──軍師。
この言葉の意味を理解出来る日本人に「この単語を聞いて、一番最初に連想する人物は誰か?」と質問した時、一番多く名前が挙がるのは誰か?
日本の戦国時代にも軍師と呼ばれ名を馳せた人物は多いので、山本勘助や黒田官兵衛などの名前も挙がるかも知れないだろう。
それでも一番は恐らく別の人物であろう。
その人物こそ──三国志の諸葛亮孔明である。
『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
第六章
「諸葛亮……だって……?」
聞いた少女の名前に、俺は驚きを隠せなかった。
──諸葛亮孔明。
三国志をかじった程度の人間でも、その名前は必ず知っているだろう。
かの三国志の主役の一人、劉備の軍師として名を馳せた人物で、その知略と政治手腕を物語るエピソードは数知れず。荊州の太守、劉表の客将に過ぎなかった劉備を蜀の王にまで導いた、後世にまで名前を残す稀代の大軍師だ。
「…………」
俺はあらためて少女を見る。
「は、はわわ……」
……正直わからん。
確かに今、俺の仲間には関羽雲長、張飛翼徳という稀代の猛将の名を名乗る少女がいる。最初こそその名前に驚き、英雄の名をかたっているだけかとも思ったが、それが間違いであることにはすぐに気づいた。彼女たちには名前に負けない英傑の雰囲気を持っていたからである。
事実、初めて黄巾党と戦った時、二人はまさに一騎当千とも言うべき活躍を見せてくれた。
しかし……この諸葛亮と名乗る少女に関しては、雰囲気から彼女の実力を読みとることが出来ない。それもまあ、元々歴史上の諸葛亮という人物が武人ではないために、その雰囲気を感じ取れないのかもしれないが。
まあ、この世界が三国志に似たパラレルワールドであることは朧気に理解しているし、どうやらあの時代の傑物が女性として存在しているらしいことはわかる。
それに……関羽にしろ張飛にしろ、そしてこの諸葛亮にしてもだが、この世界の“今”ではまだ彼女らの名前は全くの無名。ゆえにその名をかたる意味がない。それを考えれば、彼女もただただ本名を名乗っているだけなのだろう。
……などと、少女と話をしている最中にもかかわらず、その意外すぎる名前のために呆然としてしまっていた。
しかし少女の方にも、そんな俺の様子を見て取れる余裕がなかったらしく、
「あのっ、えと! が、頑張りましゅ!」
必死に自己アピールをしようとして、その勢いで舌を噛んでいた。
「はぅ……噛んじゃった。んと、が、頑張りましゅから、その……わ、私を仲間に入りぇてくだひゃい! あぅ、また噛んじゃった……」
というか噛みすぎだ……。
どうやら呆然としたままだった俺の目が彼女の方に向いたままだったらしい。それが過剰にあちらを緊張させてしまったようだ。
何度も舌を噛んでる様子はどうにも痛々しく、見た目が幼い少女が涙目でいるのはどうにも罪悪感が……とりあえず、彼女の言いたいことはそれなりに理解は出来ているが、まだ聞きたいことは多い。ここはまず落ち着かせないとな。
「……慌てることはない。さっきは手短に、と言ったが君の話が重要なことだというのはわかったから、落ち着いてじっくりと聞こう。だから」
俺は半パニック状態の彼女を落ち着かせるべく、彼女の頭を被ってる帽子の上から撫でる。
「あ……」
「焦らなくていい。呼吸を整え、頭の中で言葉を用意してから話してくれ」
「ふあ……あ、は……はいっ!」
諸葛亮と名乗った少女は大きく頷いてから、何度か大きく深呼吸を繰り返し、どうにか落ち着きを取り戻すと、やっぱりまだ顔は赤いながらも、その瞳には理知的な光を取り戻していた。
そんな彼女の様子を見て、今度はこちらから問いかけてみる。
「いくつか質問させて欲しい」
「は、はい」
「君の名前は、諸葛亮……それは間違いないか?」
