真夏の太陽は人を狂わせる。

開放的な水着は身体だけでなく、心さえも解き放つ。

万物の母たる海はそれらを全て包み込み、一時の淡い夢を叶えてくれる。

だから、普段からお馬鹿な男がさらに馬鹿になっても、普段はツンツンとした強気なあの娘が急にしおらしくなっても、何の不思議も無い…… ハズだ。

 

 

 

夏だぁあああ、海だぁあああ、バッカンスだぁあああああああああああああああ!」

 

ジャングルに帰ってきたターザンのごとく。 青春真っ只中の馬鹿が一匹、輝く白浜の上を駆け出した。

連日の暑さにとうとう頭の中身が蕩けだしたのか、それとも大して役に立っていないにもかかわらず、仕事から解放されて童心に返っているのか…… 残念ながら北郷一刀の場合は、どちらの可能性も捨てがたい。

そんなどうしようもない馬鹿な男でも、潮風は優しく迎え入れてくれる。 さざなみは穏やかな音色を奏で、水平線の彼方では空と海が混ざり合った一面のライトブルーに彩られていた。

真夏の景観に大はしゃぎする一刀は走りながら服を脱ぎ去ると、あっという間に水着姿になった。 それも『煩悩退散』と書かれたまた微妙な海パンだ。 ここに来るまでの間、ずっとこの瞬間を楽しみにしていた彼は、待ちきれずに下着の代わりにこの水着を着込んでいたのだ。

 

「…… あの、おバカ。 何子供みたいなことやってるのよ」

 

熱気を忘れるような涼しい声が響く。

一刀に遅れることやってきたのは美女、というにはまだ早い一人の美少女だった。

絹糸のような長髪は二つに纏められ、そこから丹念に巻き上げられた縦のロールは、照りつける太陽の光を跳ね返して輝いている。 整った顔立ちにはあどけなさを残しつつも、ふっくらとしたローズピンクの唇は男の情欲を掻き立てる魅惑的なパーツ。

他にも筋の通った小さな鼻、知性を感じさせる細長い眉、そして空と海よりも美しい瞳には、見るものの心を引き付ける神秘的な力を宿している。 しかし、残念なことにその瞳は今、目の前の馬鹿馬鹿しい光景を映さないように閉じられ、凛々しい睫毛も悩ましげに揺れていた。

 

「腕を前から上に上げて、のびのびと背伸びの運動から〜。 イッチ、ニ、サン、シッ――」

 

一刀は変なところで律儀である。 入水前の準備体操もさることながら、ラジオ体操の曲をアカペラで口ずさむその姿に、少女の口からため息が漏れ出していた。

 

「はぁ〜、帰ろうかしら、もう……」

 

あらゆる難敵を打ち破ってきた聡明な頭脳を抱えて、白皙の美少女は気落ちしてつぶやいている。

透明感に満ち溢れた雪色の肌は、北欧系の血筋が紛れ込んでいるのではないかと疑ってしまいそうなほど白く美しい。 だが、これでも少女は間違いなくアジア人であり、三国志の英雄・曹孟徳その人である。

とはいえ、乱世の肝雄と恐れられている彼女も、今はその覇業を少しお休みして、ただの可憐な女子としてこの避暑地へやってきていた。

 

「まったく、春蘭も秋蘭も皆も、変な気を回さなくてもいいのに……」

 

本来ならば春蘭・秋蘭の両名が少女の傍にいるはずなのだが、その姿はここに無い。 彼女達は連日連夜にわたる主の働き過ぎを心配し、半ば強引に一刀と休暇をとらせたのである。 そのため、今は都の方で普段の倍以上の仕事に追われ、悪戦苦闘しているに違いない。

つまり、今この場所には一刀と曹操―― 真名・華琳―― の二人しかいない。 無論警羅の者たちもいるが、彼らは二人の邪魔をしないようにひっそりとこの海岸一帯を護っている。

そこにはさらにこの戦争が激化し、今回のような休暇が取れることも当分なくなるであろうという気遣いと、一刀との仲を取り持とうとする、主想いの家臣たちの配慮がなされていた。

 

「おーい、華琳! 早く来いよ!」

「恥ずかしいから、大声なんか出さないで。 言われなくてもすぐに行くわ」

 

