『シモン=ボッカネグラ』




プロローグ


 人にはどうも出来ないものが幾つかある。その中の一つとして運命がある。
 これは時として非常に残酷なものである。人を玩び苛み、そして死なせる。まるで人はその運命の玩具であるようだ。
 これをどうにか出来るのならば誰もがそうしたいであろう。だがどうにもならない。人が出来るものと出来ないものがあるのだから。それはある人達にとっては何とかしたいが揺るがない事実として常に立ちはだかる。
 この運命に支配されその数奇な一生を送った者も多い。その中の一人としてこの作品の主人公がいる。
 時は十四世紀中頃、まだ中世である。この時の欧州はいまだ政治も文化もローマ=カトリックの絶対名影響下に置かれていた。一度分裂を経験しているとしてもその力は尚隠然たるものがあった。それからの精神的な解放はルネサンスまで待たねばならなかった。否、それでもまだ教会のくびきは人々を捉えていたのだ。
 西では百年戦争やレコンキスタが行なわれ東ではオスマン=トルコがビザンツ帝国を追い詰めようとしていた。その時代イタリア半島も又分裂していた。
 当時のイタリアは多くの領邦国家や都市国家に分裂していた。教皇領もあれば貴族達の領土もあった。
 その中ジェノヴァは商業都市として栄えていた。港町であるこの街は地中海の海運を担うことにより莫大な富を蓄えていたのだ。その富は欧州全土からの羨望の的であった。
 この街の成立は古い。ローマ帝国の頃には既に自治都市として成立していた。
 十二世紀になると司教伯の支配権を獲得して政治と宗教を混在させた自治権を獲得した。 
 この街が莫大な富を得たのは十字軍の遠征からであった。これに協力する事により富を得たのである。その繁栄は東のヴェネツィアと競う程であった。
 繁栄と共に脅威があるのも叉世の常であろうか。この時ジェノヴァは多くの敵を抱えていた。
 まずは宿敵ヴェネツィア。そしてピサ。海にはイスラム教徒達がいた。
 こうした脅威に対してジェノヴァもただ座しているわけではなかった。降り掛かる火の粉は払う、それが国際社会である。それは昔も今も変わらない。
 当時のジェノヴァはこうした中にあった。そして今この街に一つの大きな動きが起ころうとしていた。夜のジェノヴァの街である。
 サン=ロレンツォ教会。この教会はこの街の生き証人でもある。右手にはこの街の有力な貴族の館がある。階級社会である欧州であるがそれはこのジェノヴァでも同じであった。当然貴族と平民の対立もある。
 左手には平民達の家が連なっている。貴族の邸宅に比べるとやはりみすぼらしい。それが階級というものを教えてくれる。
 この街においても貴族と平民の対立は根強い。それが為に今この街は分裂状態にあるのだ。
 教会の前を二人の男が歩いている。何やら色々と話し込んでいる。
「おいピエトロ、それは本当の話か!?」
 黒い髪の中年の男が赤い髪の若い男に言った。
「パオロ、声が大きいぞ」
 ピエトロと呼ばれたその赤髪の男は黒髪の男に対して言った。
「本当だ。総督に選ばれるのはこのままじゃロレンツィーノで決まりそうだ」
「よりによって最初の総督があんな奴になるのか。他にはいないのかよ」
 パオロは不満を露にして言った。
「いるぜ、一人」
 ピエトロはニヤリ、と笑って言った。
「誰だ?」
 パオロはそれに対して問うた。
「御前さんもよく知っていると思うがな。シモンの旦那だ」
「シモンの旦那!?シモン=ボッカネグラか」
 パオロはその名を聞いて思わず喜びの声をあげた。
「ああ、あの人ならその資格は充分あるだろう」
「おお、地中海からサラセンの奴等を追っ払いヴェネツィアの野郎共をのしてくれたあの人なら問題ないな。嫌、他に相応しい人もいないだろう」
「そう思うだろう。あの人はしかも平民出身だ。総督に押し上げたら俺達にも分け前がたんと来るぜ」
