高町・公孫賛の共同軍が敵軍に突撃を掛けた頃。
 それらの戦況報告は、当然ながら袁紹軍本陣にも届けられていた。

「あら? あらあらあら? 我が連合軍が意外と優勢になってきているのではなくて?」

 その報告に、なんとも総大将らしからぬいい加減な反応を返すのは、言うまでもなく袁紹である。
 そんな彼女の無責任な反応に溜息をつきつつ、顔良が戦況分析した見解を説明した。

「そうですよー。高町さん……いえ、高町軍がうまく敵軍を釣ってくれたみたいです。そして敵主力を虎牢関から引き離したところで、曹操と孫権の軍が横撃をかけて、後はタコ殴り状態ですね。今は一度は下がった高町軍と公孫賛軍も敵主力に再攻撃をかけ始めたようですし」

 その説明を袁紹の脇に控えて聞いていた文醜が完全に他人事と言った様子でしみじみと呟く。

「曹操も孫権も、姫の出撃要請にも聞く耳持たなかったクセに、ああいう美味しいトコは見逃さずキッチリもっていくんだよなぁー」
「まったくですわ! ホントに調子のいい……っ」

 文醜の言葉に乗るようにして愚痴る袁紹。
 そんな袁紹を見て、顔良は心の中でその愚痴にツッコミを入れる。

(誰だってあんなに相手の神経を逆撫でするような物言いで出撃要請なんてしたら、反抗するのは当たり前なのに。今回の両軍の出撃だって、多分高町さんたちが働きかけて動かしたんだろうな……)

 どうやら、袁紹が曹操や孫権に出撃要請をした時にも一悶着はあったようだ。
 それはさておき。

「ところで姫。このまま見てるだけじゃ、さすがに見せ場を全部とられちゃいますよ? ここらでそろそろうちの軍の予備隊も投入する時機じゃありません?」

 ここでもう一押しすれば、恭也たちの負担も更に減るだろうと見た顔良は、さらなる援軍の投入を示唆する。

「あら、そうですわね。文醜さん、さっさと行って呂布をケチョンケチョンに叩きのめしてきなさいな」

 その顔良の意見に、軍が優勢なためか機嫌のいい袁紹はあっさりと応え、文醜軍の投入を決めた。しかし、その命令の下し方がまた……まるで近くへちょっとジュースでも買ってきて、とでも頼んでるような気軽さである。
 だが、

「へいへーい」

 文醜もまた、随分と軽い返事を返していた。
 やはりこの二人は似たもの同士なのか。
 文醜は袁紹に返事してから、即座に出陣の準備のために袁紹の元を離れる。その際にちらっと顔良の方へと振り向き、

「んじゃ斗詩(とし)、行ってくるわー」

 顔良に声を掛けた。ちなみに斗詩、とは顔良の真名である。
 顔良は親友の出撃に、少しだけ真面目な顔に戻って手を振った。

「うん。気をつけてね、文ちゃん」
「あんがと。またあとでー」

 そんな言葉を残して、陣を後にする文醜。
 袁紹と共に陣に残った顔良は、心の中で文醜の無事を願う。
 そして、

(高町さんも、無理はしないで下さいね……)

 あの優しい青年の無事も。















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第二十一章



















 ──ついに袁紹軍が動く。
 その情報は、曹操軍を迎え撃っていた張遼の耳にも届いていた。

「ちっ……袁紹の本隊までもが動き出してもうたか。こりゃそろそろ撤退せんとヤバイことになんな」

 曹操と孫権の軍に挟撃を受けているだけでも、シャレにならないのに、そこへ先ほど戦線を一旦離脱していた高町軍と、後方で援護していた公孫賛軍が再攻撃を仕掛けてきたという。さらにそこへ袁紹軍本隊まで出張ってくるとあれば、張遼でなくても舌打ちの一つもしたくなると言うモノだ。

「ちなみに呂布ちんは…………っと。あの辺か」

 呂布はまだ、相変わらず前線で方天画戟を振り回している。
 次々と味方の兵が倒れていく中、呂布は一人で敵の侵攻をくい止めているようだ。とはいえ、それでも一人では限界がある。暴れる呂布を無視して、虎牢関の城門に向かう呉軍の兵も出ていた。

