黒き月が機能を停止し、エオニアの反乱が終結してから二日が経ったが、エルシオールの中はいまだに重い空気が立ち込めていた。
エオニアとの最終決戦の最終局面において、エルシオールを庇ってRCSとともに宇宙へ消えたアヴァン・ルース。その捜索活動は懸命に続けられていたが、彼の死はもはや確実なものになりつつあった。
戦いは常に犠牲を以って終わる。
それがたまたま今回は彼だったこと。
わずか数週間足らず行動をともにしただけだが、彼はもう自分たちにとって窮地から何度も救ってくれたかけがえのない仲間になっていた。
だがそれも、もう過去のことになるだろう―――――――――
銀河天使大戦 The Another
〜破壊と絶望の調停者〜
第一章
四節 脈動
「タクト。今捜索隊が戻ったが、やはり………」
「……そうか。RCSの主だった残骸は残ってなかったし、これまでか」
あれだけの攻撃を受けていながらエルシオールは奇跡的にクルーの一人も死者は出ていなかった。誰も失わず、すべてが終わるはずだった。
あのタイミングであの攻撃を予測することは不可能だ。しかし、もしそれができていれば、と思うと悔やまれる。
トランスバール皇国中央府はすでに戦後の復興に向けて動き出している。シヴァ皇子も正式に皇位を継承し、治世の道へ踏み出すことになるだろう。自分たちもいつまでもくよくよしていられないのだ。
「ところでレスター、アンス……いや、ネイバート整備副班長はどうしてる?」
「ようやく落ち着きを取り戻した、と先ほどクレータ班長から連絡があった。今はヴァニラが側にいるそうだ」
「そうか」
この戦いで白き月以下、トランスバール本星圏は戦場になるという最悪の事態は回避され、何十億という人民に命は守られた。
最前線に立って奮戦していたエルシオールは幾度となく撃沈に危機にさらされながらも皇国に再び平和と安息をもたらしたのだ。
「そうですか。彼は、見つからなかった、と」
「はい。まことに残念ですが、もう………」
「分かりました。貴方も多忙の身でありながら、ご苦労様でした」
「いえ、失礼します」
報告に来ていた下士官が退出すると、シャトヤーンは自室に戻った。彼の死という事実はひどく彼女の心を揺さぶっている。リビングテーブルにいつも飾ってあるフォトスタンドには、幼少の頃のシヴァとシャトヤーン、そしてアヴァンの三人で写した写真が収められている。それを撫でるように持ち、見つめればかつての記憶も蘇ろうものだ。
「貴方にもできないことはあるのですね、アヴァン」
涙に伏すシャトヤーンの後姿を、シヴァもまた命いっぱいの涙を堪えて見つめていた。だがそれも僅かに彼はその場を足早に立ち去った。
「まったく……身を捨てるなど、格好つける年でもないのに………」
自室でシヴァはほう、とため息をついてベッドに寝転がった。
シヴァにとってアヴァンは見ず知らずの父に代わってあれこれと面倒を見てくれた兄のような存在あり、かけがえのない友人なのだ。シャトヤーンと同じぐらい長い時間を共に過ごし、無論―――――――自分の出生の秘密も知っている。タクトやエンジェル隊にも伏せている事実だ。
だが、この国の新たな指導者となるためにはすべて打ち明けねばならない。
こういう時にあの男がいれば、迷いなど打ち払ってくれるだろうに。
「馬鹿者め、勝手に………死ぬなど……うっ、うくっ………」
嗚咽と落涙に去来する記憶。
かつてあの男を兄と呼んだ日々。
それも今は辛いものでしかなかった。
「RCSは、アヴァンは………まだ見つかっていない」
タクトは躊躇いながら、その認めたくない現実をエンジェル隊に伝えた。
「うそ、ですよね?」
「何で見つからないのよ!?」
呆然と立ち尽くすミルフィーユの隣からランファがタクトにつかみかかろうとし、フォルテの片手に止められて何とか踏みとどまった。
「タクトさん。本当、なんですのね」
「ああ。残念だけど彼の捜索は今日一杯で打ち切られる」
「急ピッチで新しい体制へ移行するから手が放せないって言うのも分かるけどね」
「ですが、コックピットブロックなどの主なパーツは見つかっていません」
そう、それがあまりにも不可解だった。
