「な……奴は何を考えているんだっ! くそっ!」

 最初にショックから抜け出したのは公孫賛だった。
 続いて俺も驚きによる硬直から脱すると、すぐさま朱里に指示を出す。

「朱里! 愛紗と鈴々に兵をまとめるように言ってくれ! 俺たちもすぐに出る!」
「は……はいっ! 了解しましたー!」

 遅れて我に返った朱里は、慌てて俺たちの陣へと駆け出していく。その去り際に彼女から耳打ちを受けた。それは、例の少女──趙雲が突撃した時用の策の概要。
 その様子を見ていた公孫賛が、俺の腕を取った。

「ちょっ……どういうことだ? あやつのことなど放っておけば良いじゃないか」

 公孫賛の言いたい事は分かる。
 ここで両軍が連携を取らなければ、黄巾党軍には勝てないのは火を見るより明らかだ。それをたった一人の暴走した将を助けるためだけに、一方の軍が動き出そうとすれば止めるのは当たり前だ。
 しかし……

「さっきも言ったはずだ。ここで将を失えば全体の士気が落ちる。兵数で不利なのに、ここで士気まで落ちてしまえばそれこそ勝ち目はなくなってしまう」
「それは……確かに……」
「それに、こうなってしまってはもう敵も動かざるを得ないはずだ。こうなったら覚悟を決めるしかない」

 趙雲が突撃すれば、敵も動いてくる。彼女が玉砕したとしても、その勢いのままに攻撃してくるのは間違いないだろう。
 もう、ここで待ちの姿勢を貫いてる場合ではないのだ。

「しかし、策もないままには……」
「こちらは策を準備して敵に当たる。恐らく俺たちの軍は正面からぶつかることになるだろう。だから公孫賛の軍は、俺たちをおとりにすることで敵の後方に回り、奇襲を掛けてくれると助かるな」
「ふむ……」

 咄嗟に出した俺の方策──勿論先ほど朱里から耳打ちされたモノだが──に、公孫賛は思案する。
 この策が有効かどうか。そして公孫賛の軍にどれほどの被害が出るかを。
 そして答えが出た。

「……良いだろう。ならばそちらは存分におとり役を果たしてもらうぞ? 私たちは伏兵となり、奴らの背後を取って奇襲を仕掛けてやろうじゃないか。本当にそれで良いんだな?」

 この確認は、明らかに負担が俺たち側の方が重い事を考慮しての彼女の優しさだろう。
 しかしそれは充分すぎるほどに理解しているつもりだ。
 だからこそ、

「……すまん。無茶を言ってるのは承知している」

 俺はあえて謝罪する。
 恩人である彼女の意見をほぼ無視する形でこうして戦端を開く事になったのは、やはりこちらの責任だからだ。
 その上で俺は頷いてみせる。
 しかし、俺が頭を下げた事で公孫賛は呆れるように溜息をついた。

「まったく……天の御遣いとやらがこんなにバカだとは思わなかったぞ」
「憶えておいてくれ。けっこうバカなんだよ」
「しかも、開き直るとは……救いようがないな」

 そう言いながら、俺たちは顔を見合わせ………………同時に吹き出した。
 時間もない中、もう俺たちにぶつけ合う意見など無い。
 俺は彼女に背を向け、自分の陣へと戻る。その背中に、彼女の最後の確認。

「言っておくが、ある程度は奴らの攻撃を凌いでもらわんと困るぞ。せめてこちらの準備が整うまでは戦線を維持しろよ」
「了解だ。なんとかやってみるさ」
「そちらが危険と判断すれば、我らは退くぞ。元々そこまで付き合ってやる義理は無いのだからな」
「……分かってるさ。これだけでも充分すぎるくらいだ」

