第三幕 壊れぬもの
「ねえ、イシュタルさんとファバルさんあの時どうやってああなったのかな?」
カリンはフリージ東のある酒屋で二人を見ながら隣にいるフェルグスに対して言った。
「そうだよなあ、俺達が見たのは最後の場面だけで途中は見ていないからなあ」
「あの時飲み過ぎたからねえ」
「じゃあ今回は食うの中心でいくか」
「ええ」
見れば当のイシュタとファバル以外は食べてばかりで遊んだり騒いだりしながらも二人を注視している。
そうとは知らず二人は料理を食べ酒を飲みながら談笑している。
酒が進む。何時しか二人の目がトロンとしてきた。
「いよいよね」
一同動きを止めた。二人から目を離さない。
「ファバルさん・・・・・・」
イシュタルは濡れた瞳と甘い声でファバルにしなだれかかる。一同固唾を飲む。
「姫さん・・・・・・」
ファバルもイシュタルから瞳を離さない。その細い首筋を抱く。
「さあ、どうなる!?」
次の二人の動きを見守る。次の瞬間予想外の出来事が起こった。
「眠い・・・・・・」
「俺も・・・・・・」
そのまま二人はドゥッ、と倒れ込んだ。そして抱き合ったまま寝入ってしまった。
「これが真相か・・・・・・」
「倒れ込んだ弾みだったのね・・・・・・」
一同それを見て肩を落とした。二人から目を離すと牛馬の如く飲みはじめた。後はいつもの通りである。
次の日一同は二人に対しイシュタルはファバルにしなだれかかりファバルは彼女を抱き締めて離さなかったと言った。当然作り話である。だが二人をそれを完全に信じ込んでしまった。ここから一組のカップルが誕生するとはこの時誰もわからなかった。
ーヴェルトマー城ー
フリージを発った解放軍は東へ向けて進軍を開始した。
バーハラのユリウスは不可思議としか思えない沈黙を守っていた。程無く解放軍は帝都バーハラを完全に包囲しそのうえで唯一残されたヴェルトマー解放へ軍の一部を向けた。
軍はセリス自ら率いていた。兵力は十万、オイフェ、シャナン、レヴィン等解放軍の中でもとりわけ腕の立つ者達が彼と共にヴェルトマーへ向かった。ここでも敵の迎撃は無く解放軍はヴェルトマー城に無血入城した。
市民達の心境は複雑であったが総じてセリス達を歓迎していた。解放軍は市民達の出迎えの中大通りを行進し宮城に到着した。
宮城内は赤い彩りであり装飾等は六公爵家の一つ、そして帝室として栄華を誇ったヴェルトマー家の居城とは思えぬ程質素であった。華美な生活をあまり好まなかった祖ファラ以来の伝統であろうか主であるアルヴィスの部屋も皇帝、いや公爵のものとは思えぬ程の簡素な机と椅子、赤い木綿のカーテン、普通のガラス窓、かろうじて天幕があるベッド、そして壁にヴェルトマーの炎の紋章と数点の絵が飾られているだけであった。
その絵は彼の父ヴィクトル公と母シギュン、そして幼いアルヴィスの三人が並んだもの、異母弟アゼルと自身が礼装で微笑みながら立っているもの、自身の妻であり母でもあったディアドラが幼い我が子達をその胸の中に抱いて座っているもの、その三つであった。
「・・・・・・・・・」
セリス達は三点の絵を見てシアルフィ城でセリスとの一騎打ちの末倒れたアルヴィスに思いをやった。
どれも彼が失ってしまったものだ。だが例え失ってしまったものでも忘れられない何時までも愛しいものもある。決して戻らぬものでも。
アルヴィスはどういう思いでこの絵を見ていたのであろうか。全てを失いムスペルムヘイムへと落ちていった彼もまた
トラバント王と同じく人にも世にも、そして自分自身に対しても嘘をつき続けざるを得なかった哀しい人物だったのだろうか。
「行こう」
運命に翻弄され歴史に玩ばれた彼のことに思いを馳せるといたたまれなくなる。セリスはオイフェ達に部屋を出るよう促した。
「はい」
いたたまれないのはオイフェ達も同じであった。セリスに従い部屋を後にした。
他にも客室や武器庫等多くの部屋があった。どの部屋も質素であり豪奢な装飾等は殆ど無かった。この世を暗黒としてしまっても決して己が贅に溺れていなかったのがわかる。
最後に城主の間に辿り着いた。だがどうしても扉が開かない。
「よし、じゃあ僕が」
セリスが扉に手をかけた。するとどういうわけか扉が自然に開いた。
「え!?」
セリスは何か吸い込まれるような感じで部屋に引き込まれた。扉はセリスが部屋に入ると同時に締まりどうしても開かなくなった。
「閉まってしまった。どういうことなんだ!?」
扉に手を触れながら首を傾げた。やはり開きそうにない。
後ろから気配がした。セリスはその唯ならぬ妖気に身構えた。
そこには彼女がいた。セリスが捜し求めていた彼女がいた。
「ユリア・・・・・・」
彼女は紅の玉座を背にして立っている。
