「今度は一体何だ?」
 白ひげを生やした船長らしき人物が甲板に出てきた。
「前方に巨大な渦潮が…………」
「何だって、船の進路を変えろ!」
「先程の魔物の襲撃で舵が故障! 進路、変更できません!」
 もう勘弁して欲しかった。
「シルフィ! 船に回復魔法を!」
「そんなこと出来ないよ……」
「……じゃあ空を飛ぶ魔法か瞬間移動の魔法だ!」
「そんなこと出来るんだったら船に乗ってないよ……」
 それもそうだ。
「どうすることも出来ないっていうの?」
「残念だけどね……」
 俺達の乗った船は成す術も無く、渦潮に呑み込まれていった。



 The world in a game
〜第2話〜



           ◆◆◆◆◆ジンの視点◆◆◆◆◆

 すぐ側から波の音が聞こえる。僕はゆっくりと目を開けた。雲と青空と太陽が見える。
 起き上がろうとすると、肩から背中にかけて激痛が走る。何とか起きあがり、状況を把握しようと辺りを見回した。
 ここはどこかの砂浜のようだった。海と反対方向には木が生い茂っている。森ではなく密林だった。それ以外は何も無い。
 僕のいる所から、百メートルくらい離れた砂浜に、人らしきものが見えた。僕はそこに向かって歩き出した。
 一歩進む度に背中に激痛が走る。僕は出来るだけ背中に負担がかからないようにゆっくりと歩いた。
 段々とそれが何なのか見えてきた。やっぱり人だった。葵さんだ。葵さんは両手を上に投げ出した状態で、仰向けに倒れていた。
 葵さんの側まで来ると、僕は膝をついて葵さんの体を揺すった。
「葵さん……葵さん!」
「う……ん」
 葵さんはゆっくりと目を開け、僕の方を見た。
「ジン?」
「葵さん大丈夫?」
 葵さんはゆっくりと起きあがり、どこかに怪我をしていないか確かめた。
「大丈夫みたい……」
「良かった」
 葵さんは辺りを見回した。
「私達……助かったの?」
「そうみたいだね」
「正伸とシルフィは?」
 ここから見える範囲にはいなかった。
「ここにはいないみたいだね」
「そう……ここはどこなの?」
「わからない……」
 葵さんは黙って俯いた。
「ここにいても仕方がない。とにかくここから移動しよう。」
 葵さんは黙って首を縦に振った。
 移動するといっても船も無いので、僕達には密林を進む以外の選択肢は無かった。
 葵さんはすぐに、僕の歩く速度が極端に遅いことに気づいた。
「どうしたの? どこか怪我でもした?」
「ちょっと背中が痛いだけだよ」
 本当はかなり痛かった。葵さんは僕の様子を不安げに見ている。
「本当にちょっとだけなの?」
「うん、ちょっとだ……っ!」
 僕はその場に膝をついた。
「嘘ばっかり、本当は凄く痛いんでしょ?」
「大丈夫だから……」
「ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」
「でも……」
「ちょっと見せて」
「ちょっ、ちょっと葵さん?」
 葵さんは僕の着ていた鎧と服を脱がせた。
「ここは痛い?」
「痛てっ!」
 葵さんは僕の背中に手を当て、どの部分が痛いのかを確かめた。
「ちょっと待ってて」
 そう言うと葵さんは自分の服の袖の部分を破り、慣れた手つきでそれを包帯代わりにして、僕の体に巻きつけていった。葵さんの息が僕の背中にかかる。
「はい、これで良し」
 葵さんが僕から離れる。僕は起きあがった。さっきよりも痛みが和らいでいた。
「どう? 少しはましになった?」
「少しどころか、かなりましになったよ。ありがとう」
 僕は微笑みながらお礼を言った。葵さんは何故か僕から目を逸らして俯いた。
 包帯の巻かれた体の上に服を着た。鎧は背中の負担になるので捨てていくことにした。剣はいつの間にかなくなっていた。多分、渦潮に巻き込まれた時になくしたのだろう。
「それじゃあ、行こう」
 僕が歩き出すと葵さんは黙って僕の横に並んで歩き出した。

