じめじめした森に二人の剣士の殺気が充満する。
一方は、平均的な体つきながら熟練した技術で敵をあしらう男の剣士。
一方は、小柄な体ながら女性特有の柔らかな筋肉をバネの様に使い、重傷にも関わらず想像を絶する程重い一撃を放つ女の剣士。
しかけるのは必ず女性からだが、闘いは均衡していた。ただ、それが崩れるのも時間の問題だった。
「うっ…!」
烏丸の女性は傷口を庇いながら闘うが、痛みで表情が歪む。その瞬間、僅かに動きが鈍る。
しかし、一刀はその瞬間に攻撃をしかけない。それが一刀の余裕と女性は受け取った。
「――シッ!」
またも女性からしかける。モーションのない突きを繰り出す。
ギンッ!
モーションがないので意表を突いた一撃だったが、一刀はその突きを自らの剣で確実に受け流す。
「ぐっ!」
しかし、一刀は呻き声を上げた。
烏丸の女性は突きと同時に蹴りを繰り出した。その蹴りが一刀の太股に見事に命中した。
剣での闘いに集中し過ぎて、他の箇所に対する集中が疎かになっていた。
しかし、突きを繰り出しながらの蹴りなので大して重い一撃ではない。だが女性の蹴りは太股の筋肉に見事に当たり、力が入らなくなり一瞬体勢が崩れた。
「シッ…!」
そして女性はすかさず踏み込み、突きを繰り出す。
ギンッ!
「――!」
突きと同時に蹴りを出し動きを止め、その隙に確実に仕留める。一刀の油断と意表を突いた連撃、それは確かに有効な攻撃だった。
だがそれは女性が万全の状態の話だ。彼女の予定では、体重の乗った突きはバランスを崩した一刀の剣を弾き飛ばし、そのまま一刀を串刺しにするハズだった。
しかし彼女の身体は現在、正にボロボロの状態。全体重を乗せ繰り出した突きは一刀に受け止められた。
「うっ…」
その隙に一刀は体勢を立て直し、剣――天狼の柄で女性の鳩尾(みぞおち)を殴打し、続いて首の裏――ほとんど後頭部に近い所――を手刀の一撃を打ち意識を奪った。
第十一話:捜索
「眞弥!!」
華佗の真名を叫びながら、一刀は華佗――眞弥の寝室へと入った。当然一刀は烏丸の女性を背負っている。
「んぁ…何だい、うっさいな…」
一刀達が森に向かう直前に言っていた通り、惰眠を貪っていたらしく、相も変わらずボサボサな髪、眠そうな顔で何とか意識を覚醒させていた。
「う、うわッ!ま、眞弥!?服着ろ!」
一刀は上半身を起こした眞弥の姿を見ると服を着ておらず、2つの見事な果実が露になっていた。
……羨ましい奴め。
「………」
眞弥は険しい表情で布団に横たえられている烏丸の女性をみる。不機嫌な表情はそのままだ。
「眞弥、早く治療を――」
「イヤだね」
「………何?」
眞弥の思いもよらない即答――むしろ一刀の言葉に被せるようなタイミングでの拒否の言葉に驚き、思わず一瞬間が空くも聞き返す一刀。
あの慈善的な性格――普段の生活では全く判らんが――の眞弥が、目の前にいる重体の患者を助けないと言ったのだから一刀が呆気に取られるのも当然と言えば当然だ。
「だから、治療しないって言ってるんだよ…」
「は!?な、何でだよ!?」
ようやく眞弥の言葉の意味を理解して、思わず一刀は声をあらげる。
いくら不機嫌とはいえ、眞弥が治療を拒否する事が許せないようだ。
「『何で』、だって…?」
そんな一刀に不機嫌というより、怒りといった表情を向ける。
「当たり前だろ!私がどんな怪我や病気を治せたとしても、自分から死のうとする奴を助ける事なんてできないんだよ!」
一刀以上に声をあらげ、最早怒鳴ると言った表現がピッタリといった程の声と剣幕で一刀に応える。
眞弥の不機嫌――いや、怒りの理由はそういう事だった。
医者としてどんな人も――例え悪人でもあろうと眞弥は助けようとして、実際に眞弥が医学の奥義を修めた後に診た患者は99%の人を助けた。だが眞弥が唯一助ける事のできない人達は自ら命を絶とうとする奴等だ。眞弥は医学者としての腕は一流であったが、医者としては決して一流とは言い難かった。
要するに眞弥は、死のうとする人が許せないわけではなく、絶対に助けれない人が未だにいる自分に対するものであった。
「で、でも…今死んだら…それこそ何にもできなかったてことじゃないか…」
確かにこの烏丸族の女の行動は自殺行為だったと思う。でもここで見殺しにすれば説得する事すらできなくなる。
確かに今の眞弥には無理かもしれない。だけど無理だからと言って全て諦めてしまっては一生できないで終わってしまう。
「お前は…誰でも助けれる医者になりたいんだろ…?」
「………」
無言で珍しく弱気な表情を見せる眞弥。だが、元々効くまでもない質問だったため、答えとしては十分だった。
「だったら、ここで止まろうとするな」
「………」
弱気な表情の顔を俯せる。
「眞弥…頼む…」
誠心誠意に頭を下げる一刀。
「ふっ」
そんな一刀を見て鼻で笑う眞弥。しかしその表情は決して見下しているモノではなく、いつもの自信に満ちた表情である。
「判った…やってみるさ…」
「眞弥、やって…くれるか…?」
「当たり前だ…!私は『神医』華佗だぞ。私がやらなくて、どうする」
笑みを顔に浮かべながら、眞弥は女性の治療にとりかかった。
既に日が沈み、森の中にある彌紗達の隠れ家は暗闇に包まれる。そこで松明に火を着け、灯りを確保する。
何人かまだ帰って来てない連中もいるが、誰も気にしていないようだ。
薄情にも思えるが、この行動が彼等の互いの信頼関係を示していた。
「帰らないのか?」
松明だけが光源となっている中、彌紗が一刀に話しかける。
「ん、あぁ…今日は泊まるよ…」
あの怪我をしている女の事も気がかりだが、何となくだが…眞弥の事も気になるからな…。
「良いけど…何処に泊まるつもりだ?」
確かに一刀は、昼間から彌紗達の隠れ家に入り浸っていたが、夜には帰っていた。当然、こんな所に宿があるはずも無く、よって一刀が泊まる場所もない。
なので彌紗は一刀に初歩的な質問を投げ掛ける。
「え…?えぇと…泊めて、くれないの…?」
入り浸っているとはいえ一刀が仲が良いのは彌紗と眞弥ぐらいだ。そして、彌紗と眞弥は同じ家に住んでいる。つまり、ここで一刀が頼れるのは彌紗だけということになる。
一刀も当然そうしてくれるモノだと思っていただけに『何処に泊まる』と訊かれ、軽く驚愕しながら彌紗の問いに答える。
「……………………ふえっ!?」
しかし彌紗の頭にはその選択肢は全く存在しなかったらしく、思わず黙り込み、いきなり奇声を上げる彌紗。
「ダメ…かな…?」
「だ、だだだだだ、ダメじゃ…な、なななな、ないけど…」
彌紗は思わず声を震わす。
解答通り、彌紗は別に一刀が泊まる事に反対という訳ではない。だが、それは眞弥が居る状況でのお話であり、眞弥は現在烏丸族の女性を治療中であり、今夜も徹夜の気配だ。
眞弥が居ない=彌紗が一人しか居ない。
そこに一刀が泊まる=二人っきり。
一つ屋根の下に若い男女が二人っきり……。
(それはマズイ…。非常にマズイ…)
一刀のいきなり――一刀にとってはごく当たり前なつもりだが――の提案に混乱しながらも『マズイ』という事だけは理解できた。
だが普通に考えれば、短い付き合いながら一刀がどれだけ常識的で、良い奴で、何より安全な奴かなど簡単に解るはずだ。
しかし彌紗には眞弥に教えられた歪んだ男女の恋愛論を教えられていた。
彌紗達義賊には女の子が彌紗しか居ない。そのため、彌紗には女の子としての恥じらいやら、振る舞い等が全く無かった。
そこに眞弥が間違った知識を吹き込みまくった。その知識の中で割りと的を射ていたモノの一つ――『男を家に泊める時は、覚悟しろ』という教えがあった。
(『覚悟』って…多分そういう事…だよね…)
そして彌紗も割りと正しい解釈をする。だがそれは一刀以外の一般的な人に対する心得である。
繰り返し言うようだが、一刀は危険過ぎる程安全な男なのだ。だからそこまで意識するのは彌紗の杞憂である。
「オーイ、彌紗ー?」
長いこと黙り込む彌紗を不審に思いつつも現実に引き戻そうとチャレンジする一刀。
「ふぁ、ふぁい!?」
軽く妄想中だったのだが、いきなり一刀に話しかけられ奇声を上げる彌紗。
「えっと…それで、ダメなの?」
「あ、あぁ…えっと…そのぉ…」
モジモジしながら悩む彌紗。もう答えは出ているのだが、理性のようなモノがその一線を越えまいとする。
「べ、別に…良――」
「それじゃ、俺等の家に泊まれよ!」
理性が敗北し、OKを出そうとした瞬間に割り込みが入る。
「あ、お前等…」
一刀が振り向くと、その割り込んだ声の持ち主――彌紗の部下の男達が居た。
「良いのか?」
一刀は彌紗の部下達とそこまで仲が良くないと思っていただけに、ちょっと意外そうな顔で聞き返す一刀。
「あぁ!勿論だ!」
爽やかな笑みを浮かべながらグー、と手を作り、一刀にその手を向ける男。だが――
(何でだ…?目が笑って、ない?)
