『選ばれし黒衣の救世主』
そこはやはりどこかの部屋。
それなりに調度品が整えられているが、生活臭がない。そんな部屋。
「あの娘を行かせたのかい?」
女……不破夏織は突如としてそこに現れ、そう聞いた。
唐突な登場であったにも関わらず、元よりその部屋にいたイムニティは驚きもせず、軽く視線を彼女へと向ける。
イムニティはその部屋にあるテーブルの前に座り、紅茶を飲んでいたのだが、問いに答えるためにその年代物であろうティーカップを置いた。
「ええ。あの娘、精神が未熟だから、あまり抑圧させるととんでもない時に暴発しそうなんだもの」
「まあガキだからね」
「あなたも十分ガキよ。精神というよりも行動が。ま、精神が未熟とか暴発とか、あの娘やあなただけに限った話じゃないけど」
イムニティの皮肉を混ぜた言葉に、夏織は笑ってみせる。
「あたしは我慢するってのが嫌いなんだよ」
その返答に、イムニティはだからガキなのよ、とため息を吐く。
だが、それにも夏織は動じない。ただ笑っているだけだ。
「あの娘が誰を狙ってるのかあたしは知らないけど、気に入らないね」
夏織は本当に気に入らないのか、笑みを消し、軽く鼻を鳴らして口元を歪める。
それにイムニティは以外とばかり目を丸くした。
「へえ、あなたは自分が楽しければ他人なんてどうでもいいと思ってるって私は考えてたけど。あの娘のどこが気に入らないのかしら?」
「復讐に酔ってる所が」
最初の言葉は一切否定せず、夏織は気に入らないと思っていることだけを言う。つまりイムニティの言うことは肯定しているのだろう。
「死者は何も求めない、何も考えない、何も欲しないものさ。求めていたとしても、考えていたとしても、欲していたとしても、普通の人間『には』それらはわからず、死の直前そいつが何を考えていたかもわかるわけがない」
『には』、という所だけ夏織は声に強く力を込めた。それはまるで死者の言葉を理解する者はいると言いたげに。
「復讐ってのは、他にすることがないときか、自分の自己満足のためにするもんなんだよ。誰かのためにするもんじゃない。あくまで自分のためにするもんだ。それを死んだ大切な人のためだとか、そいつが求めているだとか言って、わかりもしない死者の考えをでっち上げて自分の復讐の動機にして、それを表に出すのはそれに酔っているだけだよ。あたしから言わせれば一種のナルシストだね。それとも不幸自慢でもして同情してもらいたいのかね?」
そこで一度言葉を切り、肩をすくめてさらに辛辣に言い続ける。
「どっちにしろそんなもの死んだやつの『ため』とかじゃなくて、死んだやつの『せい』にして自分の行動を正当化してるだけさ。本当は単純にそいつが生きてるのを許せないってだけだろ? 復讐を否定しやしないし、大いにやれって感じだけど、それに一々理由をつけんなってこと。まあこれはあの娘に限った話じゃないけど」
だけどあの娘は復讐に酔ってる典型だと続け、夏織はシニカルに笑う。
「復讐復讐って言葉にするやつ、それをわざわざ態度に臭わせるやつは、大抵復讐って言葉に酔ってるだけさ。そういうのは虫酸が走る。殺るなら殺るで、妙なことほざいて愉悦出す前に殺れっての。たまに正直に気にいらないから死ねっつー単刀直入なやつもいるけど」
それはまるで復讐者を何人も見てきて、色々なタイプがあると知っているとでも言うような言葉と態度。
だがイムニティはもう興味が失っているのか、ふーんと気のない返事をした。
「ま、いいか。あたしには関係のないことさね。あの娘が行ったのか気になっただけだし」
夏織はイムニティの態度は気にせずに、肩をすくめ彼女に背を向けた。そしてそのまま歩き出す。現れた時とは違って、ちゃんとわかるように出ていくとわかる。
イムニティはやはり気にせず再び紅茶を飲みはじめた。
そのとき夏織が顔だけ振り返る。
だがその顔はイムニティにではなく、誰もいない場所に向いていた。
「あんたも何をしたいんだかわからないんだけど、いるなら次はちゃんと出てきなよ」
そんな言葉を残して、夏織はその部屋から出ていった。
残されたイムニティは、夏織の最後の言葉を聞いて笑みを顔に張り付けた。そして再びティーカップをテーブルの上に置く。
「ロベリア、ばれてたみたいよ?」
イムニティが楽しそうに笑いながら言うと、先ほど夏織が視線を向けた場所から、いきなり人が現れた。
