軍議──とも呼べない集まり──から自陣へと戻った俺と朱里は、愛紗と鈴々の出迎えを受けた。
「お帰りなさいませ」
「おかえりなのだ♪」
「ただいま戻りました〜」
「ただいま……」
そして早速、
「お疲れさまです……それで軍議の方はどうなったのですか?」
愛紗は軍議の内容が気になっていたらしく、そう質問してくる。
その彼女の問いに、俺は朱里と顔を見合わせ、互いに困り顔になってしまった。
とりあえず、俺たちはあったままの事を愛紗に報告する。
それを聞いていた愛紗の顔はどんどん怒りの色を強めていき、
「な……なんとふざけた事をっ! それでは戦いようが無いではありませんかっ!」
怒りを爆発させた。
とはいえ、俺たちに出来る事はほとんど無く、今はとりあえず攻略目標である水関と虎牢関に間者を放って様子を見るという形を取る事にした。
それでもやはり真面目な愛紗としては、諸侯たちのまとまりのなさに腹を立てていて、機嫌が直る事はなかった。
しかも、その後。
そんな愛紗の機嫌を更に悪化させる出来事が──
「失礼する!」
──うちの陣内にて起こる事になる。
『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
第十三章
随分と威勢のいい女性の声が陣内に響いた。
その声の主へと視線を向けると、そこにいたのは女性の三人組だった。
それぞれが厳つい軍装に身を包んでおり、特に両脇の二人の女性はかなりの武人である事が感じられる。そしてそんな二人を引き連れていたのは、先ほども見た小柄な少女。
「……曹操?」
曹孟徳だった。
あの曹操がうちの陣に一体何の用なのか?
俺は戸惑いを隠せなく、首を傾げていると、
「我が主、曹孟徳が関将軍に用があって参った。関将軍はどこか!」
曹操の脇を固めているうちの一人──長い黒髪の女性が陣内全てに聞こえるほどの声で、よりによって関羽──愛紗を呼びつけていた。
もしかして、愛紗の知り合いなのだろうか?
そんな疑問を感じていると、
「……いきなり乱入しておいて、人を呼びつけるなど無礼であろう!」
軍議の一件で腹を立てたままの愛紗が真っ先に三人の前に出て、猛然と噛みついた。どうやらその様子からして知り合いではないようである。
「……お前は?」
突然怒鳴り込んできた愛紗に驚く事もなく、曹操の脇を固めている女性の一人が誰何する。
クセのない黒髪を腰まで伸ばした、凛々しい女性だ。その身に纏う覇気は、彼女がただならぬ能力を有した武将である事を感じさせる。
一方の愛紗と言えば、やはりまだ冷静さを失っているせいか、
「我が名は関羽! 高町が一の家臣にして幽州の青龍刀。貴様にお前呼ばわりされる謂われはない!」
語気は強く、完全に喧嘩腰だ。
その剣幕に、今度は冷静なはずだった黒髪の女性も、案外あっさりとキレてしまう。
「貴様だとっ!? この私を愚弄するか!?」
……思った以上に短気だった。
突如始まった二人の睨み合いは殺気を含むほどの剣呑な雰囲気。
まずい……このままじゃ連合内である事すら忘れて一騎討ちでもしかねないぞ。ただでさえまとまりに欠けている連合の中で騒ぎを起こすのはマズイし、何より曹操と事を起こすのもやばい。ここはとにかく愛紗を落ち着けようと──
「やめなさい、春蘭(しゅんらん)」
「あ……華琳(かりん)さま……」
俺が出る前に曹操が黒髪の女性を止める。
彼女の声は決して大きな声ではないが、そこには逆らいがたい威厳に満ちた迫力が感じられた。事実、その一言で黒髪の女性は殺気を霧散させて、曹操に前を譲るようにして後退する。
そして入れ替わるように前に出てきた曹操は、自信に満ちあふれた視線で関羽を見上げた。
そんな仕草の一つ一つに、彼女の王としての資質を見せつけられる。
「初めまして、と言うべきね、関羽。私の名前は曹孟徳。いずれは天下を手に入れる者よ」
傲慢で、それでいて美しい──そう思わせる笑みを浮かべながら、自信に満ちあふれた名乗りを上げた。その振る舞いを見て、根拠のない自信……などと笑い飛ばせる者がいるとすれば、そいつの目は間違いなく節穴だろう。彼女には常人にはない“何か”がある。それが何なのかは凡人たる俺にはわからないが、それがおそらくは、天下を狙う人間の素質のようなモノなのかも知れない。
「あなたの武名は私にまで聞こえているわ。美しい黒髪をなびかせながら青龍偃月刀を軽々と操り、庶人を助ける義の猛将」
その曹操が、突然愛紗を前にして彼女を褒めだしたのだ。
……一体何が目的なんだ?