 密林の中は雑草が生い茂っていた。僕の身長よりも高く伸びているものもあった。太陽の光は木々に遮られ、密林の中は薄暗かった。
 前を歩く葵さんは、僕が歩きやすいようにと、雑草をどけてくれていた。
「ごめんね、葵さん」
「いいのよ。………………昨日はいきなり怒鳴ったりしてごめん」
 振り返らずに言って、葵さんはまた雑草をどけはじめた。昨夜の葵さんを思い出す。
「僕の方こそ、無神経なことを言ってしまって……」
「ううん、悪いのは私だから」
 どうやら嫌われてはいなかったようだ。今日の朝食の席でも、葵さんはずっと俯いたままで、僕と目を合わそうとせず、すぐに食堂から出ていったから、嫌われたと思っていた。
 ガサッ
 後ろから雑草が擦れあう音がした。葵さんも気づいたらしく、動くのをやめていた。
 小動物であることを願った。今の僕では葵さんを守ることはおろか、自分一人の身を守ることさえ出来そうになかった。
「ガアアアアアアア!」
 後ろの茂みから魔物が現れた。
 この密林の木の幹程の太さもある筋肉質な腕。胸の筋肉、腹の筋肉、全身の筋肉が隆々としており、鎧も服も着ていないが、それらの筋肉が、鎧代わりになっているように見えた。
 右手には大型動物の骨の一部で出来ているような棍棒を持っており、身長は二メートルくらいだろうか、顔はぼさぼさの髪に隠れて殆ど見えない、人型の魔物だった。
「ウオオオオオオオオオオオオ!」
 雄叫びを上げながらこちらに向かって走ってくる。
「葵さん逃げて!」
 歩くことさえ困難な自分は無理だろうが、葵さん一人なら逃げ切れるかもしれない。
「ジンを見殺しになんて出来ない!」
 葵さんは突進してくる魔物の方へとゆっくりと歩き出す。
「何してるんだ! 早く逃げるんだ!」
「大丈夫よ」
 何が大丈夫なのだろうか? 早く逃げないと。普通の女の子である葵さんが、こんなにムキムキの魔物に襲われたら一たまりもない。
 葵さんはそれでも魔物の方へと歩いていく。
 魔物が地面を蹴り、棍棒を両手で振りかぶった状態で宙に飛んだ。そして着地すると同時に、棍棒を葵さん目掛けて振り下ろした。
「葵さん!」
 僕の目に映る映像がスローモーションになった。葵さんは体を捻りながら紙一重でそれをかわし、そのまま魔物の顔面に回し蹴りをくらわせた。
「ギャアアアアア!」
 魔物は悲鳴を上げながら一メートル程飛ばされた。
 僕は目を疑った。あんな華奢な体のどこに、こんなパワーがあるのだろう。しかし、魔物はすぐに起きあがり、怒りに満ちた雄叫びを上げながら、再度葵さん目掛けて棍棒を振るった。
 今度は左から右へと垂平に。葵さんは自分の体に棍棒があたる寸前で、両手で棍棒を掴み、そのまま棍棒の上で逆立ちの体勢をとり、その状態のまま、魔物の脳天目掛けて右足を振り下ろした。
「アギャアアアアアアアア!」
 魔物は両手で頭を押さえ、地面に膝をついた。
 葵さんは地面に倒れることなく華麗に着地した。
 膝を曲げた状態で着地していた葵さんは、そのまま地を蹴り、魔物目掛けて右腕で肘鉄を繰り出し、魔物に肘鉄が命中すると、すかさず右肘を魔物の胸に当てた状態で、右手の裏拳を魔物の顔面にくらわせ、さらにそのまま突きや肘鉄、膝蹴りなど、途切れさすことなく攻撃し続けた。そして
「はあああ!」
 気合の掛け声と共に、ほとんど倒れかかっていた魔物に踵落としを決めた。
「グギャアアオオオオアアアアア!」
 そして魔物は宝石へと変化した。
 僕は呆然とその様子を見ていた。驚いた。それが正直な感想だった。

           ◆◆◆◆◆葵の視点◆◆◆◆◆

 知られたくなかった。何故だろう? 誰かに、このことを知られたくないなんて思ったのは、初めてのことだった。
「葵……さん?」
 私はジンの方に体を向き直した。ジンは大きく目を見開いて、私を凝視しながら、その場に立ち尽くしている。
「……ジン」
「…………葵さんがこんなに強いだなんて……思いもしなかったよ」
「………………」
 私はなんて答えれば良いのかわからなかった。
「ありがとう、葵さん。おかげで助かったよ」
 ジンはいつもの笑顔だった。
「お礼なんていいよ……この前、助けてもらった時の借りを返しただけだよ」
「そっか……でもこの前は何で戦おうとしていなかったの?」
 この前、狼のような魔物に襲われた時、私はその場でしゃがみ込んでいた。
「あの時は怖かったの。正伸の部屋にいたのに、突然真夜中の森の中に移動してて、突然魔物に襲われて…………」
「そうだったのか」
 そう、あの時は本当に怖かった。

           ◆◆◆◆◆ジンの視点◆◆◆◆◆

 葵さんは強くても、やっぱり普通の女の子なんだなと思った。
 怖いと答えた葵さんは、あの時の情景を思い出しているのか、不安そうに自分の体を両腕で抱いていた。その姿はひどく儚げに見えた。
 葵さんは僕が守らなければならない。そんな使命感を感じた。…………いや、単に僕が守りたいと思っただけだったのかもしれない。

