幽州の大半を治める事になった俺たちは、独自の法整備を進めたり、少しずつではあるが軍備を整えたり、新たな人材の登用につとめたりと忙しい毎日を送っていた。
 そして、ようやく内政ばかりではなく、外にも目を向けるくらいの余裕が出来た俺たちは、大陸全土に間者を放ち、他の国の情報を集め始める。どの時代においても、やはり情報は何よりも重要だという考えは俺も朱里も愛紗も一緒だったからだ。
 ──そんな状況の中、大陸全土を揺るがす大事件が起こった。
 それは……
















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第十一章


















 ──漢王朝の皇帝、霊帝の死。
 もはやその支配力も黄巾の乱にて地に落ちたとされる王朝だが、それでも皇帝の死はショッキングなニュースだ。だが、皇帝の死だけでは大事件とは言わない。
 では大事件とは何か?
 それは……霊帝の死によって起きた、後継者争いである。
 霊帝は後継者を決める前に亡くなったため、二人いる後継者候補を巡って朝廷が真っ二つに割れてしまったのだ。
 大将軍何進の一派と、宦官たちの一派。
 暴力と謀略が渦巻く朝廷での権力争い。その結果として大将軍何進は謀殺されてしまう。だが何進派の戦力はまだ健在。その何進派の報復を恐れた宦官たちは、自分たちの手駒となる“武力”を手に入れようと躍起になっていた。そんな時に目をつけたのが、何進の呼びかけに応じて都に一軍を率いてきていた併州の牧、董卓である。何進亡き後、身の振り方を考えていた董卓は宦官たちからの要請に応じ、力を貸す事に。
 しかしこの董卓は、世間知らずの宦官達が手駒に出来るほど甘い人物ではなかった。
 宦官達によって朝廷に踏み入る権利を手に入れた董卓は、その軍事力で都をあっさりと支配下に収めると強引に宦官達が擁護していた劉協を献帝として即位させる。そして自らも帝に次ぐ権力を振るえる相国という位に自らを置き、朝廷を壟断しはじめたのだ。
 恐怖と暴力に支配された朝廷は、帝を擁し権力を振るう董卓の一派と、董卓を排除しようと反抗する一派に分かれて争い、やがてその騒乱は大陸全土に飛び火していく──。


 そんな報告が各地に放っていた間者たちから入ってきた。


 そしてついに、打倒董卓を掲げた諸侯の大連合が組まれるという話が具体化してきた。
 大陸北東部を支配下に置く名家袁家の当主、袁紹が諸侯に呼びかけ、その名の下に次々と各地を治める将たちが集まってきているらしい。そして、その呼びかけはこの幽州を治めている俺たちも例外ではなく、袁紹からの使者がやってきていた。


















「……というわけなんだが。さて、どうするべきかな?」

 使者を退室させた後の謁見の間で、その場にいる三人──愛紗、鈴々、朱里に意見を求める。
 それに真っ先に呼応したのは、

「どうするべきか、なんて聞くまでもないでしょう。黄巾の乱で疲弊した人民が董卓の暴政に苦しんでいるのです。これを放ってはおけないでしょう!」

 もちろん義の人、愛紗だった。

「そうなのだ! 鈴々は連合に参加したいのだ!」

 そして鈴々もまた愛紗と意見を同じくしている。
 まあ、この二人に関しては予想通りの意見と言えた。
 俺はここで、この場にいるもう一人──朱里へと視線を向ける。

「二人は連合参加を希望、と。では……朱里はどうかな?」

 今すぐにでも飛び出しかねないほどの表情を見せる愛紗たちに比べ、朱里の表情は固かった。

「……難しいかもしれません」

 ……やはりそうか。
 ある程度、彼女の表情からその答えを予測していたので、俺はさして驚かなかった。しかし、

「何を言う! 私と鈴々に朱里、そして御主人様のお力も合わせれば董卓の軍勢など!」

 弱き民衆を救いたいという思いを同じくしている朱里の否定的な答えに、愛紗が噛みつく。だが、朱里はそんな愛紗の憤慨した様子に怯えるでもなく、冷静に言葉を返す。

「あ、違うんです。そういうことじゃなくて……」
「どういうことなのだ?」
「諸侯の連合……仮にそれを反董卓連合として。その連合に参加を表明している諸侯の名を見てみますと、曹操さん、孫権さん、そして連合の発起人である袁紹さんがいます。この人たちの国はみんな、軍事力、経済力が飛び抜けて高いんです」