「素晴らしいわね。その武技、その武力。そして理想に殉じるその姿……美しいわ」
愛紗を見つめる目はどこか熱っぽく、夢見心地と言わんばかりに褒めそやす曹操。その怪しくも尋常じゃない雰囲気に、さすがの愛紗も薄ら寒いモノを感じて、曹操の褒め言葉に反論する。
「美しいなどと何を軟弱な──」
「美しいからこそ、人は生きていて価値があるの」
だが、曹操は愛紗の反論を許さなかった。
「ブ男なんて──」
そこで一瞬だけ、俺の顔を一瞥する。
「──それこそ存在する価値さえ無いわ」
「なっ!?」
明らかに俺を挑発するような発言に、何故か愛紗の方が絶句するほどに怒りを露わにしていた。だが、俺はと言うとこの場で怒っていいのかどうかがわからない。
そんな俺の様子を見て、曹操はどこか楽しそうな──ネコがネズミをいたぶってるような──笑みを浮かべて、初めて俺に話しかけてきた。
「あらあら、いいのかしら天の御遣いさん? 面と向かってブ男呼ばわりされてるのに、呑気に構えて。関羽は随分とお怒りだけど……当人であるあなたには矜持がないわけ?」
……そんな事を言われてもなぁ。
「悪いが……生まれてからこれまで、自分の容姿に自信を持った試しがないんでな。顔をけなされてもまったく悔しさが湧いてこないんだ」
「は────っ!?」
瞬間、時が止まった──ような気がした。
何故かはわからない。
今、俺が正直に思った事を口にした瞬間、曹操が呆気にとられ。
そして曹操に付き従っていた黒髪の女性も、今まで一言も発していない銀髪の女性もまた、唖然としていた。
振り返れば、
「………………」
「………………」
「………………」
鈴々、朱里、そして怒りに身を震わせていた愛紗でさえ、何か未知の生物を見るような目で俺を見ている。
……なんだ? 何がいけなかったんだ?
曹操にブ男呼ばわりされて、俺が肯定しただけじゃないか。
というか、そもそもブ男呼ばわりした張本人が、どうして呆気にとられているのかがまったくわからないぞ?
まるで時間が止まったような陣内で、俺一人が首を傾げていると、
「ぷっっ、あはははははははっ!」
凍りついていた面々の中で、真っ先にその状態から脱した曹操が、それまでの威厳も傲慢さもすべて台無しにするくらいの勢いで大爆笑していた。
その笑い声に、その場で硬直していた他の面々も硬直から脱する。
だが、曹操に付き従ってここまで来た二人の女性は、なおも大爆笑している曹操を見て、再び呆気にとられた。
「か……華琳さま?」
「華琳さま……落ち着いてください。さすがにそれは……」
二人は威厳もへったくれもないくらいに笑っている曹操を落ち着かせる。
そして、先ほどの謎の硬直で毒気が抜かれたのか、愛紗もすっかりと落ち着いてしまったようだ。
俺はここで、落ち着いた愛紗に問いかけてみた。
「なあ、愛紗」
「はあ……なんでしょうか?」
「さっきはなんでみんな固まったんだ? 俺、何か変な事を言ったか?」
「いや、その……」
愛紗は即座に目を逸らす。
なんだ? そんなに答えにくいモノなのか?
俺はいったい、どんなミスを犯したのか?
