「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 

そんなご大層な挨拶が自然と交わされる学校があった。その名をリリアン女学園。幼稚舎から通っていれば純粋培養の本物のお嬢様が育成されるという、今時珍しい正真正銘のお嬢様学校である。

その正門を、一人の女学生がくぐった。周りを行く女生徒のうちの何人かは、半ばその女生徒にうっとりとした視線を向けている。少女の名は小笠原祥子。リリアンが誇る生徒会、『山百合会』の三人の薔薇様の一人、紅薔薇様こと水野蓉子の『妹』である。

ゆっくりと踏みしめるように、彼女は校舎へと向かう。と、

 

「お姉さま」

 

不意に声をかけられた。とはいえ、彼女は別に驚きはしない。この声は何度となく聞いているし、第一自分を姉と呼ぶ人間はこのリリアンには一人しかいないのだから。振り返ると、果たして自分が予想していた通りの人物が立っていた。

 

「ごきげんよう、祐巳」

 

そう挨拶をする。そこには自分の妹である福沢祐巳の姿があった。

 

「はい。ごきげんよう、お姉さま」

 

姉から挨拶をされ、ニッコリ微笑みながら祐巳も返事を返した。と、不意に祥子が歩みを止める。それに従って祐巳も歩みを止めた。もっとも、距離が近すぎたせいでぶつかりそうになってオタオタしてしまったが。

 

「ど、どうしたんですか? お姉さま」

 

驚きを張り付かせたまま祐巳が訊ねると、祥子はクスッと笑って祐巳に手を伸ばす。そして、

 

「また、曲がっていてよ」

 

と、祐巳の制服のリボンを整えた。

 

「あ…」

 

姉にそう指摘されて始めて気づいた祐巳だったが、何か言おうとする前に

 

「ジッとしてなさい」

 

と、先手を打たれてしまったので、仕方なくなすがままにされている。しかし、

 

(ううう〜…あたしったらぁ…)

 

と、内心では激しく自分を責めていた。

 

「ん。これでいいわ」

 

程なく、リボンを整え終わる。

 

「すみません、お姉さま」

 

祐巳は申し訳なさそうにペコッと頭を下げた。

 

「いいのよ、あなたは私の妹なんだから」

 

ふっと微笑みながらそう言う祥子の言葉に祐巳は心の底から暖かくなるのを感じた。

 

「それより祐巳、マリア様の前まで来たわよ」

「え?」

 

姉に言われて見てみると、確かに聖母マリアの像が目の前にあった。

 

「本当だ。いつの間に…」

「あら、気が付かなかったの?」

 

からかうように祥子がそう言うと、祐巳は慌てて凄い勢いで首を左右に振った。

 

「そそそそそ、そんなことないですよ?」

 

言葉ではそう言う。が、その態度や口調が如実にその言葉を裏切っていた。それがわかっているからこそ、祥子は言葉を続ける。

 

「あら、本当に?」

「ほ、本当です」

「マリア様の前で誓えるのね?」

「あ、あぅ…」

 

祥子がそう言うと、祐巳は何も言えなくなってしまった。そして、白薔薇様である聖言うところの百面相をしたあと、がっくりと肩を落としてうなだれた。

 

「ごめんなさい、お姉さま。実は気付いていませんでした」

 

その言葉に、祥子は優しく微笑んだまま

 

「しょうのない子ね」

 

と、諭すように呟いた。

 

「それならちゃんとお祈りを捧げなさい」

 

そう、祥子は祐巳に促した。

 

「は、はい!」

 

祐巳は祥子の隣に並ぶと目を閉じて祈りを捧げる。そんな祐巳の様子を微笑ましく見ながら、祥子も目を閉じた。そしてマリア像に祈りを捧げる。いつもは家族のことや友のことを思って祈りを捧げるのだが、今日はそうではなかった。

 

(マリア様…)

 