興奮状態のペットを躾けるように、華琳は目くじらを立てて睨む。 しかし、だらけきった一刀の笑顔は空気を脱力させ、そのために飼い主は本気で叱ることが出来ないようだ。

本日、三度目のため息が漏れる。 

気を取り直しつつ、麗わしの華琳嬢は真っ白な浜辺を優雅に歩く。 慰めるように潮風がまた、彼女を迎え入れる。 華琳は海からの風に上着を預けると、甘酸っぱい肢体を燦爛とする太陽の下に晒した。

 

「お、お、おおおお……」

 

滑らかな雪肌の大部分を隠していたものが無くなり、愛しき人の水着姿を見て、思わずゴクリと生唾を飲む一刀。

それはただの水着ではなく、いわゆるスクール水着と呼ばれる逸品だ。

戦国の英雄とは思えぬほどほっそりとした小柄な体躯に、海よりも深い紺色の布地がぴっちりと張り付いて、黄金色の陽光を一身に吸い込んでは高純度な宝石にも似た艶やかさを放つ。 背面は少し大胆なU字型に開かれていて、そこからは若さ溢れる瑞々しい肌が顔を覗かせている。

なだらかな丸みのある胸を包み込む布地は、未成熟な蕾によってささやかに押し上げられ、そこには『かりん』という一刀直筆の名札まで付けられていた。

 

「す、すげぇ……」

 

 思わず、感嘆の言葉が漏れた。

キュッと引き締まった小さな桃尻はまた魅惑的で、華琳が歩を進めるたびにフルフルと揺れ動く。 恐らくは慣れない水着姿のためにそうなっているのだろうが、傍から見ると煽情的に誘っているようにしか見えない。

夏の暑さに滲み出した一刀の汗は、彼女が近づくに連れて全て引っ込んでいった。

 

「……」

 

いよいよ波打ち際にスラリと伸びた美脚が入り込む。 健康的でありながらもむっちりとした太腿は、空と海からの光を受けて乳白色に輝いている。  一刀の目はそこに釘付け。

せわしく動いていた彼の口も、スクール水着の妖精を目の前にしては「ア」の形をしたまま固まり、まるで熱病に犯されたかのように血中が茹で上がった。

 

「ちょっと、何黙ってるのよ」

 

不埒な視線に気づいたのか、恥ずかしそうに手を後ろに回し、柔らかな太腿をモジモジと擦り合わせる華琳。 白皙の美貌を朱に染めて、チラチラと上目遣いで一刀の顔色を伺っている。 そのいじらしい姿は、まるで生まれたての子猫のようだった。

普段とのギャップが大きくて、破壊力は当社比3.7倍。 今度こそ一刀のあまりない脳みそが、耳から蕩け出しそうになった。

 

「あ、ああ、うん。 そ、それってさ、俺が渡したヤツだよな? 嬉しいよ、着てくれて」

「か、勘違いしないでよね、別に貴方のために着たんじゃないんだから」

「おおっ、ナイスツンデレ!」

 

ここぞとばかりにサムズアップ。 一刀は白い歯を零して笑った。

 

「……」

「ああ、すまんすまん、ほんの冗談だよ。 だから、そんなアリジゴクに落ちたアリを見るような目はやめてくれよ、怖いから」

 

本能的に不味いと察知したのか、一刀は慌ててごまかす。 悪戯が過ぎてしまうのが彼の短所だ。

均整の取れた美貌も一度怒らせてしまえば、これほど恐いものはない。

この白い浜辺に満面の笑顔を咲かせるために、一刀は少し照れ臭さを抑えこみながら、華琳に優しく囁いた。 

 

「うん、とてもよく似合っているよ、華琳」

 

 全くもって捻りのない普通の褒め言葉だったが、華琳の反応は実に顕著であった。

 

「ふんっ! 最初から言えばいいのよ、全く素直じゃないんだから」

「…… ぷっ」

 

澄ました声で上品な鼻先をツンと天に向け、華琳はすぐさま顔を隠した。 

華琳に言われたくないという言葉を飲み込みつつ、意地っ張りな彼女らしい態度に可笑しくなって、一刀は一気に吹き出した。

 

「何をヘラヘラ笑っているのよ?」

「へへへっ、いや、なんでもない」

「ったく、気持ち悪いわねぇ……」

 

怪訝そうに眦を吊り上げる華琳だが、格好がスクール水着のせいかイマイチ迫力に欠ける。 それにこれは怒っている、というよりは単に拗ねていると言う方が近かった。

 

「それで華琳、着心地の方はどうなんだ」

 

親切心を装いつつも、今度の一刀はボタンのように尖った隆起物から目が離せない。 

これも悲しいまでに正直な男の性か。

いやらしさに鼻の下は2倍にも、3倍にもアフリカゾウ並に伸びていた。

 