 それは偽らざる本音。
 これ以上彼女に求めるのは、図々しいくらいだ。
 なのに、

「だが……まあ、なんだ。その……お前らの武運を祈っておいてやる」

 そんなことまで言ってくれるのだから、こっちの頬が緩んでしまう。
 俺はちらりとだけ振り返り、

「公孫賛……君はいい女だな」

 笑みを浮かべながら、俺は公孫賛の陣を後にした。







「……バカが……そんな顔を軽々と見せるな。どうにかなりそうじゃないか……」

 それは一体、誰の呟きだったか──。

















『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
 第八章



















 自陣に戻った俺は、朱里から状況を聞き終えていた愛紗の、

「はぁ……何を考えているのです、全く」

 呆れ果てたと言わんばかりの溜息で迎えられた。
 まあ、こればかりは無理もない。彼女──趙雲を助けるために軍を動かすなんて、それこそ正気の沙汰とは思えないだろう。
 しかしここは曲げられない。

「……みんなには無理を強いる事になるのは承知している。だけど、ここで彼女を見殺しにするのはまずいんだ。愛紗たちが掲げる理想……乱世を鎮めるためには、彼女は必要な人材なんだよ」

 俺の言葉が意外だったのか、愛紗の目が驚きで見開いた。
 まあ、もっとも……これでもし彼女を助けたとしても仲間になる保証はどこにもないんだが。

「……それほどの人物なのですか?」
「そうだな……気を悪くしないで欲しいんだが。俺の見立てでは、愛紗や鈴々に負けないほどの傑物だと思う」

 もしかして二人は不満に思うかも知れない……そんな不安もあったのだが、

「つよそーだもんね、あのおねーちゃん」

 意外なところから俺の評価を認めるような意見が出てきた。
 鈴々だった。
 鈴々と趙雲は直接の接触はなかったはずだが、それでも彼女は趙雲の実力を見抜いているような口振りである。

「分かるのか?」
「うん。歩き方とか見てるだけでも、ぜーんぜん隙が無いもん」

 幼い外見とは裏腹に、それはしっかりと武人の意見だった。

「確かにな。しかし……たった一人であの数の賊軍に立ち向かうなどと。無謀にも程がある」

 そして愛紗もまた、趙雲の資質に関しては疑う余地もないとしながらも、彼女の剛胆すぎる今回の行動には呆れている。
 そしてそれは俺も同感だ。
 黄巾党が烏合の衆である事や、俺たちの軍に愛紗と鈴々という勇将が存在する事など、状況把握する眼力と情報収集能力もあるのに、今回の彼女は暴走していた。公孫賛との口論も、見た目冷静だった彼女だが、実は誰よりもまともではなかったのかも、と今なら思う。

「確かに無謀なんだ……だが、彼女は恐らく公孫賛軍でも随一の将。そんな彼女が突撃し、返り討ちにあえば、軍全体に動揺が走るのは間違いない。彼女が素晴らしい能力の持ち主であろうとなかろうと、ここは助けないとならないだろう」
「まあ、それは理解出来ますが……しかし、言うほど易い状況ではありません。敵の数は多く、我が軍の兵ははるかに少ない。まともにぶつかれば、勝ち目は……」