 ピエトロはそう言ってニンマリと笑った。
「黄金も権力も名誉も思いのままか。今まであの連中が独占していた」
 パオロはそう言って右手の貴族の邸宅を見た。
「ああ、その中でも散々威張り散らしてくれたフィエスコの野郎、あいつだけは只じゃおかねえ」
 ピエトロはその屋敷を憎悪の目で見た。
「当然だ。あいつは許さねえ。この屋敷と一緒に焼き尽くしてやる」
「そうしようぜ。俺はその事前の準備に取り掛かるとしよう」
「おお、頼むぜ。そして貴族の奴等を皆殺しにしてやるんだ」
「そうだ、あの高慢な鼻を削ぎ落とし縛り首にして腐った果物みたいにずっと吊るしてやる」
 ピエトロはそう言うと左手の平民の家々の中に消えた。後にはパオロが残った。
「見てろよ、お偉いお貴族様よお」
 パオロは再び屋敷を見て言った。
「今まであんた等にへいこらしていたがこれからは違うぜ。今度は俺達が手前等をこき使う番だ」
 そう言って笑った。憎しみに燃えた見ていてあまり気分のよくない笑みである。
 その時左手から一人の男がやって来た。
 質素な船乗りの服を着た黒い髪と瞳の男である。顔は日に焼けた精悍なものでありやや長身のその身体はよく
引き締まっている。彼こそシモン=ボッカネグラその人である。
 ジェノヴァの有力な市民の家に生まれた。彼の家は平民ながら代々この街の政治に携わっており首長も出している。
 彼自身は海賊をやっていた事もあるがこれは海賊と言うよりはジェノヴァの為に戦う海軍のようなものであった。当時は海賊と海軍の区別は比較的曖昧であった。当然海賊が国家に召し抱えられて海軍になる場合もあったしその逆もあった。彼もそうした船乗りであったのだ。
 彼はイスラムやヴェネツィアとの戦いで武勲を挙げた。そして今や平民達にとては希望の星だったのだ。
「おいパオロ、俺に何の用だ?」
 彼はパオロの姿を認めると彼に尋ねた。
「おや、ピエトロから事情はお聞きした筈ですが」
 彼はそれに対して悪戯っぽく笑って言った。
「俺が総督にか?馬鹿な事を言うな」
 シモンは顔を顰めて言った。
「おや、ご不満ですか?この街の長になるというのに」
「俺はそんなものには元々あまり興味は無いしな。それとも御前等は自分達の為に俺を担ぎ出すつもりか?」
「それが嫌だとでも」
 パオロはそれを肯定した。
「当然だ。御前等がこの街の貴族達に対してどう思っているのかは知っている。だがそれは俺には何の関係も無いだろう。そんなに何かしたいのなら御前達だけでやれ」
 シモンは不快を露にして言った。
「マリアが手に入らなくとも?」
 パオロはシモンを見て言った。その名を聞いたシモンの顔色が一変した。
「それは・・・・・・」
 その名を聞いてシモンの様子が一変した。
「どうなんですか?」
 彼はさらに突っ込んできた。シモンはそれに対し狼狽したがすぐに落ち着きを取り戻した。そして彼に対し言った。
「もう終わった事だ今更言っても。しかし御前はマリアについて何か知っているのか?」
「ええ」
 パオロはそれに対して答えた。
「あそこにいますよ」
 そう言って右手の屋敷を指差した。
「フィエスコの屋敷か・・・・・・。あの男の屋敷か」
 彼はその屋敷を見上げて忌々しげに呟いた。
「はい。あの男は娘を閉じ込めているんですよ」
 パオロはシモンを煽る様に言った。
「俺と交際し子供までもうけたからか。・・・・・・相変わらず血も涙も無い奴だ」
 シモンは知らず知らずのうちにその煽りに乗ってしまった。
「そう思われるでしょう。しかし総督になればすぐにでも助け出せますよ」
「すぐにでも・・・・・・」
 シモンは屋敷を見た。夜の街に冷たくそびえ立っている。それはまるで牢獄のようであった。
「どうです、それは最早貴方の一存なのです。総督になるか、ならないかの」