結局何も分からないままじゃないか……ちなみに、それなら朱里か鈴々に聞こうとするが、視線を向けただけで目を逸らされてしまった。
こちらの世界に来て以来、初めて孤独を実感した気がする。
そんな一抹の寂しさすら感じていた時、
「あー、随分と笑わせてもらったわ」
ようやくと言うべきか、やっとと言うべきか。
付き添いの二人が必死に落ち着かせたらしく、ようやく曹操は笑いまくりの状況から脱していた。だが、その代償は殊の外大きかったのか、両脇を固める二人は曹操を落ち着かせるのに苦労したらしく、今はそれぞれ曹操の両脇でぐったりと疲れ切った表情を見せている。
ただ曹操も、さすがに元通りというわけにはいかず、威厳と傲慢さは回復していたが、ここに来た時から感じていた俺に対する敵対心がなりを潜めてしまっていた。
「しかし……なかなか侮れないわね高町恭也。私をこんなに爆笑させるなんて」
「いや、笑いを取りたかったワケじゃないし、いまだにどうして笑われたのかすらわかってないんだが」
「……それもあなたの個性なんでしょ。それで納得しなさい」
「む……」
結局曹操も教えてくれないのか……。
がっくりと肩を落とす俺に、曹操はようやく横道に逸れた話を元に戻す。
「さて、話を戻すけど。さっきの言葉を通じて私が何を言いたかったか……なんだけど」
曹操の瞳がすっと細くなり、俺の隣にいた愛紗を射抜いた。
「ハッキリ言うと、関羽ほどの美しい武将があなたのような小物の下にいる事自体が許せないってことよ」
「──っ!?」
「……関羽。あなた、私のモノにおなりなさい」
……なるほど。
この陣に来た理由は、愛紗の引き抜きか。
「私のモノになればあなたの理想は実現出来るわ。こんな貧乏軍ではなく、私の持つ精兵を使ってね」
曹操は語る。自分の傍こそが、愛紗の理想を叶えるための最短距離である事を。
「優秀な人材、充分な精兵と潤沢な軍資金。この三つを自由に使ってあなたの理想を実現させなさい。私のモノになるのならば、それを許しましょう」
……ただ、一つ気になったこと。それは曹操が望む“私のモノ”という言葉。
それは、愛紗に自分の部下になれ、と言ってる以上の意味が含まれている気がするのは、俺の気のせい──ではないんだろうな。
なるほど……曹操は“そういうひと”なのか。
まあ、それはともかくとして。
曹操の言葉には嘘はない。
彼女には、ありとあらゆる力があるし、それを与えられれば愛紗の理想が実現する可能性はぐっと上がるし、実現する日もずっと早まるはずだ。
「…………」
──少なくとも、俺と一緒にいるよりは。
もちろん、俺たちの軍から愛紗が抜けるなんて事態になれば、軍は空中分解することだって考えられる。だが、俺は愛紗を止める事は出来なかった。
俺は以前、愛紗に言っている。俺が天の御遣いに──愛紗の理想を叶えるに足りないと思った時は切り捨ててくれて構わない、と。
そう言った以上、これは愛紗自身が決める事であり、俺はその言葉に異論を挟む事が出来ないのだ。
「どう? 悪い取引では無いと思うけれど?」
曹操が答えを促すように、念を押して問いかける。
そこには「考えるまでもないでしょうけど」と自信を滲ませていた。
そして愛紗は、明確な“答え”を下す。
「──ふざけるなっ!」
「……っ!?」
それは……怒りに満ちたハッキリとした拒絶。
それがあまりに予想外だったからか、曹操は驚きのあまり絶句していた。
「我が主は恭也様ただ一人! 貴様に頼らずとも我が理想は御主人様と共に実現してみせる!」
そんな曹操を前にして、愛紗はハッキリと宣言する。
俺の元から離れない、と。
──ならば、俺の取る行動は自ずと見えてくる。
心の中で密かに決意を固めた時、
「無礼なっ! 華琳さまに何たる口の利き方だ!」
