注意
これは呉ルートの第四章から五章辺りのお話です。まだそこまでプレイしてない方は読まない方がよろしいかと思われます。
真・恋姫†無双 呉ルートSS 〜変わったモノ。変わらないモノ〜
今日の寿春は特別いい天気だ。
こんな日は警羅と称して街へ遊びに行こう――――と言いたいところだが、そうは問屋が卸させてくれなかった。
その問屋の経営者は呉の大軍師様――――周瑜こと冥琳だ。
そんな偉大な大軍師様の命により、俺は今楽しい楽しい政務をこなしている。
「あー、楽しいな〜」
声に出したところで政務は減らないし、楽しくなるはずがない。
そんなことは判っていても、今はぼやかずにはいられなかった。
なんだ、この異常な量の竹簡は?
いくら袁術から国を奪い取ったばかりで仕事が山積みだと判っていても、冥琳は俺に恨みでもあるのかと疑いたくなるぞ。
「楽しい? 政務が?」
机に向かい、作業を再開した俺に、怪訝といった感情をひしひしと感じさせる声が届く。
「雪蓮?」
その声のする方に視線を向けてみれば、綺麗な薄紅色の髪と少し日に焼けた小麦色の肌が特徴的な我らが孫呉の女王様――――孫策こと雪蓮がそこにいた。
いったいいつの間に?
部屋に入る時はノックをしてくれと、あれ程注意したのだが、俺の記憶によれば雪蓮がノックをしてくれたのは三回しかない。
今はもう言っても無駄と判断し、いちいち言わないが、やっぱりいきなり部屋に入られるのは勘弁だ。今回の様に意味のない一人言の最中だったらちょっと――――いや、かなり恥ずかしいし……。
「えっと……どうかした?」
何か悪い物でも食べたんじゃないかと言いた気な視線を全力で無視し、雪蓮に本来の目的を訊く。
雪蓮の怪訝といった雰囲気を消し去るのは案外簡単で、その一言で雪蓮の表情はいつも通りの明るいモノへと一気に変遷する。
「あ、そうそう。一刀、遊びに行こ」
また唐突かつストレートな用件だな。
せめて「警羅に行こう」とか、オブラートに包んで言えんのか?
……………いや、雪蓮にそれを期待するのは間違いだな。
「魅力的な提案だけど、見ての通り今は政務があるんだ」
「えー、そんなのほっといて遊ぼうよ! こんなにいい天気なのに勿体ないよー」
ぷくー、と頬を空気でいっぱいにする雪蓮。
そんな幼く、かわいい行動に、彼女は王に相応しいのか――――と疑問に思ってしまう俺が少しだけいる。
とはいえ、彼女以上に今現在、呉王に相応しい者はいない。それは北方で一大勢力を築く曹操であっても同じだ。
今目の前で、幼子の様に頬を膨らます彼女こそが唯一無二の呉王であるのだ。
「それには俺も同意するよ。でも、だからと言って政務を疎かにする訳にはいかないだろ」
というより……。
「雪蓮は終わったのか、政務?」
袁術から江東を奪回し、今や一国の主である雪蓮。その雪蓮には俺より遥かに多い量の政務が積み上げられているはずだ。
まさか全て片付けたのだろうか?
…………有り得ないな。
「終わってる訳ないじゃなーい」
うん。思った通りだ。
でもな雪蓮。それは満面の笑みで話すべきことじゃないぞ。
「はあ」
思わずため息が漏れるのも当然。
さっき俺の頭に浮かんだ理想の王様を返してくれ……。
「冥琳に怒れっぞ」
「一刀も一緒だから平気だもーん」
どうやら、俺が行くのは決定しているらしい。
喜色満面の雪蓮に俺は今日一日の予定が決まったと悟る。
「やれやれ」
その呟きとは裏腹に俺の心にはわくわくといった感情が湧き上がってくるのを感じる。
こんなかわいい女の子と街へ遊びに行く。
男ならば大半の者が嬉しく思うシチュエーションであって、俺もその大半から漏れることはなかった。
冥琳のお説教も、雪蓮と二人なら甘んじて受けよう。
そう思い、俺は席を立った。
「よし、行くか」
「おー、行こ行こ」
太陽の様な明るい笑み。
笑うだけで俺の気持ちを温かくする雪蓮に俺も微笑みで返す。
「ねーねー、この服はどう?」
「うん。似合ってると思うよ」
右手に持つ赤を基調とした服を自分に当てる雪蓮に俺は素直な感想を述べる。
いつも無計画で行き当たりばったりな雪蓮にしては珍しく、今回はある程度プランがあったらしい。城を出て真っ直ぐ最寄りのこの服屋に来た。
「じゃあじゃあ、これは?」
そう言いながら、今度は左手に持つ青を基調とした服を雪蓮は自分に当てる。
「うん。それも良いと思うよ」
普段は赤というイメージの強い雪蓮だが、青も案外悪くない。
というか、雪蓮は素材が良い上に、本人のセンスもかなり良いんだから、大概の物は似合ってしまう。
「ふ〜ん……」
ん? 何だ?