 曹操、孫権、袁紹……どれも三国志においてはビッグネームだな。

「だけど私たちにはそのどちらもありません。兵隊さんも少ないですし、税収だって少ない。そんな中を無理して連合に参加するよりも、この乱の後のことを考えた方が良いと思うんです」
「乱の後?」

 朱里の言葉の意味が理解出来ないのか、愛紗達は首を傾げた。しかし俺は彼女の言いたい事が何とか理解出来る。

「連合軍と董卓軍。このどちらが勝利しても、漢王朝はもう大陸を支配する力は振るえなくなる。つまりこの戦いの後には確実に大陸は群雄割拠の時代に突入するということだな?」

 朱里の言葉を代弁出来たのだろう、

「その通りです。さすがは御主人様」

 大きく頷いてから、更に説明を続けた。

「そうなった場合、恐らく多くの諸侯は領土拡大のための戦いを始めるでしょう。そうなれば、軍備や経済力の弱い国からどんどん併呑されていくのは目に見えています。そしてそれは勿論……」
「私たちの幽州も含まれている、か」

 愛紗もまた、朱里の言いたい事を理解出来たのか、先ほどのような勢いは無くなっている。

「はい。ですからそれを防ぐためにも、今は国力の充実が先決だと思うんですけど……」

 朱里の主張はここで終わるのだが、その語尾は弱くなっていった。
 それは、自分の意見が正しい事は承知しているが、それでも結果として董卓の暴政に苦しむ民衆を見て見ぬフリをしなければならない事へのジレンマか。
 理屈で言えば、連合参加はノーだが、感情ではイエスなのだ。
 しかし、だからこそ三人ともはっきりとした答えが出せないでいる。感情と理屈……そのどちらを優先させていいのかがわからないのだ。

「しょうがないな……」

 となれば、当然決断は太守の仕事。

「では……参加してみるか」

 俺は懊悩する三人に変わり、決断を下した。

「先ほどの朱里の説明には一理あるし、現実的でもある。この幽州の行く末を考えれば、それが一番手堅いのは間違いないだろう。だが、俺たちが救おうとしているのは幽州の民だけではないはずだ」

 そして、俺なりに決断した理由を三人に語っていく。

「今、この大陸で何が起こっているのか。連合に参加する諸侯はどのような考えで、どう動くのか。実際にこの目で見て、そして諸侯と言葉を交わす事で、彼らの動向を見極めていこうと思うんだ」

 そして他にも目的はあった。

「それに、この先も俺たちだけで幽州の人々を守れる保証がないのだから、手を組めそうな有力諸侯がいれば、積極的に接触していくべきだろう? 事実、以前の黄巾党との戦いでは、公孫賛の協力があって初めて撃破出来たんだし」
「なるほど……」
「おおー。お兄ちゃん頭いいのだ」
「……そうですね。確かに、今回は逆に好機と見るべきかも知れません。連合という形で擬似的な協力関係になれるのですから、それをきっかけに本格的に同盟関係を結べるかも」

 俺の屁理屈にも近い説明にも、三人は納得してくれる。
 しかし……実はこれも俺の本音ではないのだ。

「とまあ、それらしい理屈を俺なりに並べてみたわけだが……」

 先にそう言って苦笑しながら、やっぱりこの三人には本音を知ってもらいたくて、俺は自らの考えを口にする。

「本音を言えば、俺もみんなと同じなんだ。やはり苦しんでる人たちがいるのに……それを微力でも救う力があるのなら、極力救いたいと思うんだ。俺たちが力を合わせた結果として、この街のみんなに笑顔が戻ったように……都の人たちも助けたいと、随分と欲張りな事を考えてる」

