『青砥縞花紅彩画』
第二幕 神輿ヶ嶽の場
同 谷底稲瀬川の場
足軽一「おい、大変なことになったのう」
足軽二「おう、姫様のことじゃな」
足軽一「うむ、小太郎様と共に出奔されたことじゃ」
足軽二「あの大人しい姫様がのう。わからぬことじゃ」
足軽一「呑気なことも言ってはおられぬぞ。小太郎様は謀反人じゃ」
足軽二「それは知っておる。てっきり亡くなられたとばかり思うておったが」
足軽一「生きておられたとはのう。だがかなり落ちぶれておられるそうだぞ」
足軽二「そうであろうな。さて、姫様はご無事なのか」
足軽一「今のところはな。わび住まいの中で頑張っておられるらしい。糸や機を手にとってな」
足軽二「(それを聞いて感嘆して)健気なことじゃ」
足軽一「この辺りにおられるとは聞いておるがな」
足軽二「(頷いて)うむ」
足軽一「この辺りはあらかた探したし別の場所に移ろうぞ」
足軽二「そうじゃな。それがいい」
足軽一「あちらに行こうぞ」
足軽二「よし」
二人はその場を去る。右手に消える。それと入れ替わりに弁天が千寿を連れて左手から出て来る。
弁天「(足軽達の消えた方を見て)今のはまさか」
千寿「間違いありませぬ。我が小田家の者です」
弁天「遂にここまで来ましたな」
千寿「(青い顔をして)はい」
弁天「ですが見つかるわけにはいきませぬぞ。ここが肝心の時」
千寿「わかっております」
弁天「お疲れでござろうが今は耐え時。観念して下さいませ」
千寿「貴方様とご一緒なら何処までも。さあ行きましょう」
弁天「(頷いて)はい」
千寿「では参りましょう」
二人はそのまま舞台の中央に向かう。そしてそこでふと立ち止まる。
千寿「如何なされました」
弁天「これはよい(明るい顔で)」
千寿「何かよいことでも」
弁天「姫、喜びなされ。あちらに辻堂が見えまする」
千寿「辻堂が」
弁天「はい、そちらでちと休みましょうぞ。女子には山道はこたえましょうから」
千寿「よろしいのですか」
弁天「はい。ではあちらへ」
千寿「わかりました」
二人はそのまま舞台の右に向かう。そこに石が二つ置かれる。
弁天はそこの右の石に座る。千寿は左に座る。
弁天「(耳を澄ませながら)もうここには追っ手はおりませぬぞ」
千寿「まことですか」
弁天「はい、声が遠くへ向かっておりまする。もう諦めて下っているかと」
千寿「(明るい顔になって)まことでございますか」
弁天「ええ。これで難は避けたかと」
千寿「それは何より」
弁天「(千寿の顔を覗いて)姫、お疲れでしょう」
千寿「え、いえ(それを否定する)」
弁天「いえ、隠さずとも。追っ手はもう来ませぬし」
千寿「左様ですか」
弁天「さ、どうか素直にお話下され。咎めはしませぬ故」
千寿「それでしたら。やはり足が痛うございます」
弁天「左様でござったか」
千寿「(頷いて)はい」
弁天「無理もござらん。かなり歩きましたからな」
千寿「それにいささか心細いのです」
弁天「山ですからかな」
千寿「はい」
弁天「(辺りを見回して)ここはかなり深いですからなあ。猪や狼も出ますぞ」
千寿「(それに驚いて)まことですか」
弁天「左様。お気をつけなされ。山は危のうございますぞ」
千寿「わかりました。ところで」
弁天「はい」
千寿「小太郎様の屋敷というのはどちらでしょうか。もうかなり歩きましたが」
弁天「屋敷でござるか」
千寿「はい。仮住まいとお聞きしておりますが」
弁天「如何にも」
千寿「何処でしょうか」
