黒き月ではエルシオール追撃のため、艦隊の再編が急ピッチで行われていた。
ただでさえ白き月を含む本星周辺の宙域を皇国軍に奪回されてしまい、情勢はわずかではあるが不利である。高機動戦闘機部隊の編成と調整がまもなく終わり、本格的な皇国軍殲滅作戦を前にしてエルシオールの存在は非常に厄介だった。
「白き月を、沈めるしかあるまい」
エオニアは一人、呟いた。
クーデターが完了し、新たな国家を建設した暁には黒き月と白き月は軍の中核をなす存在とするつもりであったエオニアにとって、ここで白き月を失うのはプラスであるとは言いがたい。
だが止むを得ない。下手な欲を出して自滅してはここまでの苦労がすべて水の泡になってしまう。
それからまもなくしてエオニアは艦隊の出撃命令を下した。
銀河天使大戦 The Another
〜破壊と絶望の調停者〜
第一章
二節 再動
「ようやく到着、だな」
ブリッジでほう、と安堵の息を吐くのはタクト・マイヤーズだった。
今エルシオールは白き月の専用ドッグに固定されて、修理と補給の真っ最中。エンジェル隊と非番のクルーにはささやかな休息時間が与えられて長く辛かった航海の疲れを癒している。
とはいえ整備班は紋章機とアヴァンの人型機動兵器のオーバーホールと修復作業に追われており、休む暇もないのが現状である。
そこへレスターが報告書を携えて現れた。
「タクト、第六次中間報告だ。艦の兵装の稼働率は96%。航行、戦闘ともに支障はなし。補給作業もあと五時間で完了する。ただ第五と第八の居住ブロックはフレームごと交換しなきゃならんそうだ」
「仕方がないさ、あれだけ無茶をやっていれば。今のうちにできる限りの修理はしてしまおう」
「分かった。タクト、アヴァンはどうした?」
一応の納得と理解はしたとはいえ、レスターはアヴァンをまだ信用していないようなのだ。クルーの信頼関係に問題があればどんな最新鋭艦もたちどころに沈没してしまうことさえある。タクトの悩みはまさにそれだった。
アヴァンは確かにエルシオールのクルーと打ち解けつつある。だがそれは相手が一般クルーであって、レスターのような上官にはあまり受け入れられていないのだ。
ともかく、タクトはレスターの質問に答えることにした。
「彼なら今、白き月で自分の機体の面倒を見ているはずだ」
◇
「ですから、ここは部外者以外立ち入り禁止です」
かれこれ八回目の拒否にアヴァンはいい加減疲れを感じ始めていた。今彼がいるのは紋章機専用の格納庫の入り口である。なぜ彼がここにいるかというとアヴァンの機体もこの中へ紋章機と一緒に運び込まれてしまったからなのだ。
しかも部外者は立ち入り禁止。白き月を離れる際にデータベースから自分のパーソナルコードを削除してしまったのが仇になった。
「頼むよ、緊急の用事なんだ。エルシオールのマイヤーズ司令に確認してくれ」
「ともかく駄目です!」
「いったい何があった?………貴方は」
警備兵とアヴァンの間に割って入ったのは、騒ぎを聞きつけて駆けつけたアンスだった。
彼女が警備員に事情を説明してくれたおかげでアヴァンはなんとか格納庫へ入ることができた。
「それで、いったい何の用ですか?」
煩わしい作業を強いられたせいか、アンスは眉根を寄せてアヴァンを睨んでいる。その仕草がどこか懐かしさを感じさせるのは気のせいだ、とアヴァンは首を振って否定した。
ともかく自分の身分を隠して行動するのはやはり不都合が多すぎる。本当なら今頃は身に余るような待遇を受けながらメカニックたちに指示を出しているはずなのだ。そう思うといっそ名乗り出てしまいたいという衝動が込み上げてくるが、なんとか押さえ込んでアンスに付き従った。
「いや、ただ手伝いに来ただけだ。君たちだけでこの量はいささか無理があるだろ」
「結構です。それよりもまずご自分の機体の面倒を見るべきだと思いますが」
「そうしてもいいんだけど紋章機のほうが早く直るだろうし、だったらそちらを優先すべきだろう?」
「だとしても、素人に触られては困ります。最高軍事機密なので」
敬語ではあるがアンスの言葉にはそこかしこに棘が突き出している。説得は難しそうなので、アヴァンはもっとも効果的な方法をとることにした。
「司令の許可はもらっているよ、ほら」
一枚の命令書をアンスに差し出した。その書類にはアヴァンの格納庫立ち入り許可と整備作業の協力を命じたものだった。最初からそれを掲示していればよかったのだが、あまり公権力に頼るのは科学者のプライドが許さないらしい。
「……………失礼しました。ですが私の指示に従ってもらいます、よろしいですね?」
「もちろんだ。俺じゃあどうも勝手が分からないからな」
アヴァンの返事に眉をひそめながらアンスはアヴァンをハーヴェスターの下で右往左往しているクレータの前へ連れて行った。どうやらハーヴェスターはかなり酷く損傷しているらしい。
確かに、あれだけの火力の前にさらされていたのだから無理もない。
「班長、アヴァン・ルース氏をお連れしました。司令の命令で紋章機の修理に立ち合わせるように、と」
「え、あ、そう。けど立ち合わせるとかそういう場合じゃないのよね……」
クレータが辛辣そうに俯く。いったい何があったのか尋ねると、ハーヴェスターの機体制御システムが破損してしまい、仮に機体の修理が完了してもエンジンを起動させることすら不可能だという。
紋章機の操縦・制御には『H.A.L.O』という特殊なOSを使用している。これはパイロットのテンションによって機体の性能が上下するという不安定なものであるが、逆にテンションさえ高ければ常識を逸脱した性能を発揮することも可能である。
ただシステムもデバイスもかなり複雑な構造をしているため、現在では複製不可能という貴重なものでもある。
「どうします。このままじゃあハーヴェスターは………」