祈りを捧げるその脳裏に映っているのは、今日、自分が夢で見たこと。そして自分を救ってくれたあの男の人のことだった。

 

(……)

 

ジッと祈りを捧げる。祥子には従兄にして婚約者でありながら、男性に対する不信感を作った人物がいた。そのため、今の祥子は立派な男嫌いなのだが、昔はそうでもなかった。小笠原の娘ゆえに疎外感を感じたこともあったが、男女わけ隔てなく付き合うことが出来ていた。そんな幼い日に一度だけ逢った生命の恩人。久しぶりに見たその夢を思い出し、祥子は祈りを捧げていた。

 

(どうか、あの方にもう一度逢えますように)

 

そして程なく、閉じていた目をゆっくりと開けた。

 

「……」

 

マリア像を見上げながら、ゆっくりと物思いに耽る。と、

 

「…さま? お…さま?」

 

と、横から声が聞こえた。振り返ると、そこには自分の妹である祐巳の姿があった。

 

「あら、祐巳。どうしたの?」

「い、いえ、それはこっちが伺いたいです。どうしたんですか? お姉さま」

「え?」

 

言葉の意味がわからないといった感じで祥子が首を捻る。

 

「さっきから何度か声をかけてたのですが、お返事がなかったので…」

「あら、そう?」

 

祐巳の言葉を聞き、祥子がふっと微笑んだ。

 

「ごめんなさいね」

「い、いえ、いいんです。でもどうなさったんですか? お姉さま」

 

祐巳が訊ねた。

 

「いえ、大したことじゃないのよ。少し考え事を…ね」

「考え事…ですか?」

「ええ」

 

祥子がゆっくりと頷いた。

 

「何ですか? もし良かったら、話していただけませんか?」

 

祐巳は祥子の言葉を聞いて思い切ってそう言ってみたが、祥子は首を横に振るだけだった。

 

「ありがとう、祐巳。でも、本当に大したことじゃないから」

「そ、そうですか…」

 

祐巳としても祥子にそう言われては諦めるしかない。突っ込んで聞いたところで、しつこいと怒られるのが関の山だからだ。聞きたい気持ちをグッと我慢して祐巳は自分の腹の中に収めた。

 

「さ、行くわよ、祐巳」

 

祥子はここでこの話は終わりとばかりにマリア像の前から歩き出した。その後ろを祐巳が慌てて追いかける。だが祥子は、再び思考の海に沈んでいた。

 

 

 

 

 

授業と授業の間の休み時間、紅薔薇の蕾こと小笠原祥子は自分の教室に向かっていた。今はトイレから帰ってくる途中である。教室へ向かう道すがらも、祥子は今日見た夢のことを考えていた。

 

(本当に久しぶりよね。でも、何故今なのかしら?)

 

自問する。が、答えが簡単に見つかるはずがない。学校の勉強やテストと違って『これ』という確固たる答えがあるわけではないのだから。だが、だからといって彼女は考えるのを止めるような性格ではなった。

ジッと考えながら自分の教室を目指す。と、不意に誰かに腕を掴まれた。

 

「え?」

 

驚いて自分の腕を掴んだ人物を見る。そこに居たのは、ミスターリリアンの称号を持つ黄薔薇の蕾、支倉令の姿だった。

 

「あら、令。ごきげんよう」

 

祥子がそう言って軽く微笑む。が、令は

 

「ごきげんよう…と言いたいところだけどね」

 

と、少し不満げな表情になった。

 

「? どうかしたの? 令」

 

不思議そうな顔で祥子が訊ねる。そんな祥子に、

 

「それはこちらの台詞だよ」

 

と、令が答えた。

 

「酷いじゃないか、声をかけているのに無視するなんて」

「え?」

 

令の言葉に、祥子は驚いたような表情をする。

 

「声、かけてくれてたの?」

「ああ。…もしかして、気付いてなかったの?」

「ええ、ごめんなさい」

 

軽く頭を下げる。

 

「いや、いいけど…」

 

