「……関羽と張飛の二人がかりでも奴を止める事は出来ないのか……」

 周辺の施設を全て制圧した魏軍先鋒。その先鋒を指揮する夏侯惇は、息を飲みながらその戦いを遠目に眺めていた。

「……化け物だな、呂布は」

 そしてその隣には、怪我を負った姉を常に支え補佐する銀髪の怜悧な美女──夏侯淵。
 その夏侯淵の端的な言葉が、呂布の全てを物語っている。
 それには夏侯惇も認めざるを得なかった。
 しかし、

「ああ……だがいくら強くとも、それが兵卒の強さでは大局への影響はない。奴の強さに意味はないさ」

 夏侯惇は呂布の強さを認めた上で、彼女の将としての才覚のなさに見切りをつけた。おそらく呂布では曹操のお眼鏡に叶う事はない。
 その意見には夏侯淵も同意のようだ。

「そうだな……さて、虎牢関はすでに大半が制圧済み。敵軍の抵抗も何も、無事に残ってるのはあの呂布くらいだな。さて、どうする姉者?」
「餓虎の前に自ら望んで身体を晒すバカの役は、関羽と張飛にやらせておけば良いさ。すでに私たちに出来る事などない。後はせいぜいあの戦いを見物させてもらうとする」
「春蘭にしては、冷静な判断だ。私もその意見には賛成だな。せいぜいどれほどのモノか、その手の内を見せてもらうとしよう」

 そこへ、いつの間にか二人の背後に回っていた人物が、夏侯淵の言葉に同意する。

「そうしよそうしよ……はぁ〜〜〜〜〜〜」

 その人物とは、かつての呂布の同僚であり、今は曹操軍に降った張遼だった。
 当初は夏侯惇の軍に帯同しつつも、その軍の後方で夏侯惇の直属の部下である許緒仲康と一緒にいたはずだが、前線で夏侯惇が怪我をしたと聞いて、今は最前線へと一人で上がってきている。
 張遼は延々と戦い続ける三人に完全に目を奪われ、覇気のあった彼女らしからぬ溜息を漏らしている。そんならしくない様子の張遼に、夏侯惇は呆れていた。

「……なんだいきなり? 気持ちの悪い溜息を吐いて」
「しっつれいやなぁ、元ちゃん。これはウットリしとる溜息やっちゅーねん」
「うっとり?」

 ということは、張遼は何かに見惚れているということとなる。しかしあの場の何に見惚れているのかが夏侯惇には分からないのだ。

「そう……呂布ちんと戦ってる関羽の姿、すっごく綺麗やん?」

 張遼が見惚れていたのは、呂布相手に奮闘する愛紗の姿だった。
 夏侯惇は意識して、あらためて戦っている愛紗の姿を観察するが、呂布に押されているな、という客観的な戦闘状況を把握することしかできない。

「綺麗? 私には良くわからんな」
「ありゃ分からんの? そりゃ残念や。関羽めっちゃ綺麗やで……黒い髪をなびかせて青龍刀を振るう姿。う〜ん……美しい」

 すっかり愛紗の戦う姿に骨抜きにされてる張遼に、夏侯惇は溜息混じりにツッコんだ。

「……その気はなかったんじゃないのか?」

 張遼は曹操軍に降る際、夏侯惇に自分はノーマルだから曹操の愛人にはならない、と宣言している。それが今になって突然愛紗に妖しい視線を送り出したのだから夏侯惇でなくても呆れるだろう。

「そうやってんけど……うーん。ウチ、関羽に惚れてもーたんかもしれん」

 そんな夏侯惇を前にして、張遼はいともあっさりと自分の意見を覆した。
 衝撃の方向転換である。
 それを聞いた瞬間、夏侯惇はすぐさまに予防線を張った。

「……華琳さまはやらんぞ」

 ライバルが増えずに済んだと喜んでいた矢先の、張遼の裏切りとも取れる発言に危機感を憶えた夏侯惇ではあったのだが、警戒された張本人はいたってマイペース。

「大丈夫大丈夫。孟ちゃんには手は出さんって」

 それどころか、仮にも自分の主となる人間をいきなり“孟ちゃん”扱いする張遼を夏侯惇は一喝しようとした。だが、

「孟ちゃんとはなん──っ」
「あら、それは残念ね。私はけっこうあなたのようなひとは好みなのだけど?」
「え……?」

 その夏侯惇の声を遮るようにして、手を出してくれない張遼への不満を悪戯っぽい声で訴えたのは、

「か………………華琳さまっ!?」

 誰あろう、曹操孟徳──真名華琳──その人だった。
















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第二十三章
















 虎牢関内部に突如現れた主君の姿に、夏侯惇、夏侯淵、張遼は揃って驚きの顔を見せた。が、すぐにそのショックから抜け出した夏侯淵が、半ば呆れるように注意を促す。

「……華琳さま。いくらなんでも総大将である華琳さまがここまで入ってくるのは危険です」
「そうですっ! そもそも華琳さまお一人でここまで来るなんて……っ」

 夏侯惇などは、曹操の身を案じる気持ちが強すぎて怒鳴るような語調になっているほどだ。しかし曹操はけろっとしたもので、

「……まったく。そこらの雑兵程度なら私一人でも相手は出来るし、それに一人じゃないわ」
「え……?」

 そこでひょっこりと、曹操の背後からぴょこっと悪戯っぽい笑顔を出したのは、曹操に負けないくらいに小柄な、髪を二つのお団子──しかも二つ重ね──にまとめている、やんちゃそうな少女である。

「華琳さまの護衛の任、まっとうしましたー♪」
「季衣(きい)!」

 彼女の名前は許緒仲康──真名は季衣。その小柄な身体からは想像出来ないほどの怪力で、鎖で繋がれた巨大鉄球を操る曹操軍の猛将だ。
 彼女は先ほどまでは張遼と行動を共にしていたのだが、張遼が夏侯惇たちの元へと移動したため、取り残されてヒマだったので曹操の元に戻ったのである。すると曹操はこれはいい機会だと言わんばかりに、許緒という護衛を連れて、この最前線へとやってきたのだという。

「しかし、最前線にまで出てこなくとも……」
「後ろはヒマなのよ。しかも、こちらに加わったという張遼も来ないし、春蘭は怪我をしたと言うし。さすがに本陣にはいられなかったわ」
「……っ!」

 曹操の言葉に、夏侯惇は嬉しいと思ったのは間違いない。しかし、それ以上に忘れていた事があった。それは……顔に受けた傷。
 美しいモノを好み、夏侯惇の美しい顔もまた曹操が愛でる対象だった。しかし、その顔に傷が付いてしまったのである。

(もし、二度と華琳さまに愛して貰えなかったりしたら……)

 武人である以上、戦場で傷を受ける事など恐れはしない。
 ただ、愛する少女からの寵愛を失う事──それは今の夏侯惇にとっては、死よりも辛いかも知れなかった。
 しかし、

「春蘭」
「は……はい……」
「顔を見せなさい」
「……はい」

 曹操はそんな夏侯惇の気持ちを知ってか知らずか、有無を言わせぬ口調で命令する。夏侯惇は不安に顔を曇らせながらも、あらためて曹操と対面した。
 今の夏侯惇は左目を眼帯で隠している。その夏侯惇の顔をじっくりと見据えた上で、曹操は告げた。

「まず、傷を受けた際に崩れかけた先鋒軍を鼓舞し、見事に立て直したという一件は聞き及んでいるわ。心身共に厳しい状況の中で素晴らしい働きだったわね」
「はっ」

 それはまず、将としての夏侯惇を褒め称える言葉。
 しかしそれでもまだ夏侯惇の不安の色は消えなかった。
 だが、

「そして……い・つ・ま・で、そんなしけた顔を見せているのかしら、春蘭〜っ」
「ひゃっ……ひゃりんひゃまっ!?」

 その沈んだ顔が許せなかったのか、曹操は突然夏侯惇の両頬を左右に伸ばすように引っ張る始める。その意外な行動に、夏侯惇は痛みを感じる前に驚きで目を丸くしていた。
 そのかおは存外に面白く、曹操は自らおこした行動なのにもかかわらず、大爆笑する。

「あはははっ! なかなか面白いじゃないの春蘭! あなたの綺麗な顔も、こうすれば台無しなのね」
「え……?」

 その言葉に、夏侯惇は呆気にとられた。
 今、確かに曹操は言ってくれた……あなたの綺麗な顔も、と。
 ということは?

「……春蘭。あなた、もしかしなくても顔に傷が付いたって事で私に捨てられるとか考えてたんでしょう?」
「う……そ、それは……」

 曹操が夏侯惇の両頬を解放してから、鋭い視線を彼女に向けた。その曹操の表情には怒りすら含まれている。

「見損なわないでちょうだい。私は“本当に美しいモノ”を知ってるし、その価値も理解出来る存在よ。そして……あなたの美しさは少しも翳っていない。むしろ、以前よりも輝いているわ」
「か、華琳さま……っ」

 夏侯惇の不安は、完全に払拭された。
 他の誰になんと言われても構わない、ただ華琳に美しいと褒めて貰えるのなら──そして夏侯惇はそのお言葉を貰った今、彼女に恐れるモノはなくなったのである。
 夏侯惇の表情も変わった。
 いつもの凛々しさを取り戻し、なおかつ曹操への大きく熱い想いを瞳の中に宿すような……そんな顔に。
 そんな夏侯惇の顔を見て、曹操も笑みを見せた。

「これからも私と共に在りなさい。戦場でも……そして閨でもね」
「はいっ!」

 やはり夏侯惇は曹操次第なのだ。
 完全に復活した夏侯惇をその場にいる誰もが暖かい眼差しで見つめる中、曹操は続けて張遼へと声を掛ける。

「挨拶が遅れてしまったわね。あなたが張文遠で、間違いないかしら?」

 その声には、逆らいがたい威圧感と他を圧倒する覇気が混在していた。先ほど夏侯惇といちゃついてた(?)時とはまるで違う。これこそが覇王たる人間の姿なのだと、張遼は直感した。
 だからこそ張遼は、

「お察しの通り。ウチは姓は張、名は遼。字は文遠で真名は霞いいます。これよりウチの槍は曹操さまに捧げますわ」

 誰に強要されたわけでもなく、自然と臣下の礼をとったのである。
 そして自分の前に槍を差し出す張遼を見て、曹操もまた君主としての言葉を掛けた。

「張遼。あなたの働きに期待してるわ。これからは私のためだけにその腕を振るいなさい」

 それは、張遼という有能な将が曹操を認め、曹操という希代の英雄が張遼を認めるための儀式。
 が、所詮は儀式で、それが終われば張遼も曹操も実にあっさりと切り替える。

「で、さっき元ちゃんは怒りかけとったけど。正直な話、かたっくるしいのは苦手やねん。曹操さまのことも、孟ちゃんって呼んでもええ?」
「なっ!? 張遼、お前なんてことを!」
「ふふ……私をそこまで気軽に呼ぶなんて。それも新鮮でいいわね……いいわ。その代わり、あなたのことを真名で呼ばせてもらうわよ?」
「かめへんよー。あ、それなら元ちゃんもウチのこと、真名で呼んでくれてええからなー」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!」

 臣下の礼を取った直後の、張遼からのとんでもない物言いに待ったを掛けたかった夏侯惇ではあったが、それより先に曹操自身が許可を与えてしまったために、何も言えなくなってしまった。夏侯惇としては曹操の忠臣として注意しようとしていただけに、こうなっては立場がない。

「……姉者。華琳さまも張遼も、ああいう人間なんだ。慣れないとつらいぞ?」
「言われなくても分かってる……はぁ」

 そんな姉を不憫に思ってか、すでに達観している夏侯淵が冷静な声で夏侯惇を慰めていた。
 だが、そんな夏侯惇の気持ちなどつゆほども理解せず、二人は共に関羽の美しさに惹かれている同志として盛り上がっている。

「やっぱ関羽は綺麗やんなぁ。孟ちゃんはわかるやろ?」
「ええ……あの凛々しい顔になびく黒髪。そして青龍刀を振るう姿も……さすがは私が見込んだ武将だわ」
「孟ちゃんも関羽狙いかー? そりゃ強力な競争相手やなぁ」
「ふふっ……負けないわよ」

 曹操と張遼の二人は並んで、関羽・張飛組と呂布の戦いをウットリと眺めていた。
 だが、程なくしてその戦いに一つの変化が現れる。
 それは──

「おりょ? なんやあれ? 随分派手っちゅーか……真っ白い服なのに、なんやキラキラ光っとる。けったいなカッコしてんなー、あの兄ちゃん」
「…………」

 ──その三人の少女の戦いの場に、一人の闖入者が現れたということ。
 その闖入者こそ、

「……高町、恭也……?」

 高町軍の大将にして“天の御遣い”と呼ばれる青年……高町恭也であった。





















「……む?」

 最初に気づいたのは呂布だった。彼女は構えていた得物を下ろして、こちらの様子を見ようとしている。
 続いて、

「え……?」
「んにゃ?」

 その呂布に比べて幾分余裕がなかった二人──愛紗と鈴々も、不意に自分たちから外れた呂布の視線を追いかけて、ようやく気づいた。
 俺がこの三人の戦いの場に入ってきていた事に。

「ご、御主人様!? ここは危険ですから、離れてくださいっ!」
「そうなのだ! あいつは強いから……お兄ちゃんは危ないのだ!」

 二人は乱れた呼吸もそのままに驚きを露わにし、まるで場違いと言わんばかりに俺を追い返そうとする。だが、今の俺はそれを聞き入れるわけにはいかなかった。
 俺は二人の心遣いを嬉しく思いながらも、それを表情には出さず、静かに首を横に振る。

「悪いが、それは出来ない」
「「え……?」」
「ここは交代してくれ。呂布の相手は俺がする。二人は一度下がって朱里の指示に従ってくれ」

 愛紗と鈴々の二人は、俺が告げた言葉の意味が理解出来ないとばかりにきょとんとしていた。そんな二人に、俺はあらためて指示を出す。

「もう一度だけ言うぞ。今からは俺が呂布の相手をするから、二人は後退して朱里の指示を聞いてくれ。それでおそらくこの戦いは終結するから」

 そこでようやく二人は俺の言葉を完全に理解した。
 そして、

「無茶ですっ! そんな指示には従えません!」
「そんなの、出来っこないのだ! お兄ちゃんじゃ呂布には勝てないのだ!」

 二人は申し合わせたかのように、こちらの指示に反対する。
 まあ、その気持ちは分かるつもりだ。
 そもそも俺は呂布はおろか、その呂布に二人がかりで苦戦している愛紗や鈴々からだって勝利をもぎ取れない。その俺が呂布と戦うなんて、普通に考えれば自殺行為に映るだろう。
 だが、俺だって冗談を言いにここへとやってきたワケではないのだ。

「そんな事は言われなくても分かってる。俺では呂布に勝てないなんてのは、俺自身が一番、な」
「ならどうして!?」
「無茶苦茶なのだ!」

 二人が俺の事を守ろうとしてくれてるのは分かるし、だからこそここまで必死に俺の暴挙を止めようとしているのだと。
 しかし、

「俺たちが……高町軍が勝つためだ」
「我らが……」
「勝つ、ため……?」

 このままでは勝負は付かない。それどころか愛紗や鈴々が傷ついてしまうのは目に見えていた。それだけは、軍の大将としての俺としても、そしてなにより大切な仲間を想う俺個人としても、絶対に避けたい。そのために、俺が体を張る時がきたのだ。

「理解出来たのなら下がって朱里の指示を聞いてくれ。出来る限り迅速にな」
「で、ですが……」
「うにゅぅ……」

 どうやら俺たちの軍師が、あの呂布を抑えるための策を考えたらしいことは理解出来てはいる二人ではあったが、それでもまだ頷けない。
 それは、これまで俺と一緒に戦ってきた事で理解している俺の実力と、さっきまで刃を交えたばかりの相手──呂布の実力。この二つをしっかりと比較する事が出来るからこそ、二人は頷く事に躊躇しているのだ。
 かといって、いつまでも二人をこの状態にしておく余裕はない。これ以上時間を掛ければ、虎牢関の外にいる袁紹軍や涼州連合なども雪崩れ込んでくるからだ。そうなってしまえば場が混乱する恐れもある。
 だから俺は、切り札を出した。

「これは──主としての命令だ」
「「っっ!?」」

 それは、初めて行使する君主としての、臣下への命令権。
 俺はこれまで、愛紗や鈴々を部下と思った事はないし、これまでだって“仲間”として接してきたつもりだ。彼女らだって俺を“御主人様”と呼んではいるし忠義を尽くしているが、それでも俺は彼女らに“お願い”をした事はあっても、あからさまに無茶な命令を下した事はないし、それは避けてきた。だが、ここはあえて使わせてもらう。

「もし、俺の命令が聞けないと言うのであれば……」
「「…………」」

 本来なら二人を罰する、と言えばいいのだが、この二人は並の罰では効果がない。だから、

「俺は、君らの主として相応しくなかったと認識し、君らの元を去る」
「なっっ!?」
「そ、そんなのダメなのだっ!」
「……なら、俺の“命令”を聞くように。いいな?」

 俺は二人の“信頼”を楯にしたのだ。
 彼女らが俺に向けてくれる“信頼”を利用する。これほど卑怯な事はないし、そんな事はしたくなかった。でも、こればかりは他に方法がないんだ。

「……わかり、ました」
「……うう……」

 二人はまったくもって納得していない。
 それでも頷かざるを得なかった。
 こうして二人は朱里の元へと下がり、

「………………」
「すまない。待たせたな」

 俺は、あらためて目の前の少女──呂布と向き合うのだった。




















「早く来てください二人とも! すぐに今回の策について話しますから!」

 朱里はのろのろと後退してきた二人に、彼女にしては珍しい強い語調で呼び寄せ、すぐさま策の概要を説明しようとする。が、それより先に、

「朱里っ! いったいどういうことだ! 御主人様と呂布を戦わせるのもお前の策だというのかっ!」
「いくらなんでもそれはないのだ! あれじゃお兄ちゃんが死んじゃうのだ!」

 戻ってきた二人の、今回の理不尽とも言える命令の大元──策の立案を担当する朱里への不満が爆発した。

「呂布の武は尋常じゃないんだ! 確かに御主人様は素晴らしい武技を持っているが、それでも呂布相手では分が悪すぎるんだ! そんな事も分からないのかっ!」
「お兄ちゃんが死んじゃったら、何もかもが終わりなのだ! どうしてこんなコトするのだっ!」

 今にも掴みかからん程に朱里を責める二人。
 しかし、

「そんなこと……………………そんなこと、分からないはずがないじゃないですかっ!」
「な……」
「うにゃ……っ」

 二人の一騎当千の怒鳴り声を前にしても、朱里は怯えず、それどころかより強い口調で反論した。その瞳に涙を溜めながらも、二人以上の怒りの表情で。

「呂布さんがすごく強くて! 愛紗さんと鈴々ちゃんが二人がかりでも倒せないのに! そんな相手に御主人様一人で、なんて……危険に決まってます! それでも……っ、御主人様が行くと決めた以上、どうやって止めろと言うんですかっ! 私には、お二人と違って力がないから……強引に御主人様を止める事なんて…………っ」
「朱里……」
「あぅ……」

 溜めていた涙が朱里の頬を伝っている。それでも朱里は泣き崩れず、怒りの表情のままで二人を見据えた。
 そして、そんな朱里の顔と今の話で愛紗達は全てを察する。朱里とて策だからと恭也を進んで前に出したわけではないのだと。恐らく、朱里も必死に止めたのだろう。しかし、この軍では愛紗、鈴々に次ぐ戦闘力を持つ恭也を朱里に止めろという方が無茶なのだ。

「……すまん。言い過ぎた」
「ごめんなのだー」

 それを理解した二人は、朱里に頭を下げる。
 しかし朱里は二人の謝罪を聞く時間もないとばかりに、

「いいですから! とにかく今回の策の説明を聞いてください! 御主人様の負担を減らす為にも、今回の策は迅速に行う必要があるのですから!」

 二人を一喝。
 その、あまりに朱里らしくない語調に、二人は圧倒されていた。
 そして同時に実感する。急がなければ、恭也の命が危ないのだと。
 二人は神妙な表情で朱里の言葉に頷き、策の概要を聞き始めたのだ。
 そして、一連の説明が終わった時。

「……そんなことならば、この役目は我々ではなく兵士たちにやらせればいいだろう? 十人強の兵を使えば、さすがに呂布が相手とはいえ、動きを封じる事は」

 愛紗が疑問を挟んだ。しかし、朱里はその疑問に即座に答える。

「最初、私が考えた策はまさにそれだったのです。ですがそれを聞いた御主人様が即座に却下したのです。何故なら、呂布さんの──御主人様の言葉で言う“殺気”というものの前では、余程の武人のひとじゃないと、萎縮しきってしまって、ある程度の接近も出来ないだろうし役目を果たせないだろうと」
「む……それは、確かに……」
「あいつの雰囲気は普通じゃないのだ」

 その説明を聞いて、愛紗も納得するしかなかった。
 だが、今度は鈴々がその策の疑問点を挙げる。

「でも、それなら呂布の相手をお兄ちゃんじゃなくて、鈴々に任せたらいいんじゃないの? で、愛紗とお兄ちゃんで呂布の動きを……」
「そうだ! その方がまだ危険は──」
「それも勿論考えましたが、それは私自身ですぐに却下したんです」

 鈴々の言葉に愛紗も同意したが、それもまた朱里が却下し、その理由を語った。

「呂布さんの力は、はっきり言って愛紗さんや鈴々ちゃんをはるかに凌ぐモノです。その呂布さんの動きを抑えるとなると、仮に愛紗さんと御主人様が二人で“この役目”を行ったとしても、ヘタをすると呂布さんの力に負ける可能性があるんです。御主人様は非力ではありませんが、それでも怪力というほどのお力はありませんから。この策は二度は使えませんから失敗は許されませんし、確実に成功させるためには、呂布さんほどではないにしても非常識な力を持ってる愛紗さん、鈴々ちゃんの二人が“この役目”につくしかないんです」
「う……」
「うにぃ……」

 完全に手詰まり……と言う言葉はおかしいが。
 納得せざるを得ないのだ。
 呂布の相手は恭也がする。そして朱里の策を実行するには自分たちしか担い手が居ない。
 この現状に。
 とはいえ、今回の策には最も重要なファクターがある。
 それは、愛紗と鈴々の二人の動きを呂布が察知しないように、彼女の意識を一点に集中させる必要がある事。その“一点”こそが恭也の役目なのだが。

「信じましょう」
「朱里?」
「信じるって言われても……」

 朱里はなおも惑う二人に、毅然と言い放つ。
 もちろん、その朱里の表情にだって不安の色は見て取れた。それでも朱里は言う。

「御主人様は言いました。確かに自分では呂布には勝てないと。でも……こうも言ったんです」

 朱里は、呂布の元へと向かう時の主の言葉を再現した。

「……負けない戦いは出来るから。絶対に死なないと約束するって」

 その言葉の意味を理解出来る人間は、

「勝てないのに、負けない……?」
「……まるでなぞなぞなのだ」
「私にも、いまだに理解出来ないんですけど……」

 誰もいなかった。しかし、

「でも、最後に一言、信じてくれって……そう言われたら、もう止められません」
「……そうか」

 最後の一言に関してだけは、この場にいる誰もが実行出来る。
 元々、彼の人柄に惹かれ、彼の懸命な姿に心を打たれて心酔しているからこそ集まったのがこの三人なのだ。
 ならばここで取る行動は、もう一つしかない。

「じゃあ、もう鈴々達はお兄ちゃんを信じるしかないのだ!」
「ああ! では、すぐにでも準備に移ろう。御主人様の負担を減らす為にも」
「でも、気をつけてくださいね! 呂布さんにこれがばれたら、一巻の終わりですから!」

 三人は、呂布を抑えるための策を速やかに実行すべく動き出した。
 少しでも早く策を行い、恭也を助けるために。





















「……お前、何をしに来た?」

 呂布が俺を無表情なまま見据え、ぽそっと問いかけてきた。その話し方というか、言葉遣いに妙な違和感を覚えながらも、それに答える。

「まずは話をしに。そしてそれが決裂したら、戦いに、だな」
「……話?」

 首を傾げる呂布。
 その仕草が、少女の見た目に合わない。彼女の仕草や言葉遣いは、まるで幼い子供のようなのだ。だが姿は愛紗と変わらないほどの、限りなく大人に近い少女のモノ。
 それが違和感の正体だった。

「見て分かると思うが……もはや虎牢関に君の仲間はいない。そちらの軍で残っているのは君一人だ」
「………………」
「この戦の勝敗はもう決したと言っても良い。なら……もう投降してはくれないだろうか? 勝敗が付いた以上、戦うのはもう無意味だろ?」

 とりあえず、まずは互いの刃を納める事への説得を試みる。
 実際、俺はまだ小太刀は背中の鞘に収めたままだ。
 そして、状況を見ればあちらの敗北は一目瞭然。ならばここで呂布も大人しく投降してくれれば、全ては丸く収まるのだが……

「……まだ、負けてない」
「いや、しかし……」
「……恋はまだ負けてない」

 れん、というのは、彼女の真名だろうか?
 それはともかく。彼女は退く気がないようだ。
 彼女にとって見れば、軍の負けなど関係がない。自分が負ければ負けで、自分が戦えるうちは負けじゃない……そんな理屈が成り立っているようだ。