 愛紗は言う。
 俺の懸念も理解はしていると。それでもなお、この状況は厳しいのだ。
 しかし、

「策はあります」

 俺たちには、頼れる軍師が居る。

「彼我の戦力差はありますが、これぐらいならば充分に対応出来ます」

 朱里の口調は淡々としている。緊張した時の慌てぶりとはまるで違い、澱みのない物言いには秘めた自信が見え隠れしていた。
 それを二人も感じ取れたのだろう。

「ほんと? 朱里すごーい」

 鈴々は(恐らく)同年代の少女の、自分には真似出来ない立案能力に感嘆し、

「さすがだな……」

 愛紗はもはや畏敬の念を込めた賛辞を述べた。

「えへへ、ありがとうございます」

 朱里はそんな二人の言葉に照れ笑いを浮かべつつ、自らの策を披露する。

「策と言うほどのモノでは無いかもしれませんが。趙雲さんが突撃した場所へ、愛紗さんと愛紗さんの直衛隊の人たちも突撃してもらいます」
「ほぉ……私も突撃するのか」

 意外そうに相づちを打つ愛紗。しかし俺は彼女のある変化を見逃さなかった。
 ……愛紗の奴……密かに喜んでいるな。
 先ほどの趙雲もそうだが、愛紗もまた武人としてのプライドが高い。ゆえに、大軍を前にして己の武威を発揮出来るのは、彼女にとって嬉しい事なのだ。
 だが、一軍の将として。そして先ほど趙雲の突撃を“無謀”と評した以上、それを表に出す事は出来ない。

「鈴々はー?」

 しかしそのあたりに関して、鈴々は非常に素直だった。自分も突撃したいという思いが強く、ウズウズしていた。
 だが、ここは朱里が諫める。

「鈴々ちゃんはご主人様と一緒に兵を率いて、愛紗さんのあとに続いて欲しいの。ただその時、旗手の人たちをいつもの倍、用意してください」

 旗手を増やす、というところで鈴々は首を傾げる。その行為にどんな意味があるのかがわからないからだ。
 しかし、俺はすぐに朱里の意図に気づく。

「なるほど……旗を増やす事で、こちらの軍を大軍に見せて敵を欺くんだな?」
「さすがご主人様。まったくもってその通りです♪」

 朱里は満足げに頷き、策の続きを語る。
 彼女が立案した策はこうだ。
 まず、趙雲が単独で突撃した敵の前線に関羽隊も突撃し、敵の先鋒に一当てするだけですぐに本陣へと引き返す。その際に突撃した趙雲を連れ帰るのが、愛紗の仕事だ。ちなみに関羽隊の引き際に関しては朱里が本陣から合図を送るとの事。
 そして関羽隊が退くのと同時に本陣は、関羽隊を追いかけてくる黄巾党の先陣を半包囲するように兵を展開。この時、完全に包囲するのではなくあえて退路を残すのがポイントらしい。
 朱里の言い分だと、下手に退路を断ってしまうとかえって敵が死力を尽くしてでも突破しようとしてしまうから。つまり窮鼠猫を噛むという言葉があるが、ネズミも追い詰めなければそこまでしないということだ。
 ある程度包囲して敵を痛めつければ敵の先陣はその退路から逃げ出す。しかし敵軍の後曲は考えなしに前進してくるのだから、そこで味方同士の衝突が起き、敵が混乱する。そこで俺が約束を取り付けた公孫賛軍が後方から奇襲を掛けるのを見計らって挟撃。
 前線での時間も稼げ、そして相手を混乱させるという見事な策だった。
 これを聞いた俺たちは、誰一人異論なくこの策を選択し、すでに突撃してしまった趙雲を追うようにして愛紗が出陣する。

「ではご主人様。行って参ります」

 得物の青龍刀を手に、本陣から飛び出そうとする愛紗を呼び止めた俺は、彼女の手をぎゅっと握った。突然の事に驚き顔を赤くする愛紗。

「ご、ご主人様……?」
「今回……愛紗の仕事は一番危険だ。気をつけろよ……無事に、帰ってきてくれ」
「──」

 本来なら俺が変わりたいとも思う。しかし、残念ながら俺は愛紗ほど戦場では力を発揮出来ない。悔しいが、朱里の人選は正しいのだ。
 だからこそ、俺は愛紗の無事を願うことしかできない。

「有り難きお言葉……お任せ下さい。必ず」

 しかし愛紗はこんな情けない俺の言葉に、俺の手を一度だけきゅっと握り返してから嬉しそうに頷き、颯爽と戦場へと駆けていくのだった。







「……愛紗、ずるいのだ……鈴々が突撃したかったのだー」
「鈴々ちゃん、我慢してください……羨ましいのは私も一緒だもん……」




















 地平を覆い尽くすほどの、黒く蠢く黄巾の群れ。
 敵の前線に近づけば近づくほど、自らの視界には敵兵しか映らない。
 そんな絶望的とも思える状況で、少女は唇の端を軽くつり上げて笑っていた。
 それは虚勢でもなく、ただ彼女の心のままの表情である。