「悪くは無いわ。 最初はどうなることかと思ったけど、肌の露出も少ないし、なかなかいいじゃない」

 

普段とは全く違う自分の体を確認する華琳は楽しげに後ろを向くと、ぱっくりとU字に開かれた白い背中が露になる。 美肌にはしっとりとした玉の汗が滲み出しており、日の光を閉じ込めてキラキラと輝いていた。

 

「そ、そりゃあ、良かった。 俺も苦労した甲斐があったよ」 

 

ホっと胸を撫で下ろし、安堵する一刀。

苦労したというのは本当の話だ。

 

「本当に、本当に苦労した甲斐が……」

「一刀?」

 

そもそもこの時代にスクール水着など存在するわけが無い。 今華琳が来ているものは、オーダーメイドの店に頼み込んで作ってもらったものである。

デザインは細部に渡って一刀が設計し、生地もより現物に近いものを一刀自らが選りすぐったものだ。 さらに肝心のサイズは命がけで春蘭から聞き出すなど、並々ならぬ苦労と努力、そして何よりも熱い男の欲望が実り、ようやく日本のスクール水着を復元したのである。

その後、どうやって華琳にスクール水着を着せるかどうかで大いに悩んだが、まさに棚から牡丹餅の大フィーバー。 今こうして彼女が自分の水着を着てくれたことに、一刀は飛び上がらんばかりの感激が走っていた。

 

「ちょっと、何泣いてるのよ?」

「いや、潮風が目に染みてな……」

 

 不意に、春蘭から逃げ出したとき、つまずき転んで出来たふくらはぎの青痣が痛み出す。 任務遂行中に受けた傷は勲章だ。 馬鹿は誇らしげに傷痕をさすった。

「だけど、ちょっとキツイかもしれないわね。 肌触りも何だか不思議な感じだし……」

もどかしさを覚えた華琳は、お尻や太腿に食い込んだスクール水着を直そうと、布地の間に白魚のような指をすべり込ませる。

なかなか上手くいかないようで、ムズムズと下半身がくすぐったそうにうねっている。

見えそうで見えない布地の奥は、無限に想像力を掻き立てる魅惑の秘境。 熟れた果実のようなお尻が甘い衝撃となって、一刀の脳髄を刺激する。 色っぽくて、艶かしくて、官能的な誘惑が波紋となって足の先まで広がり、カァッと鼻の頭が赤くなった。

 

「な、慣れればたいしたことないさ」

「そうかしら? あと、ここに書いてあるものは一体何?」

 

可愛らしい双乳を自己主張させて胸を張ると、『かりん』と書かれた名札が引き伸ばされる。

お世辞にも達筆とはいえない一刀の文字ではあったが、スクール水着の品性を落とすことは無い。 むしろ華琳と水着、どちらの魅力も究極的に際立たせ、太陽さえも霞んで見えた。

 

「それは華琳の名前がかいてあるんだよ」

「わたしの? それじゃあこれは、天の国…… 貴方がいた国の文字なの?」

「んっ、ああ、そうだけど」

「そう…… ふ、ふふっ」

 

キツイ目尻と秀麗な眉毛が優しく垂れ下がる。

ひょっとしたら軽々しく真名を書いたことに怒るのではないかと一刀は思ったが、何故か華琳は平仮名で書かれたその名前を、愛しそうに見つめている。

厳しく結ばれた薄紅色の唇も緩んで、華琳は小さな笑みを零していた。 それは曹魏の兵士たちにはとても見せられない、慈しみと思いやりに満ちた笑顔。 乱世の肝雄としての面影はどこにも無い。

どうして突然、高慢な華琳が純情可憐な乙女のようになってしまったのかはわからないが、一刀が華琳のために作ったスクール水着は、とても気に入ってもらえたようだ。

もっとも、今ここで「気に入った?」と一刀が声をかけたとしても、彼女の口から返ってくるのは「別に……」とか、「気に入るわけ無いじゃない!」という意地っ張りな言葉であろう。

真っ赤になって否定するその姿を見るのも楽しいが、ここは一刀も黙って希少な恋人の微笑みを堪能し、瞬く間に一分が過ぎた。

 

「…… よかった」

「え?」

「よかった。 改めていうが、よく似合っている。 その水着を華琳に着てもらえて、その姿を見ることができて、俺は本当に幸せだよ」

 

水飴のように甘い含みを持たせて、一刀は華琳に囁きかける。

 