「分かっているわ。幸い機体内のデータが全部ふっ飛んだだけでバックアップはある。けどそれを全部入力していたら一週間はかかってしまう」
深刻な面持ちでハーヴェスターを見上げる二人の横を、アヴァンが無言で通り過ぎた。彼はそのままタラップを渡ってハーヴェスターのコックピットへ滑り込む。
「待ちなさい! ここでは私の指示に従いなさいって言ったでしょう!」
アンスの制止も聞かずアヴァンはハーヴェスターの制御システムを立ち上げた。さらにあろうことかデバイスのハッチを開けて中から端末の一つを引っ張り出し、それを延長コードに接続して下へ降ろす。
「そのコードにハーヴェスターの外部保存用のバックアップファイルを繋ぐんだ! 接続ナンバーはCの672だ! つなぎ終わったら教えてくれ!」
身を乗り出してそれだけ叫ぶと、アヴァンは再びコックピットに引っ込んだ。クレータたちは一瞬呆然となっていたが、すぐに言われたとおりに準備を始めた。
そもそも彼はあの人型に乗っていた人間で、しかもマイヤーズ司令が認めるだけの何かを持っている。それならあるいは、とアンスは一種の確信を持ち始めていた。
データルームから運ばれてきた人間が五、六人は入ってしまいそうな黒塗りの巨大な箱に先ほどのコードを接続する。
無線で準備完了の旨をアヴァンに伝えると、アンスがタラップからハーヴェスターのコックピットを覗き込むと、その中ではアヴァンが目にも留まらぬ速さで何かのプログラミングをしていた。
アンスはその光景をじっと見つめていた。しかし人間業とは思えないそれを邪魔するわけにも行かず、彼女は来た道を引き返すことにした。
アンスが戻ってきてから五分ほど経って、アヴァンもハーヴェスターから降りてきた。手には個人用のノート型デバイスを持っている。
「ルース氏、これでいったい何をするつもりです?」
アヴァンが詰め寄るアンスを片手で止める。それから持っていたデバイスを起動させていくつかファイルを開き、最後にキーを叩く。
「今、ハーヴェスターのデータを修復させているんだ。確かに時間のかかる作業だが………こちらでサポートしてやれば三時間で片付く」
床にデバイスを置いて座り込み、さらに別のプログラムを入力していく。ハーヴェスターの情報処理の効率を外から操作することで作業時間を大幅に短縮することを可能にしたというわけだ。
「さて、これで終わったな。あとは損失したパーツを復元してやれば何とかなるだろ」
宣言どおり三時間後、なにやら自慢げにうなずくアヴァンはそのまま自分の乗って来た人型のほうへ歩いていってしまった。
「あの、班長………彼のことですが」
「いいわよ。彼が走り過ぎないように見張ってやって」
一礼して彼の後ろ姿をあわてて追いかけていくアンスを見送って、クレータは他のスタッフに檄を飛ばす。アンスは彼のお目付け役で手一杯だろうし、後の作業は自分と他の班員でなんとかなるのだから。
搬入された人型はビニールシートをかぶせられて放置されていた。紋章機の修理を優先しているのもあるが、なによりここのスタッフにとってこれは専門外なので手の施しようがないというのが最大の理由だろう。
しかも戦闘による損傷に加えてアンスがコックピットハッチを引き剥がしたダメージが操縦系と胸部のフレームに悪影響を及ぼした可能性もある。とてもアヴァン一人で修理できるものではない。
呆然と立ち尽くすアヴァンにようやくアンスが追いついた。
「ルース氏。やはりこの機体はもう廃棄すべきでは?」
開口一番鋭い指摘。普通、ここまでひどく損傷したのならそうするのが当然なのだが、アヴァンも頷くわけにはいかない理由がある。
「この機体………『RCS』は試験機で非常に貴重な機体でね。はいそうですか、と捨てるわけにはいかないんだ」
「しかし修理するにしても現在の白き月には人型機動兵器のノウハウがありません。最低でも二年以上は―――――――」
「いや、『プラント』を使う」
その言葉にアンスは動揺を隠せなかった。
プラント――――――――――旧時代、白き月の内部に存在した機動兵器の生産工場。紋章機が建造されたのもプラントであり、ロストテクノロジーの宝庫とされ、現在は固く封印を施されてみだりに立ち入ることのできない禁断の領域。
しかもアヴァンは、百年以上も前に停止したプラントの機能を復活させようというのだ。
「ふ、ふざけるのもいい加減にしてくださいっ! どこの誰とも知れない貴方にそんなこと、絶対に不可能です!」
「やれやれ、ひどい言い様だな。ともかくついて来てくれれば分かるさ」
再び歩き出したアヴァンの後にアンスが続く。訝しがる彼女を余所にアヴァンは迷うことなく封鎖区画へ足を踏み入れた。気温調整や重力制御が行われていない空間はひどく冷えて、さらに無重力に近いそこは歩きにくくて仕方がない。二人は肩を震わせながら薄暗い通路を進んでいく。
「本気で、プラントを動かすつもりですか?」
「場合によっては。うまくいけば物探しだけで十分だ」
「その、RCSはそんなに貴重な機体なので?」
「まあな。それに未調整じゃなかったらあれぐらいの艦隊を相手にして遅れをとることなんかない」
アンスの問いに答えながらアヴァンは隔壁のロックを簡単に外して奥に進んでいく。このままでは自分は軍法会議行きになることは分かっているが、それでもアンスはアヴァンへの興味を否定できなかった。
メカニックとしての単純な好奇心というのは事実だ。あんな機体にはもう二度とお目にかかれないだろう。それに使われている技術を解析できたらどんなに素晴らしいことか。
けれどそれ以上に、アヴァン・ルースという存在が怖いぐらいに気にかかるのだ。
六つ目の隔壁をくぐった先は今までの通路と違い、大きく開けた空間だった。ハンガーと思しき物がいくつも立ち並び、倉庫には手付かずの資材のコンテナが大量に積み上げられている。しかもこの生産工場に思える場所は無重力ではあるが気温調節が行われているのだ。つまり、今もここは使われているということになる。
