張りつめた緊張感。
静謐──そんな言葉がしっくりくる放課後の剣道場内。
構えた竹刀の切っ先。
その切っ先が向かう先には……一人の少年。
この一週間ですっかり見慣れてしまった聖フランチェスカの制服を身に纏った少年が、竹刀を構え、闘志漲る眼差しを俺に向けていた。
そして──
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
──少年の裂帛の声は、道場の静寂の中でより強く響く。
声を発すると同時に鋭い踏み込みと、上段からの必殺の一撃。
二ノ太刀不要、と表される程の攻撃を俺は──
『恋姫†無双異聞 〜高町恭也伝〜』
序章
──手にしている竹刀で正面から受け、
「ふっっっっ!」
呼気と共にはじき返した。
「くっ!?」
少年の予測では、一撃を入れるかかわされるか、という二択しかなかったのだろう。真っ向からはじき返されたのは想定外だったのが、彼の驚愕の表情から読みとれた。渾身の一撃をはじき返されたことで少年の体は大きく泳ぎ、動揺のせいもあって態勢を立て直すのに若干のタイムラグが生まれてしまう。
これが“勝負”である以上、それを見逃す理由は俺にはなかった。
俺は少年の喉元に突きを放ち、
「……勝負あり、だな?」
喉仏まであと数ミリのところで寸止めし、少年に確認を取る。その瞬間、少年は悔しそうに表情を歪めたが、すぐにそれを一変させ、サバサバとした表情で敗北を認めた。
「ええ、俺の負けです。文句の付けようもないですよ、高町さん」
彼──北郷一刀の敗北宣言により、俺──高町恭也と北郷一刀の勝負は決したのである。
それを見計らって、
「おお〜、かずピー完敗やなぁ」
「ぬおっ!? 及川!? いきなりどこから湧いてでやがった!?」
眼鏡をかけた、どこか軽そうな少年が北郷に声をかけた。北郷はその少年──及川というらしい──の存在に気づいていなかったのか、目に見えてビックリしている。そんな北郷のリアクションを見て、及川は呆れるように肩をすくませた。
「いきなりって。俺、さっきからずーっとここにおったのにぃ」
「マジか? 全然気づかなかったぞ?」
「そら修行不足やで、かずピー。そっちの兄さんは最初から気づいてたのに」
「え……?」
及川の言葉が意外だったのか、北郷が俺の方に視線だけで問いかけてくる。俺はそれに苦笑で応えた。
「まあ、な。目で確認したわけではないが、気配は感じ取っていたぞ。俺たちが互いに竹刀を構えてからすぐだったな」
「うわ……高町さんに負けたことよりそっちの方がショックかも。及川ごときの気配も察知出来ないなんて……」
北郷は自分の不甲斐なさにがっくりと肩を落とし、
「ごときってなんやねんな。ひどい言いぐさやで、ホンマ」
及川は北郷の言葉に愚痴をこぼしつつ、その好奇心に溢れた目を今度は俺に向けてくる。そして俺のつま先から頭の先までまじまじと観察してから、にやりと笑った。
「なるほどなるほど。兄さんが噂の凄腕転校生ってワケか」
「凄腕?」
「アレやろ? あの“例の事件”の真のヒーローなのは、兄さんなんやろ?」
「…………」
及川が確信を持って言いのけると、俺は誤魔化すでもなく否定するでもなく沈黙する。
例の事件──それは、先日起きた聖フランチェスカの敷地内で起きた『女生徒暴行未遂事件』の事を指していた。
聖フランチェスカに通う一女生徒が突然敷地内で男に襲われたが、それを“たまたま”近くにいた男子生徒が男を撃退し女生徒を助けた、というモノ。男は彼女のストーカーでたびたび彼女に手紙や電話、メールなどを送りつけていたのだが、今回ついに直接的な行為に打って出たのだ。
しかし“幸運にも”その場にいた男子生徒がストーカー男を撃退したことで、女生徒は無傷。男は無事に逮捕されたというのが、この事件のあらまし。
