「…ウソ……?」

 

  今、戦場で繰り広げられるている光景に驚愕を隠しきれない表情で呂蒙こと安春は思わず呟かずにはいられなかった。

 

「うりゃーー!!」

 

 ブォンッ!!

 

  可愛らしい掛け声と共に張飛こと鈴々は自分の倍以上はあろうかという槍――蛇矛を横に一薙ぎにする。

 

  たったそれだけ、たった一振りしただげで、鈴々の周りの空気が吹き飛んだ。そして、その吹き飛んだ空気が衝撃波となり呉の兵士達までも吹き飛ばす。

 

「くっ……!」

 

  吹き飛ばされた兵士の叫び声の中からこれまた幼さが抜けない肩まである茶色い髪の少女――朱治が苦悶の表情を浮かべながらその轟撃に耐える。しかし、その轟撃は一撃で生命の危機という人間――いや、生物が原初から備えている本能を刺激し、朱治の持ち味である不屈の闘志を揺るがした。

 

  恐らく、この場に朱治一人なら闘志は先程の一撃で砕かれていただろう。だが、今この場には二人の頼れる戦友が居た。

 

「こりゃ、やべーな…。気ィ抜くと、死ぬかもな…」

 

  右目の傷が歴戦の戦士である事を感じさせる銀色の短髪を持つ女性――程普が槍を片手に闘志を砕かれかけた朱治の隣でいつも通りの飄々とした様子で話し掛ける。

 

  しかし、表面上は冷静を装っているものの実際は目の前に居るバケモノ級の出鱈目な少女の強さに内心、肝を冷やしていた。

 

  だが、程普も二人の戦友を前に情けない姿は見せられないという意地から何とか踏みとどまっていた。

 

「まったく…これだから体力バカは嫌なんです…」

 

  二人から少し距離をおいた所から長い黒髪の、一見すると清楚に見える少女――凌統こと光凛は投擲ようの短剣――忍者が使うくないに近い――を両手の指と指との間に挟みながら清楚な見た目とは裏腹に腹黒い表情で話し掛ける。

 

「にゃ!今、鈴々をバカにしただろー!!」

 

  少し離れた所に居るハズの光凛の声をあまり聞き取れないにも拘らず、野生の勘からか自分の悪口を言われていると何となく察知し幼き猛虎は更に威勢を強めてしまった。

 

  しかし、彼女達はその大迫力のオーラを浴びてもなお闘志を削がれる事はなかった。

 

「おっしゃー!やるかーー!」

 

「あぁ!」

 

「貴女に命令されたくありません!」

 

  朱治の言葉に二人ともそれぞれ違う反応で応える。

 

  そして、彼女達は幼き猛虎に闘いを挑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十五話:奇策

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  朱治、光凛、程普が幼き猛虎――鈴々と闘いを始めたのと時を同じくして西方の関羽こと愛紗率いる二千の奇襲部隊と、それを迎え討つ孫策こと雪蓮率いる三千の部隊の戦いも激化していった。

 

  当初、関羽隊と孫策隊は拮抗した戦いを見せていたが、愛紗が何とか落ち着きを取り戻させた荊州の兵士達は敵のあまりの精強さに再び浮き足立ってしまった。

 

 そんな荊州の兵と、敵の奇襲を事前に予測し備えていた上に総大将自らが出陣したことで士気が更に高まった孫呉の兵では、やはり孫呉の兵の方が優勢であるためにスグに孫呉の兵隊が関羽隊を圧し始めた。

 

「はぁあーーーー!!!」

 

  そんな中、未だ戦闘意欲を萎えさせる事なく一本に纏めた綺麗な黒髪をなびかせながら後に軍神と呼ばれる少女――関羽こと愛紗は己の相棒と言える武器――青龍偃月刀を手に孤軍奮闘の活躍を見せる。

 

  彼女のその武威は確かに脅威であった。彼女の一振りは義妹である鈴々にも勝るとも劣らないモノだった。

 

 しかし、彼女のその武威も今の状況では焼け石に水だった。

 

「踏ん張れ!大将孫策を討ちさえすれば、この戦は我らの勝ちだ!!」

 

  自分でも無意な言葉と解っていながら何度目か判らない位鼓舞を行う。

 

  しかし、彼女の言葉は新たな凶事を招いた。いや、見方によっては僥幸とも取れるモノであったのかもしれない。

 

「へぇ〜?やれるモンならやってみなよ♪」

 

  戦場にありながら裏表のない嬉々とした笑顔を浮かべながらそこに居たのは果たして孫呉軍総大将孫策こと雪蓮だった。

 

「――っ!」

 

  愛紗は雪蓮に声をかけられその存在を確認すると直ぐ様距離を空け青龍偃月刀を構え臨戦体勢をとる。

 