弁天「(思わせぶりに)お知りになりたいか」
千寿「勿論。もうすぐでしょうか」
弁天「はい」
千寿「それはどちらで」
弁天「(ふてぶてしい顔で笑って)ここでござる」
千寿「(最初言葉の意味がわからず)えっ」
弁天「ここが拙者の仮の住まいでござる」
千寿「まことですか」
弁天「左様、実はこの山には二人の盗賊がおりましてな」
千寿「盗賊」
弁天「そうです、そのうちの一人は南郷力丸。この名は御存知ですかな」
千寿「噂では。何でも海賊だったとか」
弁天「その通り。気の荒い男でしてな。そしてその相方もおるのです。その男のことも聞いておりましょう」
千寿「はい。弁天小僧だとか。時として女にも化けるとか」
弁天「そうです、実に悪賢い奴でしてな。色々と悪事の限りを尽くしておるのです」
千寿「何と恐ろしい」
弁天「恐いですかな」
千寿「ええ。その様な者達がこの山に潜んでいるかと思いますると」
弁天「いや、恐がる必要はありませぬぞ」
千寿「(不思議そうに)何故でしょうか」
弁天「そのうちの一人が今ここにおるからです」
千寿「えっ!?それはどういうことでございますか」
弁天「(ニヤリと笑いながら)その弁天小僧とはこの俺のことなのさ(自分を指差しながら言う)」
千寿「では小太郎様というのは」
弁天「残念だったな。騙りよ」
千寿「ではあの時のお侍も」
弁天「あれが南郷力丸さ。俺らの兄貴分よ」
千寿「何ということ。小太郎様とお思いしたのに」
弁天「まあ運がなかったと諦めるんだな」
千寿「(ここで弁天の懐にあるものに気付く)ん」
弁天「どうした」
千寿「その笛は(ここで弁天の懐を指差す)」
弁天「(はたと気付き)おお、これか」
千寿「それは千鳥の笛ではありませぬか。我が家が結納の品として信田家にお送りした」
弁天「その通りじゃが」
千寿「それを何故貴方が持っておられるのでしょうか」
弁天「譲り受けたのじゃ」
千寿「(怪訝そうに)譲り受けた」
弁天「そうじゃ。去年の冬信州路から甲州への路である若者に遭ったのよ」
千寿「その若者とはもしや」
弁天「そうよ、それが信田の若様だったのじゃ。丁度路で倒れておってなあ」
千寿「そして」
弁天「介抱したのじゃがもう手遅れでな。俺にこの笛を渡してくれたのさ。これを小山の家に返してくれと言ってな」
千寿「では小太郎様は(さらに顔が青くなる)」
弁天「残念じゃが。胡蝶の香合をこれと交換して信田家の菩提円覚寺に収めてくれという言葉を最後にな。それを葬ってからここに戻ってきたのじゃ」
千寿「(嘆いて顔を伏せて)ああ」
弁天「悲しいか」
千寿「悲しくない筈がありましょうか。小太郎様がこの世におられぬというのに」
弁天「死んだ者は帰っては来ぬ。今日からは俺の女房にならぬか(そう言いながら千寿の手を取る)」
千寿「嫌(その手を振り払う)」
弁天「何と」
千寿「小太郎様がおられぬのならもう生きている意味はありませぬ」
弁天「どうするつもりじゃ」
千寿「決まっておりまする(そう言って立ち上がる)」
そしてそのまま舞台の左手に向かう。弁天はそれを追おうとするが真ん中で立ち止まる。
弁天「待たぬか。何処にも逃げられはせぬぞ」
千寿「(首を横に振って)この世になければ他にも行く場所がございます」
弁天「それは」
千寿「こちらです」
そして千寿は左手に飛び降りる。こうして彼女は自害してしまう。弁天はそれを見ながら残念そうな顔をする。