「はいっ! 姓は諸葛、名は亮、字は孔明、真名は朱里(しゅり)って言うんです」
今度は真名までしっかりと名乗ってくれた。
「そうか、じゃあ俺も。俺は高町恭也という。悪いが、俺の居た世界には“真名”という概念がないからこれ以上に名乗るモノがないんだ。そのあたりは理解して欲しい」
「あ、はい……そうですか。天界には真名というのはないんですね」
このあたりは“天の御遣い”という噂が役に立ったのか、あっさりと納得してくれる。
「理解が早くて助かるよ。で、あらためて聞くが、仲間に入れて欲しいというのは、またどうして?」
この問いを受けて、諸葛亮の瞳に強い光が現れる。それは並々ならぬ決意の光。
「……私、知識で世の中を平和にしたくて、水鏡先生っていう有名な先生が開いてる私塾で勉強していたんです。でも今はこんな時代で……力のない人たちが悲しい目にあってて、そういうの凄くイヤで……」
諸葛亮の表情が雄弁に物語っている。
彼女はおそらく、その塾にいる間に何度も見てきたのだろう。この時代の犠牲者となった多くの力無き民達の嘆きを。
「だから私、自分の学問を少しでも力の無い人たちのために役立てたいって思って! そのとき幽州に天の御遣いが降臨したって噂を聞いて、それで……っ」
「それで、移民と共にここまで?」
「はいっ!」
勢いで首が落ちそうなくらいの頷きをする諸葛亮。
なるほど……結局彼女も愛紗達と一緒で、今ある自分の能力を発揮する事で塗炭の苦しみに涙する民衆を救いたい。だが、そのためには独力では限界があるし、救い手の象徴が必要。そこで……天の御遣いの存在、か。
正直、武人である愛紗達と違って、知識で役に立ちたいという彼女の能力は全くの未知数だ。だが、現状を省みれば俺たちには純粋に人手が足りないし、まして彼女がもし“あの”諸葛亮に負けない能力を持っているのなら、それは得難い戦力となるだろう。
そう考えるのなら、やはり彼女に対する答えは一つ。
「君の言いたいことは分かった。現在、俺たちは人材不足なのが正直なところだ。君のような将来有望そうな人間が手を貸してくれるというのなら、拒む理由はない」
「あ……よ、宜しいのですかっ!?」
あっさりと下した返事は、彼女にとっては意外だったらしく、その確認の言葉には驚きが含まれていた。それに俺は苦笑混じりに頷いてみせる。
「もちろんだ。とはいえ、ここはすでに戦場。君にも護衛の兵をつけるから、先ほどのお婆さんたちのいる後方に下がってくれ。俺は前線へと向かい、戦わないといけないからな。他の仲間への顔合わせはこの戦いの後に──」
「あ……あの!」
「──うん? どうした?」
俺に付いている護衛たちに彼女を任せ、前線に身を投じようとする俺を諸葛亮が制止した。まだなにかあるのか、と振り返る。
彼女の表情は再び強張っていた。
「わ……私も行きます。ううん、行かせてください! きっとお役に立ちますから!」
そして、彼女のその言葉を聞いて俺は即座に理解する。彼女の心情を。
「……君が早速力になろうと思ってくれてるのはありがたい。が、さっきも言ったが、俺が向かうのは戦場──しかも前線だ。荒事に慣れていないだろう君には無理が……」
「平気です! 怖くないでしゅ! あぅ……」
また噛んだ……。
「噛んでしまうほどに緊張してるじゃないか……無理をするな。戦いを怖いと思うのは当たり前の事なんだから。どんな剛胆な武人だって、どこかに恐怖心は抱くモノだ」
諸葛亮は恐らく、これまでの知識の中には当然戦場での駆け引きに関するモノや策略など、兵法に関しても有しているのだろう。そして、今はそれを役立てることが出来るとも。
しかし、そのためには戦場に出向かなければならない。戦場の空気を読み、兵たちの様子を見極め、その場の地形から気象まで利用しなければならないのだ。