令が軽く溜め息をついた。

 

「でも、何かあったのかい? 祥子。いつもなら、絶対にそんなことしないのに」

「何か…ね…」

 

朝の夢を思い出す。

 

「そうね。あったといえばあったわね」

「そうか。一体、どうしたんだ?」

「大したことじゃないのよ」

 

祥子がまた軽く微笑んだ。

 

「ちょっと考えごとをしててね」

「考えごと?」

「ええ」

 

ゆっくりと頷く。

 

「なんなんだい? よければ話してくれないかな?」

 

令がそう訊ねた。が、

 

「ありがとう。でも心配しないで、本当に大したことじゃないから」

 

祥子はそう令に対して断りを入れた。と、始業を告げるチャイムが鳴った。

 

「大変、もう次の授業が始まるわ」

「ああ、そうだね」

 

祥子の言葉に令が相槌を打つ。

 

「それじゃ、私はこれで」

「ああ。それじゃお昼休みに、薔薇の館で」

「ええ。ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 

挨拶を交わすと、祥子と令は自分のクラスへと向かっていった。

 

「……」

 

自分のクラスへと向かう途中、令は足を止めると後ろを振り返った。そして、祥子の後ろ姿をじっと見送った。

 

 

 

 

 

「ごきげんよう、皆様」

 

扉を開けると、祥子は中にいた人達にそう挨拶をした。

 

「ごきげんよう、祥子」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう、祥子さま」

 

自分の姉である水野蓉子の返事を皮切りに、そこかしこで祥子に対する挨拶が上がった。祥子はゆっくりと扉を閉めると、自分がいつも座っている席にゆっくりと腰を下ろす。

ここはリリアン学園の生徒会である山百合会が使用している、通称『薔薇の館』と呼ばれる建物の一室だった。生徒会を運営している薔薇様方やその妹である蕾、更にその妹は強制ではないにせよ、普段特に何もないときはここで昼食や放課後のティータイムを過ごすことを常としていた。そして今は昼休み。いつものように昼食をとるために祥子はこの薔薇の館に赴いていた。

 

「どうぞ、祥子さま」

 

すっと、祥子の目の前にティーカップが置かれる。お茶を用意して運んできたのは藤堂志摩子。一年生でありながら、現白薔薇様である佐藤聖の妹である白薔薇の蕾である。整った顔立ちと落ち着いた雰囲気、そして何より優雅な物腰と気品に満ち溢れ、男の目を惹かずにはいれない可憐な少女だった。

 

「ありがとう、志摩子」

「いえ」

 

すっと軽く頭を下げると、志摩子は流しの方へ戻っていく。それを見送ると、祥子はティーカップに口を付けた。そしてゆっくりと志摩子の淹れてくれたお茶を味わう。

 

「ふぅ…」

 

ある程度味わったところで口を離すと、祥子は大きく息を吐いた。

 

「やっぱり、志摩子の淹れてくれるお茶は美味しいわね」

「ありがとうございます」

 

自分の席に戻ってきた志摩子がふわっと微笑んだ。と、

 

「そりゃそうよ。なんてったって私の可愛い可愛い妹なんだから」

 

横から茶々が入ってきた。声の主は佐藤聖。現三薔薇の一人、白薔薇様である。彫りの深い顔と色素の薄い髪を持ち、志摩子とはまた違った美貌の持ち主である。例えるなら、志摩子が日本的な美人なら、聖は外国人的な美人といったところか。だが、その性格は容姿からはとても想像できないような、良く言えば無邪気、悪く言えば子供っぽいものであった。とはいえ、それが本当の地という訳ではないのだが…。

 

「そうですね」

 

祥子が深々と頷く。そして、

 

「『鳶が鷹を産んだ』…ということですよね」

 

と、続けた。それを聞き、聖が隣の少女によよよと泣きつく。

 

「蓉子〜、祥子がいじめる…」

「はいはい」

 