「・・・・・・・・・」
 シモンはその言葉に沈黙した。そして逡巡した。
「・・・・・・全ては俺の一存なのだな」
「そうです」
 シモンの問いに対して答えた。
「さあ、どうします?」
「それは・・・・・・」
 彼が言おうとしたその時だった。左手から多くの人が来る気配がした。
「誰か来たみたいですね。今はまだ見つかるとまずいです。隠れましょう」
「ああ」
 シモンは教会の向かい側に去って行った。パオロはフィエスコの屋敷の陰に隠れた。
「ん、あいつか」
 見ればピエトロであった。職人や水兵達を連れ何か言っている。
「いいか、明け方ここに来てくれよ」
 彼は連れて来た連中に頼む様に言っている。
「成程、早速やっているな。よしよし」
 パオロはそれを見ながらほくそ笑んだ。
「で、俺達に頼みって何だ?」
 職人のうちの一人がピエトロに尋ねた。
「ああ、悪いが皆明け方にここに来てくれないか」
 彼は皆に頼むように言った。
「どうしてだい?」
 水兵の一人が尋ねた。
「うん、今度の選挙の事なんだが」
 ピエトロは皆に顔を向けて言う。
「ああ。確か今はロレンツィーノが優勢だったな」
「おお、金貸しのな。同じ平民だし」
 一人が言った。
「当然だろう?貴族の奴等を総督にするわけにはいかないからな」
 皆が言った。ピエトロはそれに対し顔を顰めさせて言った。
「・・・・・・悪い事は言わない、あいつは止めておいたほうがいい」
「どうしてだい?」
 皆はそんな彼に尋ねた。
「あいつは貴族と裏で繋がっている。総督になったらあいつ等と結託するぞ」
「本当か!?」
「ああ、それもこのフィエスコの奴とだ」
 彼はそう言って右手の屋敷を顎で指し示した。
「よりによってフィエスコの奴とか・・・・・・」
「何て野郎だ」
 フィエスコはこのジェノヴァでも有数の権門である。それが為に平民達からは目の敵にされているのだ。
「じゃああいつは止めだ、冗談じゃない。では替わりに誰を立てる」
「一人適任の人物がいるだろう」
 ピエトロはニヤリと笑って言った。
「?誰だ?」
 一同はそんな彼に尋ねた。
「英雄だ」
「英雄?」
「そうだ、英雄だ」
 ピエトロは一同に意味ありげに言った。
「英雄はいいが俺達平民の間にそんな凄いのいるかなあ」
「ああ、それもフィエスコとかを抑えられるような奴だろ。ちょっとやそっとじゃなあ」
 一同は首を傾げて話し合った。
「おいおい、いるだろうが一人凄いのが」
 ピエトロはそんな一同を笑いながら言った。
「だからそれは誰なんだよ」
「まさかあんたってんじゃないだろうな」
「えっ、俺!?」
 ピエトロは自分を指し示されて思わず噴き出した。
「おいおい、いくら俺でも自分が総督に相応しいとは思っていないぜ」
「じゃあ早く言えよ」
「そうだそうだ、勿体ぶらず早く教えろよ」
 皆彼を取り囲んで迫る。彼はそれを見てゆっくりと口を開いた。
「シモン=ボッカネグラの旦那だ」
「おっ、あの船長さんか?」
 職人の一人がその名を聞いて言った。
「確かにいい船長さんだけどな。強いし優しいし」
 水兵の一人が言った。彼は部下の間では評判がいいのだ。
「そうだ、あの人なら適任だろう?」
「確かにな。あの人なら貴族を抑えられる」
 一同ピエトロの言葉に頷いた。
「これで俺達の天下だ」
 皆ピエトロのその言葉に頷いた。彼等は貴族を激しく憎んでいた。そして自分達が街の権益を独占しようと考えていたのだ。
「そしてフィエスコの奴はどうなるんだ?」
 一同の中の一人がポツリと言った。
「これさ」
 頃合い良しと見たパオロが出て来た。そして左手で首を切る仕草をする。
「皆来てくれ」
 そう言って手招きする。皆それに従い彼を取り囲んだ。
「あの屋敷を見てくれ」
 そう言ってフィエスコの屋敷を指差した。
「フィエスコの奴はあそこに一人の美女を閉じ込めている」