RCSは消滅ではなく爆発したのだから必ず飛び散った破片や部品が残っているはずだ。そしてそう時間もたっていない状況で捜索が開始されたにもかかわらず最も強固なコックピットブロックが見つからないというのは、正直ありえない話だった。
「それと、エンジェル隊に一つ任務が回ってきたんだ」
そんな場合じゃない、と食って掛かるランファをなだめ、タクトはその命令書を取り出した。緊急のものであるため個人に通達を送るのではなく司令官であるタクト経由で直接軍上層部から届いたのだという。
そしてその内容は驚くべきものだった。
エオニアとの最終決戦。黒き月が活動を停止してからおよそ八時間後。白き月の外壁で原因不明の爆発事故が起きたのだ。ミサイルや小隕石の接近が感知されていなかったため、内部で何かが爆発したと思われる。状況が状況だけに軍上層部の中で極秘扱いになり、そしてその原因調査をエンジェル隊に任せる、というのが今回の命令だ。なんでもこちらにまわしてきたのはルフト将軍の根回しによるものだという。
そして驚くべきはここからだ。爆発が起きた地点はちょうどその時刻、黒き月の方角を向いていたのだ。データ統計の結果、RCSが白き月に漂着すると仮定した場合、爆発が起きたちょうどその時に白き月の座標までRCSは移動しているというのだ。
「えー、と。どういうことですか、タクトさん」
「ああ、だからつまりね。爆発はアヴァンが白き月に激突したときのものかもしれないから、本当かどうか調べてきて、アヴァンがいれば救出しろ、ってことさ」
確かにそのとおりなのだが、可能性の中にはアヴァンがすでに死亡しているということも多分に含まれている。だがわずかでも可能性が残っているのなら行動を起こすには十分すぎる理由だった。
一時間後、タクトとエンジェル隊の六人は白き月の封鎖区画の入り口の前に立っていた。爆発のあった場所は『プラント』を含む封鎖区画、通称『アーカイブ・テリトリー』の最深部近く。
歯切れの悪い駆動音が響き渡る中、封印されていた八枚の隔壁が展開していく。道は開かれた。
「よし、みんな。いくぞ!」
『おーっ!』
仲間を救うため、決意を胸に六人は前人未到の領域へ踏み込んでいく。その後姿を物陰からこっそりと見つめている人影がひとつ。
(アヴァンが、この先に………)
会議を抜け出してきたシヴァ皇子、その人である。誰も見ていないことを確認するとシヴァもまたアーカイブ・テリトリーへ入っていった。
「はあ………」
アンスは一人、自分の部屋でため息をついてベッドに寝転がっている。
アヴァンのことは、死んだ人間のことはもう忘れよう。そう思って仕事に精を出していたのだが、
「もう、やることがないなんて」
エルシオールの修理は他の部署が担当しているため出番がなく、整備中の紋章機のシステムチェックと動作確認はパイロットがいなければどうにもならない。あと自分にできることといえばクジラルームで動物の世話をすることぐらいだが、管理人のクロミエに遠慮されてしまった。
こうなると他はRCSの整備ぐらいだが、当の機体はパイロットもろとも宇宙の藻屑になってしまった。これでは、マニュアルをすべて暗記した自分の苦労はいったいなんだったのか分からなくなってしまう。
鬱蒼とした気分を少しでも紛らわそうと散歩に出た。ヴァニラに会いに彼女の部屋や医務室へ行ったが不在。人に話を聞けば白き月の封鎖区画へ向かったという。封鎖区画は技術屋の類でなければ足を踏み入れようとは思わないような場所だ。そこへヴァニラどころかエンジェル隊全員が向かった。
(妙、だわ)
何か引っかかるものを感じて白き月の内部管制室へ足を向けた。ここは白き月内の環境管理や監視を行う場所であり、また格納庫の隔壁の操作なども行うこともできる。本来は関係者以外の立ち入りは禁止なのだが、アンスは格納庫のアームやハンガーの操作や管制システムのメンテナンスを行うため入室が許可されている。
よく話をする女性オペレーターを捕まえて話を聞くことにした。
「ネイバート整備副班長、どうかしましたか?」
「いえ、先の戦闘でその後システムに影響が出てないか気になっただけよ。今のところ問題はないようね。ところで………」