再び黒髪の女性が曹操の前に出て、火でも噴き出しそうなくらいに苛烈な睨みを愛紗にぶつけてきた。黒髪の女性と愛紗の間でくすぶっていた火種が再燃したようだ。曹操に怒鳴り声を返した愛紗に怒りを感じている黒髪の女性。しかし愛紗も退こうという気は欠片もなかった。
「我が真なる想いも推し量れず、愚弄したのはそちらではないか!」
「聞く耳もたん! 華琳さまを愚弄する貴様を許しはしないっ!」
しかも、ワンクッションあったせいか今度は睨み合いでは済みそうにない。
愛紗の目が剣呑な光を放ち、いつの間にか手にしていた青龍刀を構えた。
「ほお……やるというのか? いつでもこい! 我が豪撃を受けられるのならばっ!」
「…………」
それに呼応して、黒髪の女性も背中に背負っていた得物──何もかもをたたき割るような大剣──を抜き放つ。
二人とも周囲が全く見えていない完全な一騎打ちモード。
まったく……
「二人とも、少しは落ち着け」
「御主人様!」
「貴様……邪魔をするなら斬るぞ!」
二人の間に割って入った俺に、黒髪の女性はおろか、愛紗まで邪魔者を見るような目で見てくる。やれやれ……まったくもって困ったモノだな。
俺はまず、
「……愛紗?」
「あ……う……」
愛紗を一瞥する。
彼女に向ける目には全く何の感情も乗せない。カラッポの視線。
「抑えるように」
「……はい」
これで愛紗は黙ってくれた。
彼女が意地になってる時は怒気をはらんだ眼差しや殺気じみた視線をぶつければ逆効果なので、あえて無感情の視線を浴びせると、落ち着いてくれるのである。これもまたこれまでの間一緒に過ごしてきた中で理解した事だ。
だが、それはおそらく黒髪の女性には通じない。
だからやり方を変える。
「さて……」
「なんだ? よもや関羽に変わり、貴様が私と剣を交えるとでも?」
黒髪の女性はまだまだやる気充分。今は愛紗の代わりと言わんばかりに、俺に向かって殺気を放つ始末だ。
「……俺は高町恭也。貴公の名を聞こうか?」
「ほぉ……礼儀はわきまえてるようだな。私は、姓は夏侯、名は惇。字は元譲! 華琳さまの一の家臣にして魏武の大剣なり!」
一騎打ちの最低限の礼儀として、名乗り合うと言う事。黒髪の女性──夏侯惇は本気で俺が一騎討ちをする気だと思っているのだろう。口の端を挑発的につり上げた。
しかし、
「では、夏侯惇殿よ。貴公を誇り高い魏の将であり、一廉の武人と見込んで問おう」
「む……?」
俺が名を聞いたのは、そんな理由ではない。あくまでも礼儀正しく名乗り上げてから、彼女に話しかけるためだ。
俺は彼女の瞳を見据え、感情を交えずに、抑えた声色で問いただす。
「我らは董卓打倒で手を組んだ連合軍。とはいえ、なんら約束を取り付けるでもなく我が陣内に足を踏み入れ、一騎討ちに雪崩れ込む──それが、真の武人のすることなのか?」
「うっ……」
俺の問いかけに、言葉を詰まらせる夏侯惇。これが、先ほどの愛紗のように怒りの感情を交えて言えば、彼女も意地になって反論したのだろう。しかし、落ち着き払った俺の言葉は頭にしっかりと入っていくはずだ。そうなれば彼女とて考えはする。
「俺はこれまで、何人かの素晴らしい武人を見てきた。武人とは、ただ武技に優れているだけではない。その武技に誇りを持ち、誇りがあるからこそ礼節を重んじる──そんな尊敬出来る人間だと、俺は今も信じている」
「…………」
「そして俺の目は、貴公もまた真の武人であると見ているのだが?」
「そ、それは……」
俺の言葉に照れを覚えたのか、それとも羞恥を感じたのか。夏侯惇は顔を赤くして俺から目を逸らした。殺気はもう霧散しているし、彼女も後は剣を鞘に収めるだけなのだが……武人として、一度抜いた刃をただ戻すという間の抜けた行為をする事に抵抗があるらしく、進退窮まると言った様子で困惑している。