「ああ、それは聞いた事がある。何でも自分の慰み者にしているとか」
 一人が言った。
「まあ話は最後まで聞いてくれ。そう、そして彼女は暗い牢獄の中でいつも泣いているのだ」
「何て奴だ、それでも人間か」
「この手で八つ裂きにしてやろうか」
「いや、火炙りにしろ。悪魔は火で焼き尽くしてしまえ」
 パオロの言葉に皆激昂した。
「まるで悪魔の館だな。哀れな美女が悪魔の奴隷になっているのだ」
「そう、そしてあの門は傲慢な貴族共にだけ開かれるのだ。そしてその宴を共有するのだ。気の毒な美女が奴等に貪り食われているのだ。・・・・・・静かにしてくれ、その哀れな人の心が彷徨う気配がするだろう」
「ああ、許せん、貴族の奴等は皆殺しだ!」
 一同は怒り来るって叫んだ。
「諸君、見ろ」
 その時屋敷の中から光が見えた。赤く弱い光である。
「悪魔共の火だ」
「恐ろしい!」
「あんな連中をこれ以上のさばらせていいのか?今度は俺達の恋人や娘がああやって奴等に貪られるんだぞ」
 パオロはここで彼等を煽る様に言った。
「そんな事許してたまるか!」
「おお、逆に俺達が奴等を一人残らず地獄へ叩き落としてやる!」
「そうだ、正義の鉄槌であの腐った頭を叩き潰してやる!」
 彼等は口々に叫ぶ。パオロとピエトロはそれを見てニヤリ、と笑った。
(上手くいったな)
(ああ、これで決まりだ)
 二人は囁き合って笑った。
「では皆明け方ここに来てくれるな」
 パオロは一同に顔を向けて言った。
「当然だ!」
 彼等は一斉に叫んだ。
「よし。そして誰を選ぶのかもわかっているな」
「当然だ、シモン=ボッカネグラの旦那だ!」
(これでよし)
 二人は心の中で笑った。
「では明け方に」
「おお!」
 パオロとピエトロは一同を連れてその場を後にした。そして酒場に連れ立って行った。
 
 静まり返った屋敷の門から一人の男が出て来た。
 歳はシモンより一回り以上上であろうか。黒い髪と瞳の気品のある堂々とした顔立ちの長身の男である。その長身は豪奢な服に覆われている。この屋敷の主ヤコブ=フィエスコである。
 このジェノヴァでも有数の門閥貴族の家の当主である。富裕を誇り街への影響力も絶大である。
 また権謀術数の渦巻くこの街でも有数の政治家である。その政治力により彼は街で最大の実力者となっていた。
 だがそれが平民達の怒りを買った。彼等との戦いにより彼もまた力を失い今は失脚している。
「愚かな者達だ、そうして内部で争って何になるというのだ」
 彼は下に下りて言った。そしてふう、と溜息をついた。
「だがもうそんな事はどうでもいい。最早この屋敷とも永遠の別れだしな」
 そう言って屋敷を見た。暗闇の中に浮かび上がるその屋敷は何も言わない。
「マリア・・・・・・」
 ふと女の名を呼んだ。
「聖母様と同じ名を与えたというのに。何故幸薄くわしより先に死んだのだ」
 頬を涙が伝う。
「わしは御前をどうする事も出来なかった。沈む御前をどうする事も出来なかった」
 そう言って顔を俯けた。
「あの男との結婚を許すべきだったのか、いや、それだけはならん」
 彼はそう言って頭を振った。
「だがあの娘を殺したのはわしだ。・・・・・・わしは何と愚かな父なのだ」
 屋敷から多くの人々が出て来た。どうやらフィエスコ家に仕える者達のようだ。
「旦那様、お元気で」
 彼等を代表して一人の年老いた男が言った。
「うむ、そなた達も元気でな。今までご苦労だった」
「はい・・・・・・」
 彼等は礼をしてその場を去って行く。フィエスコはそんな彼等を無言で見送っている。
「娘もいない、家もない。最早わしは只のさすらい人か」
 彼はその場を去ろうとする。だがその時誰かが屋敷の前に来た。
「あの男は・・・・・・」
 それを見たフィエスコの顔が怒りに満ちていく。シモンが来たのだ。