雪蓮はちょっぴり不機嫌というか何というか……納得いかないといった表情を浮かべている。
何か気に触ること言ったか、俺?
「それじゃ、あ………これなんてどうかな?」
「そ、それは――――」
雪蓮の選んだ服を目の当たりにして、俺は思わず言い淀んでしまう。
雪蓮が選んだ服は黒を基調としたふりふりがいっぱい付いた服――――俺の世界で言うところのゴスロリだ。
何でこんな物がこの時代に、と思う俺をよそに、雪蓮は無邪気な笑みを浮かべる。
「ねーねー、どうかなどうかな?」
言葉に詰まる俺に雪蓮は早く早く言わんばかりにせっつく。
「あ、ああ……うん。いいと思うよ」
何というか、意外なチョイスだったけどこれはこれで悪くない。
普通にかわいい。
というか……それ、反則です。
「ねえ、ちゃんと選んでくれてる?」
「え? ああ、勿論だよ」
しかし雪蓮の表情はあからさまに険しいモノへと変遷していく。
いったいどうしたんだ?
俺、何かマズイことをしたかなあ……?
「ホントに?」
「あ、当たり前だろ」
俺が雪蓮を疎かにするはずがない。
これだけは何があっても間違いない。
「じゃあ、どうしてこんなのが似合ってるなんて言えるの?」
険しい表情はそのままに、雪蓮は手に持つゴスロリの服を俺に押し付けるようにずいっ、と前に出す。
「い、いや……素直に似合ってると思ったからで――――」
「ウソ」
ばっさり即否定。
いや、嘘ではないんですけど……。
「こんなの私に似合うわけないじゃん。一刀、貴方何でも似合ってるって言えばいいってモンじゃないのよ」
「い、いや、そんなこと言われてもだな……」
実際そう思ったわけで、それ以上の言葉が俺のボキャブラリーにないわけで……。
というか、そんな風に思う物をどうして選ぶんだよ。
「じゃあ、この服どう思う?」
そう言うと雪蓮は、黒のゴスロリを放り投げて、次の服を手にする。
売り物を投げるなよ――――って、その服は!?
「め、メイド服!?」
だから! なんだってそんな物がここにはあるんだよ!
「冥土? まあ、いいや……で、どう?」
うっ………。これは選択肢を間違えればただではすまない雰囲気だ。
ここは慎重に、慎重に……。
「えっと、そういったかわいらしい感じの服ってあんまり着てないけど多分―――いや、間違いなく似合うよ」
「………」
眉間にシワが寄ってる!?
何か間違えたようだ。
「他には?」
恐らくこれが最後のチャンスだ。
間違えば今日一日、不機嫌な雪蓮と街を歩くという世にも恐ろしい状況へと追い込まれる。
「いろんな装飾が付いてて、普通なら服のインパクト――――じゃなくて、強い印象に負けちゃうところだけど、雪蓮なら似合うと俺は思う」
俺の精一杯だ。
これがダメなら………………………どうしよう?
「…………」
雪蓮は無言のまま服を見つめる。
この間は精神的にキツい。
何と言うか……裁判で有罪、無罪を言い渡される瞬間を延長しているようなモノだ。
「こんなの似合わないよ」
その応答に俺は一先ず胸を撫で下ろす。
正解とまではいかなかったようだが、眉間のシワはなくなった。
「なんでさっきから自分では似合わないと思う物を選ぶんだよ?」
さっきのゴスロリしかり。今手に持ってるメイド服しかり。
「だって、一刀がちゃんと選んでくれないんだもん」
「いや、ちゃんと選んでるつもりなんだが……」
「ウソ」
だから、なんで即否定なんだよ。
「嘘なんか言ってないって」
「ウソに決まってるよ。こーんなかわいい服、私に似合うわけないじゃない」
「何でそう思うんだよ?」
「だってそーでしょ? 蓮華や小蓮みたいなかわいい女の子ならまだしも、私みたいのがこんなの着たところで違和感があるだけだよ」
何を言っているんだ、雪蓮は?
