『選ばれし黒衣の救世主』










闇の中に一閃の光。
闇を払うかのように、幾重にも増えていく黒銀と紅の光。
それは剣刃の乱舞。
そして、闇の中に同化した闇人。
闇の中で身体を巧みに動かす男。
それは機械的で、的確な動き。
武道、武術を極めた者の鍛錬の姿や、戦闘をする姿は舞を踊ってるように見えると言うが、彼の姿にはそんなものは感じさせない。
 この殺しの技にはそんなものはない。それは舞ではなく、全てを機械的に処理するのに合理的なものだけ。ただ、的確に相手の命を刈るだけの姿。
だがもし、昼の彼を知る者が見たならば、その彼を彼と認識できるだろうか……。
まるで無機質な動きと無慈悲に輝く剣刃。
生がなく、ただ死が顕現したかのような闇を冠する者。
周りの闇よりも尚深い闇を宿す姿と剣は、彼をよく知る者たちの人物像から完全に乖離していた。
彼は今、剣が届くだけの世界……狭いはずなのに、ひどく大きすぎる世界で、死の象徴と化していた。

「…………」

その動きがピタリと止まる。

「十六夜さん……」

剣を空中に停滞させたまま、その低い声で紡がれた名前。

「やはりばれていましたか」

彼に名を呼ばれた十六夜は、口元を式服の袖で隠しながら姿を現した。





第二十八章 優しき月





現れた十六夜は、いつもと同じくにこやかに笑っていたが、すぐに真剣な表情をとる。

「殺しの技……でしょうか?」
「……はい」

男……恭也は深く頷きながら小太刀を鞘に戻す。
今まで恭也がしていた鍛錬。それは御神不破流。つまり、本当の意味で相手を殺す事だけを考えた剣技。守ることなど考えず、ただ相手の息の根を止めるためだけに昇華され、研ぎ澄まされた本当の殺人剣。
さらに技だけでなく、恭也の意識も人を殺すことだけを考えていた。
本来の御神流とて殺人剣であることに変わりはないが、裏である不破流はその方向性がまた違う。
 御神は『守る』ということの延長上に人を殺す技があるのだが、不破はただ人を殺す事だけ。誰かを守るどころか、自分自身を守るということさえも考えられていない。さらに自分の意志さえも殺すのだ。

「破滅が動きだしているかもしれない。だから、いずれ必要になるかもしれません」

相手が魔物だけとは限らない。召喚陣爆破の件や白の主こともあるし、あの村でもモンスターの裏に何者かがいたはず。人と戦うことも十分にありえる。
 その場合、他の者たちは相手を殺せるのか……いや、殺させる訳にはいかない。ならばそれは、それができる自分の役目であろう。
それがいつまで通用するかはわからないが、少なくともなのはや未亜などには、人殺しの業を背負わせたくない。救世主候補たちの中でも、この二人の心はあまりにも優しすぎる。人を殺すことになってしまったらどうなるかわからない。
 無論、可能であれば、他の者たちにも殺すなどということは経験させたくなかった。
 
「……人は慣れてしまうんですよ」
「恭也様……」
「それがどんなことでも」

人は慣れる生き物だ。
 そう、いつか人を殺すことにすら慣れてしまう。
 それだけではなく、死、そのものに慣れてしまう。
 例えば、あの村で村長の死体を見たとき、何の反応もせず、ただ死体があるという認識しかできなかった自分のように。
そんなふうにもしたくない。
 自分のような覚悟も、慣れることも……どんな世界であれ、幸せに生きるためには、本来は必要なものではないはずだから。
 その代わりに、それを為すことができる、自分のような存在がいるのだから。