そう。一刀と彌紗は全く気付いていないが、義賊の中で紅一点の彌紗はその容姿や明るい性格が相まって必然的に人気があり、アイドル的存在である。
そんな我等がアイドルをいきなりのポッと出の野郎が独占している事実が許せなく、そしてその許せないという感情が嫉妬となっている。
そんな中、一刀が彌紗と二人っきりで夜を過ごそうなどと到底許せるモノではない。
「それじぁ行こうか」
目が笑っていない笑みを浮かべながら、男は一刀の肩を掴む。
「痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!ちょっ、痛いって!」
「ハッハハハハー!」
痛いと悲鳴を上げる一刀を笑って無視しながら、肩を掴み、一刀を引き摺る様な形で連れて行く。
「あ…えっと…」
覚悟を決めた彌紗は呆然とするしかなかった。
次の日、彌紗がその後の事を一刀に話しかけるも一切を語ろうとはしなかった。
一刀がトラウマになるような体験をしている最中、公孫賛の城に住む者達のほとんどが床に着いて寝ている。
「♪〜♪〜♪〜♪」
そんな虫の鳴き声しか聞こえない中でソプラノの歌声が響く。陳到は腕に赤ちゃん――幼令を抱いている。
誰もが寝ており、幼令も熟睡しているのだが陳到は全く寝ようとせずに子守唄を歌い、腕に抱いている幼令を揺りかごの中に居るかのように腕を揺らし続ける。
幼令が寝ているにも関わらず、幼令をあやし続けているという事もおかしいのだが、もし今の陳到を見た人がいたらもっと違う事に違和感を感じるだろう。それは陳到の表情である。
どんな時でも陳到は幼令と共に居る時には必ず極上の笑みを浮かべる。だが今の陳到の表情は一言で表すと暗かった。それは今まで誰にも――結構長い間一緒にいる親友の趙雲ですらも見た事ないであろう程暗い表情だった。
陳到の目に注目してみると、目の下は軽く膨れている。そこから推測するに陳到は今の今まで泣いていたという事だろう。
「………」
歌声が止み、沈黙が訪れた。
その表情は、悲しいそうなままだった。
時刻は既に昼。彌紗の部下は市場に出払っており、隠れ家にはほとんど人が居ない状態だ。
「………」
そんな数少ない居残りの中に一人目の下にくまがあり、げっそりと疲れきった表情の男が居た。
その男――一刀は一晩明かした後も結局城に帰らず眞弥が治療を終えるのを待っている。だが、一刀の表情を見る限り治療――精神科とかがベストだと思われる――が必要なのは一刀自身であるだろう。
「おい、一刀…」
その憂鬱なオーラを放つ一刀に恐る恐る話しかける彌紗。
「ぅう…あ…?」
そして、浮かない顔を彌紗に顔を向ける一刀。その顔は形容し難い程しょっぱかった。
「えっと…治療、終わったみたいだよ…」
「え?マジ!?」
「う、うん…」
彌紗の報告を受けると、スグに表情はしょっぱいモノからいつもの表情になり立ち上がる一刀。見た目以上に打たれ強いらしい。
ただその豹変っぷりに彌紗は軽くひいているようだ。
「後は、本人の回復力に期待、といったところだ…」
一刀とは別の事が原因で目の下にくまがある眞弥が、ふらふらした足取りで近寄り話しかける。
「あ、眞弥…」
「疲れた…。寝る…」
危なげな足取りで自らの寝室に向かう。
部屋に入る前に一刀に聞こえない程小さな声で眞弥は――「ありがと…」――と一言呟いた。
「?」
聞こえないような声だったが何となく何か聞こえた気がして振り向く一刀。しかし、眞弥はもう部屋に入り扉を閉めていた。
「今度は見張りをきっちりしなくちゃな」
「ん?あ、あぁ…そうだな…」
「あぁ〜…でも人居ねぇや…。一刀、見ててくれる?」
彌紗は男達を呼び戻しに行くと言い、一刀に見張りを頼む。
「あぁ…。いいよ」
まだ危険な状態らしいから、やりたい事もあるし…。
「んじゃ、ヨロシク」
そう言うと彌紗は一刀に見張りを任せて市場へと向かった。
「よし。んじゃ、やりますか…」
一刀も見張り、そして、他の目的を果たすために部屋に向かい歩き出す。
その頃、城に居る家臣団は忙殺されんばかりの忙しさ見回れていた。
ここ最近は一刀が仕事を手伝ってくれていたため仕事の量も以前に比べると多少楽になっていた。とはいえ、一刀が与えられていた仕事の量は常識的に考えて大したことはない。だが一刀のお人好しが作用して、多くの家臣が一刀に政務を押し付けていたため実際の仕事量は与えられていた量を遥かに越えていた。
それと重なるように事件が起こった。なんと陳到が失踪してしまったのだ。そのため、趙雲が自ら捜索に赴く等で政務をこなす者が一気に減り、城は忽(たちま)ち人手不足に陥ったのだ。
「簡雍殿、コレはどうすれば良いですかな?」
「それは僕に任せて下さい。貴方はコレを」
そんな中、最も忙しいのはこの簡雍であろう。元々、公孫賛は政務より軍務を得意としているので政務に関しては大して腕を奮ってはいなかった。その上、予(かね)てよりの問題――人材不足が露呈する形となり、以前から仮ではあるが政務の全権を握っていた簡雍が引っ張りだこになっている。
簡雍が仮という形になっている理由は、比較的新参者である簡雍が高い地位にあるのが許せない権力争いが好きな連中にグダグダ言われないためだ。しかし、当のその連中はいつもの量の仕事しかこなさず、今の状況も理解していないであろう。
「はぁ…」
流石の簡雍も参ったのか、疲れを隠そうともせず盛大な溜め息を吐く。或いは陳到の事で思うところがあるのだろう。
「流石のお前もお疲れか…」
「あ、伯珪…」
簡雍が振り向くと、薄く笑みを浮かべている公孫賛が居た。
「すまんな…。今のところ、私が存分に頼れるのはお前だけなんだ…」
薄く笑みを浮かべたままだが、公孫賛の言葉からは本当にすまなそうだと伝わってくる。
「気にしないで下さい。これも、民草を守るためです」
「いや、今回の事だけではない…。お前、本当は劉備と一緒に、天下を治めるに足る君主を探す旅に同伴したかっただろうに…」
簡雍、劉備、公孫賛は盧植という師の元で学んだ、謂わば学友である。そのため、簡雍は公孫賛の事を“伯珪”と呼び捨てにしている。
そして、簡雍はどちらかと言えば同郷である劉備とよく仲良くしていたので、劉備が旅に出ると聞いた時、公孫賛はてっきり簡雍は劉備に着いて行くものだと疑いもしなかった。それは劉備も同じだった。
「あぁ…その事ですか…。それこそ杞憂ですよ。僕は本当にここに居たくて残ったんですから」
だが実際は違い、簡雍は劉備に着いて行こうとはせず、公孫賛に仕える道を選んだ。劉備は驚いたが別段説得などはせず、そのまま旅立った。
しかし、公孫賛は自分が君主としてあまりに小さい器なため心配で、自分の意志を殺してわざわざ残ってくれたと勘違いしており、簡雍から直接その事に関して話を聞いたにも関わらず今も気にしている。
「貴方のためではなく、民草のため、ですよ」
少々おどけたような口調で公孫賛に言い聞かせる簡雍。
「…………そうか」
僅かな間があり、無理矢理作った笑みで簡雍に答える公孫賛。簡雍の『民草のため』という台詞も何度も聞いているが未だに信じていないようだ。
「あ、そろそろ…仕事に…」
そんな公孫賛に申し訳なさそうに言い、仕事に戻ろうとする簡雍。
「あぁ、そうか…。よろしくな…」
元気の無い返事をして部屋を退室する公孫賛。
(せめてお兄さんがいれば、もう少し伯珪と話しができたのに…)
「そんな場合じゃないよね…。仕事、仕事」
そう一人ごちると簡雍は仕事を再開した。
「―――――」
一刀は烏丸の女性に手をかざし、朗々と言霊を口ずさむ。その言霊の意味は『治癒』。
一刀が――いや、正確には一刀の家系が代々受け継ぐ魔術刻印にある驚異的治癒力を理解し、自分へ向かっている力を外へと向かわせる事で他人を治療する。それが一刀の使える魔術の一つだ。
「―――――」
ただこの魔術の欠点は魔力の消費量がバカにならないという点である。なので本当はできるだけ使いたくないので眞弥が治療できるならと思い眞弥に任せたのだが、眞弥でも治しきれなかったので今回は仕方なく魔術で治す事にした。