そして、そのお手柄の男子生徒こそが、ここにいる──
「ガッコに出回ってる話じゃ、かずピーがそのお手柄男子生徒ってことになっとるけど」
──北郷一刀である。
だが、
「ホンマは兄さんが助けたんやろ?」
及川は全てを知ってるぞ、と言わんばかりの目で俺を見ていた。
「校内の噂では、大半がかずピーを褒め称えてるけど、一部で『実はホントに助けたのは、噂の男子転校生らしい』ってのがまことしやかに囁かれててん。噂なんちゅーのは、何かの根拠がないと広まらないワケやし、当の本人であるかずピーも、この事件ではお手柄のクセに、周りから事件のことを聞かれると、微妙に面白くない顔をしてたしな。それに、捕まった男ってのがまたごついヤツやと聞いて、なおさら思ったわ。かずピー一人じゃつらいんちゃうか、って」
「…………」
どこかおどけた様子の少年とは思ったが、見た目や言動以上に聡いんだな。
とはいえ、俺はここで素直に頷くわけにもいかず、
「……さてな」
曖昧な笑みを浮かべながらぼかすだけにした。
この聡い少年なら、それで察するだろうと期待して。
「さよか」
そして及川は期待通りに、素っ気ない返事を返してこの話題を打ち切ってくれたのだった。
及川の言うとおり、この事件に俺は大きく関わっている。
というか、この事件に関わるために、俺はこの聖フランチェスカにいた。
本来は大学生である俺──高町恭也がここにいる理由。
それは聖フランチェスカに通う、一人の女生徒を守るためである。
学生であると同時に、実戦型の古流剣術を修めている俺は、たまにではあるが護衛などの仕事を請け負っていた。そして今回がまさにその護衛の仕事というわけである。
今回の仕事を持ちかけてきたのは、今は亡き父士郎のと懇意にしていた友人の息子──志藤由という。俺たちは親同士の繋がりで今も友人として連絡を取り合っていて、その由から相談を持ちかけられたのが全ての始まりだった。
「僕の妹分が、今大変なことになってるんだ……」
何事にも器用で、大抵のことは自分で解決出来る友人の弱気な声に、俺は眉をひそめつつ、彼の話を聞いた。
自分が昔から妹のように可愛がっている従妹がストーカーに狙われている。しかもそのストーカーは厄介なことにかなりの実力者らしく、普通の護衛では対処出来ない、とのこと。
聞けばそのストーカーは、関係者以外の立ち入りを厳しく制限している従妹殿の通う学園──聖フランチェスカ内での様子を収めた写真や、男子禁制の女子寮での彼女の寝姿を撮った写真を彼女に送りつけ、いつも見ているということをアピールしているらしい。ただ、それを実行するのは並大抵のことではない。
近年の学校の敷地内で起きる悪質な事件に伴い、各地の学校法人では警備を厳重にしているし、ましてや従妹殿の通う聖フランチェスカは超がつくほどの名門校でもある。その警備はトップクラスとも言えるだろう。そんな警備をかいくぐることが出来る相手となれば、尋常ではないのは想像に難くない。
由の実家──志藤家は日本でも知らぬモノがいないと言うほどの大財閥で、従妹殿の家も分家ではあるが、十二分の資産を有する名家だ。ゆえに護衛の類はすぐにつけられるが、それは学園の敷地の外に出た時のみで、学園内では護衛などをつけることは出来ないのだ。
……まあ、この学園の生徒にそれぞれ護衛をつける事を許可したら、校舎内は護衛だらけになってしまうだろう。なにしろ、ここは元々は名家のお嬢様だらけの女子校なのだ。護衛をつけるのが当たり前、という財力を持った家の令嬢ばかりなのだから。もっとも、今は共学校となり、徐々にではあるが一般の生徒も入ってきているようだが。
とはいえ、実際に学園の敷地内でそういったストーカー行為を許している以上、志藤とて聖フランチェスカ側に猛抗議をした上で護衛をつける許可を取ろうとしたが、学園側としても一人の生徒だけ特例を出すわけにも行かず、結局は敷地内の警備を強化するという形で妥協するしかなかったのだ。