とはいえ、それを今の彼女に求めるのは酷と言える。
しかし、
「で、でも……怖いってことから逃げていたら、きっと何も出来ないから……」
「ふむ……」
彼女の言い分は呆れるほどに正論で、そして辿々しい言葉の中にも彼女の見た目とは裏腹な意志の強さが垣間見えた。ここでもし、俺が許可を与えず単独で戦場に行こうものなら、彼女は勝手に追いかけてきそうな気もする。
それなら……仕方ないか。
「……俺と一緒に、ということは、多くの血を見ることとなるぞ? それでもいいんだな?」
「か、覚悟は出来てます!」
声は震えている。が、その瞳の光はいまだ力強い。
なるほど……その心意気、悪くない。
「よし、わかった。では、約束してくれ。出来る限り俺の傍を離れないように。何があっても俺が君を守ってみせるから。そして、戦況を見て何か意見があった時は遠慮無く言うこと。俺はまだ初心者の大将なんでな。君の知識はおおいに参考にさせてもらうから」
「はいっ! 頑張ります!」
「上等だ。では行くぞ!」
俺は側に控えていた護衛達に声を掛け、
「では諸葛亮、背中に」
「はへ?」
「悪いが、君の脚の速さに合わせる時間的余裕はないんだ。だからここは俺の背中に」
「え、ええっ!? で、ででででも……っ」
諸葛亮を背負うべき、彼女に背を向けかがんでみせるが、さすがに恥ずかしいのか彼女は躊躇していた。しかしあいにくとそんな時間はない。
「頼む! 急いでるんだ!」
こういった恫喝じみたモノは苦手なのだが、ここはあえて大きな声で指示を出した。すると彼女はびくっと体を震わせた後、
「わ……わかりましたぁ」
恐る恐る、俺の背中にしがみついてくれた。
「よし……では、前線へと向かうぞ!」
こうして俺は、諸葛亮を背中に背負って、戦場へと駆け出すのだった──。
──その前線へと向かう間。
「あの……いくつかお聞きしたいことがあるのですが」
背中越しの問いかけに、
「俺に答えられるモノなら答えるが?」
走りつつ応じる。
今回は諸葛亮を背負い、まして護衛達の走力に合わせているのでこちらにも多少の余裕はあるのだ。
「……私、重くないですか?」
「重くない……というか、しっかりメシを食べているか? 軽すぎるぞ」
「あう……っ、じゃ、じゃあ次です。貴方様は軍の大将ですよね? なのに、前線で剣を振るうのですか?」
「ああ。俺は一応腕に覚えがあるし、なにより……仲間がその身を張って戦ってるんだ。それを後方で見ていることは、どうにも俺には出来そうになくてな。普通に考えれば大将らしからぬ軽率な行動だろうと思うが……見逃して欲しい」
「い、いえっ! その心意気は素晴らしいと思います! やはり天の御遣い様は英雄の資質を持ち合わせてるんですよ!」
「……ありがとな。で、もういいか?」
「いえ、あの……もう一つだけ」
「聞こうか」
「先ほど私のことを“将来有望な人材”と評してくれたのは嬉しかったのですが……」
「うん?」
「……それって、暗に私がまだ子供だってことですよね……?」
「………………………………………………そんなことは」
「嘘ですっ! 今、もの凄ぉぉぉぉぉく間がありました!」
「いや、しかしなぁ……」
「私は大人の女の子なんですーっ」
「……やれやれ」
そんなご機嫌斜めになってしまった少女を背負ったまま、俺たちは先行する部隊の背中を捉える位置までやってきたのだった。
先行した鈴々の部隊に追いつく頃には、移民達を護衛していた関羽隊も早々に前線へと合流を果たしていた。
俺もそれに倣うように前線へと進み、合流した自分の部隊へ指示を与えつつ、部隊の先陣で突撃してくる敵を見据えていた二人に合流する。
さて、戦闘開始前に合流出来たのは良かったが……
「状況は?」