「ふふふ……なかなか雄壮だな」

 前方には荒野を埋め尽くす二万五千の賊。
 それと対峙するのは、槍一振りだけの己一人。
 常人ならばすくみ上がるか、なりふり構わず逃げ出したいと思うその状況で、少女はかつてない高揚感に包まれていた。
 今の彼女の心にあるのは、匪賊をうち倒す事への喜悦と、己が武勇を発揮出来る場を得た事への感謝のみ。
 突出した少女の姿に気づき、黄巾党軍の先鋒が少女に向かって突進してくる。その敵兵が生み出す二万五千人分の足音は地鳴りなどという生易しい例えでも物足りないほどの轟音。しかし高揚しきった彼女には、それが“歴史という名の舞台”へと上がる自分を祝福する喝采にしか聞こえない。
 そして役者は喝采に答える義務があった。

「趙子龍。今より歴史に向かい、この名を高らかに名乗りあげてみせようぞ!」

 天に向かって高らかに宣言する声は、敵軍の踏みしめる足音の中でもなお響き、敵兵の耳にも届いてしまう。
 そして彼女は手に持っていた槍を掲げた。
 それは──これまで寝食を共にした唯一の戦友。
 もはや自らの一部と称しても決して大袈裟ではないほどに使い慣れた愛槍。その“戦友”を少女はまるで演舞をするかのように振るう。

 それは、勇壮で華麗で繊細にして大胆。

 槍の穂先が空を切るたびに起こる風切り音は、音色と表現するのがしっくりくる。いや、彼女の戦友の歌声か。そして彼女の手の上で大胆に踊る槍は陽光を反射させる。その光は少女を包み、あたかも彼女の衣が光を発しているかのようにさえ見えた。
 その美しい光景も、彼女に迫る獣のごとき賊軍の兵たちには理解出来ない。
 しかし、獣ゆえに彼らは本能で察する。
 彼女の動きは、人を殺す事に特化した動きである事に。
 それが、彼らの突進速度を鈍らせた。
 しかしそれを少女は見逃さなかった。

「ふっ……たった一人を相手に怯みを見せるか。やはり所詮は匪賊。群れていてもクズはクズだな」

 嘲笑を交え呟くと、演舞を止めて穂先を敵先鋒に向けた。
 それはあからさまな挑発。
 それに敵兵達は敏感に反応した。
 彼らのような暴虐の輩はえてして分不相応な矜持を持つ。それが彼女の挑発を見逃さなかったのだ。
 本能が教えてくれた警告を無視し、再び彼らの目には残虐な光が灯る。そして彼らの侵攻速度が再び上がった。
 数の暴力で彼女を飲み込み、いたぶり、嬲り、そして殺せと。
 そのあまりに醜い想念は、肌で感じられるほどに戦場を支配する。
 戦場の空気すらも汚し、粗暴なほどの突進は砂塵を巻き上げ蒼天すら汚す賊軍を前にして、それでも少女は美しくそこに在りながら、獣たちの罪を断罪した。

「美を解さぬ下衆どもが。我が槍にひれ伏し、蒼き空を穢した罪を詫びるがよい!」

 存在そのものを否定するかのように彼らを罵倒した少女は、槍を脇に構え、その細い腰をゆっくりと沈める。まるで己が全ての力を溜めるような構え。

 そして──少女の周囲にあった奇妙な高揚感が一瞬にして変化した。

 荒野に吹く風は、優しくも穏やか……だったが、それは彼女の闘気に呼応してか、風はその場にいる全ての者の肌を灼くような熱量を感じさせた。
 空気すらも支配する闘気の持ち主は、