弁天「ちぇっ、惜しいことをした。綺麗な姫様だったのにな。まあそれも仕方ないか。実はその小太郎様ってのは俺に殺されてるんだからな(ここで凄みのある笑みを浮かべる)」
弁天「身の上を聞いた後でばっさりと切り倒してこの笛を奪ったのは流石に言えねえわな、まあこれで笛も香合も手に入ったし言うことはないがな。さて」(ここで後ろに向き直る)
弁天「それでは引き揚げるか」
日本「待たれよ」
右手から日本駄右衛門が現れる。きゃはんに草鞋、旅の出で立ちに鼠衣、頭巾、腰には如意という出で立ち。
弁天「誰じゃ」
日本「はい、こちらへ来て下され」
弁天「見たところ旅の修験者の様でござるが何用ですかな」
日本「実はこの山に入って寝る場所を探しておったのですが」
弁天「はあ」
日本「この辻堂はどうでしょうか」
弁天「そこは拙者が仮すまいですが」
日本「おお、そうでしたか。では仕方ありませんな」(ここで去ろうとする)
弁天「(それを引き留めて)あいや、待たれよ」
日本「(向き直る)はい」
弁天「泊まって行かれよ。この山は何かと物騒ですからな」
日本「よろしいのですか?」
弁天「はい、どうぞどうぞ。(ここで独白)寝ている間にこっそり金でもすってやろうぞ」
日本「それでは。ところで」
弁天「はい」
日本「ここにはどうしておられるのですかな」
弁天「まあ色々と事情がござって」
日本「左様ですか。見たところ卑しからぬ相のようですが」
弁天「(笑いながら)人の顔なぞあてにはなりませぬぞ」
日本「左様でござろうか。あいや」
弁天「どうなされた」
日本「どうやらそこもとはかなり身分のある御方のようでござる」
弁天「(笑いながら)またその様な戯れ言を」
日本「いえ、そこもとが持たれているものが何よりの証拠でござる」
弁天「拙者が?何を?(とぼけるがここで駄右衛門をあやしむ目で見る)」
弁天「(独白)こやつ、まさか」
日本「そこもとが持たれているもの、それは胡蝶の香合ですな」
弁天「(とぼけて)何でしょうか、それは」
日本「小田家が信田家に結納として御贈りしたもの、御存知ないとは言わせませぬぞ」
弁天「(怖い顔をして)何故それを知っておられる」
日本「先程のことは拝見させてもらっておりましたので」
弁天「ほお」
日本「それを拙者が譲り受けたいのですが」
弁天「わしが嫌だと言えば」
日本「こちらにも考えが」
弁天「あいや、よくわかった」
日本「それは何より。では香合を」
弁天「誰が渡すか。盗人が手に入れたものを手渡すとでも思っているか」
日本「ほお、化けの皮を剥いだか。その方が似合うておるわ」
弁天「戯れ言を。貴様も同じであろう。只の坊主ではあるまい」
日本「如何にも(ここで立ち上がる)」
弁天「名乗れい、何者じゃ(弁天も立ち上がる)」
日本「(不敵に笑い)聞きたいか」
弁天「斬る前に聞いてやる。さあ名乗れい」
日本「よかろう。日本駄右衛門の名は知っていよう」
弁天「(驚いて)何っ、それじゃあ貴様が」
日本「そうよ、東海道にその名を轟かす賊徒の調本日本駄右衛門とは俺のことよ」
弁天「ほう、ここであの大親分に出会えるとは縁起がいいや(ふてぶてしい顔で笑う)」
日本「わしの名を聞いて驚かぬか。これはまた見事な肝っ玉じゃな」
弁天「褒めたって何も出ねえぞ」
日本「綺麗な顔をして殊勝なこと。では貴様も名乗れい」
弁天「弁天小僧ってのを知っているか」
日本「この鎌倉を根城にする盗賊じゃな。何でも女に化けるのが上手いというな」
弁天「それがこの俺よ(自分を親指で指差して言う)」
ここで見得に入る。