「ふぅ…」
一刀は一息吐く。
眞弥のお陰でかなり楽になったとはいえ、結構魔力使ったな…。また当分満足に魔術が行使できそうもないな…。
これだからこの魔術は使いたくなかったんだけど…まぁ、仕方ないか…。
「とりあえず、これで大丈夫かな…」
少しすれば意識も戻るだろう…。そしたら話を聞かないとな。
「本郷殿…」
「ん?って、ちょ、趙雲!?」
後ろからの声に反応して振り向くとそこには趙雲が居た。
思いもしなかった人物の登場に一刀は思わず驚きの声を上げる。
「な、何で、ここに?」
ここに来る時はいつも誰にも着けられてないか気を付けていたのに…何で…。
「御安心召されよ。我々はここを襲撃するつもりなど毛頭ない」
いや、そんな事聞いてないんだが…まぁ、言っても聞かないだろうから、別に良いけど…。
「そんな事より、本郷殿、陳到を見かけませんでしたかな?」
「陳到?いや、見ないけど…。どうして?」
「そうですか…。本郷殿のところならば、と思ったのだが…」
残念そうに顔を俯く趙雲。
「判りました…。それでは失礼する」
趙雲はそう言うと、一礼すると風のように立ち去った。
「あ、ちょっ!?」
結局、陳到に何かあったのか、という一刀の質問は無視された。
「はぁ…まぁ、良いけどさ…」
せめて話だけでも聞けよな…。
ドタドタッ!
一刀が趙雲の去っていった方向を眺めていると、いきなり騒音が響く。どうやら足音のようだ。
「五月蝿いなぁ…。もう少し静かに――」
「一刀ー!!」
ドン!ガシャン!
静かにできんのか、と一刀が言おうとすると、彌紗が物凄い勢いで部屋に入って来る。
だが彌紗はただ五月蝿いだけでは終わらない。見事に勢い余りクラッシュ!
「………」
あまりに見事な転けっぷりに発する言葉が見付からない一刀。
「一刀!」
しかしまるでダメージは無いらしく、彌紗はスグにガバッと起き上がり一刀に食い付く。
「ぁ…何だ…?」
そんな彌紗に軽くひきつつも会話を試みる。
声色から察するに彌紗は怒っているように思われた。
「今の女は誰だ!?」
一刀の両肩掴み趙雲の事を質問する彌紗。その表情は、鬼神の如くだった。
「あ、マズッ…」
一刀は焦った。
彌紗が言っている女とは趙雲の事だろう…。もし迂濶に今のは城に居る客将の一人だと言えばスパイ容疑再浮上だ。
折角打ち解けてきたのに…これは非常にマズイぞ…。
「マズイっ!?どういう事だ!?今の女は一体何者なんだ!?」
一方、彌紗も焦っていた。
誰なんだ、あの女?一刀と二人っきりで一体何をしていたんだ?
もしかして……浮気――て、違う違う!あたしと一刀はまだそういう仲じゃないし、ていうか“まだ”とかそういう意味じゃないよ!
とにかくあの女が誰で、一体一刀とどういう関係なのか知る義務があるの!ホントにただそれだけだかんね!
彌紗は嫉妬、一刀はスパイ疑惑がかけられるのを恐れて普段とは全く違う表情になる。
「あ、いや、あいつは何て言うか、その…」
「その…?」
「そのぉ…」
「その!」
中々良い説明が思い浮かばず更に焦り、しどろもどろになる一刀。
彌紗はそんな煮え切らない一刀にイライラを隠そうともせず攻勢を強める。
「ぅ、うぅ…」
「「!!」」
するとウマイ具合に女性の意識が戻ったようだ。
(ラッキー)
そう心で呟きホッとする一刀。
「ちっ」
対照的に舌打ちで悔しさを表す彌紗。
(本郷殿のところも空振りか…)
森の中を風の様に駆け抜ける趙雲。その速さは車などより断然速かった。
(まったく…陽光の奴…何処に行ったのだ)
そうこうしている内に趙雲は森を抜け、町に出る。町中を車以上の速度で走るのは危険なので民家や店やらの屋根の上を飛び移りながら町を駆け抜ける。
その一陣の風の様に走る少女は当分の間町で噂になった。
「眞弥様ー!」
騒がしくドタドタと走りながら彌紗は眞弥の名を叫ぶ。一刀はこれ幸いとばかりに彌紗に眞弥を呼んでくるように頼み、彌紗も渋々ながらその頼みを聞き入れ眞弥を呼びに家に帰っている。
「ん…何だ…?何かあったか…?」
その五月蝿い声に無理矢理叩き起こされ、未だにパッとしない頭で彌紗に応える眞弥。
ちなみに眞弥は例によって全裸だ。
「………」
彌紗は眞弥のその体を――いや、正しくは胸部を羨ましそうに見詰める。
「何だ…?用があったんじゃないのか?」
そんな彌紗に眞弥はちょっと不機嫌そうな声で会話を続けようとする。
「はッ!そうだった!」
いかんいかん!つい胸に目が…。
「あの烏丸のヤローが目を醒ましたんです」
「は…?オイオイ、いくらなんでもこんなに早く目を醒ますはずが…」
戸惑う眞弥。眞弥の目算では少なくとも一ヶ月近くは生死の狭間をさ迷い、それでも息を吹き返すかどうかという程危ない状態だった。
普通に考えて1日やそこらで意識を取り戻すとは思えなかったし、思いもしなかった。
「でも、実際起きてるし…」
自分の目で見た事実を伝えているので、そう言われても…、と言った表情を浮かべる彌紗。
「………まぁ、考えても始まらん。行くか…」
そう言うと、眞弥は立ち上がり烏丸族の女性のところへ行こうとする。
「あ、ちょ、服!服着て下さい!」
全裸のままで部屋を出ようとする眞弥を必死に諫める彌紗なのだった。「えっと〜、何で逃げたの?」
頭をポリポリと掻きながら、ちょっとイラついていると解るような声で目を醒ましたばかりの女性に質問をぶつける。
その質問はあまりに直球だったが、今の女性にはこの上なく答え難い質問であった。
「………」
そして、当然のようにその質問に口を閉ざす女性。まぁ、起きてから一言も喋っていないのだが。
「黙ってちゃ判んないだろ?いい加減話してくれよぉ…」
「………」
しかし、一刀の必死の呼び掛けも虚しく女性は黙ったまま口を開かない。
「はぁ…」
さっきから一刀はもう何度目になるかわからない位の回数の溜め息を吐いている。
「ありゃ、ホントに起きてるよ…」
一刀が困り果ててると眞弥が部屋に入って来た。
台詞や声色からはあまり判らないが、眞弥は心底驚いているようだ。
「………」
そして眞弥は女性ではなく、一刀の方を不思議そうに見詰める。彌紗から一刀がずっと見張りをしていたと聞いたので眞弥は一刀が何かしたのだと推測した。だが――
(まさかな…どうにかできるなら私に治療させる意味が解らんしな…)
――と、魔術だとかそういったモノの存在を知らないため、その考えはスグに消えた。
「えっと、んで何か判ったか?」
「いやぁ…一言も口開いてくれなくて…」
眞弥の質問に苦笑いを浮かべつつ答える一刀。
「ふぅ…あんた、それが命を救ってもらった奴の態度かい?」
威圧するかのように眞弥は近付きながら言う。
「まさか『誰も助けてくれ何て言ってない』とか言うつもりじゃないよなぁ」
またもジリジリと近寄りながら、そんなふざけた事言うのは許さないと言わんばかりの重圧を言葉に乗せて言う。
「そんな非礼をするつもりは、ない…」
ここで漸く口を開く女性。
「んじゃ、何で死にかけてたんだ?」
「それはちょっと、直球過ぎませんか?」
少しは気遣え、という意味を暗に含んだ言葉で眞弥にツッコム彌紗。
「見たところ、転んで崖から落ちましたっていうケガには見えないけど…」
「誰もそう見えねぇよ…。つーか、誰がどう見ても人に斬られたケガだろ、これ…」
何だ?今日の眞弥は飛ばしてるなぁ…。
「まぁ…このように全部お見通しだから、誤魔化さず、正直に話せよ」
そこに繋がるのか…。何か、今思い付いたみたいな言い方だけど…ま、いっか。
「助けてもらったのは感謝する。たけど、それとこれは話が別…」
そういうと女性はぷいっ、と一刀達とは反対方向を顔を向けた。
「かぁ〜、これだからこーゆー奴等はメンドクセーんだよ!」
成る程…。この短気な性格のせいで医者としては一流未満な訳か。まぁ、元々眞弥は解りやすい性格だからなぁ…。
「良いのか、そんな事言っても?烏丸には掟なんかがあるんじゃないか?ほら、負けた奴は相手に絶対服従、とか」
ねぇよ、普通そんなの!