 以前の俺なら、自分の周りにいる大切な人たちさえ幸せなら、それで構わないはずだった。
 しかし、この世界で出会った俺の仲間達はみんな「この乱世で苦しむ弱き民を救うため」という立派な願いを持ち、それを叶えるために懸命に生きている。そんな彼女たちの生き方に、いつしか感化されてしまったらしい。

「俺は愛紗に、鈴々に、朱里に助けられてここにいる。そんな三人に助けられた俺はどうすればいいか? そう考えた時に、俺に出来る事は一つだけなんだ。みんなの願いの手伝いをする事──戦乱の世で苦しむ庶人を救いたいと思ってるみんなの願いを叶える手伝いを頑張るしかないと」

 これこそが今の俺の原動力。
 もちろん感化はされている。しかし、なんだかんだでやはり重要なのは彼女たちなのだ。
 彼女たちが求めるから、俺も……なんて。まあ、どんな大義名分があったとしても、やはり俺はエゴイストなのだろうな。
 俺の本音を聞いた彼女たちはと言えば、何故か三人とも頬をほんのりと赤く染めている。

「そこまでして……我らの事を考えてくれてるなんて……こんなに嬉しい事はありません」
「えへへ……鈴々だって、お兄ちゃんのおかげで頑張れるんだから。一緒なのだ!」
「はわわ……わ、私の方こそ、御主人様のために……頑張りましゅっ……あぅぅ……」

 ……とりあえず、こんな身勝手な理由でも呆れてしまっていたわけではないようだ。
 それどころか、

「私は御主人様に仕えている事を誇りに思います。貴方様のその決断に、何の異論がありましょうか」
「鈴々もー。お兄ちゃんはやっぱりお兄ちゃんなのだ♪」
「御主人様のお考えはとても尊いと思います……ですから、私も御主人様に従います」

 彼女たちは諸手をあげて賛同してくれる。
 どうにも彼女たちは俺を美化してるフシがあるが、それでもやっぱり嬉しいモノだ。

「ありがとう……よろしく頼む」

 俺は素直に彼女たちに頭を下げる。
 以前は「配下の者に軽々しく頭を下げてはいけません」などと何度も愛紗に言われたりもしたが、今はそんな事は言わない。もう、諦めたのか。あるいは──

「それでは連合に参加するのは良いとして、さっそく軍編成のお話をさせてもらいます」

 どこかしんみりしていた空気を一新させるように、朱里が早速連合へ参加するための話を切り出してきた。

「今回の連合参加ですが……やはり愛紗さんと鈴々ちゃん。それに私と御主人様が参戦しなくちゃダメだと思うんです」
「無論だな。しかし……守りはどうする?」

 愛紗の心配もよくわかる。
 この四人全てが連合に参加するとなると、当然気になるのは参戦中の間の幽州の留守をどうするべきかということ。
 それに関しては鈴々が実に楽観的に、

「誰かに任せちゃうしかないのだ」

 究極的な意見を口にした。
 まあ、勿論その通りなのだが。
 そこで俺はふと、最近になってよく働いてくれている二人を思いだした。

「糜竺と糜芳の姉妹あたりはどうだ?」
「そうですね。あのお二人なら政にも精通してますし、軍を率いる才能もそれなりにありますからね。適任だと思います」

 糜竺、糜芳の二人は、幽州の大半を治めるようになった後に、俺たちの仲間になる事を志願してきた姉妹である。愛紗や鈴々のように武勇に秀でたタイプではないが、内政における実務能力と、戦場における策の立案に関してはなかなかのものがあった。つまりどちらかと言えば朱里と似たようなタイプなのである。もっとも、その能力は朱里には及ばないのだが。

「糜芳か……ふむ。大丈夫なのか?」

 俺と朱里は問題ないと思っているのだが、愛紗の方はどうにも引っかかるモノを感じているようだ。

「愛紗は何か不安があるのか? 糜芳に」
「いえ……そういうワケではないのですが」

 俺としてはこれ以上の適任はいないと思っているのだが。
 愛紗からしてみればあの二人は、この幽州に来てまだ一ヶ月足らずで信頼するには時間が足りないとでも思っているのかも知れないな。
 だが、

「確かにあの二人はここに来て日が浅いが、それでも俺の指示にもいつも笑顔で応じてくれるし、実によく働いてくれていると思うんだが。頼りない太守である俺の事をいつも気に掛けてくれているようだし」
「……ですから、それが露骨すぎて気に入らないのです……」
「は……?」

 ……愛紗は何を……?