もしかして、自分は可愛くないとでも思っているのか?
雪蓮の発言をまとめれば、結論はそこに落ち着く。
それを理解した瞬間、俺は呆れを通り越し怒りにも似た感情が溢れてくるのが判った。
「違うぞ、雪蓮」
だから俺は、いつもより真面目な雰囲気を漂わせるような強めの口調で雪蓮の考えを正す。
俺の態度が豹変したのに驚いたのか、雪蓮は大きな目を更に大きく、そして丸くする。
「雪蓮だって蓮華や小蓮に負けないくらいかわいいんだ。だから、その服だって似合うに決まってる」
そう。これだけは譲れない。
「確かに俺は、雪蓮の強い信念、王たる出で立ち、何よりどんな状況にあっても周りの灯台となる明るい性格――――内面にどうしようもないくらいに惹き付けられている。王としても、女の子としてもだ。そこは勿論だけどもう一つ理由がある」
理由――――それは雪蓮の美貌だ。
先程述べた通り、俺は雪蓮の内面に惹き付けられている。それは本音だ。
でも、雪蓮の美貌は語らずにはいられない。
見慣れてない者が間近で見たならば、目眩(めまい)を覚える程の美貌。そこにも惹き付けられているのも確かだ。
だから、そこは譲れない。
「雪蓮が、かわいいからだ」
うん。言いきってやった。
俺は自分勝手な満足感にひたる。
「………」
沈黙。
雪蓮は俺が言いたいことを言い終えても、下を俯くばかりで一切リアクションを示さない。
顔を附せているために、雪蓮の今のご機嫌をうかがい知ることもできない。
いつまでもこんな時間を続けるわけにもいかない。俺は状況を打開すべく、恐る恐る雪蓮に話しかける。
「……………雪蓮?」
「もーーーーーーーーっ!!!!」
「うわっ!?」
びっくりした。
何で急に両手を万歳しながら雄叫びを上げるんだよ。
あ、また売り物投げてるし……。
「一刀、お腹減ったし、ご飯食べに行くよ!」
「え、お、おい!」
そう言うと雪蓮は俺の腕をがっちりと掴み、比喩ではなく本当に引きずる。
俺は雪蓮の腕力に逆らえるはずもなく、引きずられながら店を後にした。
「はぐっ、もぐもぐ………」
「………」
「はぐっはぐ、もぐもぐ」
雪蓮は運び込まれた料理をとにかく口の中に詰め込む。
ああ、そんなに急いで食べると……。
「むぐっ――――!?」
お約束の展開。
雪蓮は喉をつまらせたらしく、胸の辺りをトントンと叩く。
「ああ、ほら、お茶」
そう言いながら俺が湯飲みを差し出すと、雪蓮は奪い取るという言葉がしっくりくる程乱暴に湯飲みを受けとる。
「ごく、ごくっ…………プハッ!」
出されてそこそこ時間が経ち、微妙にぬるくなったお茶を雪蓮は一気に飲みほす。
そして……。
「はぐっ、はぐはぐっ……」
性懲りもなく先程と同じペースで料理を口の中に詰めていく。
俺が文字通り雪蓮に引きずられながら服屋を後にすると、雪蓮は真っ直ぐこの店へと向かった。んで、引きずられていた俺は当然一緒の店にいるわけだ。
そして、席に着くとメニューを目に入った限り注文しだした。
息を整えるのに必死だった俺は、雪蓮の摩訶不思議な行動の理由が今一つ理解できずにいた。というか、そんな余裕がなかった。
しかし、今はだいぶん時間が経ち、体力も回復した今の俺なら雪蓮の突飛な行動の理由も何となくだが判る。
「むぐっ――――!?」
「はい、お茶」
またしてもお約束の展開。
思案に耽る俺をよそに飲むように食事を続けていた雪蓮に二杯のお茶を渡す。
ここで俺は予測が当たっているかどうかを確かめる。
突飛な行動の僅か前に言った俺の言葉。そして、店に入ってもなお俺と目を合わせない雪蓮。
そこから導き出される結論は一つ。
「雪蓮」
「ん?」
なるべく優し気な声で呼びかける俺を雪蓮はお茶を飲みながら見る。
「かわいいよ」
「ブーーーーーーーーーーーーッ!!??」
俺の予測が確信へと変わった瞬間、雪蓮は口に含んだお茶をジェット噴射の如く噴き出した。
言い忘れてたが、俺は雪蓮と対面するような位置に座っている。
当然雪蓮は真っ正面にお茶を噴き出したわけで、そこには当然俺がいるわけで、お茶は当然俺にかかるわけだ……。
これは……あれか? こんなかわいい女の子とランチを楽しむ俺に対する神様からの細やかな天罰か?