それは女性。銀髪の長い髪が特徴的だが、何より目立つのは顔に巻かれた布だろう。その布は女性の両目を完全に覆い隠していた。
彼女はロベリア。破滅の副幹。
そのロベリアはどこか苛立たしげに鼻を鳴らす。
その態度にイムニティはさらに笑った。
だが、
「不破夏織、ね」
すぐにイムニティは、夏織が出ていった方向を見ながらも呟いた。
「どうかしたのかい?」
そんな彼女に、ロベリアは不思議そうな声音で問う。
「不破、という名字が気になるのよ」
「名字?」
確かにこの世界では珍しい名字ではある。
だがイムニティにとっては、それ以上に訝しい名字だった。
「前々回……二千年前の救世主戦争のとき、赤側にいたのよ。不破と名乗る人間がね」
イムニティの脳裏に、顔のない二人の男の姿が再生される。
一人は不破と名乗っていた。もう一人の名字は不明だが、やはり同じ剣技を扱っていた。もっとも、剣技に関しては当時のイムニティの主も一緒だが。
「同姓か……」
ロベリアも、少しだけ驚きながら呟いた。
先ほども言ったとおり、その手の名前はこの世界では珍しい。
「ええ。まあ、関係ないわね。彼女まであの男たちほど化け物じみてはいないでしょうし」
「化け物?」
ロベリアの眉を顰めての言葉に、イムニティは頷く。
「召喚器を持たないただの人間が、当時の私の主を相手に対等に戦っていたのよ。そいつは赤側でも最強だったみたいだし。これを化け物と呼ばずになんて呼ぶの? 千年前の救世主候補たちも、今回の救世主候補たちと比べれば雲泥の差で強かったけど、その千年前の救世主候補たちよりもさらに質が高かった時代よ。この時代の救世主候補たちとは比べものにならない者たちよりもさらに強かったってこと。ちなみにその男が不破よ」
ロベリアは、書の精と契約したマスターの力をよく知っている。だからこそ、先ほど以上に驚いた表情を浮かべた。
それを眺めながらも、イムニティは当時を思い出す。
あの二人の男。
どちらも同程度の技量持っていた剣士。特に不破は脅威であった。
おそらく当時のイムニティの主も、あの魔法が無ければ簡単に負けていただろう。実際に彼女は剣に関して言えば、同じ流派の者たちと比べればそれほど強い方ではなかったという話だった。
そういえば、あの高町恭也という男も似た戦い方だった。神速を使っていたのだから、同じ流派なのだろうが、戦い方まで似ている上に、同程度……もしくは僅かに下という化け物じみた戦闘力というのもおかしなものだ。
当時の主と拮抗していた不破という男は、あの高町恭也よりも一回りほど歳が上であったため、その分不破の方が確実に上だっただろう。だが高町恭也が同じ年代に至っていて、今以上の経験を手に入れていていたらどうなったかを考えれば薄ら寒くなる。
そこまで考えて、イムニティは首を振る。
「まあ、二千年も昔のことだし、関係ないわね。その男の一人は、子供がいるみたいなことを聞いたことがあるし、その子孫か何かかもしれないわ」
「あの女を召喚しようとした時に、それを不思議に思わなかったのかい?」
「その時は彼女、名しか言わなかったもの。名字が複数あるとか言ってたしね」
夏織をアヴァターに召喚したのは確かにイムニティだ。
だが、
「それにあの召喚が成功していたなんて」
彼女の召喚は、イムニティは失敗していたと思っていたのだ。
「まさか九百年近くも後に現れるなんて思うわけないじゃない」
イムニティはそう言って鼻を鳴らした。
自分の思惑から離れているのが気に入らないのだ。
「それは確かにね」
イムニティの言うことを認め、ロベリアは軽く肩をすくめた。
主幹が連れてきたという不破夏織を確認した時の驚きを、イムニティは今でも覚えている。
確かに彼女を召喚したが、その召喚を行ったのは九百年近くも前なのだ。いずれ再び来る救世主戦争。だが当時イムニティは、オルタラ……リコや千年前の救世主候補たちによって封印されていた。
自分の主としてではなく、その封印を解くための協力者を捜していた。だから召喚器のあるなしは関係なかったのだ。
「あとは一応、封印されている状態でも召喚ができるか試したかったのよね」
「だけど失敗した」
「そう」