「そう? こんな地味なの、貴方の趣味では無さそうに思えるのだけど?」

 

華琳は大きな瞳を瞬かせ、しなやかになびくタンポポの花のように首を傾ける。

可憐な仕草に一瞬惚けていたが、一刀にはどうしても聞き逃すことの出来ない言葉があった。

 

「地味なんかじゃない!」

「っ!?」

 

ドキッと、男らしい一喝にまるで華琳のハートが弾んだように見えた。

 

「地味なんかじゃないよ、華琳」

 

 急に険しい顔をした一刀。 いじらしい華琳を正面から見据え、細い肩をしっかりと掴んだ。 そこから夏の日差しよりも熱い体温が、直に伝わって来る。 

 

「とても…… とても、綺麗だ。 太陽よりも、海よりもずっとずっと、まるで渚の女神様みたいだ。 俺は、本当に幸せだよ」

 

いつもならばただのキザなセリフとして流れていってしまうこの言葉も、海と太陽の魔力がそうさせたのか、それとも緊張した一刀の真摯な眼差しが信憑性を上げているのか、華琳の顔には恥らうような戸惑いが浮かんでいた。

 

「か、一刀? ど、どうしたのよ、急に?」

 

力強い男の手。

何時にも増して、真剣な表情。

凛とした瞳は逸れることなく、華美な少女を捕らえて離さない。

偉大なる魏の太守の言葉を否定するのは、それなりの勇気と覚悟が必要であるが、今の一刀には十二分にそれらを備えていた。

 

「きょ、今日はその……なんというか、 随分と強引じゃない?」

 

華琳の力ならば、容易に一刀の手を払うことが出来る。

しかし、このときに限って彼女は抵抗しない。 まるで心の底では、強引に引っ張られることを望んでいたかのように大人しかった。

 

「男にはな、絶対に譲れないものがあるんだ……」

「か、かずと……」

 

その言葉が引き金となった。

雪肌は鮮やかな桜色に染まっていき、一刀を慕う少女は眠るようにゆっくりと瞼を下ろす。 緊張しているのか、その柔らかな唇が微かに震えている。 そして可愛らしい顎先を上げて、華琳は恋人からの甘い蜜を待ちわびていた。

 

一刀……」

「華琳……」

 

潮の香りは引いていき、ほのかに甘い桃色の空気が二人の間で駆け巡る。

海風さえも仲睦まじい恋人たちの邪魔をしないように、ピタリと流れが止まる。 心地よいさざなみの音がロマンチックな世界を生み出し、浜辺の親子ガニだけが二人を見つめていた。

 ところが、一刀が彼女に与えたのは――

 

「スクール水着は…… スクール水着はなぁ、俺たちの夢、俺たちの浪漫なんだ!」

 

―― 直後、浜辺にザッパーンという豪快な音が流れ、海からの波が二人の脚を綺麗さっぱり洗い流した。

 

「は、はぁ?」

 

華琳は寝ぼけているかのように、間の抜けた声を上げた。

瞼を開いた彼女の眼前にあるのは、首を絞め上げたいほどの爽やかな一刀の笑顔。 それから切り落としてやりたいほど見事なサムズアップ。 聡明な華琳ならば、これだけで一刀と自分の考えに大きな勘違いがあったことを知るだろう。

 

「確かにビギニに比べてその露出度は低くなるし、色使いも派手ではない。 だが、ぴったりと張り付く布地は女性のラインを浮き彫りにし、スベスベとした肌触りは生々しくてイイ! スゴクイイ!」

「な、な、な……」

 

曹孟徳、人生最大最低の屈辱。

表面上は涼しげな笑顔を保っているが、烈火の激情は肩の辺りで渦を巻いている。 高熱を帯びた頬は細かく痙攣し、額に浮かんだ大きな青筋は今にもはち切れそうだった。

 

「ビバ、スク水! クール水着こそ、水着界に舞い降りた愛すべき紺色の天使! イッツァ、ファンタスティック!