そこへ、
「春蘭、剣を納めなさい」
「……華琳さま」
曹操の鶴の一声。
「主の命令、という理由が出来たのだから。それに従わないと、いつまでたっても剣を納められないわよ? 今回はあなたの負け。それは認めなさい」
「…………はい」
さすがは曹操、というべきか。
夏侯惇の心理状況をしっかりと把握した上で、しっかりと彼女に助け船を出したのだ。
夏侯惇はようやく剣を納め、曹操の後ろへと下がる。その表情が一瞬だけ安堵の色を見せていたのは俺の気のせいではないはずだ。
「しかし……面白い男ね、あなた」
曹操は再び視線を愛紗から俺の方に向けて、どこか愉快そうに言う。
「俺自身、つまらない男だと自認していたんだがな」
「ふふ……その自己認識と周囲の差が、笑いを生むのよ」
「むぅ……」
よくわからんが、どうやらその指摘は間違えていない気がする。
「さっき、関羽はあなたの元を離れる気はない、と言ったわね。だったら話は早いわ」
曹操の瞳がきらりと妖しい光を放ち……何故か俺を射抜いた。そして、
「高町恭也。あなたが私の軍門に下ればいいのよ」
「「「「「なっっっっ!?」」」」」
単純な話を聞かせるかのように、あっさりと言い放つ曹操。
……まあ、そんな事だろうと思った。
他人の陣地にまで来て、堂々と愛紗を引き抜こうと言うのだから、曹操の愛紗に向ける執着は相当のモノだ。だが、愛紗は俺の元を離れない。そうなれば、次に考えるのは俺を殺す事か、もしくは俺ごと愛紗を傘下にくわえるか、の二択しかないだろう。
だが、それを口にした曹操と、言われた俺は意外な事でなんでもないので、特に驚く事はないのだが、周囲の面々は随分と大袈裟に驚いていた。
「か……華琳さまが……」
「お、男を……?」
夏侯惇ともう一人の銀髪の女性は、目を見開いて主の言葉に驚愕し、
「曹操! 貴様何を──っ!?」
「お兄ちゃんが曹操の部下になっちゃうなんて許せないのだ!」
「はわわ……どどどどうすればいいのかな……?」
俺の仲間達は怒りを感じたり慌てたり、と反応は様々だが。
……俺が曹操の部下に、ね。
俺がこの少女に従い、剣を振るう。
そんな姿を夢想して、そこから俺は答えを見出した。
「正直、面白いとは思う」
「へぇ……わかってるじゃない」
「御主人様っ!?」
俺の言葉に、曹操は自信満々と言った様子で頷き、愛紗は驚き狼狽える。
「曹操……俺は君のような人間が眩しく見えるんだ。自らに絶対の自信を持ち、その自信に見合う実力を有し、己の突き進む道にまったく迷いがない。俺は君のような生き方を尊敬する」
これは、嘘でもなんでもない。
その生き方は、俺には絶対に出来ないから。そしてそれは、誰の目から見ても羨むくらいに素晴らしい生き方でもあった。
「そんな君の下で能力を発揮している人間も幸せだろうと思う。だが……」
「だが?」
「今の俺はその“羨ましい環境”に身を置くという選択肢はないんだ」
俺の“答え”を聞いても、曹操は驚いた様子はない。
恐らくこの答えは予想していたのだろう。
特に怒り出すでもなく、平然とその答えを受け入れる曹操。それでも、
「理由を聞いてもいいかしら?」
やはりワケは聞いておきたかったようだ。
さて、ここでなんと言って説明すればいいのか。理由は色々あるのだが……と、考えていて、しっくりくる言葉を思いついた。
「……愛紗たちは俺の事を“御主人様”と呼んでくれているが、実は逆なんだ。俺が、彼女たちのために“主という役目”をやらせてもらってるんだ」
「…………はあ?」
俺の言葉の意味が理解出来ない曹操が「理解出来ない」と言った顔で、俺を見ている。その目はまさに未知の生物を観察するような目だ。