「もう、こりゃあかんわな……おーい! 誰かおらんかーっ!?」
「はっ!」

 張遼の声に応え、現れたのは部隊の隊長──張遼の軍の副官だった。

「袁紹の本隊が動き出した。こうなったらもう野戦で踏ん張ってもジリ貧やし、ウチらは一度虎牢関に下がるで。準備させ」
「ですが、呂布将軍は……?」

 張遼の副官とはいえ、やはり大将である呂布の事も気になるのだろう。
 しかし張遼はあっさりと突き放す。

「ほっとくしかないやろな……呂布ちんのために全軍を危険にさらす事は出来んし。それに、あのコならいざとなったら一人でも帰ってこれるやろ」
「はあ……」

 それが張遼なりの呂布への信頼なのだが、副官の男にそれが通じたかどうかは微妙だ。
 だが、今の張遼には部下の微妙な内心にまで気を回している余裕はない。

「とにかく、逆撃を喰らわんように注意しつつ、虎牢関に向けて撤退を──」
「報告ーっ!」
「──っ、なんや! うっさいなぁ!」

 命令を下してる途中に邪魔をされて、苛立ちをぶつけるような語気で続きを促す張遼に、伝令兵が絶望的な報告をもたらした。

「虎牢関正門が魏軍の一部と呉軍に取りつかれてしまいました! 虎牢関に残っている守備隊の奮戦でまだ持ちこたえてますが、突破されるのは時間の問題かと!」

 それを聞いた張遼はあからさまに顔をしかめてしまう。

「あちゃー、マジかいなぁ……アカンな。この戦、完全に負けや」

 そして、伝令兵と副官の前で敗北を宣言してしまった。
 だが、副官としては負けを認めるのは早いとばかりに反論する。

「は……いえ、まだ我が軍には裂帛の意志が!」

 兵が奮戦している以上は諦めてはいけない、と諫めたかったのだろうが、張遼はもはやそう言った精神論でどうこうなる問題ではない事を見越していた。

「裂帛だろうが逼迫だろうがどっちゃでもええねんけどなぁ、戦っちゅーもんはねぐらを襲われたら負けや」

 虎牢関の守備隊がどんなに踏ん張ろうとも、多勢に無勢もいいところだ。虎牢関に残した守備隊は五千程度。それでは守りきれるはずもない。

(敵先鋒の高町軍を撃破出来んかった時点で、ウチらの負けは決まっとったようなモンやけどな)

 さすがにそれを口に出そうとは思わなかったが、それでも敗北宣言を翻すつもりはない。張遼は副官に撤退における指示を出す。

「とにかくや。ウチらはこれより撤退するが……虎牢関には戻らん」
「えっ!?」

 張遼の、思いも寄らなかった発言に副官は驚きの声を漏らした。
 しかし、これは張遼から見れば当然の決断。

「考えてもみぃ。今更戻ったところで、敵が城門に取りついてたら中には入れんやろ。なら、ウチらは手勢をまとめて連合軍の包囲を突破するんや」

 今の張遼が考えるのは、自分と自分の部下達が生きてこの場から脱する事だけだ。

「上手い事行けばその時に呂布ちんも助けられるかもしれん……それが無理でも、ウチらは充分役割は果たしたし、逃げる時間は作れたやろ」
「は……逃げる時間、ですか?」

 それがいったい“誰のための”時間なのかがわからない副官は首を傾げるばかり。

「せや……ま、あとは本人らの力次第。これ以上はさすがに面倒は見切れる余裕がないっちゅーのが本音やしな」
「はぁ……」

 結局何も分からない副官は、曖昧に頷くばかりだ。
 その副官の様子に苦笑しながら、張遼は洛陽に残る二人の少女の事を頭に思い浮かべる。

(しっかりと董卓ちゃんを守ったり。賈駆っち)

 物静かで心優しい少女と、その少女を健気に支える気が強い小さな軍師。
 だが、それもすぐに自分の頭から消し、張遼は再び将としての自分を取り戻す。

「とにかくや。さっさと残存の部隊を集めい。今、ウチらを包囲しとる曹操軍の一部が薄うなっとるから、部隊を集め次第そこを一点突破すんで!」
「は……はいっ! ではっ!」

 副官の男は、張遼の語気の強い命令に戸惑い気味に返事をし、即座に残存部隊の収集に動き始めた。その副官の背中を見据えながら、張遼は一つ大きな溜息を吐いてから、誰にともなく呟く。