「貴様が…孫策か…?」

 

「そだよー♪」

 

  表面上は軽いのりの可愛い女の子だが、愛紗には雪蓮が奥深くに持つその並々ならぬ覇気を感じ取り、ほぼ確定事項と思われる質問を投げ掛けると雪蓮はいつも通りののりで愛紗の質問に応えた。

 

  愛紗はその奥深くに持つ並々ならぬ覇気を一番に感じ取ったが、次に感じたのは不信感だった。

 

  何せ、雪蓮の格好は籠手(こて)や脚甲(きゃっこう)は着けてはいるものの、獲物を全く持っていなかったのだ。

 

  更に愛紗の不信感を高めたのは彼女の緊張感の無さを象徴するかのような構えだった。

 

  確かにある程度の距離を二人は取っているが敵と対峙している状況下において、腕を上げ、敵の攻撃に備える様子もなく、ただ腕を宙ぶらりんと下ろしているだけだったのだ。

 

 その数々の“普通の者なら”失態とされる状況を見て愛紗は「敵の大将ながら、何と無用心な…」と、思わずにはいられなかった。

 

  しかし、忘れてはならない。

 

 目の前に居る女性は“普通の者”などではないという事を。彼女は“江東の小覇王”こと“孫策伯符”なのだと。

 

「どうしたの?攻撃しないないの?」

 

  せっかく敵の総大将たる自分が居るのだから攻撃しない法は無い、と雪蓮は敵である愛紗をけしかける。

 

  愛紗はその言葉を受け、先程の数々の不審点から「何かあるのでは?」と迂濶に動けずにいた。

 

「も〜、来ないならこっちから行くよ〜」

 

  しかし、雪蓮からしてみれば何の小細工もしていないので疑われているとは露とも知らず無用心にも一歩踏み込み敵の間合いに入る。

 

  愛紗が未だにどうすべきかと悩んでいるその時だった。

 

「――っ!!」

 

  ブシュンっ!

 

  愛紗の顔面の“横”からの攻撃をスウェー――上半身だけを後方に反らす動作の事。一般的にボクシング等で見られる高等技術の一種――で何とか回避する。

 

  全くの無警戒だった“横”からの攻撃だったためほとんど反射神経のみで回避したため、スウェーというムダの多い動きになっていた。

 

  無警戒だったのは当然だろう。

 

  何せ雪蓮の腕は無警戒にもぶらんとした状態で“下”にあったのだから。

 

  そんな状態から“横”からの攻撃なんて有り得ない。いや、そもそもあの体勢からの、しかも素手の攻撃では大した速さ、重さ、殺傷能力のある攻撃などできるハズない。

 

  しかし、愛紗の眼前を通り過ぎた雪蓮の拳は、愛紗程の武人をもってしても充分に生命の危機を感じさせるモノだった。

 

「わぁー、スゴいスゴい!あんなかわし方初めて見たぁ♪」

 

 スウェーというムダの多い行為で避けたため隙だらけになってしまったにも拘らず、雪蓮はキラキラと目を光らせながら楽しそうな表情を浮かべ愛紗に話し掛けるばかりで、追撃を行わなかった。

 

 そして、その隙に愛紗は体勢を立て直す。

 

「じゃ、次、イクよー!」

 

  その新しいオモチャをもらった子供の様な表情のまま、雪蓮はあろう事か次弾の攻撃を予告する。

 

  ブシュンっ!

 

「――くっ…!」

 

  それでも愛紗はその一撃を回避するのにかなり苦労する。

 

  何せ雪蓮の一撃はまたも宙ぶらりんの状態のまま“下”から――アッパー系統――の攻撃ではなく、愛紗の真っ正面から――ストレート系統――の攻撃だったのだから。

 

(…また…)

 

  また…予備動作無しで…。

 

  有り得ない…!予備動作無しで…あんな攻撃を出すことも…。

 

  そして…真っ正面から攻撃するためには、“下”にあった腕を私の目の高さまで持ってこなければならない。

 

  その――私の顔の位置まで腕を持ち上げる――動作すら…見えない…。

 

(バカな…!)

 

  初期のモーション(動作)全てが見えないなどという今までに体験したことのない事態に否定の言葉が何度も浮かぶ。

 

  しかし、何度否定しても、事実が目の前にある。

 

「あはは、強い強い。ウチの思春(甘寧)並みの強さだよ♪」

 

  しかし、数々の否定したくなる事実をやってのけた本人――雪蓮は楽しそうに笑い、相も変わらず腕を宙ぶらりんの状態のままにしていた。

 

「………(ブンブン!)」

 

  違う!今はそんな事を気にしている場合ではない!

