ、それは聞けませんからっ」
……虎牢関制圧後。
軍の中での俺の立場は、随分と変わってしまっていた。
というか、愛紗、鈴々、朱里の三人のうち誰かが必ず俺の傍に付き添っているという暗黙のルールが出来上がっていたのである。
「御主人様は怪我人ですが、その自覚がなさ過ぎますから。片時も油断なりません」
とは愛紗の弁。
呂布と一対一で戦う時に、かなり強引に三人を説得した事で完全に信頼を失ってしまったようだ。
……まあ自業自得と言えば自業自得なのだが。
そんなわけで今は愛紗と鈴々が兵士たちの様子を見に行ってると言う事で朱里が俺の隣にしっかりとついているというワケだ。
「……なあ、朱里?」
「……なんでしょうか?」
「いや、しばらくは一人で動こうとはしないから。そうじゃなくて、真面目な話だ」
「……さっきだって充分に真面目でしたけど?」
「悪かった。そうじゃなくて、これから向かう先──洛陽についてだ」
そこでようやく拗ねているような朱里の顔が、軍師の顔へと戻った。
「洛陽を守る軍がどれほどのモノなのか……まだ情報は掴めてないんだよな?」
「はい……物見は数人放っているのですが……」
「帰ってこない、か」
朱里の言葉を継いで答えたのは、いつの間にか軍の様子を見終わって戻ってきた愛紗だった。隣には鈴々もいる。
「……愛紗。鈴々も、お疲れ」
「ただいま戻りました」
「お兄ちゃん、ちゃんと大人しくしてた?」
「はいっ、ばっちりですよ鈴々ちゃん」
そんなやりとりに苦笑するしかない俺。だが、すぐに表情を引き締めて話を戻した。
「やはり……捕まったと見るべきなんだろうな」
「そう見るのが妥当でしょう。それに、先の軍議でも情報が入ってなかったのを見る限り、曹操や孫権ら諸侯たちも有力な情報は掴んでいないようですし」
ちなみに。
虎牢関制圧後に再び軍議が一度開かれたのだが、その時も愛紗が俺に付き従って軍議に参加していたのは余談である。本来は代表者のみの会議なのだが、「我が主君は現在手傷を負っている。ゆえの同行ですのでお許し願いたい」と言い張って強引に参加したのである。その時の曹操の怒気をはらんだ眼差しと孫権の冷たい視線はきつかったな……軽率な行動をした大将って見られたのだろう……ふぅ。
それはさておき。
「しかし……相手の事を知らないまま、戦闘というのはさすがに厳しいだろう。敵を知り己を知れば百戦危うからず、という言葉もあるくらいだし」
「その通りなんです……帝都にはどんな将が残っているのかもわかりませんし、兵力もさっぱりで。このままでは敵の奸計にも陥りやすくなってしまいますし」
朱里の心配ももっともで、愛紗もまたどうしていいのかと頭を悩ませていた。
かといって連合軍はこの大休止が終われば、あとは真っ直ぐ洛陽へと進むだけ。総大将である袁紹が情報がないってだけで足踏みするような性格ではないだけに、先の事を考えるだけで憂鬱な気分となるのだ。
そんな中、
「うーん……」
こういった話し合いの場ではあまり考え込む事もなく座ってる事が多い鈴々が、珍しく考え込み、何か言いたそうにしているのを見つける。
「どうした鈴々? もしかして何か考えが?」
俺の問いかけに、鈴々は自信こそなさそうではあるものの頷いて見せて、はっきりと自分の思いついた考えを告げた。
「あのさ……呂布なら何か知ってるかも、って思ったのだ」
「あ…………そう言えばそうだな。あの者も董卓麾下の将軍なのだから、何か知ってるかもしれん」
盲点だったとばかりに愛紗は遅れて鈴々のアイデアに頷いた。
確かに……呂布は仮にも虎牢関の司令官だった少女である。彼女なら洛陽の戦力もある程度は知っている可能性はあるかもしれない。
「なるほどな……朱里。現在の呂布の様子はどうなっている?」
捕虜の監視をしている兵士たちの指揮しているのは朱里である。