「何ですか?」
「ええ。エンジェル隊が今どこにいるか知りたいんだけど。紋章機の整備に遅れが出そうなのよ」
「分かりました。ええと………」
適当だがあながち嘘では無い建前を述べると、オペレーターがすぐさまキーを操作して個人用のミニモニターに白き月の見取り図を表示させる。地図の中で一点だけ赤く点滅している箇所があった。
「これは?」
「現在のエンジェル隊の位置です。今司令部に確認したところ、エンジェル隊は先の戦闘終了直後に封鎖区画内で発生した爆発事故の調査中だそうです」
「変ね、普通は別に調査班を組織するのに」
「あれですよ。噂じゃあ例の人型兵器が落っこちたんじゃないかって。それでエンジェル隊が借り出されたらしいです」
「そう、ありがと。今度お礼にコーヒーをご馳走するわね」
「アンスのコーヒー、美味しいのよね。楽しみにしてるわ」
よほど美味なのか、オペレーターはつい普段の口調に戻って慌てて口をふさいだ。
アンスは管制室を後にすると今度は一番近い封鎖区画の入り口に向かった。ちょうどそこはタクトたちが出発した場所から正反対に位置する。整備班の間では『天使の巣』と呼ばれるエリアで、初めて紋章機が発見されたことが由来だ。
(アヴァンはあんなことで死ぬほど往生際のいい人間ではない)
ひどい言われようだが、そう思うとなぜか心が軽くなった気がした。
彼が生きているかもしれなくて、この先にいるかもしれない。不確定要素だらけだが、だからこそ俄然やる気が沸いてくるというものだ。
不敵に笑う彼女の両腕にはドライバーなどの工具をセットしたバンドが巻かれている。
「待っていなさい、アヴァン・ルース!」
叫んで疾風のように闇の中へ飛び込んでいった。
全身のあちこちに走る痛みでようやく頭がはっきりしてきた。まぶたを開ければ不規則に点滅するディスプレイの光が飛び込んでくる。
「ぐ――――――――あっ、く………ぅ」
腹の中にたまっていた息を吐き出すと血の塊が口からこぼれた。どうやら肋骨が何本か折れているらしい。見れば右足が太腿から先が完全に無くなっている。いや、先の部分は左足の足下のほうに転がっているではないか。
(ここはRCSの、コックピットか………)
もう機能していないスロットルレバーを見つめ、彼は目を細めた。生の実感などあまりに乏しすぎる今、いったい何が彼を生かしているのだろうか。
細糸のような意識がさらに薄れていく。
おそらくもう限界だろう。
いや、今まで何度それを思ってきただろうか。
いや、今まで何度そこから呼び戻されただろうか。
そんな疑問も思考から消えていくことすら、もう感じられなかった。
八つ目のブロックに踏み込んだタクトたちは驚愕に目を見開いていた。
あえて彼らが見た光景を形容するならば、それは『機神たちの墓場』だろう。床に乱立する機械仕掛けの巨大な腕や足。いくつも寝そべる巨体は未完成なのか、かろうじて輪郭を認識できる程度だ。
「これは………?」
「分からんね。それにあたしたちがすべきことはこいつを調べることじゃない」
「そうだな」
フォルテに促され、タクトは次のブロックへ続くハッチを探し始めた。他のエンジェル隊のメンバーも危険物がないかどうか周囲を念入りにチェックしている。
すでに突入から三時間が経過しているがまだ目的地には到着できない。爆発のあったポイントは中枢に程近いのだが、そこへはいくつものセキュリティーを解除しなければならない上、構造上かなり迂回しなければならないのだ。
時間がかかるのは分かっている。遠回りなのも承知している。
「くそっ………」
ハッチのロックがうまく解除できず、舌打ちしてタクトはハッチを力任せに殴った。ごうん、という鈍い音がして殴った拳に鈍い痛みが走る。赤い雫が数滴、床を濡らした。
「タクトさん。焦っては駄目です」
「ヴァニラ……」
「手を見せてください。治療します」
言われるままにタクトが手を差し出すと、
「いだっ!?」
ヴァニラに思い切り手の甲の皮をつねられてしまった。
「ヴァ、ヴァニラ?」
「お仕置きです。タクトさんが不安になると、私たちも不安ですから」