しかし、ストーカーをされている従妹殿も、そして由もそれで安心出来るはずもなく。
敷地内にいても不思議じゃないくらいの年格好で、それでいて凄腕の護衛をつければ、ということで白羽の矢が立ったのが、俺だったのだ。
だが、俺も長い時間大学を休学し、聖フランチェスカに通うわけにも行かないため、早期解決するための策を練った上でフランチェスカ入りを果たす。年齢を偽り聖フランチェスカに編入した俺は従妹殿の協力を得て、あえてそのストーカーを挑発する意味で、彼女と仲睦まじい様子を見せつけるような演技をすることにしたのである。それによりストーカーを刺激して、相手がより大胆な行動に出るようにと仕向けたのだ。
ただその際に、想定外のことが一つ。
「……あんた、ただ者じゃないだろ?」
普通の転校生として、あまり目立たないようにと大人しくしていた俺に興味を示した男子生徒がいた。それが北郷一刀という少年である。彼は祖父の家が剣術道場を開いていて、彼自身も剣術をたしなんでいた。その修行によって鍛えた眼力で、彼はちょっとした俺の立ち居振る舞いから剣士としての俺の実力を見抜いたのである。
北郷は突然やってきた時期はずれの転校生が、学生らしからぬ強さを持っているということで、彼独自の正義感から俺を怪しいと睨み、俺の行動をマークするようになったのだ。これにはさすがの俺も困り果て、しょうがないとばかりに北郷に真実を語ったのである。
俺の話を聞いてくれた北郷は納得し、今度は俺の仕事に協力すると言いだした。これには俺も辟易したのだが、
「高町さんが協力を拒むのなら、俺は単独でも動きますよ? それでもいいんですか?」
こう言われてはもう詰みだった。素人に勝手に動かれて邪魔をされるよりはいいだろうと判断し、俺は北郷と協力して今回の事件にあたったのである。
そして、後は語るまでもない。
俺が編入してから数日後、講じた策は上手く行き、犯人は無事逮捕されたのだ。
ただ、その犯人が実は志藤の家で雇っているSPの一人だったことは意外だったのだが。
ただ、結局事件として話が(あくまで学園内でだが)大きくなったため、立場上目立つわけには行かない俺は、この事件の功労者を犯人を撃退した際にその場にいた北郷に仕立て上げたのだった。
こうして俺の聖フランチェスカ潜入護衛の仕事は一件落着し、俺は一週間でこの学園を出ることになったのだが。
「高町さん、最後に一度。俺と勝負してくれませんか?」
北郷のそんな申し入れがあり、最終日の放課後──つまりたった今──彼と勝負することになったのだった。
「で、及川。お前、こんなとこまで何しに来たんだよ」
俺との勝負を終え、落ち着いた所で北郷は及川に問いかける。その質問を聞いて及川は呆れと怒りの入り交じった表情を見せた。
「かぁ〜! すっかり忘れとるやん自分!」
「忘れる? お前と何か約束してたっけ?」
「してたもクソも! この間、理事長から全校生徒に向けて宿題が出たやろうが!」
「宿題?」
及川の言葉に首を傾げていた北郷だが、少しして思い至ったらしい。
どうやら俺が聖フランチェスカに来る前に出た課題があったようで、それをしっかりとクリアするために、今日はこれから一緒に行動するという約束をしていたようだ。
二人の話をそれとなしに聞いていた俺はその課題の内容を聞いて、その課題自体にに興味を抱いた。
その課題とは学園側が最近敷地内に造った歴史資料館を見学し、その感想文を提出することらしい。
……せっかく生徒達のためと思って資料館を造ったのはいいが、利用者があまりに少ないことに腹を立てた末の課題……なんて背景が見えてきそうなんだが。それは俺の邪推なのだろうか?