日本未来の恥部・北郷一刀。

風向きが180度変わったことに気づいた様子も無く、オシャベリオウムのように口早く、さらに暑苦しく日本の伝統的文化を華琳に強弁していた。

 

「もちろん白スクなども魅力的ではあるが、やはり紺色こそスクール水着の究極至高の王道! 原点にして終着点!」

「い、言いたいことはそれだけかしら……?」

「いいや、まだだ!」

「あっ、そう」

 

この場の空気がガクっと下がる。

空と海は赤く、砂浜は黒く、太陽は青くなって、バカンスは恐怖の極寒地へと変貌する。

そして華琳の手が、透き通るような腕が、高く振り上げられた。

 

「胸に名札を刻み込めば、それはもうこの世にたった一つしかない自分だけの絢爛豪華なスクール水着となるのだ! 天はスクール水着の上に水着を作らず、スクール水着の下に水着をつくら―― イッテェエエエエエエエエエ!」

 

肌を打つ乾いた音が、澄みきった青空に向かって高らかに響き渡った。

 

「い、いきなり、何をするんだよ華琳」

「ふんっ、 馬鹿は死ななきゃ治らないって言うけれど、貴方は、百回死んでも治りそうはないわね」

 

鈍感すぎる一刀には、自分がどうしてビンタされたのかわかっていない。 

恋する乙女の純情を踏みにじった罪は、何時如何なる時と場所においても重く、その代償として一刀の頬には、真っ赤な紅葉が痛々しく咲いている。

だが、華琳が受けた傷に比べれば随分と安いものに違いない。 今も表面上は細い腰に手を当てふんぞり返って怒っているが、それは単なる虚勢に過ぎない。 

 

「どういう意味だよ、それ?」

「自分の胸に手を当てよく考えなさい!」

 

 赤面した華琳が激しく叱責すると、一刀は素直に自分の胸に手を当てた。

 

「バカ! 春蘭みたいなことしてるんじゃないわよ!」

「なにいっ!?」

 

春蘭と比べられてショックを大きくする一刀。 膝をから崩れ落ち、地面に両手につけて呆然としている。

ちなみに何時だったか春蘭に対して、華琳が名前だけを変えて同じことを言ったところ、全く今の一刀と同じ反応を示していたことを、一刀自身も目撃していた。

 

「まったくもう、散々人をその気にさせておいて……」

「えっ?」

「何でもないわよ、このバカ!」

 

本当の被害者である華琳は怒声を上げると、不意に萎れた花のように表情を沈ませる。 そして本来は胸一杯に広がるはずだったであろう幸福を、大きな溜息にして漏らす。

他国からは乱世の肝雄として恐れられる彼女が、弱々しい声で「どうしてこんな男を、私は、私は……」とつぶやいている。 憐れ曹孟徳。 愚鈍なる男・一刀の振る舞いに、繊細な乙女心が著しく傷ついたようだ。

当然鈍感な一刀にはそれに気づいた様子は無く、ゆったりとしたさざなみの音と緩やかに流れる風だけが、もどかしさに苦しむ華琳を慰めていた。

 

 

 

綺麗な花には棘がある。

真っ赤なバラがよく似合う猟奇的な美少女もこれに同じ。

すっかりヘソを曲げてしまった華琳は煌々と輝く縦ロールの髪をなびかせて、一刀に背を向けた。

 

「それじゃあ、私はもう行くから」

「えっ? ちょっと行くってどこへ?」

 

素っ頓狂な顔をして飛び起きた一刀は、大急ぎで華琳の後を追う。

「向こうにある木陰よ。 私はそこで休んでいるから、貴方は一人で遊んでいるといいわ」

未だに胸の中で怒りはくすぶり続けているのか、情け無用と一刀は華琳に無視される。

彼女の白くて艶かしい素足が砂の粒を踏みしめると、耳あたりの良い旋律を刻んで遠ざかっていく。 その清々しい足取りには既に覇王としての風格が漂っており、雪肌を隠す地味なスクール水着でさえ神聖な衣装のように見える。

うなじに張り付いた髪の毛が妙に気になり、肉つきの良いふくよかな太腿はまさに眼福だ。 

大胆に開かれたU字の背中には左右の肩甲骨が浮き上がり、華琳が歩を進めるたびに天使が羽ばたいているかのように揺れ動く。 同じようにして、息を呑むほどの曲線美を描いたお尻もまた挑発的にフルフルと揺れて、一刀の魂魄を激しく揺さぶっていた。

 

「…… どこ、さわってるの?」

「はっ! しまった、つい!」

 

気がつけば一刀の両手は華琳の胸、ちょうど『かりん』の名札の上に置かれていた。 

彼は霊長類ヒト科の雄としては正直すぎたのだ。

もっと一緒にいたいという考えと、刺激的なスクール水着の誘惑と混ざり合って、欲張りな魏の種馬は見事に文字通り正面からその二つを両立させている。

卑猥なその手でフニフニとスクール水着の感触を味わいながら、さらに力を込める。 掴むというよりは揉みほぐす。 『かりん』の僅かなふくらみが、「あんっ」という甘い嬌声と共に柔らかくその形を変えた。