「どういう、こと………」
「中途半端に機能が生きていたんだろうな。まあ、俺たちにしてみたらありがたい限りだな。おー、温かい」
アヴァンはおどけて笑って見せると、倉庫の中を物色し始めた。とはいっても電子系の小さな部品ばかりである。
「物資の貯蔵があるとはいえ、いくら小さいパーツをかき集めてもどうしようもないのでは?」
「そんなことはないさ。エンジンとRCSの自己診断・自己修復機能を調整してやればあとは機体が自分で損失した箇所を修復してくれる」
「信じられません。そんな技術、まだこっちじゃあ実用化どころか研究だって進んでないのに」
一通り揃えた必要な部品をアヴァンは背負ってきたナップサックに詰め込んだ。それからハンガーをしばらく観察していたが首を振ってきた道を戻り始めると、アンスも彼に続いて歩き出した。
白き月の管理者である聖母シャトヤーンとの謁見に臨むタクトとエンジェル隊、そしてアヴァンとシヴァは今、白き月の中にある専用の謁見場でその時を待ちわびていた。シャトヤーンから現状を打破するこのできる切り札を教えてもらえるのだから、多少の気負いも仕方ないだろう。
「皆さん、お待たせしました………」
現れたシャトヤーンにエンジェル隊の全員がその無事を喜んで涙を流し、シヴァは久しく会っていなかった寂しさを埋めるように抱擁し合う。シヴァは生まれて長く白き月で暮らしていたため、彼にとってシャトヤーンは母のような存在であった。
感動の再会に区切りをつけ、シャトヤーンは本題を切り出した。
「それでは、新たな希望となる力、についてお話しなければなりません。そう、『クロノブレイク・キャノン』について」
「クロノ………ブレイク・キャノン―――――――!」
確かに名前からして強力そうな響きがあるが、シャトヤーンの説明を受けてそれ以上にタクトたちは驚愕した。
クロノブレイク・キャノンはエルシオールにかつて搭載されていたものだ。現在ドックで艦首部分に取り付けられている巨大な砲身がそれで、威力は一撃で百隻以上の艦隊を一瞬で消滅させるほどだという。
そもそもエルシオールは儀礼艦ではなく、旧時代に使用されていた宇宙戦艦であった。クロノブレイク・キャノンはその当時から装備されていたのだがエルシオールを儀礼艦として配備する際に、強力すぎるという理由で解体・封印されたのだ。
まさか再びエルシオールが使用する事態が発生するなど、シャトヤーンは思いもしなかったという。
「それでも今、エオニアを放っておくわけには参りません。タクト・マイヤーズ、貴方を信じてクロノブレイク・キャノンを託します。そして再び、宇宙に平和を」
「はい、必ず!」
そうして作戦会議はつつがなく進んでいった。
黒き月との総力戦。全戦力を投入し、エルシオールのクロノブレイク・キャノンを発射するチャンスを作り出す。そして最大出力のクロノブレイク・キャノンで黒き月を砲撃、そのコアを破壊しようというものだった。
エオニアの艦隊はそのほとんどが無人艦でコントロールは黒き月が行っているため、その主動力部である剥き出しのコアを破壊してしまえばエオニア軍は無力化する。その一点に賭けた無謀ともいえる作戦だ。
だが無尽蔵の生産力を持つエオニア軍に持久戦をしかけてもこちらが消耗する一方でいずれは人材物資とも尽きて敗北を喫することになる。ならばその前に持てる力をすべてぶつけて一気に打ち破ってしまおうというのだ。
作戦を立案したタクト自身、あまりに多い不安要素を前に気丈に振舞えるのが不思議なぐらいだった。
一人、艦長室で最後の書類整理をしながらこの艦に乗ってからのことを思い返す。
恩師でもあるルフト将軍の命を受けてエルシオールの司令官に任命され、エンジェル隊とともにいくつもの窮地を切り抜けてきた。その中で得たものも失ったものもあり、自分の居場所はここなのだと今でははっきりと確信している。
彼女たち、エンジェル隊と儀礼艦エルシオール。そして自分がいるのなら、きっとこの戦いにさえならないかもしれない決戦さえ勝てるのではないだろうか。戦局を覆すのは物量でも運でも、ましてや兵器の性能の差ではない。自分とエンジェル隊、そしてエルシオールのクルー全員との信頼の絆があれば、戦争を遊びと勘違いしているような革命家に負けるはずなどない。
そう、この戦いは決して負けるわけにはいかないのだ。
「タクト、さん。失礼します」
決意も新たに報告書に目を通していたタクトの目が上がる。艦長室のドアを開けて入ってきたのはヴァニラだった。彼女もまた最終決戦を前にして不安に心を押しつぶされそうになっているのだろう。その瞳は潤んで今にも泣き出してしまいそうだ。
「ヴァニラ、どうしたんだ? 休めるときに休まなきゃ駄目だろ」
「はい、分かっています。けれど………」
「怖いのか、ヴァニラ」
少女はただ俯いて、「はい」とだけ答えた。皆のために戦うと、新たに誓いを立ててなおヴァニラは自身の無力さを嫌悪していた。この状況を自分ではどうしようもないのだと、心が折れそうだった。
ヴァニラの柔らかな碧の髪にタクトが触れる。何度も、何度も優しく流れる髪を梳いて、白い頬を撫でる。
「………タクトさん?」
「俺だって怖いさ。勝てるかどうか、それ以前に生きていられるかどうかさえ分からないんだ」
でもね、と赤子をあやす様にタクトは言葉をつむぎ続ける。
「俺は怖い。けどきっと勝てるんじゃないか、絶対に勝てるんじゃないかって強く思えるんだ。それはね、エルシオールの皆がいて、ミルフィーがいて、ランファがいて、ミントがいて、フォルテがいて………ヴァニラがいるからなんだ」
そっと両腕をヴァニラの背中に回して抱き寄せる。タクトの抱擁をヴァニラは拒まず、受け入れている。