まあ、食べ物は全て呑み込んでいたらしく、お茶だけだったというのがせめてもの救いだな。
「ケホッ、ケホッ」
「ああ、大丈夫か?」
自分が原因なのはさておいて、むせる雪蓮の背をさするために席を立つ。
これくらいせねばなるまい。
何せ店内の皆さんから異常な注目を浴びてしまっているのだから。
理由は言わずもがな。一国の主がドカ食いを始めたと思ったら、次はお茶を噴出。これで注目しない――ある意――味肝っ玉の太い奴は、呉(ウチ)で雇いたいくらいだ。
「い、いきなり何を言うの、一刀!?」
咳が治まるとすかさず雪蓮は俺に噛み付いてきた。
普段なら恐ろしく感じる雪蓮の怒鳴り込みも、今ならニヤニヤ顔で受け止めれてしまう。
「いや〜、俺はホントのことを言っただけだよ」
思わず語尾に音符マークが付くような明るい口調だ。
だが、今の雪蓮を見たなら、そうならずにはいられない。
「ううぅううぅうぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
犬のように唸る雪蓮に、俺の顔はにやけっぱなしだ。それはもうだらしないくらいに。
いつもはからかわれっぱなしの俺が、珍しくイニシアチブを握れている!
……………なんか『珍しく』って自分で言ってて情けなく思えてきた。
と、とにかく、今、俺は絶好の好機を迎えているのだ。
何の好機かなんて考えるのは野暮だぞ。
「ははは、雪蓮はホントにかわいいな」
「もーーーーーーーーーっ!?」
服屋の時と同じように万歳をしながら雄叫びを上げだす雪蓮。
このままいくと店を破壊するような被害をもたらしかねない。さすがにからかい過ぎたか。
でも………楽しいンだよな、マジで。
そんなことを思いつつ、俺は自分の席に戻る。
せっかく注文したのだ。残すなんて勿体無い真似できない。
雪蓮は俺が席に着くと再び料理を飲むように食べる。
しかし、改めて見ると凄い量を注文したな雪蓮。
あ、また一皿追加だ。
今の雪蓮はバーサクモードだ。猛烈な勢いで口へ料理を運ぶという作業を繰り返している。そんな雪蓮の様子を見る限り、食べきれるかどうかという心配は無用のようだな。
…………おごらなくちゃいけないのかな、俺?