「そんなふうに、彼女たちにはなってほしくないんです」

 十六夜は何も言わない。
 だがなぜか、その顔を夜空へと向けた。
 見えない目に、月が映る。

「この世界にも、月はあるのですか?」
「え、ええ。今も俺たちの上にあります」

 なぜそんなことを聞くのかはわからないが、恭也は頷いた。
 すると十六夜は微笑み、辺りを見渡す。

「木の匂い、葉の匂い、吹き抜ける風、草花の匂い、天上にある月……そして……」

十六夜は言いながら、手で恭也の頬に触れた。
 その感触を確かめるように、何度もその顔を撫でる。
 
「十六夜さん?」
「まるで、恭也様と初めて出会った時のようです」
「あ……」

 そうだった。
 初めて彼女と出会ったときも、鍛錬をしていたのは森であり、月が輝いていた。
 そしてそのとき、恭也は迷いながらも真の人殺しの技を磨いていた。




 それはある程度月日を遡る。
 そのとき十六夜は、薫と共にさざなみ寮へと遊びに来ていた。
 十六夜は、久しぶりに御架月とも会えて嬉しかったのか、いつも以上に微笑みをみせていた。
 そんな日の夜、十六夜は久しぶりに訪れた海鳴の町を感じたいと、薫には内緒でさざなみ寮を抜け出ていたのだ。
 そして自身一人で行ける場所を見て回った……いや、十六夜の場合は感じて回ったと言う方が正しいのかもしれない。
一歩間違えれば、なかなか大変なことになるのだが、遅い時間であるため、人通りは皆無に近く、その心配はなかった。
 十六夜は過去には薫が、そして現在は那美が巫女として働いている神社に行ったあと、寮に戻るために、その近くの森へと入っていった。
 森に入り、しばらくした所で、十六夜は動きを止めた。

(これは……)

 十六夜は目が見えない。だが、その分他の感覚が鋭敏だった。
 音、空気の流れ、匂い……そういった、目が見えると軽視しがちな感覚。
 その感覚で気がついた。
 僅かな……本当に僅かな刃が振るわれる音と、それによって変わる空気の流れ。
十六夜は吸い寄せられるように、それが感じ取れる場所へと近づいていく。
やはりいた。
 おそらく……剣の鍛錬をしている者。
 それを間近で感じて、彼女は息を呑んだ。

(これは……薫では敵い)

 何者かはわからないが、それだけはわかる。
 わずかな空気しか動かさずに振るわれる剣。それだけで、かなりの技量があるというのがわかる。その技量はおそらく薫と同等だろう。
 でば、なぜ薫では勝てないのか。
 おそらく普通の勝負になれば、薫はこの剣士と五分の戦いができるはずだ。
 だが、この剣士の剣と薫の剣は違いすぎる。

(……殺す剣)

長きに渡り、神咲と共にあった十六夜。
 その長い時の中で、神咲以外にも色々な剣士を感じてきた。
 だからこそわかる。
 彼が使う剣はおそらく殺す剣。
そのためだけの剣。
本来、剣術というものはそういうものだが、それだけではないのだ。
 この流派は……それとも、この剣士なのかはわからないが、恐ろしい程、それに特化していた。
 殺す剣を振るっているのに、この剣士には殺気が全くない。
 普通、鍛錬しているときでさえ、本人の意思とは関係なく殺気というのは出てしまうものだ。だが、この剣士の剣には殺気がない。
 あるのは殺す意思……明確な殺意だけ。
 殺意だけを持ち、殺気を出さない。これがいかに難しいことか、そしてどれだけ危険か。
殺される者は、殺されたと気づかずにその生を終えることになるだろう。
 この剣士は日常的な動作で……そして機械のように何かを殺すことができるのだ。
 
(薫とは……神咲とは方向性が違いすぎる)

 神咲の剣は、魔を払う剣。
 魔と戦い、魔から人を守るために生み出された剣技。
 だからこそ、この剣士には勝てない。
この剣士が使う剣は殺すだけの技術、殺すだけの意思、殺すだけの剣。
 勝負ならばいい。だが殺し合いの戦いになれば、間違いなく薫は敗れる。
 だが、二つの違和感を覚えた。
 殺気はないが、何か別の……殺意以外の感情が剣に乗っているような。

(怒り……?)