「みんながエルシオールにいる。俺の帰る場所がある。だから俺は戦えるんだ」
ただタクトの温もりを受け入れていただけのヴァニラが、強く抱き返してきた。少女の細い腕に力がこもる。
「私は、私は………みんなのために、タクトさんのために戦いたい。でも、怖い。もしも自分の力が足らなかったら、もしも大切な人を守れなかったら。そう思うだけで………」
「ヴァニラ…………」
他人を救うために強くあり続けようとした少女の独白。それは常に失うことへの恐怖と戦い続けていた、幼い彼女の本当の姿。自分の弱さを打ち明けられず、誰かに助けを求めることを許さなかった拙い償いの心。
そうしてヴァニラは泣きながら昔の話を始めた。
ヴァニラは孤児だった。物心ついたときには修道院に預けられており、親の顔も知らない。そんな彼女の面倒を見てくれたのは修道院のある老人だった。その人物はナノマシンを使い人を癒すことができた。そしてヴァニラはその姿に憧れて老人からその使い方を学び始めた。
才能というのだろう。そもそも適性がなければ使いこなせないナノマシン。彼女は瞬く間に上達し、簡単な怪我程度なら瞬く間に治療できるほどになっていた。ヴァニラは人に尽くし、人を助けることに喜びを覚えていた。
―――――――――そんなある日、悲劇は訪れた。
ヴァニラの師である老人はしばらく前から病床に伏せていたのだが、その容態が急変。静かに息を引き取った。
だがヴァニラは老人の死を受け入れられなかった。何度もナノマシン治療を施し続けた。きっとまた目を覚まして、「ありがとう、ヴァニラ」と笑ってくれる、そう信じて………
それが、少女が初めて命の終わりに触れた瞬間だった。
「だからタクトさん。私は、きっと誰も助けられない………」
「違うよ、ヴァニラ……」
「え……?」
「命の終わりは誰にでもある。俺にも、ヴァニラにもだ。死ぬのは誰だって怖い。楽しいことがたくさんあるのにお別れするのはいやだ。けどヴァニラの先生は助からなかったことを恨んではいないよ」
「でも、でも私は………」
「先生はね、ヴァニラ。ヴァニラからたくさん楽しい時間をもらったんだ。十分すぎるぐらいに、幸せすぎるぐらいに。もうすぐ自分は死んでしまうけど、とても幸せだったから、ヴァニラのおかげで幸せだったから。恨んでないんだ。
誰にだって終わりはある。確かに生きられるなら生きたい。でもどうしたって終わりは来るんだ。ならせめて、幸せな時間をたくさん過ごしてもらうことが、他の何よりも救いになるんだ」
もし終わる命があるなら、その最期を笑顔で見送ってほしい。自分のことで悲しまないでほしい。きっと誰もがそう願うから。
「泣かないで、ヴァニラ。君は笑わなきゃ」
ただヴァニラは泣き続けた。
過去の呪縛が氷のように解けていくその温かさと、失くした温もりを抱きしめて。
もう一度飛び立てるように、彼の優しさを強く感じて。
修復作業の途中で、アヴァンはコーヒーを飲みにレストルームに向かった。エルシオールでは作業ができないため、紋章機がすべて運び出されてがらんとなった格納庫で一人、作業に没頭していたのだ。幸いエンジンに損傷はなく胸部のフレームにも異常がなかったため、RCSの修復機能をフル稼働させれば明日の出航に間に合うかもしれない。
レストルームの自販機で缶コーヒーを買い、手ごろな席に座ると腹の底から重い息を吐き出した。
「まだ、作業をしていたんですか」
「ネイバート副班長………君こそ休んでいたのでは?」
「ルース氏の姿が見えたので、少しお話を伺おうと思って」
薄汚れたつなぎを着たアンスも手にコーヒーを持っている。彼女はアヴァンの向かい側に腰掛けた。
「………ところでルース氏は――――――――」
「アヴァンでいい」
「はい。アヴァンは何故、人型機動兵器に? 現在ではその存在意義は皆無のはずです」
「ネイバート」
「アンスでかまいません」
「アンス、一ついいことを教えてあげよう。かつてこの世界においては俺が乗っているような人型兵器が主流だった。それは戦闘に置ける優劣もさることながら……英雄の象徴でもあったのさ」
「英雄の、象徴………?」
「そうだ。人はより強い『人』に憧れる。そうありたいと、願う。常に輝かしい勝利の栄光を浴び、勇気と平和の代名詞。そして何より戦う『人』の姿を見て戦う意義を見出すんだ」
「そんなロマン………分かりません」
「所詮、戦争はヒーローごっこだ。そんな馬鹿げた戦いに終止符を打つために、真の平和を勝ち取るために、英雄と呼ばれるような戦場の先駆者が必要なんだ。エンジェル隊のような、ね。けれどどんな戦いにも犠牲は避けられない。だから俺はあれに乗るんだ」
言い終えてコーヒーを一気に飲み干すとアヴァンは立ち上がってレストルームを出て行った。その後ろ姿はどこか拭えない罪悪感を湛えていて、アンスは少しだけ胸を痛ませた。
あれでは彼はまるで、この世界のすべての罪を背負っているようではないか。
そんな直観が彼女の思考を支配する。だが、だからといってどうすることもできない。戦えぬ者の無力感とはこういうことをいうのだろう。
「馬鹿みたい………」
「誰が馬鹿だって?」
いつの間にか戻ってきていたアヴァンが眉を吊り上げて立っていた。慌てて取り繕おうとするアンスを尻目に彼はにやっ、と笑う。
「もし俺の機体に興味があるなら時間のあるときにおいで。じゃ」
再び去っていくアヴァン。それだけのことを言うためだけに戻ってきたのだろうか。先ほどの悲壮感といい、今の無邪気な笑顔といい。つくづく掴めない男だとアンスは決め付けてレストルームを出る。
彼はどこか、自分が幼い頃に亡くなった父に似ている。
アンスはそんなあやふやな思いを抱いて僅かな休息に身を沈ませた。
◇
翌日――――――トランスバール皇国標準時刻、午前六時三十二分。
白き月内部で最終チェック中だったエルシオールにエオニア軍侵攻開始の報が届いた。