「ふぅーーーーー……」

 独特の呼吸法で、一度大きく息を吐いた。
 艶やかな唇から漏れる吐息すら、風の熱量を更に上昇させるかのように。
 その吐息が糸のように細くなった時──。

「常山の昇り竜、趙子龍! 悪逆無道の匪賊より困窮する庶人を守るために貴様達を討つ! 悪行重ねる下衆どもよ! 我が槍を正義の鉄槌と心得よ!」

 雄々しい名乗り口上は槍よりも速く敵を射抜き、

「いざ────参るっ!」

 少女は一振りの愛槍だけを手に、津波のように押し寄せる敵軍に向かい地面を蹴った。まるで弾丸のごとき速さで、迫る大軍に特攻する。

 少女はこれより美しき修羅となりて、暴虐の獣たちを一蹴する──。



















 愛紗は自らの部隊を率いて本陣より出撃。
 徐々に迫る黄巾党の大軍に向かい、攻め上がる愛紗に恐怖はない。
 出陣前の主の言葉と、手のひらで包んでくれたぬくもり。
 そして自分を気遣ってくれるあの瞳。
 それがあるだけで、愛紗の心は冷静に昂る事が出来る。
 彼の期待に応えたい。
 彼を決して悲しませたりしない。
 その思いこそが、不可能を可能にする。
 今の愛紗は、何でも出来る──そんな気持ちにすらなっていた。

「我ながら単純だな……」

 そんな自分を客観的に見た時、不謹慎にも戦場で苦笑を漏らす。
 だが、自分はそれでいいとも思う。
 彼はかつて自分にこう言った。
 自分が天の御遣いに相応しくなければいつでも捨ててくれ、と。
 しかしその言葉はもう出来そうにない。
 愛紗にとっての主は、生涯彼一人だと、もう心に決めていたから。
 ならば、自分は単純で構わない。
 ただ純粋に、彼のために──。


 関羽隊はようやく敵の前線の鼻先まで進軍してきた。
 そしてその戦場を見て、愛紗を始めとする関羽隊の誰もが息を飲む。

「はぁぁぁーーーーーーーーっっ!」

 それは戦女神か死神か。
 四方八方より群がる野獣のごとき敵兵を斬り裂き、刺突し、弾き飛ばす。
 その槍捌きは華麗にして苛烈。
 少女の周囲にはまるで結界でも張ってあるかのように、敵は彼女に近づけない。それは、彼女の“領域”に入った瞬間に槍の餌食となるからだ。
 四方から同時に敵が襲いかかっても、たった一本の槍がその全てに死を与える。それはまさに神速の槍。

「あれが……趙雲か」

 恭也は言った。
 趙雲は自分や鈴々に並ぶほどの傑物だと。
 事実公孫賛の軍と合流した際に、一度だけ彼女の姿を目にした事があり、その時にはすでに彼女がただ者ではないと、彼女の武人としての目が見抜いてはいたのだ。
 しかし、心のどこかで懐疑的な気持ちもあったのは認めざるを得ない。

 ──自分や鈴々に負けぬほどの戦闘力を有した人間がそうそういるものか。

 しかし、その考えは実際に彼女の戦う姿を見て霧散した。
 主の慧眼には恐れ入る。
 朱里の時もそうだったが、彼は直接趙雲が戦う姿を目撃したわけでもないのに、彼女の資質を見抜いたのだ。

「やはりあの方は……天の御遣いなのだな」

 あらためて己の主の偉大さに心酔していたが、目の前の光景を見て、すぐに自分たちの役目を思い出す。
 さしもの傑物も、今はさすがに劣勢になり始めていた。己が築いた敵兵の屍の山が彼女の動きを阻害しているのである。これはもう長くは保つまい。
 愛紗は美しき槍の舞に見とれる兵士達を叱咤する。