だとすれば、ピンチだ。今月最大のピンチだ。
主に財布的意味で……。
俺はポケットから財布を取り出し、中身を確認する。
う゛っ、ちょっとヤバいかも……。
今月は亞莎への差し入れの胡麻団子を買い、冥琳に勧められた本を買い、祭さんに後で払うからと言われちょっと高めのお酒を立て替えて買い――――って、あれ? 俺、今月使った金はほとんど女の子がからんでるぞ。
まあ、悪い気はしないから構わんが。
とりあえず、祭さん辺りから酒代を請求せねばならんな。でなきゃ、今月はマジでヤバいな、うん。
俺がそんな風に今月を金銭的に振り返っている時だった。
「うっ、えぐっ………ぅ……」
外から子どもの泣き声が聞こえてきた。
「………?」
どうやら雪蓮も気付いたらしく、掃除機のように料理を吸い込むのを止めた。
「聞こえた……よな?」
「うん。子どもの声かな?」
おそらくはそうだろう。
「俺、ちょっと見てくるから、雪蓮は待ってて」
「あ、一刀!」
雪蓮まで店を出ては、無銭飲食――――要するに、食い逃げになってしまう。
さすがに一国の主がんなことしたら、天下に赤っ恥をさらすことになる。雪蓮だけを残して、俺は店の外へ出た。
「えっく……ぅう……」
やっぱり。
店を出るとすぐに数人の大人が泣きじゃくる小さな――見た目は小蓮よりも幼い――子どもを囲んでいた。
「どうしよう?」
「困ったなあ……」
泣きじゃくる子どもを囲む数人の大人たちは言葉を聞かずとも困っていると判るような表情を浮かべていた。
「どうかしましたか?」
「あ、御遣い様……!?」
俺が声をかけると壮年の男性が振り向き、そう呟いた。それにつられるように、子どもを囲んでいた大人たち全員がこちらを向く。
そして、そのまま自然の流れで平伏をしようとする。
「あ、そのままでいいから」
一応、天の御遣い、てのは受け入れてはいるけど、見ず知らずの人にいちいち平伏されるのは逆に気分が悪い。
雪蓮はもっと威厳を持つべきだ、とか耳にタコができるくらいに言ってくるのだが、こればっかりはどうにもならない。
「で、とうしたんですか? 何かお困りみたいでしたけど……」
「はい。実はこの子が親とはぐれたらしくて」
俺の言葉に姿勢を楽なモノに変えた人たちは、壮年の男性の言葉と共に視線を泣きじゃくる子どもに向ける。
顔は涙をぬぐう両手でよく見えないが、服装から察するに女の子だろう。
「名前や家の場所を聞いても泣くばかりで何にも判らないんです。儂らはもう仕事に戻らねばなりませんし、どうしたモノかと困っていたのです」
「なるほど、ね……」
迷子か。
「判りました。そういうことなら俺に任せてください」
「え、いいんですか?」
俺の言葉に壮年の男性は目を丸くする。
そんなに驚くことかなあ?
そう思いつつ俺は一回頷き、言葉を続ける。
「はい。皆さんはお仕事に戻ってください」
そう言うと全員、顔を見合せ、僅かながら無言会議を行う。
俺は彼らのその行動になぜか違和感を覚えた。
「で、では、お言葉に甘えさせていただきたきます」
そう言うと、彼らは俺に一礼した。そして、彼らは駆け足で仕事に戻っていった。
結局、一瞬覚えた違和感の正体は判らぬままだったが、今はそんな判らぬ違和感より重要なことができた。
「うっ……えっぐ……」
この泣きじゃくる女の子だ。
請け負ったはいいが、どうしたもんか。
とりあえず、泣き止んでもらわなければ話もできない。
「またー、一刀は安請け合いし過ぎだよ」
「あ、雪蓮?」
いつの間に。
「別にいいだろ。見回りの人にこの子を預けるだけだ」
下手に俺がこの子を抱えて親を探し回るより、警羅をしている奴らに預けた方が確実だ。
えっと…………ここから一番近くにある警羅の詰所はどこだっけか?
「………はあ、判った。付き合うわよ」
雪蓮は俺から見ても判るくらいに呆れた、と言いた気な顔を左右に振る。
そんな雪蓮に俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「お〜い、泣いてても何にも解決しないぞ〜」
雪蓮さん、それは………あやそうとしているのですか?
イラついて殴ろうとしないだけまだマシだけど、それで子どもが泣き止むわけない――――って、あれ?
「………」
おいおい、泣き止んだぞ……。
あんなんで泣き止むなら、さっきのおっちゃんたちの苦労はなんだったンだよ。
「? 貴女……」
「ん? なんだ、知り合いか?」
「いや、違うけど」
「? じゃあ、どうしたんだ?」
顔を見たとたんに示した反応。何かに気付いてたようだったが。
「この子――――」
雪蓮はズイッ、と顔を女の子に近付ける。かなりの至近距離まで近付くと雪蓮は顔をピタリ、と止める。
女の子は雪蓮から思わず顔を反らす。若干肩が震えてるみたいだ。
無理もないかあ……。
普段一緒に過ごしているからついつい忘れそうになるが、雪蓮はこの国の王。しかも、世に小覇王と謳われ、尋常ではないくらいの尊敬と畏怖の象徴となっている。
この娘がどちらの感情を抱いていても、直視なんてまともにできるはずがない。
「ホントに泣いてたの?」
「は?」
何を言い出すんだ、雪蓮は。
俺はそう思わずにはいられなかった。だが、その思いとは別に雪蓮の言葉に肩をびくん、と震わす女の子を俺の目が――端にではあるが――しっかりと捉えていた。
「だってこの娘、全然目が腫れてないよ」
「え……?」
雪蓮の言葉が真実かどうか確認しようと女の子の方を見るも、女の子は俺から顔を反らしてしまう。
だが、それは雪蓮の言葉が真実であるという確証を持たせるには十分な行為だった。
雪蓮の言葉が真実ならなぜ、女の子はそんな嘘を吐いたんだ?