それはともかく。
北郷と勝負も終えて、後は今日一晩だけ男子寮に泊まり、明日は海鳴へ戻るだけの俺としては、その歴史資料館という場所に行ってみたくなり、
「すまないが、俺も一緒に行かせてもらっていいだろうか? 歴史関連には興味があるし、この学園で過ごすのも今日が最後だからな。一度その資料館を見てみたいんだ」
俺は北郷達と共に資料館を見学することにしたのだった。
資料館への道中、俺は及川から資料館について、簡単に説明を受けていた。
「パンフレットを先に手ぇ入れて読んでみたんやけど……なんでも後漢後期のモノを展示しとるらしいっすわ」
「後漢後期というと、今から約1800年ほど前か」
「あー、そうなると三国時代かぁ」
及川の説明に、俺と北郷がそれぞれ相づちを打つと、その及川が意外そうなモノを見るような目をする。
「……すげーな、兄さんもかずピーも」
「「は……?」」
そこでいきなり及川に凄いなどと言われた俺と北郷は、何が凄いのかわからず首を傾げた。
「いや……三国時代とか1800年前とか。後漢後期ってだけで、よーそんなモンがわかんなぁ、自分ら」
「そうか? 日本でも三国志などはポピュラーだと思うんだが?」
「そうっすよね?」
「三国志ぃゆーたらそりゃポピュラーかもしれんけど、後漢後期ってだけじゃわからへんって」
及川の言葉に、なるほどと頷く俺たち。
その後も「もしかして二人とも歴史マニアだったりするんちゃうか?」などと言われたが、そこら辺は適当に受け流した。
俺の場合は美由希が持っていた本の中に、以前三国志関係の小説があったり、大学で史学の講義を取っている関係で多少は詳しくなっているから。
北郷の方は、どうやら剣術道場のある祖父の実家に歴史関係の書物が多くあるらしく、子供の頃に読みあさっていたらしい。
そんな話をしながら、俺たちは資料館に到着した。
そこは、学園の敷地内にあるにしては豪華すぎる造りの建造物で、普通に町中にあっても不思議ではないくらい、中の展示物も揃っている。
「へぇ……また立派な資料館だな」
「さすがフランチェスカと言うこっちゃな。どんだけ金かけとんねん」
北郷達は素直な感想を口にし、俺も声にこそ出さなかったモノの抱いた感想は二人と似たようなモノだった。
俺は雑談しながらも展示物を見ている二人の後を歩いて、ショーケース越しに展示物を眺める。展示物は当時の鎧だったり武具、それに庶民の生活で使われていた用具から、時の太守たちの調度品などとバラエティに富んでいた。ただ、どうしても大半のモノがレプリカだったりするのだが、それでも当時の雰囲気などは感じられるだろう。
「学園の私有物としてのレベルを超えてるな。大した物だ………………ん?」
感嘆を思わず声に出していた俺は、不意に前を歩く北郷の様子がおかしいことに気づいた。それまでは及川と談笑しつつも展示物を見ていたのに、今はあさっての方を凝視している。そこで俺は北郷の視線を追いかけると──
「……なるほど」
俺は北郷の様子が変わった理由を理解することが出来た。
この資料館には俺たちの他にも利用者がいたのである。姿を見る限りは北郷と同じ聖フランチェスカの男子生徒らしい。今の俺たちと同じように白を基調とした制服を着ているからだ。しかし、北郷が視線を固めている理由は他にある。
俺はその場に佇んでいる北郷の元へと歩み寄り、声をかけた。
「……北郷? お前、俺の時と同じように彼にもつっかかるつもりか?」
「え……? あ、高町さん」
「はぁ? どーゆーこっちゃ?」