「ご主人様。黄巾党の連中はこちらの様子に気づき、更に行軍速度を上げているようです」
「考えなしもいいとこなのだ」
「鈴々の言う通り。やはり烏合の衆ですね。前に進むことしか出来ないとは」
その言葉には呆れと嘲りの両方が含まれていた。しかし、それでも楽観視は出来ない。
「それでも数が多いのは厄介なのだ」
鈴々の言う通り、兵数では敵がこちらを圧倒しているからだ。
「突撃しか能がない連中相手なら、包囲して殲滅するのが一番だが……現在の兵力差を考えると現実的ではないな。すでに敵の先陣との距離もそうはないし」
兵力の話が出た所で、愛紗が詳しい兵数を伝える。
「斥候の話によると敵は約一万。対して我らは五千と言ったところですか」
その報告を聞いて、眉間にしわを寄せた。
「別働隊で一万か……そうなると本隊はそれを優に超える兵数であると考えるのが妥当か。公孫賛軍に早く合流しなければ、あちらも危険だな」
「ええ。この戦いにあまり時間も兵力もかけられませんね」
愛紗の言う通りである。
ここで県境への到着が遅れ、公孫賛軍が撃破されれば、この兵数だけで万を軽く越える黄巾党の軍と対峙しなければならなくなる。更に言えば、ただ早く倒すだけでもダメで、ここで戦力を削られるのも得策ではないのだ。
頭を悩ませる俺と愛紗。
その横では、
「なら突撃、粉砕、勝利なのだ!」
鈴々が至極単純な意見を言ってくれていた。
が、さすがにそれでは厳しいだろう。
その戦い方もやはり兵力の差が物を言うからだ。
時間はない。敵はもうそこまで迫っている中で、俺と愛紗が打開策を見出すべく考えていると、
「あ、あの……」
俺の背中から、遠慮がちな声が割って入った。
そこで俺は初めて、彼女を背負ったままであることを思い出す。
「お、すまん。降ろすのを忘れていた」
「あ、いえ………………(私はちょっとこのままでも良かったのですが……)」
俺は慌てて彼女を降ろした。
するとそこでようやく愛紗と鈴々が、諸葛亮の事に目がいく。
「ん? お主は? どうして主の背に?」
「あ、さっきの女の子なのだ」
愛紗は見慣れない人物の姿に眉をひそめ、鈴々は先ほど助けた少女を連れてきていることに目を丸くしていた。
そんな二人に、俺は簡単に彼女を紹介する。
「先に話すべきだったんだが、失念していた。彼女は諸葛亮という。先ほど保護したのだが、俺たちの仲間になってくれるという話で、ここへ連れてきたんだ」
簡単な説明をすると、鈴々は「ほへー」と小さく驚いた程度だったのだが、
「仲間……?」
愛紗の変化はあきらかだった。
瞳はすっと細まり、まるで威圧するかのように諸葛亮に視線を定める。その鋭さは、ただでさえ緊張している諸葛亮を萎縮させるには充分だった。
「……私は何も相談されていませんが? それにそもそもまだ少女ではありませんか。そのような娘に戦場での務めが出来るのですか?」
そして口から出てきたのは、俺の手前で言葉こそ丁寧なれど、意訳すれば「役立たずをこんな所に連れてこないで欲しい。迷惑だ」と同意だろう。それくらいに今の愛紗は刺々しかった。
状況を考えれば苛つくのはわかるが、どうにも彼女らしくない。
そんな愛紗の様子に首を傾げていると、
「にゃはは! 愛紗がヤキモチ焼いてるのだ♪」
そんな愛紗の様子を見て、鈴々がからかうように指摘した。
すると、険しかった愛紗の頬に朱が差し、途端に目が泳ぎ始める。
「だ、誰がヤキモチなど焼いているものか! 私はただ、ご主人様の傍に女性が増えるのは、護衛上問題があると──」
「それがヤキモチなのだ!」
「だから違うと言うのだ!」
ケタケタとからかうように笑う鈴々に、顔を真っ赤にさせながら反論する愛紗。
どうにもそのリアクションは図星を指されたようにしか見えないが………………だとすれば、愛紗は何に対してヤキモチを焼いているのだろう?