何十年かの時をかけて魔力を溜め続けての召喚だったのだが、結界に阻まれて失敗に終わった。夏織はその世界から消えたが、アヴァターに引き寄せることはできなかったのである。
たかが何十年の時では魔力が足らないということを学んだ。イムニティにはそれだけだった。彼女のおかげで色々と未来への対策を講じることができた。それには感謝していた。
だが彼女は確かに召喚されたのだ、遙か未来に。
「たぶん不完全な召喚のせいで、時間流にもろに巻き込まれたんでしょう。まあ、生きているだけでも奇跡だけど」
時間流。それは世界の境界を越える際に受けるものではあるが、イムニティやリコ……書の精霊ならば、それもある程度影響を受けないようにすることができる。だがそれができなかったのだろう。
ロベリアは、イムニティの言葉を聞いて頷く。
そしてそれからロベリアは、少しだけ考えるような仕種を取ったあと、再び口を開いた。
「これは興味で聞くのだけど、二千年前の白の主は何という名だったんだい?」
それを聞かれ、イムニティは眉を寄せる。
あの当時のことは、あまり思い出したくないことだった。
もっとも、なぜかあの時代の記憶は本当に曖昧なのだが。
「琴絵……御神琴絵よ」
それでもイムニティは、その名を二千年ぶりに紡いだ。
第四十一章 なのはの戦い
「召喚器……」
なのはは目の前の少女……エリカが両手に持つダガーと盾を見つめて呆然と呟いた。
それは召喚器。
つまり彼女は……
「ええ、私はあなたと同じ救世主候補よ。まあ救世主なんてものに興味はないけど」
「なんで……召喚器を二つも」
「あなたは何も考えなくてはいいわ。ただ……ここで死ねばいいだけ。もちろん、絶望したあとにね。その声が少しでも私たちを満たしてくれるから」
エリカは笑ってそう言ったあと、駆けだした。
「っ!?」
なのははすぐさま魔法陣を描く。
だが間に合わない。それだけエリカは速かった。それなりに離れていた間合いを一気に詰めてきたのだ。
エリカは右手に持ったダガーにそのスピードを乗せて突く。
なのはは魔法陣を描くのを止め、白琴を下から振り上げる。しかし、そのとき弾こうとしたダガーの刃はもうそこにはなかった。
エリカはなのはの目の前で急停止することで高速の突きを止め、ダガーを器用に逆手に持ち替えて、刃を縦から横にすることで、下からきた白琴をかわしたのだ。
そしてエリカはそのまま身体を回転させ、遠心力で速度をつけ、回転することで得物を隠しながら、そのダガーの切っ先をなのはの首へと向かわせる。
なのははそれを頭を下げることで何とかかわし、そのまま地を蹴って後方へと下がりながら、
「ブレイズノン!」
左手を突き出して、そこから火球を出現させた。
魔法陣が間に合わないとわかった瞬間から、呪文を唱えていたのだ。
火球が飛び出した反動で、さらになのはは後方へと下がり、火球はエリカへと一直線に向かっていく。
そして……爆裂。
なのは自身の魔力と魔法陣に乗せるはずだった白琴の魔力が込められたそれは、大きく火炎を噴き出し、爆発し、辺りを紅に染め上げた。
その紅が少しずつ消えていく。
そして、
「その程度?」
そこにエリカは何事もなかったかのように立っていた。
爆風で舞ってしまった髪を整えて、笑っていた。
「そんな……」
直撃だったはずだ。実際にエリカは魔法を受けた場所に立っている。つまりあの爆発をまともに受けたはずなのに。
だが、まるで外傷などなく立っていた。
エリカは髪を整え終えると、再びダガーを順手に持ち替える。
そしてそれをなのはから数メートル離れたこの遠すぎる間合いで、
「インフィニティ……喰らいなさい!」
真横に払う。
その瞬間……ダガーの刀身が一気に伸びた。
「なっ!?」
二十センチほどしかなかった刀身が、約十メートルの長さとなった。その刃は距離をとっていたはずのなのはへと、辺りの風化しかけた廃城の柱を切り倒しながら迫る。
「くっ!」
なのはは右からきたその刃を見据えながら、白琴の柄を強く掴み、さらに左手を刀身の腹に添えて受け止める。
だが……押し負けた。
受け止めた瞬間、そのまま力で弾き飛ばされそうになったのだ。柱諸共でなければ切られていたかもしれない。
なのはは地面から足を離し、わざとそのまま弾き飛ばされる。そして何とか足を地面に擦り付けながら弾かれた勢いを殺ぎ、不格好ながらも止まり、体勢を整える。