弁天「ガキの折から縁あって岩本院に稚児奉公、手習いかなんぞそっちのけで賽銭をくすねて島を追い出され、あっちこっちと巡る中に持ったが病の昼稼ぎ、元が江ノ島で育ったところから誰言うとなく弁天小僧、名も音羽屋の祖父さんに由縁ある菊之助という。冥土の土産に知っておけい」
日本「ほう、見事なことよ。では香合を渡してもらおうか」
弁天「嫌だと言ったら!?」
日本「無理にでも手に入れるまで」
弁天「こっちも相手が日本駄右衛門だといって引かねえぞ」
日本「わしが引くとでも思うか」
弁天「面白い、じゃあやるか(ここで脇にさしている刀を抜く。駄右衛門も腰にある如意を出す)」
弁天「行くぞ」
日本「望むところ」
二人は打ち合いをはじめる。弁天も強いが日本駄右衛門にはかなわない。そして遂に刀を落とされる。
日本「勝負あったな」
弁天「くっ」
日本「さあ香合を渡してもらおうか」
弁天「ふん(ここでどっかりと腰を下ろす)」
日本「(それを見て)どういうつもりじゃ」
弁天「殺しなされい」
日本「どういうつもりじゃ」
弁天「この弁天小僧、負けたとあってもじたばたしねえ。さあ一思いにやりなされ。そして香合を盗りなされ」
日本「負けたから死ぬと」
弁天「(頷いて)左様」
日本「(考えながら)ふむ」
弁天「さあどうぞ」
日本「いやはや、増々殊勝な心掛け、気に入ったわい」
弁天「それはどういう意味でござろう」
日本「他でもない、わしの手下にならぬか」
弁天「(ぎょっとして)何と」
日本「その腕前に心掛けいたく気に入った。頭分として迎え入れたいのだが」
弁天「頭分ってえと」
日本「そうじゃ、忠信と同じじゃ。これからはわしの手足となるがいい」
弁天「まことですかい」
日本「この日本駄右衛門、天下を股にかけておる、嘘は言わぬ」
弁天「それでしたら。(ここで頭を下げる)」
弁天「こっちもその強さと度量に感じ入りました。是非末席に加えて下され」
日本「よし、これでお主もわしが手下じゃ。これから宜しく頼むぞ」
弁天「へい(ここで懐に入れていた香合を出す)」
日本「どうしたのじゃ」
弁天「手下となったからには頭に差し出すのは道理」
日本「(首を横に振って)それには及ばぬ」
弁天「何故ですかい」
日本「手下となったからには手前の働き、貰うには及ばぬわ」
弁天「左様ですかい」
日本「うむ。それよりも連判じゃ。ここではちと暗い。場所を変えようぞ」
弁天「わかり申した」
ここで二人は見得を切る。そして暗転。舞台が暗闇の中に。
その間に切り替わる。川の側である。谷底稲瀬川の場に移る。
台詞「山の端にいつしか月も木隠れて、暗き谷間は鷲のほう法華経の声絶えて、紅蓮の氷解けやらぬ八寒地獄に異ならず」
明るくなる。そこには千寿が倒れている。
千寿「(起き上がりながら)ここは」
側に流れる川を見て言う。
千寿「三途の川?(そう思い辺りを見回す)」
そこへ三人が左手からやって来る。見れば夫婦連れである。千寿は三人を見て起き上がる。そして声をかける。
千寿「もし」
主人「はい」
千寿「こちらは何処でしょうか。三途の川でしょうか」
細君「三途の川」
千寿「はい。私は死んだのでございましょうか。そして三途の川に」
主人「(笑いながら)何を言われるやら」
千寿「違うのでしょうか」
主人「はい、ここは稲瀬川ですぞ」
千寿「稲瀬川」
細君「はい、ここは谷の底でして。如何なされたのですか」
千寿「(言おうとしたが思うところあったので止める)いえ」