「……曹操軍の一部が薄いって? アホか。あの曹操に限って、んなワケあるかいな……だとすれば、曹操は何を企んどるんや?」





















「包囲を緩めた箇所に、突撃を敢行しようとしている敵部隊があるようです」

 本陣で夏侯惇からの報告を聞いた曹操は、興味深げに感嘆の声を上げた。

「へぇ……ワザと緩めた包囲網の一部を、めざとく見つけた部隊があるのね」

 張遼の懸念通り。それは曹操があらかじめ仕掛けたモノである。

「はい。おそらく張遼の部隊かと」
「張遼……聞いた事があるわ。武勇に優れ、強い者と戦う事に生き甲斐を感じている生粋の武人」

 優れた人材の情報は常に耳に入れるようにしている曹操。そんな彼女の元に張遼の噂も入っていたらしい。

「ただの猪武者だと思っていたけど、なかなかどうして。良い将のようね…………欲しいわ」

 曹操の瞳が妖しく光る。
 それは、かつて高町陣内で愛紗を見ていた時と同様な眼差しだった。
 その眼差しを見た夏侯惇ががっくりと肩を落とす。

「ああ……また華琳さまの悪い癖が……」
「あら。良い人材を求めるのは、人の上に立つ者として当たり前の事でしょう?」

 こっちはあくまでも正しい事をしてるのよ、と主張する曹操。
 だが、夏侯惇はそんな曹操の本当の考えなど、すでに見抜いている。

「……張遼がブスだったらどうします?」
「そのときは殺しましょう」

 即答だった。

「可愛ければ?」
「閨で可愛がってあげるわ」

 これまた即答。ただ、先ほどと違ってその声には艶がかかっている。
 なんとも自分に正直な主の言葉に、

「……はぁ」

 溜息しか出ない。
 それは、欲望に忠実な曹操に呆れている……ということもある。
 しかし、それ以上に……

「……もしかして、妬いてるのかしら?」
「っ!?」

 それが図星である事は、夏侯惇の真っ赤になった顔が如実に表していた。
 しかし、夏侯惇は妙な意地を張り、

「いいえ! 全く! これっぽっちも!」

 強く否定してしまう。
 そういう風にムキになるから、余計に曹操にいじられるのに。
 曹操は邪気を含んだ笑みを夏侯惇に向けた。

「クスクス……そこまで言うのなら春蘭。あなたが張遼を捕まえてみせなさい」
「え……」
「私が求める少女を、あなた自身の手で捕まえて私に献上しなさいな」

 それはあまりに意地の悪い指示である。
 曹操は先ほどの夏侯惇の否定が、本音ではない事を誰よりも理解していながら、そんな指示を出してみせるのだ。素直にならないことへの罰とでも言わんばかりに。

「……悪い趣味だ」

 夏侯惇が拗ね気味に呟く。
 そこには、それまでの主従関係もなく、好きな相手に意地悪されてしまって機嫌を損ねた女性の可愛らしさがある。そして、

「そう? 私はとても楽しみよ。あなたがどんな顔をして張遼を献上してくれるのか……ね。それとも春蘭は私のお願いを聞いてくれないのかしら?」
「むぅ……」
「うふふ……困り顔のあなたも素敵よ」

 曹操は夏侯惇のそんな顔も気に入っているのだ。
 好きな相手を困らせたり責めたりするのが大好きな曹操。
 そんな彼女の性格をわかりすぎるくらいに分かっている夏侯惇としては、

「もう……」

 これは諦めるしかなかった。
 夏侯惇の諦めを見て取った曹操は、それまでも睦言を交わしていた恋人のような雰囲気を一瞬で消し去り、再び主の顔に戻る。

「……行きなさい、春蘭」

 そして、異論の余地も全く挟めないほどの冷酷さで命令を下した。

「はっ!」

 そして夏侯惇もまた、曹操軍随一の猛将としての顔となって、主の命に従うのだった。






















 張遼の部隊が、包囲の薄い一部へと突撃を掛けようとしていた時だった。

「張遼様! 前方を!」

 副官の声に、張遼は前方を見やる。そこでようやく副官が驚きの声を漏らした理由を悟った。

「ん? おお……誰やあれ? 一人でウチらに立ち向かってくるなんて、ええ根性しとるやん」

 張遼達の部隊を包囲している曹操軍の中から、たった一人だけ。腰まで届くほどの長い黒髪と、随分と厳つい軍装に身を包んだ女性が悠然とした足取りで、張遼達の方へと歩いてきている。
 曹操軍の人間が誰も彼女に襲いかかったりしないのを見る限り、彼女が曹操軍の将であるのは間違いないと張遼達は見ていた。