顔には驚きの表情を浮かべながらも、内心では召喚器があると運動音痴の自分でもこんなことできるんだな、などという場違いなことをなのはは思い浮かべていた。
それからなのはは、元の長さに戻ったインフィニティと呼ばれれていたダガーに視線を向けた。
それにエリカはまるで質問を受けたかのように口を開いた。
「おもしろいでしょ? これ、刃が伸縮自在なの。まあ、この長さが普通の状態なんだけどね。重さも多少変わるけど、どんなに長くなろうと私が振れないほどの重さになることはない。どのくらいまで伸ばせるのかは試してないけど、私の魔力次第っぽいわね」
それを聞きながらも、なのはは白琴を構え直す。
「何て滅茶苦茶」
「それをあなたに言われたくないわ。剣のくせに近接武器じゃないそうだし、私と同じ世界の出身のくせして魔法まで使うなんて。そっちの方が滅茶苦茶よ」
それはそうかも、となのは自身ちょっと納得してしまった。
「ま、その剣で何ができるかはわからないけど、振れないと意味ないみたいね?」
エリカは、白琴に視線に向けて言う。
なのははそれには答えないものの、その通りだった。
白琴の魔力を込める大きさにもよるが、魔法陣を描くために複数回振らないといけない。最小で二回。最大では今の所六回。
元々白琴が軽いことと、召喚器で肉体が強化されているため、多く振るっても腕にはあまり負担はないものの、実は時間がかかる作業だ。
もちろん数節にも及ぶ呪文の詠唱を必要とする普通の魔法と比べれば格段に早い。
だが、近接戦闘をしかけてくる敵には向かない武器だ。なぜなら振らなければ攻撃ができない。
相手の攻撃を白琴で防いでいると、いつまでたっても攻撃ができないのだ。その上に白琴には刃がなく、ただの鈍器でしかないのと、なのは自身が剣の基礎すらも扱えないので、近接戦闘はほぼ不可能である。
それがなのは自身、魔法を習得した理由の一つでもあるのだから。あくまで一つだが。
恭也相手に試験として戦ったときまともに戦えたのは、恭也が観察に力を入れていたせいだ。手加減というわけではないが、なのはの攻撃の仕方などを把握しようとしていたことが大きい。単純に敵として相対したなら、恭也はまずそこまでしない。そうなったなら、なのはは簡単に負けていたかもしれない。
なのはも何度かそれらしい近接戦を行ったこともあったが、あれはほとんど強化された身体能力で無茶苦茶に白琴を振るっていたにすぎないし、そのあと恭也にお小言を言われたりした。
近接戦闘を主体とした敵に接近された場合の、剣での対処方はある程度恭也に教わっているが、あくまで対処法だ。決して接近してはいけないと言われ、これはあくまで接近された場合、間合いを取るための方法で、決して剣の使い方ではないとも言われていた。
先ほどの相手の力を使って離れるというのもその一つ。
(どうしよう……)
なのはは決して自分から接近してはいけない。
だからこそ、恭也は剣の基礎さえもなのはに教えないのだ。
接近戦を覚えてしまえば、なのはは確実に弱体化……というよりも無駄が多くなる。もちろんそのレベルが一流にでもなればそんなことはないが、基礎程度では確実だ。素人の付け焼き刃は、危険になったときに無駄な行動をとらせてしまう理由になるのがオチだと恭也は結論づけたのだ。
そうでなくとも、なのはは疑似魔法以外にも普通の魔法も使うのだ。自ら接近などすべきではなく、接近戦も可能だという自信と、付け焼き刃な接近戦という選択肢は増やしてはいけない。
リリィのように呪文を唱えながら近接戦を行うというのは酷く難しい。これは彼女が接近戦での間の取り方や、呼吸の仕方などを長い間努力して学んだからこそできるようになったことで、なのはが一朝一夕でできるようなことではないのだ。
そして、
(白琴……完全に近接武器じゃないっておにーちゃん言ってたもんね)
白琴は刃がなく鈍器にしかならないと言ったが、実は鈍器にすらならない。
なぜなら軽い。
本来小太刀の重さは約四百gから七百gぐらい……長さや重心などで体感としてはもっと重く感じるが……なのだが、その特性故か白琴はその三分の一以下しかないのだ。
強度などから考えれば普通はあり得ないのだが、このへんはエリカのインフィニティが伸縮自在で重さは多少変わる程度というのと同じように、召喚器だから可能なのかもしれない。