 何となく、そう感じた。
 殺気もないし、感情の色も感じ取れない。だが、その奥底に怒りがあるように感じ取れた。
そしてもう一つの違和感。
 これは……

「誰だ……」

低い……本当に機械のような声を向けられた。
気づかれた。
 まさか、と思った。
 視界に入ったのならばわかるが、まさか隠れている自分という存在に気づくとは、と。
答えずに離れるべきだとも思ったが、なぜか十六夜はこの剣士と話してみたかった。
 十六夜は、身を隠していた木の影からゆっくりと姿を現し、やはりゆっくりと近づく。
 そこで初めて、剣士に感情が灯ったのがわかる。
 それは困惑。
 おそらくは、十六夜の存在がおかしいものであることに気づいたのだろう。

「鍛錬を盗み見てしまい、申し訳ありません」

 十六夜が深々と頭を下げる。
剣士が困惑しているのがわかったが、それについては何も言わない。

「私は十六夜と申します」
「十六夜……?」

先程まで、あれほどまで感情を消し、ただ死の権化と化していたとは思えないほど、その声は澄んでいた。
それだけで理解する。
 この剣士は、あの殺す剣を体得しながらも、その心は真っ直ぐであると。
 あの剣を間違ったことには使わないと
 
「十六夜……」

もう一度、剣士が自分の名を呼んだ。
 それは十六夜を呼んだというよりも、何かを確認するために、もう一度呟いたかのように聞こえた。

「どうかなされましたか?」
「いえ、聞いたことがある名前でしたので」
 
それに十六夜の方が首を傾げた。
十六夜、というのは人の名前としては珍しいだろう。それを聞いたことがある。
 さらに言えば、彼が鍛錬するこの場所は、那美が働く神社から近い。
 それを考えて、もしやと思い、口を開く。

「どなたからお聞きになられたのでしょうか?」
「そこの神社で巫女として働いている女性と、その姉の方に」

これは間違いないだろう。

「それは神咲那美と薫でしょうか?」
「はい」

確認のために聞いたのだが、やはりそうらしい。
二人が十六夜という名前をどういう意味で伝えたのかはわからない。もしかしたら霊剣十六夜として教えたということもありえる。
だが、どちらにしても……

「その十六夜というのは、私の事です」
「そう……なんですか?」
「はい」

 十六夜は笑いながら頷くと、剣士がどこか慌てたように頭を下げた。

「申し遅れました、俺は高町恭也といいます」

彼が高町恭也。
十六夜も、那美や薫から彼の名前を聞いたことがあった。
名前だけでなく色々と聞いている。
薫の話では、彼女と引き分けたらしい。それに関しては、先程の鍛錬を思い起こせば納得できる。おそらくは、殺しの技などは使わなかったのだろう。
殺しの技というのは、試合などで使うのは難しい。少し間違えれば、試合であったとしても、相手を殺してしまいかねない。そのへんのさじ加減もあるだろう。そしておそらくは意思の問題も。

「あなた様が、高町様で」
「那美さんたちから、でしょうか?」
「はい」

十六夜は笑いながらも頷いた。
 実際には彼女たちだけではなく、さざなみ寮の住人からもなのだが。
それからいくつかの会話をなしたあと、十六夜は笑みを消す。

「先程の剣……あれが高町様の流派でしょうか?」
「……正確には、その裏ですが」

 それに十六夜は頷いた。
表と裏に別れている流派は珍しいが、まったくないというわけではない。神咲とて、一灯流と一刀流に別れている。

「では……」

 ふと考える。那美に教わった高町恭也の弟子であり、妹の名は……

「美由希様もでしょうか?」
「いえ、あいつは表です。裏の技は一切教えていません。もっとも、それでも殺しの技に違いはありませんが」

 今は一人で裏の鍛錬を行っていた、と彼は続けた。
少しの間、沈黙が二人の間に流れる。
そこで十六夜は大切なことを忘れていたことに気がつく。

「高町様」
「はい」
「少し、お顔を触らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「そういえば……いえ、構いません」

 何かを言いかけた後に、恭也は頷く。
 おそらくは、十六夜の目が見えないことに気づいたのか、もしくは聞いたことを思い出したのかのどちらかだろう。
恭也の了解を得て、十六夜はゆっくりと優しく恭也の顔に触れた。
 両手でその顔を感じ取る。
 やはり那美や薫が言っていた通りだった。
 意思が強そうで、真っ直ぐで、それでいて何かを背負っているような……。
それらを感じとってから、十六夜は手を離した。