「意外なんですけど……大人しくしてくれてます。こちらが出したご飯をお代わりもするくらいですし。それで……どうしましょう? お連れしましょうか?」
朱里の顔には、それでも一抹の不安はあります、とありありと出ている。
まあ、そう思うのも無理はないんだが。
なにしろ愛紗と鈴々の二人がかりでも勝てなかった相手だ。俺もなんだかんだで肋骨を折られてるし。とはいえ、洛陽の情報が得られない今、頼れるのは呂布くらいだ。
「じゃあ、こっちに連れてき──」
「ま、待ってくださいっ!」
朱里に、呂布を連れてくるように言おうとした俺の言葉を遮るようにして止めたのは、愛紗である。
「御主人様、もう少し慎重に考えてください! 相手はあの呂布です! 今は大人しくしているから良いとしても、奴が再び暴れ出す事があれば……っ」
このあたりは、さすがに直接戦った愛紗としては黙ってはいられなかったようだ。
しかし、
「その時は鈴々と愛紗で止めれば良いのだ」
もう一人の呂布との戦闘経験者は楽観視している。
そして、その意見には俺も賛成だった。
「鈴々の言う通りだ。いくらここで呂布が暴れたとしても、彼女の手には得物はないし。それに愛紗と鈴々が万全の態勢でいてくれれば、素手の呂布が相手なら負けたりしないだろう?」
「そ、それは……そうですが」
「なら問題はない。俺は今、さすがに強い相手と戦う事には支障を来すし危険かもしれないが、二人を信頼しているからな」
俺の言葉に、まかせろなのだーと胸を張る鈴々。
そして、
「う……そんな言い方は卑怯ですよ……御主人様。そう言われたら、反対なんて出来ません」
「まあ、そう言わないでくれ。こっちは少しも嘘を付いてないんだし」
「だからタチが悪いのですよ……」
愛紗は信頼を受ける事で照れているのか顔を赤くして、拗ねる口調ながらも俺の提案に頷いてくれた。
それを確認した上で、俺は朱里に呂布をこの場に連れてくるように頼んだ。
朱里は少し表情を硬くしながらも頷き、十人近い兵士たちを連れて呂布を監禁している天幕へと向かう。
その間──
「……御主人様、先に言っておきますが」
「うん?」
「もし本当に呂布が暴れるような事があっても、手出しはしないようにしてくださいね?」
「……もちろんだ。俺だって怪我をしている身だからな。無茶はしない」
「……もし、呂布が朱里を狙ったとしても、それでも動きませんね?」
「う……」
「やはり……動く気でしたね」
「いや、その場合はしょうがないだろう? 朱里の場合はどうあっても守ってやらないと……」
「それでも我らが守ります! いいですかっ! 現在は朱里も御主人様も、扱いは一緒なのですよ! どちらも“守られる対象”であると認識してくださいっ」
「……わかった。肝に銘じておく」
「鈴々。もし御主人様が妙な動きを見せたら蛇矛の柄で小突いてでも止めるようにな」
「あいあいさーなのだ」
「……はぁ」
──こんなやりとりをしつつ、俺たちは呂布を待つ。
そして、
「ただいま戻りました〜」
朱里がこちらへと戻ってきた。
彼女の後ろには、数人の兵士たちと、その兵士たちに囲まれ、身動きが出来ないようにと両手を縛られたままの呂布がいた。朱里はすぐに俺の隣へと戻り、兵士たちに命じて呂布をその場に座らせる。そして兵士たちはその包囲を解いた。とはいえ、いつ呂布が暴れ出してもすぐに止められるようにと、少し離れた場所で警戒したままだが。
「…………」
「…………」
俺は二日ぶりに呂布と対面した。
あの時のやりとりから、てっきり嫌われたのかと思ったが、こうして彼女の目を見ている限り、こちらに悪意を持っている感じはしない。
……これなら大丈夫か。
俺は先日呂布と戦ったことで、彼女の事について少し理解出来た気がしていた。
彼女は戦場で多くの兵士を倒していたが、それは恨みだったり誰かを陥れようとする邪心みたいなモノから出たのではない。ただ戦いであったから向かってくる相手を殺したのだ。