いや、この娘だけじゃなく、この娘を囲んでいたおっちゃんたちもだ。
一体、どういうことなんだ?
俺はそんなに速く回ってくれない脳のギアをマックスにして考える。
しかし、俺のポンコツ脳ミソが答えを出す前に、それは起こってしまった。
「―――――――っっ!!」
雪蓮の、喉の奥から出したような声が聞こえた。
それとほぼ同時にドスン、という鈍い音も聞こえた。
音は認識できても英雄孫策の動きは認識できなかった。
認識できたのは突き出された雪蓮の拳と宙を舞う女の子――――そして、地面に突き刺さる短刀だった。
肩身が狭い。
「………」
冥琳の眼鏡越しでも衰えることのない冷たい視線。その視線が、今の冥琳は小覇王・孫策を支える大軍師・周瑜であると示していた。
「はあ……」
盛大なため息。
呆れ以外の感情は一切ないと容易に想像できた。
「呉の王と天の御遣いが政務をないがしろにした挙げ句、暗殺にあう。成功していれば、千年は語り継がれるであろう笑い話だぞ」
「うぅ………」
反論できません。
「いいじゃん、別に。成功しなかったんだしさ」
頭を項垂れ、面子も何もあったもんじゃない状態の俺をよそに、雪蓮は胸を張りながら堂々と反論する。それと同時に豊満な胸が上下に揺れる。
ついついそこに視線を集中させようとする男の悲しい性(さが)を、俺は何とか抑える。
「そういうことを言っているんじゃない……!」
俺が悲し過ぎる行動をとっている間に、冥琳の機嫌は益々悪くなった。
冥琳が怒るのは当然だよな。
別に政務云々ってのは、実際のところは大した問題じゃないだろうと判る。今更そんなことを言っても、雪蓮が改善する余地は限りなくゼロに近い。
冥琳は雪蓮の軽挙がいつか命に関わる。そう思っているから、冥琳は雪蓮を叱る。
判り難いが、これは冥琳が雪蓮を大切に思っているという何よりの証拠だ。
しかし、残念。雪蓮は天才であるが故にこの、普通の忠告の真意が伝わってない。いや、伝わっていても雪蓮が態度を改める気配がない。
冥琳の怒りは深まるばかり。
……………不毛だ。実に不毛だ。
二人ともお互い好き合っているくせに、妙にひねくれてるところがある。
互いに互いの理論を理解しているのに、受け入れない。受け入れられない。
「ま、まあ、そのくらいでさ……」
不毛な争い――――いや、争いにすらなっていないか。
ともかく、このままでは堂々巡りだ。
祭さんがいれば「お主ら、いい加減にせいよ!」とでも一喝してこの場を力業で収めてくれるのだが、生憎今この場に、祭さんはいない。僅かな衛兵がいるのみだ。
俺以外に、二人を止めることはできない。………正確には、止め“ようと”する奴はいない――――であるが。
「………」
冥琳の冷た〜い視線が再び俺を射抜く。
『お前も悪いんだぞ』と目で語る。
判ってます。俺も悪かったです。だが、俺にどうしろと言うんだ……。
俺に雪蓮を止める力と技術があると思うか? いや、ない!
「………はあ」
俺の考えていることが判ったのだろうか。冥琳は盛大なため息を再び吐く。
「今回はこのくらいで許してやろう。だが、次にこんなことがあったら唯ではすまさんぞ」
「私、悪くな――――」
「ありがとう、冥琳!!」
何で終着点が見えたのにややこしいこと言おうとするかな、この王様は!