セリスは彼女を見ても構えを解かなかった。何故ならその妖気は彼女から発せられていたからだ。
瞳を見た。何やら赤と黒が混ざり合った奇妙な色だ。そしてマリオネットの様に生気が無い。
表情も無い。虚ろで肌は蝋の様に白い。
ユリアは左手を上から糸で人形の手を動かすような動作で動かした。その手の平に光が集まっていく。
「!」
セリスは咄嗟に右に飛び退いた。ユリアの手から放たれた光球が彼がそれまでいた場所で炸裂した。
「やはりよけおったか。バルドの直系だけはあるわ」
玉座からしわがれた、それでいて獣めいた声がした。そして玉座に何やら人の影が現われてきた。
「まあそうでなくては楽しめぬ。我等百年の恨み今こそ晴らしてくれるわ」
胸の悪くなるような色の法衣を着た醜悪な老人が姿を現わした。セリスは彼が何者であるかすぐに察した。
「暗黒教団のマンフロイ大司教。御前がユリアを・・・・・・」
「その通り。我が主ユリウス様にとってヘイムの血を受け継ぐこの娘は禍となる。わしが心ゆくなで楽しませてもらった後始末してくれるわ。この娘の母親と同じようにな」
「何っ、母上を!?」
セリスはその言葉に顔色を変えた。
「おお、そうであったか。貴様もあの女の子であったな。よし、冥土の土産に教えてやろう」
マンフロイは酷薄な笑みを浮かべて言った。
「あの女はこのわしがアグストリアよりあの愚か者と結ばせる為に連れて行ったのよ。全ては我が神をこの世に再び降臨させる為にな」
言葉を続けた。
「そして最後に自分の子であるユリウス様の手により葬られるという名誉を与えてやった。その時の嘆きと絶望、まことに美味であったぞ」
「・・・・・・貴様が全ての元凶か」
セリスはそれを聞いて声に怒りを込めた。
「貴様の企みによりユグドラルは暗黒に包まれ多くの罪無き人達が命を失ったというのか・・・・・・。父上と母上、そしてユリア、全てが貴様の為に・・・・・・」
「だとしたらどうする?」
マンフロイは再び笑った。
「許さない・・・・・・」
セリスは言った。
「貴様だけは許さない、この命に替えても貴様だけは倒す!」
セリスの怒りが爆発した。全身に炎が宿る。
「出来るものならな」
マンフロイは嘲笑すると右手を掲げた。後ろに無数の黒い顔が浮かんだ。
顔は一斉にそれぞれ独自の動きをしてセリスに襲い掛かった。セリスはそれを一つ一つかわした。
「やるのう。だが一つ忘れていることがあるぞ」
ユリアが光球を放ってきた。
かろうじて直撃は避けた。だが至近だった。炸裂した衝撃を受け倒れ込んだ。
「これで終わりじゃな」
ユリアの手から再び光が放たれる。凄まじい獣の様な唸り声をあげ倒れ込んでいるセリスに襲い掛かる。
「させないっ!」
セリスは倒れこみながらも渾身の力でティルフィングを横に払った。
光球が横一文字に斬り払われる。二つに分かれた光はそのまま霧消した。
「ぬうっ!」
マンフロイの顔が歪む。セリスはその隙に立ち上がった。
「ユリア、聞いて欲しい」
人形の様に表情を変えないユリアに対し声をかける。
「父上と母上にお会いしてきたよ。そしてその時に言われたんだ。君のことを頼むと」
「・・・・・・・・・」
ユリアは答えない。
「聞いたよ。僕達は実の兄妹だ。父上と母上がこの世に授けてくれた二人きりの兄妹だ。その絆は決して離せない」
「きず・・・・・・な・・・・・・」
ユリアの口からポツリ、と言葉が出て来た。
「兄として僕が君に出来るのはたとえどの様なことがあろうとも君を守り続けること。今はその束縛から君を解き放つこと」
「そく・・・・・・ばく・・・・・・」
「ユリア、目を覚ましてくれ。君が元気な姿で帰って来るのを楽しみにしている皆がいる」
「皆・・・・・・」
ユリアの瞳の色が変わりだした。その時部屋の扉が大きな音を立てて壊れた。
「セリス、無事か!?」
シャナンがバルムンクを手に部屋に駆け込んで来た。どうやら剣で魔力がかかった扉を断ち切ったようだ。彼の後からオイフェやクロード、そして解放軍の将兵達が続く。
「シャナン、皆も・・・・・・」
「セリス、もう大丈夫だ」
シャナンはそう言うと剣を構え前に出て来た。だがそこで異変に気付いた。
「ユリア、生きていたのか。やはりな」
とりあえずは彼女の無事を喜んだ。
「だが・・・・・・」
「どうやらあの赤紫の法衣の男に操られているようですね。そうでしょう、セリス皇子」
クロードが言った。
「はい。けれどもう少しです。もう少しでそれが解けます」
セリスはユリアを見たまま言った。
「クッ、こうなっては・・・・・・」
マンフロイは形勢が不利になったと見るや玉座から後ずさった。
「逃げる気か?生憎城内は全て我が軍の手中にある。諦めろ」