そう……彼女は終始子供のようだった。
子供だからこそ、自分の得意分野──戦闘──においてはムキにもなる。だが、恨み辛みでの殺しはしないし、まして人を殺める事に快楽を感じているわけでもない。
そしてこの場は戦いではないとわかっているからこそ、今の彼女からは危険を感じなかった。
だから俺は、
「まず、話をする前に……誰か、彼女の縄を解いてくれ」
とりあえず話を聞く前に、周囲の兵士に彼女を拘束している縄を解く事を頼む。だが、
「っ!? ご、御主人様っ!?」
「はわわわっ! な、何を言ってるんですかーっ」
……まあ、当然と言うべきか。
愛紗と朱里が驚きの声を上げたのだ。いくら得物がないとはいえ、こちらを散々苦しめた最強の武人の拘束を解くというのだから。
しかし、
「別に平気なのだ。呂布は暴れたりしないのだ」
鈴々だけは話がわかるようで、あっさりと俺の言葉に同意してくれた。
愛紗や朱里は、呂布の強さのインパクトが強すぎて心配が先に立ってしまうようだが、鈴々は素直に今の呂布の姿を見て、理解したらしい。
……まあ、鈴々も子供っぽいからな。共感した部分もあるんだろう。
「む……お兄ちゃん? 今なんか変な事考えてなかったかー?」
「いや……なにも?」
「……ならいいけど」
鈴々のジト目を真顔でウソをつき通して回避。さすがと言うべきか……鋭いな。
その後も愛紗達の猛反対もあったが、それでも俺は自分の意見を貫き、縄をほどかせた。
再三の注意をはね除けた俺に、愛紗と朱里の刺さるような視線が向けられる。
……俺としては“尋問”という形ではなく、話がしたいからこうしただけなんだがな……。
そんな二人の視線を我慢しながら、俺は呂布に話しかけた。
「まずは……ここに来てから、何か問題はあるか? 動けないようにしてるのはともかく、それ以外で不自由な事は?」
「……(フルフルッ)」
そんなことはない、と言わんばかりに首を横に振る。どうやら問題はないようだ。
「ふむ……あとは、その……俺が言うのもなんだが、怪我はどうだ? 一応こちらでも治療はさせたと思うが、今は平気か?」
「……問題ない」
「そうか、それは良かった。で、早速なんだが君に聞きたい事があって、今回ここに来てもらったんだ」
「……??」
きょとんとした表情で首を傾げる呂布。
ちょっと無口な幼子に質問しているみたいで違和感があるが、気にせずに質問をした。
「董卓の事や洛陽の事を教えて欲しいんだ。素直に教えてくれると助かるんだが……どうだろうか?」
「…………」
頷くでもなく首を振るでもなく、ただこちらを見つめる呂布。
その視線を正面から受け止めたまま、もう一度訊ねた。
「……ダメか?」
「……良い」
「えっ? いいのか?」
「……(コクッ)」
頷いてくれる。どうやらこちらの頼みを聞いてくれるようだ。あの戦いで嫌われたと思っていただけに、説得に苦戦するかと思ったが。案外あっさりと了承してくれたな。
俺はホッと胸をなで下ろしつつ、質問を試みる。
「ありがとうな。じゃあ、最初の質問だが……洛陽には街と王宮を守る軍隊が居ると思うんだが。どれくらいの規模なのか、わかるか?」
俺の質問に対する、呂布の答えは実にシンプルだった。
「……たくさん」
「た、たくさんとはまた抽象的だな……」
答えになってない答えに、呆れと怒りが混じった呟きを漏らす愛紗。とはいえ、呂布がふざけてるわけでもないのはわかるらしく、さすがに怒鳴ったりはしなかった。
とはいえ、これでは敵の兵力に関して詳しい数字などは聞けそうにない。
俺は質問を変えた。
「じゃあ、次の質問だが……そのたくさんの軍隊を率いる武将がいるだろう? どんな人なんだ?」
その問いにも、呂布はシンプルに答えてくれる。
「……詠(えい)」
「詠?」
それは……姓なのだろうか?