           ◆◆◆◆◆正伸の視点◆◆◆◆◆

 目が覚めるとそこは自分の部屋だった。目覚し時計が鳴っている。俺は上半身だけを起こして自分の部屋の様子を見た。何も変わっていない。なんだか懐かしい光景だった。
 目覚し時計を止めると、いつもそうしていたように制服に着替えた。
 カレンダーに目をやると、今日は火曜日。英語の授業が二時間もある。俺は英語の増山の授業が嫌いだった。黒板には何も書かず、授業の始めから終わりまで、ただひたすらに喋っているだけだからだ。
「はぁぁぁぁ……」
 俺は長い溜め息を吐きながら階下へと降りていった。
「おはよう、正伸」
「おはよう」
 台所には母さんがいた。軽く朝の挨拶を終えると、俺は朝食を食べ始めた。
「お隣の葵ちゃん、一昨日から家に帰ってないんだって。家出かしら?」
「…………」
「そういえば正伸、一昨日葵ちゃんと一緒に部屋で遊んでたわね。何か知らない?」
「………………」
「ちょっと正伸!」
 俺は母さんの言葉を無視して、朝食を半分以上残したまま台所を出た。
 俺は学校に行くため玄関を出た。
 まだ秋だったが、朝は冷え込むため、吐く息は白かった。
 いつもは二人で歩いていた通学路を、今日は一人で歩いて学校に向かった。

 退屈な授業が続いていた。休み時間にはいつものように、いつものメンバーで、どうでもいい話で盛り上がった。
 放課後になると、帰宅部の俺は学校に残っている理由も無いので、早々に帰ることにした。
 家に着くと、着替えてから自分の部屋で漫画を読んだりしてくつろいでいた。…………そういえば買ったまま一度もやってないゲームソフトがあったはずだ。俺はそのゲームソフトをゲーム機にセットし、ゲーム機の電源ボタンを押した。
 テレビ画面に社名ロゴが表示された。それからテレビ画面が黒一色になり、それからまた徐々に何かを映し出そうと明るくなっていった。
 テレビ画面には、血まみれになって倒れているシルフィの前で、座り込んで泣きじゃくっている葵と、その場に呆然と立ち尽くしているジンの姿が映し出されていた。
 ジンの右手から剣が落ちた。

           ◆◆◆◆◆ジンの視点◆◆◆◆◆

 僕はその場に呆然と立ち尽くしていた。葵さんは地面に座り込んで、上半身を上下に大きく動かしていた。密林を暫く進むといきなり視界が開け、目の前に大きな遺跡が姿を現したからだ。
「はぁ……はぁ……これは一体何なの?」
 肩で大きく息をしていた葵さんが遺跡を指差した。
「わからない……とにかく中に入ってみないと」
「はぁ……はぁ……怪我人のくせに元気ね」
 葵さんは僕の方を睨むように見た。
「そんなことないよ。僕もかなり疲れた」
 ここまで来るのに軽く一時間は密林の中を歩き回っていた。
「ちょっと休憩にしない?」
「そうだね」
 そうしないと僕は今にも倒れそうだった。

           ◆◆◆◆◆正伸の視点◆◆◆◆◆

「うわあああああああ!」
…………ここはどこだ? 俺は今まで眠っていたのか? さっきのは夢だったのか? 俺は……? 
 俺は上半身だけを起きあがらせた状態で辺りを見回した。自分の部屋の中ではなかった。頭が混乱していた。
「きゃああああ!」
 突然誰かの悲鳴が聞こえた。
「何だ?」
 訳がわからないまま、俺は悲鳴が聞こえた方に向かって走った。
 そこには尻餅を着いて、自分の顔を手で覆っているシルフィの姿があった。魔物に殴り掛かられそうになっていた。
 俺は魔物目掛けて全力疾走した。俺のタックルが魔物に決まった。魔物は一メートル程飛んで倒れた。
「正伸君!」
「大丈夫か? シルフィ」
「う……うん、何とか……」
 魔物が起きあがった。
 埴輪のような丸くて黒い目に縦長楕円の口。だらんと下がったサルのように少し長い手。手には長くて鋭い爪が三本。背丈は俺と同じくらい。無表情な顔が逆に不気味だった。
「シルフィ! 魔法だ!」
「気がついたら杖がなくなっていたの」
「もしかして……杖がないと魔法は…………」
「ごめんなさい。使えないの」
 ということは俺がやるしかないのか。幸いにも俺には剣がある。
 魔物は俺達を見ている。俺は魔物に近づきながら鞘から剣を抜いた。そして剣を大きく振りかぶり、真下に向けて振り下ろした。
 魔物は静かな動作でそれを避けた。俺はそのまま、地面に少し刺さったままの剣を、右側へ避けた魔物に向かって、力任せに右斜め上へと薙いだ。
 魔物は後ろに飛び退きそれを避けた。
「くそっ!」
 魔物は左右にゆらゆらと体を揺らしながら、無表情な顔で俺を見ている。
 突然魔物が俺に向かって飛び掛ってきた。その長い爪で俺を切り裂こうとした。俺は剣で魔物の爪を受け止めた反動で、後ろに飛ばされた。
「うわ!」
「正伸君!」
 シルフィの声に反応したのか、魔物はシルフィの方へと顔を向けた。そしてシルフィに近づいていく。
 魔物は俺に背中を向けた状態になった。
 俺は魔物の背中目掛けて剣を突き刺そうとした。しかし、魔物は背中に目が付いているのか、俺の攻撃を避けて、そのままシルフィに襲い掛かった。さっき見た夢の中のテレビ画面を思い出す。
「きゃああ!」
 シルフィは逃げようとしたが、魔物の攻撃を避けきれなかった。
「シルフィ!」
 なおもシルフィに攻撃し続けようとしている魔物に向かって、俺は魔物の足目掛けて斬りつけた。
「………………!」
 魔物は声も上げずにその場に倒れそうになっている。すかさず魔物目掛けて一文字斬りをお見舞した。魔物の左手が地面に転がった。
「……………………!」
 魔物は俺の方を見た。そして右手を大きく振るった。
 俺はそれを避けると、攻撃を外し、よろめいている魔物の頭と胴との境目辺りを斬った。魔物は宝石だけを残して消滅した。
「シルフィ! 大丈夫か?」
 俺はシルフィに駆け寄った。
「足をやられちゃったみたい……」
 見るとシルフィの足から地面へと、血がぽたぽたと落ちている。
「大した怪我じゃないから大丈夫」
 シルフィは苦痛に歪んだ顔を、無理矢理笑顔に変えた。
「ごめん……」
「正伸君は何も悪くないよ」
「でも……」
 シルフィは首を横に振った。
「正伸君が来てくれなかったら私、今頃どうなってたか……」
 それはわかっているのだが何なのだろう? この気持ちは。
「ありがとう、正伸君」
 笑顔で言うシルフィを見ると、胸が苦しくなった。何故か悔しくて、自分を情けなく思った。
「痛っ」
 立ち上がろうとしたシルフィは、またその場に座り込んだ。
「大丈夫じゃないじゃないか」
「うん、そうみたい」
 シルフィは軽く笑った。
「それで、これからどうする?」
「ここに居てもしょうがないから移動したいんだけど……」
「おぶってやるよ」
「え? ……でも悪いよ」
「じゃあ、どうするんだよ」
「……そうだね」