「い、いえっ! やはり何でもありません! 私は御主人様の決定に従いますので! そ、それより……連合に参加した後の話ですが」

 どうにも様子がおかしかったが、まあこっちの決定に従ってくれるというのなら、そこを掘り返す事はないか。

「ふむ。参加して……最初に行うのは」
「戦うだけなのだ!」

 血気盛んな鈴々の言葉に、思わず苦笑してしまった。

「ふっ、まあ単純にはそうなんだが。その前にやることもあるんだよ、鈴々」
「うにゃ?」

 俺の言葉を受け継ぐように、朱里がそのあたりを説明してくれる。

「勿論、戦うための連合ですから。けどその前に他の諸侯との面通しがあって、その流れから軍議となるでしょう。その時に私たちの担当部署も決められると思います。もっとも……普通に考えれば、私たちのような規模の小さい軍は最前線に回される事はないと思いますが」
「だろうな。まあ、正直な事を言えばその方が助かると言えば助かるがな」

 ──この考えが甘いと痛感させられるのは、もう少し先の事なのだが。








 こうして俺たちは着々と連合への参加準備を進めていった。
 袁紹の使者にもそのように返事して、丁重に送り返し、後日留守を頼む糜竺・糜芳の姉妹にも、

「──というわけなので、連合に参加する間の留守を二人に頼みたい。お願い出来るか?」
「お任せ下さい! 御主人様のためならば、全力で!」
「ありがとう……」
「きゃーっ♪ 御主人様に微笑みかけてもらっちゃったーっ♪」

 ……こうしてその責務を言い渡し。

「……やはり気に入らん……っ」

 そこに同席していた愛紗はどうにも不機嫌そうだったのが、俺には怖かったのだが。
 こうして俺たちは急ピッチで軍備を整わせ、出陣するのだった。






















 その頃の都──洛陽では。







「大陸に割拠する諸侯が連合を組んだようよ」

 眼鏡をかけた、知的な雰囲気を漂わせる少女の声が広すぎる玉座の間に響き渡る。
 その声は、今の彼女の表情と同じく……固かった。

「ウチらと戦うために? まったく……暇な奴らもおったもんやなぁ」

 それに応えるは、対照的とも言えるような陽気でお気楽そうな(何故か)関西弁の声。
 しかし、その関西弁の少女もまた表情は渋かった。
 メガネと帽子がトレードマークの、長い髪を細い三つ編み二房にして垂らす、クセの強そうな小柄な美少女──彼女の名は賈駆文和。
 そして、下はやや露出の高いズボンらしきものを穿き、上は豊満な乳房をさらしで巻いて隠すだけ。更にその上にコートのような上着を肩にかけている、というなかなかに傾いた服装をした、関西弁の少女──彼女の名は張遼文遠。
 賈駆は董卓軍にこの人ありと言わしめた、知略に優れた軍師。
 張遼もまた、董卓軍内でもその知勇で名を馳せた猛将である。
 その張遼の軽口にもさらりと応じつつ、賈駆は言葉を続けた。

「そうね。だけど曹操や孫権が連合に加わっているらしいから……かなりの強敵でしょう」

 曹操も孫権も、この大陸にいる人間なら誰しも聞きおぼえがあるという名将である。その二人が手を組み、敵となると聞けば、賈駆でなくとも気が滅入るのは無理もないはずだ。

「せやろね。曹操には猛将夏侯惇、夏侯淵の姉妹がおるし、孫権には甘寧や周瑜がおる。それに最近売り出し中の高町って奴の下にも、ええ武将が集まっとるらしいしなぁ。なんとも、強敵っちゅーか難敵っちゅーか」