声をかけられた北郷は気まずそうに肩をすくませ、隣にいた及川は俺たちのやりとりの意味がわからず困惑する。
「北郷が悪い癖を出していただけだ。まったく……少し腕の立つ人間を見たら興味を示すのは、あまりいいことではないぞ?」
「むぅ……」
「腕の立つ?」
そこで初めて及川も気づいたようだ。俺たち以外にもこの資料館に見学者がいたことを。展示物の鏡の前に佇む、色素の抜けたような色の髪の少年の存在に。
「あのあんちゃんがそんなに凄いんか? 見た目は優男やのに」
「ああ……ありゃかなりの使い手だ。ですよね、高町さん?」
「見た目はともかく、確かに何らかの戦闘技術は有しているだろうな。だが、だからといってそんなに凝視してると変なヤツと思われるぞ?」
「うっ……」
その後、北郷は及川に「そっかそっか。かずピーはウホッ! やったんか……気をつけんと」などとからかわれて、ようやく視線を外すのだった。
だが、その後も北郷は展示物の見学に集中出来ず、ずっと鏡の前にいた少年のことを意識し続けていた。
そしてその日の夜。
俺は夕食後、今日の一件について考えていた。
「確かに北郷が気にするのもわかる……あれはただ者じゃなかった」
海鳴から離れたこの聖フランチェスカでは学生寮を利用していた俺は、男子寮(とはいえ、実はプレハブなのだが)であてがわれた一室で、北郷が気にしていた少年のことを思い浮かべる。
北郷も及川も見覚えがないとなれば、おそらくは学年の違う──見た目からすれば下級生なのだろうが、俺が気になっているのは彼の強さよりも、資料館での様子だった。多くの展示品の中でも、ただ一つだけ。レプリカではないらしい鏡だけをじっと見据えていた彼の様子は明らかにおかしかった。それはまるで、親の仇を見るような眼差しかと思うほどのモノである。
「あの鏡に何か因縁があるのかどうかはわからんが……」
あの時の少年の姿を思い出すと、何か寒気がする。
これから何かが起きるような……そんな予感。
そして、これまで幾多の修羅場を乗り越えてきた恭也にとって、そういった類の予感は大抵当たるのだ。
「……しょうがない。行ってみるか」
俺はこちらに持ってきていた装備品を制服の下にそれぞれ隠し持ち、寮の部屋を出る。
すると、ほぼ同じタイミングで三件隣の部屋のドアが開き、まったく同じタイミングで一人の少年が外に出てきた。
それは──
「……北郷」
「高町さん」
──資料館見学の後に別れた時と同じ、制服姿の北郷一刀だった。
ただ、その時と違うことが一つ。
今の彼は、その手に一本の木刀を持っていた。
その出で立ちを見た瞬間、彼が何のために部屋を出たのか。その理由がすぐにわかった。だからこそ、俺は彼を止める。
「……部屋に戻れ北郷」
「えっ?」
「お前……これから資料館に行くつもりだろう」
それはもはや問いかけではない。
だからこそ、北郷も何も言えずに目を逸らした。
「お前が正義感から動いてるのはわかる。だがな……あの少年はお前の手に負える相手ではない。それがわからんお前ではないだろう」
「……っ」
北郷も俺と同じなのだ。
あの少年の危険な雰囲気が気になり、己の正義感に突き動かされ、いても立ってもいられなくなったのだろう。そんな北郷の心意気は決して嫌いなモノではない。だが、今回だけはそれを許すわけにはいかないのだ。
「あの時のお前は気づいていたはずだ。あの少年の力量がお前よりも上であることを」
「それは……そうかもしれませんけど」
「それに、お前ならわかるはずだ……北郷、お前が無理でも、俺なら大丈夫だと」