           ◆◆◆◆◆シルフィの視点◆◆◆◆◆

 密林の中を進む。
「ごめんね」
「いや、いいって」
 正伸君は私を落とさないようにと、私の足をしっかりと持ってくれている。
「私、杖がないと何も出来なくて」
「あの渦潮に巻き込まれて、なくさない方がおかしいよ。俺の剣みたいに」
「うん……」
 私の両手は正伸君の顔の前でぶらぶらと揺れている。
「それにさっきの魔物は、シルフィを攻撃している時に隙が出来たから、俺でも倒せたんだ。そのせいでシルフィが怪我をしてしまって。謝るのは俺の方だ」
「そんなことないよ」
 私の視界は正伸君の背中の上で、上下に一定のリズムを刻んでいる。
「ジンと葵ちゃんは無事かな?」
「俺達が大丈夫なんだから、あいつ等も大丈夫だろ。特に葵はぴんぴんしてる筈だ」
「……そうなの?」
「ああ、あいつはこんなことじゃ絶対に死なない」
「葵ちゃんのこと、よく知ってるんだね」
「あいつとは腐れ縁だからな」
 正伸君とは十年以上の付き合いだと、葵ちゃんが言っていた。
「そういうのって、なんかいいな」
「そうでもないって、シルフィだってジンと付き合い長いんだろ?」
「ううん、私達は会ってからまだ半年ぐらいだよ」
「そうなのか?」
「うん」
 背の高い雑草が生い茂っていて、正伸君は歩きにくそうだ。
「正伸君たちの世界って魔物がいないんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、凄く安全な世界なんだね」
「いや、魔物はいないけど、強暴な動物はいるし、他にも危険なことがたくさんある」
「どんなこと?」
「交通事故や殺人事件……この世界では交通事故はないだろうけど、殺人事件はどのくらい起こってるんだ?」
「殺人事件は、宝物をトレジャーハンター同士が奪い合ったりする時くらいかな」
「強盗事件とか誘拐事件とかは?」
「そういう事件は聞いたことないけど」
「まじか? めちゃくちゃ治安が良いんだな」
「そうなのかな?」
「ああ、この世界の住人は皆、シルフィみたいに心が優しいんだろうな」
 急に私の胸は早鐘を打ち始めた。
「え? ……えっと……たぶん……皆お金とかに困ったりしてないから」
「お金に困ってる人がいないのか? この国の政治家を連れて帰りたいよ」
 私の吐く息が正伸君の頬に当たっていることに気づき、私は慌てて顔を横に向けた。
 胸の鼓動が背中越しに伝わっていないか心配だった。