「エオニア軍艦隊、第二防衛ラインに到達! 現在エリアC44にて八番防衛艦隊と交戦中!」
「ついに仕掛けてきやがった。どうする、タクト」
レスターが神妙な面持ちでタクトを見つめる。
幸い黒き月は遥か後方に位置しており、交戦領域に到達するには最低でもあと二週間はかかる。今回のはおそらく先遣隊だろう。
急遽すべてのスケジュールを繰り上げて出撃準備を開始する。すでにタクト他すべてのブリッジ要員は配置につき、あと十分たらずで作業が完了する。クロノブレイク・キャノンの取り付け作業は終了していたがまだ最終調整が残っており、実戦での使用はまだ不可能であった。
さらにアヴァンの機体は修復作業が完了していないため整備班副班長のアンスとともに白き月に残り、作業が終わり次第合流するとのことだった。
「マイヤーズ司令。エルシオールの発進準備、完了しました。エンジェル隊も全機問題ありません」
「分かった、アルモ。よし、奴らに俺たちが健在だということを教えてやるぞ!」
タクトの一声に皆が頷く。あとはただ一つ。
「エルシオール、発進だ!」
タクトが号令を下すとすぐさま艦内の動きが慌しくなる。
「メインエンジン異常なし。全推進器は出力正常値へ!」
「各兵装、稼動準備よし。最終安全装置をのぞくすべてのセーフティを解除!」
「レーダーの感度良好。FCSとのリンク完了です!」
「バランス・コーディネート完了。一番から六十四番までの固定アーム、解除。エルシオール、離床!」
艦体がゆっくりと浮かび上がり、そのまま水平に上昇を始める。専用のハッチの前まで移動すると、重い駆動音とともにゲートが開いていく。エルシオールのすべてのスラスターが激しくフレアを吐き出し、すべてのゲートをくぐり終えた。
「エルシオール、白き月から離脱します。周囲に敵影なし」
「敵艦隊は第三防衛ラインを突破! 味方の艦隊は第四防衛ラインまで後退しています!」
どうやら戦況はあまりよくないらしい。だが圧倒的不利な状況を覆すのがこのエルシオールとエンジェル隊の役目なのだ。これぐらいの苦境ならむしろ任せろ、と言えるぐらいである。
タクトはしばしディスプレイを睨んでいたが、意を決したように勢いよく立ち上がった。
「ココは防衛艦隊に最終防衛ラインをエルシオールに変更するように伝えるんだ! アルモ、エンジェル隊につないでくれ!」
一瞬と待たずに格納庫で待機中のエンジェル隊と通信がつながる。
「皆、準備はいいか!?」
『もちろんですっ!』
『いくらでも叩き落してやるわよ!』
『紋章機も性能を完全に発揮できるようになりましたもの』
『誰にだって負けやしないよ!』
『タクトさん、ご命令を』
紋章機はオーバーホールの際に機体のバランスを維持するために設定されていたリミッターを解除されて本来の性能を取り戻し、常に覚醒状態で戦闘が可能になったのだ。その証拠が両翼のウイングから展開する一対の光の翼。
「よし、エルシオールの後ろには俺たちの帰る場所がある。一機たりとも通してやるわけにはいかない! エンジェル隊、出撃だ!」
エルシオールの底部装甲が左右に開き、アームで固定された五機の紋章機が艦の外へせり出される。かん高い駆動音が機体を震わせ、迸る閃光とともに五機は戦場へ飛び立った。
「アヴァン、どうですか?」
「あとは左腕の火器制御リンクを接続すれば終わりだ。けど何でこっちに残ったんだ、大変なのはエルシオールのほうだろうに」
「だからといって貴重な戦力の補充が滞っては困りますので。向こうはクレータ班長がなんとかしてくれます」
白き月の格納庫でRCSはその姿を完全に取り戻していた。あとは細かなシステム設定を調整すればすぐにでもエルシオールを追いかけることができる。たった一晩でここまで修復できたのはアヴァンの突貫作業とアンスの助力があってこそだった。
だが、戦況は芳しくないようだ。防衛艦隊は後退し、現在はエルシオールだけで防衛ラインを支えている状態で、いつ突破されてもおかしくない。ならば少しでも早く彼らの元へはせ参じなければ。
「仕方ない。アンス、君は先にRCSのコックピットへ乗ってくれ。副座がシートの後ろ側にあるから」
「!……それでは機体の最終調整を戦闘中に?」
「できるかぎり移動中に終わらせるつもりだけどな。サポート、頼めるか」
「分かりました。ただし安全な操縦をお願いします」
「できる限り努力する」
二人は顔を見合わせて一瞬だけ笑うと、それぞれの方向へ走り出した。アンスはRCSへ。アヴァンは格納庫の隅でビニールシートを被っている何かへ。
アヴァンがシートを引き剥がすと、そこにあったのは二丁の二連装ガトリング砲だった。RCSの腕にアタッチメントで接続することができるようになっている。これは例の閉鎖区画から回収してきて急ぎ調整した物だが、それでも格闘専用の刀『ムラクモ』以外の武器を持っていないRCSにとっては貴重な射撃武器だ。
一通りチェックしてからアヴァンはRCSのコックピットに飛び乗った。中では耐圧のパイロットスーツを着込んだアンスがパイロットシートの後ろに取り付けられている副座に座って待っていた。
「準備はいいな?」
「ええ、問題ありません」
「よし。ディスプレイとコンソールはシートの下にある。それから戦闘に突入したらできるだけしっかり掴まっているんだ。かなり揺れるから」
「う、わ、分かりました」
少しだけ顔を引きつらせているアンス。彼女はもしかしてジェットコースターの類が苦手なのかもしれない。アヴァンはそんなことを考えながらRCSのエンジンを起動させた。
メインディスプレイに『Refulgent Crystal Supported』と表示され、あらゆる計器類とモニターが動き出す。機体の四肢へ汲み上げられた強大なエネルギーが行き渡り、猛禽類を思わせる双眸の頭部のメインカメラに光が灯る。