シャナンが言った。
「フン、我が力見くびってもらっては困るな」
マンフロイは口の端を歪めて笑った。双瞳が無気味に光った。
「ユリウス様をお助けし暗黒教団の大司教にあるこのマンフロイの力、しかと見るがいい」
彼はそう言うと全身から黒い瘴気を出してきた。瘴気は黒い巨大な円球となり彼の全身を覆った。
「ラグナロク!」
イシュタルのトゥールハンマーに匹敵する巨大な黒球がセリス達に向けて放たれた。
黒球はすぐに人の頭程の大きさになった。そして複雑に曲がりくねりつつセリスに向かって来た。
「しまった!」
それには皆虚を衝かれた。一同を狙っているのではなかった。マンフロイは最初からセリスだけを狙っていたのだ。
セリスは身を屈め黒球をかわした。だが黒球は反転し再びセリスに襲い掛かる。
「くっ!」
黒球がセリスの胸に迫る。間に合わない。マンフロイがそれを見て会心の笑みを浮かべる。その時だった。
咄嗟に誰かがセリスの前に出た。何か小さい影だった。
その小さい影を黒球が直撃した。黒い光が辺りを包んだように見えた。
何かが焦げる様な音がする。見れば黒い瘴気が少女の胸を蝕んでいた。
「ユリ、ア・・・・・・!?」
セリスの前に立っていたのはユリアだった。マンフロイのラグナルクの邪悪な力を小さな身体で受け止め懸命に耐えている。
「兄様・・・・・・」
ユリアはセリスに対して言った。
「申し訳ありません。やっと全てを取り戻せました」
「心を取り戻したんだね、良かった」
セリスはそれを聞いて言った。彼女は必死にその黒い瘴気と戦っている。そして何としても兄を護ろうとしている。
「フン、洗脳が解けおったか」
マンフロイはそれを見て苦々しげに舌打ちした。
「だが我がラグナロクの直撃を受け生きてはおれまい。ナーガの脅威はこれで消え去った」
そう言うと右手で黒い渦を作り出した。
「待て、逃がすか!」
シャナン達が突進する。
「心配しなくともすぐにまた会うことになる。そして貴様等全員我が神の生け贄にしてくれるわ」
そう言い残すと黒い渦の中に消えていった。
そしてユリアの身体を撃つ瘴気の消え去った。彼女は床に崩れ落ちた。
「ユリア!」
セリスが駆け寄り抱き起こした。
顔を近付ける。息が弱い。額からは脂汗が流れ顔は蒼ざめている。死相であった。
「にい・・・・・・さま・・・・・・」
そう言ってうっすらと微笑んだ。紫と青の瞳が光を弱めていく。
「私を護って下さると・・・・・・言って下さいました・・・・・・ね・・・・・・」
「うん、うん」
両手でユリアの小さい手を抱き締める。温もりが除々に感じられなくなってくる。
「けど・・・・・・兄妹は・・・・・・助け合って・・・・・・生きるもの・・・・・・。だか・・・・・・ら・・・・・・わたし・・・・・・も・・・・・・。にいさまを・・・・・・おまもり・・・・・・した・・・・・・い・・・・・・」
「そんな・・・・・・」
青い瞳が霞んで見えなくなってきた。
「けどいま・・・・・・おまもり、でき・・・・・・て・・・・・・。これで・・・・・・わたし、も・・・・・・にいさま・・・・・・を・・・・・・」
「ユリア、もういい。喋らなくていいんだ」
「・・・・・・・・・」
ガクリ、と頭が落ちる。瞳から光が消えていき急激に身体が冷えていく。
「ユリア!?ユリアーーーーーッ!」
返事は無い。いくら叫んでも揺さ振っても何も返っては来ない。
「そんな、やっと兄妹だってわかったのに・・・・・・」
動かなくなってしまったユリアを抱き締める。涙が溢れ出ユリアの顔を濡らす。
「ユリア・・・・・・ユリア・・・・・・」
それでも名を呼ぶ。しかし彼女の唇は開かれなかった。
「セリス」
ここでレヴィンが出て来た。
「ユリアは死なない」
一同その言葉に振り向いた。
そこにはレヴィンがいた。絶望に沈み込んだ部屋の中で一人希望を持って立っている。右手に何か厳重に作られたダイアの箱を持っている。
「バーハラに行くぞ。そこでユリアは帰って来る。全ての幕を降ろす為にな」
「幕!?」
「そうだ。遂に来たのだ。全てが終わる時が」
彼は一同に対して言った。
「行こう、そしてその時を見るのだ」
一同はレヴィンに促されユリアの遺体を抱えヴェルトマーを後にした。
「蛍・・・・・・!?」
夜ユリアの棺が置かれている天幕の中で巡検の兵士が青と紫の二つの光を認めた。
「蛍にしては少し大きいな。何だろう」
それは近寄ると遠くに飛んで行った。そして何処かへ消え去ってしまった。
操られたユリアは、自分を取り戻す。
美姫 「しかし、マンフロイの術によって……」
しかし、希望はまだあるらしいぞ。
美姫 「レヴィンの言葉を信じて、一向はバーハラへ」