 しかし、その困難さを果たして理解しているのか、という人間もその場にはいる。

「ふんっ。何を恐れる必要がある? たかが寄せ集めの軍隊。そんなものが何十万集まろうと、所詮は烏合の衆ではないか」

 そう言い切るのは、董卓軍でも武勇に優れる事で名高い女丈夫、華雄だった。
 弱気な発言が続いてる中で、銀髪の勇将華雄は息巻いている。しかし、

「烏合の衆、ねぇ……」

 張遼はそんな彼女の姿を醒めた目で見据えていた。
 だが、そんな張遼の視線に気づかない華雄は更に続ける。

「そうだ。それに水関や虎牢関が洛陽への道を阻んでいる。そこに拠って戦えば、連合軍など恐るるに足らず、だ」

 生粋の武人であり、自らの武技に絶対の自信を持つ華雄は、自分の敗北を疑わなかった。しかし、賈駆も張遼も、そんな楽観視は出来るはずもない。

「そんなに簡単にいくかぁ? 黄巾党との戦いで将も兵も戦慣れしとるし……ウチは結構苦戦すると思うねんけど」

 むしろ理屈としては張遼の方が正しい。事実横では賈駆も「そうね……」と頷いていた。しかし華雄はそれを惰弱と一喝する。

「何を弱気な! 夏侯惇だろうと甘寧だろうと、私と呂布ならば一合で叩き伏せる事が出来る! それをどうして恐れる必要があるのだ!」
「……別に恐れとるワケやない。ウチかて強い奴とは戦いたいって思う。せやけどなぁ……」

 これが一騎打ちだと言うのなら、話は分かる。しかしこれから起きるのは間違いなく“戦争”なのだ。強い将がいれば勝てるなんて、単純な話ではない。
 とはいえ、ここまで来ればもう、戦いを回避する術はないのだ。
 二人の将の間に、賈駆が割って入る。

「……張遼の言いたい事も良く分かるけど、何があっても連合軍に負けるワケにはいかないのよ」

 その賈駆の表情こそは冷静だが、その瞳の奧にはある種の悲壮感すら漂っていた。
 それを見抜いた上で、張遼は言葉を返す。

「そりゃそうや。負けるんはウチかてイヤやもん」
「……ならば四の五の言うな!」

 あくまで張遼は賈駆の言葉に同意しただけなのだが、自分が論破したと勘違いしたのだろう、華雄は張遼を一喝した。
 それに対して一言文句を言おうと思った張遼だったが、華雄の相手をするのは疲れたとばかりに適当に対応する。

「……せやなぁ。んじゃウチは何も言わずに賈駆っちの命令に従うわ。お好きにどーぞ」

 なんとも投げやりな言葉だが、賈駆は特に気分を害した様子もなく、冷静に指示を下した。

「……分かった。じゃあ張遼は呂布に出陣の事を伝えて。二人には虎牢関を守ってもらうわ」
「あいよー。んで、どっちが大将?」
「呂布よ。張遼は補佐してあげて」

 賈駆の指示を聞いた張遼の表情が渋いモノへと変わっていく。

「あの呂布ちんをウチが補佐すんの? そりゃまた……難儀なことやなぁ」

 やれやれと言わんばかりに肩をすくめる張遼。彼女にとって呂布という将を御す事は骨が折れるようだ。そしてそれは賈駆も理解している。

「大変だろうけど……お願い」
「ほいほい」

 だからこそ、賈駆は張遼に託すのだ。それは賈駆が張遼を信頼している証でもある。それを張遼も理解しているからこそ、賈駆の指示を受け入れた。
 そして賈駆は、華雄への指示を出す。

「華雄将軍は水関で連合を迎え撃って。ただし、こちらから討って出る事は控えて」

 だが、華雄は彼女の指示に頷こうとはしなかった。

「なにっ!? この私に守りに徹しておけというのかっ!?」
「そう。遠征してくる連合軍の弱点は補給ただ一点。水関に籠もって兵糧が尽きるのを待つの。兵糧が無くなれば連合軍は退却を──」
「断るっ! なぜこの私が亀のように、甲羅の中に頸を隠していなければならないのだ!」