「那美たちが言っていた通りです」
「那美さんたちがどう仰っていたのかはわかりませんが」

恭也は少しだけ苦笑して返す。
そしてまた沈黙が降りる。
 だが、別段嫌な沈黙ではなかった。
それは優しい静かさというべきか。
彼はそういった空気を作れる人なのだ。
だからこそ、十六夜は気になった。

「高町様」
「はい」
「先程の剣……」

 どう言えばいいのかわからずに、十六夜はそこで言葉を切った。
先程の剣、殺す剣。
 殺気はなく、殺意しかなかったはずなのに、その奥に感じ取れたもう一つの感情。
 聞くべきことではないのかもしれないが、自らの意思さえも殺す剣の中にあった、ただ一つの感情。
 それが気になった。

「怒りが……あったような気がするのですが」

十六夜は、幾らかの間を置いてから続けた。

「…………」

それに恭也は押し黙る。
 だが、それは仕方のないこと。
 二人はまだ知り合ったばかりなのだ。話せることと話せないことが確かに存在した。
それは十六夜とて同じことであり、やはり恭也も同じ事で、十六夜が聞いたことは、その話せないことの範疇であるのかもしれない。
 いや、そもそも初見の人間に、自らの剣のことを僅かでも話したことさえ、ある意味秘密の一つを語ったようなものだ。

「怒り……ですか……」

しばらくの沈黙のあと、恭也は口を開いた。
 軽く笑っているが、それはどちらかという自嘲に近い。

「自分では気づかなかったのですが……」

 恭也は僅かにため息をついた。

「申し訳ありません。このようなことをお聞きしてしまい」

さすがに聞いてはならないことだったかと思い、十六夜は頭を下げた。
だが、恭也は首を振る。

「いえ、気づかせていただきましたから」

 恭也はどこか辛そうに呟く。

「たぶん、自分に向けてだったんでしょうね」

それがどういう意味なのか十六夜にはわからない。

「出会ったばかりのあなたに話すようなことではないのですが」
「無理にとは」

十六夜がそう言うと、恭也は再び首を振った。

「いえ逆です。できれば聞いていただけませんか? 俺の……自分自身に向ける怒りに気づいたあなたに聞いてもらいたい」

そう言われ、十六夜は頷いて返した。
 何となく、この話は聞かなくてはいけないような気がした。
そして恭也は、無表情に、感情の色がない声で、ぽつぽつと語り出した。
何かあれば助けると誓った少女がいたことを。
 その少女を救えなかったという話を。
それは先程出会ったばかりの者に話すには、些か重すぎる話と言えるだろう。だが十六夜は、それらを真剣に聞いていた。
すべてを話終わった恭也は、上空に顔を向けた。その視線の先には月が輝いている。十六夜には見えないが、それでもその優しい光を感じ取ることはできた。

「自分の剣一つで、大それたことなどできないことはわかっています。けど……いえ、だからこそ助けたかった」

 誓いと約束だけは破りたくなかった、と恭也は続けた。
 恭也が悪いわけではない。人には限界があり、遠く離れた者を相手に……それも恭也があずかり知らないところで行われた事件、彼には何の責もない。
 それがわかっていても、十六夜はそうは言わなかった。なぜなら、恭也もそんなことは理解しているだろうから。
 それでも恭也は自分が許せないのだろう。
それはおそらく挫折感にも似た感情。
 ある意味では行き場のない感情で、結局それは怒りという形で自らに向けるしかなかった。
 いや、本来ならば、その少女を殺した者に向けるべき怒り。だが恭也は、自分でも知らずのうちに、剣を振りながらも、怒りを救えなかった自らへと向けていたのだろう。
そういったことが、十六夜にも理解できた。
だがこんなこと、誰にも相談などできなかったはずだ。
 この少しばかり不器用な青年に言えることは少ないかもしれないが、それでも彼女は恭也よりもずっと長くこの世界にいた。そのぶん色々な死を見てきた。
 だからこそ言える言葉もある。