           ◆◆◆◆◆正伸の視点◆◆◆◆◆

 それからはお互い何も喋らず、もくもくと密林の中を、奥へ奥へと進んでいった。そして急に視界が開けた。
 密林の中に巨大な遺跡が不気味に佇んでいた。多分、長年放置されているのだろう、黄土色の石で造られているその遺跡は、所々表面に苔のようなものが、こびり付いている個所もあった。
 石と石の隙間から、何やら見たこともない植物が生えていた。
 見たところかなり大きいようで、遺跡の前に立ち、首を上に向けると、空が殆ど見えなかった。
「これは?」
 俺は遺跡を見上げながら訊いた。
「何かの遺跡みたいだね」
「……ちょっとここらで休憩してもいいか?」
「あ……ごめん」
 俺はシルフィをその場に下ろした。お互い暫く無言でその場に座り込んでいた。
「おーい!」
 遠くから誰かの声がした。
「正伸! シルフィ!」
 声がした方に顔を向けると、葵が大きく手を振りながら走り寄って来た。
「二人とも無事だったんだ」
 葵は安堵の笑顔を浮かべた。
「まあ、何とかな」
「とにかくこっちに来なよ、ジンもいるから」
「ジンも無事だったんだ。良かった」
「うん、こっちだよ」
 葵に案内された場所は、遺跡からほんの少し離れた所だった。そこで二人は休憩していたらしい。葵は木の実などを取りに行き、その帰りに遺跡の前で俺達を見つけたらしい。
「正伸! シルフィ! 無事だったのか」
「ああ、ちょっとシルフィは足を怪我してるけど」
「僕は背中を怪我したよ……でもこれぐらいの怪我で済んで良かった」
「そうだね」
 俺達は円を作るように座った。
「これからどうするの?」
 誰に聞くでもなく葵が訊いた。
「あの遺跡を調べようにも、ジンとシルフィが怪我してるんじゃ……」
「二人で行ってきてよ。私達はお留守番してるから」
「私達が遺跡へ行っている間に、魔物に襲われたらどうするの?」
 四人とも黙り込む。
「……じゃあ、これからどうしよう」
 シルフィは不安そうに、自分の体を抱くようにして三角座りをしている。
「……とりあえずさ、ご飯にしない? 皆お腹空いてるでしょ?」
 葵は採ってきた木の実などを、皆の前に出した。
「……それ!」
 シルフィがその中の一つを指差した。
「これがどうかしたの? 食べられそうだから採ってきたんだ」
 見るとそれは草だった。俺には雑草にしか見えなかった。
「これは薬草の一種なの。これはその中でも貴重な薬草で、滅多に採れないの」
「そうなの? なんか向こうの方にいっぱい生えてたよ」
「え?」
 シルフィは信じられないという顔をした。
「これがあれば怪我なんかすぐに治るわ。葵ちゃん悪いんだけど、これをもっと採ってきて欲しいの」
「うん、わかった」
 葵は走っていった。
 シルフィは薬草を、落ちていた石で潰しはじめた。
「何をしてるんだ?」
「こうやって潰して飲み薬にするの」
「俺も手伝う」
 俺は適度な大きさの石を見つけてシルフィの横に座った。
「どうするんだ?」
「この部分を潰して、出来たらそれをこっちに」
「わかった」

「採ってきたよ! これぐらいでいいかな?」
 葵は両手いっぱいに薬草を抱えて戻ってきた。
「うん、これだけあれば十分だよ」
「私も手伝うね」
「ありがとう」
「僕も手伝うよ」
「ジンは動いちゃ駄目でしょ、そこでおとなしくしてて」
「……悪いね」
「気にしないで」
 葵がジンに優しく微笑みかける。こいつがこんな風に誰かに優しくしている所なんて初めて見た気がする。

 薬が出来あがった。
 薬草の薬として使える部分はほんの少しのため、あれだけの量の薬草があったにも関らず、出来あがった薬はほんの少しだった。
 それをジンとシルフィが飲む。俺と葵はその様子をじっと見つめていた。
「…………どう?」
 葵は心配そうな顔をしながら、胸の前で手を組んでいる。
「ああ、完全に治ったよ」
「私も」
「え? まじで?」
 間抜けな顔を葵と見合わせた。
「うん、この薬で治らない怪我や病気はほとんどないから」
「……そうなのか?」
「そうなの」
 言いながらシルフィは立ち上がり、歩いて見せた。
「ね?」
「凄いな……」
 ジンの方を見ると、その場で跳ねたり体を捻ったりして、体の具合を確かめていた。
 凄すぎだった。元の世界に戻る時には是非、この薬を持って帰りたいと思った。

 夜になった。シルフィをおぶって密林を歩き回ったため、かなり疲れていた。しかし、俺にはやらなければならないことがあった。
 シルフィと葵に気づかれないようにジンに話しかけた。
「ジン、ちょっといいか?」
「なんだい?」
「話があるんだ。でもここじゃ話しにくいから、向こうに来て欲しいんだけど」
「わかった」
 俺とジンは、シルフィと葵に気づかれないように、密林の中へと移動した。

「で、話っていうのは?」
 先に口を開いたのはジンだった。
「……四人の中で、自分が一番役に立っていないことに気づいて」
「そんなことないさ。今日だって君はシルフィを助けたじゃないか」
「いや、俺が頼りないせいで、シルフィに足を怪我させてしまったんだ」
「……………………」
「葵には格闘技、シルフィには魔法、ジンには剣術がある。でも俺には何も無い。俺に力があれば、シルフィは怪我をしなかったんだ。そんな自分が情けなくて。だから、疲れているところ悪いんだが、俺に剣術を教えて欲しいんだ」
 俺はジンを真っ直ぐに見つめながら言った。ジンもまた、俺の目を真っ直ぐと見つめていた。
「…………わかった」
「本当か? ありがとう!」
「でもやるからには厳しくいくよ」
「ああ、どんなに厳しくてもやってやるさ」
 シルフィを守れるようになれるのなら。