 賈駆の丁寧な説明にも耳を貸さない華雄。自分の中に、籠城などという作戦はないとばかりに反論した。

「私は武人だ。武人が自らの武を敵味方に披露しなくてどうする? 砦に籠もっているだけなどと、武人としての矜持が許さん」
「でも敵が……」

 いくら武勇に秀でた武将が居たとしても、無茶である。仮にこの華雄が“一騎当千”だとしても、敵は数万にもなる大軍なのだ。
 しかし華雄はいくら言っても聞いてくれない。

「連合軍など、我が武の前では無力だ! それとも何か? 賈駆は我が武を侮っているのか!?」

 そんな彼女の姿に、賈駆は半ば諦める形で覚悟を決めた。

「……分かった。あなたの力は認めているもの。全てあなたに任せるわ」

 それは……“水関を捨てるという覚悟”である。
 そんな賈駆の内心を見る事の出来ない華雄は、

「ふん、当たり前だ……では、軍議は終了だな。私は失礼する」

 自らの意見が通った事に満足したのか、意気揚々と玉座の間を出ていった。

「…………」
「…………」

 その場に残った二人──賈駆と張遼は互いに無言で視線を合わせた後、

「はぁ……」

 まずは賈駆が大きな溜息を吐く。そして今度は張遼が、華雄の出ていった出入り口を一瞥してから呆れ果てたような口調で呟いた。

「ああいう自分がいちばーん、とか思っとるアホは、周囲が何を言うても聞かんのが玉に瑕やな。アホやねんから人の言う事聞いときゃええのに」

 随分と辛辣な言葉。
 普段は陽気な彼女だけに、先ほどの華雄の態度は腹に据えかねていたのだろう。
 やれやれと頭をかいてから、張遼は表情を引き締めて賈駆と再び向き合った。

「……んで、どうすんの? 賈駆っち」
「作戦は変わらないわ。水関で防衛して、虎牢関でも防衛。これしかないでしょう? 圧倒的に兵士の数が違うんだから、まともにやって勝てるはずがないもの」

 先ほどは「何があっても連合軍に負けるワケにはいかない」と口にしていた賈駆ではあるが、それがいかに困難な事なのか、一番理解しているのも彼女なのである。
 そしてそれは、張遼も同じだ。

「せやねぇ……大陸中に蔓延しとる噂の通りに、本当にこの洛陽で暴政を布いとるんやったら、徴兵でも何でもして、それなりに対抗出来るんやけど」
「……ボクだってそうするのが一番っていうのは分かってる。けど……月(ゆえ)が許さないのよ」
「……董卓ちゃんは優しいからなぁ。でも……“あいつら”は何て言う?」

 張遼の目が、一瞬だけ鋭くなった──彼女の口から“あいつら”という単語が出た瞬間に。
 そして賈駆もまた、口にも出したくないと言わんばかりに顔をしかめた。

「さあね。元々連合軍を追い返そうなんて考えてもいないんじゃない? “奴ら”の狙いは……」
「一点集中、“アイツ”だけか…………なあ、賈駆っち?」
「なに?」

 張遼は、声を抑えながら、賈駆にだけ聞こえるような声で言う。

「“あいつら”のために死ぬなんてアホ臭いやろ? 月ちゃん連れて逃げる準備しときや」
「…………」

 その突然の張遼の言葉に、賈駆は表情を硬直させた。
 そんな賈駆の表情を見て、張遼はにかっと気持ちのいい笑みを見せる。

「それぐらいの時間やったら、ウチらが何とか作ったるさかい。ま、そんときは自分らの力で“あいつら”に取られた人質をどうにかしてもらわんとアカンけど」

 張遼の言葉に嘘はない。彼女はこの戦いが敗戦という形で終わる事を見越していて、それでもなお賈駆と董卓の二人を気遣ってくれているのだ。
 しかし賈駆文和という少女は、今まで軍師として常に冷静に、そして情に流されぬように、自らの感情を強く封印していたため、こんなにも嬉しい時に、どんな表情をしていいのかわからない。
 だから、

「……ええ、分かってる……お願いするわ」

 賈駆は笑顔を見せる事も出来ないままに、そう言うのがやっとだった。
 しかし、張遼は賈駆のそういった性格を知っているので、彼女のしかめっ面にも気分を害した様子はない。

