あとがき物語 二つの伝説 4−A

    *

 気がつくと、わたしは由衣を抱きしめる形でベッドの上に仰向けに倒れていた。

「いたた……っと、由衣、大丈夫?」

 わたしは軽く頭を振りながら由衣の安否を確認する。

「…………いや」

「由衣?」

 由衣はなぜか震えていた。

「いやっ!!死んじゃいや……っ」

「由衣、いったいどうしたの?ねえ……っ!?

 突然の由衣の異変にどうしていいか解からず途方に暮れていると、不意に激しい頭痛に襲われた。

「ぐっ…あっ!?

 いったいどうしたというのだろう?痛みで意識が朦朧としてきた。

 遠のいていく意識の中でわたしはどこか懐かしい景色を見た気がした。

    *

 どこにでもあるありふれた公園で幼い頃の“僕”は彼女を待っていた。

 これは夢なのだろうか?確か急に頭痛がして意識を失って……。

 わたしが状況を把握しようと辺りに視線を巡らせていると不意にここがあの写真の場所だということに気がついた。

 ――きいく〜ん。

 待ち合わせの相手は由衣だった。

 そうだ、思い出した。わたしは由衣とずっと昔から面識があったんだ。

 出会いがいつだったかは覚えていないけど、気づけば由衣と一緒によく遊んでいたんだっけ。これはまだわたしが柚菜と出会う前の記憶だ。でもどうして今まで忘れてたんだろう?

 わたしが疑問に首を傾げているといつのまにか眼下の風景が変わっていた。

 ここは……わたしの部屋?あっこれって。

 今でも広すぎるくらいの自室では幼い頃のわたしと由衣がちゃぶ台を挟んで勉強をしていた。由衣が言ってたのってこのことだったんだ。

 あっ、わたしが由衣をいじってる。ほんとにいじめっ子だったんだなあ。

 そんなことを思い、苦笑しているとまた場面が変わった。

 しかしそれはあまりにも鮮烈で異様な現実味を帯びていた。

 なに……これ?いったいどういうことなんだ……。

 そこには先ほどよりも少し成長したわたしとわたしを抱きしめる由衣がいた。

 あたりに点々と散らばっている赤いしみ。

 ――血。

 そう思った瞬間、激しい吐き気と頭痛に見舞われた。

 まただ。なんなんだ?このかんじは。

 そんなわたしに泣き叫ぶ由衣の声が聞こえてきた。

 ――死んじゃいやっ!!私を一人にしないで。

 その泣き顔がさっきの由衣と重なった。

 そうか、だから由衣はあんなことを言ったんだ。

 気を失う前の由衣の不可解な行動の原因は解かったけど、何故自分がこんなことになっているのかが思い出せない。

 確かに今見ているものは夢であり自分自身の記憶の欠片でもある。

 柚菜だけでなく由衣との思い出にも欠けた部分がいくつもある。

 特に由衣の場合、自分の記憶と赤いものを繋げることを無意識に拒んでいるような気がする。最初に由衣の部屋で鍵を見つけたときもそうだった。

 由衣とわたしの間にある禁忌。

 それは恐らく赤いもの、いや血と言ったほうがしっくりくるか。

 ――血。

それは死をまとった生への執着。生きているという希望の証。

 そんなもの人間なら誰にだってあるものだ。

 だけど、わたしにはドロドロとした忌まわしいものに思えてしまう。

 なにか断ち切らなくてはならないような気がする。

 そのためにも失った記憶の欠片を取り戻さなくちゃいけないんだ。

 方法は解からない。だけどその時はそう遠くないような気がする。

 段々と白くなる意識の中で、わたしはずっと考えていた。

 わたしはこの後どうなったんだろう?