 

  反応はできる…。

 

  今までの攻防――避けてばかりだが…――がそれを証明している。

 

  闘える。充分に闘える…!

 

  頭を振り、そして漸く愛紗は眼前の敵――雪蓮との戦闘に集中する。

 

「………」

 

  愛紗はおもむろに自分の大きな獲物――青龍偃月刀を振り回せる位に間合いを空ける。

 

  雪蓮はそれに気付きつつも相変わらずの笑顔でそれを見逃す。いや、寧ろより明るい笑顔になったかもしれない。

 

「――ハアァッ!!」

 

  覇気の籠った掛け声と共に空気を切り裂く一撃を横に一閃する。

 

 シュンッ!

 

  鈴々の攻撃と同等の速さであったが、鈴々が広範囲を粉砕する――謂わば重い攻撃だったのに対し、愛紗の攻撃は一点に集中し切り裂く――謂わばキレのあるモノだった。

 

「うわっ!」

 

  キンッ!

 

  驚いた様な声を発するが、その声とは裏腹に楽しそうな表情のまま雪蓮は腕の籠手がある部分で愛紗の一撃を防ぐ。

 

  またもや下にあった腕は愛紗の一撃を防ぐために上――雪蓮の顔の辺りに上がっていた。

 

  しかし、最早愛紗はそんな事に動揺しなかった。

 

  シュンッ!

 

  ブシュンっ!

 

  シュンッ!

 

  シュンッ!

 

  シュンッ!

 

  ブシュンッ!

 

  目にも止まらぬとは正にこの事だと感じさせる横へ薙ぎ払う連続攻撃を繰り返す。

 

  しかし、そのキレのある連続攻撃を雪蓮はかわし、籠手で防ぎ、一撃たりとも当たらない。

 

  その防御や回避すらも無茶苦茶。

 

(まるで…)

 

  まるで素人のケンカのようだ。

 

  次元は全く違うが、そうゆう感想を抱かずにはいられなかった。

 

  ここまでの雪蓮の戦闘を一言で纏めると“無形”。文字通り“形が無い”のだ。

 

 見えるから避ける。

 

 見えるから防ぐ。

 

 届かないから踏み込む。

 

 届くから攻撃する。

 

 要するにセオリーが全く通用しない攻め、守りなのだ。故にセオリーが完璧な愛紗には最悪の組み合わせだった。

 

「――シッ!」

 

  フォッンッ!

 

「――がッ!」

 

  ガンッ!

 

  その目にも止まらぬ連続攻撃の合間を縫って雪蓮は一瞬の間に間合いを縮め今までとは質の違う――愛紗同様キレのある一撃を放つ。

 

  愛紗はその攻撃も何とか青龍偃月刀の柄で防ぐ。

 

「………」

 

  愛紗は再び自分の間合いを取り、キレのある攻撃を再開する。

 

  そして、何度か攻撃を繰り返せばまたも雪蓮は踏み込み攻撃を行い、愛紗はそれを防ぐ。

 

  何度かそれを繰り返すが、愛紗は毎回質の違う雪蓮の攻撃に苦労をさせられるが、雪蓮は何度も繰り返される愛紗の横薙ぎの攻撃にいい加減体が慣れたのか、まるで流す様な形で回避や防御を行う。

 

「ハアァッ!!」

 

  ビュンッ!

 

  しかし、もう何度目かすら判らない――百回はゆうに越えてる――位の攻撃で愛紗は行動に出た。

 

  今まで見せなかった突きを繰り出したのだ。

 

  それも、ただの突きではない。なるべくモーションを少なくし、雪蓮に悟られぬようにし、尚且つ速さ、威力、キレの全てを落とさないような攻撃だった。

 

  今まで単調に横薙ぎの攻撃を繰り返してきたのはこの一撃への布石。

 

  横薙ぎの攻撃に目が慣れてきたところにいきなりの突き。正に完璧なシナリオ。

 

 勝負は今、この瞬間に着いた――ハズだった。

 

「よッ」

 

  まるで少し重たい物を持ち上げる時のオッサンが出すような軽い掛け声を出しつつ、雪蓮は腰だけをクイッと動かし愛紗のその渾身の突きをいとも容易く避ける。

 

  完璧なシナリオ――それはセオリー通りならの話であった。

 

  しかし、相手は雪蓮だった。

 

  愛紗の敗因はたった一つ。それだけだった。

 

  渾身の一撃をいとも容易く避けられた事に確かに動揺はあった。

 

 しかし、動揺してばかりもいられない。スグに来るであろう雪蓮の反撃に愛紗は青龍偃月刀を防御できる位置まで引こうとする。

 

  しかし、愛紗が全力で引いても、彼女の相棒は全く動かない。

 