呆れながらも慰めるように聖の頭をポンポンと叩いたのは水野蓉子。祥子の姉であり、現三薔薇様の一人である紅薔薇様である。現山百合会の実質的な纏め役を担っているのは彼女であり、そのため同級生や下級生の信頼もすこぶる厚い。それ故に、こういった時に場を取り仕切るのは自然と彼女の役目になっていた。

 

「むう。蓉子、冷たくない?」

 

自分の扱いに聖が不満そうに唇を尖らせた。

 

「そんなことないわよ。でも、聖の相手を一々真剣にしてたら疲れるだけだから。たまには適当にあしらわないとね」

 

そういって、ふふふと蓉子が微笑んだ。その表情を見て、聖ががっくりと肩を落とす。

 

「よ、蓉子まで…」

 

がっくりと肩を落とす聖。そんな聖を気遣うように祥子の妹である祐巳が話しかけた。

 

「あ、あの、大丈夫ですか? 白薔薇さま?」

「祐巳ちゃ〜ん♪」

 

祐巳の一言が嬉しかったのだろうか、それとも元々網を張って哀れな獲物が飛び込んでくるのを待っていたのだろうか、真意はわからないがとにかく聖は自分を心配してくれた祐巳に満面の笑みを浮かべて抱きついた。

 

「きゃうっ!?」

 

いつものこととはいえいつまで経っても聖のこの行動には慣れず、いつものように奇声を上げる祐巳。が、これもいつものようにそんな祐巳には構わず聖は背後からすりすりと頬を摺り寄せた。

 

「あ・り・が・と。私を心配してくれるのは祐巳ちゃんだけだよ〜♪」

 

そう言いながら更にすりすりと頬を摺り寄せる。

 

「し、ししし、白薔薇さま!?」

 

そしてこれもいつものように、祐巳は驚いて固まることしか出来なかった。そしてこうなるとこれもいつものように、

 

「白薔薇さま!」

 

と、怒気を孕みながら祥子が立ち上がった。

 

「何度も申し上げてますが、抱きつかれるならご自分の妹になさってください!」

「え〜…祐巳ちゃんの抱き心地が一番いいのにぃ…」

 

そう言い、聖は祐巳の身体から離れようとしない。そして姉と白薔薇様の板挟みになっている祐巳は、これもいつものように百面相になっていた。その光景を見た祥子は少し頬をヒクヒクさせて言葉を続けようとする。が、祥子が口を開く前に、

 

「その辺にしておきなさいよ、聖」

 

と、彼女をたしなめる人物がいた。その名は鳥居江利子。現三薔薇最後の一人、黄薔薇様である。志摩子や聖、蓉子とはまた異なるタイプの美人であり、三薔薇を形成する蓉子、聖とは親友同士の間柄である。能力が高く、なんでもソツなくこなせるために達観した目で周りを見ている万能型の天才だった。

 

「何よ、江利子」

 

思わぬところから突っ込まれ、聖が不機嫌そうに唇を尖らせた。

 

「いい加減にしないと、月の出てない晩に後ろからサクッといかれるわよってこと。それに…」

 

チラッと自分の時計に目をやった。

 

「そろそろだと思うから」

 

何が? と、問おうとする前に扉が開いた。そして、

 

「すみません、遅くなりました」

「すみません」

 

と、二人の少女が入ってきた。黄薔薇の蕾である支倉令と、その妹の島津由乃である。その姿を見止めると江利子は聖に振り返り、

 

「ね?」

 

と、促した。

 

「ちぇー」

 

いまだ不満そうながらも聖は祐巳から離れる。ここに来た一番の目的は昼食をとることだ。そのために全員が揃うのを待っていたのだから、全員が揃った今昼食をとることにステップを移行しなければならない。であれば、いつまでも祐巳に抱きついているわけにもいかなかった。

 

「うんうん、素直でよろしい」

 

その様子を見ていた江利子が満足げな顔で頷いた。二人を見ていて苦笑していた蓉子だったが、

 