「どうします?」

 副官の問いに、張遼は獲物を見つけた肉食獣のような笑みを見せる。

「袋叩きや! と言いたいところやけど、一人でやってきた人間を大勢で叩きのめすんは性に合わん……ウチが相手したろ」

 出てきた女性がただ者ではないと見た張遼は、一騎討ちの予感に心を躍らせているようだ。そんな張遼の様子に、副官が慌てて止める。

「いえそれはっ! 張遼様にもしもの事があれば我々は……っ!」

 張遼の部隊の兵は皆、彼女の将としての魅力に心酔する者ばかり。故にここで止めるのは自分たちの部隊の行く末を心配しているのではない。純粋に、張遼の事だけを心配しているのだ。
 その部下達の思いが分からない張遼ではない。
 だが、そんな思いを理解した上であえて張遼は部下達の尻を叩いた。

「阿呆。もうちょっとで逃げ切れるんやから、あとは自分の才覚で逃げ切らんかい」
「しかし……っ」
「しかしもかかしもあらへん。ったく……ウチがあいつと戦っとる内は敵の注意をこっちに引けるやろが。その隙をついてさっさと逃げえ。それがウチに出来る最後の餞別や」

 餞別──この言葉に副官の目から涙がこぼれる。彼女はその身を張って血路を開いてくれるという。例えここで命を落とす事となっても、己の部下達を逃がし、生かそうとしてくれているのだ。

「ちょ……張遼、さま……っ」

 副官の涙に、しゃあないなぁ、と言わんばかりに苦笑する張遼。

「辛気くさい声だしな……ほれ、さっさと行け」

 そして、まるで近寄ってきた野良犬を追い払うように手をひらひらと振った。そのぞんざいな仕草だって主の照れ隠しであることを理解している副官は、決意する。張遼が体を張った以上、自分たちは石にかじりついてでも助かってやると。

「……はっ! では張遼様“またあとでお会いしましょう”!」

 副官はそんな言葉を残して、張遼から離れていった。
 それが無理だと言う事は、副官も張遼も分かり切っているのに。それでも、再会を約束する言葉を残したのは、副官の張遼に無事であって欲しいという切なる願いから。
 その思いを感じ取った張遼は、自分の元を離れ、部隊を指揮する副官の背中を見て微笑んだ。

「……ちゃんと生き抜きぃよ」

 その声は、誰よりも優しく、慈愛に満ちていた。
 そして──

「…………」
「…………」

 張遼は一人で例の黒髪の女性を迎える。
 黒髪の女性──夏侯惇もまた、一人で自分と向かい合う張遼の姿に、どこか尊敬の念を込めた視線を向けていた。

「部下を逃すために残ったのか?」

 それは、問いかけと言うよりは確認。
 しかし張遼はそれを否定した。

「アホか。んな優しくあるかいな……誰にも邪魔されんようにあんたと戦いたかっただけや」
「ふ……素直じゃないな」

 笑みを浮かべる夏侯惇。だがその笑みは嘲りではなく、どこか共感を覚えるがゆえのモノ。
 だからだろう。張遼もどこか照れくさそうに、

「うっさい……で、あんたの名は?」

 拗ねたような返しをしつつ、名を訊ねた。
 戦場で敵と出会い、一対一。
 この状況で名を聞く事にどういった意味があるのか、それが互いに分かっているからこそ、夏侯惇は表情を引き締めた。

「姓は夏侯、名は惇。字は元譲」
「ウチは張遼。字は文遠……ほなやろか」
「ああ……」

 誘い文句はシンプル。だがそこには並々ならぬ決意が溢れている。
 張遼は自らの得物である槍を構え。
 夏侯惇は背中に背負う大剣の柄に手を掛ける──これがすでに夏侯惇の構えだった。
 目の前の相手の構えから、互いに相手を強敵と認めたのだろう。夏侯惇の瞳は鋭さを増し、張遼は不敵に──というよりも、どこか嬉しそうな笑みを見せた。