           ◆◆◆◆◆シルフィの視点◆◆◆◆◆

 大きな木に身を隠しながら、今の二人の会話を頭の中で反芻した。
 正伸君が剣術を身につけたいのは強くなりたいから。何故強くなりたいのか。足手まといになりたくないから。何故足手まといになりたくないのか。今日私が怪我をしてしまったことを、自分の非力のせいだと思って悔やんでいるから。私を守れなかったから。……そしてそれはつまり私を守りたい……っていうこと? 
 急激に顔が熱くなっていく。多分耳まで真っ赤だろう。私は何を一人で想像を膨らませて興奮しているのだろう? そんな自分が恥ずかしかった。
 正伸君が剣術を身につけたいのは、皆の足手まといになりたくないから。自分も皆のように戦えるようになりたいからに決まっている。今、正伸君自身がそう言っていたのだから。でも……でも……でも……でももしかしたらひょっとしたら少しぐらいは、私を守りたいっていう気持ちも含まれているのかもしれない。
「どれくらい強くなりたいんだい」
「俺一人でシルフィを完璧に守れるぐらいにまで強くなりたい。俺にとっては、そうなれなければ強くなる意味が無いんだ」
 胸の鼓動が二人に聞こえるのではないかと思えるくらいに激しくなった。
 今のはそれくらいにまでは強くならなければ、今まで通り役に立てないままだから意味が無いという意味なのか、それとも私を守れるようになるために特訓をしているのだから、そうなれなければ意味が無いという意味なのか、どっちなんだろう。
 とにかく二人に見つかる前に、ここから離れようと思った。見つからないように気を付けながら、その場を後にした。
 "俺一人でシルフィを完璧に守れるぐらいにまで強くなりたい"どっちの意味であろうとこう言ってくれただけで嬉しかった。でもやっぱり後者の意味だったら……。
 そうあって欲しいと、夜空に瞬く星達に願った。

 朝。
「もーらいっと」
「あーーー! それ私の分の木の実!」
 いつもと同じ朝の光景。
「ちょっとぐらいいいじゃねえかよ!」
「この木の実は全部私が採ってきたやつなのよ!」
 なのに
「そんなの関係ないっつーの!」
「返しなさいよ!」
 どうして
「お前のダイエットの手助けしてやってるんだ。ありがたく思え」
「私太ってない!」
「そ……それで太ってないつもりなのか?」
「正伸…………」
「……ちょっ……ちょっと待て、話し合えばきっとわかあああああああああああ!」
 こんなにも胸が苦しいのだろう。

           ◆◆◆◆◆葵の視点◆◆◆◆◆

 遺跡の中は外壁と同じく、床も壁も天井も、黄土色の石でできていた。
 今、私たちが歩いている通路は、四人が横に並んでも少し余裕がある幅で、天井までは私の身長の倍はある、横長長方形の形をしていた。
 壁には一定間隔で燭台が備え付けてあり、蝋燭に火が点いている。何故か蝋燭は溶けた様子が少しもなかった。
 煉瓦のように敷き詰められた床の石は長い年月のためか、それとも最初からそうだったのか、ずれていて凸凹になっている。その凹凸感が、靴底越しに足の裏に伝わってくる。
 壁と天井には、絵やら文字やらが所狭しと描かれている。それらには所々に色が付いている。多分これらは彩色が施されていたに違いない。昔はもっと綺麗だったのだろう。
 一体なんて書いてあるのかジンに訊こうとした。しかし、自分は昨日バリバリの格闘技女だということを知られてしまった。ジンはそんな私を血の気の多い、野蛮な女だと思っただろう。
 さっき朝食を食べている時も、知られる前と少しも変わらない調子で、話し掛けてきてくれた。でもそれは一緒に旅をするんだから仕方なく、うわべだけの付き合いぐらいはしておかなくてはならないだろう、と思ってしていることなのかもしれない。
 そう思うと話し掛けるのに気が引けた。そんなことを考えている内に、正伸がジンに訊いた。
「なあ、これは何て書いてあるんだ?」
「これは古代文字だから、ちょっと読めないなあ」
「シルフィは?」
「私も読めないの」
「そっか、古代文字があるってことは、この世界にもやっぱり歴史があるんだなあ」
 三人はこの世界の歴史について話し始めた。私はなんとなく話に入りづらくて、皆の後ろから、その光景を眺めていた。
 急に足の裏の凹凸感がなくなった。
「きゃあああああああああああああ!」
 ドスン! 
「いたたた……」
 どうやら落とし穴に落ちたようだ。
 凸凹の床に、強く打ちつけたお尻をさすりながら周りを見回すと、そこはだだっ広い部屋だった。
 壁にはやはり溶けない蝋燭が備え付けてあったが、結構な高さがあるのだろう、見上げたが、暗くてよく見えなかった。
 長い間閉ざされていたためか、空気が澱んでいて息苦しい。
 部屋の中央に、私の倍くらいの身長の人がいた。遺跡と同じ黄土色の石でできた石人間だった。
 石人間の体中に、さっきの通路の壁や天井に描かれていたのと同じようなレリーフが描かれていた。さっきの床や天井のレリーフと違って、彩色もほとんど剥げておらず、綺麗なレリーフだった。
 石人間は、ゆっくりとした動作で私の方に近づいてきた。そして私目掛けて突きを繰り出してきた。私はそれを紙一重でかわした。
 ドゴオン! 
 石人間の拳はさっきまで私がいた床に命中した。
 床も石人間の拳も無傷だった。今の突きは風圧から察するに、かなりの威力があったはず。それなのに無傷だったということは……。
 私は隙だらけの石人間に攻撃した。正拳突き。回し蹴り。膝蹴り。肘鉄。効かなかった。石人間はびくともしなかった。見たところ、この部屋には扉がない。早く出口を探さなくては。
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 石人間は、さっきとは比べ物にならないくらいのスピードで、突きを繰り出してきた。私の攻撃に怒ったのだろうか? とにかく、こいつをなんとかしないと、出口を探せそうになかった。