「至るところで俺の名を呼んでいる。どうやら俺が総督になりそうだな」
 彼はそう呟きながら教会のところにやって来たのだ。
「明け方に皆ここに来るというが。そうすればようやく俺は彼女を迎えられるのだな」
 そう言って屋敷の方を見た。
「もう少し待っていてくれよ。そうすれば俺達は一緒になれる」
「そう上手くいくかな」
 フィエスコが彼の前に出て来た。
「あんたか」
 シモンは彼を見て言った。無意識に眉を顰める。
「よくもまあそんな事が言えるな。あの娘が御前の妻になるだと?」
 フィエスコも不快さを露にして言った。
「丁度貴様に天罰が下るように願っていたところだったというのに。今そうして貴様の顔を見るとはな」
「あんたはそうやっていつも悪口ばかり言うな。いつも俺が頼んでいるのに」
「頼み?何だそれは」
 フィエスコはとぼける様に言った。
「それがあんたの孫の父親に言う言葉か!?あんたに認めてもらう為に身を盾にして戦ってきたというのに」
「そんなものは御前が勝手にした事だ。わしの知った事ではない」
 彼は冷たく言い放った。
「確かに御前はこのジェノヴァの為に戦った。だがそれとこれとは何の関係も無い」
「だから和解しようと言ってるじゃないか」
「和解?どうして貴様などと和解しなくてはならんのだ?」
 彼は顔に侮蔑の色を込めて言った。
「わしはフィエスコ家を侮辱した者は決して許さん、それが我が家の掟なのだからな」
「ではどうすればいいんだ!」
「そんな事は自分で考えろ」
「くっ・・・・・・」
 シモンはその言葉に声を詰まらせた。
 そして暫く考えた。フィエスコの方を向くと言った。
「俺の命で気が済むのか?」
 フィエスコは答えない。
「では一思いにやれ。彼女と結ばれないならどうせ同じだ」
「御前の命!?」
 彼は傲然と見下した声で言った。
「そうだ、そんなに憎むというのなら一思いに殺せ。そのほうがお互い清々する」
「フン、何故そんな事をせねばならんのだ」
 フィエスコは冷然と言った。
「わしは別に貴様を殺そうとは思わん、確かに貴様は憎いが我が家を侮辱した事は忘れてやってもよいのだ」
 彼はシモンを見て言った。
「一つ条件があるがな」
「条件!?」
 シモンはその言葉に反応した。
「そうだ。貴様がわしの可愛い娘に手をつけて生まれたあの娘をわしに譲るというのならな。わしとて孫は可愛い。あの娘には何の罪も無い。まだ顔も見ていないがわしはその娘をきっと幸せにしてやる。どうだ、悪い条件ではないだろう」
「・・・・・・それは出来ない」
 シモンはその言葉に声を沈ませて言った。
「何故だ?」
「運命を司る神があの娘を連れて行った」
「それはどういう事だ?」
 フィエスコはその言葉に眉を顰めた。
「俺はあの娘をこのジェノヴァから離れたところで育てていた。俺は敵が多いからな」
 平民達に人気があり軍人として有名なシモンは度々刺客に命を狙われていたのだ。
「俺はその家で一人の年老いた女に世話をさせていたのだ。ある日俺はその家に帰った」
「ほほう、それでどうしたのだ?」
「家には誰もいなかった。中では女が殺されていて娘の姿は何処にもなかった」
「御前の敵の誰かがやったのだろうな。誰かまではわからぬが」
「ああ。俺はあちこちを探し回った。・・・・・・だが見つからないのだ。今だにな」
 シモンは話し終える頃には完全に沈んでいた。
「それは不憫で残念な話だがそれでは仕方無いな」
 フィエスコは冷たく言った。
「ならばこの話は無かったことになる。わしは御前と和解はせん」
 彼はそう言うとシモンに背を向けた。
「待ってくれ、娘は必ず見つけ出す」
 シモンはそんな彼を呼び止める様に言った。
「どうやってだ?」
 フィエスコは後ろを振り返らず言った。
「それは・・・・・・」
 シモンは言葉が無かった。方法が思いつかなかった。