「あ……じゃあ、高町さんも?」
「ああ。アレの様子は尋常じゃなかったからな。気にはなっていたんだ」
北郷は俺の言葉に安堵したのか、それまで不退転の意志を感じさせた硬い表情をホッと緩める。北郷の眼力は並じゃない。だからこそ、自分があの少年に敵わないことは北郷自身が一番わかっていたはずだ。それでも北郷は自らの強い正義感ゆえに、引き下がれなかったのだ。
しかし、適任の人間がいれば、北郷が無理をする必要はない。
「わかったら、部屋で待ってろ。もし1時間経っても俺が戻らなかったら、警察なり警備の人間なりに連絡してくれ。いいな?」
「……わかりました。気をつけてくださいね、高町さん」
「ああ」
北郷は決してバカではない。ここで無意味にごねることもなく、俺の言葉に従い、自室へと戻った。
それを確認してから、俺は安堵の息を吐いてから、あらためて夜の敷地内を疾走し一路資料館を目指す。
「……これが徒労に終われば、それが一番なんだがな……」
声に出してみたモノの、それが甘い考えだということは、俺自身が一番わかっていた。
煉瓦をしきつめたような路の上を駆けた。資料館への一本道を駆け抜けながら、周囲の気配を探る。
月は雲に隠れ、街灯もない夜の並木道は闇が支配していた。一寸先は闇、という言葉が真実と思うほどに視界は悪い。だが、俺は普段の修練のおかげもあって夜目が利く。この程度の闇は先を急ぐ上では問題にならなかった。
そして、もうそろそろ資料館が見えてきそうなところで、
「っ!」
俺は急停止する。
気配を感じたからだ。
資料館の方からこちらに向かって誰かが走ってくる。
俺は即座に気配を消し、並木道の脇の木の影に身を潜めた。こちらの存在を相手に気取られないためだ。俺がここにいることがわかれば、別ルートで逃げられる恐れがあるからである。
そして──
たったったったったっ!
少しずつ大きくなる足音。
はっきりと感じられる気配。
やはり──
「止まれ。こんな時間に何をしている?」
──俺は相手の姿が視認出来る距離で、木陰から姿を現した。
そして俺はハッキリとその姿を確認する。
「……なんだ貴様は?」
資料館からこちらに向かってきていた気配の正体……それは、夕方資料館の中で北郷が凝視していた薄い色素の髪と整った顔立ちが特徴的な少年だった。そしてその少年はやはり、小脇にあるモノを抱えている。それは、
「展示品の窃盗犯を捕まえるためにやってきた一般生徒だ」
目の前の少年が資料館で睨みつけていた展示品の鏡だった。
……どうやら今回も嫌な予感は的中したようだな。
心の中で愚痴に近い言葉を言いながら、俺は少年に声をかける。
「目的はさておき、お前のしていることは間違いなく犯罪行為だ。大人しく捕まってもらおうか」
「ふん」
俺の投降を促す言葉を少年は鼻で笑うことで意思を表し、殺気を振りまいた。あまりにも明確な意思表示。
つまりは──通さなければ殺す──と言うこと。
ならばしょうがない。
俺はここで初めて、抑えていた殺気を表に出した。
その途端、
「っ!?」
「驚くことはないだろう? 先に殺気を露わにしたのはお前の方なのだからな」
俺の殺気にのまれた少年が表情を歪めた。
そしてあらためて舌打ちする。
「何が一般生徒だ? ふざけやがって……世が世なら英傑レベルではないか……っ」
しかしそれでも少年は退く気はないようだ。小脇に鏡を抱えたまま、半身の構えを取る。どうやら少年に武器はなく、徒手空拳で戦うようだ。
さて、こうなると俺はどうするか?