    *

「……ひっく、…ぐすん、……きいさん、おねがいだから眼を覚まして。……もうあんなのは沢山だよ」

 気づけば由衣はベッドの脇で泣いていた。

 それが夢の中の由衣と重なってひどく小さく見えた。

「……由衣」

「ひっく……きいさん?」

 わたしはそっと由衣の頭を撫でてやった。それではっとしたように由衣は顔を上げた。

 どれくらいの間泣いていたのか由衣の眼はすっかり真っ赤に充血してしまっていた。

「大丈夫だよ。由衣を一人になんてさせないから」

 わたしは由衣の頭を優しく撫でながら微笑んだ。

「紀衣さん」

「それにこんなあやふやな記憶のまま死んでたまるもんですか」

「うっ…うう…きいさ〜んっ!!うえ〜ん」

 わたしが無事なのに安心して気が緩んだんだろう。

 由衣はわたしに思いっきり抱きついてまた泣き出してしまった。

「ごめんね、心配させちゃったね」

「ぐすん……。紀衣さん、気を失ってからなかなか眼を覚まさないし。あの時みたいにこのままお別れしちゃうんじゃないかって……、私すごく悲しかったんですから」

 わたしにしがみついて泣く由衣の言葉に違和感を覚えたが今はそんなことを気にしている余裕はない。

 とにかく由衣を落ち着かせないと。

「もう大丈夫だから。それに夢を見たんだ」

「夢……ですか?」

 まだ涙目の由衣が不思議そうに小首を傾げる。

「そう、わたしがまだ幼かった頃の――男だったころの思い出」

「……っ」

 それを聞いて由衣は息を呑んだ。

「と言っても本当に幼い頃の思い出だけどね。由衣とわたしがあの写真の公園でよく遊んでた頃の思い出。確かにわたしは由衣が言ったとおりいじめっこだったみたい」

 そう言ってわたしはベッドから起き上がって軽く伸びをした。

「う〜ん……っと、まあ由衣がわたしが男だったことを知っていた理由は解かったし、記憶も少し戻ってきたし、少し休んだら勉強の続きでもしよっか。大丈夫、今度は意地悪しないから」

 少しおどけた調子で由衣に笑いかけてみたが、由衣は何かを考えるように無言で俯いていた。

「……由衣?」

「紀衣さん、昔の事を思い出したって言ってましたけど、……あのこと……いえ、あれは思い出さないほうがいいのかも知れません。あれは紀衣さんにも私にも永遠に蓋をしておきたいものですから」