「さ、全員揃ったところでお昼にしましょう?」

 

と促すと、全員が思い思いに弁当を広げ始めた。

 

 

 

 

 

(ふぅ…)

 

昼食中、他愛もない話題に耳を傾けながら祥子は人知れず内心で溜め息をついた。今日はどうも食が進まない。元々そんなに食べる方ではないが、今日はいつも以上に食が進まなかった。原因はわかっている。あの夢だ。気が付くとそのことに意識をとられ、他のことがおざなりになっていた。

 

(ふぅ…)

 

フォークにタコさんウインナーを刺したものの、それを口の中に入れようとはせずにユラユラと揺らした。何の気なく、そんなことを続ける。と、

 

「…子…祥子」

 

と、自分の名前を呼ばれていることに気が付いた。

 

「え?」

 

自分の名前を呼ばれていることに気付いた祥子が慌てて顔を上げると、全員の視線が祥子に集中していた。

 

「本当にどうしたんだい? 祥子」

 

令がそう訊ねる。

 

「先程の休み時間のときといい、今日はボーっとしているというか、心ここにあらずといった感じが強いね。祥子らしくない」

「あ、それは私も感じてました」

 

令の言葉を受けて祐巳が言葉を繋ぐ。

 

「朝も、お姉さまは私が何度か呼んでも気づいてくれませんでした。今日のお姉さまは、明らかにいつものお姉さまとは違います」

 

その祐巳の言葉に、全員の視線がますます強くなる。

 

「何かあったの? 祥子」

 

聞いたのは彼女の姉である水野蓉子だった。さすがに自身の姉である紅薔薇様からの言葉に適当な言葉で答えるわけにもいかなかった。

 

「大したことじゃないんですよ、お姉さま」

 

そう出来る限りにこやかに微笑んだ。そして、

 

「ただ、昨夜小さいときの夢を見たもので、そのことを思い出していたんです」

 

と、正直に答えた。…というより、ことここに至っては変なごまかしは通用しない。そのため、祥子は正直に話すことにした。そしてその言葉に食いついた獲物が一人。

 

「え!? お姉さまの子供のころのこと!?」

 

言わずと知れた祐巳だった。だが、あまりに声が大きくなってしまったためか、慌てて口を塞ぐ。が、もう後の祭りだった。

 

「もう、祐巳さんったら…」

 

由乃が呆れたようにそう呟くと、部屋は笑いに包まれた。その中で当の本人である祐巳は赤くなって縮こまっていた。

 

「全く、しょうのない子ね…」

 

呆れ顔で祥子が溜め息をつく。そんな彼女の呟きを聞いていたのかどうかはわからないが、蓉子が言葉を続けた。

 

「詳しく聞いてもいいかしら?」

「構いませんが、あまり楽しい話ではないですよ?」

「いいわよ。それに、楽しいか楽しくないかはこっちが判断することだから」

「わかりました」

 

頷くと、祥子は一人語り始めた。

 

「十年ほど前に、私はお父様とお母様と一緒にあるデパートに買い物に出かけました。その時、大規模なビル火災に巻き込まれたことがあったんです」

 

その言葉に、全員が驚きの表情になった。今まで祥子からそんなことを聞いたことが一度たりともなかったからである。

 

「そんなことがあったの?」

「はい」

 

蓉子が訊ねると、祥子は頷いた。

 

「知らなかったわ、そんなの」

「他人に話すような話でもありませんでしたから。それに、あまり気分のいいものでもありませんし…」

 

一呼吸入れるためだろうかティーカップを持つと、祥子はゆっくりとそれを嗜んだ。そしてゆっくりとそれをソーサーに戻す。そして、続きを話し始めた。

 

「非難する途中、私はお父様とお母様とはぐれてしまって、周りを火に囲まれて絶望的な状況の中に身を置いていました。子供心にこれはもう駄目かもと弱気になっていたのですが、そのとき助けてくれた人がいるんです」