           ◆◆◆◆◆ジンの視点◆◆◆◆◆

「葵さん!」
 葵さんが落ちた穴の両開き扉は、すぐに閉まってしまい、開けることができなかった。
「くそっ!」
「ジン、大丈夫だ。ああ見えても葵は強いから」
 葵さんの強さは昨日この目で見た。でも、それでも昨日の両腕で自分を抱きしめていた葵さんを思い出すと、心配だった。
「とにかく先に進みながら葵を捜そう」
 僕はその意見に従うことにした。僕達はまた歩きだした。

 暫く進むと、道が二手に分かれていた。右と左。なんとなく左に行けば、葵さんがいるような気がした。
「僕が左に行くから、君達は右に行ってくれ」
「一人で大丈夫? 片方ずつ三人で捜したほうが……」
「僕は大丈夫だから。それに片方ずつより両方一辺に調べたほうが時間がかからない」
 強く言って、半ば強引に左の通路へと歩みを進めた。
 一刻も早く葵さんを助けなければ……。

           ◆◆◆◆◆正伸の視点◆◆◆◆◆

 俺達は右の通路を進んでいた。
 昨日の特訓のせいで、全身が酷い筋肉痛だった。しかし、今シルフィを守れるのは俺しかいない。しっかりしなくては。
「葵ちゃんとジン、大丈夫かな?」
「大丈夫だって」
 葵は確実に大丈夫だろう。あいつなら、どんな困難もパンチとキックで乗り越えられるから。ジンは……そういえばジンは今、剣を持っていないんだった。少し不安になってきた。そう思った時、通路が終わり、部屋に出た。
 横幅二十メートル、縦幅四十メートル、高さ十メートル程の広さの部屋だった。
 部屋には八本の大きな柱が建っている。柱は部屋の中央から右に四本、左に四本、規則正しく並んでいる。
 柱には、通路に描かれていたレリーフと、似たようなレリーフが描かれていた。しかし、柱の至る所は削れており、レリーフは半分程度しか残っていない。
 部屋の中央まで進んだ時、目の前の空間が歪んだ。
「何だ!」
 歪んだ空間から何かが出てきた。三、四歳ぐらいの女の子が空中に浮いていた。
 ぼさぼさの髪。血の気の無い青白い肌。ぼろぼろのワンピースは、元々は何色だったのかがわからない程に汚れている。
 支える力も無いのか、首はだらしなく垂れ下がっている。
 焦点の定まっていない虚ろな瞳で、こちらを見ている。
「シルフィ、こいつは?」
「気をつけて、魔物よ!」
 昨日と同じ状況。絶対にシルフィを守ってみせる。しかもこんな弱そうな魔物が相手なら尚更だ。
 俺は一気にケリを着けるべく、魔物に斬りかかった。
「たあああああ!」
 魔物が虚ろな眼差しで俺を見つめながら、両手の平を俺に向けた。
 シュウウウウウウ……
 魔物の手の平の少し前の空間が歪んだ。そして
「うわっ!」
 俺に向かって長さ一メートル程の氷の刃が飛んできた。寸での所で何とか避けた。
 ズウン! 
 氷の刃は壁に突き刺さった。
「正伸君!」
「大丈夫だ!」
 シルフィの方に顔をやりながら言うと、すぐさま魔物のほうに顔を向けた。いない。どこに行った? 首を回らせ探す。
 シルフィのすぐ後ろの空間が歪んでいる。
「シルフィ後ろ!」
「え?」
 シルフィが振り向く。魔物が両手の平をシルフィに向ける。
「きゃあああ!」
「シルフィ!」
 ズウン
 シルフィは素早く柱の裏に回りこみ、柱を盾にして回避した。
「大丈夫よ!」
 また消えた。
 俺は部屋の中をうろついて魔物を探した。すると部屋の隅に、何か箱のようなものがあった。
 近づいてみると、それは宝箱だった。
 ゲーム中の宝箱には設置してある場所、中身に意味があるという。
 例えばこのダンジョンは長いから、この辺に回復アイテムが入った宝箱を設置しよう、といった感じに配置するらしい。だからこの宝箱は、この状況を打破するアイテムないしは武器か防具が入っているに違いない。俺は宝箱を開けた。
 宝箱の縁には鋭いギザギザの牙が付いている。これはまさか……。
 宝箱は大口を開け、俺に食らいつこうと飛び掛ってきた。
「ガウウウウ!」
「おわあああ!」
 俺は咄嗟に床にヘッドスライディングした。危うく宝箱に食べられるところだった。
 宝箱の頭上の空間が歪んだ。そいつはすぐさまこちらに両手の平を向けた。俺は駆け出した。
 ズウン! 
 氷の刃が床に突き刺さる。
「ガウガウガオオオオウ!」
 宝箱が追いかけてくる。筋肉痛の体が悲鳴を上げる。
 逃げてばかりではどうしようもない。俺は剣を鞘から抜きつつ振り返った。
 昨夜の剣の素振りの練習を思い出し、ジンに教えてもらった通りに、そのまま遠心力で左から右へと薙いだ。
 ガキッ! 
「あっ!」
 宝箱はその大口で剣を噛み砕いた。そのまま美味そうにムシャムシャと食べた。
「くそっ!」
 俺は自分の手に残っている、折れた剣の残りを宝箱に投げつけた。宝箱はそれもうまくキャッチして食べた。
 やはりたった一晩の特訓だけではだめなのか。
「畜生!」
 俺はまた駆け出した。
 どうすればいいんだ! このままではまたシルフィを守れない! 
 違う隅にもまた宝箱があった。
 開けるべきなのか? でもまた人食い宝箱だったら? しかし、このままでは、やられるのは時間の問題。
 俺は意を決して宝箱を開けた。