「なっ……!」

 

  その理由は至って単純だった。青龍偃月刀を握っていたのは愛紗だけではなく、もう一人いたからだ。

 

  そう。雪蓮である。

 

  雪蓮は繰り出された神速の域の突きを避けただけではなく、その薙刀――青龍偃月刀を片方の手――右手で握っていたのだ。

 

「よっ――と!」

 

  掛け声と共に雪蓮は更に驚くべき事をやってのける。

 

  右手一本で青龍偃月刀を握っている愛紗ごと持ち上げたのだ。

 

「――っ!」

 

  青龍偃月刀を握った手を離すという考えは愛紗にはなかった。

 

  戦場において相棒である自分の獲物を離すなど武人としての彼女のプライドが許せなかったのだ。

 

  雪蓮はその事を感じ取り、愛紗の武人としての心意気に敬服していた。

 

  だが、攻撃を中止する理由には至らなかった。

 

「ハアァーーー!!」

 

  今回の闘いで初めて判りやすい気合いを籠めた雄叫びを上げ、青龍偃月刀ごと愛紗を片手で投げた。

 

「…うっ…――ガッ…!」

 

  受身は取っていたがそれでも強く背中を打ち付けたのか一瞬呼吸が止まる。

 

(早く…っ!…起きなければ…ッ!)

 

  まだ戦意がある愛紗は呼吸ができないままの状態で何とか起き上がろうと上半身を起こす。

 

「もう止めときなよ…」

 

  しかし、勝負は決したと雪蓮は青龍偃月刀を踏みながら愛紗に降参を呼び掛ける。

 

「…っ…踏むな…!私の…相棒…を…!」

 

  愛紗は雪蓮の呼び掛けに応じる素振りもなく、愛紗は反抗的な目で雪蓮を睨み付け自らの相棒――青龍偃月刀を踏み付けるなと逆に命令する。

 

「………」

 

  雪蓮はそんな強情な愛紗に益々敬服する。と、同時にこんな状況でも突っぱねる事に呆れてもいるようだ。

 

 取り敢えず、足だけは退かした。

 

「周りを見てみなよ?」

 

「………」

 

  珍しく真面目な表情で雪蓮にそう言われて愛紗は周りを見渡す。

 

  そこで漸く愛紗の隊が総崩れになり、逃げ出す者まで出てきていた事に気付いた。

 

  今まで雪蓮との一騎討ちに気を取られていたために周りに全く気を遣っていなかった。

 

「例え私を討ち取れたとしても、隊が全滅したら意味無いでしょ♪その辺り、まだまだ勉強不足だね♪」

 

  雪蓮は楽しそうな笑顔を再び浮かべながら愛紗に言葉を掛ける。

 

  表情は笑顔で可愛らしい女の子そのままだったが、その言葉は戦場や兵士の機微に気を付けるという、隊を預かる武将として最も基本的であり、最も大切な事を意味していた。

 

(そんな簡単な事すら、忘れてしまった…)

 

  何時しか武人としての自分が孫策との一騎討ちを楽しんでいた。

 

  孫策も間違いなく楽しんでいただろうが、そんな中でも周りの状況をつぶさに把握していた。

 

(それが…私と孫策の差か…)

 

  愛紗は己の愚かさを感じ取り、重ねて今までの人生で一番大きな敗北感を味わっていた。

 

「次、楽しみにしてるからね〜♪」

 

「は…?」

 

  愛紗は雪蓮の言葉に驚き思わずすっとんきょうな声を発する。

 

  まるで自分たちを逃がすかのような物言いだった。

 

「みんな〜、撤退するよ〜」

 

  ――な!?撤退!!??

 

  本気で私達を見逃す気か!?

 

  愛紗が呆れて声も出せない間に他の兵士達も「オワター」だとかドコかの世界の掲示板に出てくる可能性のある言葉を口にして各々引き上げていく。

 

「ちょ、ちょっと待て!!」

 

  愛紗は呆れ返り声すら出せなかったが、本当に撤退を始めた雪蓮を何とか呼び止める。

 

「ん?なぁに?」

 

  雪蓮は愛紗の怒声とも取れる呼び掛けにいつも通りのマイペースな感じで聞き返す。

 

「き、貴様は…本当に私達を見逃すつもりなのか!?」

 

  引き上げていく兵士達を目の当たりにしても未だに信じられない――というか雪蓮の行動が理解できなかった愛紗は疑問をぶつけずにはいられなかった。

 

「うん♪だって、私は満足したし」

 

(たったそれだけの理由!!??あんた本当に呉の君主か!?)