「ねえ、いったい何のこと?」

 わたしはいつになく真剣な顔をする由衣を不安げに見つめた。

「いえ、なんでもありません。大事なのは今ですからね……。立ち止まっちゃったらお終いだから……」

 由衣は軽く首を振ってにっこり笑った。

 最後のほうになんだか気になることを言っていたような気がするけど、よく聞き取れなかった。

「そんなことより〜」

 由衣の挙動が明らかに怪しくなった。

 今度はなんだかピンク色のオーラを放っている。やばげなオーラである。

「ゆっ、由衣、なんだか変だよ?」

 自分の声が上ずっているのが解かる。

「だって、紀衣さん急に倒れちゃってすごく心配したんですよ」

「それは悪かったって」

「だからもう大丈夫かどうか、私が確かめてあげます?」

「いや、だから、わたしはもう大丈夫だって、……っていうか、由衣っ!?なにしてるの」

 由衣は嬉しそうにわたしの服に手をかける。

 なんかこんな光景がつい最近あったような気がする。

「なんだか懐かしいですね。昔こうやってお医者さんごっこしましたよね」

「いい、いったいいつの話をしてるの?っていうか、そのときは立場が逆だったんじゃ」

「あれからもうずいぶんたちますからね。ふふふ、私がどれだけ成長したか確かめてあげます」

 由衣は先ほどの物憂げな表情から打って変わって、眼をきらきらさせて実に楽しそうだ。

 問答している間にブラウスのボタンが外されていく。

 なかなかの手際のよさだ。って、感心してる場合じゃない。

「ねっ、ねえ由衣、悪い冗談はやめようよ」

「冗談だなんて心外です。私は最初から本気ですよ」

 わたしが服を脱がされまいと腕を交差させても、ガードを固める前にあっさりと脱がされてしまった。

 なっ、なんという早業なんだ。まさか、誰かを相手に練習してるんじゃないだろうな。

「さっ、スカートも脱いじゃいましょうね〜♪」

「えっ?うわわっ」

 上のほうばかりに気を取られていて、下のほうはすっかり忘れていた。

 気づいたときには既に遅く、わたしはあっという間に下着姿にされてしまった。

「あっ紀衣さんの下着、白ですね」

「ちょ、わざわざ声に出して言わなくても……」

「紀衣さんだったらもっと大人っぽいのも似合うと思いますよ。でも、これはこれで良いかも」

「なに、おやじみたいなコメントしてるの。それより服、返して」

 ただでさえこんな格好で恥ずかしいのにそんなことを言われたら余計に恥ずかしくなる。

「だ・め・で・す☆もっとよく見せてください」

 由衣が頬を赤らめてとろんとした表情をしていることに気づき、わたしは身の危険を感じた。

 いや、もとから感じていたのだけど。

「だっ、だめだよ。これ以上やったら十八歳未満お断りなことになっちゃうから」

 わたしはこれ以上脱がされまいと必死で身を固める。

「大丈夫ですよ。私達女の子同士ですから?」

 そう言って由衣がわたしの腕をどかそうとする。

「そういう問題じゃないでしょ。わたし、元は男なんだよ?今だって、体は女の子だけど心は男なんだから」

「私は紀衣さんだったらどっちだって構いません」

 その時の由衣はとても真摯な眼をしていた。

「由衣、それって……」

 由衣もはっとしたように口を押さえたけど、やがてはにかむように笑った。

「言っちゃった……」

 わたしは継ぎはぎな記憶の中から由衣との思い出を手繰りよせた。

 拗ねた顔。

 困った顔。

 悲しそうな顔。

 はにかんだ顔。

 でも、いつからだろう。

 ころころと変わる由衣の表情が最後にはいつも幸せそうな、満ち足りたものになっていた。

「ずっと好きでした。あなたの側にいられることが嬉しくて、それだけで幸せだった」

 由衣はいつからそんなふうにわたしを見ていたのだろう?

 今の自分には解からない。

 いや、例え記憶があったとしても男だった頃のわたしじゃ気づかなかっただろう。

 よく鈍いって言われてたような気がするし。いやいやそんなことよりも、今はこの状況だ。

 由衣は本気みたいだし、いや、嬉しいんだけど、女の子同士ってのはやっぱり抵抗がある。

 せめて、男だったら……。

 そこまで考えて、わたしは思わずハッとした。

 あまりにも普通に順応してるせいで忘れてたけど、そうだったんだよね。

 わたしはみさきちゃんの言葉を必死に思い出していた。

 ――あなたが女性にされたのはある人物の趣味です。

 でも、元に戻る方法はあります。

 そのとき、あなたは選ばなくてはいけません。

 男性だったことを忘れ、女性として生きるか。

 特別な関係をリセットして、男性に戻るか。

 そうだ、わたしはどちらかを選ばなくてはいけないんだ。

 だけど、選んでしまったら……。

 ふにゃ。

 そこでわたしの思考は中断された。

「うわ〜、柔らか〜い……それにすべすべしてて気持ちいい」

「なっ!?ゆっ由衣……っ」

 気づけばわたしは全裸にされていた。

「紀衣さんがぼーっとしてるからいけないんですよ」

 そう言って、由衣はイタズラっぽく舌を出す。

 わたしは全身を隠すように体を丸めて由衣に抗議した。

「もう、ダメって言ったのに」

「いいじゃないですか。別に見られたからって減るもんじゃないし。それに私達女の子同士だし。だ・か・ら♪もっとよく見せてください」

 そう言って由衣がわたしに飛び掛ってくる。

「うわっ。……っと、危ないでしょ」

 わたしは思わずそれを受け止めてしまった。

「えへへ、紀衣さんの体。いい匂いがします。……う〜ん、美味しそう」

「こらこら離れなさい」

 わたしは恐ろしく不穏当な由衣の台詞に、急いで由衣を引き剥がしにかかった。

 これ以上由衣に何かされたらたまったものじゃない。

「ああん、そんなとこ触っちゃだめですよぉ。私感じちゃいます」

「あっ、ごめん」

 わたしは慌てて手を引っ込めた。

「なんだ。紀衣さんだってその気なんじゃないですか〜。もう、照れ屋さんなんだから。最初からそう言ってくれれば私だっていろいろ準備したのに」

「準備って何のっ!?

「さっ、紀衣さんも私の服脱がせてください」

 わたしのつっこみを軽く流すと、手を取って服を脱がそうとする由衣。

「ちょっと待って。もしかしてわたしが脱がせるの?」

「やっぱり体を重ねるには裸同士が最適かと」

「いや、そうじゃなくて……。なんでそういうことになるの?」

「そういうことってどういうことですか?」

 言いながらも由衣はわたしの手を自分の胸に持っていかせようとする。

「だからそういうことだよっ!!

「もう男の人がいちいち細かいことを気にしてちゃだめですよ」

「都合の悪い時だけ男にしない」

 そんなことをしばらく続けていると急に由衣が唇を尖らせて呟いた。

「どうして柚菜先輩はよくて私はダメなんですか?」

「どっ、どうしてそれをっ!?まさか、柚菜が……」

 あの時のことを柚菜が由衣に話しているのならあり得る話だ。

「柚菜先輩は教えてくれませんでした」

「じゃあどうして?」

「……見てましたから」

「なっななななななんだって――――っ!!

 あの倉庫にそんな場所があるとは思えない。

 いや、ないことはないけど、あそこからだと中の様子は伺えないはず。

 それに、あそこは由衣の大きさだと入れないんじゃないだろうか。いったいどうやって?

「私も柚菜先輩と同じです。私だって紀衣さんのことが好きです。一人の女性として見て欲しいです」

「由衣……。わたしは柚菜のことも由衣のことも大事に思ってる。だけど、それが恋愛の好きなのかどうかは自分でもまだ分からないんだ。だから……」

 ちゅっ。

「あっ……」

 わたしは由衣を抱きしめて由衣の唇に自分の唇を重ねた。

「今はこれで許してほしい」

「紀衣さん……。でも、やっぱり、答えは最初から出ちゃってるんじゃないですか?」

「それって……」

「それ以上は言わないでくださいっ!!

 口を開きかけるわたしを由衣が大きく頭を振って遮る。

「記憶が戻っちゃったら紀衣さんは私の手の届かないところにいっちゃう。だからそうなる前に私を抱いてください。私に思い出をください」

 由衣はうっすらと眼に涙を浮かべていた。

 その眼は今までにわたしが見たこともない眼だった。でもこの眼に覚えがある、そう柚菜だ。

 あの時、思い出にすがらせてと言った柚菜の眼に今の由衣の眼が重なった。

 だけど由衣のこんな表情をもっと別の場所で見た気がする。そうあれは確か……。

 ずきんっ!!

「う…あ!?……っ、まただ」

 頭がちりちりと焼かれるように痛い。

 脳裏に浮かぶ由衣の笑顔と真っ赤な水溜り。

 ダメだっ!!これは思い出してはいけない。

 何故だか解からないけどこれは思い出しちゃいけないものなんだ。

 わたしは必死に頭を振ってその記憶を追い払う。

 しばらくして頭痛が治まった。

「それが貴方の優しさです。でもそれはちょっとだけ私達には酷なものでした。紀衣さんが記憶を取り戻したとき、どうなるのか私達には解かりません。それでも信じます。紀衣さんは紀衣さんです」

「由衣」

「紀衣さん?」

 気がつけばわたしは由衣を抱きしめていた。

「由衣がどう思っていてもわたしは由衣に悲しい顔をしてほしくない。今のわたしに、そんなこと言う資格無いかもしれないけど、由衣には笑っていて欲しいから」

「紀衣さん。……優しくしてくださいね。私、初めてなんですから……」

「うん、解かってる」

 紅茶の香りが漂う部屋の中に微かな衣擦れの音が聞こえた。

 


 あとがきのあとがき

麗奈「やったわね」

真雪「ああ、ついにここまできたんだな」

知佳「ねえ、二人してなんの話してるの?」

佐祐理「あはは、紀衣さんが由衣さんにやっと手を出したって言うお話です。これでめでたく二股となったわけですね。これからどうなるのか楽しみですね」

麗奈「まったくだわ。それにそろそろアレも出てくるころでしょうしね……ふふふ、ますます面白くなりそうだわ」

佐祐理「それでは今回はこのへんで次回もお楽しみに」

知佳「なんだか雲行き怪しくなってきたんだけど……」

 

 





泣いたかと思えば、急に怪しい雰囲気に。
美姫 「ころころ変わる由衣」
そして、遂に魔の手が…。
美姫 「まあ、本人は喜んでいるみたいだけどね」
にしても、所々で記憶が戻りつつあるみたいだな。
美姫 「そうみたいね。一体、どうなるのかしら」
ワクドキしつつ次回!
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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