           ◆◆◆◆◆ジンの視点◆◆◆◆◆

 僕が選んだ左側の通路は、何箇所も道が分かれていた。そして僕は今、最後の通路を進んでいた。
「行き止まり? 全部が行き止まりなのか?」
 最後の通路も行き止まりだった。どうやらこちら側の通路からは、葵さんのいる場所には行けないようだ。
「はあ……」
 僕は溜め息を吐いた。仕方がないので引き返すことにした。
 ドゴオン
 ドゴオン
 ドゴオン
 行き止まりのはずの通路の奥から、音が聞こえた気がした。壁に耳を押し当てた。
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 気のせいではなかったようだ。さっきよりもはっきりと聞こえた。この先には何かがある。
 僕は壁にタックルをくらわせた。壁が少し軋んだ。この壁は意外と薄いのかもしれない。 もう一度、さらにもう一度タックルをくらわせた。
 ガラガラと音を発てながら、壁が崩れた。
 むっと湿った嫌な空気が肺の中に流れ込んでくる。
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 いた。崩れた壁の向こう側に葵さんがいた。
 葵さんの倍以上もの身長があるゴーレムに、葵さんは襲われている。葵さんは肩で息をしていて、かなり苦しそうだ。葵さんの前髪が、汗で額に貼り付いている。
 葵さんが戦って勝てずにいるゴーレムを相手に、剣を持っていない僕が勝てるはずがない。ここは葵さんと一緒に逃げるのが上策のようだ。
「葵さん、こっちだ!」
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
「葵さん!」
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 ドゴオン! 
 だめだ。葵さんに僕の声は届いていない。

           ◆◆◆◆◆葵の視点◆◆◆◆◆

「はぁ……はぁ……」
 膝が痙攣してきた。そろそろ体力の限界のようだ。後何回、石人間の攻撃を避けることができるだろうか?
 また石人間が私目掛けて攻撃をしてきた。
「あっ!」
 避けようとしたが凸凹の床に躓いてしまい、バランスを崩してしまった。もうだめだ。そう思ったその時
「え?」
 私の体は誰かに抱きかかえられた。そしてその誰かは私を抱きかかえたまま、石人間の攻撃を避けた。
「大丈夫? 葵さん」
 いわゆる王子様抱っこの状態だった。王子様は私の返事を待たずに走り出した。
 いつの間にか壁の一部が崩れていた。王子様は一直線にそこに向かった。すぐ後ろから石人間が追いかけてくる。
 ドスン! 
 ドスン! 
 ドスン! 
 ドスン! 
 王子様と私は、壁が崩れてできた穴を通過した。
 バゴオオオン! 
 石人間は壁が崩れてできた穴に頭から突っ込んだ。しかし、途中でつっかえて、それ以上は進めないようだった。
 暫く通路を進んでから、ジンは私を降ろした。
「葵さん、大丈夫だったかい? どこか怪我とかしてない?」
 ジンは私の両肩を強く掴み、眉間に皺を寄せながら、私の瞳を覗きこんだ。
「うん……平気」
「よかったぁ……」
 私の返事を訊いた途端、大きく見開かれていた目が細められ、私の肩を掴んでいた力が弱まった。
「ジンの方こそ、それ」
 ジンの右肩は血が滲んでいた。
「え? ああこれ? ちょっとね」
 私が最初、石人間のいた部屋を見回した時は、確かに壁にはどこにも穴は開