元気なったのは良いことだが、何か…空回りしてないか…?
「……ある」
「「え?」」
ぼそっ、と眞弥の質問に答える女性。それじたいも驚きだったが、答えの内容が肯定であった事が更に一刀達の驚きを重複させた。付け加えると、声を上げたのは一刀と彌紗だけでなく眞弥も声を上げていた。
「我が一門の掟……剣を交え、負けた時、その者が礼を尽くしたならばこちらも礼を尽くせ、とある。」
「へぇ〜?それじゃ、一刀、質問しなよ」
剣を交えたのは一刀なので、質問する権利は一刀しかないと考えたらしく眞弥は一刀に向かって言う。
「でも、俺、さっきから質問してる――」
「良いからやれ!」
「――ハイ、判りました」
そう返事をすると一刀は姿勢を直し、女性に向き直る。
「それで、君は何処から来たの?」
「私は、烏丸と幽州の国境にある、ある武術一門の村から来ました」
「へぇ、そんな所に村なんかあるんだ」
知らなかったと彌紗が洩らす。
「あぁ、確かにあったぞ」
「行ったこと、あるんですか?」
眞弥の言葉を聞いて女性は初めて自分から話しかけた。
「何年か前にね。まぁ、間違ってるかもしれないけど」
「良いかな、続けて…?」
仕切り直しと一刀は言うと、再び女性に向き直る。
「んじゃ、どうしてここに来たの?」
「………」
今度は黙り込む女性。言い方は変わっているが眞弥がした質問と同意の質問をぶつける一刀。
「あ〜、嫌なら答えなくても構わない――」
「いえ…言います…」
余程掟が大事なのか答え難そうな質問にも応じようとする。
「私は見ての通り生まれは烏丸です。ですが、幼い頃村は襲撃に合い生き残ったのは私だけでした」
「そいつぁ、お気の毒に」
「茶々を入れるな…」
どうやら眞弥はこの女性が気に入らないらしい。今まで露にしてなかったがここにきて初めて嫌悪感を露にした。
そんな眞弥を一刀がやんわりとした口調で諫める。
「すまない。続けてくれ」
一刀は女性に謝罪をして、続きを促す。
「えぇ。その後、私はさっき説明した村の長に拾われ、手厚遇された。」
「成る程。その武術はそこで教わったって事ね…」
どんな連中か知らないけど、こんなに強い奴に育てちまうんだ。相当強い連中の集まりに違いない。
「そいつらは朝廷に従ってるんじゃないのか?」
「えぇ…そうです」
「それなら、烏丸のあんたをよく育てたな…」
「確かに問題になったらしいですけど、1人位何ともないって長が仰ったので、私は何事もなく育てて頂きました」
彌紗の疑問に女性は答える。
いくら蛮族と言われている連中とはいえ、話し合ったりすれば一人一人は無害だとその村の長はよく解っているらしいな。
「へぇ…粋な奴じゃん」
一刀同様、彌紗も村の長の懐の深さに敬服する。
「えぇ。長はとても素晴らしい方でした」
「?…でした?」
過去形である事に一刀は首を傾げる。
「…はい。今まで話していたのは先代の長の事で、今はその先代の長男が臨時の長をしています」
「何だぁ…?そいつに追い出されたのか?」
「眞弥!」
一刀は未だに露骨な嫌がらせをする眞弥を今度は強く諫める。
「良いんです…」
「でも――」
「当たってますから…」
「――え?」
思わぬ解答に一刀は間の抜けた声を上げる。
「な、何でいきなり?」
冗談のつもりで言った事が的中するとは思っていなかったらしく、根は優しい眞弥は慌てたように質問する。
「……元から長男の方は、蛮族の私を育てるのには反対らしかったようで…」
「にしても、自分のオヤジに泥を塗るような事するか、普通?」
「その人は御先代の事を嫌っていたので…」
「逆に泥を塗りたかったって事か…」
「にしたって、どうして攻撃されたんだ?」
大人しく去れば攻撃されないと思うけど…。まぁ、生まれ育った村をいきなり出てくなんて簡単にはできなくてもおかしくはない。でも、多少出て行くのを渋った程度で殺そうとするとは考えずらい。
「それは……」
またも答え難そうに表情を曇らす。
「あ、だから、無理しなくても――」
「あんたは少し黙ってな」
「――はい…」
気遣いから言ったにも関わらず、眞弥は邪魔だと言わんばかりの言葉を口にする。
「私はその弟――つまり、先代の長の次男と……恋に、堕ちたのです」
「……は?」
「ケッ!」
上は彌紗が思わぬ解答に驚きを露にした間抜けな声で、下が眞弥の『のろけかよ』、という不快感を露にした『もうどうでも良い』、といった意味を感じ取らせる声である。
(と言うか…眞弥、キャラ変わってるぞ…)
「そして、私と彼は子宝にも恵まれましたし、先代の頃は婚約も認めて頂いてました」
「そこでいきなり先代さんがオッチンで全てオジャンになり、挙げ句追い出されそうになったちゅー訳ね…。不憫だねぇ」
ここで漸く初めて女性に同情したような態度を表す眞弥。
(ん?子宝、って事は子どもだよな…。まさか…)
「旦那は無事なのかい?」
元が単純な眞弥はいきなり掌返したように親身になり女性に話しかける。
「えぇ。彼は実の弟ということもあり、特に危害も加えられませんでした」
「そうか…良かったねぇ…」
「は、はぁ…」
その異常なまでの眞弥の豹変っぷりにどう反応したらいいか判らず、曖昧な返事をする女性。
「その子どもなんだけどさ…今は、ドコに?」
「………」
一刀の質問に顔を気まずそうに俯せる女性。
「え?旦那が育てるんじゃないのか?」
「………いえ」
以前顔を俯せる女性。そして、小さな声で――
「捨て…ました」
――と言った。
「……何?」
「……何だって?」
短く疑問を口にしたのは眞弥。長めだったのが彌紗。お互いに相当ショックを受けたようだ。
(しかし、今日、二人は何度目の吃驚なんだろうか…)
まぁ、普通その解答は予想してないと驚くわな…。
「…烏丸と自分達の一族の血を引き継ぐ私達の子どもは…私以上に都合が悪い存在だったんです…」
「な、何でだよ!?子どもは関係ないだろ!?」
「そ、そうだ、そうだ!」
眞弥が正論を述べ、彌紗もそれに賛同する。
「長男は蛮族が嫌いなのです。蛮族の子どももまた然りという事です…」
「酷い話だな…」
一刀は心の底から洩れだした言葉を口にする。
「旦那は?旦那は何してんだよ!?」
妻は追い出される位で済んでも、子どもが殺されそうな状態なら普通の親なら命を賭けて守ろうとするに決まっている。なのに旦那は何もしてないのかと疑問をぶつける眞弥。
「彼は今、独房に監禁されています」
「……ワルい」
『危害は加えられませんでした』という女性の言葉を思いだし、眞弥は旦那は何をしているのかと質問したが、女性の心中を察してスグに謝る。