 

  しかし、愛紗の疑った二つの事柄の解答は全てYESだった。

 

  かくして、雪蓮は部隊を纏め本陣に帰陣する準備を始めた。

 

  そして、残された愛紗はあまりに信じられない幕切れに正常な思考能力を取り戻すために相当の時間を必要としたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「だぁーー!もう!敵の進軍速度が遅すぎる!」

 

  安春は青みがかった黒髪をぐわぁしゃぐわぁしゃと掻き乱しながら怒鳴る。

 

  その内容は味方の不甲斐なさを嘆いてのモノではなく、敵方の不甲斐なさを嘆いてのモノだった。

 

「このままじゃ、あの“ちっこいの”だけに戦線を壊されちゃうーー!」

 

  『ちっこいの』とは鈴々の事だろう。

 

  安春の言葉通り、今は朱治、光凛、程普の三人が何とか相手をしてくれているものの遠目ながら計るに、現状は間違いなく朱治等三人の方が不利。

 

  当初、あの三人ならどうにかするだろうと安易に考えていた安春も漸く判った。

 

(あの“ちっこいの”、雪蓮様より強いー!)

 

  相性云々だとか色々抜きにして計ったため、実際やってみないと判らないがそれでも基本性能は鈴々の方が上なのは確実だった。

 

(どうしよう?私が参加すればある程度もつと思うけど…でも…)

 

  でもそれじゃあ、作戦の発動命令を下す事ができない。

 

  でもでも、このままじゃ確実にあの三人は負けちゃう。そしたら、作戦を発動する前に戦線が崩壊しちゃう!

 

  あ〜〜、どうすりゃいいのーー!!??

 

 安春は再び青みがかった黒髪をぐわぁしゃぐわぁしゃと掻き乱し始める。

 

 端から見ると、訳もなくいきなりそんな奇怪な行動をし始める訳で、周りの兵士達はそんな安春に奇異の視線を向ける。

 

「と言うか、黄蓋の奴はドコに消えたんだ?あいつが居ればこんな事には――」

 

「お呼びに預りました」

 

「――ならないって、居たーー!!」

 

  到着早々姿を消した黄蓋の行方を口にすると、その消えた本人――黄蓋が応えとしては正しいのかと疑問に思われる言葉を口にしながらいきなり現れた。

 

  大きな身長の黄蓋はいきなり叫び出した安春を見下ろすような形で見つめながら頭の上に?を浮かべながらその身長とは裏腹に、肩まである赤い髪を揺らしつつ可愛らしく小首を傾げる。

 

  見た目こそ大きな身長、実際に年齢が安春より年上という事から大分黄蓋の方がしっかりしているように見えるが、呉のみんなは知っている。

 

  彼女がちょっと“アレ”だという事を…。

 

  しかし、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。安春は急ぎ訊ねる。

 

「い、今までドコに!?」

 

「はい。お陰様で、安眠でした」

 

「…………は……?」

 

  『安眠』…?

 

 今、『安眠』って言ったか、こいつ!!

 

  まさか、こいつ今までずっと寝てたのか!?

 

  安眠の質問にハキハキかつ単純に答えた黄蓋だが、その答えは逆に安春を混乱させるモノだった。

 

「はぁ…。もういい…」

 

  しかし、混乱ばかりもしてられない安春はもう諦めたとばかり盛大に溜め息を吐き、ひとまず疑問を無視した。

 

「取り敢えず、あそこで闘ってる朱治達の援護に行って…」

 

  疲れきった表情で安春は朱治達が激戦を繰り広げる場所を指差した。

 

「了解であります。それでは失礼いた“り”ました」

 

  恭しく一礼した後、黄蓋は己の武器――大きな両手斧を引き摺りながら激戦の場へと向かった。

 

「…………それを言うなら…失礼いた“し”ました、だろう…。“至って”どうする…」

 

  と、最早遠くに行った黄蓋の背中にツッコミをいれる安春。

 

  最早、ツッコム気力すらなくなったようだ。

 

  哀れ、安春…。

 

 

 

 

 

 

 

 

「将軍!将軍!!」

 

「んー?」

 

  安春は疲れきった表情をそのままに部下の問い掛けに応える。

 

「敵本隊は半数が橋を渡りましたぞ」

 

「え…?あ、ホントだぁ…」

 

  漸く訪れた好機にも安春の反応は薄くダルンとした声で部下に応じる。

 

  部下の指示通り、黄祖軍は既に半数が橋を渡り終えていた。

 

  問題だった鈴々だが、あの四人をいっぺんに敵に回しても互角以上の闘いを繰り広げていたが、なんとかもったようだ。

 

「ほんじゃあ、狼煙(のろし)上げてぇ…」

 

「ハッ!」

 

  やる気のない命令にやる気のある応答を見せ部下の男は一礼して下がっていった。

 