「行くぞっ! 我らが勇姿を匪賊共に見せつけるぞ! 全軍、突撃ーーーーーーっ!」

 青龍偃月刀を掲げ、鬨の声を上げる。
 それに呼応して、兵士達が「応っ!」と雄叫びを上げた。
 そして、関羽隊は猛然と敵先鋒に突貫するのだった。















「ええいっ!」

 休む間もなく槍を振るい続ける少女の声は苛ついていた。
 疲れはまだまだ感じないし、五体は未だ無傷。しかし趙雲は自らの槍捌きが出来ない事に苛立つ。
 それは自らの腰の高さにまで積み重ねられた、暴徒たちの屍の囲い。したたる血は足下を濡らし、不安定とする。前へ進む事も後退する事も叶わず、今はただその場で槍を振るい続けるだけ。
 多対一の戦いにおいて、“一”が一つの場所に留まる事の危険さは趙雲とてわかっていた。しかし、それでもこの状況では動けるはずもない。死体の垣根を越えようとすれば、その隙に敵の凶刃が少女の身体を引き裂くのは必定。
 その場に留まることしかできなく、それでもなお襲い来る敵兵は新たな屍となって壁となり、彼女の槍を鈍らせる。まさに悪循環。
 血と死肉に彩られた地獄への螺旋。
 しかし──

「だが! 私はまだ負けんっ!」

 ──徐々に濃くなってくる死の影を感じながらも、少女は吼える。
 それは、弱気な考えを振り払うための自己暗示か。
 そして再び振るわれるは、風を斬り裂く神速の槍撃。
 途切れることなく食らいつく敵を悉く迎撃する。

 一閃。

 また一閃。

 しかし悲しいかな、その神がかった槍の穂先の閃きは、屍の壁の前に鋭さを失っていく。
 そして、その変化を一番理解しているのは趙雲自身。
 それでも彼女は絶望で槍を止めたりなどはしない。
 それこそが武人としての矜持。
 彼女が持つ、彼女にしかない、彼女に相応しいプライドがなおも槍を振るわせた。
 しかし──それもここまでか。
 屍の壁は胸の高さまで積み上がり、敵はその壁の向こうから無造作に剣を槍を繰り出してくる。壁の向こうからも、そして壁の上からも迫る獣たちの牙。
 それを凌ぐのにも限界が来た──そんな時だった。


「高町軍の勇士たちよ! 今こそ我らの力を天下に見せつけるのだ!」


 狂躁が繰り広げられる戦場に、凛とした美しさを感じさせる声が響いた。
 自分以外に美しいモノなどこの戦場にないと思われただけに、趙雲はその声に聞き惚れる。
 そして……突然視界が開けた。
 自分を取り囲んでいた忌々しい屍の壁が、たった一振りの青龍刀の斬撃で吹き払われたからである。
 そして趙雲は見た。
 目の前に現れた、黒髪が美しい少女の勇姿を。

「全軍突撃する! 命を惜しむな! 名を惜しめ! 我らは天に守られた誇り高き天兵なり!」

 その部隊は、大軍を相手にするにはあまりにも小規模。
 しかし、その兵士達は少女の闘気に突き動かされたかのように、敵兵に向かって突進していく。そのなんと勇猛果敢な事か。
 趙雲はその光景に、驚き、困惑し、そして見惚れていた。
 突然の増援に慌てる黄巾党の兵たち。その隙を見逃すことなく、少女の部隊は次々と敵を屠っていった。
 状況が分からない。
 こんな自分を助けるために公孫賛が軍を動かすはずがない。
 では彼の部隊は一体──