「ふぅん…」

 

令が相槌を打つ。

 

「そのことを久しぶりに夢に見た。ただそれだけのことですよ」

「そう…」

 

蓉子が何度か頷いた。

 

「ごめんなさいね、祥子。まさかそんな話だったとは知らなかったから」

「構いませんよ、お姉さま。本当に嫌なら絶対に話しませんから」

「ふふっ、それもそうね」

 

微笑むと、蓉子もティーカップに口を付けた。

 

「あの、祥子さま。一つお聞きしていいですか?」

 

由乃が軽く手を挙げた。

 

「何? 由乃?」

「その、祥子さまを助けてくれた方って、どんな方だったんですか?」

「それがねぇ…」

 

今までの笑顔とは違い、祥子は苦笑を浮かべた。

 

「煙が凄くてはっきりと見えなかったのよ。でも声で、男の方だというのだけはわかったわ」

「へー…」

 

祥子の言葉を聞き、聖が驚きの声を上げた。

 

「何ですか? 白薔薇さま」

「いやぁ、祥子が男の人に助けられたっていうのが信じられなくって」

「それはどういう意味ですか、白薔薇さま?」

 

祥子の表情が少し険しくなる。それに気付いているが聖は気付かないふりをして言葉を続けた。

 

「だって、男嫌いの祥子のことだから、そう言う状況でも手をパーンと叩きそうじゃない?」

「状況が状況でしたから。それに私も、物心ついたころから男の方が苦手と言うわけではありませんから」

 

少し事務的な口調で祥子が聖に答えた。その口調で、祥子の機嫌が少し悪くなっていることを皆悟る。祥子は直情型と言うか、あまり感情のコントロールが上手い方ではなかった。そのため、幸か不幸か感情をコントロール術を身につけている白薔薇様の聖にはよくおもちゃにされている。そしてそのたびに祥子は聖の思い通りに躍っていた。それならばこんな挑発に乗らなければいいのだが、性格というのはそう簡単には変えられないもの。今回も祥子は聖のハーメルンの笛に踊らされることになりそうであった。

 

「ほんとぉ?」

 

からかうように聖が祥子を覗き込む。

 

「本当です」

 

相変わらずの事務的な口調で祥子がそう言い切る。が、聖はそんな祥子を無視すると、傍らに座っている祐巳に視線を向けた。

 

「ねえ、祐巳ちゃんはどう思う?」

「え? ほぇ?」

 

いきなり話を振られ、祐巳はビックリした表情になって聖に顔を向けた。

 

「今祥子が言った言葉、本当だと思う?」

「え、え、今お姉さまが言った言葉っていうと…」

「助けを差し伸べてくれた男の人の手を叩かないっていったこと」

「そ、それは…」

 

祐巳が口篭る。本来ならば一も二もなく祥子の味方をすべきだろうが、根が真面目な祐巳は考え込んでしまった。そしてその結果、真剣に悩み始めてしまう。普通ならば自分が危機の状況に手を差し伸べてくれたら否も応もなくその手を取るだろう。だが、普段かなり長い時間一緒にいる祐巳からしてみれば、祥子の男嫌いは良く知っている。そのため、即座に聖の意見を否定することは出来なかった。そしてその祐巳を、祥子を除く各薔薇さまや蕾、更にその妹たちが、ある者は苦笑しながら、ある者は溜め息をつきながら、そしてある者はハラハラしながらといった、それぞれの思いを篭めた表情で見ていた。

 

「祐巳…」

 

そんな彼女たちの思いに気付かず、祥子が重々しく口を開いた。

 

「は、はいっ!」

 

いつもより心なしか低い姉の声に、心胆を冷やす。が、もう遅かった。

 

「その妙な間は何かしら?」

「え…あ…その…」

 

姉に問い詰められ、今まで以上にしどろもどろになる祐巳。もはや頭は軽いパニック状態である。しかし祥子は追撃の手を緩めようとしない。

 