 

「バカ!」

「ぐぇっ!?」

 

セクシャル・ハラスメントというよりはもはや痴漢。

膝蹴りが綺麗にみぞおちに決まり、一刀はカエルが踏みつぶされたような呻き声を残してうずくまる。 全身からダラダラと滝のように脂汗が流れ、苦しみもがいて息を荒げていた。

 

「ま゛、ま゛っでぐれよ、華琳。 せっかく来たんだから、い、一緒に遊ぼうぜぇい……」

 

白昼の下、諦めきれない一刀は墓場から生き返ってきたゾンビのような青白い顔をして、泣きつくように華琳の二の腕を掴む。 すでに両膝は砂浜についており、今にも土下座でもしそうな勢いであった。

 

「イ・ヤ・よ。 貴方一人で遊べばいいじゃない。 だいたい、こんな日差しが強いところにいたら、すぐにお肌が焼けちゃうわ」

 

たった最初の三文字で、一刀の提案を一蹴。 勇ましい華琳は振り返らず、腕を掴まれたまま一刀の体を引きずっていく。

その華奢な肉体のどこにそんな力が秘められているのかはわからないが、誰よりも美を愛する乱世の肝雄は、自らの美肌を守るために撤退を始めた。

 

「華琳、少しだけでもいいから俺と泳ごう。 ほら、運動不足の解消とでも思えばいいだろ?」

「不足しているのは一刀の方でしょ」

「うぐっ!?」

 

三国一のもやしっ子・一刀、好きな女の子よりも軟弱のため自滅。

 

「じゃ、じゃあ釣りとかはどうだ?」

「それもイヤ。 釣り餌なんてヌルヌルして気持ち悪いし、触りたくも無いわ」

「な、なら、小舟でも借りて沖へ出てみないか?」

「はぁ…… この先の潮流は結構早いのよ、遭難なんかしたらどう責任取るつもり?」

 

華琳の足を止めるべく、不肖の一刀はなおも食い下がる。 かし、逆に叱責されていぶしげに眉を顰めた。

 

「えーっと、砂遊びでも……」

「却下よ、却下。 子供じゃあるまいし」

 

人並み強い性欲を持っている一刀ではあるが、口達者なナンパ師という訳ではない。 どちらかといえば気の利いた言葉など苦手な方だ。

それでも何とか気を惹こうと頑張っているが、華琳はもう目も合わそうとしない。 なかなか上手くいかないことにやきもきして、段々と一刀も苛立ってきた。

 

「く、くっそぅ、一体何様だよ?」

「決まってるじゃない、王様よ」

「そ、そうだった……」

 

海老で鯛を釣ることは出来ても、天翔る竜まで釣ることは出来ない。

とうとう一刀は華琳から離れ、寂しそうな足取りで一人だけ海へと戻っていく。

しかし諦めたわけではない。

退却は一時的なもの。

馬鹿には馬鹿の、種馬には種馬の、一刀には一刀なりの作戦があった。

 

「……なによ、もうちょっと粘りなさいよね。 誰のためにこんな水着を着てあげたと思っているのよ……」

 

騒がしい男がいなくなって急に寂しさを覚えたのか、薄紅色の唇を尖らせ、華琳はさざなみの音に紛れて愚痴を零していた。 猫の耳と尻尾が生えていれば、きっとどちらも力なく垂れていることに間違いない。

そのため彼女は、いつの間にか一刀のことで頭がいっぱいになっていたのであろう。

背後から近寄る人影―― すなわち一刀のことだが、普段ならば簡単に気づくはずなのに、このとき彼女は全く気づいていなかった。

 

「か〜りん!」

「きゃあぁっ!?」

猫のように飛び跳ねると、華琳は女々しい声を上げて真っ白な背を弓なりに反らす。 消沈して半分まで下ろされていた瞼も全開し、ビリビリと美体を震わせる。

ちょっとした悪戯心で冷たい海水をかけただけなのだが、あまりの驚きように一刀自身も戸惑っていた。

 

「か〜ず〜と〜」

「あ、あれ? 華琳? いや、華琳さん? もしかしてもしかして、もしかしなくとも、怒ってらっしゃりますでござりましょうか?」

 

三国広しといえども、魏の曹孟徳をここまでコケにすることのできる人物は、後にも先にも恐らく本郷一刀、唯一人であろう。

めげない、懲りない、反省しないの三拍子をそろえた男に華琳は、

 