それはともかく。
「二人ともそこまでだ。とにかくここは諸葛亮の話を聞いてくれないか? 彼女は俺が連れてきたんだ。助言をもらいたくてな。この一件に関しての文句は後で聞くから」
俺は二人を黙らせてから、
「諸葛亮、続けてくれ」
彼女に続きを促した。
諸葛亮は愛紗の睨みに萎縮していたのだが、俺が目で笑いかけてやると、幾分緊張は和らいだらしく、続きを話し始める。
「あの……今の状況を見るに、黄巾党の軍隊は陣形も整えぬままに突撃しています。ならば我が軍は方形陣を布きつつ黄巾党を待ちかまえ、一当てしたあとに中央部を後退させて縦深陣に誘い込むのが良いと思います」
「ほう……」
諸葛亮の意見を聞いていた愛紗が感嘆の息を漏らした。
そこにはもう先ほどまでの、諸葛亮を見下した表情はない。
「それが成功すれば奴らを一網打尽に出来るな。ふむ……なるほど。素晴らしい策だ」
むしろ今はもう、諸葛亮を認めているようにも見えた。
その様子に、俺は内心で胸をなで下ろした。
なるほど……やはり彼女は“諸葛亮”なのだな。
ここに来るまで、やはり彼女の能力は未知数と感じていた俺だったが、俺もまたここで納得させられてしまった。
「どうやら愛紗も彼女を認めてくれたようだな」
「ええ。ご主人様の慧眼には驚かされました」
そこへ再び鈴々がちょっかいをかける。
「にゃは! さっきまでヤキモチ焼いてたんだから、今更そんなことを言っても仕方ないのだ!」
「り、鈴々っ…………まったく……」
恥ずかしそうに頬を染める愛紗。そんな姉妹の様子を見ていた諸葛亮もすっかり緊張も解けたらしく、表情をほころばせていた。
「クスクス……あの、どうでしょう?」
そしてあらためてその方策を採用するかどうかを俺に問いかけてくる。
「勿論俺もその策に不満はない。が……」
素直に首を縦に振れない理由があった。
「我が軍の錬度で、この策を実現出来るかと思うとな」
「「あ……」」
俺の指摘に諸葛亮と、軍の錬度の事には誰よりも詳しい鈴々が声を上げる。そして、
「……確かに。先ほどの案を実行するには、兵たちの一糸乱れぬ動きを必要としますね」
愛紗が冷静に俺の考えを代弁してくれた。
彼女の言う通り、諸葛亮の策を実現するには現状の軍の錬度では無理がある。
まあ、諸葛亮は我が軍の錬度までは知り得ないのだから、このあたりは仕方がない。
「策そのものは素晴らしいが、今回ばかりは無理だろう」
「そうですか……」
却下された諸葛亮だが、それに落ち込む様子も見せず、すぐに代案を用意した。
「ならば、精鋭部隊を選り、隙を見て横撃を掛けるという手が妥当かもしれません」
そして今度の策は、まったく問題はないと俺は思った。
「それなら今の軍でもなんとかなるし、現状を考えればそれが一番の策だろう。精鋭部隊ならば、俺たちには愛紗と鈴々が居るからな。負けることはないだろう」
その言葉を聞いて愛紗は誇らしげに、鈴々は嬉しそうに頷いた。
「あとは、被害をどれだけ抑えられるか、だが……」
これはもう、横撃を仕掛けられるまでの前線での頑張りにかかっている。ここは……俺が踏ん張るしかあるまい。
──こうして、ようやく俺たちの方策が決まった。
その時、
「敵、来ました!」
タイミング良く、と言うべきだろうか。
伝令兵から緊張に満ちた報告が飛び込んできた。
俺は愛紗、鈴々、諸葛亮に視線を向けて、心の準備を促す。三人はそれぞれ決意の眼差しで頷き返してくれた。
「よし! では、あとは手はず通りに行くぞ!」
俺の号令に応じて、愛紗が各部隊に命令を下す。
「御意! では各部隊は持ち場に着け! 関羽張飛の直衛隊は後曲に待機して我らの合図を待て! 鈴々!」
「応っ! みんな行くよーっ! 突撃! 粉砕! 勝利なのだーーーーーーーーっ!」
敵軍を横撃すべく、二人の部隊が後方に控えていく。
その二人に、
「愛紗、鈴々! 奇襲のタイミングは本隊から合図する。合図を聞き逃すなよ!」