やんわりと微笑むヴァニラがそっとタクトの手を撫でると、ほのかに伝わる温かさとともに傷はたちまちにふさがってしまった。何度かヴァニラのナノマシン治療を受けたことのあるタクトだったが、この温かさのなんとも言えない心地よさに夢現になってしまうのだった。
「タクト、さん?」
「タクトっ! 何やってんだい、イチャついてないで次行くよ!」
「え、あ、ああ!」
フォルテの一喝に現実へ引き戻される。ヴァニラは隣で『イチャつく』の一言に頬を赤らめていた。これでまだ本人たちは付き合っているわけではないというから周囲も焦りもする。ランファにいたっては暇さえあればヴァニラに、『恋の必勝法百手(マダム・エレノーン著)』やら『恋愛成就のまじない百選(マーリン八世著)』やら、さらには『殿方を喜ばせる究極奥義集(アルトリア・エミーヤー著)』なるものまで貸し出して読ませる始末(最後の究極奥義はヴァニラに早すぎる気がするが)。
まあ、ともかく。今はアヴァンを探すことが最優先なわけで二人はフォルテたちの後を追って別の通路へ踏み込んだ、その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴッ ガゴォォォォォン!
「わ、わあああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」
『!?』
一行が一斉に振り向き、轟音と悲鳴の聞こえたほうへ駆け出す。すると今さっきまで居たブロックの床が丸々抜け落ちているではないか。これでは目標地点までたどり着いたとしても戻ることができない。
しかも、
「ねえねえ」
「さっきの声って………」
「シヴァ皇子、ですわね」
ミルフィーユ、ランファ、ミントが青ざめた顔を見合わせている。理由は分からないが、どうやらシヴァ皇子は彼らの後を追ってきていたらしい。それもご丁寧に隠れて、である。
「ともかくここから降りるしかない。シヴァ皇子を助けないと」
「ですがタクトさん。調査任務はどうしますの?」
「なら二手に分かれよう。俺とヴァニラとランファでシヴァ皇子を。ミルフィーとミントとフォルテは任務を続行してくれ」
「了解。タクト…………あたしがいないからってヴァニラに手を出すんじゃないよ?」
「いや、フォルテ。ランファもいるじゃないか」
冗談だよ、と笑うとミルフィーユとミントをつれて去っていくフォルテ。そこまで信用されていないことを悲しく思いながらタクトは二人とともに床の抜けたフロアを見渡した。
「んー、見事に何も残っていないなー」
「タクト、こっちに階下直通用って書いてある階段があるけど」
「よし、じゃあそこから降りよう」
かなり急な勾配というか坂のような階段を三人は下りていく。明かりはほとんどなく、持ち込んだ懐中電灯の光だけを頼りに奥へ進んでいった。
四肢と頭部を失ったRCSを、双子の少女が見上げていた。歳は十二、三ぐらいだろう。いずれも蒼い髪と瞳を持ち、神秘的な空気を纏っている。煤のついてしまった白のトレンチコートを叩きながら、髪を長く伸ばした姉は呆れたようにため息をついた。
「まったく……彼はどうしてこうも壊すのかしらね?」
「しょうがないんじゃない? アイツの性格、あれだもん」
対する髪を短く切りそろえた妹が苦笑すると姉も同じように笑みを浮かべた。二人は頷き、RCSのコックピットを事も無げに開けると姉は中から小脇に抱えて戻ってきた。自分よりも遥かに重い体重に、おびただしい出血の跡に、少女たちは顔をしかめることもない。
彼の怪我は驚くべきことにほとんど癒えていたがまだ意識は回復しておらず、千切れた右足はそのままになっている。常人ならば即死であるはずのダメージを受けてなお、彼は安らかな寝息を立てている。
「こちらの気も知らずに、よく寝る」
「ほんと、二百年近く経つのにぜんぜん変わっていないよ」
「だからこそ」
「ボクたちの主なんだ」
姉が右の頬に、妹が左の頬に柔らかな唇を重ねる。
子供がするような拙いキス。
ただ、愛情を求める単純な行為。
そして、彼らは光に包まれた。
危機一髪というのはこういうことを言うのだろう。アンスはまだ爆発しそうなくらい高鳴っている胸を片手で押さえながらもう一度周囲を見回した。