「……全く。一人で突撃するとは無茶をする」


 混乱していた趙雲に、黒髪の少女が声を掛ける。その少女の声には八割の呆れと、二割の同調の色があった。その同調は、互いに生粋の武人ゆえの共鳴。

「ふむ……? その青龍刀……お主、もしや武勇の誉れ高き関雲長殿か?」
「いかにも。主の求めに応じ、貴方をお助けするために来た。共闘願えるか?」

 それは絶望の淵にいた少女にとっては何よりの言葉。
 いつしか余裕を取り戻した趙雲は関羽──愛紗の言葉に迷うことなく頷いた。

「無論だ。助太刀感謝する」
「うむ。ならばしばし戦ったのち、我らと共に退いてもらいたいのだが……」

 ここで愛紗は自分たちの部隊の役割を語る。
 それを聞いた趙雲は、それだけで高町軍の策を見抜いた。

「ほぉ……なるほど。先陣を釣るというワケか」
「そうだが……良く分かったな、お主」

 感心する愛紗に、趙雲は口の端を上げて笑う。

「ふっ……兵ではなく将ならば、それぐらいは見抜くものさ」
「なるほど……しかし、兵ではなく将であるというのなら、このような無謀な真似は謹んで欲しかったな」
「む……」

 そんな趙雲の言葉を逆手にとって釘を差す愛紗に、一瞬反論しかけたが、すぐに留めた。今回に関してはさすがに分が悪い。

「今回ばかりは素直に聞き入れよう」
「ふっ……」

 そして責めを受け入れた趙雲に愛紗は小さく笑みを見せた。そしてあらためて自分たちに迫る敵兵を睥睨して言う。

「おしゃべりはここまでだ。今は敵を打ち砕き、しかるのちに退くとしよう」

 その言葉に趙雲も異論はなかった。

「良いだろう。名高き関羽に背中を預けられるのならば、私も本気が出せるというモノだ」
「ふっ、頼もしいな」
「ふっ、お互いな」

 二人は一瞬だけ目を合わせ、不敵な笑みをこぼした。
 そして今一度、趙雲が敵兵に向かって名乗り口上を上げる。

「……聞けぃ、下衆ども! 我が名は趙雲! この名を聞いてまだ恐れぬなら、我が命を奪ってみせよ!」

 続いて名乗り上げるは、愛紗。

「そして賊徒よ刮目せよ! 我が名は関羽! 天の御遣いにして高町が一の家臣! 我が青龍刀を味わいたいものはかかってこい!」

 互いに背中を合わせた二人の名乗り。
 それはもはや、黄巾の賊兵たちからすれば、地獄へ誘う魔性の声。
 それでもなお、獣たちは牙を剥いた。
 その愚かな行為の代償は、当然ながら……自らの命のみ。
 趙雲の槍が。
 関羽の青龍刀が。
 戦場に赤の霧を舞わせていく。
 趙雲の槍は再び疾風のごとき鋭さを取り戻し。
 関羽の青龍刀は嵐のごとき威力で敵兵を薙ぎ払う。
 初めて戦場で共に力を合わせ戦う二人。
 しかし二人の呼吸は長年の戦友のよう。
 互いの死角をきっちりとカバーし、ただ目の前の敵を屠っていく。
 敵兵は次々と槍に貫かれてモノ言わぬ肉塊へと変貌し、青龍刀は屍をも砕き弾き飛ばした。
 速さと力が揃った時。




 戦場にて、この二人の戦乙女を遮るモノなど存在しない──。























あとがき

 ……当初の考えでは、趙雲と共闘するのは恭也でした(ぇ
 未熟SS書きの仁野純弥です。
 この第八章を書いたのは、実は結構前なのですが、文章を見直すと随分とノリノリで書いてたんだなぁ、と実感しました(笑
 原作にもあるこの場面は、実は結構好きなシーンで、趙雲と関羽が背中合わせに立つCGはお気に入りだったりするのです。だから、こんなに書いちゃったんだなぁ、と。あと、恭也にはこの後、ちょっとした“役目”があるので、ここでの戦いは控えてもらいました。その“役目”に関しては次回で。
 では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
 では〜。



このシーンは良いですよね〜。
美姫 「関羽と趙雲という二人の傑物が背を預けあう」
うん、燃えるな。
美姫 「戦いの火蓋が切って落とされた」
次回はどうなる!?
美姫 「朱理の策略は見事に成功するのか!?」
ああー、続きがとっても気になります。
美姫 「次回も楽しみにしてますね〜」
待ってます!



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