ガトリング砲をそれぞれ両腕に持たせ、エルシオールが出撃したゲートへ移動する。
「こちらアヴァン・ルース。識別コードはEL100。管制室、応答せよ」
『第八管制室。貴公の発進許可は下りている』
「エルシオールの現在位置と推定針路を教えてくれ」
『了解。幸運を祈る』
管制室との短いやり取りを終え、アヴァンはもう一度意識を集中させる。ここからエルシオールのいる宙域まで最大加速でおよそ20分。それまで彼らが持ち堪えてくれるかどうか、正直不安だ。
「アンス、首尾は?」
「FCSの稼動効率は98%。戦闘に問題はないはずです」
「分かった。…………いくぞっ」
光と見まごう速さでRCSは白き月を離れていく。その速度はゆうにマッハ3はある。だが加速のGはほとんどなく、快適とはいかないまでも身動きひとつ取れないというには程遠かった。
「さすがはロストテクノロジー、というところかしら」
「本来は一人乗りなんだけどな。今回は特別だ」
「そう? 飲み物のサービスが出ると期待していたんですが」
「次回があるなら持参してくれ」
やはり物量で迫られてはエルシオールとエンジェル隊といえども限界はあった。すでに駆逐された敵艦艇は五十を超えてなおその数を増やし続けているにもかかわらず、敵の猛攻は衰えることを知らない。
エルシオールに複数のミサイルが直撃した。その衝撃は装甲を引きちぎりブリッジを激しく揺らす。
「今の攻撃で左舷兵装の迎撃能力が60%にダウン!」
「現在消火班が被弾箇所に急行中!」
「弾幕を張るんだ! エルシオールは下がれない、エンジェル隊を援護に呼び戻すんだ!」
すでにエルシオールも消耗激しく、ただ敵の的になるしかない。だが幸いにも各紋章機はエルシオールからさほど離れていなかったおかげですぐさま対応できた。
再び敵の砲撃がブリッジを揺らす。
「くそっ! タクト、どうする!?」
レスターとタクトの顔に焦燥の色が見え隠れする。いくらエンジェル隊を呼び戻したところでエルシオールの消耗は激しく味方の援護も望めないのでは、これいじょう戦線を維持することは難しい。ただでさえ敵の数は増え続けているのだ、ここでさらに集中砲火を喰らったらさすがに覚悟を決めるしかない。
それにエンジェル隊も疲労がピークに達している。一度後退するほかに道はない。
だが敵の追撃は凄まじくとても振り切れるものではない。さらに後方では再集結した敵艦隊が誘導弾での援護を開始した。その数え切れないほどのミサイル群が五機の紋章機の中でもっとも足の遅いハッピートリガーに迫る。
「ちっ……さすがにこれはマズいか!?」
舌打ちするフォルテに額に一筋の冷や汗が伝う。スロットルを全開にしてようやく距離を開けることができたが、弾薬を使い果たしているハッピートリガーでは迎撃することができない。このままではエルシオールまで誘導してしまうだろう。
タクトもそれを承知で、エルシオールの全火力をミサイルの迎撃に向けるが兵装がことごとく使用不能に陥っているため焼け石に水だ。
もうハッピートリガーから肉眼でエルシオールが確認できる距離まで接近している。最悪の事態が脳裏をよぎった。
だが―――――――
「司令! 天井方向から接近する反応が!」
「なんだって!?」
頭上から迫る一筋の流星。それはあろうことかハッピートリガーとミサイル群を結ぶ直線状で停止した。
「形式照合……RCSですっ」
「RCS……アヴァンか!」
RCSは両腕のガトリング砲を前方へ突き出しトリガーを引いた。シリンダーが高速で回転を始め、瞬く間に数万数千の銃弾をミサイル群へと吐き出した。薬莢と爆発するミサイルの破片がエルシオールや紋章機の装甲を叩く中、RCSは爆発の衝撃に微動だにせず砲撃を続ける。
銃撃と爆発の二重奏が戦場を支配した。
ガトリング砲の咆哮は止まない。無限に確認できる誘導弾を片っ端から撃墜し、さらに周辺で射線上から退避してエルシオールを包囲していた高速艇や駆逐艦もまとめて沈めていく。それに遅れをとるまいと応急処置を受けたエンジェル隊の砲撃が加わり、転じて大反撃の幕開けとなる。
『よーし、みんなっ! 新米に後れを取るな、あたしに続けぇっ!』
『了解っ!』
エンジェル隊巻き返しの先陣を切るのはフォルテのハッピートリガー。その絶大な火力を以って空母の重装甲を撃ち抜き轟沈させる。
さらにランファ駆るカンフーファイターとミントの操るトリックマスターが完璧なフォーメーションで散開する高速突撃艇を肉薄する。カンフーファイターが有する遠隔操作可能な二つのアンカークローが必殺の威力で薙ぎ倒し、トリックマスターのビットともいえる特殊装備である小型攻撃ユニット『フライヤー』によるオールレンジ攻撃になす術もなく突撃艇部隊は壊滅した。
『いよっしゃぁ!』
『ランファさん、後ろですわ!』
『えっ、きゃあっ!』
流れ弾がカンフーファイターの装甲を薙ぐ。それに気づいたヴァニラのハーヴェスターが間髪いれずに駆けつけて修理を開始する。
だがいくら前衛を叩いたところで後方から再度砲撃を開始しようとしている大型戦艦と空母の集団を潰さなければ決定打にはならない。
『おい、ランファ。ミルフィーはどこいった』
『え、知りませんよ。フォルテさんも知らないんですか?』
『いましたわ! 敵本隊の真上ですわ!』
敵艦隊の真上……何の遮蔽物のない、一斉射撃にはもってこいのポジションでミルフィーユのラッキースターは狙いを定めている。だがいくら紋章機といえどもその保有する火力には限界があり、一度に大多数の戦艦を沈めることは不可能だ。
だが、世界には常に例外がある。
『ばばーんといっちゃいます! ハイパーキャノン!』
ミルフィーユがトリガーを絞り、ラッキースターの機体底部に装備されていた長砲身のキャノンがまばゆい閃光を放った。