「無いのだろう、それでは話にもならん」
 フィエスコはそう言うと去って行こうとする。
「おい、待ってくれ!」
 シモンは呼び止めようとする。だが彼はそれには耳を貸さず姿を消した。後にはシモンだけが残った。
「・・・・・・何という奴だ」
 シモンはそんな彼の後ろ姿を見て言った。
「あんな美しく清らかな娘がどうしてあんな男から生まれたのだ。信じられん」
 ふと屋敷を見る。扉が開いていた。
「中にいるんだったな。入れてもらうか」 
 扉の前に行く。そして中を窺う。
「誰もいないな。失礼だが入ってみるか」
 彼はそう言うと屋敷に入って行った。そこへフィエスコが戻って来た。
「ほう、奴は屋敷の中へ入ったか」
 シモンの姿が無く屋敷に光が照っているのを見て言った。
「精々探し回れ。そして冷たくなった娘を見るんだな」
 彼はシモンを呪うように言った。その声には憎悪の他に悲しみも混じっていた。
 シモンは屋敷の中を家の中で見つけた聖母像の燭台を手に探し回っていた。
「マリア、一体何処にいるんだ」
 屋敷の中は誰もいない。そして彼は地下室へ入って行った。
「さて、そろそろかの」
 フィエスコは暗い笑みを浮かべて言った。
「貴様もわしと同じ苦しみを味わうがいい」
 そう言った時だった。シモンが屋敷から出て来た。
「そんな・・・・・・・・・」
 彼は完全に絶望していた。屋敷の門をくぐり外に出るとガックリと膝を着いた。
「何故だ、何故彼女は死んだのだ・・・・・・」
 フィエスコはそれを見て相変わらず暗い顔で笑っている。そこへ遠くからシモンを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ボッカネグラ!」
 大勢の群集の声だ。シモンはすぐにそれに気付いた。
「何だ?」
 見れば職人や水兵達である。松明を手に持っている。他にも多くの者がいる。老若男女様々だ。
「あれは・・・・・・」
 その先頭にはパオロとピエトロがいる。どうやら彼等が明け方に来てくれるよう集めた者達らしい。
「旦那、そんなところにいたのか」
 パオロが彼に声をかけた。
「これを見てくれ、皆貴方に総督になって欲しいんだ」
 ピエトロも言った。
「皆の願いだ、総督になって街と俺達を導いてくれ」
 皆その声に頷いた。松明の火がゆらゆらと揺れた。
「総督か・・・・・・」
 シモンはそれを半ば放心した状態で聞いていた。
「俺にはそんなもの・・・・・・」
「皆貴方を必要としているんだ」
「そうだ、それを断るのはどうかと思うぞ」
 二人はそんなシモンに無理強いするように言った。
「そうか・・・・・・」
 シモンは皆の顔を見た。皆彼を期待する眼差しで見ている。
 彼にはもう断れなかった。絶望した気持ちをそれで紛らわせようと思った。
「わかった、引き受けよう」
 その言葉を聞き皆歓声をあげた。
「よし、これで俺達の総督の誕生だ!」
「ああ、貴族の奴等を黙らせて俺達のジェノヴァを築くんだ!」
 皆口々に叫ぶ。
「結局は貴族が憎いだけなのか・・・・・・」
 シモンはそんな彼等を見て呟いた。だがそれは彼等の耳に入っていない。
「あいつが総督か、何ということだ」
 フィエスコはそれを見て苦々しげに呟いた。だがすぐに姿を消した。
「いずれ時が来る。その時こそ恨みを晴らしてやる」
 皆シモンを取り囲んで松明を掲げて喜びの声をあげる。しかしシモンはそれを沈んだ気持ちで聞いていた。



果たして、これからどうなっていくんだろう。
美姫 「攫われた娘の行方も気になるところね」
一体、どんなお話なのか、今から楽しみです。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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