「エエで。時間稼ぎはウチに任せとき。んじゃ……こっちもそろそろ準備に入るわ。呂布ちんも探さんとアカンし」
「そうね……呂布の事、よろしくね」
「ほいよー。ほんならまたあとで」

 ひらひらと手を振って、張遼もまた玉座の間を出ていった。
 その彼女の後ろ姿に心の中で感謝し、戦場で彼女が命を落とさぬようにと祈る。
 そして賈駆はあらためて、この部屋の中央にある玉座に目を向けた。

「…………」

 そこには、帝の姿もなく。
 ましてや自らの主、董卓の姿もない。
 誰もいない玉座の向こうに、一人の少女を思い浮かべながら、その悲壮なまでの想いを呟いた。



「月は……月だけは、ボクが守ってみせるんだから」





















 一方、賈駆を残して玉座の間から退室した張遼は、王宮の敷地内にいるはずの呂布の姿を求めて、歩き回っていた。

「さーて。どこにおるかいなー……って、おお、いたいた。おーい呂布ちーん!」

 そして、あっさりとその姿を見つけた。
 そもそも呂布がこの敷地内でいる場所はかなり限定されるので、彼女を捜し当てる事は張遼にとってはさほど難しいことではない。
 今回呂布がいたのは……王宮内でも比較的草木が多い中庭だった。

「…………??」

 中庭で、宙を眺めていた呂布は、突然呼び止められ、気の抜けた表情のままで張遼の方へと視線を移す。
 浅黒い肌と、無造作に短くしている赤い髪が目を惹く、独特の雰囲気を持った少女だ。比較的肌が露出してる動きやすい衣服から覗かせる肢体は健康的で自然な美しさがあり、張遼と同年代のはずなのに、その表情に乏しそうな顔には歳不相応のあどけなさが感じられる。
 これが──呂布奉先だった。
 張遼は中庭の真ん中あたりに突っ立っている呂布の下へと歩み寄る。

「出陣やって。準備しろーって賈駆っちが」
「………………………………………………(コクッ)」

 張遼の言葉に、長い間の後に頷く。
 そんな彼女の様子に、眉をひそめる張遼。呂布がこちらの言葉に納得する時は、間を空けずに頷くのを知ってるからだ。つまり彼女は何か納得していない事があるらしい。
 そして再び張遼から視線を外す呂布。

「ん? どしたん? ボケーっとして」
「……チョウチョ」
「ん? おお、あれかー」

 呂布の視線を追いかけると、そこにはひらひらと宙を舞う蝶。呂布はどうやらこの中庭でずっと蝶の姿を追っていたらしい。それに納得した張遼だったが、

「……ヘン」
「ヘンって何がよ?」

 唐突な呂布の指摘に、あらためて蝶を見た。飛んでいる蝶は特に変わった種には見えない。ありふれた蝶のように見える。
 だが、呂布が「ヘン」と表したのは蝶ではなかった。

「……霞(しあ)」

 霞とは、張遼の真名である。
 つまり呂布は張遼の様子がおかしいと言いたいのだ。

「はあっ!? ウチがヘンって? なんちゅー失礼なことを言ってくれんねん、呂布ちんは〜」

 突然脈絡もなく「ヘン」などと言われ、さすがに反論する張遼。しかしそれほど気分を害した様子はない。呂布とは“こういうタイプ”であることは理解しているからだ。
 しかし呂布はなおも言い続ける。

「……ヘン」
「まだ言うんかい……それはええから、はよ準備しぃーって」

 呆れるようにして呂布をあしらう張遼。
 これまでのやりとりでわかるように、呂布は語彙が少なく、あまり賢くはないようだ。しかし彼女はその分直感力に優れている。ゆえに、張遼の様子がいつもと違う事を察知したのだ。だから彼女は張遼をヘンと言う。
 しかし、張遼が「それはええから」と言うので、呂布はもう指摘する事をやめた。彼女は素直な性格なのだ。