ラッキースター。この紋章機には大出力のハイパーキャノンが装備されており、その一撃は大艦隊を一瞬で蒸発させる。その歌い文句に恥じぬ一撃は襲撃艦隊に後退の隙すら与えず、完全に宇宙の藻屑に変えてしまった。
「やれやれ………相変わらずの威力だな、ラッキースターは」
呆れ顔のレスターにタクトは自慢げに胸を張った。ブリッジは大勝利に湧いてアルモにいたっては勢いあまってレスターに抱きついて「す、すすす、すみませんでした副指令っ!」とひたすら頭を下げてブリッジから飛び出してしまった。
「何を言ってるんだ、レスター。彼女たちのおかげで今の俺たちがいるんだぞ?」
「分かっている。それにしてもエオニアの奴がここまで戦力を投入してくるとはな。確かにここは俺たちの最後の砦だが」
「くよくよしても始まらない。修理と補給のために一度白き月へ戻ろう」
そうしてようやくタクトが落ち着いて艦長席に腰を下ろすと、艦外から通信が入ってきた。RCSのアヴァンからだ。
「やあ、アヴァン。なかなかのお手並みだったね」
『どういたしまして。それより着艦したい、格納庫は空いているか?』
「ああ、問題ないよ。クレータ班長が急造ではあるけど専用のスペースを作ってくれたそうだから」
『了解した。また後でな』
エルシオールの格納庫の天井に急遽追加されたアームに固定されたRCSからアヴァンとアンスがタラップを渡って降りてくる。その二人をタクト、そしてエンジェル隊の五人が出迎えた。
「みんな無事で何より。あとでティーラウンジにでも行くか?」
「私は遠慮します。………二度とRCSには乗りません」
快活に笑うアヴァンとは対照的にアンスは蒼ざめた表情をしている。なんでもRCSの急加速・急制動、そして射撃の反動などで発生する振動で酔ったらしい。コックピットで戻さなかっただけ幸運だった。そうなれば最悪コックピットとその関連のパーツを総交換しなければならなかっただろう。
アンスはヴァニラに付き添ってもらって医務室に、残りのメンバーはお約束のティーラウンジに向かった。
医務室のベッドで横になるアンスの隣でヴァニラは計った体温を診断書に記入していると、ふとアンスが唐突につぶやいた。
「ねえ、ヴァニラ」
「なんでしょうか」
「ウギウギとは、ちゃんとお別れした?」
アンスはこう見えても大の動物好きでヴァニラとはよくクジラルームで一緒にウサギなどの世話をしている。もちろんヴァニラが飼っていたウギウギ(ウサギの名前である。ヴァニラの命名)が衰弱していく間もアンスは彼女と一緒に看護をした。
「………はい。タクトさんと、一緒に」
「そう。ならよかった」
「え?」
「すごく落ち込んでいたから、心配していたのよ。元気になってよかった」
それからアンスはヴァニラの耳元まで近寄ると、今話題になっている、とっておきの情報を口にした。
(この間、司令と艦長室で抱き合ってたって本当?)
(え、えっ―――――――!?)
思わず赤面するヴァニラの髪をくしゃくしゃとかき回す。これは脈ありだな、とアンスは直感して思わず口元が緩んだ。
タクトとヴァニラが抱き合っていたシーンを、偶然艦長室の前を通りかかったクレータ班長が目撃してしまい、口伝てで整備班の間に広がって今ではその後の進展が気になって仕方がないのだという。
「好きなんだ、司令のこと」
「え、あ、アンスさん……その……私は」
「いいじゃない、この戦いが終わったら思い切ってぶつかってみたら?」
「でも………」
もじもじと恥らうヴァニラを見て、アンスはタクトが罪な男に見えてきてしょうがない。これだけ彼を思う少女がいながら、彼は他に四人もの女性を相手にしているのだから。
そしてそのタクトはティーラウンジでアヴァンと一緒にピンチな状況に陥っていた。
「しかしアヴァンもやるねぇ。今度はあたしのハッピートリガーにもああいうのをつけておくれよ」
フォルテがRCSのガトリング砲を思い出して物騒なことを言い出した。仮にそんなものを搭載したらただでさえ低い移動力がさらに低下するに違いない。
だがそんなことを口にした日には自分が射撃の的にされかねないのでアヴァンは笑ってごまかすことにした。
「なんだって!? あたしの頼みが聞けないって言うのかい!」
「リボルバー拳銃片手に頼まれたら誰だって断るって!」
そしてフォルテの怒りが必然的に爆発。ラウンジ内で追撃戦を始めたフォルテたちはさておき、高級感溢れる紅茶を楽しんでいたミントが突然、深い悩ましげなため息をついた。いぶかしがるタクトをじっと見つめてミントはもう一度ため息をつく。
「ところでタクトさん?」
「ん、なんだい。ミント」
「いえ、ついさっきおもしろいうわさを耳にいたしましたの。タクトさんに関する、とても興味深いお話ですわ」
「え?」
にやりと不気味な笑みを浮かべるミントの隣でケーキの取り合いをしていたランファとミルフィーユが一緒になって追い討ちをかける(ちなみにアヴァンとフォルテは一方的な銃撃戦を展開中)。
「そうそう、聞いたわよ。アンタ、艦長室でヴァニラと抱き合ってたでしょ!」
「私も聞きました。二人とも恋人同士だったんですねー」
がしょ〜ん、と固まるタクト。その会話を聞きつけたフォルテがバズーカ砲をかついだままテーブルに戻ってくる。その彼女の表情はとても明るい。まるで今まで押さえ込んできた鬱憤を心置きなく吐き出しているような、そんな笑顔だった。
「タクトもやっぱり男だったんだねぇ。あ、ちなみにヴァニラを泣かせたらただじゃおかないよ? そうだね………ハッピートリガーの精密射撃の的にでもなってもらおうか」
洒落に聞こえない捨て台詞とともにアヴァン追撃を再開するフォルテをタクトはがたがたと震えながら見送った。できることならこの職場から離れたいと思う、切実に。
束の間の安息は瞬く間に過ぎていく。日が明ければ過酷な現実と再び対峙しなければならないだろう。だが今は穏やかな時の中で傷ついた翼を休めよう。