「私のようなものが言うべきことではありませんが……」

 そう彼女は前置きし、自らも上空へと顔を向けた。
 見ることはできないが、おそらくは月があるのだろう、と考えながらも口を開く。

「それでも、残された者は生きていくのです」

 陳腐な言葉ではあるかもしれないが、長い間霊剣十六夜として在った彼女が感じていたこと。同時に、死しているのに、まだ現世にいる自分が言うべきことではないのかもしれない言葉。
だが何より、彼にかけなければならない言葉だろう。
 彼は初めて出会ったというのに、危なげな印象持たせられるから。
 それはたぶん、彼が強すぎることが原因だ。
肉体的にもそうだが、それ以上に意思が強すぎる。それは自分の意思を殺せるまでに。矛盾するような言葉かもしれないが、それはある意味意思が強固であるが故にできることだ。

「死んで逝ってしまった人たちのためにできることは何もありません」

ある意味間違った話であり、それは十六夜……霊剣十六夜として、死してなお存在する自分を否定する言葉でもある。
 だがそれができるのは、自分を振るう薫のような……退魔士のような者たちだけで、恭也のような剣士でも、死んでしまった者にできることは、事実ないのだ。
できることがあるとすれば……

「そう……なんでしょうか?」

 恭也の呟きは納得がいかない、という声音ではない。

「できるとすれば、那美や薫たちのような者だけです」

 おそらく恭也とてわかっていたことだろう。彼は殺す剣を使う者なのだから。それを理解していなければ、あの剣は操れない。

「むしろ、今の高町様の姿を見れば、その方に未練を残してしまうのではないでしょうか?」
「え?」

それがおそらくもう一つの違和感。

「今の高町様は、犠牲を無駄にしておりませんか?」
「犠牲を……無駄に?」
「はい」

退魔士でもない彼にできることなど少なくて、亡くしてしまった者のためにできることはないのなら……

「死んでしまった人に返せないのなら、他の人に返してあげてはいただけませんか?」
「……他の人に」

きっとこの殺す剣を扱いながら、矛盾する優しい心を持つ剣士は、救えなかった少女を忘れられることはない。それを背負って生きていくのだろう。
その荷物を軽くしてほしかった。せめて、それを背負いすぎずに、その一部を糧にしてほしかった。

「忘れられないのはわかります。割り切れないのもわかります。ですが、それでも過去は変えられず、死んでしまった者は生き返りません。
だからせめて高町様のために、そしてこれから高町様が係わる方々のために、その犠牲を無駄にしないでください」
「十六夜さん……」
「きっと高町様程の剣士ならば、これから色々な人を守り、救うことができるでしょう。その方々のために……」

 そう言ったあと、十六夜は腕を上げた。

「きっと、彼女もそれを望んでくれると思いますよ」

 彼女は微笑んで言う。
 そして、その腕の先には……




 恭也は目を大きく開いて、十六夜の腕の先を見つめていた。
 そこにいたのは一人の少女。
 薄い……それこそ消えてしまいかねない程の存在の薄さ。
 長い黒髪を後ろに束ねた、まだ幼さが残る少女。
 月の光を浴びながら、その少女は立っていた。

「……キミは」

忘れられる訳がない。
 彼女は、恭也が救えなかった人。
これは幻影なのだろうか。
 だが、今はそんなことはどうでもよかった。
 恭也はゆっくりと少女へと近づく。
 その少女は、どこか怒ったような表情を浮かべていた。

「やはり、俺が許せない……か」

 その表情を見て、恭也はまたも自嘲気味に笑った。

「違います」

 そう言ったのは十六夜だった。
 
「彼女は、高町様を恨んでなどいません」

 だがこうして、彼女は怒っている。
 少女は近づいてきた恭也の手を握った。だが、暖かみもなく、触れているという感じすらしない。
 少女の口元が動いた。それは声にはならない。だが、その動きで何を言いたいのかがわかった。