「……ええな、元ちゃん。かっこええやん」

 あっさりと目の前の敵を“元ちゃん”呼ばわりするあたり、張遼はなかなか大物と言える。

「…………」

 しかし夏侯惇は妙に馴れ馴れしい呼ばれ方にも動じず、ただただ大剣を抜刀するタイミングを計っていた。

「その目、その構え……惚れ惚れするわ」
「……良く口の動く奴だ」
「動くのは口だけやないで………………そらぁ!」

 仕掛けたのは張遼から!
 槍での高速の突きを夏侯惇の喉元目がけ放った。しかしそれをいつの間にか鞘から抜き放っていた大剣であっさりと受け止める。

「おお、やるやん」

 今の突きは小手調べと言ったところなのだろう。張遼は止められた事にショックを受けるでもなく、相手の技量を褒め称えた。しかし、それはあくまで実力が上回っている者が下回っている相手に対して行うこと。それが気にくわなかった夏侯惇は、

「舐めるな」

 短くそう呟いて、一気に攻勢に出た。
 斬れば肉はおろか骨まで軽々と切断しかねないほどの大剣を軽々と操り、上段からの大地を叩き割るほどの振り下ろし、そしてつむじ風を起こさんばかりの横薙ぎが張遼を襲う。それは小手調べというレベルではない。最初から間違いなく全力で張遼を倒すための攻撃だった。
 しかしそれらを

「くっ……」

 張遼は全て槍で受け止めた。
 とはいえ、夏侯惇の全力での攻撃は張遼の腕を痺れさせるには充分すぎるほど。思わず顔をしかめるほどだ。
 その後も夏侯惇の攻撃は続く。
 夏侯惇の剣は、速さこそあまりないが、それを補ってあまりあるパワーがあった。攻撃を受け止める武器を破壊するほど。そして受け止めようとする敵の腕の骨すら叩き折ってしまうほどの。
 それに対して張遼はパワーとスピードのバランスが取れた万能型だった。夏侯惇のパワーに圧されながらも、彼女はしっかりと相手の攻撃をいなしたり衝突点をずらしたりして防御し、大振りな敵の攻撃の間隙を縫うようにして素早い槍での一撃を見舞う。しかしパワー一辺倒のように見える夏侯惇は、その実防御に関しても隙はなく、見事な防御技術を持っていた。
 そして、

「……なかなかやる」

 攻撃の手を止めた夏侯惇が端的な賞賛を口にする。
 そこには小さく口の端を上げた笑み。
 自分とまともに打ち合える相手の登場を歓迎するような笑いだった。

「当たり前や! ウチはこんなところで負けてられへんねん!」

 それに対する張遼はここにきて気合い充分と言った様子なのか、槍を構えたまま語気を強める。どうやら彼女はスロースターターらしく、気合いも調子も後から尻上がりに上がっていくタイプのようだ。
 勝負はこれから、と気合いを入れ直す張遼。
 しかしそこへ、