「うぉ!? 一体どこからその鎌を!?」

「うふふふふふふふふっ、女には秘密が多いのよ」

「答えになってねぇ!」

 

スクール水着に死神鎌。 それも素敵な笑顔だ。 何ともシュールすぎる光景。

一刀のこめかみから流れた冷や汗が、頬を伝って露となり、玉となって顎から下に零れ落ち、首筋に突きつけた鎌の刃先に当たって弾けた。

 

「さぁ、選びなさい。 縦から真っ二つにされるか、横から真っ二つにされるか?」

「どっちも死んじゃうって! そうなったら華琳も仕事に困るだろ」

 

その言葉に従ったのか、華琳はしばし黙り込む。

 

「……」

 

一刀自身も、華琳に合わせて自分のいない世界を考えてみた

 

「……」

「……」

 

結論が出るまでの時間は、それほど必要ではなかった。

 

「…… やっぱり、死ぬ?」

「うわぁ、墓穴をほっちまったぁ!」

 

華琳よりも一刀は、一歩早かった。

自分自身の無力さを思い知った彼は、頭を抱えて砂浜を蹴って逃げ出した。

 

「待ちなさい! 一刀!」

 

華琳の目は本気だった。

陽炎のような殺気が全身から立ち昇り、鎌を大きく振りかぶって一刀を追う。

そして二人は真夏の海辺で、カタチだけは仲睦まじい恋人同士のように、軽快な足音を弾ませながら恐怖の鬼ごっこを始めた。

 

「こらぁ、逃げるな!」

「は、はははっ、こっちだぞ、華琳。 捕まえてみろよ!」

「言ったわね! いいわ、すぐに殺してあげるから!」

「いや、ごめん。 本当に来ないで! ちょっと言ってみたかっただけなんだよ〜」

「曹孟徳、推して参る」

「推すなぁああああ! 参るなぁあああああああ! 華琳さぁあああああああああああん!」

 

魏武にとっては戦力外の一刀も逃げ足だけは早い。 というよりも、命欲しさに恥も外聞も関係なく走っている。 そんな見っとも無い姿が可笑しいのか、華琳もクスリと笑っていた。 本当はもう怒ってはいなかったのであろう。 年相応の表情が眩しい。

そのあどけない笑顔が見たくて、一刀は何度も振り返る。 その度に鎌の刃が前髪をかっさらい、夏だというのに真冬並みの寒さを感じた。

 

「うっひゃあああぁぁぁぁっっっっっっっ!?」

「ちっ、外した!」

 

それでも一刀はまた振り返る。 重い大壷を持って綱渡りをするかのように、スリルと興奮の板ばさみにあいながらも、どうしても華琳の顔が見たくて…… また前髪が短くなった。

逃げる獲物を狩る楽しみに心をくすぐられたのか、いつの間にか氷のような華琳の瞳は妖しく輝いて、サディステッィクな笑みが浮かんでいる。 普段は上品なペルシャネコが、目の前を横切った美味しそうな鼠を見つけて、その本性を現したかのような豹変振りだ。

後に一刀は遠い目をして語っている。 「あれは、華琳の姿をした死神だった」と。

ともかく砂浜には二人分の足跡が仲良く並び、押し寄せる波を砕き、白い飛沫を上げながら、群青の海へ飛び込んだ。

 

「いやっほぅ!」

「ひゃぅっ!? 冷たっ!」

 

素足に伝わる砂の感触も、水中ではまるで異なっていて、海は新鮮な驚きに満ちている。

勢いよく飛び込んだ一刀は気持ち良さそうに身を震わして、新たな飛沫を巻き上げる。

そして華琳は、ひやりとした海の波に撫でられて小さく首をすくめている。

雪国で育ったかのような白い肌は真夏の背景と絶妙なコントラストを生み出し、アクセントをつけるような紺色のスクール水着とその胸に書かれた『かりん』という文字が、絵画や彫刻には出来ない渚の芸術を描いていた。

 

「はははっ! そぉら!」

「あっ、またやったわね! 一刀のクセに!」

殺伐とした追いかけっこは、両手で水をすくって投げ合う、無邪気な水の掛け合いっこに転じる。 これもまた、真夏の魔力がそうさせているのだろうか。

 

「うっひゃあ! キッモチイイ!」

「それそれそれ!」

「よーし、負けるか! でぇええええい!」

 