「はぁ…。どうにかなったぁ…」

 

  安春はこの戦が始まって初めて胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

  一方こちらは黄祖軍本陣。

 

  大将である黄祖は戦において戦場全体を見て指示を出さなければならないので最後尾――未だに橋すら渡っていなかった。

 

「あぁ…?何だ、ありゃ…?」

 

  髭ともみあげが繋がっている威風溢れる三十代の男――黄祖は敵本陣の後方より昇る四本の煙を見て呟く。

 

「…何かの…合図…?」

 

  別に黄祖の質問に答えた訳ではないが、質問に答えたという形で言葉を発するのは薄い赤色の髪とは真逆に氷結系を思わせるブルーフレームの眼鏡を付けている小さな女の子――カイ越であった。

 

「合図ぅ?何のだ?」

 

「…私が…知るわけない…」

 

「…そりゃあ、そうか…」

 

  そう言いながら二人は敵が何を仕掛けてくるのかを考える。が、いくら考えても一向に敵の考えが見えてこなかった。

 

「こ、黄祖様!」

 

  すると、黄祖の側近の男が黄祖に急いだような様子で話し掛ける。

 

「ンだ?今、忙しいんだ――」

 

「そんな事言っている場合じゃありません!後方より敵部隊が!」

 

「あ?敵だぁ?」

 

  そう言われて黄祖は急いで陣の後方が見える位置まで移動し。

 

「なっ…!?大軍勢じゃねぇか!?敵の数は!??」

 

「わ、判りません…。突如現れたため、未だ詳しい事は何も…」

 

「チッ…」

 

  思わず舌打ちをしてしまう。

 

  突如現れた大軍勢。敵も別動隊がいたという事になる。

 

  しかし、注意して敵の動きは随時チェックしていたにも拘わらず敵の数が減ったという報告すらなかった。

 

  ために黄祖に加えカイ越ですらその事に気付かなかった。

 

「…敵は…戦場に着く前から…隊を二分していた…?」

 

  それがカイ越の答えだった。

 

  敵の動きをチェックしていたのはカイ越直々の部下だったためその者が怠慢していたというは真っ先に排除された。

 

  だが、それは…。

 

「だとしたら、敵は戦場に着く“前”から、今の展開になる事を事前によんでたのか?」

 

「……そうとしか…考えられない…」

 

  信じられない事だが、それしかなかった。

 

  まるで予知能力があるかのような完璧なよみ。

 

  それを持った者が敵方には居るということだ。

 

「おいおい…マジかよ…」

 

  その事を悟り黄祖は感心を通り越し呆れたような声色で呟く。

 

  実際にそれ程の傑物へと安春は成っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  孫策軍別動隊。それを指揮していたのは孫呉の忠犬――ただし、血統書付きの――こと甘寧興覇であった。

 

(全て呂蒙殿の言う通りだ…)

 

  腕っぷしだけで成り上がった上司である呂蒙の変貌っぷりを改めて実感する甘寧。

 

  甘寧が聞かされていた作戦の全貌はこうだ。

 

  最初から甘寧に一万の軍勢を与えて軍を二分し、安春率いる本隊四万は正面から黄祖軍と防戦を繰り広げる。

 

  そして、防戦となり敵兵が橋を渡るとなれば大将である黄祖は指揮をとるために間違いなく軍の最後尾に居る。

 

  となれば後方からの奇襲で簡単に崩せる。

 

  それが安春の作戦だった。

 

  まとめると本隊を陽動とし、後方から奇襲を仕掛けるという単純なモノであった。

 

 だが、安春は戦場の様子を人伝で聞いただけだった。不確定要素が多い中、大雑把ながら計画を立てた立案力。そして、それを寸分違わず実行した安春の実行力。

 

  それら全て驚くべきことだが、何より評価すべき事は身勝手な者達が多い――とゆうか今の戦場では甘寧以外が超自由で安春の言う事をほとんど聞かない連中しかいないのに、それをやってのけた事だった。

 

(さて…呂蒙殿一人にあやつ等を相手させるのも酷だな…。早く終わらせて、楽にして差し上げよう…)

 

  甘寧は一人心の中でらしくもない軽口を叩く。

 

  そして、甘寧は一万の兵士達の振り返った。

 

「待たせたな。者共!存分に暴れろーー!!!」

 

「「うおおぉぉおぉーーーーー!!!」」

 

  甘寧の言葉に元々は水賊だった荒くれ共が多い孫呉の兵士達は地響きの様な雄叫びを上げて突撃を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

  後方からの奇襲部隊の登場に黄祖は一気に浮足立ち撤退をし始めた。

 

「勝った勝った♪」

 