「ど・う・い・う・こ・と・か・し・ら?」

 

一言一言を区切ってプレッシャーを与える祥子。そして勿論、祐巳にそのプレッシャーに耐えられるわけはなかった。いつもの百面相をしながらオタオタするばかりである。それを見た祥子は、祐巳の行動が言外に聖の言葉を認めるものだということを悟ってお説教を始めた。

 

「大体あなたは…!」

 

うなだれながら姉のお説教を聞く祐巳。今はただ嵐が過ぎるのを待つばかりである。

 

(ひ〜ん(泣)。白薔薇さま、恨みますよぉ…)

 

自分をスケープゴートにしてちゃっかりと祥子の怒りの矛先から逃れている聖を横目で見ながら祐巳はただジッと姉のお説教を聞いていた。周りを囲む山百合会の面々はその光景を苦笑を浮かべながら、しかし楽しそうに見ている。こうして、山百合会の昼休みは過ぎていった。

 

 

 

 

 

時間は流れ放課後。祥子は薔薇の館に向かって歩いていた。但し、周りには自分も含め山百合会の全員がいる。今日は珍しく、下校する全員の足並みが揃ったのである。八人はゆっくりと薔薇の館に向けて歩いていた。

 

「江利子、後で英語の辞書貸してくれない?」

「いいわよ。…と、聖」

「ん?」

「はい。借りてた本、返すわ」

「あ、そうか。ありがと」

 

「令、もうすぐ試合だそうね。調子はどうなの?」

「ん、まあまあかな」

「大丈夫ですよ祥子さま。令ちゃんは絶対負けません」

「おいおい、買い被りすぎだよ由乃。それと学校では…」

「お姉さま、でしょ? わかってるわよ」

 

「志摩子さん、シャンプー変えた?」

「あ、わかるかな?」

「うん。いい匂いだよ」

「ありがとう、祐巳さん」

 

他愛もない会話をしながら薔薇の館を目指す一向。しかし、薔薇の館の入り口のすぐ前に辿り着いたときだった。

 

『へ?』

 

どこかから、そんな間の抜けた声が八人の耳に届いた。そして次の瞬間、

 

『うおおおおおおっ!』

 

と言う叫び声と共に、バキバキ、ガサガサという植物が擦れ合う音。そして、ドシーンという衝突音と共に、

 

『かはっ…』

 

という、断末魔のような声が聞こえた。

 

「な、何っ!?」

 

声を上げたのは江利子だった。

 

「あっちの方…みたいね」

 

音がした方向に蓉子が鋭い視線を向ける。丁度薔薇の館の裏手の辺りだ。

 

「行ってみよう!」

 

聖がそう言うや否や駆け出すと、慌てて残りの七人も続いた。

 

 

 

 

 

「ちょっと…」

「あらら…」

「これって、どういう…」

 

現場に着いた三薔薇様たちが絶句していた。が、絶句しているのは薔薇様たちだけではない。蕾やその妹たちも同じだった。何故ならそこには、全身をしこたま打ったのか気絶している青年がいたのだ。

 

「お、男の人!?」

 

祐巳が驚きの声を上げる。

 

「ど、どうしよう、令ちゃん」

「ど、どうしようって言われても…」

 

由乃と令も気が動転しているのか、いつもの判断力が効かないようだ。志摩子にいたっては皆の後ろに引っ込んで様子を見ているだけにとどまっている。そんな普段通りではない山百合会の面々の中で、唯一祥子だけは例外だった。

 

「……」

 

祥子はジッとその青年を見ている。それは何かを考えるように、そして何かを懐かしむように。ただジッとその青年の顔を見つめ続けていた。





いよいよ、何とのクロスか分かる頃かも。
美姫 「突如現れた青年は」
うーん、これからどうなっていくんだろうか。
美姫 「次回が楽しみよね」
うんうん。一体、どうなるのかな。
美姫 「次回も待っていますね」
待ってます。



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