「はっ!」
「了解、なのだ!」
作戦の最終確認を取っておく。
そして、この本隊に残ってくれている諸葛亮にも。
「これより俺は前線で敵軍を迎撃し、戦線を維持する。君は少し退いた場所で戦況を見極め、タイミングを見計らって合図を出してくれ。出来るな?」
「お……お任せくださいっ!」
彼女は幾分緊張した面もちで、頷く。
緊張はしているがパニックはしていない。悪くない精神状態だ。
これなら……
「では、後は任せる!」
俺は最後に諸葛亮の周囲に配置した兵士達に、彼女の指示に従うように言い含めてから、俺は最前線へと移動する。
その俺の背中に、
「ご、ご武運を! 絶対に無事に戻ってきてくださいねっ!」
諸葛亮の激励の言葉に、右手を挙げるだけで応え、俺は戦場へと向かうのだった。
戦いは──
「この地を貴様らごとき匪賊に蹂躙はさせん! 死にたい者からかかってこい!」
──俺が敵の先鋒を斬り捨てることで始まった。
敵は湧いて出たかのように次々とこちらに突撃してくる。特に、前回の戦同様、聖フランチェスカの制服を着ていることで目立ってる俺に、敵は殺到してきた。
だが、それこそこちらの思惑通り。
「はぁぁぁぁぁっっ!」
俺は裂帛の声を上げ、敵を威嚇しながら次々と襲いかかってくる敵兵を倒していった。
……よし、これならしばらくは保つはずだ。
敵は軍の先頭に立ち目立つ姿の俺に集中攻撃を掛けてくる。それにより我が軍の他の兵士達の負担は減る。そして俺が敵を斬れば斬るほど──前線で奮闘する姿を見せれば見せるほど──味方の士気は上がっていく、というわけだ。
もっとも、これは俺が怯んだり、負けてしまえば、即座に崩れてしまうのだが──
「ただ勢いに任せ刃を振るうだけの賊共ならば、何人来ようと負ける気はせん!」
──仲間達のために戦う今の俺には、負ける要素はなかった!
俺は両の手に持つ『八景』を存分に振るい、敵兵を斬り裂いていった。
「前線は、持ちこたえているようだな……」
敵陣に気取られないように、慎重に部隊を敵の右手へと動かしながら、愛紗は最前線の様子を窺っていた。
それはもちろん、戦況の確認ということもある。
しかし、それは二の次。
彼女の目は、常に軍の先頭に立ち、両の手に握った小太刀を振るい続ける青年を捉えていた。その視線は、彼の身を案じているのがよくわかる。
──高町恭也。
異世界より、この大陸に辿り着いたという不思議な青年。
しかし彼は愛紗が探し求めていた“天の御遣い”ではないと主張しつつも、その役目を演じ、愛紗達に力を貸してくれていた。
『それなら、今は方便でもいいから、俺を天の御遣いとして祭り上げてしまえばいい。それで今、君らの望みが叶うのなら俺を利用すればいいんだ』
彼の言葉は、愛紗にとっては渡りに船だった。
武人として優れている愛紗にとって足りないのはカリスマと大義名分。そして彼はそれを持ち合わせることが可能な人物だったからである。
そして彼は言った。
その代わり自分も君たちを利用すると。この世界で頼れる者がいないため、今は愛紗たちに頼らせてもらうと。
確かにそれは持ちつ持たれつのように思えた──あくまでその場では。
「だが、あの方にはそれは必要なかったのではないだろうか」
あの出会いからもう二ヶ月ほどが経った。
そして分かったことが愛紗にはあった。それは、恭也という青年が武技にも優れ、機転も利き、知性もあるという傑物だったと言うこと。
彼は不慣れな世界、不慣れな県令という立場でも、最善を尽くしていた。もちろん、愛紗や鈴々の補佐もある。しかし、それを抜きにしても彼はよくやっている。それは愛紗も認めていた。
そして同時に思うのだ。
彼は自分たちを頼らなくても、この世界を生き抜いていけたのではないか、と。
それを思うと、愛紗は胸が締め付けられるような思いに駆られる。
「私は……あの方を苦しめてるだけではないのだろうか?」