相手に付き合って徒手空拳で対応してもいいし、小太刀を抜いてもいいが──
「死ねぇっ!」
「っ!」
そんな俺の迷いを見抜いた上で、それをスキと見たのか少年は一気に間合いを詰め襲いかかってきた。技術も何もない。ただ無造作に身体能力に物を言わせての回し蹴りを連発する。技巧はまるでないはずの少年の蹴りは、
「ちっ!」
人間離れした身体能力のせいで、全てが一撃必殺の威力を秘めていた。俺はその、唸りを上げて全て的確に急所を狙ってくる蹴りを身のこなしだけでかわしていく。最初は受け止め、そのまま脚を捉えようとも考えたが、空を切る蹴りのスピードを見てその考えを改めた。アレは人間の力でどうこう出来るモノじゃない。
途切れることなく繰り出される蹴りの連続。それはもう竜巻のようだった。
このままではこちらから反撃することもままならん!
俺は一瞬の隙をついて、後方へと飛び退き、間合いを取った。
「ふぅ」
「…………」
俺は乱れかけた呼吸を即座に整え、あらためて少年の様子を窺う。
少年はあれほどの攻撃を繰り出しておきながら、まったく疲れた様子はなかった。
それを見て、俺はある種の確信を持つ。
「お前……人間じゃないな?」
「さてな? そんなことを語る必要はない」
「となると、その鏡を持ち出した理由も語る必要はない、ということか?」
「ああ、そうだ。そもそも、この鏡は貴様のモノでもないのだろう? だったら、黙ってこの場を去れ。こんなモノのために命をかけるなど、全くの無意味だろう?」
今さっきの攻防で自分が優位に立ったと感じたのか、少年は逆に俺に向かって撤退勧告をしてきた。
しかし、それに乗ってやるわけにはいかない。
「確かに、その鏡のために命を張る理由はないな」
「ほぉ……」
少年の表情に昏い笑みが浮かぶ。俺が戦意喪失したのだと思ったのだろう。だが、それは違う。
「だがな……この地には短いながらも友人として接してきた人間がいる。彼らのためにも、貴様のような危険な人間を放置はしておけないし、なにより──」
俺は制服の裏に装備していた二刀の小太刀をゆっくりと鞘から抜いた。
「──自らを殺そうとした輩を見逃すほどお人好しではないんでな」
俺は愛刀『八景』を逆手に構え、少年を見据える。
その視線に殺意を乗せて。
「ちっ! バカが……そのくだらん情と分不相応な自尊心を地獄で悔いろ!」
「その言葉……そっくり貴様に返してやる!」
俺と少年は再び激突した!
戦局は、明らかに俺に傾いていた。
確かに少年の身体能力は人間のそれを大幅に超えているし、彼の繰り出す攻撃は、全てが一撃必殺だ。しかし彼の攻撃には技術がない。おそらくその身体能力故に武術の類を必要としなかったのだろう。だからこそ稚拙とも言える攻撃は読みやすく──特に彼は正確すぎるくらい正確に急所を狙ってくるので──かわすのは容易いのだ。
さらに技術がないからこそ、俺の攻撃の中でも『貫』という御神流の攻撃は有効で、端正な少年の顔や手足にいくつもの傷を与えていた。
そしてもう一つ、少年を不利にする要因がある。
それは……鏡を脇に抱えることにより、彼は片手が使えないということ。
それらの不利がここに来て少年を追い詰めていた。
「ちぃっ!」
ここで初めて、少年の方から後方へと飛び退き、間合いを取った。
少年にしてみれば、自分から逃げるように間合いを取ること自体が屈辱だったらしく、その整った顔を怒りで歪めていた。
「くそっ! あくまで邪魔をするというのか……っ。外史など生まれさせてなるモノか!」
「外史? どういう意味だ?」
「うるさい! 貴様に語る言葉はない! 死ねぇぇっ!」
少年はまるで獲物に襲いかかる肉食獣のような瞬発力で、再び攻撃を仕掛けてくる。が、
「語る意志がないと言うのなら……」
俺の目はすでに、少年の動きも攻撃にも慣れきっている。俺は右の小太刀を一旦鞘に収めてから、
「……無理矢理にでも吐いてもらうぞ!」
俺は少年の初手の上段回し蹴りを首をひねるだけでかわした瞬間、
「御神流・虎切!」
カウンターを取り、少年の腹目がけて峰打ちの抜刀術──虎切を放った。
「ぐはぁぁ……っ!?」
刀身のめり込む感触が手のひらに伝わる。
抜群の手応えを感じると同時に、少年の身体は吹っ飛び、路の脇にある木に少年の身体は叩きつけられた。
そして──次の瞬間。
ぱきぃぃんっ!