『負けないで』

 彼女はそう言った……いや、そう言いたかったのだろう。
 負けないで。
 それはどういう意味なのか、どうして彼女が怒っているのか……。

「そうか……」

 恭也は漠然と理解した。
彼女は望んでいないのだろう、今の自分など。
 あのとき彼女と約束した自分とは違いすぎて……。

「無駄にしない」

 だから彼女に誓おう。
この少女が、自らの願望が作り出した幻影でも構わない。それでも、今の自分の気持ちを告げよう。

「キミの犠牲を無駄にしない。それがキミの救いになるわけでもないことは理解している。だけど、それでもキミが生き、死んでいったことを無駄にしない」
 
 恭也ははっきりと、そう誓った。
 それは新たな誓い。
 一つの誓いを守れず、その先から生まれた新しい誓い。
 
「すまない。俺にはこんなことしか思い浮かばないんだ。それも他の人に言われて、やっと理解できたぐらいで……」

 恭也がそう続けると、幻影の少女は顔を伏せて首を振った。
 そして、その顔を上げる。
 
『ありがとう、恭也さん』

 聞こえないはずの声が、確かに聞こえた。
 そして少女は、あの時のように太陽のような笑顔を、月の光を浴びながら恭也へと向けた。


そうして、少女の幻影は消えていった。


「ありがとう……か」

救えず、誓いを守れなかった自分がかけられるべき言葉ではない。
彼女がどういう意味でその言葉をかけてきたのかわからない。だが幻影であるとはいえ、そんな言葉を受ける権利が自分にあるのだろうか。
 それとも自分自身が作りあげた幻影だからこそ、自分への許しがほしかったのか。

「高町様」

 唐突に声が聞こえて振り返る。
 そこに十六夜はいた。


月の銀光を浴びて、その金の髪を輝かせ、微笑む彼女が……。
 その姿は、女神にも似て……。


「今の誓い、忘れないでください。彼女のためにも」

 そう……彼女は自分が作り出した幻影かもしれない。
 だが、それでも……

「はい」

 今の誓いだけは、絶対に破りはしない。




「そう、でしたね」

恭也がそう言って、懐かしそうに笑ったのを、十六夜は息づかいと、彼の顔に触れている手の平で感じ取ることができた。
 十六夜は、笑い声や、笑った人から感じられる空気とも言えるものが好きだった。
思えば、彼の笑った顔を見たいと思うようになったのはいつからだろう。
 無論、十六夜に見ることなど不可能なことだ。だからせめて、それを感じたかった。その息づかいや空気などで、その人が笑ったと感じ取ることはできるから。
 あの日、あの晩、彼から苦笑と自嘲的な笑みは感じたものの、本当の『笑い』と呼べるようなものは終ぞ感じることはできなかった。
それを初めて感じることができたのは、二度目に出会ったときだった。
 薫や那美から、霊剣十六夜として、そして何より十六夜として紹介された時、二人は当然なことだが、すでに知り合っていた。
それに薫たちは、やはり当然の如く驚き、困惑した。
 そんな二人を見て、恭也は悪戯が成功したかのように、少しだけ笑った。そして、十六夜も笑った。
おそらくあの時からなのだろう。
 その時から十六夜は、彼のことを『高町様』ではなく、『恭也様』と呼ぶようにもなっていた。

「誓い、忘れてはおりませんか?」

 答えがわかっていて、十六夜は聞いた。

「忘れません、絶対に」

彼は忘れないだろう。
 あの誓いを。
 あの時よりも、恭也はさらに強くなった。
 それは身体的な意味だけでなく、経験的な意味だけでなく、また精神的な意味だけでもなく。それらの全てが。
だからこそ……

「恭也様……背負いすぎるのだけはしないでください」

 強くなれば強くなっただけ、恭也は背負うものを増やす。
 優しいからこそ、彼は色々なものを背負いすぎる。
 そして恭也は矛盾の塊だった。
守る剣と殺す剣という相反する剣術を同時に体得し、優しく真っ直ぐな心を持ち、誰かを守ることだけを考えながらも、自分の心を殺し、他者を殺すことができる。
だからこそ危なく見える。
 ある意味、十六夜の本来の持ち主よりも不器用な生き方をしていた。