この重さで刃がない。
頭などに当てられれば多少はダメージを与えられるかもしれない。だがなのは自身が身長も体重もまだ子供であり、女性であるためそれほどない。その他の場所ではほとんど衝撃が通らないのだ。
これで接近戦は致命的だ。
つまりなのはは、彼女自身の今の特性と武器の特性によって、完全に後方からの戦い方しかできない歪な存在なのだ。
そして、目の前の敵はその歪な存在であるなのはにとって天敵とも言える人物だった。
瞬間的なスピード自体、恭也と同等か、もしくはそれ以上。
これだけならばまだ問題ない。なぜなら召喚器で強化されたなのはのスピードもかなりのものであり、俊敏性で言えばカエデに次ぐ。少なくとも魔法陣を描く暇はいくらでも作れる。これも恭也を相手にできた理由の一つだ。
問題は、あの伸びる短剣だ。
スピード以上に間合いを一瞬にして無にする。
これでは魔法陣を描く暇がない。
そしてもう一つ。どうやったのかわからないが、直撃だったにも関わらずなのはの魔法を完全に防ぎきったのだ。
正統な魔法も通用しない。
攻撃手段の全てが封じられた。
『だが、何かあったらすぐに助けを呼べ。空に向かって疑似魔法を放てば、すぐに俺が向かう』
それが先ほど別れる際に恭也から言われた言葉。
疑似魔法でなくとも、魔法を上に放つぐらいの隙なら作ることはできる。
きっとそれだけで、恭也は助けに来てくれる。自身が敵と戦っていようが、それでもすぐに駆けつけてくれる。
もしこれが自分の手に負えないような魔物や、敵が自分の手に負えないほどの数であったなら、なのはは躊躇せずに恭也を呼ぼうとしただろう。兄を頼っただろう。
だが、
(ごめん、おにーちゃん)
恭也を呼ぶつもりはなのはにはなかった。
なぜなら、
『最終的には殺すつもりよ』
彼女の真の目的は恭也だ。
恭也が彼女の目的だと確かにわかる。
恭也はきっと彼女にだって負けない。その冷静さで、その強大な剣技をもって、この世界に来てなのはが初めて知った兄の強さをもってして、彼女に勝つだろう。
そうなのはは思う。
だがそれでも、
(私が止める……)
理由など知らないし、知りたくもないが、恭也を敵と認識する者を、殺そうとする者を彼の前に立たせるわけにはいかない。
それはなのはの戦いの動機から許すわけにはいかない。
なのははそう決めた瞬間動く。
描く魔法陣は最小の二線。
五芒の最初の二線。
それを描いた瞬間、その周囲が勝手に円で囲まれ、さらに必要な形が勝手に浮かび上がり、補完され、そしてそれが輝き、いつもよりも小さな炎が飛び出る。
それはそのままエリカへと向かっていく。
だが、
「え……」
思わずなのはは目を見開く。
エリカはただ笑って……それを受けた。
火炎がいっきに燃え上がり、それは彼女を覆い尽くす。
あれはなのはにとってただの牽制だった。最小の魔力しか込められていないため威力はそれほどないが、たったの二回の行動で放てるために使った。
先ほどは四線を描こうとして止められたため、少なくした。だが、それでも牽制のつもりだった。それをかわしている間、防いでいる間に、と思っていたのだ。
だがエリカはそれを真正面から、ただ立ったまま受けた。
いくら最小の魔力しか込められていなくとも、直撃すれば危険なのはわかっていたはずだ。
ならば……
「前言撤回。振れても意味がないみたいね」
そんな声が燃え上がる炎の先から聞こえてきた。
そしてその炎が消え、そこには先ほどと同じく無傷で立つエリカがいた。
「どうして……」
まったくダメージがない。
元々ダメージを与えるための攻撃ではなかったが、それでも直撃であったはずだ。
先ほどのは、もしかしたらあの召喚器と思われる盾で防いだのかもしれないと思ったが、今回は盾がついた腕は動かしていなかった。炎が両手を下げたままのエリカの胸元に吸い込まれていくのをなのはは確かに見た。あそこから腕を上げて盾で防ぐのは無理だ。
いや、そもそも先ほどの魔法も、今の疑似魔法もエリカを包み込むような攻撃だった。それは彼女の身体の全範囲を覆ったはずだ。腕の半分も覆えていないあの小柄な盾では、それを防ぐ手だてはない。それなのに身体のどこにも火傷一つないなんていうのはおかしい。
「私は最強の矛と盾を持つ。そう言ったはずよ」
エリカは薄笑いを浮かべながらも、だが淡々と感情の乗らない声で、なのはの無言の疑問に答えた。