一刀は海中で手を扇いで波を起こすと、狙い済ましたかのように華琳の首筋を濡らした。

 

「うわっ、ちょっと何それ!? そんなの反則よ」

「ほほ〜う、曹孟徳ともあろうものがそんなことをいうか?」

「上等よ。 覚悟なさい一刀。 ここからが本番よ!」

 

一刀だけではなく、安い挑発に釣られて華琳も子供のようにはしゃいでいる。 遊ぶことに本気になった彼女は、透き通るような美しい手で海水を扇ぐ。

すると男である一刀の何倍もある、実に英雄らしい白波が起きて、轟音を響かせながら海を抜ける。 といっても、殺傷能力はまるで無い――

 

「うっわぁ! 海が割れたっ!?」

 

―― ハズである。

 

「くっ、この程度か。 まだまだ私も未熟ね」

 

凄まじい切れ味を持った水刃は沖へと伸び、辺りの海面は大きく揺れる。

だが、その波が残した遺産はそれだけではない。 一刀と華琳は不意に手を止めて、夢を見ているかのような目で空を眺めていた。

 

「あっ……」

「おおおっ」 

 

二人の視線の先には大小いくつもの飛沫が舞っている。 ギラギラとした太陽が昇る青空の中で七色に輝いている。 まるで宝石箱をひっくり返したようだ。 真珠、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、アメジスト、エメラルド…… 足りない宝石は何もない。 世界一の大金持ちとて、これほど多くの宝石は持っていないだろう。

しかし、一刀は知っている。 この中に華琳が欲しいものはどこにもない。 彼女が欲しているのは宝石でもお金でもない。 そんなものは、まさしく水の玉と同じ。 何の価値もない。

空中に散りばめられた飛沫は、華琳と一刀の様々な表情を映している。 怒り、悲しみ、喜びと、表情を変えていないはずなのに、自分ではないような顔がそこにある。 色々な顔をしたたくさんの小さな華琳に見つめられて、たくさんの小さな一刀が華琳を見つめている。

時間の感覚は曖昧で、夏の思い出を切り取ったかのような、万華鏡の中に入り込んだような、不思議な空間だった。

この瞬間が、永遠になればいいのにと一刀は願った。

一刀は手を伸ばそうとした。 宝石という水玉よりも、宝石のようなこの水玉を、一刀は手に入れたかったのかもしれない。

その直後、飛沫はどしゃぶりの雨となって降り注いだ。

 

「うわぁああああ。 イテテテテ」

「きゃああっ、冷たい!」

 

飛沫は、一刀の手の上で弾けて消えた。

儚い願いもまた泡となって、さざなみにさらわれた。

潮を含んだ風が少し、濡れた体に寒かった。

 

「ぷっ、く、くくっ――」

「あはっ――」

 

頭からビショビショに濡れる二人。

一刀はともかく、華琳は水も滴るいい女だ。

白い肌は硝子細工のように、自慢のロール髪は金糸を織り込んだように、水気をたっぷりと含んだスクール水着はぴたっと華琳の体に張り付いて、未成熟なボディラインをくっきりと強調させる。潤いに満ちた肢体は、愛らしい胸から引き締まったお尻までの曲線美を描く。 眩いくらいの艶やかな姿が、煌々とする海の中で一際大きく輝いていた。

 

「うふふふふふふっ、バッカみたい!」

「ほんとっ、ほんとっ、あっはははははははははははは!」

 

何が楽しくて、何が可笑しいのかわからないまま、気がつけばどちらとも無く、声を上げて笑っていた。

まるで限りある永遠の夢を見ているかのように……

世界は今、確かに一刀と華琳たちのものであった。

確証はないが確信はある。 誰にも文句を言わせない自信が、一刀にはあった。

果てしない海も、届くことの無い空も、数え切れない砂の一粒一粒までが二人だけのもの。

世界がそれを認めるかのように、二人の頭上には虹の橋が架けられた。

一刀はまた、手を伸ばす。




スク水を力説する一刀。
美姫 「アンタもやりそうね」
やるか!
美姫 「メイド服なら?」
やる!
美姫 「一緒じゃない」
違う、違うぞ!
美姫 「はいはい、そんなのは良いのよ」
ひ、酷い。と、冗談はさておき、いや、充分にバカップルっぽいんですが。
美姫 「一刀と華琳のやり取りも良いわよね」
うん。この二人らしいというか。テンポもあってすいすいと読み終えてしまった。
美姫 「ホークスさん、投稿ありがとうございました」
ございます。後編も楽しみにしてます。



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