首を傾げる俺を見て、呂布は再び答えてくれたが、
「……賈駆」
今度は違う名前が出た。
「ということは……詠と賈駆の二人が率いているのか?
「……(フルフルッ)」
首を振って否定。
となると……?
「……一人」
「一人、なのか?」
「……(コクッ)」
「??」
今の問答からして、董卓軍の将は一人居るようだが、それが詠とやらなのか賈駆とやらなのかがわからず、頭を悩ませていると、ここで助け船が。
「……恐らく賈駆さんという方の真名が詠さんという事だと思います」
朱里があの短い単語でのやりとりの中でも、素晴らしい理解力を見せてくれた。
呂布の言いたい事をようやく理解出来た俺は、その賈駆という将がどういう人物なのか、うちの軍で情報を統括している朱里に訊ねる。
「ちなみに、賈駆という武将について、朱里は何か知ってるか?」
俺の知ってる三国志では、うっすらとだが頭脳明晰な軍師だったと記憶していた。しかし、この世界ではよくわからないからな。
しかし、
「いえ……聞いた事無いですねー」
朱里の情報網にも引っかかってはいないらしかった。
俺と出会う前は大陸中を旅していたという愛紗達にも訊ねてみたが、
「私も聞きおぼえはありませんね」
「鈴々も聞いた事ないのだ」
二人とも知らないとの事。
一応念のために呂布にも、その賈駆という武将の特徴を聞いたが、やはり要領を得なかった。
……どうにも有益な情報を聞き出せないな。
思った以上に成果を出せない事に、少し肩を落としつつ、俺は質問を続けた。
「じゃ、次なんだが。董卓の事を教えて欲しいんだ」
こうなれば、敵の総大将である董卓がどんな人物なのか。
それくらいは聞いておこう。総大将の性格が分かれば、あるいは対策も練れるかもしれない。
そう期待しての質問だった。
「……月」
「ゆえ? それは……もしかして董卓の真名か?」
「……(コクッ)」
先ほどの賈駆の一件もあるのでまさかとは思ったが。なんとか呂布の傾向と対策が理解出来てきたみたいだな。
しかし……月、か。
「しかし……悪逆非道と噂高い暴君らしからぬ雅な真名だな」
俺は思っていた事をそのまま口に出してしまう。すると、
「……違う」
「えっ?」
突然呂布が俺の呟きを聞いて、否定の言葉を言った。その表情はパッと見ると無表情のままのようだが、よくよく見るとどこか悲しそうにも見える。
「月は優しい」
そして呂布はいつもよりもハッキリと告げた。
それは、彼女にとって譲れない何かなのだと俺は理解したのだが、
「優しいだと?」
董卓の暴君ぶりを噂で聞いている愛紗がさすがに黙っていられなかったらしく、割って入る。
「圧政を布き、民から血と汗と税を搾り取っている暴君なのだぞ?」
「……違う」
しかし呂布はそれを否定した。
その瞳にはわずかではあるが、怒りすらある。もしかしたら……友人を侮辱されて怒っている、ということかもしれない。
少なくとも、彼女が嘘を付いてるようには見えないし。
とはいえ、呂布の言う通りだとしても話がおかしくなってくる。そもそもこの連合軍は董卓の暴政ありきで結成された軍なのだから。
「違うってどういうことなのだ?」
そのあたりの疑問に、鈴々が真っ直ぐに問いかけた。
すると、呂布が眉間にしわを寄せて答える。
「……ヘンな奴が居る」
「ヘンな、やつ?」
「……白い奴。そいつが悪い」
相変わらずのシンプルな答え。
ただ、俺の中でその“白いヘンな奴”というのが妙に引っかかった。