  本陣に帰ってきた雪蓮は非常に爽やかな表情で小躍りする。

 

「あはは…」

 

  そんな嬉しそうな雪蓮を安春も嬉しそうな表情で見る。

 

  そして、この笑顔が何より人を――自分を魅了するんだなぁ…、としみじみ感じ取る。

 

「死ぬ…はぁ、はぁ…っ…マジで、はぁ、死にかけた…はぁ、はぁ」

 

  敵が撤退したのと同時に鈴々も桃色のウェーブした髪を持つドコか人を惹き付ける魅力を放つ女性――劉備の呼び掛けで漸く身を翻し撤退を開始した。

 

  そして、鈴々が撤退して漸く朱治も息も絶え絶えな状態で帰陣してきた。

 

「はぁ、クソッ…!はぁ、槍がぼろぼろだ…!はぁ、はぁ…」

 

  同じく帰陣した程普も刃こぼれしまくった愛槍を見ながら愚痴る。

 

「はぁ、これだから…はぁ、はぁ、体力バカは…はぁ、はぁ…」

 

  全ての短刀を投擲し尽くした光凛も息を切らせながら、相変わらず相手を小バカにしたような言葉を口にする。

 

「疲れ…ました…」

 

  黄蓋も疲れてはいるようだが途中参加だったため他の三人よりは幾らか余裕が見受けられた。

 

「お、みんなもおかえりー♪」

 

  雪蓮はそんな四人に最高の笑顔を浮かべたまま労いの言葉をかける。

 

  しかし、四人とも疲れているために「はーい…」や「うぃ…」と適当な返事しかできなかった。

 

  普通なら不敬と取られるその態度も雪蓮は全く気にはしていなく、寧ろそんなになるまで戦ってくれた事に感謝していた。

 

「後は、周瑜様か…」

 

  安春は都督・周瑜公謹がいるであろう呉の建業の方を心配そうな眼差しで仰ぎながらそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  翌日、黄祖の率いる荊州軍に孫策――ただし、指揮していたのは呂蒙――軍が勝利したという吉報はスグに伝わった。

 

  そして、その日の日も暮れた頃に劉表の居る襄陽の城に使者が来た。

 

  それは劉表と同じ荊州に同じく根を張りつつ、荊州の北の豫(よ)州にも幾つか領土を持つ郡雄――袁術からの使者だった。

 

  袁術は四代に渡って三公を排出した名家の生まれで北の方に一大勢力を誇る袁召の従妹である。つまり、彼女のバックには――腐っているとはいえ――朝廷、北方の一大勢力があるという事だ。

 

 故に名声、国力は劉表以上に強大で、敢えてパワーバランスを示すとしたらそれは明らかに袁術の方が上であった。

 

  そんな袁術からの使者の言葉に老齢の男――劉表は愕然とする。

 

「我が主――袁術様は、争い事で尊き将兵の命が失われる事を何より哀しんでいらっしゃる。袁術様の御名において双方ともに軍を退かれたし」

 

  要するに袁術はこれ以上戦争するなという一方的な内容だった。

 

  何としても長沙を取りたい劉表は「ふざけるな!」と今すぐにでも追い返したい気持ちで一杯だったが、前記した内容が劉表の頭にもよぎった。

 

(どう返事したものか…)

 

  劉表は暫し沈黙を続ける。

 

(今回の戦争は“あの御方”直々の御命令…)

 

  故に、何としてでも実行せねば…。

 

  しかし、このままでは荊州を袁術と孫策に奪われてしまう…。そうなっては元もこもない…。

 

  劉表は老いたとはいえ明快な頭脳で謀っているといきなり声がした。

 

『劉表…』

 

「――っ!」

 

  果たしてその声は“あの御方”のモノであった。

 

  しかし、いくら周りを見渡しても声の主である“あの御方”の姿は無く、その場に居た臣下や袁術の使者はそんな劉表を怪しげに見る。

 

  姿は無くとも、声は続いた。

 

『此度はそやつの言う通りにするのだ…。良いな…』

 

  そう声が言うともう二度とその声は劉表には聞こえなかった。

 

  こうして、劉表は渋々袁術の仲介の下、孫策と休戦の約定を結んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は経ち、安春達も建業の城に帰還して間も無く。

 

「周瑜様〜」

 

  安春は周瑜をいの一番に訪ねた。

 

「何だ、呂蒙?」

 

  今は忙しいのだ、と言わずとも表情で訴える周瑜。

 

  しかし、『空気を読む』というスキルを生憎持ち合わせていない安春はそんな周瑜に気付くハズもなく続ける。

 

「何で今回の戦、あたしら黄祖に勝つ必要があったんすか?」

 