それはつまり、やはり彼女は……なのはの天敵ということであった。
◇◇◇
「……おかしい」
恭也は先ほどと同じように目の前で息絶えたモンスターたちを見ながら、警戒するように目を細めて呟く。
この目の前の……恭也が殺したモンスターたちは、待ち伏せをしていたのだ。
もっとも不破である恭也に奇襲や待ち伏せなど無意味だ。それは逆に不破である恭也の専売特許である。モンスター程度の奇襲や待ち伏せに気づけなければ、彼は当の昔に死んでいたし、先祖に顔向けできない。
それらで恭也の上をいく存在などそうはいない。
今回はモンスターたちが待ち伏せしている所を逆に奇襲し、奇襲しようとするモンスターたちを逆に待ち伏せて、全て斬り倒した。
だが、今はそんなことよりも……
「なぜモンスターたちが待ち伏せや奇襲など……」
そこまで呟いたところで、恭也は振り返り、手首から取り出した飛針を二本後方へと投げつける。
それは背後にあった廃城の柱の影から現れた、二足歩行する猪の頭部と首へと的確に突き刺さった。
そして次の瞬間、そのすでに死したモンスターが燃え上がる。
「……なんか必要なかったみたいね」
すると呆れたような言葉が、燃え上がるモンスターの背後から聞こえ、その声の主が姿を現す。
現れたのは赤い髪を靡かせ、赤い外套を羽織った少女……リリィだ。
恭也を背後から奇襲しようとしていたモンスターを、リリィは逆に背後から片づけようとしたようだが、その前に恭也の方が片づけてしまった所に追い打ちをかけてしまったという状況だ。
「これも死者にむち打つってことになるのかしら?」
「さあ、どうだろうな」
リリィの言葉に恭也は苦笑し、彼女の傍に寄った。
「やっぱり待ち伏せされてたの?」
「ああ。逆に奇襲したがな」
恭也の言葉にリリィはどこか呆れた表情を見せる。
「それを注意しに来たのに、あまり意味なかったわね」
「そちらもか?」
「ええ。カエデと大河は未亜たちの方に行ったわ」
それに恭也は頷いて返し、来た方向とは反対側の空を見上げた。
その恭也に、リリィは辺りを見渡しながら聞く。
「なのはは?」
「途中で別れた」
「え?」
「途中で別れ道があっただろう? そこで二手に別れた」
「って大丈夫なの?」
リリィに聞かれても、恭也はそのなのはがいるであろう方向の空を見上げたままだ。
なのはは決して無茶はしない。
恭也は常々無茶は決してするなと言い聞かせている。そしてそれを彼女も理解していた。今回は仲間が共に来ているのだ。無茶をする必要など特にない。
だから、危なくなれば絶対に合図を送るだろう。
だが、心配であることには変わりない。もし合図を送れるような状況でなければ……。
『おにーちゃん、もう少しなのはを信頼してください』
それは先ほどなのはが言った言葉だ。自分の一人称を『なのは』にした以上、半ば冗談に近く、だが真剣に言った言葉だったはずだ。
「……しているさ」
これ以上ないほど、恭也はなのはを信頼していた。
おそらくこの世界に来なければ、なのはは永遠に恭也にとって守らなければいけない妹だった。そういう意味で信頼することはなかっただろう。
しかし、
『違う。御神の剣は……ううん、それも違う。
おにーちゃんの剣は……守るためにあるものなんだ! だからこんなの、おにーちゃんの剣じゃない!』
それは先の任務で、恭也が操られた際になのはが叫んだ言葉。
それを恭也は覚えていた。操られていたとしても、それでもその言葉を聞いていた。そして、なのはがその操られていた自分の剣を受け止めたことも、恭也は覚えていた。
なのはは恭也が知らないうちに、気付かないうちに強くなっていたのだ。
その心を含めて。
その成長が、その強さが、なのはに必要であったのか、無用のものであったのかは、恭也にもわからない。
ただ、この世界に来る前までならば、きっと手に入れてほしいとは思わなかった強さ。
そんな強さを家族が、大切な人たちが持たなくてもいいように、恭也は剣を握っていたのだから。
だが今は……
「俺は一度戻る。ここからなら未亜たちの所に戻った方が早いからな」
恭也は小太刀を鞘に戻し、歩き出した。
リリィはそれに驚き、その背を慌てて追いかける。
「ちょっ、なのははどうするのよ?」