そして董卓という人物が優しいという──ここまで接してきてある程度確信が持てたのだが、呂布は素直で邪気がない。その呂布が優しいと認めた相手が暴政を……というのに違和感が残った。なによりここまで洛陽の街の様子すら掴めていないと言う事実が、俺の中で一つの大きな疑問を生ませた。
「……なあ、ふと思ったんだが」
俺は誰に、とでもなくこの場にいる全員に話しかけるように自らの疑問を語る。
「董卓が暴政を布いているという噂が大陸中に流れたことで、袁紹は連合軍を立ち上げ、俺たちはそれに参加した。だが、実際の洛陽の様子はまったく分からず、間者を放っても捕まる始末で、いまだに謎に包まれている。ここで一つの疑問なんだが……どうしてそんな噂が広まるんだ?」
その俺の疑問の意味を理解した朱里と愛紗が、ハッと表情を強張らせた。
だが、鈴々はいまだに分からない様子で、呂布にいたっては聞いているのかいないのかわからないくらいにボーっとしている。
そんな様子を見つつ、俺は話を続けた。
「洛陽が人の出入りを禁じていて中で何をしているのかさっぱりわからない、という噂ならともかく、はっきりと“董卓が暴政を布いている”と言う具体的な噂が流れるのは何故だ? そしてこの噂を大陸中の諸侯が信じてしまったのは?」
そこでようやく鈴々も理解して目を丸くする。
やっぱり呂布は理解出来ないまま、ボーっとしていたが。
「……もしかしたら私たちは……何か大きな勘違いをしているのかもしれませんね」
俺の話を聞き終えたところで、朱里はぽそっと呟いた。
その言葉に俺は頷く。
「噂の出所は確かではないのに、こうして連合軍が出来上がってる事。
噂の董卓と、直接董卓を知っている呂布との明らかな食い違い。
そして……まったくもってその噂には欠片も出てこない怪しい“白いヘンな奴”か」
「これだけでは、わからないことだらけですが……洛陽で何かが起きている事は間違いないと思います。そして……この状況を利用しようとしている“誰か”がいることも」
結局、呂布からの話を聞いても、相手の戦力や敵武将の特徴などを知る事は出来なかった。
それどころか、さらなる謎がある事を知らされ、俺たちを悩ませるのであった──。
あとがき
……二十五章でここか。遅いなぁ(汗
未熟SS書きの仁野純弥です。
恭也と呂布の戦いもここで終わり、次の展開へと……行く前のお話となります今回。肩身の狭くなった恭也のお話がメインですね。まあ、自業自得ですが(苦笑
本来なら呂布との戦いはもう少し長引かせる予定だったのですが……現状を省みて、あんまりのんびりしてられないということで、今回で終わらせてみました。
……このままだと軽く三桁いきそうだもんなぁ(溜息
というわけで、この董卓編も終わりへと近づいているわけですが、これからも読んでもらえたら幸いです。
では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
では〜。
とりあえず、呂布を捕縛するまでは何とかなったって所かな。
美姫 「やっぱり、英傑相手だとあっさりとはいかないわね」
まあ、それはそうだろう。しかも、切り札とも言うべき神速も曹操たちに見られたし。
美姫 「今後の展開も楽しみね」
うんうん。次回はちょっと戦いとは離れるのかな。
美姫 「一体どんなお話が待っているのかしら」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」