恭也は決して弱音を吐かない。
愛紗や鈴々をはじめとする仲間達にも、感謝の言葉をかけることはあっても、愚痴をこぼしたりなどはあり得なかった。
しかし、彼は今の自分の立場──天の御遣いであり、県令──を重圧として感じてるフシはあるように見える。
特に、初めて彼と共に戦った、黄巾党との最初の戦の後。
彼は戦場跡を見つめ、こう呟いた。
『俺はこの光景を目に焼き付けておく義務がある。俺は“この惨劇を起こした張本人”なのだからな』
その呟きには、悲しみも怒りも後悔も感じられない。
ただ、その全てを背負ってみせるという彼の意志の強さだけが感じられた。
だからこそ愛紗は理解した。
この青年はあれほどの戦闘技術を持っていながら、それでもなお誰よりも優しい心根の持ち主なのだと。
そして今も彼は剣を振るい続ける。
自分を信じる仲間を守るため。
そして愛紗たちの信頼に応えるために。
あらためて、その勇姿を目に焼き付けた愛紗は、今だけ迷いを捨てた。
「……今はただ、私は戦いに全力を尽くそう。そうでなくては、私が私である意味がない」
愛紗──関羽雲長は自らに気合いを入れる。
自らの青龍偃月刀で、我が軍を勝利へと導くことが、いつか青年の幸せに繋がることを祈りながら。
「う〜っ、お兄ちゃんみたいに早く戦いたいのだ……」
鈴々は戦線を維持すべく奮闘する恭也の様子を見つつ、敵の左手へと部隊を動かしていた。
鈴々とて、この作戦の意味はしっかりと把握している。
逸る気はしっかりと抑え、部隊の移動は慎重に行っていた。
そんな中でも、鈴々は恭也の戦いをじっくりと観察している。
「やっぱりお兄ちゃんの戦い方は格好いいのだ……それに、凄く速い」
幼いながらも武人の素養が備わっている鈴々の目が、恭也の戦い方を単純ながらそう分析していた。
どちらかと言えば、力に頼る自分や愛紗とは違う、卓越した技術と身のこなしの速さが光る恭也の戦いは、鈴々にとっては興味深いものでもあった。
それゆえに、鈴々はいつしか恭也そのものにも興味を抱くようになっていた。
出会ってから二ヶ月ほど。
その間たくさんの時間を共に過ごした恭也の印象は、
「優しくて格好いいお兄ちゃん」
というのが鈴々の正直な感想である。
普段は真面目だが、愛紗ほど生真面目でもなく、気を抜くポイントを理解しているという堅物ではない柔軟さを持ち、時には厳しく時には優しい。そういったけじめをつけた一面がある。
そしてなにより、鈴々を適度に甘やかしてくれる一面があり、彼女は彼のそういったところが一番気に入っていた。
いいことをすれば褒めてくれるし、彼の堅い手のひらで頭を撫でられると、鈴々は幸せな気持ちになれるのだ。
だからこそ、鈴々はここでも気合いを入れる。
「よーしっ! ここでも一番手柄を立てて、お兄ちゃんになでなでしてもらうのだーっ!」
それは、微笑ましくも不純な動機だった。
「凄い……関羽将軍や張飛将軍の勇名は聞いていたけど……」
諸葛亮は本隊の後方で、常に自軍と敵軍の状況を把握すべく、戦局を見定めていた。
その中でも、やはり目がいくのは最前線で奮闘する恭也の姿である。
水鏡老師の私塾を飛び出した後、天の御遣いの噂を聞いていた諸葛亮は、それに関連する情報を独自に集めていた。そして得た情報とは「天の御遣いの傍には、二人の一騎当千の将がいる」と。それが関羽と張飛であることも聞いていた。
しかし、それだけではなかったのである。
今、戦線を維持し、支えている第三の男。
恭也の戦闘力には驚きを隠せなかった。
「天の御遣い様は、後方で軍を統率するだけの人だと思ってた」
正直なことを言えば“天の御遣い”という大袈裟とも思える呼び名に関して、諸葛亮は鵜呑みにはしていなかった。それはきっと大義名分を持たせるための隠れ蓑で、その人間自体はある程度のカリスマを持った人間に過ぎないのだと。