彼女は近道としてダクトと整備用のスペースを使ってすでに中枢付近まで入り込んでいたのだ。だがどうも道を間違えたらしく来た道を戻りながら別ルートで最深部を目指していたところ、いきなり天井が崩れてきた。普通の通路を歩いていたおかげでせまいダクトに閉じ込められるようなことにはならなかったが。
「老朽化、というわけではないだろうけど」
だとすれば不法侵入に対するトラップかセキュリティーの一種だろうか。それにしてもかなり派手だ。抜けた天井から降ってきたのは何本かのパイプと鉄骨、それから………
「シ、シヴァ皇子!?」
「ん………いたた。む、お前はアヴァンといた」
「アンス・ネイバート整備副班長です! しかし、どうしてこんなところに」
「どうしたも何も、エンジェル隊の後をつけていたのだ。アヴァンが生きているかもしれんというのに、黙って待っていられるものか」
記憶が正しければエンジェル隊がいるのはここよりもさらに頭上のフロアのはずで、もっと言えば今自分がいるフロアは白き月の管制室でも把握不可能なアンノウンなのだ。もちろん連絡を取ることなどできない。
さらにシヴァは「お前もアヴァンを探しに来たのだろう」などと言う。あながち外れていないため、強く言い返すこともできない。
「さあ行くぞ。着いたら十字架が立っていたなど洒落にならん」
「は、はい」
崩落の瓦礫は道を塞ぐほどでもなかったので二人はすんなり通り抜けた。気温調節機能は働いていないのか、ひどく肌寒い。肩を震わせながらいくつかのゲートをくぐったところで通路を閉鎖する分厚い隔壁に突き当たった。しかもその隔壁は凄まじい圧力で歪んでいる。
「耐爆装甲隔壁………ですね」
「な、何だ? そのアンチエクス…なんとかというのは」
「施設内などで爆発が起こった場合に被害の拡大を防ぐため自動で展開される特殊装甲のハッチのことです。簡単に言えば頑丈な防火扉というところですか」
「ふむ……ということはこの先で爆発があったということか?」
「そうなります。ただ、ここまで激しく変形していると隔壁を開けるにはかなり苦労しそうですが」
言ってアンスは両手のグローブを脱いでポケットに押し込むと、丁寧に隔壁を素手で触って状態を確認する。
「どうか?」
「隔壁の向こうは一応空気があるようです。隔壁の割れ目から風が流れ込んできていますから。そうですね………あっちのエアダクトから向こうへ行けるかどうか試してみます」
ダクトの金網を外して中へするりと入り込む。ダクトの中は煤だらけで息をするのが大変だが、とりあえず真空状態というわけではない。向こう側への出口を確保してからシヴァをダクトへ引っ張りあげた。
「えほっ」
「大丈夫ですか?」
「なに、気にするな。それよりも前へ」
隔壁の向こう側はやはりというか、爆発によって内装はズタズタになって明かりひとつない状態だ。ペンライトで道を照らしながらさらに奥へ進んでいく。
ふと、シヴァが呟くように口を開いた。
「お前は、アヴァンのことが好きか?」
「え、ええ?」
アンスが質問の意図を理解できずにいると、シヴァはどこか遠くを見つめたまま足を止めた。
「お前は知らぬだろうが、私は生まれてから親というものを知らない。確かにシャトヤーン様は母上のように優しく接してくださるが、それでも私には父親というものがいなかった」
「…………」
「あれは私の四歳の誕生日だったか。シャトヤーン様はご公務で間に合わず、夕食を終えて一人庭で涼んでおったら、ふらりとあの男が現れたのだ」
男は「君がシヴァか?」とぶしつけに尋ねてきたのでシヴァが「そうだ」と怒鳴り返すと、彼はにこりと笑って隣に腰を下ろした。あまりに自然すぎるせいか、シヴァもつられて座り込んだ。
「男は「自分はシャトヤーンの頼みで君の相手をしに来た。さて何をして遊ぼうか?」などと言うのだぞ。あの馬鹿っぷりは今でも覚えている」
最初は頑なに拒絶していたシヴァだったが、一時間もしないうちに彼のペースに引き込まれていた。
もう夜も遅くなったころ、男は不意に立ち上がった。「どうしたのか」と尋ねると「もう時間だから行かなければならない」と男は笑って答える。
『次はいつ会えるのだ?』