雪蓮の言葉は無理矢理かき消したが、冥琳にはバッチリ聞こえたらしく鋭い目でこちらを見る。
しかし、それは一瞬のことですぐさま俺たちに背を向け、自分の仕事に戻るために退室しようとする。今回は、俺の顔を立ててくれたのかな。
「あ、冥琳。ちょっと待ってくれ」
お説教が終わったら、訊きたいことが俺にはあった。
俺の声に反応して振り向く冥琳。その目は、もう怒っているわけではなさそうだ。
「何だ、北郷?」
「ああ、ちょっと訊きたいことがあって……いいかな?」
「構わん。言ってみろ」
「雪蓮を襲った子どものことなんだ、けど……」
「………」
勧められるままに話をしていく。
その内に冥琳の表情は変わる。険しい。
そう。軍師の表情だ。
その表情事態は見慣れたモノだったが、今回はどこか違った。違和感があった。
戸惑い。躊躇。
いつもの軍師・周瑜からは読み取るはずのない感情。
それだけで確信した。俺の懸念していることは見事に当たったのだ、と。
「やっぱり、あの子は……」
俺の言葉に冥琳の表情が驚きといったモノになる。
「北郷ごときに感情を読み取られるとは……私もまだまだだな」
「誤魔化さないでくれ」
自嘲する冥琳。誤魔化そうとしているのが簡単に判った。
これも普段の冥琳ならあり得ないことだ。
しかし、俺の言葉が冥琳の軍師を取り戻させた。今の冥琳の表情は、いつもの利と理の両面を冷静沈着に判断する大軍師・周瑜のモノだ。
「北郷の思っている通りだ。まだ小さいとはいえ、雪蓮に刃を向けたのだ。その罪は、命を以て償ってもらう」
「………」
あっさりと言い切る冥琳に怒りを覚える。
全くもって正しい。
冥琳の言葉に、間違いなんて見当たらない。
でも……。
「あの娘は両親も他界し、肉親もいないと聞いた」
冥琳は話してくれる。
俺が訊いてもいないことを。聞いたら、間違いなく反論することを。
「働いていたがそれでも日々の生活費にこと欠いていたそうだ。そんな時だ。雪蓮を暗殺すれば、大金を与えると言ってきた輩がいたそうだ」
それが、あの子を囲っていた大人たち。
反論ならできる。あの子を庇うことならできる。
それを冥琳がさせてくれる理由は、判る。
だから俺は、声を上げなくちゃいけなかった。
「なら………なら、あの子は何も悪く――――」
「一刀」
肩に置かれた手と共に、俺の言葉を遮ったのは雪蓮。
振り向くと、王の顔をしている雪蓮がいた。
雪蓮と俺の目が合う。そして、首を左右に振る。
「どんな理由があれ、雪蓮に――――王に反逆したことに変わりはない」
後ろから冥琳の冷たい言葉が俺に投げかけられた。
あの子は、反逆者なのだ。どんなに小さくとも、反逆者なのだ。
そんなこと許してはならない。
雪蓮は、王なのだから。
今まで以上に厳しく、冷たくなる現実。それを判れ。判らなくてはいけない。
俺だけが…………判っていなかった。目を背けていた。無視していた。
だから、冥琳は話してくれた。あの子のことを。
俺の置かれた状況は、雪蓮たちに会ったばかりの頃から変化しておらず、だが全く別物へと変貌を遂げていた。
もう………目を背けることはできない。させない。
俺はもう、聖フランチェスカ学園に通う生徒ではない。
俺は、呉(ここ)にいるのだから。
「判ってる。判ってるよ、そんなことくらい」
「………」
「………」
冥琳も雪蓮も、何も言ってこない。
これは、俺自身がどうにかしなければならない問題。答えを出すのは――――出せるのは俺しかいない。
「それでも………それでも俺は、あの子を死なせたくない」
「北郷」
冥琳の表情はあからさまに怒りを投影する。雪蓮に説教をしていた時より恐怖を感じる表情だ。
俺の答えは、国を担うモノとして間違ってはいないだろう。しかし、あまりに甘い。
そんなことで国を治め、更に戦乱を治めるなどできるのかと問われれば、勿論、俺は否定する。
自分でも判ってる。今の自分の――――自分たちの立場も。採るべき選択肢も。
目は背けない。無視もしない。俺は、正面から受け止める。
その上で俺は言う。
「あの子は何も悪くないじゃないか。むしろ被害者だ」
我が儘かもしれない。甘いかもしれない。
でも、俺は変わらない。
どんなに雪蓮たちを取り巻く状況が変わっても、俺は出会った頃の――――聖フランチェスカ学園二年の北郷一刀であり続ける。
それが、俺の答えだ。
「なら、一刀はあの子をどうするの?」
王の問い。
普通なら見つからない――――見つかるはずのない問い。
だけど、なぜだろう。雪蓮の望む答えが、俺には判るような気がした。
「俺があの子の保護者になる」
「正気か……?」
冥琳の言は当然だろう。そんなことすれば、俺の立場は今まで通りではいられない。
暗殺者を匿うなど、普通あり得ない状況で、何らかの関与があったのでは、と疑われる可能性もある。
「勿論、ずっとじゃない。世間があの子の起こしたことを忘れてくれるまでだ。その後は以前から提案してあった孤児施設に預ける」
学校は即却下されたが、戦災、天災、病気、事故など様々な理由で身寄りを無くした子どもに食事と寝床を用意するだけの孤児施設は先日提案した。
「だが、あれはまだ企画段階で――――そもそも、まだ許可したわけでは……」
呉の財源はそこそこ豊富ではあるが、勿論無限ではない。
予算の関係上、どうしてもスムーズにはいかないらしい。
「勿論、詳しい企画案もすぐに出そう」
これはチャンスでもある。
これを機に、まだ企画段階の孤児施設を一気に軌道に乗せる。
「これでいいよな、雪蓮?」
冥琳には訊かない。恐らく、保留という答えが帰ってくるから。
ここは即断即決の雪蓮に答えを望む。
「判った。その件に関しては、一刀に一任するわ」
「雪蓮!」
思った通り、雪蓮は俺の意見を容れた。
だが、冥琳にとって雪蓮の解答は「はい、そーですか」といった感じに了承するわけにもいかない。
「私たちの負けよ、冥琳」
「………」
「一刀は答えを出して、それを貫くと言ってるのよ? 私たちが口出しできることは、もうないわ」
「しかし――――」
「冥琳」
「………」
これは珍しい。冥琳が雪蓮に叱られてるよ。
「ま、冥琳の気持ちも判らないでもないわ。一刀ってば、自分の答えと一緒の皿に、政治を乗っけてきたんだもん」
「くすっ………」
大成功。
俺の答えに関連することは、今なら何でも通る。そして、狙い通りになった。
笑いが漏れるのも無理ない。
「私と冥琳が一刀に出し抜かれるなんてねぇ……」
言葉とは裏腹に、雪蓮の表情は明るい。
俺の成長を喜んでくれてるのだろう。
「雪蓮はともかく、私を出し抜いたのは見事だ、北郷」
「ちょっと冥琳、私はともかくって、なによー!?」
「言葉通りだが?」
「なにをーーー!!」
ムキー、と言い出さんばかりの判り易い反応だ。
「ははは……」
ついつい笑ってしまう。
いつも通りの二人。いつも通りの光景。
これ程までに面白く感じるのはなぜだろうか?
答えは単純だ。
普段と変わらない日常が、信じられないくらい楽しいんだ。
だから、俺は変わらない。
みんなは変わらなくてはならないから、俺だけは変わらない。
楽しい日常の中、雪蓮や冥琳――――みんなと、ずっと……。
あとがき
ども、冬木の猫好きです。
いやはや、まだまだ終わりの見えない無印恋姫の小説ほったらかして真・恋姫のSSを書いてしまいました。
そして、私の筆がのってしまったのが悲劇。思いの他長ったらしくなってしまいました。
一応、恋姫の書き方を意識してやってみましたが……やっぱり難しい。
本編は呉のお話でしたが、雪蓮ってあんな風に照れたりするのかな? ま、やっちまったものはどうしようもないので、これも一つの外史だと思って見逃してください。
それではこの辺で、失礼します。
呉ルートでのちょっとしたお話。
美姫 「ちょっとした日常の一こまね」
いや、もう照れる雪蓮がとっても良いな。
美姫 「とは言え、それだけで無事にすまなかったみたいだけれど」
それにしても、一刀も成長しているな〜。
美姫 「変わらない部分もあるみたいだけれどね」
うんうん。そういうのもよく分かって、とっても楽しめました。
美姫 「投稿ありがとうございます」