そんな無遠慮な視線に苦笑しつつ、俺は言葉の真意を説明する。
「実は、俺は愛紗と鈴々に救われ、助けられてこの場にいるんだ。彼女たちに出会えなければのたれ死んでいたかもしれない。そしてその後、朱里に出会い、彼女にもたくさん助けられているんだ。だから、俺はその恩人のために、彼女たちが望むように太守をやってる。その俺が、自分たちだけで理想を実現すると豪語する愛紗の言葉を無視して君に仕えるなんて、それこそ恩知らずの恥知らずだろう」
「確かに……ね」
曹操は、俺の説明に納得がいったようだ。
そして、愛紗、鈴々、朱里の三人の顔にも安堵の表情が戻る。やっぱり心配だったんだろう。不安にさせるとは……まだまだ修行不足だな。
自戒し、表情を引き締め直す俺に、曹操は再び猛禽類を彷彿とさせる笑みを見せつけた。
「よく、わかったわ。今日のところは引いてあげる。でもね……」
俺の言葉を理解した上で、曹操はそれでも我を通す。
「憶えておきなさい。私は一度欲しいと思ったモノは必ず手に入れる。例えどんな手を使ったとしても、ね」
それは、あまりに彼女らしい宣戦布告。
言葉で言って聞かないのなら、次は力ずくで関羽を手に入れてやる──彼女は言外にそう語っていたのである。
「今は、高町恭也……お前に預けておくわ。せいぜい今のうちにお仲間ごっこを楽しんでおく事ね」
ならば、俺ももう遠慮する事はないだろう。
俺は隣にいる愛紗の肩を掴み、自分の方へと抱き寄せた。
「え、え……ご、ごごごごごごご御主人様っ!?」
顔を真っ赤にして狼狽える愛紗を無視して、俺は曹操に宣言する。
「俺たちと事を構えるというのなら、覚悟はしておけよ曹孟徳。俺は愛紗を──仲間を守るためならば、鬼にもなるし修羅にもなる。お前の才が天に愛されているというのなら、俺はその天さえ斬り裂こう」
「あら? 天の御遣いがそんな事を言ってもいいのかしら?」
「かまわんさ。俺は天の御遣いである前に“大切なモノを守るためなら神をも斬る”御神の剣士だからな」
互いに不敵な笑みを浮かべ、一歩も引くことなく視線をぶつける。
見つめ合う事数秒ほど。
そして、
「春蘭、秋蘭(しゅうらん)。もう用は済んだわ。帰ります」
「はっ!」
「御意……」
曹操が俺に背中を向けて、陣を後にする。
帰りはやはり、夏侯惇と銀髪の女性を脇に従えて。
だがその前に、
「そうそう、言い忘れてたわ」
曹操が数歩離れたところで、首だけを翻す。
「さっきはあなたを“小物扱い”するためにブ男呼ばわりしたけどね」
「?」
「言うほどひどくもないわ。それだけ」
そして言いたい事だけ言って、再び歩き出した。
俺は優雅な後ろ姿を見せつけた曹操を見送りながら、
「……最後のアレは、どういう意味なんだ?」
彼女の真意がわからず、首を傾げるばかりだった。
曹操が高町軍の陣から出ていった後。
ちょっと一休みさせてくれ、と言い残して自分の天幕に恭也が戻った後の事。
「まったくもって不愉快だ! なんなのだ、あの曹操という女はっ!」
「曹操もだけど、一緒に来ていたおねーちゃんたちも強そうだったのだ」
「……曹操さんは、男嫌いの女好きで有名な方ですから。愛紗さん狙いなんでしょうね」
「気持ち悪い事を言うな朱里! 冗談ではない!」
「にゃはは。愛紗モテモテなのだー」
「鈴々っ!」
「…………」
「……朱里? どうかしたのか?」
「あ、いえ……その、ちょっとだけ気になった事があって」
「なにかあったの?」
「はい……その、さっきも言いましたけど。曹操さんは男嫌いの女好きで有名だと言いましたよね? その彼女が、いくら愛紗さんが欲しいからと言って、御主人様まで抱き込もうとしました。これって、普通なら考えられない事なんです」
「あ……」
「そういえば、そうなのだ」