主人「まあこの様な辛気臭い場所は早く下がりなされ。魚以外何もありませぬぞ」
細君「そうですよ。魚を釣りたければよいですが」
子供「おとう、おかあ、早く家に帰って食べようよ(そう言って二人を急かす)」
細君「これ、人の前で」
主人「(妻を宥めて)まあまあ。ではそういうことなので」
三人「(千寿に振り向いて)それではご機嫌よう」
千寿「はい」
こうして三人は千寿と別れた。三人は右手に消える。そして千寿はまた一人になる。ここに左手から赤星がとぼとぼと出て来る。千寿は最初それに気付かない。
赤星「(項垂れながら)これからどうすべきかのう」
千寿ようやく彼に気付く。
千寿「もし」
赤星「(彼もその声に気付く)はい(そして千寿に顔を向ける)」
千寿「ここは稲瀬の谷底というのはまことでしょうか」
赤星「(頷いて)はい。大仏の神輿ヶ嶽の下道でその稲瀬の川端ですぞ」
千寿「左様でしたか。どうやら命はあるのですね」
赤星「どうなされたのですか(ここで千寿の服を見る)見たところやんごとなき身分の方のようですが」
千寿「(戸惑って)それは」
赤星「拙者は信田の家の臣であった赤星十三郎という者でござる。今はこの有様ですが決して怪しい者ではござらぬぞ」
千寿「信田の」
赤星「(頷いて)はい」
千寿「では小太郎様の」
赤星「はい、かっては我が主君でございました。今は行方が知れませんが」
千寿「(俯いて)亡くなられました」
赤星「(驚いて)何と」
千寿「甲州で。病だったとお聞きしています」
赤星「左様ですか。では御家の復興はもう(絶望した調子で言う)」
千寿「適わぬでしょう。そして私も」
赤星「私も。気になっていたのですが」
千寿「(顔を赤星に向けて)はい」
赤星「貴女様は何方でしょうか。見たところかなり身分のあるお方のようですが」
千寿「小太郎様の御許嫁でありました。小田の千寿と申します」
赤星「貴女がそうでしたか。まさかこの様な場所で御会いするとは」
千寿「そしてここで小太郎様の御家の方に御会いするとは」
二人「また何という縁でございましょう」
千寿「赤星殿」
赤星「はい」
千寿「小太郎様亡き今私はもうこの世にいる意味はありませぬ。これで去りたく思います」
赤星「それは拙者も同じこと」
千寿「それでは二人で」
赤星「はい、三途でまた御会いしましょう」
千寿「わかりました。ではお先に」
赤星「はい」
千寿は川に飛び込む。舞台から飛び降りる。そして姿を消す。
後には赤星だけが残る。赤星は千寿を見送るが暫くして意を決する。
赤星「姫、それがしも御供致します」
そう言って腰の刀を抜く。それで腹を切ろうとする。そこに右手から忠信が出て来る。
忠信「(赤星が腹を切ろうとしているのを見て慌ててやって来る)あいや、待たれよ」
赤星「(それを払おうとして)止めて下さいますな」
そして無理矢理腹を切ろうとする。忠信はその手をとる。
忠信「だから待たれよ、死に急いで何になりましょうか」
赤星「これには事情がござる」
忠信「死のうとされるからにはそうでござろう。しかし若いみそらでそう思い詰められるのはよくないですぞ。よかったら拙者にわけを話しては下さらぬか」
赤星「(忠信の顔を見て)よろしいのですか」
忠信「(頷いて)無論。ささ、話されよ」
赤星「(納得して)ではお話しましょう、それがしの身の上を」
忠信「はい」