「……戦?」
「そ。敵が洛陽に攻めてきとんねん。それを追っ払うのがウチらの役目や」
「……(コクッ)」

 今度は普通に納得出来たのだろう、短い間で頷いた。
 呂布の様子を見て、張遼は簡単に今回の戦における自分たちのポジションを説明する。

「役目が分かったところで出陣の準備しよな。ウチらは虎牢関の守備や。大将は呂布ちんがやれってさ」

 それを聞いた呂布は、すぐに無言のまま、首を横に振った。

「ん? 無理なん?」
「……(コクンッ)」

 今度はかなり大きく頷く。
 呂布も大将というポジションが、色々と“難しい”ということは認識しているのだ。難しい事は嫌いな呂布はそれをやりたがるはずがない。

「うーん……賈駆っちの命令やしなぁ」

 張遼もそんな呂布の気持ちがわかってはいるのだが、董卓軍の軍師、賈駆が決め、それを引き受けた以上はそれを今になって覆すワケにもいかなかった。
 ならば、と呂布が張遼を指差す。

「……霞」

 それは、大将は張遼がやればいい、という意思表示。だが、張遼もそれは頷けない。

「ウチにせいって? そりゃ無理やわ。序列を乱すようなことはしとーないし」

 ある種軽薄にすら聞こえる彼女の口調のせいで、勘違いしそうだが、張遼もまた生粋の武人であり、軍人なのだ。軍人であるからこそ上層部の命令をあっさりと覆すような真似は出来ないのである。
 しかし、そんなモノは呂布には通じなかった。

「………………」

 呂布は哀願するような眼差しで張遼を見つめる。

「うう……そんな捨てられた子犬みたいに悲しそうな目で、ウチを見んといてくれぇ〜……」

 その圧倒的なまでに庇護欲をそそる呂布の視線の前には、猛将張文遠もたじたじだ。

「………………」

 そして呂布はなおもそのつぶらな──しかし悲しみに彩られた瞳で張遼を見る。
 結果、

「……分かった。分かった分かった!」

 張遼は陥落した。

「じゃあ呂布ちんの仕事はウチが肩代わりしたる。けど大将が呂布ちんっていうのは変更なしやで?」
「……?」

 張遼の言葉の意味がわからず、首を傾げる呂布。

「つまり名目上は呂布ちんが大将やけど、雑務やらなにやらについてはウチがやったるってこと」

 その説明を聞いて、

「………………………………………………(コクッ)」

 呂布は長い時間を掛けて、どうにか理解し、いつもの茫洋とした瞳に戻って頷いた。
 そんな呂布のリアクションと、自分の甘さに苦笑するしかない張遼。

「長い間やなぁ……ま、ええ。んじゃウチは出陣の準備をしてくるから、呂布ちんはしばらく待っといてーな」
「……(コクッ)」

 今度はすぐに頷いた。それを見てにかっと笑った張遼は呂布に背中を向け、中庭を出ようとする。大将の雑務を肩代わりするとなると、彼女もこれから忙しくなるからだ。
 だが、その間際に、

「ほんならまたあとで。呂布ちん……チョウチョばっか見とらんと、武具の手入れぐらいしときやー」
「……うん」

 張遼がそう言い残すと、呂布は張遼に感謝していることを伝えたかったのか、ここで初めて声に出して頷いたのだった。
 そして張遼がいなくなり再び一人になった呂布は、蝶から視線を外して空を見上げる。


「……また、戦……」


 その呟きには、いかなる感情も含まれてはいなかった──。






あとがき

 ……今回は原作通り、ってことで(ぉ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 一応物語としては新たな展開のスタートとなりますこの話。まあ、そのプロローグとも言うべき今回のお話は原作にほんのわずかなプラスαを加えた程度となりました。
 この『VS董卓軍』のシリーズでは、登場人物が多くなりますので、けっこうゴチャゴチャしてしまうと思うのですが、少しでも読みやすく出来れば良いなぁ、とは思いますが……まあ、生暖かい目で見守っていただけると助かります(ぇ
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



いよいよ菫卓軍との戦いが始まるのか。
美姫 「楽しみよね」
うんうん。華雄との戦いも楽しみだな。
美姫 「その前に顔合わせとかがあるけれどね」
勿論、それもどうなるのかワクワクしてるよ。
美姫 「続きを楽しみにしてますね」
待っています。



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