しかし、諸葛亮は実際に恭也と対面した時、その推測が間違いであると直感していた。
この青年はただ者ではない、と。彼女の全ての感覚が告げていた。
そして彼の言動や行動を見て、その思いは深まるばかり。
常に兵や配下を気遣う優しい姿勢。その中でもしっかりと状況を把握する判断力。そして新参の自分を事も無げに受け入れ、信じてくれる度量。
その全てが、ここに来るまでの間に見てきた他の太守や県令との器の差として感じられた。
自分がここに来たのは間違いではなかったと。
そして──
『では、後は任せる!』
──そう言い渡した時の、諸葛亮を信頼しきった眼差しと、彼女の緊張を解きほぐそうとして見せた優しい小さな笑み。
そして今の、全てを守るという意志を感じさせる大きな背中。
その姿に、もう諸葛亮は魅了されていた。しかし、
「──敵は軍が動かないことで攻める気持ちが揺らぎ、動揺が広がってる。逆にこちらは相手の突撃を跳ね返してることで士気は上がっているし……今が絶好機! 兵隊さん、銅鑼を!」
だからこそ、彼女は自分の仕事をまっとうする。
受けた信頼に応えるために。
じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっっっっっ!
荒野の戦場全体に響き渡る銅鑼の音。
それは当然彼女らの耳にも届き、
「よぉぉしっ! 今が好機だ! 皆の者、我に続けぇええっ!」
敵軍の右手より関羽隊が。
「やっと合図が来たのだ! みんなーっ、愛紗の部隊に負けるなーっ! 鈴々に続くのだーっ!」
そして左手より張飛隊が、前線に気を取られていた敵軍の横っ腹に突撃を始めた。
奇襲を予測出来なかった黄巾党の軍は、突然の横撃に激しく動揺し、軍は大混乱を起こす。そこへ、
「戦線を維持するのはここまでだ! 後は浮き足だった敵を殲滅する! 俺に付いてこい!」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっっっっ!
俺が本隊の兵士に号令を下すと、兵士達は雄叫びを上げて突貫する。敵の動揺は我が軍の兵士達にも見て取れたらしく、自分たちの優勢を知った兵士達は更に士気を高め、敵軍に突撃した。
左右正面からの総攻撃に、パニックを起こした黄巾党軍に、もう数の有利は働くはずもなく、我らの軍の前に、ただただ飲み込まれていくだけだった。
こうして、俺たちはほとんどダメージを受けないままに、敵の別働隊の殲滅に成功した。
この中で、俺も愛紗も鈴々も。
この戦いにおける諸葛亮の活躍──絶妙とも言えるタイミングでの横撃の合図──を認めるのだった。
あとがき
……牛歩のごとき進行速度(ぉ
未熟SS書きの仁野純弥です。
関羽、張飛に続き、諸葛亮も恭也の仲間となり、恭也もそれなりの存在感を見せられるようになってきました。まあ、学問レベルでは並である恭也に県令のお仕事は難しいでしょうし。やはり恭也は戦いで目立ってもらわないとねぇ。
さて、次回はさらなる新キャラ登場……と言っても、原作を知ってる方ならば誰が出てくるかは一目瞭然なのですが(苦笑
次に出てくる重要人物と恭也の間のやりとりには、ちょっとしたアレンジを加えてますので、そのあたりを楽しんでもらえたら嬉しいです……もしかしたら、ファンの人には怒られるかも知れないんですけどね(ぇ
では最後に、ここまでこのお話を読んでくださってる読者の皆様と、SS公開の場をくださった氷瀬さんに最大級の感謝を。
では〜。
恭也の元に集う英雄三人。
美姫 「いよいよこれからね」
今回は前線で戦う武人三人と、軍師による見事な勝利だったな〜。
美姫 「本当に。でも、まだまだ乱世はこれからなのよね」
早くも続きが楽しみで仕方ない。
美姫 「次回のアレンジというのも気になるわよね」
うんうん。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」