  袁術に仲介してもらえるなら最初からそうすりゃーいいのに…。

 

  袁術のヤローは気に入らねーけど…。

 

「お前…本当に奴からモノを教わったのか…?」

 

  『奴』とは一刀のことだ。

 

  呆れ顔の周瑜に未だに空気の読めない安春は笑顔で言う。

 

「いやー、あたしが先生から教わったのは戦場での指揮者としての基本で、謀略の方は全然なんですよ〜」

 

  その笑顔を見て周瑜は心の中で納得した。

 

(確かに、呂蒙に謀略のノウハウを教えたところで身に付くとは思えんしな…)

 

  逆に騙されて帰って来そうな気すらする…。

 

 いや、確実にそうなるな…。

 

  流石に、人を見る目は確かなようだな、奴は…。

 

「ンで、何でですか?」

 

「袁術は隙有らば呉を併合しようとしているのだ。今回も私達と劉表が相争って疲弊した隙に漁夫の利を狙っていたに違いない。だから、コチラが有利だと見せなければ奴等は仲介などしなかった。逆に侵略して来てたかもしれん」

 

「へぇ〜、成る程…」

 

 納得したように何度も頷く安春。

 

 一方、周瑜はその位簡単に解ってくれ、といずれ呉を担う者に内心底知れぬ不安を抱えていた。

 

「さっすが冥倫だね♪私なんかよりずーっと頼りになるよ♪」

 

「うわっ!雪蓮様!?いつの間に!?」

 

「ん?冥倫が長台詞を噛まずに言った辺りから」

 

  突然の君主の登場に相当驚いたらしく、安春は跳び跳ねんばかりの反応を見せる。

 

  しかし、周瑜は違う事に驚いているようだ。

 

「雪蓮…まさか、さっき言った事すら解らない訳じゃ…」

 

  恐る恐る周瑜が訊くと…。

 

「うん♪ぜーんぜん♪」

 

  恐れていた答が簡単に帰ってきた事に、周瑜は愕然とした様子で項垂(うなだ)れる。

 

(解ってはいた…。雪蓮がこういう奴だと…)

 

 解ってはいたが…。

 

  こうして、美周朗は新たな心労を抱えてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとがき

 

自由だ…。自由過ぎる…。でも、勝った。

 

ども、冬木の猫好きです。

 

三話に渡ってお送りした戦も終わりです。いやいや、長かった。

 

そして、自由過ぎた(汗)

 

雪蓮は自由さを闘いでも遺憾無く発揮するために無茶苦茶な戦法――ケンカ戦法という形を取りました。ちなみに愛紗と雪蓮なら、愛紗の方がスペックは上です。作中にも書きましたが、ただ相性が悪かっただけです。

 

そして、黄蓋…。我ながらやりすぎた感があります。寝てるって…。

 

話は変わって、次回からは一刀出ますよ!

 

このお話の主人公はあくまでも一刀ですから。アニメで出なくてもこのお話では出します。活躍します!

 

さて、次回からは黄巾の乱平定戦編に移ります。

 

金髪ドリルの小さな覇王も出ます。

 

では、今回はこの辺で。また次回お会いしましょう。

 

 

 

 


武将紹介

 

黄祖(こうそ)

 

劉表の配下の武将。

 

孫堅と戦いには敗北するが、部下が孫堅を討ち取る。しかし、これが原因で息子二人にしばしば戦いを挑まれる。

 

本作品中でもあった通り、甘寧は当初この黄祖に仕えていたが幾ら功を上げても重用されなかったので呉に逃亡するなど狭量を表すエピソードがある。

 

しかし、何気に戦は強く、孫策、孫権併せて6度目の討伐で漸く打ち取ることができた。その際に『演義』では甘寧が討ち取ったとなっているが史実では孫権配下の騎兵に討ち取られている。

 

 

 

 

かい越(かいえつ)

 

最初は大将軍何進に仕えていたが進言を受け入れてもらえず、その後、劉表に仕え弁舌で対立していた者を降伏させ、荊州統一に大いに貢献する。

 

その後、劉表の子供にも仕えるが、曹操が進行してくると降伏を進言しそれを受け入れられる。曹操は手紙で「荊州を手に入れたことは嬉しくないが、異度を手に入れたことは嬉しい」と言わしめる程優秀な人物だった。





愛紗との戦いは、雪蓮が勝ったか。
美姫 「みたいね。でも、これで大人しく引き下がるかしら」
まあ、鍛錬を積んでまた挑みそうではあるけれどな。
ともあれ、戦は何とか終わったみたいだな。
美姫 「そうね。次回は一刀が出てくるみたいよ」
さてさて、どんなお話かな。
美姫 「それでは、この辺で」
ではでは。



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