――――――もう一度、羽ばたく為に。
第二回・筆者の必死な解説コーナー
ゆきっぷう「こんちわー、ゆきっぷうでありますー! 前回の予告どおりここでオリジナルの設定をちょこ〜っとだけ説明したいと思います………ところでアンス君、どうして君は私が作成した極秘設定資料集を持っているのか?」
アンス「いえ、解説が私の仕事ですので」
ゆきっぷう「それじゃあ私がここにいる意味がないじゃないか」
アンス「別にあなたの存在意義は今究明する必要はありません。ところで今回は何の説明をするのですか?」
ゆきっぷう「真面目な性格が災いしたようだ………今回はそうだな、アヴァンが本編で乗り回しているRCSを徹底解剖だ。というわけで設定資料を返せ」
アンス「拒否します。あなたでは的確な説明は不可能です」
ゆきっぷう「もういい…………好きにしてくれ」
アンス「了解………。
RCSは上の画像を見てのとおり非常にデザインが著作権法ギリギリな人型機動兵器ですが、旧時代ではこんな兵器が重要視されていたのでおそらく問題はないかと思います。イラストは筆者が描いているのでデッサンの狂いなどは見逃していただけると本当に助かります。
さてスペックですが、全長は17.9m、重量61.2t、最高速度マッハ4.8(オーバードライブ時のみ。通常速度はマッハ0.8)。高い機動性と汎用性が特徴というベーシックな機体です。背部のバックパックバーニアは独立しており、使い捨てのオーバードライブが可能です。動力にはRCRジェネレーターという特殊な機関を使用しており、ほぼ無限に近いエネルギー供給を可能にしますが現在は調整がままならず本来の性能の半分しか発揮していません。RCRジェネレーターは超密閉真空空間内で電子と陽電子の対発生を繰り返し、虚数空間との回廊を開いてそこからエネルギーを引き出すという代物で、一度虚数空間と繋いでしまえばこちらから閉じない限りエネルギーをいくらでも引っ張り出すことが可能です。
武装は格闘戦用高周波実剣『ムラクモ』。これは第一節にも登場しています。また第二節からは二連装ガトリング砲を二門追加し、多少ではありますがトータルバランスが向上しました。しかし紋章機との性能差は歴然で、エンジェル隊に取って代わるにはあまりに非力です。
また機体の設計プランや設定資料を見ると、RCSは量産を前提に製作された機体であり、現在のところRCRジェネレーターとその関連機能のテストのための動力試験型のType−L、正式採用予定の武装をテストのための専用兵装試験型のType−B、核兵器などの特殊兵器に対抗するための特化装備試験型のType−Mが一機ずつロールアウトしています。アヴァンが搭乗していたのはType−Lで、戦闘を想定していなかったため武装が『ムラクモ』のみでした。RCSを、何者が、どんな目的で開発しているのかは後々明らかにするとのことです。
ところでゆきっぷう氏。気になっているのですが旧時代とはいったいどんな時代なのですか? このような機動兵器が主流となる世界はとてもではありませんが想像できません」
ゆきっぷう「その旧世界については追々解説していくから、よろしく」
アンス「分かりました。ところでふと思ったのですが、紋章機のスペックについて矛盾があるのではありませんか。私ももっと速度は速いものと思います」
ゆきっぷう「うん。それは端的にまとめてしまうと紋章機の運用思想と開発過程にある軍事背景や戦況によるもので、ようするに純粋な艦隊戦を想定してはいなかったんだな。結果として他の人型兵器にくらべて航続距離や連続稼働時間、戦闘能力、対環境耐久力などで圧倒的優位に立つに至ったんだが、機体の大型と扱いやすさに難があったため極めて少数が生産され、正式に採用されたのは六機だけ」
アンス「ですがこの広大な宇宙という戦場を単独行動する場合、紋章機のスピードでは限界があります」
ゆきっぷう「あー、単独での長距離航行には居住ブロックも搭載した大型ブースターユニットを使う。原作の劇中では描写されていなかったけど、そうでもしないと単純にエネルギーの問題が解決しないだろうし。
それに速度の問題だけど、はっきりいってマッハ1とか2ぐらいじゃないと急旋回、急制動、急発進を要求される戦闘中に自機のスピードに振り回されてしまうだろう。パイロットの技量の問題も大きく、リミッターを搭載せざるをなくなったし、仮にマッハ20ぐらいで飛び回ったらみんなその姿を視認できずに艦隊戦のパワーバランスが崩れて物語が続かなくなっちゃうしさ」
アンス「なるほど、よくわかりました。ところでもう一つ訊きたいことがあります」
ゆきっぷう「何なのさ?」
アンス「アヴァンはいったい何者ですか」
ゆきっぷう「私が造りだしてしまった大馬鹿者、とだけ言っておきたいな」
アンス「もういいです。あなたのようないい加減な人間に尋ねた私が間違っていました。これからはすべてアヴァンに質問します」
アヴァン「いや、俺でも答えられないぞ。ネタバレだから」
ゆきっぷう「だそうだ。ではまた、三節でお会いしましょう!」
アンス「いえ! まだ私の疑問が解決されていません! アヴァン、なぜ私の質問を受け流すんです!?」
アヴァン「世の中秘密にしたいことはたくさんあるんだよー」
エオニアによる猛攻撃〜。
美姫 「それも何とか切り抜けたわね」
うんうん。紋章機に加え、RCSという戦力も加わり、今後がどうなるのか楽しみ。
美姫 「楽しみと言えば、タクトとヴァニラがどうなるのかも楽しみよね」
うんうん。こっちもどう進展するのか楽しみだな。
美姫 「ああ〜、次回が待ち遠しいわね」
それじゃあ、次回も楽しみに待ってます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」