『さあね。気まぐれな性格だから。でも、もしシヴァが会いたくなったらまた来よう』
『それは、約束か?』
『ああ、約束だ。これでも約束は破ったことはないんだ』
忘れもしない、この台詞。アンスは少しだけ痛む胸を押さえながらシヴァの話に耳を傾ける。
そして男はシヴァに背を向けて歩き出した。だが何歩か歩いてから不意に振り向くと、
『二つ、忘れていたよ。ほら、誕生日プレゼントだ』
宙に放られた何か光るものをシヴァがよろめきながら掴むと、それは小さな赤い宝石が輝く指輪だった。
『これを私にどうしろというのだ』
『お守りだ。よく効くぞ』
『そうか………それで、もう一つは何だ?』
『俺の名前だ』
言われて初めてシヴァは、彼を「お前」としか呼んでいなかったことに気づいた。まあ、本人が名乗らなかったことが一番悪いのだが。
『アヴァニスト・V・ルーセント。難しいからな、アヴァンでいい』
『アヴァン』
『ああ』
『アヴァン』
『何だ?』
『何でもない。またな』
『そう。じゃ、またな』
それがアヴァンとの出会いだった。どうやら昔からつかみようのない性格をしていたらしい。それはともかく、シヴァは今でもその指輪は肌身離さず身につけているという。
「指輪ですか?」
「ああ。皇子に指輪を贈るのは不思議だろう」
「男性でも指輪はしますので。おかしくはないと思います」
「ふふ、男か」
「?」
シヴァの苦笑に首を傾げるアンス。するとシヴァは意外な事実を口にした。
「ネイバート。これでも私は女だぞ? 指輪ぐらいしてもよかろう」
「ええ、まあ………って、ええ!?」
「驚くのも無理はない。今まで伏せていたことだし、権力争いにおいて女というのは不利だからな、性別を偽るのは当然だろう」
ともかく、とシヴァは歩みを止めてアンスに向き直った。突然のことに困惑するアンスを尻目に、少女は高らかに宣言した。
「それはともかく、アヴァンはお前のところにはやらん!」
「は? え、あ、いや………!?」
もう何がなんだか。顔を真っ赤にしながらシヴァはずけずけと大股で歩き出すのでアンスもそれに続いた。とりあえず、この話題は保留ということになったらしい。
そうこうしているうちに二人は爆心地のところまで来ていた。倉庫のように広く、外側から貫通したはずの天井の穴は新しい隔壁によって完全に塞がれている。
そしてフロアの中心に鎮座する黒い巨大な物体。それが何であるか、見慣れていたアンスは一瞬で理解した。
姿形は完全に変形してしまって原形をほとんど留めていないが、あれは間違いなくRCSだ。僅かな望みが光となって二人の心を照らす。だがそこでふとアンスは気づいた。RCSの胸部装甲は無残にも引き剥がされて内装と骨格がむき出しになっている。あれだけの熱量を正面から受け止めたのだ、無理もない。
外側でこれだけの損傷ならば、コックピットの中はいったいどうなっているだろう。不吉な考えが脳裏に浮かび、それを振り払うかのようにアンスはRCSのコックピットに一歩踏み込んだ。
「う、ぐっ………!?」
鼻を突く死臭。
焦げた血と肉の臭いが充満している。
遅れて追いついてきたシヴァを制止し、アンスは首を横に振った。
コックピット内に散乱した血の量が、彼の死を物語っていたからだ。幸いにも遺体はなく(恐らくここに来るまでに宇宙へ放り出されたのだろう)、またそれが逆に最後の別れすらさせてくれはしない。
ほどなくしてエンジェル隊とタクトが追いついてきたが、アンスとシヴァを見ておよそこの任務の結果を察したらしく何も追求はしなかった。機材の搬入路が使用できないためRCSの回収は断念し、シヴァはせめてもの手向けと言って彼からもらった指輪をコックピットシートの上に置いた。
ミルフィーユは持ち合わせていたクッキーを指輪の隣に。
「天国で食べてくださいね。アヴァンさん」
ランファはリストバンドを丁寧に折りたたんで。
「向こうでちゃんと使いなさいよ」
ミントのベッコウ飴とフォルテの愛銃の薬莢はクッキーの傍らに。
「私のお気に入りですわ」
「こんなもんで悪いけど、ね」
そしてヴァニラがナノマシンで作り出した一輪の花を供える。
「ありがとう、ございました。タクトさんを、守ってくれて」