「実際、曹操さんについていた、夏侯惇さんともう一人の方も、曹操さんの誘いの言葉に驚いてましたし」
「……朱里。まさか……?」
「確証はありません……ありませんけど……」
「………………」
「………………」
「………………」
「やはり、曹操とはいずれ雌雄を決する必要があるようだな」
「鈴々はお兄ちゃんのためなら負けないのだ!」
「愛紗さんはともかく、御主人様は渡しませんっ」
「朱〜〜〜〜里〜〜〜〜?」
「はわわっ!? 冗談、そう冗談ですからっ!」
一方、高町軍の陣を出た曹操達は、自陣へと戻る途中。
「ふふふっ」
「華琳さま?」
「……元々は、関羽を欲しい事を宣言して、あとは徹底的にあの天の御遣いとやらをいたぶってやろうと思ってたのだけど……思いの外楽しめたわ」
「高町、恭也……ですか」
「……高町軍の中でも関羽、張飛の武勇の噂は聞いていましたが、あの男自身も相当な使い手のようですね」
「そうなの? 秋蘭」
「はい。己の力量を極力目立たせぬように振る舞ってはいますが、かなりの腕かと思われます」
「ふーん、なるほどねぇ……なら、尚更あの男を屈服させた上で、欲しくなってきたわね。関羽同様」
「なっ!? か、華琳さま、正気ですか!? アレは男ですよ!」
「正気か、とは随分な言い方ね春蘭。そんなこと、見れば分かるわよ」
「分かってるのなら、余計にタチが悪いじゃないですか! 確かにあの男はか……ぶ、不細工ではないですが」
「……あの男は“か……”?」
「“か……”?」
「なっ、なんでもありませんっ!」
「あらあら春蘭? あなた、まさかあの高町を“格好いい”なんて思ったんじゃないでしょうねぇ?」
「姉者……案外浮気性だな。華琳さまがありながら」
「華琳さまっ! それに秋蘭も! 私は別に一言も……っ」
「と、まあ春蘭をからかうのはこれくらいにして」
「……そうですね」
「うぐぐ……っ」
「秋蘭にはどう見えたかしら? あの男は」
「……なかなかの傑物かと。あのような“まともな”男を見たのは初めてかもしれません」
「そうね。男なんてどれもクズばかりかと思ったけど……あんなのもいるとは思わなかったわ」
「ただ……あれが敵となるのであれば、今はともかく後々厄介な障害になる可能性はあります」
「……面白くなってきたわね。まずはこの董卓との戦いの中で、その価値を見定めさせてもらいましょうか」
「御意……」
「うう……ヒドイです、華琳さま」
「いつまでもいじけてないの春蘭。後で可愛がってあげるから」
「は……はいっ♪」
「ふふっ、相変わらず現金だな……姉者は」
こうして、高町恭也と曹操孟徳──真名華琳のファーストインプレッションは、互いに強烈な印象を残す事になった。
あとがき
……けっこう魏の三人を書いてるのが楽しかったり(ぉ
未熟SS書きの仁野純弥です。
最初の顔合わせではロクに会話がなかったことを思えば、これが事実上の初対面となった恭也と曹操のやりとりがメインとなった今回でしたが、いかがでしたでしょうか?
原作では一刀に対して「不細工」を連発していた曹操でしたが、さすがに恭也にそれはないだろうと思い、違って罵り方とそれに対する恭也の対応となりました。二人とも“らしさ”が損なわれていなければ、幸いです。
では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
では〜。
魏の三人の登場だよ〜。
美姫 「今回は華琳とのやりとりね」
前回は袁紹たちも含めてだったから、一対一じゃなかったしな。
美姫 「面白い展開だったわね」
うんうん。華琳は愛紗だけでなく恭也までも取り込むのか。
美姫 「今後の展開も非常に楽しみね」
次回も楽しみに待っています。
美姫 「待ってますね〜」