赤星「元々私は信田の家来、お主は讒首のその為に御命捨てられ、御家は断絶、ただお痛わしきは後室様、それを気病みに御大病、値えの高い良薬故心ならずも百両の金が欲しさに罪科に一人の叔父には縁を切られ、生きていられず言い訳に死のうと覚悟極めし者、御推量なされてくださりません」
忠信「(驚いて)何と、信田の家の方でしたか」
赤星「(頷いて)はい」
忠信「して御名は」
赤星「赤星の子、十三郎と申します」
忠信「何と、赤星様の御子息でしたか。これは失礼(そう言って赤星を上手になおす)」
赤星「(これにきょとんとして)どうなされたのですか」
忠信「私は伝蔵の倅にございます」
赤星「伝蔵とは」
忠信「ああ、昔のことで御存知はありませぬか。赤星家の奉公人で御納戸金の二百両を持ち逃げした若党ですが」
赤星「おお、そうした者がいたというのは聞いておりまする」
忠信「その倅が私です。まさかこの様なところで若旦那様に御会いするとは」
赤星「また何という縁じゃ。しかしこれは好都合」
忠信「といいますと」
赤星「叔父上に伝えてくれい。わしはここで腹を切ったと」
忠信「何を言われます、故主の若旦那様をどうして見殺しにできましょうか」
赤星「しかし御後室様にお渡しする金がなければ結果は同じ」
忠信「それはどれ程でございますか」
赤星「薬代・・・・・・百両じゃが。あることにはあるのじゃ(懐にあるその百両を差し出す)」
忠信「では問題ないのでは」
赤星「それが叔父上が受け取って下さらぬ。盗みの金は要らぬということでな」
忠信「では若旦那様のものと気付かれぬようにお渡しすればよろしいですな」
赤星「言うのは容易いがどうすれば」
忠信「ご案じなされますな。拙者の手の者を使います故」
赤星「そうか、そうしてくれるか」
忠信「(頷いて)はい」
赤星「もう一つ、先程千寿の姫様とここで御会いしたのじゃ」
忠信「それで」
赤星「三途への御供を約束したのじゃ。そして姫は今しがた川に身を投げられた。この約束も守らねば」
忠信「(それには首を横に振って)今すぐにでも必要はありませぬ。それは何時でもよろしいのでは」
赤星「しかしのう」
忠信「今は御後室様の御命の方が大事かと思いますが」
赤星「そうしたものか。ではこの百両、頼むぞ」
忠信「(頷いて)はい」
赤星は百両を忠信に差し出す。忠信はそれを恭しく受け取る。
忠信「では確かに」
赤星「うむ。ところでじゃ」
忠信「はい」
赤星「手の者というがお主は今何を生業としておるのじゃ。羽振りがよいようじゃが」
忠信「ちと申し上げにくいのですが」
赤星「何じゃ。よかったら言うてくれ」
忠信「わかりました。盗人でございます」
赤星「(驚いて)えっ」
忠信「左様」
赤星「戯れ言ではないのか」
忠信「いえ、宜しければお聞き下さい」
赤星「(頷いて)うむ」
忠信は語りはじめる。
忠信「親父が気性を受け継いで、生まれ立ちから手癖が悪く、何処へ年季にやられても半年経たず追い出され、十の年から十四まで二三十軒歩きまして、流石の親父ももてあまし、とうとう終いは勘当され、それから先は流れ次第、東海道をごろついて今では世間に名高い日本駄右衛門が手下になり、多くの中でも片腕として知られる程になりまして、忠信利平と申します」
赤星「ではあの日本右衛門の手の者でとりわけ腕が立つと言われていたのはそなたであったか」
忠信「世間ではそう言われておるようですが」
赤星「左様であったか。そしてあの日本右衛門の下にいるとな」
忠信「(頷いて)はい」
赤星「ふむ(ここで考え込む)」
忠信「如何なされましたか」
赤星「いや、実はな。わしも盗みを働いて勘当された身。そして今お主に救われた」