「もしかして、それで逃げたの?子どもを捨てた自分には生きる資格がないとか思って…」
「………」
女性は無言のままだが、一刀達には十分意味が通じた。
「……成る程ねぇ」
自分から死のうとする奴が許せないと言っていた眞弥も怒りを表さず、納得したかのような口振りで相槌を打つ。
「でも、そいつぁ勝手過ぎないか?」
納得したかのような口振りだったが、今度は一変して厳しい表情を見せる眞弥。
「……言い返すべき言葉もありません…」
「死んでどうなる?死んだら後悔する辛さは無くなるかもしれない。でも、そうなれば子どもに謝る機会すら完全に失う事になるのだぞ」
「謝る……」
女性は眞弥の言葉を噛み締めるように呟く。
「そうゆーこった。コレから先、どうするかは自分で決めな」
そう言うと、眞弥は立ち上がった。
「彌紗、一刀、出るぞ」
「え?でも…」
このまま1人にすればまた逃げ出すんじゃないのか、と思い戸惑う彌紗。
「言っただろ。コレから先、どうするかはそいつ自身に委ねるって。つー訳で、出るぞ」
「あ、ぁ、はい…」
圧し負けたような形ではあるが眞弥の言にも一理あると納得し、彌紗は頷き、立ち上がる。
「一刀、あんたもだよ。さっさと立ちな」
「ワリィ…後で行くから、ちょっと時間くれるか?」
しかし、一刀の方は眞弥の呼び掛けに応じず、何か別の事をしようとしているようだった。
「……まぁ、良いさ…。ほんじゃ、出るか」
彌紗にそう呼び掛け退室する眞弥達。
(少し、変わったか…)
そんな眞弥の後ろ姿を見て一刀はそんな事を思わずにはいられなかった。そして、眞弥と話しをした事は無駄ではなかったと確信した。
「でも、眞弥様があんな事言うとは思いませんでしたぁ。成長されたんですね、眞弥様」
『あんな事』とは謝る云々の事か、それとも今後の全ての事を彼女自身に委ねた事か、或いは両方か。どちらにしても、彌紗は眞弥の成長を自分の事のように喜ぶ。ただ、さっきの発言は端から聞けばバカにした台詞とも取れるが…。
とにかく、彌紗はさりげなしに付き合いの長い眞弥の成長を心から喜んでいる。
「………」
「眞弥様?」
しかし、彌紗の発言に対して全く返事をしようとしない眞弥を不信に思い、彌紗は眞弥を呼ぶ。
「あーーー、もう!!イライラしたーー!!」
「ま、眞弥様!?」
黙り込んでいたかと思うと、いきなり叫び出す眞弥に吃驚して思わず眞弥の真名を呼ぶ彌紗。
「だから、ああいう奴は面倒なんだ!!」
「………は、ハハハハ…」
思わず乾いた笑いが出てしまう彌紗。
(でも、まぁ…本人の前で言わないだけ成長した、のかな?)
でも、あんな大きな声で叫べば、いくらなんでも本人の耳に入るであろう事を考えると、乾いた笑いが止まらない彌紗であった。
「眞弥の奴…」
思わず怒り、という程のモノではないが、イラつきを露にする一刀。彌紗の心配通り、眞弥の怒声は一刀、そして彼女本人の居るこの部屋にまで聞こえてきていた。
「ふっ…。正直な人ですね…」
「まぁ、そうとも言えるが…」
つい先程とは打って変わって明るい表情を見せ、更には余裕を感じられる女性の発言等に僅かに戸惑う一刀。
しかし、一方でどうやらもう自分から死のうなどとは考えていないようなので安心感を覚える一刀。そして、ここまで立ち直させた眞弥の成長を肌で感じるのであった。
「それで、私に話とは何ですか?」
と、一刀が様々な感慨に触れていると女性が本題は何かと訊いてくる。
わざわざ一人残った程だ。余程重要な話だと女性は考え、それは実際当たっていた。
「あぁ。君の子どもの事なんだ」
「………」
子ども事を口にしたとたんにさっきまでの余裕は無くなり、女性の表情は暗くなる。
「あ、別に責めたりだとか、悪い事を言おうとしている訳じゃないからそんな表情しなで」
「はい…」
そんな女性に慌てたように弁解をする一刀。
そして、一刀の弁解を聞き、無理矢理作った笑顔で一刀の言葉に応じる。しかし、一刀の言葉をもってもしても気は晴れる事はないと、その淡い笑顔から察する事ができる。
「ひょっとしたら、君にとって良い知らせになるかもしれない」
「?」
一刀の言を理解できないと言わんばかりに首を大いに傾ける女性。
「君の子どもの名前って、ひょっとして『幼令』っていう名前じゃないかな?」
「え、いえ…ぁ、はい…その、通りです…」
一刀がいきなり我が子の名前を言い当てた事に思わず戸惑い、グダクダな返事をしてしまった女性。
「そうか…」
そう言うと一刀は嬉しそうに微笑む。
「それなら君にとって良い知らせになるよ」
「……もし、かして…」
子どもについて良い知らせ。その事だけである結論に至ったらしく、思わず言葉を詰まらせる女性。
「君の子どもを、知ってるよ」
一刀は優しく微笑みながら言った。
一刀は女性と話をつけるとスグに隠れ家を離れ、2日ぶりに城に戻ろうと森の中をいつもより少し早足で歩いていた。
相変わらずじめじめしたこの森の空気は一刀の心を滅入らせる。
「おい、見付けたか?」
一刀が早く城に行こうとしていると男の声が聞こえてきた。
(ん?こんな所に人が居るのか…?)
烏丸族の女性の子ども――幼令の件についてスグにでも話さなければと急いでいた一刀だが、どこか殺伐とした男の声が聞こえてきた事を不信に思い、思わず足を止め、声のする方へと歩を進める。
「いえ、申し訳御座いません…」
すると殺伐とした声の男とは別の男の声が聞こえてきた。その別の声は心なしか畏縮しており会話の内容以上に二人の上下関係を示していた。
「もしかしたら、もう遠くへと行ってしまったのでは…」
畏縮した声の男は本当に恐る恐るといった感じで何かを提案する。
一刀は畏縮した男が話している真っ最中に彼等を目で確認できる位置へと気配を殺し、悟られぬように移動した。
(何だ、あいつら?ピリピリし過ぎだろ)
男達の放つ異様な――殺気とも感じ取れる空気を直に感じ心の中でそう洩らす一刀。
「いや、あのキズではそう遠くへは動けまい…。まだこの周辺にいるハズだ」
上司と思わしき男は先程の発言を否定する。否定された男の方はと言うと、一回頷き、納得したように「そうですか…」と応える。
(一体何の話しをしているんだ?)
話の内容から誰かを探している事以外何も推測できず、少々考え込む一刀。しかし、一刀の疑問も次の上司と思わしき男の発言でスグに解決した。
「何としてもあの蛮族とその子を見付け出さねば、我々の命にも直結する問題になりかねん」
「!」
烏丸族の女性の事を知っていたため、“蛮族”と“子”の2つのワードだけで簡単に彼等がここで誰を探しているのか一刀にはズグに理解できた。
(あいつら、もしかして追っ手か?)