アンスは結局、他の皆が黙祷しその場を去るまで黙ったままだった。一人だけになってもRCSのコックピットから離れようとはしない。
一度しか乗ったことのない機体だったが、悪くはなかった。いささか戦闘機動が激しかっただけで、移動に使う分には申し分ない。レジャー用に造り直せば売れるのではないだろうか。
そんな言うに言えなかった文句は多々ある。
だが今は、これだけにしておこう。
「そういえば、次があるなら飲み物を持って来いと言っていましたね。あいにくこれしかないですけど……いいですよね、アヴァン?」
携帯用の紙パックのコーヒーをシートに置いて、彼女は去っていく。
ただ、一度だけ振り返ると目じりに涙を浮かべて呟いた。
「さようなら。貴方のこと、嫌いではなかった………」
この日、本当の意味でエルシオールは戦いに終止符を打った。
そしてこれから、新たな平和を胸に。
◇
クーデターから半月が経った。
アヴァンの死のショックから立ち直るのも早く、シヴァは女皇に即位し、側近のルフト大臣を最大限に活用してトランスバールの再興に力を注いでいる。
タクトとエンジェル隊はその後、白き月を拠点にロストテクノロジーの調査・回収の任に就き、日々騒乱とした生活を送っている。エルシオールが主にその舞台となるのだが、そこのクルーの中で艦を降りた者が一人だけいた。
アンス・ネイバート元整備服班長。彼女は現在白き月においてある極秘プロジェクトの責任者に就任していた。
すべての始まりは一週間前、アヴァンの遺物を整理していたときのことである。彼の持っていたNPCに保存されていたデータをチェックしていると、あるファイルが目に付いた。ファイル名は『G Plan』。不審に思ってファイルを開いてみると、中には持っているだけで国から大金をせしめれるような情報が満載されていた。もっとも、その内容はある一点に集約されており、つまるところ『新型兵器』の開発計画書だった。
アンスはこのデータを持ってシャトヤーンの元を訪れた。アヴァンの一件でシヴァと親しく―――――もとい慰め合うほどの友人になったアンスは、比較的自由に彼らと会うことができるようになっていた。
ともかく、シャトヤーンと相談した上でこのデータを封印することが決定した直後、一通の電子メールがシャトヤーンに届いた。彼女は何やら隠しているようだったが、アンスに『G Plan』の遂行を命じたのだ。
しかしこのデータをまとめあげ、計画を立ち上げた人物はいったい何者だろうか。ファイルの署名欄にこそ立案者らしき『ユフィリスト・キースパス』『ユーリフィー・ウパニットン』という二名の名前が記されていたが、あらゆる歴史書や技術書、論文をひっくり返してもそれらの名前を見つけることはできなかった。
いずれにせよ計画は順調だ。アーカイブ・テリトリーの調査も進み、紋章機のルーツもいずれ判明するだろう。『G Plan』では現在あるモジュールを製作しており、完成すれば本格的なデータ収集と人材育成に取り掛かることができるようになる。半年後には『G Plan』の第二フェイズに移行することも夢ではないのだ。
彼の遺産と遺志は彼女が引き継ぐだろう。
「目が覚めた?」
「――――――――――――――――――」
「はい。あの子に調整作業を、任せてあるから」
「――――――――――――――――――」
「……でも、傷がまだ治りきってないのに」
「――――――――――――――――――」
「FではなくてCを優先。あとは大まかな流れの通り、で?」
「―――――――――――――――――」
「分かった。でも今は、このままがいい」
「―――――――――――――――――」
「うん。私も。またその温もりに触れられて嬉しい、アウ………」
第四回・筆者の必死な解説コーナー
アンス「何をどこぞのメロドラマチックな台詞を吐かせるか――――――――!」
ゆきっぷう「いいじゃないかよぅ! まんざらでもなかったじゃないかよぅ!」
アンス「余計に嫌です! 死ね、この人外ドアホ激へたれ作家が―――――――――――っ!」
ゆきっぷう「誰がへたれじゃ、大馬鹿と言………」
(アンスの両腕が光速で無数のマイナスドライバーを打ち出した!)