「同じことを知佳さんにも言われました」

恭也はどこか苦笑気味にそう答えた。
 知佳もやはり恭也のことを理解しているのだろう。

「恭也様は一人ではありません。私たちもおります。それに救世主候補の方々も。背負わなければいけないものは、それぞれにも背負ってもらえばいいのです。
 勿論、私も一緒に背負わせていただきます」

 恭也だけが覚悟を持つ必要はない。一人背負う必要はないのだ。
そのための自分であり、仲間たちなのだから。

「……はい」

恭也はそう答えたが、彼が本当に納得してくれたのかどうかは、十六夜にもわからない。

「……いつも、ありがとうございます、十六夜さん」

 そう言って、恭也が再び笑ってくれたのがわかったから、今はそれでよかった。
 十六夜は、彼が笑ってくれた時の空気が好きなのだから。



きっと恭也はこれからも何かを背負おうとするだろう。
 そのとき、自分がいくらかでも、その荷物を軽くしよう。
そう考えながら、十六夜は恭也と同じく微笑んだ。


 それは、あの日、あの晩と同じように、優しき月の光を浴びた、本当に綺麗な笑みだった。




 
 



あとがき

 というわけで過去編でございました。つーか、十六夜さん難しい! 過去編の趣向も変わってるし。
エリス「というか、十六夜編はまだ先じゃなかったの?」
 いや、要望があったっていうのもあるけど、考えてみたら、後にすると三人同時にやらなきゃいけなくなるから。
エリス「確かに、過去編を長々と三話続けてやるのはね」
 とりあえず、薫を出すか迷ったけどやめました。というか、十六夜さんだけでも難しいのに、二人は無理! ついでに言うと久遠の話も全然思いつかなくて一緒に繋げてしまうか、と思ったぐらい。
エリス「それよりも問題はデュエルキャラが出てないってこと! という訳で滅却!」
 ゴブっ! ま、待て! い、いや言うとおりなんだけど、まだ十六夜さんのことを知ってる人がいないから、絡ませられないんだよ。昔語りに繋げるのは決定してたが。なんか神秘的よりも、変な感じになってしまったけど。
エリス「それにしても、なのは編、知佳編、この十六夜編といい時系列がわからないんだけど」
 えっと、とりあえず順番的には、十六夜編、なのは編、そして知佳編という時間の流れです。その順番通りに読んでもいいかもしれません。
 とらハ3本編で薫が使ってた剣が十六夜だったのかわからなかったので、とりあえず今回が初の出会いということにしておきました。
エリス「でもなんていうか、この黒衣の恭也は弱さが目立つんだけど、とくに過去編」
 心が完璧に強い人間なんていない、というのが自分の考えなんで、まあ前にも似たようなことを言ったけど。強すぎるために色々なものを背負い続けている恭也の成長……というか、それを一緒に背負おうとしてくれる人たちに気づくか、というのも主題の一つなんで。本編からかなり時間が流れてるのもそのあたりが理由の一つ。
エリス「恭也の心情を考えるにデュエルキャラよりも、とらハキャラの方が色々有利にみえるかな」
 そりゃあ、係わってきた時間は彼女たちの方が長いし。
エリス「とりあえず、これで次は先に進むんだね」
 進みません!
エリス「だから何度も言ったけど、胸を張って言うな!」
 グボバッ! い、いや、ある意味進むと言えば進むんだ。
エリス「どういう意味?」
 次からはオリジナルの話が、何章か間に入るということです。
エリス「ふーん、それじゃあ速く続きへ逝く」
 え、逝くって、や、何か意味がちが……。
エリス「それではみなさん今回もありがとうございました。また次回のお話でお会いしましょう」
まっ、待って! そんな意味深な言葉の後に終わらさないでぇぇぇぇぇぇ!







十六夜編〜。
美姫 「うんうん。いいお話よね」
いや本当に。
恭也の弱さとか、十六夜との会話とか。
美姫 「アンタにはできない!」
そのとおり!
美姫 「って、威張るな!」
ぶべらっ! お、お前からふったのに……。
美姫 「はいはい。次回がどんな展開を見せるのかも気になる所」
益々、次回が待ち遠しい〜〜!
美姫 「次回も楽しみにしてますね〜」
待ってます。



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