「……ならば投降しろ。このままではお前だけでなく兵まで死ぬことになるぞ」

 燃え上がる心を冷ますような、夏侯惇の一言が飛んだ。

「アホぬかせ。あいつらはもう逃げ切っとるわ」
「……魏の軍勢がそれを許すと思っているのか?」
「……あちゃ〜。やっぱ包囲が緩かったんはワザとやったんかいなぁ」

 夏侯惇の言葉に、張遼は驚くと言うよりも納得する。噂に聞く曹操がそんなスキを作る事自体に違和感があったからだ。

「当たり前だ。我が軍の精兵たちが包囲網を薄くする事などあるはずがない」
「じゃあなんで包囲を緩めたりしてん?」

 そう。今回の包囲網の作為的な偏りがワザとだとは思ったが、張遼にはその理由が分からない。
 夏侯惇はその理由を端的に語った。

「死兵を作らないため……そして包囲の緩い箇所を見抜く将を捕らえるため」

 その話を聞いた張遼はさすがに驚いていたが、だがすぐに表情を不敵なモノへと戻す。

「へぇ〜……じゃあウチは曹操のお眼鏡に叶ったってワケや」

 口調こそおどけている張遼だが、そこにはやはり曹操ほどの傑物に認められた事への嬉しさと誇らしさが見え隠れしていた。

「そうだ。だから私がお前を捕らえに来た」

 しかしその夏侯惇の言葉で、気分が良かったはずの張遼の瞳に剣呑な光が戻る。

「……捕らえられると思っとんか?」

 やれるモノならやってみろ、と言わんばかりに再び殺気を放つ張遼。だが、夏侯惇は意外なほどにあっさりと、

「思ってはいない。私とお前の力は互角。捕らえる前にどちらかが死ぬさ」

 自らの任務が困難である事を認めてしまった。
 そんな夏侯惇の態度を意外に思った張遼ではあったが、まだ何か裏があるのでは、と表情は引き締めたまま。

「よー分かっとるやん。ほんならなんで来たんよ」

 その問いに、夏侯惇は勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。

「私には別の勝ち目があるからな」
「──」

 瞬間、張遼には夏侯惇の言う“別の勝ち目”の意味が理解出来た──というより、思い起こさせられた。

「……兵隊を人質に取るのは卑怯やで」

 張遼に心酔し、自分たちよりも彼女の身を案じてくれた多くの部下達。
 包囲の一部を薄くした事が罠であるというのなら、そこへ突撃した部下達は当然今は曹操軍の手の中にあると言っていい。自分はどうなってもいいが、部下達は無事であって欲しい……そんな張遼の願いを踏みにじるような夏侯惇の物言いに、張遼は静かな怒りを燃やしていた。
 しかし、

「千の兵を人質に取る事で、万の兵を率いる事の出来る将を手に入れられるのだ。卑怯という罵倒など安いモノさ」

 そんな張遼の怒りを正面から受け止めた上で、さらりとそう言いのける夏侯惇。その姿を前にして、張遼は己の怒りが急速に醒めていくのがわかった。

「ふーん……デカイなぁ」
「ん? 何がだ?」
「あんたの器量。そして、そんなあんたを使いこなす曹操の器量……その二つがや」
「ふっ……」

 その夏侯惇の笑みは自分への褒め言葉によるモノ……ではなく、純粋に曹操の器の大きさを張遼が理解した事への喜びである。彼女はとことん曹操を中心にしてモノを考える人間だった。

「一つ聞く」

 張遼はあらためて表情を引き締め、夏侯惇に問答を求める。

「聞こう」

 夏侯惇もそれを受け入れた。

「曹操の目指すモノは何や?」
「ただ一つ。天下だ」
「……ええね。その気概、気に入った」

 それが全ての答え。

「曹操に降ろうやないか……これから先、強い奴らと戦うために。ただし……降る前に一つだけ条件を出してええか?」
「良いだろう……なんだ?」

 張遼が曹操軍へと降る条件。それは……

「曹操の趣味は有名やから、よー知っとる。せやけどウチはごく普通に男が好きやし、何よりもいっぱしの武人や。そういうことはせーへんで?」

 つまりは曹操の愛人にだけはならないという宣言。
 しかしその条件を聞いた夏侯惇は、あからさまに安堵の表情を見せた。

「それは……願ってもないことだな」

 そんな彼女の反応に首を傾げる張遼。

「願ってもないって……どういうこっちゃ?」
「競争相手が減る、ということさ」

 その言葉でようやく張遼にも理解出来た。
 つまり目の前の、張遼が武人としても将としても認めた女性は、それこそ文字通り“身も心も”曹操に捧げているのだと。だが、その曹操は決して彼女だけを愛してはくれていないようだ。
 大陸中で“魏武の大剣”の異名で恐れられている猛将夏侯惇の、実に乙女チックな一面を垣間見た張遼は、面白いおもちゃを見つけた子供のように瞳を輝かせる。

「……なんや。元ちゃんも意外と女の子らしい可愛さがあるんやな〜」
「う、うるさいっ!」

 張遼のからかう気満々といった表情の前に、素っ気なく返そうとする夏侯惇だったが羞恥の方が先に立ち、結局顔を真っ赤にしたまま声を詰まらせてしまった。そんな様子が、先ほどの戦いの時とギャップがあって、悪戯好きの張遼にはたまらない。

「ぷぷっ! 照れんでええや〜ん♪」
「照れてないっ!」
「顔真っ赤やのにぃ〜?」
「これは、その……一騎討ちの余韻が残っていて、身体が火照っているだけだ!」
「火照ってって……くはははははっ! ええやんええやん。元ちゃんもなかなか乙女しとるやん♪」
「くっ、それ以上戯れ言を続けるのなら……張遼! もう一度勝負しろ!」

 あまりのからかいに羞恥の限界を感じたのか、夏侯惇は顔を真っ赤にしたまま、一度背中の鞘に収めた大剣の柄を握ってみせる。
 しかし今の張遼は止められなかった。

「遠慮しとくわ。恋する乙女には敵わんしな〜」
「まだ言うかっ!」
「言う言う。これからずーっと言い続けるで♪ ま、これから仲間になんねんし、からかうぐらいは大目に見てや♪」
「……むぅ」

 夏侯惇は、この将を引き入れる事が出来たのは嬉しかったはずなのに。
 これからことある毎にからかわれるのかと思うと、その心中は複雑極まりなかった。






 この後、張遼はまず夏侯惇に自分の部下達の保護を約束させた後、曹操の元へと降る事となる。
 しかし夏侯惇はあえて彼女を曹操の元に連れて行く前に、これから虎牢関を攻める自分の部隊に帯同させると言い出した。

「自ら槍を取らなくても良い。敗軍の将としてかつて味方だった兵が死ぬ様を見据えるんだ……それが後に張遼という人間を大きくしてくれるだろう」
「……はは。元ちゃんも案外キツイこと言うな」
「有能な将以外にこんな事は言わんさ」
「そっか……分かった。んじゃ一緒に行くわ。元ちゃんの後ろで兵の死に様、この目に焼き付けたる」
「……では行こうか」
「おうっ!」

 この時、二人はようやく互いの心身の強さを認め合えたのかも知れない。
 こうして張遼は曹操軍に降ったのだった。










 この後、野戦に出ていた呂布軍の抵抗は一気に弱まる。
 副官であり、実質的な指揮官でもあった張遼が曹操軍へと投降し。
 孫権軍相手に大暴れしていた呂布はいつしか戦場から姿を消していた。
 二人の将を失った軍は、瓦解していく。
 そこへさらに、腰の重かった袁紹軍が動いたのを見て、水関の戦いで半数近い兵を失った涼州連合の諸侯たちも虎牢関攻略の栄誉をかすめ取ろうと動きだし、結果として連合軍は総攻撃をかける事となった。





















「もう、これなら勝負は決したと見ていいのか?」

 敵軍の兵をほぼ撃破した俺たちは、魏呉両軍と共に虎牢関の城門へと攻撃を掛けていた。

「そうですね。反転逆撃が成功した後、連合軍の大部分が城門を突破するために攻勢を仕掛けています。城門突破は時間の問題でしょう」

 現状では、魏と呉、そして俺たちの軍が城門に取りつき攻撃中。
 そして公孫賛軍は野戦に出ていた敵軍の殲滅。
 遅れてやってきた袁紹軍と涼州連合は城門への攻撃を諦め、城壁を直接登ろうと奮戦中。
 確かに虎牢関陥落はもうすぐ目の前と言って良かった。
 その状況を俺たちは城門を攻める兵たちのやや後ろで見据えている。
 いかに愛紗たちが一騎当千の将とはいえ、城門破砕に関しては兵たちの頑張りが無ければ無理だし、そこをわざわざ陣頭指揮する必要はないからだ。
 しかし、

「となれば、そろそろ我らも前に出るべきでしょう。城門を突破し、虎牢関への一番乗りを果たさねば、ここまで奮戦した意味がない」

 愛紗はこの戦いにおける一番手柄を高町軍にもたらすべく、そう意見する。確かに今回、一番危険な橋を渡ったのは俺たちなんだ。そのくせ他の軍勢に一番手柄である虎牢関制圧の功を盗られるのは、あまりに報われない。

「というわけで、朱里。我らはこれより部隊の陣頭指揮を執り、そのまま城内に突入すべく前に出る。御主人様は朱里と本隊をお願いします」

 愛紗は朱里と俺にそう言い残し、鈴々を連れて前線の攻城部隊の元へと向かい出す。
 そこへ、

「あ、待ってください。城門の攻撃には私と御主人様も行きます」

 意外な人物から意外な言葉が返ってきた。
 普段は軍の後方、もしくは本陣にて戦況を判断する朱里が、よりにもよって前線に出るというのだ。

「朱里も、か? 俺だけならともかく、それはさすがに……」
「そうだ! というか、御主人様でさえ危険なのだぞ、朱里」

 当然俺と愛紗が止めに入るが、朱里はそれでも曲げようとしない。

「それは百も承知です。けどここで御主人様には前に出る必要があるのです。そうでなければ、風は吹いてくれないんです」

 風……だと? その言葉の意味が理解出来ず、俺も愛紗も鈴々も。揃って首を傾げた。

「この虎牢関攻略戦を利用して、風評って言う大きな風を吹かせなくちゃダメなんです」

 朱里はその意図を簡潔に俺たちへと伝える。

「古来より英雄とは風評を受けて大きくなる存在。これから先の御主人様のためにも、ここは危険を冒してでも前に出てもらう必要があるのです」
「それはわかる。俺が前に出る事は反対はしないが……だが、朱里は」
「そうだ。城内は間違いなく乱戦となる。危険すぎるのは間違いないんだぞ」

 俺が前に出て戦う事で、敵に、味方に、そして諸侯たちに俺の戦う姿を見せて、それを風評として広めさせるという意図は理解できたが、それなら朱里が前に出る必要はないはずだ。

「それもわかってます。ですが、今回の虎牢関制圧戦は戦う相手は守備兵だけではありません。魏や呉の軍兵さんたちとの争いにもなるんです。となればいかにその場で戦況をしっかりと把握して的確な攻略を即座に行うかが大事です。ですが、それに気を取られていては、戦いそのものがおろそかになってしまいます。そこで愛紗さんたちには戦闘に集中してもらい、戦況判断は私がします」
「……それは」
「確かに……」

 こう言われてしまっては、二の句が継げない。
 いかに朱里が戦況を見定める眼力があり、適切な判断を下せるとしても、虎牢関の外にいては判断すべき情報の伝達も遅くなってしまう。それならば直接朱里も城内に、という言葉には納得せざるを得なかった。

「……わかった。では朱里も参加してもらう」
「良いのですか、御主人様?」

 愛紗の確認の問いに、俺は苦笑して頷く。

「うちの軍師殿は、見た目以上に頑固だからな。言い出したら聞かない」
「あう……」

 頑固者扱いされて反論しようとするも、自覚があったらしく朱里は顔を赤くして黙るばかりだ。

「それに、こうなれば役割分担をしっかりと決めて行けばいい。突入後の戦闘は愛紗と鈴々に任せる。俺は朱里の傍で護衛に徹する。これならいいだろう? 愛紗は元々、俺が前線で積極的に剣を振るうのは反対みたいだし」
「……まあ、それならば」

 ここでまだ朱里の身を案じれば、愛紗が俺の戦闘能力を疑う形になってしまうし、俺が先頭に出てこないと言うのも愛紗にとっては渡りに船のはずだ。
 こうすれば愛紗は納得すると見た俺の目論見通りである。
 これで役割分担も決まり、早速前線の攻城部隊に合流すべく俺たちは前に出た。その際に、俺は朱里にしっかりと言い含めておく。

「朱里」
「はい?」
「城内に突入したら、俺の傍を決して離れないように。お前が俺の傍にいる限りは、絶対に守り通してみせるから」

 俺としては、最低限の注意をしただけだったのだが、何故か朱里はぽ〜っと頬を赤らめ、瞳を潤ませて俺を見つめてきた。そして、

「はわわ……なんか、結婚を申し込まれたみたいです……」
「……は?」
「はわっ!? いえ、なんでもないですから! そ、そそそそそれでは……ふつつか者ですが、どうか末永くよろしくお願いしましゅっ……あぅ、噛んじゃいました」

 何故か場違いにも程がある言葉を返してくる。慌ててどもったり、舌を噛んだりして。
 何を緊張する事などあるんだろうか、と首を傾げていると、

「じぃ〜……」
「あ、愛紗……?」
「…………ふんっ」

 愛紗の冷たくも鋭い視線にさらされ、何故か俺が酷い罪悪感に苛まれてしまうのだった。
 明らかに言い間違えてるのは、朱里なのに……。





 こうして波乱に満ちた虎牢関の戦いもここに来てようやく、その結末が近づいていた──。






あとがき

 ……思った以上に夏侯惇と張遼のやりとりがメインになってるなぁ(汗
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 まあ、このあたりは原作の流れに沿ってのお話となります。夏侯惇と張遼の邂逅。そして恭也たちは虎牢関突入へ……というお話でした。
 さて、今回の話でふと気づいたのですが、以前掲示板で指摘されたように、ちょっと朱里が優遇(?)されてる気がしないでもないです。やっぱり僕は朱里がいちばんのお気に入りなんだろうか? 確かに好きなキャラではあるけど、突出するほどではないと思っていたんだけどなぁ(ぉ
 これは、あくまで無意識のことで、朱里がメインヒロインに確定したわけではないので。そのあたりはご理解いただけると助かります(苦笑
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



いよいよ虎牢関戦も終盤へ。
美姫 「呂布との対決シーンが見れるのかしら」
いやー、楽しみだな〜。
これから恭也たちがどうなるのか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています!



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