会話の内容から察するにまだあの女性の事に関する手掛かりは全く掴んでいないようだが、このまま放置しておく訳にもいかない。
だが、ここでこいつらに喧嘩を売っても勝てる保証はない――数の問題もあるが、それ以上にあの女性程の使い手を育て、その上瀕死に追い込む程の腕前を持っている奴等だから――ので、今は彌紗達の隠れ家に戻り、警戒するように伝える事位しかできないが…。
ガサッ
「!」
一刀が気付かれないようゆっくりと立ち上がろうとすると、一刀の背後から草が何かと擦れ合う音がした。
一刀は急いで振り向くとそこには剣や槍などの物々しい武器を持った体つきのよい7人の男達が居た。勿論、そんな男達がただボーッとしているハズもなく、一刀がその男達を確認すると間髪入れず各々の武器を降りかぶった。
ブンッ!
「くっ…」
一刀は自分のできる最高の反応速度でなんとか第一撃を避ける。
「誰だ!?」
しかし、先程会話を行っていた二人の男達も一刀の存在に気付き、更なる劣勢に陥ってしまう。
一刀も即座に剣――天狼を抜き臨戦体勢を取る。しかし、一刀は昨日の彌紗の部下達によるトラウマになりかねない体験で体力をほとんど失っているため、まともに闘ってもとてもじゃないが勝てるとは思えない。
(でも、逃げるにしても…逃げ道が、ないな…)
一刀がどうしようかと考えていると、男達は一刀の周りを囲み、逃げ道を塞いでいた。その手練れた動きから無理矢理逃げ道を抉じ開けて逃げるのも困難に思われる。
(でも、それしか選択肢はない…)
一刀は周りを囲んでいる男達を見渡す。
強硬突破をするなら弱い所を一点集中攻撃して、包囲網を突破するのが常識。まず除外されたのが偉そうにしていたリーダー格の男。リーダー格の男以外はどいつがどの程度の強さかなど全く判断がつかないのでほとんどギャンブルのようなモノだが、とりあえず話を盗み聞きした限り少々気弱そうだった男の所を突破する事にした。
「はぁあぁぁぁぁーーーーーー!!!」
気弱な奴ならば怯んでくれるかもしれないので、威嚇の意味で精一杯叫んでみる一刀。
「………」
しかし、一刀が狙っていた奴だけではなく、他の男達までもが怯む事なく、むしろ叫び気合いを入れたと勘違いされ、より一層隙が無くなったように感じる。
(ヤバッ…読み違えた…)
一刀も彼等の隙が減った事に気付き、己の作戦ミスだと気付く。
(魔力が無いから、超回復力も頼りにできないし…)
元々、一刀の超回復力は刻印にある先祖伝来の自動補正型魔術によるモノで、一刀の魔力が満タンの状態ならば普通死ぬような怪我をしても一回は余裕で蘇生できるレベルの代物だ。しかし、烏丸族の女性を治療する際に使った魔力は自分に使われる魔力の数倍以上の量だったため、今は傷の治りも並みの人と変わらない程度のモノになっていた。それだけではなく、他の魔術行使も一切使用不可と正に進退極まったという状況だった。
「殺すな。何か知っているやもしれん」
一刀が強硬突破を実行できずウジウジしていると、リーダー格と思わしき男が他の男達に指示を下す。
(当たり…)
むしろ関わってます…。殺されないのは有難いが、勿論彼女の事を洩らす気はない。でも極秘の任務のようだし、それを聞かれ何も知らないとなれば容赦なく殺られる可能性が高い。実際、リーダーっぽい男が指示を出すまで殺る気満々で殺気が満ち溢れてたからなぁ…。
とにかく、ここは逃げる事だけを考えよう。ここからならば、町の方が近いから町に行って、町の中に入りさいすればそう簡単に追って来たりなんてできないだろうし、いざとなれば趙雲達に助けを求める事もできる。問題は…そこまで全力疾走できるかどうか――いや、それ以前にこの包囲網を突破できるかどうかの方がハードルの高そうな問題だ。
見た限り僅かな言葉で状況を理解した判断力、理解した後の迅速な対応をする行動力、更にはその対応を誰も足を引っ張る事なく――むしろ互いに協力しあう――遂行できる連携力、それら全てが相当な物だった。一人一人の強さも正規軍の兵卒とは比べ物にならないだろう…。
でも…俺には強硬突破――それしか選択権がない……。あぁ、もう!こうなりゃ自棄だ!さっきの気合いのまま、突っ込んでやる!
「はぁあぁぁぁぁーーーーーー!!!!」
さっき以上の気合いを乗せた雄叫びをする一刀。そして、雄叫びと同時に狙っていた気弱そうだと思っていた男に攻撃をしかける。
「つぁあぁぁぁ!!」
一刀が攻撃した相手も気合いで応えるような雄叫びを上げながら応戦する。
一刀は縦に剣を振り下ろす。その振りは完璧なスイングで、正に手本にされるような物だった。
ガキンッ!
しかし、一刀のそんな完璧な攻撃もその男の武器――特に長くもない通常サイズの槍に阻まれる。
しかし一刀は、その事に大して気落ちした風もなく連続攻撃をしかける。その動きはとても体力の尽きた者のモノとは到底思えない程完璧な攻撃だった。
しかし二撃、三撃と攻撃をしかけるもその全てを男は簡単そうに防御する。
剣のスイングやそのタイミングやらといった一連の動作によって産み出されるモノは完璧なのだが、いかせん体力が無いため体全体に力が入らず、スピード、剣に重さやキレが無いのだ。そのためいとも簡単に防がれてしまった。
「く…」
一刀が手こずっている間に包囲網は縮まり、その全ての男達が攻撃可能な距離になっていた。
「ハッ!」
すると今まで一刀と戦闘をしていた男は、防御からうって変わって突然攻撃――突きを繰り出す。
ギンッ!
「――――っ!」
その突きの速さは大したことなかったので防ぐ事はできた。だが重ねて言うようだが体力を失っている今の一刀では後退させられてしまう。彼等の実力を察するにリーダー格の男の指示により手加減したモノであると推測でき、もしあの指示が無ければ先程の一撃で仕留められていた事だろう。
「ガッ―――!」
更に、後退した一刀に後方を包囲をしていた男の一人が槍を薙ぐ。そして槍の刃の部分ではない所で左脇腹をおもいっきり叩きつけられ、思わず苦悶の声を洩らす一刀。
「っつ…」
骨は無事なようだが、先程の一撃で一刀の足は止まる。
そして、剣や槍といった武器ではなく、男達の拳が一刀を叩きのめそうと一刀の顔面に迫る。
「ぅぐ――!!」
一刀は顔面への攻撃は気を失う可能性があるので、腕を顔の前に盾のようにして何とか顔面への直接攻撃は防いだ。しかし、屈強な男達、数人の拳はガードの上からでもダメージを充分に与え、そのダメージに更に苦悶の声を上げる一刀。
「か――はっ!!」
顔面のガードは固いと見るや男達は攻撃をボディーに集中し始めた。
一般的にボディーは即効性がなく、後から利いてくるなどと言われがちだが、一刀が女性にやったように鳩尾(みぞおち)などへの攻撃はある意味顔面への攻撃より確実に相手の戦意を削ぎ、更には即効性に優れている。
そして、男達の雨のうな連続攻撃は一刀が崩れ落ちるまで続いた。
「く…そ…」
崩れ落ちた一刀だが意識は比較的ハッキリしており、心の中から溢れた悔しさを呼吸できないにも関わらず口にする。
「よし、連れて行け」
「はい」
リーダー格の男が指示をすると、他の男達は返事をして、一刀を運ぼうと腕を掴もうとする。
「はぁーー!!」
「――!」
すると突如女性のモノと思わしき高い声が聞こえ、その声の主は一刀の腕を掴もうとしている男に派手な二股の槍を振り下ろす。
「っ…!」
その不意討ちに何とか反応し、致命傷は避ける事はできたが、左肩から臍(へそ)の上辺りまで浅く斬られてしまった。
(ちょ、趙…雲…?)