ガンッ ガガガガガガガガンッ ドゴンッ
ゆきっぷう「ぐ、ぐふっ………まさか、アンスが代○者だったとは………ドライバーを黒鍵のように投げるなど、そうとしか思えん」
シヴァ「自業自得だ。この馬鹿者」
ゆきっぷう「いや、でもさ。六百六十六本もドライバーを持ち歩く彼女には何のお咎めもなしですか? 女皇陛下」
シヴァ「お前こそ無計画に登場人物を死の淵に追いやるな。この『まっど・じぇのさいだー』め」
ゆきっぷう「へ、陛下? 『マッド・ジェノサイダー』はカタカナ語ですよ。間違ってもひらがなではないです。それに大量虐殺なんてしてないじゃないですか」
シヴァ「…………(極秘設定資料・2002年度ver.を突きつける)」
ゆきっぷう「は、はうあっ! それはっ! いや、何でそんな古いのを!?」
シヴァ「お前の所業、しかと確かめさせてもらった。大人しくお縄につけ!」
ゆきっぷう「なにおう、俺は無罪だ! 放せ、放せって……ぎゃ、ぎゃああああああああ!?」
(憲兵に連行される途中で抵抗し、射殺されるゆきっぷう)
シヴァ「よし、悪は滅んだ。
…………さて、そろそろ次回予告の時間だ。
えー、あー、えほんっ…………果てしない縄張り争いはすべてカモフラージュだった!? 迫る魔の手と銃弾がフォルテとランファを翻弄する! その時二人が出会った謎のガンマン。僻地で交錯する正義と野望! 次回、『銀河天使大戦 番外編〜荒野のガンマンのパイ包み焼き〜』。乞うご期待!」
シャトヤーン「シヴァ、立派になりましたね」
シヴァ「しかし、この情けないタイトルはいったい……それにパイ包み焼きだと?」
ゆきっぷう「では皆さん、またお会いしましょう!」
シヴァ「………やはりお前か」
アンス「まだ反省が足らないようですね(マイナスドライバーをシ○ル風に構える)」
シヴァ「構わん、やれ。私が許す」
アンス「かしこまりましてそうろう」
ゆきっぷう「ま、待て! 分かった第二章では二人の間でアヴァンを右往左往させるから! な、いいだろ? な?」
シヴァ「この、俗物め……確かにやって欲しいことこの上ないが」
アンス「独力で勝ち取ってこそ意味ある勝利!」
ゆきっぷう「ヘ、ヘルプ! ヘルプミ〜!」
シヴァ「命運尽きたな、滅び去れ!」
アンス「覚悟ぉぉぉぉぉっ!」
ゆきっぷう「キャラ違う! 根本的にキャラ違う! それに台詞も違う! 二人ともいつからそんな戦闘的にになった!? っつうかお前は何者……ぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
黒き月との戦いはとりあえず終結…。
美姫 「果たしてアヴァンは本当に亡くなってしまったのか!?」
続きも楽しみです。
美姫 「その前に番外編みたいだけれどね」
うんうん。
これも楽しみ。
美姫 「次回もお待ちしてますね〜」
ではでは。