「どうしても……投降はしてくれないのか?」
「……恋は強い」
「それはわかっているが……」
「……だから、弱い奴には捕まらない」

 あまりに単純な理屈。
 それはもはや子供の考えだ。
 しかし、彼女はそれを曲げないのだろう。
 こうなってしまっては、もはや説得は不可能だ。

「わかった……では、話はこれで終わりだ」
「……じゃあ、やる?」

 呂布は再び自らの得物──方天画戟を掲げる。大の大人でも扱うのが厳しそうな重厚な武具を少女が片手で持ち上げるというその姿は、もはや脅威を通り越して感動的だ。
 だが、それに見とれている場合ではない。
 俺もまた、背中の鞘に納めてあった小太刀を両方とも抜き放った。
 これでもう、お互いの戦闘態勢は出来たと言える。しかし、

「……正気?」
「え……?」
「……そんな小さいのじゃ、絶対に勝てない」

 呂布は意外なモノを見るように、俺の小太刀を見据えていた。
 彼女の言いたい事は分かる。
 この時代は特にだが。武人は呂布に限らず、間合いの広い武具──槍、矛、戟など──を好んで扱う事が多い。それは何故かと言えば、面と向かっての直接戦闘ならば、より広い間合いを有した方が有利だからだ。実際に、俺がこの世界で見てきた武人は皆、俺のような剣ではなく、広い間合いを有する武具を使っていた。
 愛紗の青龍刀。
 鈴々の蛇矛。
 趙雲の槍。
 華雄の戦斧。
 そして呂布の戟。
 まあ例外と言えば夏侯惇で、彼女は剣を使っていたが。それでも彼女の剣は普通の剣とは比べものにならないほどに大きく重厚な大剣なので、間合いという事に関しては不利はさほど受けないだろう。
 それに比べれば、俺の小太刀が相当異質に映るのは当然と言えた。
 だからこその呂布の指摘だったのだが。
 俺は、そんな彼女に対し挑発の意味も込めて不敵な笑みを見せた。

「なら、それを証明すればいい。だが、俺はあえて断言しよう。君が俺を負かす事は出来ない、と」
「……む」

 常に無表情だった彼女の顔に、わずかな変化。
 醒めた瞳の奧にわずかながらに怒りの炎が灯り、彼女の形のいい眉がぴくんと跳ねたのだ。
 どうやら俺の下手くそな挑発も、今回ばかりは上手くいったみたいだな。

「俺の名は高町恭也。俺の言葉を覆したければ、かかってこい、呂布!」
「……たかまち、きょうや……」

 呂布の身体から湧き出るような殺気を前にして、俺は震えを必死に抑えていた。
 それが恐怖によるモノなのか、それとも武者震いなのかは判別出来ない。
 ただ一つだけ言える事、それは……俺がこの状況に酔い始めている事。
 目の前には、一時代の中で最強とうたわれた武人──もっとも、姿は少女なのだが。
 そして周囲を見渡せば、そこには高町軍のみんなと、曹操軍の兵隊たち。
 戦闘者との一対一の戦いは経験があるが、このような衆人環視の中での“一騎討ち”というのはもちろん初めてだ。
 決して日の当たらない場所で剣を振るい続ける事が当然だと思っていた俺にとって、あり得なさすぎるこの状況に、俺は間違いなく気が昂っていたのである。
 その証拠に、まるでこの時代の武人のように、わざわざ名乗り上げたりしてるのだ。こんな俺を家族達が見たら驚くだろうな……。
 そんな、あまりにも場にそぐわない呑気な事を考えながら、

「…………ふんっ」

 俺は呂布の初撃を迎え撃つのだった──っ。






あとがき

 ……やっとこさ変化が出たかな?
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 ようやくというべきか、主人公の見せ場がやってきました。しかも相手は戦闘力ナンバー1の呂布という……まあ、一見すれば無謀以外の何ものでもないマッチメイクですが。あとは、虎牢関最前線に曹操が登場したというのも小さな変化でしょうか。これはただ単に好きなキャラの登場シーンを増やしただけかもしれませんが(苦笑
 次回からは本格的に恭也vs呂布の戦闘となります。戦闘シーンが得意ではない僕ですが、全力で書き上げていこうと思いますので、次も読んでもらえたら幸いです。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



いよいよ恭也が呂布の前に姿を。
美姫 「ああ、どんな戦いが見れるのかしら」
とっても楽しみだな。
曹操までもが前線に出てきているし。
美姫 「本当にどうなるのかしらね」
次回、次回を待ってます!
美姫 「待ってますね〜」
ではでは。



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