「あいつは大丈夫だ。決して無謀なことはしないさ」
「でも、いきなり奇襲されたり、待ち伏せされてたり、強いのが出たりしたら」
「それでも大丈夫だ」
心配なことには変わりはない。
だが、
「俺は……なのはを信頼している。あいつはそう簡単には負けん」
恭也は微かに笑い、リリィにそう言った。
◇◇◇
彼女はなのはの天敵。
だが……それがどうした。
彼女は人間だ。召喚器を持っていようが、どこまでもなのはと同じ人間なのだ。攻撃が効かないのは何かそういう能力があるというだけだ。
ならば、それを探ればいい。
なのははこれまでにない速さで……高速で魔法陣を描く。
だが、まだそれを発動させない。
「諦めが悪いみたいね」
「たぶんそのへんはおにーちゃんに似たんだろうね」
諦める理由などない。
攻撃が効かない。ただそれだけだ。
兄ならばこの程度の状況で迷ったりなどしないと、なのはは断言できた。
「そう、それは楽しみね……本当に。足掻けば足掻くほど滑稽に見えるもの。そして心の底から諦めさせて、あの娘が……私たちが感じた以上の絶望と恐怖を感じさせられる。私たちが感じた以上のものをあいつに与えられる。その第一歩にあなたが必要なんだから」
エリカは心底嬉しそうに言うが、その言葉のほとんどをなのはは無視していた。というよりも聞いてさえいなかった。
(私の切り札は二つ……でも、まだどちらも切れない)
相手の謎を突き止めなければ、それすら無効化されかねないのだから。
そもそも切り札の一つ……疑似魔法の同時発動は仕掛けるのに時間がかかる。もう一つは使えば確実に戦闘不能になるという代物だ。それで確実に相手を倒せるという確証がなければ使えない。
それらを考えてなのはは内心で苦笑した。
相性が良いか、本当に相手が格下でない限り、一対一では戦えない。本当に自分は徹底した援護役だと。
もっともそれを情けないとは思わない。それは自分にしかできないことであり、それこそ兄のためになることでもあり、兄のためになるという何より嬉しいことで、求めていたこと。むしろ誇りに思う。
なぜならなのは自身がそう望んだのだから。
なのはは、別に恭也の横で戦いたい訳ではない。恭也と同じ土俵に立ちたい訳ではない。恭也と同じ戦う者になりたい訳ではない。恭也と同じ守る者になりたい訳ではない。
なのはは恭也を誰よりも尊敬していたが、同じ所に至りたい等とは思っていなかったし、同じ力を手に入れたいとも思っていない。そんなこと無理だと理解していた。
(私はそこまで欲張りじゃない……)
なぜなら、なのはは恭也を見続けて今まで生きてきた。
恭也が強くなるためにどれだけ努力を重ねてきて、そのために色々なものを犠牲にしてきたことを知っていた。
だからこそ、それらに関して何の努力もしていなかった自分が同じ場所に立てるわけがないと理解していた。求めることすら兄が今までしてきたことを汚してしまうような気がした。
今でこそなのはは召喚器を手にして戦っている。戦う覚悟もあるし、兄の役に立ちたいと心から思う。だがなのははあまり自分の力を認めていなかった。
まるで戦う力のなかった自分が、何の努力もなしに強さを手に入れたのを快く思っていなかった。
言ってしまえば才能という言葉が嫌だったのかもしれない。
恭也に剣の才能があったのかはなのはにはわからない。だが恭也は少なくとも、それに胡座をかいていないというのは理解していた。才能以上の努力を重ねていたのを知っている。
だからそんな簡単な言葉で、そんなありふれた言葉で、兄の血の滲むような努力を否定するのが嫌だったのかもしれない。それを体言するような今の自分が嫌だったのかもしれない。
最初は恭也の役にたてると思い、嬉しかったが、今ではそんなものだ。
兄に勝てる気などなのはにはしないが、それでもたぶん単純な戦闘能力に関しては、昔に比べれば幾分かは……ほんの少しでも近づいてしまっただろう。
召喚器を手に入れたから、たかが魔力が高かったから。つまり才能だけだ。そんなもので……その程度のものだけで、努力もなしに近づいてしまった自分が許せないと気付いてしまった。
だから戦うと決めてからなのはは努力をし続けてきた。
それでも……いや、だからこそなのはは戦いの場で自分は兄の横に立てる存在ではないとさらにわかってしまった。この程度の努力ではそんなことを言う資格はないと。