一刀はいきなり不意討ちを仕掛けてきた女性の顔を見て、その女性が見知った者――趙雲と気付く。
趙雲は一人を斬るとスグに他の男に標的を移す。男達も趙雲を確認すると迅速に対応をとろうとする。
「ごぁっ!」
「ぐあっ!」
しかし、趙雲の神速とも形容できる槍捌を前に為す術もなく、男達は斬られていった。
趙雲は一刀を背負って少し離れた所まで移動し、そこで一刀を背中から下ろした。
戦闘の結果は言うまでもないが趙雲の圧勝。三國志の中でも指折りの英雄が相手とあってはあの手練れた男達も話にならなかった。
「あ、ありがと…助かったよ…」
ふらふらと未だにダメージの残った体を何とか起き上がらせ趙雲に礼を言う一刀。
「うむ。あまり無理をなされるな」
「いや…ぅ、大丈夫だ…何とも、ない…」
一刀の礼を受け取ると趙雲は一刀の身体を気遣う。しかし、一刀は大丈夫だ、ととても大丈夫そうには見えない表情と声で言う。
「そうであるか…では、あやつらが何者かお訊きしても宜しいか?」
一刀の言い分に納得してないが納得したように振る舞い、さっき自分が斬った者達は何者かと尋ねる。
「………」
一刀は悩む。あの男達は――本人達が直接名乗った訳ではないため絶対とは言い切れないが――あの烏丸族の女性の追っ手だと言って良いのか。勿論、彼女の事を伏せて説明する事も可能だが、趙雲はかなり勘が良いので違和感に気付きかねない。
そういった危険性を考えれば、賊だとかなんとか言えば都合が良いのだが、アレほど卓越した連携を誇る賊等いるハズがないと趙雲なら気付くかも知れない。
(いや…それ以前に…)
もう俺や彌紗達だけでは対処仕切れない問題になってしまった。それにあの赤ちゃん――幼令にも大いに関係している話だ。ここは趙雲達に助けを求めるのがベターだと思うし、趙雲達なら協力もしてくれるハズだ。
「ふむ。言えぬとあれば、無理には訊きませぬが――」
「いや、言うよ。これは趙雲にも知ってもらいたい事だし…」
きっと趙雲なら助けになってくれる。そう信じて一刀は全てを話す事にした。
「国境付近の村、ですか…。う〜む…」
一刀の説明を聞き、その話に出てきた村があったかどうかを思い出そうと悩む。
「まぁ、詳しい事は城で調べてくれ」
そう言うと一刀は弥紗達に警戒を促しに隠れ家に戻ろうと考える。
「…いや、申し訳ないがこの件は直接公孫賛殿に御話し下され」
「………」
思わぬ解答に沈黙する一刀。
「え!?な、ななな、何で?」
そして、一拍遅れて――てっきり協力してくれるものだと思い話をしていただけに――ちょっと大袈裟なリアクションをとる一刀。
「ふむ…。先程お会いした時には御心配をかけまいと黙っておりましたが、実はよう――いえ、陳到が今朝から行方知れずになり、私はその行方を探していたのです」
「は!?何で、また陳到が?」
ここで初めて陳到が失踪した事を聞かされ驚きを隠しきれない一刀。
「……恐らく、原因は私でしょう…」
「え?何かあったのか?」
「……昨日、本当の親が見付かれば、その赤子はお主の下から離れていくのだぞ、という話を陳到としたのです。恐らく、それが原因かと…」
「それじゃ、もしかして幼令を連れて?」
「その通りです…。いや…まったく、我ながら迂濶でありました…」
自嘲的な笑みを浮かべ、自らの浅慮を改めて認識する趙雲。
「………でも、いつか言わなきゃいけなかった事だろうし…仕方無かった、てのは…間違ってるかもしれないけど…」
何て言うか、えっと……良い言葉が思いつかねぇ…。
「と、とにかく、趙雲がそこまで落ち込む必要はないよ。今回に限っては、陳到が悪い――あ、いや、誰が悪いとかそーゆんじゃない気がするけど、とにかく、趙雲は悪くないって、うん!」
最後の『うん』は一体何に納得したのか不明だが、とにかく趙雲を励まそうとする一刀。
「ふふふ…」
一刀が必死に趙雲を励まそうと喋り、その話が終わり一拍遅れて趙雲は笑い始める。ただ、その笑いは先程までの自嘲的なモノとは違い、楽しげな笑い声だった。
「そう御心配なさるな、本郷殿。私は別に落ち込んでなどおりません」
「え?そ、そう…なの?」
勿論、趙雲の言葉は嘘だ。普段から飄々としている彼女だが、今回ばかりは自分のあまりの浅慮さと、親友を導いてやる事ができなかった事等で相当落ち込んでいた。一刀の励ましがなければ未だに落ち込んだままだっただろう。だが、どこか素直になりきれない趙雲は一刀に嘘と言うか、誤魔化しをしてしまったのだ。
しかし、鈍感な一刀はそんな事に気付く事なく、余計な事をしたかなと考える。
「ですが、まぁ…」
「ん?」
「多少なりとも楽にはなりました、かな…。改めて礼を言いますぞ、本郷殿」
ここで漸く素直に礼を述べる趙雲。頭を下げているため一刀から顔は見えないが、その顔は若干だが赤くなっていた。
「あ、いや…こ、コチラこそ」
そして、一刀もつられるような形で礼を述べる。
どうやら面と向かって礼を述べられるのは慣れていないらしい。
「…コホンっ…では、私は陳到を見つけ出さなければならないので…」
若干の気恥ずかしさを誤魔化すかのように咳払いをして立ち去ろうとする趙雲。
「あ、うん…判った。陳到の事、宜しく頼んだぞ、趙雲」
と一刀が話しかけると、足を止め振り返る趙雲。
「…?」
しかし、一刀はというと特におかしな事を言った覚えはないので、不思議そうに首を傾げる。
「……前々から思っていたのですが…」
そう言いながら趙雲は一刀に歩み寄る。
「私の事は星(せい)とお呼びになって下され」
どうやら一刀が未だに真名を聞いてこない事をずっと不満に思っていたらしく、一刀にわざわざ真名を伝えに戻ってきたらしい。
「え、あ、うん……判った」
趙雲――星のいきなりの提案だったが最近こういった急展開に慣れてきたのか、割りと冷静に返事をする一刀。
「ふむ。では、失礼いたす」
一刀の解答に満足したのか星は再び一刀に背を向け神速の足で去っていった。
一方、一刀も公孫賛に救援を要請すべく城へと向かって歩き始めた。
一刀はその後何も厄介事に見回れることなく城まで無事辿り着いた。そして、その足で直接公孫賛のいる玉座を目指し、歩き続ける。
途中、やはり星や陳到が居ない事でドタバタしている人を何人か見かけ、事態の重大さを改めて実感する一刀。
「失礼します」
そう一言断りをいれ部屋の引き戸を開ける一刀。
一刀の居た世界では部屋に入る前はノックをしていたのだが、呉に居た頃にノックを何回しても返事がなく、挙げ句に呂蒙こと安春は「うるせー!」と勢い良く部屋から出てきて俺を吹き飛ばしやがった。その後、俺は当然烈火の如く怒り、安春にしてみれば理不尽極まりない理由で延々説教を続けたのは言うまでもない。
「あ、お兄さん…」
「お、簡雍」
扉を開け部屋に入ると簡雍が居た。簡雍の近くを見ると大量の書簡が山のように積まれていた。
(成る程…。人手不足で簡雍がほとんど一人で仕事をやってる訳ね…)
でも、それにしても量多すぎだろ…。こんなの一人じゃ到底手に負えんぞ…。
「お帰りなさい、お兄さん」
思い出したかのように一刀に挨拶をする簡雍。その表情はとても今まで一人で大量の仕事を片付けてきたモノとは思えない程爽やかだった。
「あぁ…ただいま…」
一刀も簡雍同様――簡雍程爽やかかどうかは別にして――笑みを浮かべ挨拶をする。
「む、本郷か…」
「あ、伯珪」
すると後ろから一刀の名を呼ぶ声が聞こえ、簡雍が『伯珪』と呼んだので振り向くとそこには簡雍が言った通り公孫賛が居た。
簡雍と違い、公孫賛の顔は疲れていると全面に押し出すかのような表情だった。
「あ、ただい――」
「ちょうどよかった。政務を手伝え」
「――は?」
『ただいま』と挨拶をさせる暇もなく、公孫賛は一刀を引っ張り簡雍の横に座らせる。
「んじゃ、頼んだぞ」
「ちょ、ちょちょ、ちょ待って!」
「ん、何だ?まだ何か用があるのか?」
と、一刀に仕事を押し付け立ち去ろうとする公孫賛を呼び止める。公孫賛は『まだ何か』といった表情――と言うか台詞を吐いているが、まだ一刀は一言も用件を言っていない。
「いや…まだ、何も――まぁ、いいや…。話がある」
一刀も一言物申そうと思ったが、最近こういった話を聞かれない事にも慣れてしまったので文句を言うのは止めた。
「話?何だ?」
「あぁ…実は、幼令の母親が見付かっただが――――」
既にお読みになっている皆様はお分かりになっている話なので、ここでは割愛させて頂きます。
「――――という訳なんだ…」
「成る程…。超省略されていたが、何故か解ったぞ」
「…?何の事だ」
「気にしないで下さい、お兄さん。製作側の怠慢を注意しただけですから」
「…?」
公孫賛に説明した一刀だったが、公孫賛の言葉を理解しきれず首を傾げ、簡雍のフォローが入るもそれも理解しきれず首を更にふか〜く傾げる一刀。
「まぁ、私が直々に出向けば解決するだろう」
「でも、村に彼女を無理矢理居られるようにしても、んな事してもその村で差別はなくならないだろう?」
確かに公孫賛が直々に物申せば渋々彼女を村に居られるだろう。だが、烏丸族に対する偏見を持っている奴が長をやっている限り、その村での彼女の立場は今まで通り苦しいままだ。
「だったら、そいつが長を辞めればいいんだろ?」
「お前がそんな事言っても、そんな簡単にはいかないだろ…」
高々一地方太守が辞めろと言ってそう簡単に辞めるハズがない。一刀は自分の考えを口にすると、簡雍が呆れたような表情で一刀に言う。
「伯珪が直々赴いてって言ってるじゃないですか…」
「だから、それでも無理だろ、って言ってるんじゃないか…」
何でこんなに自信満々に言うんだ?
「あのぉ…お兄さんは伯珪が何と呼ばれているか知らないんですか?」
「え…?知らないよ…」
前にも述べたが一刀は正直この世界の情勢に疎い。なので一地方太守――公孫賛が世間から何と呼ばれているかなど知る訳がない。
「………」
「…はぁ」
無言で一刀を未確認生命体を見るかのような目で見る公孫賛。一方、簡雍は最早呆れ以外の感情を感じ取れない程の溜め息を吐く。
どれだけ一刀がそういった事に疎いとは言え、流石に自分が世話になっている者の事を知らないなんて普通有り得ないと二人は思っていたのだ。
「ま、まぁ…とにかく話を続けてくれよ」
いたたまれなくなったのか、一刀は簡雍達に続きを促す。
「はぁ…」
深い溜め息をもう一回吐くと簡雍は話を再開する。
「伯珪は異民族から畏怖の念を籠めて“白馬長史”と呼ばれる位、一地方太守にしては抜きん出てるんですよ…」
「え…?そう…なのか…?」
「………(コク)」
簡雍の言葉を聞いてもあまりピンと来ず、思わず本人に確認を取る一刀。そんな一刀に公孫賛は無言のまま頷く。その表情は心なしか不満そうだった。
一方の一刀は本人から確認したにも関わらず、目の前に居るこの少女がそんなに凄い人物とは思えないので未だに納得しかねているようだ。
「まあ、話を聞く限りですが、その長男さんは確かに傲慢そうな方のようなので、なんだったら何騎か白馬を連れて行けば間違いないと思いますよ」
と、相変わらず爽やかな笑みを浮かべながら恐ろしい事を口にする簡雍。
簡雍の話をまとめると公孫賛が白馬を連れて、「言う事聞かないと村ごと潰すぞ、おら!」と、脅しに行くという事らしい。確かに、公孫賛の“白馬義従”と呼ばれる騎馬隊の連中は一人一人をとってもとんでもなく強いので、それが世に広く知れ渡っているなら確かにその脅しも成功する確率は極めて高いだろう。
「やっぱり、“白馬義従”も有名なのか?」
“白馬長史”と呼ばれるぐらいだから、公孫賛の騎馬隊――“白馬義従”も有名なのかな?
「はい。何しろ、烏丸族の間では『白馬を見たら、スグ逃げろ』とまで言われる位ですからね」
「何か…それは誇大広告過ぎやしないか?」
「兵士の中でも特に武勇に優れた人達で構成された部隊を、絶対勝てる時に“しか”出さないですからね。それぐらいの宣伝効果がなくちゃ意味ないですから」
成る程。わざわざ強い奴等全員を白馬に乗せ、勝てる戦だけ戦わせて戦果を挙げさせる事でイメージ戦略をしてた訳か…。
そりゃ、“白馬義従”が出たら逃げるわ…。だって、“白馬義従”が出陣する時は公孫賛の勝利がほぼ確定してる時だもんな…。
「ついでに部隊全ての馬を白馬にする事で、部隊全体の一体感を生み出す事もできる。正に一石二鳥だな」
公孫賛が胸を張り、簡雍の説明に捕捉をする。
つまり、野球やサッカーみたいなスポーツ同様、ユニフォームを統一する事で公孫賛の言う通り部隊全体の一体感を生み出すだけじゃなく、恐らく士気の向上も望めるという事だろう。
「まぁ、全部簡雍の提案なんだがな…」
と、意気揚々とまるで自分が全て提案したかのように感じ取らせる口調だったが、いきなり意気消沈したかのように沈んだ表情になりボソッと呟く公孫賛。
「い、いえ…それを実行してるのは伯珪なので、半分以上は伯珪によるモノですよ」
そんな卑屈とも取れる伯珪の言葉に慌ててフォローを入れる簡雍。
その心中ではどうして一々劣等感を露にするのかなぁ…、といった愚痴を溢している。
「そんな謙遜する事ないだろ。素直に受け止めればいいだろ?」
「――ッ!!(ギろっ!)」
「えっ!?(ビクッ!)」
な、何故、簡雍は俺にそんな殺気の籠った視線を投げ掛けるんだ!?
わざわざ簡雍がフォローを入れたにも関わらず、無神経にもそれを台無しにする一刀の一言に『空気読めよ!』といった視線を投げ掛ける簡雍。
「え、えっと…とにかく、公孫賛、頼めるな?」
何とか話題を逸らそうと、無理矢理としか思えない方向転換をする一刀。
「ん、あぁ…了解した…。数日以内何とかしよう…」
先程同様、意気消沈といった表情で一刀に応える。その表情はとてもじゃないが、“白馬長史”と畏れられている者のモノではなかった。
「んじゃ、支度してくよ…。あ、政務の方、手伝ってくれよな」
「う゛…あ、あぁ…」
公孫賛は部屋を出る直前に気付いたかのように一刀に手伝いを要請し、一刀はイヤ〜な表情でそれを了承した。一刀は別段政務が嫌いとかそういう訳ではないのだが、今の健康状態であまり仕事はしたくなかったらしい。
だが、公孫賛は特にそんな事を気にした――というか気付いてないようで、一刀が返事をするのとほぼ同時に退室した。
「じゃ、やりましょうか、お兄さん?」
「はぁ…判ったよ…」
溜め息を一つ吐き、簡雍の手伝いを行う事にした一刀は、簡雍の隣に座ったのだった。
あとがき
ども、冬木の猫好きです。
長い…。本当は今回でこの話は決着を着けるハズだったのに、予想以上に長くなったので二話に分割することにしました。
さて今回の題の『捜索』ですが、これは一刀が烏丸族の女性を、趙雲――星が陳到を『捜索』していたという意味もありますが、もう一つ、と言うかメインは華侘――眞弥の医者としての心やら何やらの『捜索』を描こうとしたつもりだが…イマイチ印象が薄い…。
あと今回、簡雍と公孫賛の会話にも出てきた通り、劉備は出すつもりです。と言うか出します。ついでに捕捉しておくと、劉備と簡雍は同郷で劉備と公孫賛は同門の出だという事は本当ですが、簡雍と公孫賛は恐らく何も関わりがなかった気がします。
更に、今回の話で「一刀弱くね?」という感想を持った方も少なくないと思いますが、基本一刀は魔術士なので身体能力は兵卒に毛が生えた程度のモノなんです。それを何とか技術で補っていくというのが一刀のスタンスとなっています。
とにかく、次回の話で色々――という程の数はありませんが――問題を解決させるつもりなので、宜しく御願いします。
うーん、またしても厄介事かな。
美姫 「どうかしらね」
さてさて、一刀はどうするのかな。
美姫 「どうなっていくのかしら」
それでは、この辺で。
美姫 「それじゃ〜ね〜」