忠信「はい」
赤星「それで頼みがあるのじゃが」
忠信「一体何でございましょうか」
赤星「いやな、他でもない。その日本駄右衛門殿に御会いしたいのじゃ」
忠信「これは何と」
赤星「そしてわしもお主等の末席に加えてはくれぬか」
忠信「宜しいのですか」
赤星「もう盗みを働いた身、最早後には引けぬしな」
忠信「わかりもうした、ではこれから我等は同士」
赤星「主従ではなく」
忠信「主日本駄右衛門の許へ」
二人「参ろうぞ」
ここで何やら大きな音がする。二人はすぐにそれに反応する。
赤星「むっ」
忠信「誰かいるかっ」
右手から弁天小僧と南郷力丸が姿を現わす。
弁天「というわけで俺は日本駄右衛門様の手下になったのさ(先程の経緯を南郷に話している)」
南郷「ほお、そうだったのかい」
弁天「どうだい、おめえも入るか」
南郷「(考え込んで)ううむ」
弁天「兄貴なら頭分になれるぜ」
南郷「悪くねえな。二人じゃ何かと苦労していたところだしな」
弁天「おうよ、じゃあ話は決まったな」
南郷「そうだな。じゃあ俺も日本駄右衛門様のところへ案内してくれ」
弁天「わかった」
忠信と赤星はそれを舞台の中央から見ている。
赤星「何やら日本駄右衛門様がどうとか言っておるようだな」
忠信「そのようだな。(同士なので話し方が変わっている)むっ(ここで南郷に気付く)」
赤星「どうした」
忠信「いや、あそこにいるでかい男だがな」
赤星「(南郷を指差して)あいつか」
忠信「ああ」
赤星「あいつがどうした」
忠信「いやな、ちょっと縁があってな」
ここで南郷も忠信に気付く。
南郷「あっ」
弁天「どうした、兄貴」
南郷「あいつだ、間違いねえ」
弁天「その忠信って奴か」
南郷「ああ。ここで会ったが百年目だ(彼を睨みながら言う)」
弁天「けどあいつも大親分の下にいるんだろ。まずいぜ」
南郷「なぁに、わしは今は大親分の下にはいねえ。構うことはねえ」
弁天「そうくるかい」
南郷「ああ、やるぜ」
弁天「じゃあわしの相手は隣の浪人だな」
南郷「そっちは任せたぜ」
弁天「おお」
二人は前に出る。忠信と赤星もじりじりと前に出る。
赤星「(前に出ながら)忠信」
忠信「(頷いて)わかっている。わしはあの髷の奴をやる」
赤星「わしは隣の前髪立ちの奴を」
忠信「頼むぞ」
赤星「おお」
四人はそれぞれ刀を抜く。そして対峙する。
弁天「やるつもりのようじゃの」
赤星「そちらもな」
斬り合いをはじめる。両者共互いに譲らず派手に打ち合う。やがて入り乱れて見得を切る。
弁天と赤星は前に出る。そして斬り合ううちに互いの懐の中のものを零してしまう。
弁天「むっ」
赤星「しまった」
二人は斬り合いを止めそれを拾う。だが互いに間違えてしまった。
弁天「ぬぬっ」
赤星「これは」
見れば違うもの。二人は思わず唸る。
赤星「それを渡せ」
弁天「そちらこそ」
両者はいがみ合う。そこへ日本駄右衛門登場。
忠信「あっ、頭」
弁天「どうしてこちらに」
赤星「何っ」
南郷「これで刀納めか」
まず忠信と弁天が頭を下げる。赤星と南郷がそれに続く。
日本駄右衛門は場の中央につく。四人はそれに従う形で頭を下げる。
ここで拍子木。駄右衛門四人を従えて見得。これで幕となる。
あうあう〜。
美姫 「千寿姫が可哀想よね〜」
うぅぅ〜。
美姫 「でも、この後はどうなるのかしら」
確かに、気になるな。
一体、どうなるのやら。
美姫 「次回も楽しみにしてますね〜」
ではでは。