少なくとも今の自分がそれを求めるのは欲張りでしかなく、恭也の努力の前には、自分の努力など霞むものでしかないとわかっていた。
(だから私は捨てた……おにーちゃんみたいに戦うことを。おにーちゃんみたいに大切な人『たち』を守るために戦うことを)
憧れは確かにあった。
兄と共に強くなろうとする姉を見ていて、あんなふうに自分もなりたいと思ったこともあった。
二人のように誰かを守る存在になりたいと。あの二人に並びたいと。
だがあの時、恭也の覚悟を聞いて、そんなものは吹き飛んだ。
そしてこの世界に来て、恭也の努力と覚悟の結果の集大成を間近で見て、感じて、そんなものは砕けた。
だから捨てた。
そんな憧れは捨てた。
今ではそれとて侮辱していたような気さえする。
だから、
(私が戦いで……誰のためでもない、おにーちゃんのためだけにできることは一つしかない)
だから徹底した援護役になった。特性などというのとは関係なしに、正面から戦うということを半ば自ら捨てた。
真正面で戦うのではなく、ただその真正面で戦う者を戦いやすくする存在になることに決めて、目指した。
あの疑似魔法の同時解放すら、その副産物でしかない。援護するための小技に、魔法陣を隠すという手法を考え、そこからできあがったものでしかなかった。
実際の所は救世主候補たちの援護役ではない。なのははあくまで恭也ただ一人のための援護役。
だからこそ自分には、そして救世主候補たちには関係ない補助魔法まで習得した。
なのはの援護の仕方は、その基準の全て恭也だ。
あくまで恭也が戦いやすいように、恭也が誰かを守りやすいようにするためでしかない。
同じ力を持てなくてもいい。横に立てなくてもいい。共に戦えなくてもいい。同じものを背負えなくてもいい。同じ場所を見れなくてもいい。
ただ遠い背中を見つめ、彼の後ろから、彼が戦いやすい場を作れれば、彼がその剣を遺憾なく発揮できる状況を作れればそれでいい。
なのはが戦う理由は何のため、誰のためと問われれば、どこまでも恭也ただ一人のためでしかないのだ。
それ自体、恭也が戦う理由と違う。だからこそ恭也と同じ場所には立てない。
だが、今ある自分の認めたくない才能という戦う力の全てが恭也のためであるからこそ……
(この人をおにーちゃんの前には立たせない)
それとて恭也への援護の一つ。
どこまでも愛おしい兄のために。
「第二ラウンド開始……かしら?」
「最終ラウンド……だよ」
エリカの微笑に、なのはも微笑で返し……疑似魔法を発動させた。
あとがき
あ、あれぇ、今回でゼロの遺跡関係はほとんど終わらせるはずだったのに。
エリス「終わらせる所か、むしろまったく進んでないよ」
あー、なんかなのはが勝手に動きまくった。今回で勝負ついてるはずだったんだが。このごろ戦闘が一話で収まってくれない。無駄な心理描写をいれるからかもしれないけど。
エリス「その心理描写だけど、なんかまたなのはが凄いことに。まあ今までだって恭也に対してだけは凄かったけど」
このなのはは、恭也を見てきたからこそ、才能なんてもんだけで戦えるなんて思ってませんってだけだけどね。努力だけじゃなくて覚悟も見てるから。だから同じ場所に立ちたいとは思っていない、というか立てないってわかってる。ならそれを支えられればそれだけでいいという。
エリス「まあそのへんは置いておくとして、夏織やイムニティはともかくロベリアが冒頭でいきなり登場してるし」
あははは。まあそろそろね。
エリス「さらに何かサラリととんでもない名前が色々と出てるような気もするけど」
そ、そろそろ色々出していかなとね。
エリス「はいはい言い訳ばっかりしてないで、大河編をうまく進めるためにもとっととこっちも進めなさい」
はい。
エリス「では今回はこのへんで。皆さん、ありがとうましたー」
それではー。
本当に冒頭は驚きが。
美姫 「二千年前に何があったのかしらね」
うぅぅ、気になる〜。
冒頭も気になったけれど、今回はなのはの心情が。
美姫 「健気よね〜」
一途だな。他の誰のためでもなく、ただ恭也のために。
美姫 「良いわね。これからの展開が益々楽しみだわ」
目が離せない。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています!