あとがき物語 二つの伝説 3−A
*
わたしはとある一軒家の前に立っていた。
「確かここでよかったんだよね」
メモと表札を確かめながら呟く。
今日は由衣と一緒に彼女の家で期末テストの勉強をする約束をしていたんだ。
由衣が妙に張り切っていたのが気になるけど。
何かよからぬことを企んでるんじゃないだろうかと少し不安になってしまう。
それにしても。
由衣の家に来るのは今日が初めてのはず。
……なんだけど、なんだろう。ここに前にも来たような気がするんだよね……。
記憶の糸を手繰ってみたけど、やっぱり思い出せなかった。
柚菜だけじゃなく、由衣のことも靄のかかってるところが多いみたいだ。
「ふう、考えてても仕方ない。なるようになれだ」
わたしは溜息まじりにそう言うと、インターフォンのボタンを押した。
ポチッ。
「あっ、間違えた。こっちだった」
ピンポーン。
「は〜い」
しばらくして、由衣の元気な声が家の中から聞こえてきた。
そういやさっき押したスイッチってなんだったんだろう?
一瞬よぎった嫌な想像を振り払って、わたしは玄関の扉が開くのを待った。
「あっ、紀衣さんいらっしゃい」
しばらくして由衣がひょこっと顔を出した。
「やっ、来たよ」
「はい♪さっ、中に入ってください」
促されるままに玄関で靴を脱いで上がるわたし。
「今日は両親が仕事で出かけていて私一人なんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
「はいっ。だから、今日は紀衣さんとふたりっきりです♪」
「そっ、そうなの……」
なんだかものすごく嫌な予感がするけど、とりあえず気にしないでおこう。
「んっ?ねえ由衣」
「なんですか?」
「ここに置いてあった花瓶は?」
わたしは玄関の下駄箱の上を指して由衣に尋ねた。
確かここには花瓶が置いてあって、いつも何かしらの花が飾られていたはずだ。
「あれ?わたし何言ってるんだろ。ここに来るのは初めてのはずなのに……」
確かに玄関での光景に懐かしさと違和感を覚えたのだ。
あそこには花瓶がある。わたしはこの家に入る前から想像していた。
今日はどんな花が飾ってあるのだろうと……。
困惑してわたしは由衣のほうを見た。
彼女は何も言わず優しく笑うだけだった。
「私の部屋は二階ですから案内しますね」
「うっ、うん……」
そう言って由衣はわたしの手を引っ張った。
「……あの花瓶は今はキッチンに飾ってありますよ」
「えっ?由衣今なんて」
「なんでもありませんよ〜。さっ、こっちです」
振り向いてにっこり笑うと、由衣はわたしを引っ張っていった。
う〜ん、なんか引っかかるなあ……。
*
「それじゃあ私はお茶の用意をしてくるので適当にくつろいでてください」
そう言って由衣は部屋から出て行った。
「へえ、ここが由衣の部屋か……」
それほど広くはないけど、狭いわけでもない。
一人で過ごすには快適な広さだった。
わたしの部屋はやたらと広いからのびのびとはできるけど、一人でいるには少し寂しい。
「けっこう綺麗に片付いてるんだ」
女の子の部屋を物色するのはよくないと思いつつ、好奇心からあたりを見回すわたし。
ベッドの横には謎の生物のぬいぐるみ。
最近の流行なのかな。わたしには分からないけど。
そして、壁にはわたしの写真がところ狭しと貼られている。
いや、部屋に入ったときから気づいてはいたんだ。けど、見ないようにしてた。
だって、どれも引き伸ばして額に納められているんだもの。
登校時の眠そうな制服姿。
授業中の一見真剣に見える横顔。
果ては寝顔まで……。
「いったいいつ撮ったんだ……」
顔をひきつらせながら写真を見ていると、一枚だけ趣の違う額があることに気づいた。
そこには一人の少年が映っていた。
「これって……」
そう、そこに映っていたのは少し前までの“僕”だった。
「どうしてこんなものがここにあるんだ……っ!?」
その時、不意に誰かの声が聞こえた。
――きいく〜ん、まってよ〜っ。
それは幼い日のわたしと……由衣?どうしてこんな昔の記憶に由衣が……。
「この写真の風景、どこかで見たことあるような……。どこだ」
わたしはもっとよく見ようと壁に手をついて顔を近づけた。
その拍子に額と壁がぶつかって、何か硬い物が落ちる音がする。
慌てて音のしたほうを確かめると、そこにはどこか見覚えのある古びた鍵が落ちていた。
いや、鍵なんてどれも大して変わらないだろう。
これだって別段変わった形をしてるわけじゃない。
「額の裏にでもかけてあったのかな?」
わたしはその鍵を拾い上げて、ふと気づいた。
錆付いたその鍵に、僅かだがそれとは違う赤黒い何かが付着していることに。
――血……。
咄嗟に連装したイメージの鮮烈さに、思わず息を呑む。
眩暈がした。
イメージに引きずられるように、幾つかの断片的なヴィジョンとワードが渦巻いていて。
吐き気を堪えるように口元を手で押さえ、わたしは軽く頭を振ってそれらを追い出した。
「紀衣さん、お待たせしました」
それから幾らもしないうちに由衣が部屋に戻ってくる。
わたしは咄嗟に鍵をポケットに入れると、用意されていたテーブルの前に座った。
「うわぁ、いい匂いだね」
内心の動揺を悟られないように、平静を装いつつティーカップへと手を伸ばす。
「えへへ♪紀衣さんのお口に合うといいんですけど。あとお供にクッキーを焼いたんです」
そう言ってテーブルの上に色とりどりのクッキーが盛られた皿を置く由衣。
「由衣はお菓子作るの上手いからね。どれどれ……うん、美味しい」
一つ摘んでほお張り、感想を言うと由衣はホッとしたように笑みを浮かべた。
この子のこういう自信のなさは昔から変わらないなと思う。
大丈夫、って言ってもらえないと不安でしょうがないんだって本人は言っていたけど。
本当に得意なことくらい、胸を張っても良いのに。
「それにしてもすごいねこの部屋。わたしの写真でいっぱいだよ」
「紀衣さんの鮮やかな姿を永遠に閉じ込めておきたくてこっそり撮っちゃいました」
「そ、そう……」
「どれもベストショットですよ」
そう言ってにこにこと笑う由衣に、わたしの頬を一筋の冷たい汗が流れる。
「で、でも、一枚だけ違う写真があるみたいだけど」
何だか変になりかける空気を追い払うようにそれを指摘するわたし。
「あっあれは……その、えっと」
すると途端に由衣は顔を真っ赤にして言いよどんだ。
「……ラッキーだったんです」
「えっ?」
「そう、あの時呼び止めていなければこの写真は永遠に撮られることはなかったから」
そう言ってそっと目を伏せる由衣は何処か別の人みたいで、わたしを酷く不安にさせた。
「大丈夫ですよ。紀衣さんは男の子より女の子のほうが似合ってますから。可愛いですし」
そんなわたしの内心を他所に、由衣は笑顔でとんでもないことを言ってくれた。
「由衣、どうしてわたしが男だったってこと知ってるの?」
わたしが元は男で、女になってしまったというのはみさきちゃんしか知らないはずだ。
柚菜は何か知っている素振りをみせていたけど、まさか、由衣まで……。
「あっ……!?」
わたしの問いかけに由衣はしまったというふうに手で口を押さえた。
「ねえ由衣、あの写真に写っているのは誰なの?」
「べっ、勉強始めましょ」
由衣はあからさまに慌てた様子でテーブルの上に教科書を広げ始めた。
「由衣、……むぐっ!?」
「解からないところがあったら教えてくださいね」
由衣は笑顔でそう言いながら、わたしの口を皿の中のクッキーで塞ぐ。
こうなったら帰るまでに意地でも白状させてやるんだから。
*
かりかりかりかり……。
部屋の中には紅茶のいい香りとシャーペンを動かす音だけが響いていた。
由衣はわたしの向かい側で黙々と勉強に集中している。
わたしと眼を合わせようとしないのは追求されるのを避けるためなんだろうけど。
わたしのことが気になるのか時折ちらちらとこっちを見てくるのが何だか可愛い。
……はっ、いけないいけない。
危うく可愛さに負けて挫けそうになるのを、軽く頭を振って堪える。
由衣は時折眉間にしわを寄せながら教科書と格闘していた。
そういえばこんなことが昔あったような気がするな。あれはいつだったろう……?確かあの時も由衣と一緒だった気がする。
「む〜……」
わたしが物思いにふけっていると、前のほうから唸り声が聞こえてきた。
ついに行き詰ってしまったみたい。これはチャンスだ。
「由衣、どうしたの?何か解からないとこでもあった」
「あっ、えっと……っ!!いえっ、なんでもありません」
由衣は頷こうとしてそれに気づいたのだろう。
わたしの顔をみてはっとした表情になると、慌てて首をぶんぶんと横に振った。
「そう?でも解からない所があったらいつでも聞いてね」
「はっ、はい」
由衣は笑顔で頷きながらも恨めしそうにわたしを見ると、教科書に視線を戻した。
さて、どこまで耐えられるかな。
わたしはこっそり由衣の顔色を伺いながら、素知らぬ顔で自分の教科書をめくった。
それにしても教科書って解かりにくい書き方が多いなあ。
そんなことを思いながら、歴史の教科書に載ってる人物写真に落書きをしてみたり。
だって、退屈なんだもん。
*
「あ〜もう、なんでこんなもの勉強しなくちゃいけないのよ〜」
しばらく勉強に没頭していると、由衣の情けない声が聞こえてきた。
「くす、やっぱり解からないところがあるんじゃないの?よかったらわたしが見てあげようか」
「いえっ、大丈夫です」
わたしが声をかけると由衣はぶんぶんと首を振って教科書を睨み付けた。
「うう、絶対負けませんよ〜」
由衣は眉間にしわを寄せてそう呟いた。
彼女のこんな顔をわたしは前にもどこかで見たことがあるような気がしていた。
どこだったかな。
それにこの家にだって来るのは今日が初めてのはずなのに、何だか懐かしいんだよね。
記憶が曖昧になってから大分経つけど、未だに戸惑うことが多い。
状況が変わらない以上、上手く付き合っていかないといけないんだろうけど。
う〜ん、難しいな〜。
そんなことを考えているとまた記憶の欠片が頭の隅をよぎった。
――きいくんのいじわる〜。
それはとある公園の風景、わたしを恨めしそうに見上げる大きなリボンをつけた少女は……。
「あれっ?」
わたしは教科書と格闘している由衣の頭に結ばれているリボンを見て、既視感を覚えた。
「ねえ由衣、そのリボンずいぶんと古そうだね」
「えっ?ああ、これですか」
由衣はやや警戒ぎみにわたしの問いに答えると、頭のリボンに触れた。
「うん、それ」
「小さい頃から使ってるやつですからね。所々傷んでるのは紀衣さんのせいですよ」
「わたしの?」
「はい。あの頃はまだ紀衣さんもやんちゃで虐めっこな男の子でしたから」
懐かしそうに眼を細める由衣にわたしは別の意味で眼を細めた。
「ねえ由衣?」
「はい?なんですか」
わたしは小首を傾げる由衣に笑顔で言った。
「どうしてわたしが男だったってこと、知ってるの?」
「あっ……」
由衣ははっとした表情で立ち上がると一歩後退った。
「そっ、そんなこと言いましたっけ?」
明らかに動揺して眼を泳がす由衣。
「もう言い逃れはできないよ。さっき言ったよね。あの頃はまだわたしも男だったって」
「うっ……」
誤魔化せないと解かったのか、由衣はじりじりと後退る。
「わたしが男だったってことは柚菜にも話してないんだ。まあ本人は何か知ってるみたいだけど」
そう言ってわたしも立ち上がると、テーブルを迂回して由衣の前に立つ。
「それにあの写真の男の子、あそこに写ってるのはわたしだよね?あれはいつ撮ったの」
「わっ私、お手洗いに行ってきますっ」
そう言って駆けだそうとした由衣は足元に重ねて置いていた教科書につまずいた。
「由衣っ!」
わたしはとっさに倒れる由衣を抱きとめた。
「わわっ!?」
「きゃぁっ!?」
抱きとめたと思ったのも束の間、
彼女の体はわたしを押し倒す形で傾き、二人は縺れ合うようにしてベッドに倒れ込んだ。
あとがきのあとがき
麗奈「今回は二人っきりの勉強会ね」
真雪「勉強会といえばお約束のあれはあるのか?」
佐祐理「それは由衣さんの努力次第です」
真雪「どっちが受けでどっちが攻めなんだ?」
麗奈「攻めはやっぱり紀衣でしょ。一応主人公なんだし」
佐祐理「そうですね、主人公が受けじゃ示しがつきませんからね。紀衣さんには頑張ってもらいましょう」
真雪「てーことは次回はあれか?もつれて倒れて気がついたらベッドの中で彼女を抱いてたっていう」
麗奈「そうなるように頑張ってもらわないとね」
佐祐理「はい、楽しみです。失敗したら紀衣さんにはお仕置きが待ってます」
知佳「はあ、この人達は……あっそういえば最初に紀衣さんが間違えて押したボタンは?」
麗奈「ふっふっふ、アレは後々おおいに紀衣を追い詰めてくれる特製ネタよ」
佐祐理「あはは♪きっと紀衣さん後悔しますよ」
紀衣「そっそんな……」
佐祐理「そんなわけで次回もお楽しみに」
麗奈「ふっふっふ、ただの色恋沙汰じゃ終わらせないわよ〜」
紀衣「ひいいいいぃぃぃぃ」
ちらちらと過去の映像がフラッシュバック。
美姫 「そんな中、二人はもつれ合うように…」
次回はどんな展開に!?
美姫 「果たして掲載できる程度に収まるのかしら」
秘密の花園が展開してしまうのか!?
美姫 「全ては紀衣さん次第!?」
次回を待ってます。