「なにっ!?」
「しまった……っ」
いつしか少年の手からすり抜けた鏡が、地面に落ち、硬質な破砕音を立てて砕け散ってしまった。
出来れば鏡は無事な形で回収したかったが……。
そんな俺のわずかな後悔を余所に、虎切でかなりのダメージを負ったはずの少年が苦虫を噛み潰したような表情を見せつつ、よろけた脚で砕けた鏡に歩み寄る。
「……くそっ! なんてことだ。これでは………………っ?」
砕けた鏡を回収しようとしたのか、鏡に近寄る少年。
しかし、少年の手が鏡の破片に伸びたところで、突然その鏡の破片から白い光が溢れ出した。
「なにっ!?」
「ちっ……もう始まったか。全ては貴様さえいなければ!」
少年が呪詛の言葉と共に、射殺すほどの鋭い視線をこちらに向けてくる。だが、すぐにその少年の姿を視認することは出来なくなってしまった。
少年が溢れ出る光に飲み込まれたからだ。
そしてその光は際限なく溢れ続け、すぐに俺も光に飲み込まれることになる。
「……これはもう、逃げようもないな」
俺の本能が、この未知の光が危険なモノだと告げてはいるが、同時に俺は理解していた。たとえ神速を使ったとしても、この光からはのがれられないのだと。
だから俺は覚悟を決めて、抜いていた小太刀を鞘に収め、光に身を委ねた。
その時、
「ふん……なかなか肝が据わってるじゃないか」
俺の耳に少年の嘲笑じみた声が聞こえてきた。
「まあな。それだけが取り柄だ」
だが、少年がどこにいるのか視認も出来ず、気配すら読みとれない。
「よく言う……どこまでも人を食った野郎だ」
「俺とまともに話をしたいのなら、そちらも腹を割って話せばいい。そうすれば少しはまともに返してやるが?」
「はっ! どこまでもふざけやがって……だが、まあいい。一ついいことを教えてやるさ」
少年はもはややけくそ気味に宣言する。
「もう貴様はここには戻れん。幕は開いた」
「幕? 何を……」
そして耳障りな笑いと共に、嘲りの言葉を吐いた。
「飲み込まれろ。それがお前に降る罰だよ」
「どういう意味────ぐあっ!?」
瞬間光の奔流が強まり、俺の意識は薄れゆく。
そして意識が途絶える寸前に、
「この世界の真実をその目で見るがいい──!」
少年の最後の言葉がやけに耳に残り……そこで俺の記憶は途切れてしまった──。
あとがき
えーっと……リアルバウトじゃなくてごめんなさい(爆
未熟SS書きの仁野純弥です。
こちらに載せていただいているリアルバウトクロスはいろんな理由がありまして、現在なかなか書けないと言う状況でして。いずれ復活したいと考えてますが、今はちょっと……なのです。
それの代わりというわけではありませんが、ここに恋姫無双クロスを発表させていただく運びとなりました。基本的には原作を追う形で進みますので、原作を知ってる方々には退屈な展開となるかも知れませんが、徐々に変化を持たせていこうと考えてる次第であります。
この作品を読んでくださった方々。
そしてこの作品を載せてくださった氷瀬さんに感謝を。
では。
恋姫無双とのクロス!
美姫 「謎の光に包まれた恭也」
幕は開いたばかりだけれど、早く続きが〜。
美姫 「とっても気になるわよね」
うんうん。次回も楽しみにしてます!
美姫 「本当に待ち遠しいわ」
ではでは。